禁術の魔剣士~魔法名家の面汚し、新たな身体(幼女)で剣を取る~


 ダンジョンを踏破したその後。
 マイカとキィキは「これから残っている午後の授業に出る」と言って、学舎へ向かって行った。
「お腹減ってるのにぃー」と悲しそうな顔をしていたマイカを、「はやく、はやく」と急きたてていたキィキの姿が強く印象に残っている。きっと初級ダンジョンをクリアしたことを、他人に伝えたくてうずうずしていたのだろう。
 もちろん学園の生徒である以上、決められた授業に出席した方が良いのは間違いない。だからこそマイカも、ぼやきながらも大人しくキィキに従ったのだろう。

「……こういう時、決まった授業がないEクラスでありがたいな」

 誰もいない食堂で残っていた食事を分けてもらい平らげたトゥールは、そんな風にしみじみと呟いた。
 思えば専任の教師がついたり、自分の好きな時に好きな授業を受けられたりするEクラスは、落ちこぼれ扱いであることを除けば良い環境なのかもしれない。
 
「さて……ちょっとたしかめてみるか」

 食器を洗って片付けたトゥールは、食堂の中で集めた素材を確認する。
『硬葉草』と『火蜜』、そして初級ダンジョンの前で採取した『赤茎』だ。これらを組み合わせれば、強い効果を持つ『滋養強壮薬』になるらしい。

 トゥールの肉体はまだまだ若いとはいえ、さすがに午前の修行は辛いものがあった。
 リンケードは『どんどん負荷を強くしていく』と言っていたことであるし、普段通りにしていれば肉体の回復が追い付かないかもしれない。
 だからこその『滋養強壮薬』なのである。

「たしか作り方は……うーん」

 素材は揃ったが、肝心な作り方が少々厄介だ。
 少なくとも、寮の部屋で気軽に調合できるものではない。

「……すみません」

 意を決して、どうやら休憩しているらしい厨房の職員へ声を掛けた。

「なんだい? おや、あんたは……」

 トゥールの呼びかけに応えたのは、火蜜を分けてくれた女性だった。まだ覚えていてくれたらしく、トゥールが手にしている素材を見て目を細めた。

「どうやら、言っていた材料が揃ったようだね。魔法薬の授業の予習のために素材を集めていたんだろう?」
「はい。それでなんですけど……少しでいいので厨房を使わせてもらえませんか?」
「えっ? ここをかい? ここは学生さんらに提供する料理を作る場所だからね……」

 トゥールの申し出に、明らかに難色を示す女性。

 たしかに調合の結果、なにが出来上がるのかはっきりと分からないのだ。仮に有害な物が生成され、学生たちの食事に混入することとなれば大変だろう。食中毒など発生しようものなら厨房の責任問題だ。

「すみません。やっぱり無理ですよね……ありがとうございました」

 我ながら無理を言ってしまったとトゥールは反省し、すぐに謝り踵を返す。
 どうにか部屋で作れないか試してみるのだ。

「……ちょっと、あんた」

 部屋へ戻ろうとしたトゥールへ、女性が躊躇うように呼び掛けてくる。

「なんですか?」
「あっちの方に、今は使われてない狭い厨房があるんだけどね? そこでやってみるかい?」
「えっ? いいんですか?」

 女性が指を差す先には古びた扉があり、見るからに人の出入りがなさそうな雰囲気を醸し出していた。
 食堂内にしてはその扉だけ清潔感を感じない。このことから手入れされずに放置されていることが伝わった。

「元々はあそこで調理していたんだけど、生徒数が増えて場所が足らなくなってね。それでこの場所に新しい調理場を増設したんだよ」
「へぇ、なるほど……けど、本当に僕が使っていいんですか?」
「あぁ、あぁ。いいよ、いいよ。『判断に迷ったら学生の都合を優先しろ』ってのがこの学園から言われていることでもあるからね」
「ありがとうございます」
「たぶん、調理器具もいくつか置いてあるから、使えそうな物があれば使ったらいい」
「おおっ。重ね重ねありがとうございます」

 しっかりと女性にお礼を言い、トゥールは今では使われていない調理室へと立ち入った。

「はぁー、これはすごい」

 ほとんど出入りがないためか、埃が厨房の至る所に積もっている。このままでは調理や調合などは衛生面を考えれば難しいだろう。
 だがそれを除けば、設備自体は問題ない。いや、むしろ一学生が使わせてもらうには整い過ぎている。この場所を逃す手はないだろう。

 トゥールはざっと厨房の埃を払って拭き取り奇麗にすると、さっそく滋養強壮薬を作るために調合を開始した。

(……まずは硬葉草の葉を絞って汁を出すんだったか)

 トゥールは採取していた硬葉草の葉を茎から千切ると、それを絞って汁を椀に注ぐ。
 まだ身体強化は解除していないので、トゥールの強化された握力により硬い葉からどんどん汁が抽出されていく。
 そしてある程度椀に汁が溜まったところで、トゥールは赤茎を取り出した。

「次はこれをみじん切りにして……」

 古い厨房の棚に残されていた包丁を用いて、赤茎を細かく刻んでいく。
 斬られた赤茎からは独特な臭いの汁が溢れ、トゥールは思わず顔を顰める。

「うげぇ……食欲の無くなる強烈な臭いだ」

 鼻をつまみながらも何とか刻み終えると、今度は火を熾す。
 そしてその火で熱した鍋の中に火蜜を入れてじっくりと温める。

 頃合いを見て赤茎を入れ、その上から抽出した硬葉草の汁を注ぎ充分に炒める。
 目安は赤茎が熱で形が無くなるまでだ。

「ほぉー? それが魔法薬になるのかい?」

 様子を窺っていた女性が、鍋で赤茎を炒めるトゥールに問いかけてくる。

「なんだか普通に料理しているみたいだね? ちょっと臭いは変わっちゃいるが、魔法薬ってもっと魔法に頼ったもんだと思っていたよ」
「魔法薬と言っても色々種類があるんですよ。仰るように魔法や呪文が必要な薬もありますし、作り方は料理と変わらなくても魔力を回復させるような物もあります。一概には言えませんね」
「ほぉー? 魔法薬ってのも奥が深いんだね。まぁとにかく、ちゃんと片付けはして行っておくれよ。また借りてもいいからさ」

 トゥールの説明に、よく分から無さそうに肩を竦めると、女性は古い厨房から出て行った。

 残されたトゥールはただ一人、赤茎の形が無くなるまで炒め続けるのであった。

「よし、これで完成だ」

 鍋で炒め赤茎が形が無くなるほどドロドロになったところで、トゥールはそれを器に移す。
 そうして保存が利くように密封できる容器に小分けすると、厨房を片付けてから部屋へと戻った。
 いよいよ滋養強壮薬を試すときが来たのだ。

 まずは今まで使用していた身体強化を解除して素の状態に戻る。
 と、その瞬間。

「あががぁ?」

 全身の筋肉がブルブルと震え、トゥールは思わず床に倒れ込む。とてもではないが、すぐには起き上がれそうにない。

「う、ぐ……身体強化を連続使用しすぎたか」

 身体強化は魔力により肉体を強化し活性化させる魔法だ。本来ある自分の筋力や能力以上の力を無理やり発揮させる魔法のため、身体に負荷がかかる。
 当然、長時間の使用を行えば、身体に強い疲労が来ても不思議ではない。

「ふぅ、ふぅ……滋養強壮薬を用意しておいたのはつくづく正解だった」

 身体強化を解除した後に薬を作るのはさすがに無謀だっただろう。偶然ではあるが、薬を作り終えるまで魔法を掛け続けたのは正解だったのだ。

「よし、飲んでみよう」

 何とか床に胡坐を搔いて座ると、トゥールは薬の入った容器を痙攣する手で口元へ運ぶ。そしてそれを勢いよく煽った。

「ぶっ! ふぐっ!」

 含んですぐさま吐き出しそうになり、何とか堪えて口を掌で塞ぐ。

「ぶぐ、ぶぐぐぅ……」
(な、なんだこの不味さは……! 想像を絶するぞ、おい……)

 喉が嚥下するのを拒むほどの激烈な味だが、かといって部屋に吐き出すわけにもいかない。
 
「うく……っくん――はぁ、はぁぁ。げほ、げほげほっ」

 決死の思いで眼を瞑って呑み込み、喉を焼くようなヒリヒリとした痛みに反射的に咳き込む。
 嚥下した薬が、身体のどの部分にあるのか分かるような気分だ。
 
「まぢゅい、まぢゅい……くそまぢゅいぞ、こにょやろっ!」

 あまりの不味さに怒りがふつふつと込み上げてくる。しかし、残る不快感から口をすぼめているため、出てくる言葉はまるで子どものように舌足らずだ。まぁ、見た目は子どもなので問題はないのかもしれない。

 水を用意してそれを一気に飲み、口に残る薬の味を流し落とす。しばらくは完全に消えないだろうが、それでもいくらかマシになった。

「ふぅ……驚いたな。この薬、本当に効くのか?」

 そもそも飲んで大丈夫な物なのだろうか?
 毒薬の作り方と間違って覚えていたということはないだろうが……あの味を考えるにありえなくもない話だ。

「……でも、あれ?」

 不吉なことを考えていると、腕を震わせていた筋肉の痙攣が治まっていることに気付く。腕だけではない。
 さっきまで痛みを覚えるほどの疲労を感じていた足などの筋肉が、心なしか軽い気がする。痛みもずっと薄らいでいる。
 立ち上がってみれば、すんなりと身体が動いた。
 薬を飲む前はどうやって立ち上がろうと真剣に悩んでいたのだが、それが嘘のようだった。

「すごいな……これで明日の特訓もなんとかなりそうだ」

 身体強化も無しで、先ほどの筋肉痛を残したまま今日のような特訓は不可能だっただろう。滋養強壮薬のおかげで助かったと言える。
 ただ……。

「――効果はたしかにすごい。だけどできれば、もう二度と飲みたくないなぁ」

 トゥールは薬の味を思い出しながら、しみじみと呟いた。効能がどれだけすごくとも、飲む度に不味さで意識が飛びかけるなど冗談ではない。
 残っている薬も破棄しようと思ったが、しかし勿体ないという思いも頭をもたげる。結局悩んだものの、とりあえず仕舞っておくことにした。もしかしたら、本当にもしかしたら必要に迫られて飲む時が来るかもしれない。
 無論そんな時が来るのは御免被りたいが、トゥールは残しておくことにした。
 
「マイカが飲まなきゃいいけど」

 何となく、食い意地が張ってそうな彼女が間違って飲まないようにベッドの下へ隠す。
 それからトゥールは、寮に生徒がいない今のうちに入浴を済ませ、その後はなるべく安静にして過ごすのだった。

 キィキとともに初級ダンジョンを踏破した翌日。
 少し身体の倦怠感が残るものの、トゥールは早くから起き出し食堂へと向かう。
 その際、隣のベッドでマイカが布団から腹を出して寝ていたので、ため息を吐きつつ直してやった。
 せめて女性としての恥じらいを覚えて欲しいが、女子寮では難しいのかもしれない。

「おはようございます」
「今日も早いね。はい、おはよう」

 食堂にいた職員に声を掛け、トゥールは用意されていた料理を自分でトレーに載せて運ぶ。食堂の方式にも、昨日だけで随分と慣れたものだ。
 やはり朝早いということもあり、食堂の中は数人しか生徒の姿は見えず静かだった。
 落ち着いた雰囲気の中で食事を摂っていると、何かと便宜を図ってくれた昨日の女性が、トゥールの傍へとやって来る。

「それで? 昨日作っていた薬は調合できたのかい? 魔法薬の予習だったんだろう?」
「ええと、できたにはできたんですけど……は、はは」

 女性に問われ、トゥールは試しに呑んだ昨日の滋養強壮薬の味を思い出して苦笑いを浮かべる。
 ほんの少しあの味を想像しただけで、今食べている朝食が不味くなりそうだ。

「ふーん? その反応は上手くいかなかったみたいだね。まぁいいさ。また、調合がしたくなったら言いな。古い厨房なら使ってもいいから」
「本当にいいんですか? ありがとうございますっ!」

 できればもう少し改良して飲みやすい滋養強壮薬を作りたいと考えていたので、女性の言葉は渡りに船だった。どうやら昨日の言葉は単なる社交辞令でもなかったようだ。

 それから女性と少しだけ話をして、食事を終えたトゥールは昨日と同じように屋外鍛錬場へと向かった。
 念のため、昨日作ったとても不味い滋養強壮薬を少量だけ懐に忍ばせたのは余談だ。できれば使う機会など無いに越したことはないが、何があるか分からない。持って行くだけはしておくことにしたのだ。

「よし、今日もちゃんと来たな」

 鍛錬場へ着くと、昨日と同じように待っていたリンケードが出迎えてくれた。彼はトゥールをじっくりと見た後、小さな笑みを浮かべて目を細めた。

「ははっ。随分と疲労が残っているようだな。辛いか?」
「いえ、そこまでは……分かるんですか?」

 未だに倦怠感があるのはたしかだが、それでもあからさまに辛そうにはしていない。だというのに、リンケードは全てをお見通しと言わんばかりに頷いた。

「わかるさ。昨日より心なしか重心が傾いている。あと力の入り方が甘いしそのわりには筋肉が不自然に強張っている……疲れが残っている証拠だ」
「な、なるほど」

 自分ではまったく自覚していないが、そこまではっきりと言われたならそうなのだろう。トゥールは納得して頷いておいた。

「だが、ここまで疲れが残っているのは問題だな……昨日、俺が言いつけた素振りの後、何か自主訓練をしたか? 走ったり剣を振ったり」
「いえ……あ、特訓じゃないんですけど、昨日は午後から知り合った生徒と初級ダンジョンを踏破していました」
「そうか――はぁ?」

 トゥールの言葉に、リンケードは驚いたように眼を剥いた。
 どうやらトゥールの身体の不調を見抜いた彼でさえ、それは想定外だったらしい。

「あんた、昨日の今日でもう初級ダンジョンに挑んだのか? 誰と行ったんだ? 何人で行った?」
「ええと、キィキという名前の魔法科二年の生徒と二人で行きました」
「二人で……とはいえ魔法科の二年生か。なら不思議でもないな。魔法科の二年生ならとっくに初級ダンジョン程度は踏破しているだろうし、頼りになっただろう?」

 トゥールから説明を受け、動揺を落ち着かせたように訳知り顔で頷くリンケード。
 そんな彼にその二年生も踏破するのは初めてで、なおかつトゥールに頼りっぱなしだったと言ったらどうなるのだろうか?
 もちろん、キィキの名誉のためにそこまで言うつもりはないが。

「しかしEクラスの生徒が、入学二日目でダンジョンを踏破か。初級とはいえ学園始まって以来かもな」
「……不味いですか? やっぱり目立ちますかね?」

 あまり目立ちすぎると魔力があるのが露見し、調べられるかもしれない。そうすると保有する魔力の量が異常であることまで知られ、魔法学園へ追放(・・)される可能性もある。
 トゥールとしてはそれは避けたかった。

「……まぁ、問題ないだろう。ほとんどの者が、あんたが踏破できたのは同行した二年生のおかげだと思うはずだ。実際にそうなんだろう? なにせあんたお得意の魔法も、俺が魔放具を預かっていたせいで使えなかっただろうし」
「えっ? あ、はぁ……」

 おそらくキィキは、さも自分の力で踏破したと喧伝しているはずだ。なのでそういうことにしておいても問題ないだろう。
 トゥールは消極的ながら頷いておいた。

「なぜそこまで疲労が残っているのかは把握した。あの特訓の後にダンジョンに入ればそうなっても無理はない。それでも特訓は厳しくいくぞ。まずは――」
「あ、ちょっと待ってください」

 リンケードはさっそく特訓を開始しようとするが、トゥールはその前に待ったをかけた。どうしても確認しておきたいことがあったのだ。
 特訓の後だと疲れ果てて忘れてしまいそうだったので、このタイミングで聞いておくことにした。

「なんだ?」
「昨日ダンジョンに入って考えたのですが、指輪を返しておいてくれませんか? やっぱり何か起こった時、対処できる術が欲しいんです」

 昨日は初級ダンジョンで、出現したのがコボルトなどの弱い魔物だったからまだ良かった。身体強化だけで十分に乗り切れた。
 しかし、何らかの理由で高位のダンジョンに入った時、おそらく――いや、間違いなくそれだけでは足りない。トゥールも高位の魔法を使う必要に駆られるはずだ。

 だからこその要望だったのだが、リンケードは首を横に振った。

「駄目だ。あんたが本気で魔剣士を目指すのなら、もうこの指輪には頼るべきじゃない。この指輪は、魔法使い向けの物であって魔剣士用でもないしな」
「そんな。だって魔剣士だって魔法を使うじゃないですか? 僕はどうやって魔法を使えばいいんですか?」
「だから早く、あんたは魔放剣を手に入れる必要があるんだよ」

 抗議したトゥールへ、まるで駄々っ子を宥めるような声音で諭すリンケード。そして彼は、自分の剣を抜き放った。

「魔剣士たるもの、魔法を使うなら魔放剣を補助にすべきだろ。だからこその魔剣士だ。指輪や杖で魔法を使う魔剣士なんて、それはただの剣を持っただけの魔法使いに過ぎない」
「――『剣を持っただけの魔法使い』?」
「そうだ。現在、学園に余っている魔放剣はない。だから手に入れるには供給されたり払い下げられたりするのを待つしかないな。あるいは……自作するか」
「自作できるんですかっ?」
「あ、ああ……」

 勢い込んで尋ねたトゥールに、リンケードは身を引きながら頷いた。

「ここは冒険者学園だからな、様々な学科がある。中には鍛冶科もあって剣を造れる生徒や教師もいる。そいつらに頼めばいい」
「さっそく頼んできますっ!」
「待て」

 すぐさま駆け出せる準備をしたトゥールを呆れたように見やり、リンケードは首を横に振る。

「今は駄目だ。剣の素材は有っても、魔放剣を造るのに欠かせない魔石がない」
「魔石ですか? 魔石なんて、魔具を扱う店に安価で売っているんじゃないですか?」
「それは加工された小さくて用途が決まっている魔石だ。魔放剣に使用するのは原石。魔力を帯びた鉱山で採掘できる物か、あるいは純魔の核となる物しか使用できない」
「……つまり?」

 嫌な予感を覚えながら結論を求めれば、リンケードが大きく頷いた。

「どのみちあんたが魔放剣を手にするのは、現時点ではできないということだ」
「そ、そんな……」
「他に質問は? なければとっとと特訓を始めるぞ」

 がっくりと肩を落とすトゥールなんてお構いなしに、今日もリンケードによる授業が始まろうとしていた。

「先生。この学園にあるダンジョンに、純魔はいないんですか? 初級ダンジョンにはいませんでしたが」

 軽い準備運動から始まり、走り込みと剣捌きを見る訓練。そして鞘による素振りまでを終えたトゥールは、クタクタになりながらリンケードに問いかけた。
 リンケードはその問いに怪訝そうに眉根を寄せたが、すぐに察したように苦笑する。

「……ははん。さてはあんた、純魔を討伐して魔石を手に入れるつもりだな?」
「……はい、そのつもりですけど」

 あっさり企みが看破され、トゥールはバツの悪い表情を浮かべながらも素直に頷いた。リンケードの言うとおり、ダンジョンに純魔がいるのであれば討伐し、魔石を手に入れたかったのだ。

「あのな? 簡単に言ってくれるが、純魔は基本的に魔物よりも強い。あんたは純魔がどんな存在か知っているのか?」
「はい。一応は書物で読んだので」
「そうか。じゃあ、あんたが書物を読んで知ったことを教えてくれるか? せっかくだから、座学らしいこともしてみよう」

 鍛錬場の土の上に、胡坐を掻いてリンケードが座る。そしてこちらにも、座るように促してきた。
 トゥールもそれに従って胡坐を掻いて座ると、書物で読んだ純魔のことを思い出す。

「ええと……まずは純魔とは、魔石を核とする生き物の総称です。主に虫や動物が何らかの原因で魔石を体内に形成し、その力によって巨大化あるいは凶暴化します」
「ああ、そうだ。他には?」
「純魔は魔石により強化されますが、同時に魔石が弱点にもなります。核である魔石が破壊されると、純魔は消滅してしまうんだとか……あとは長く生きた純魔ほど強くなり、強い純魔ほど魔石が大きく硬くなる……そのくらいでしょうか?」

 自分の知識が十分であったか心許ない想いで首を傾げたトゥールに、リンケードは満足そうな顔で大きく頷いた。

「十分だ。その歳で純魔に関してそれくらい知っているなら大したものだ。付け加えるとするならば……純魔は魔力を持っている――つまり、一部の純魔は魔法が使える」
「――っ! 『王純魔』……」
「ほう? それも知っていたか」

 思わず呟いたトゥールの言葉に反応し、感心したようにリンケードが笑う。

 トゥールが読んだ書物によると、長命の純魔は知能が発達し魔法を覚えることもあるらしい。長く生きたことにより、核も身も大きく丈夫となり、さらに魔法まで使える厄介な存在となるのだ。そうやって強大な力を持つようになった純魔は特に王純魔と呼ばれる。
 王純魔の討伐には五つ星以上の冒険者が複数名必要とされ、過去には一体の王純魔により複数の国が滅亡したこともあったのだとか。
 
「別に魔放剣の素材に王純魔の魔核が必要だという話じゃない。そんなもの、この学園の教師陣にだって簡単に採れるものか。だが、魔法を使えない通常の純魔にしても、危険度はそこらの魔物よりはるかに高い。安易に純魔から魔石を採取しようなどと考えるな」
「それは分かりますけど、でもなるべく早く魔放剣が欲しいんです」
「……はぁ」

 諫めようとするリンケードをそれでも真っ直ぐに見つめれば、彼は根負けしたように眼を逸らしてため息を吐いた。

「……わかった。先の質問に答えよう。この学園にも、純魔が出現するダンジョンはある」
「本当ですかっ?」
「ああ。だが、純魔が出現するのは五級ダンジョン以上だ。原則、ダンジョンの攻略は順番にしかできない。つまり、初級ダンジョンをクリアしたばかりのあんたには、まだ五級ダンジョンへ挑む資格はないってことだ」
「そんな……」
「まぁ、そもそも一年次に五級ダンジョンに挑むのはいくらなんでも無謀だ。大人しく力をつけ、信用できる鍛冶科の生徒と仲良くなってから挑むんだな。どのみち素材があっても、剣を造ってくれる奴がいないと意味がない」

 落ち込み項垂れるトゥールに、リンケードは慰めるように腕を組んで優し気な笑みを浮かべる。
 だが、一刻も早く魔放剣を手に入れたいトゥールにとって、そんなアドバイスは何の慰めにもならない。

「……先生はさっき、『原則、ダンジョンの攻略は順番にしかできない』って言いましたよね? つまり、裏技を使えば飛び級して挑むことも可能なのではないですか?」
「あんた、本当に諦めが悪いな……」
「放っておいてください。それよりどうなんですか?」
「まぁ……できないことはない。だが、現実的ではないな。特に、あんたには」

 意味深長な視線でこちらを見ると、リンケードは両手の七本の指を立てて見せる。

「七年。七年だ。この学園に在籍できるのは、七年間だけだと知っているな?」
「――えっ? あ、はい……」

 その話は、朧気ながら聞いていた。
 たしか妹であるドロシーが言っていたはずだ。「冒険者学園はいくつから入っても七年生までしか在籍できない」と。
 つまり十歳で入学したトゥールも、二十歳で入学した他の生徒も、学園にいられるのは七年間だけなのだ。
 その間に卒業試験を受けて合格し、晴れて冒険者になるか。あるいは卒業できずに強制的に退学となるか。
 ちなみに割合としては、後者の方が圧倒的に多い。
 冒険者学園の卒業試験は難関として知られ、そもそも試験を受けるための資格を得るのも生半可なことではないのだ。

「入学試験に受かる実力があったとしても、年若くして入学する方が不利なんだよ、この学園は。それならある程度の年齢まで独学で力をつけて入学し、七年間さらに鍛えた方が良い。だから同じ一年生でも、歳を食っている方が実力はある――みんな、そう考えるだろうな」
「……ええと、それがダンジョン攻略とどう繋がるんですか?」
「そうだな。結論から言うと、あんたが五級ダンジョンへ飛び級で挑みたいのなら、学パを組めばいい。学パの中に一人でも四級ダンジョンまで踏破している奴がいれば、パーティーを組んでいるあんたも挑戦資格を得られる」
「――っ! なるほど」
「そこで先ほどの話だ」

 目から鱗と納得したトゥールに、リンケードが冷や水を浴びせるような声で鋭い視線を寄越してきた。

「学園の中でも群を抜いて年若いあんたと学パを組む物好きはそうはいない。四級ダンジョンをクリアしているような、中堅のパーティーならなおさらな」
「うっ、く……で、でもっ! 探せば――」
「本当にいると思うか? 十二歳の一年生を、それも剣士科のEクラス(・・・・・・・・)を仲間にしてくれる中堅パーティーが」
「…………」
(うん、無理だな)

 立場上、トゥールがEクラス以上の力を持っているのがバレるのは好ましくない。
 だが、マイカやキィキはともかく、それなりに力のある生徒たちならトゥールが身体強化――つまり魔法――を使っていることも見破る可能性がある。

 そのためトゥールは純粋に剣の実力だけで学パを探す必要があるのだが、自分の程度は弁えている。どれだけ頑張ったところで、今の実力では中堅パーティーには見向きもされまい。

(うーん、厳しいな……)

 どれだけ頭を捻っても、この状況を打開できる策が思いつかず頭を抱える。
 そんなこちらを面白そうに見て、リンケードは唇の端を吊り上げた。

「よし。まだまだ元気なようだし、訓練を再開しよう」
「えぇっ!」
「なぁーに、明日は休業日だ。今日は午後も目一杯修行しよう。俺も今日一日は雑用もないしな」
「……わ、分かりました。とことんやってやりますよっ!」
 
 しばらく魔放剣を手に入れられそうにないことが嫌というほど分かり、トゥールはやけくそ気味に叫んだのだった。
 

 リンケードによって絞りに絞られたトゥールは、日が暮れる頃に身体中の痛みを覚えながら寮の部屋へと戻った。
 昼食に一度戻ったはずだが、なんだか寮に帰って来たのが久しぶりのような気がする。体感的には、初級ダンジョンに挑んだ時間よりも午後の訓練は長く感じられた証拠だ。

「あ、おかえりトゥールちゃん。こんな時間まで授業だったの?」

 先に部屋へ戻っていたらしいマイカが、少し驚いたように首を傾げた。
 しかしどんな表情をしていても、微かに笑っているような雰囲気を出せる物腰の柔らかさは、彼女の才能と言えるだろう。
 なんだか接するだけで疲れが和らぎ癒されるような気がするのだ。

「……ただいま。ちょっと先生の指導が長引いてね」
「へぇー。『Eクラスにはまともに教師もつかない』って聞いたんだけど、やっぱり噂って当てにならないね。こんな時間まで授業してくれるなんて、言ってた通りとっても熱心で良い先生だね」
「ふふっ。そうかも」

 トゥールとしてはもう少しお手柔らかにお願いしたいところだが、たしかに総合的に見ればリンケードは良い先生と言えるだろう。
 本来であれば剣士科にはいられない――それどころかこの学園にすらいられないであろうトゥールの秘密を守ってくれ、おまけにトゥールの荒唐無稽な夢を笑わず剣を教えてくれているのだ。
 あいにくトゥールが他の教師陣と拘わる機会はないのだが、それでもリンケードが得難い存在であることは察せられる。

「それで? そっちはどうだったんだ? キィキは今日も『初級ダンジョン踏破』を喧伝していたのか?」
「うん、すごかったよ。トゥールちゃんの希望通りに、ほとんど一人で踏破したような口ぶりで得意気だった。昨日も話を聞いた子たちはうんざりしてたけどね」
「ははっ。眼に浮かぶよ」

 キィキが腰に手を当て、踏ん反り返った姿で鼻高々にしている姿なんて簡単に想像できる。何とも彼女らしい。

「それでね。今、キィキちゃんすっごくモテモテなんだよ。パーティーの勧誘がひっきりなしっ! 元々魔法の実力があることは知られていて、問題は実戦で上手く使えないことだけだったから」
「……なるほど。ダンジョンを踏破したという実績ができたからな。ちゃんと魔物と戦えることが証明された以上、キィキは有能な魔法使いとして求められることになったのか」

 たしかにダンジョン内でのキィキの詠唱速度や熟練度は悪いものではなかった。『魔物恐怖症』による緊張から少しぎこちないところもあったが、それを抜きにすれば一端の魔法使いと言えるだろう。
 正直、今まで彼女を馬鹿にしていた者たちの掌返しには思うところもあるが、キィキが素直に喜んでいるのであればトゥールが気にすることではない。
 ただ、『彼女がどんな学パを選ぶのか?』ということだけは興味があった。

「っで? キィキはどこかのパーティーにもう加入したのか? それこそ元々声を掛けられていたマイカの学パ――『闇夜の篝火』とか」
「まさかっ! トゥールちゃんだってキィキちゃんのこと少しは分かるでしょ? 絶対に私たちのパーティーには戻ってこないよ。自分でパーティーを辞退した以上、あの娘はどんなことがあっても戻らない」
「……たしかに、な」

 本当は、キィキが自分で辞退したわけではなく追い出されたらしいのだが、彼女がマイカに伝えていない以上はトゥールが言うべきことではない。
 どちらにせよマイカの言うとおり、キィキはたとえ再び誘われたとしても、『闇夜の篝火』へ加入することは無さそうだった。

「キィキちゃんね? たしかに魔物と戦えるようになったけど、完全に克服したわけじゃないみたい。だからボロが出ないように、しばらく学パは組まないみたい。『もう少し魔物と戦うことに慣れたい』って」
「そうか。うん、それがいいかもな」
「それでね? トゥールちゃんに『また一緒にダンジョンに挑もう』って言ってたよ。魔物と戦う特訓に付き合って欲しいみたいだね」
「えっ? あ……ああ。それくらいは別にいいけど」

 トゥールもダンジョンに挑戦したい気持ちがある。一人で挑んで踏破してしまえば話題になってしまうが、キィキと挑めば全部あちらの手柄になるだろう。トゥールが何も言わずとも、勝手に手柄を持っていってくれるはずだ。

(キィキには悪いけど、いい隠れ蓑になるな)
 内心でそんな企てをするトゥールに対し、何も知らないマイカが思いついたように両の掌を打ち鳴らす。

「あっ、ほら。明日は休業日でしょ? せっかくだから一緒に二等級ダンジョンやもう一度初級ダンジョンに挑んでもいいんじゃない?」

 それは何とも魅力的な提案だが、残念ながらトゥールは首を横に振った。

「それはできないんだ。明日はありがたいことに(・・・・・・・・)特別授業が入ってる。僕に休みはないよ」

 そうなのである。
 翌日が休業日であることを理由にさんざんトゥールを鍛え抜いたにも拘わらず、なんとリンケードはその休業日さえも特訓しようというのだ。
 いくらトゥールといえども、はっきり言ってそこまでは望んでいない。
 だが、担任が決めてしまった以上は、生徒として出席しないわけにはいかなかった。

「それは大変だね。私は明日、学パのみんなと三等級ダンジョンに挑むんだよ。トゥールちゃんやキィキちゃんに追い越されないように頑張らないと」

 トゥールに少しだけ同情するような視線を向けた後、自分の予定を話して気合を入れるマイカ。
 拳をぐっと握りしめて鼻を膨らませるその姿は、何とも可愛らし――いや、勇ましい。

「ふふっ。僕も頑張らないとな……はぁー」

 そんな彼女に少しだけ癒されつつ、トゥールは明日に向けて糞不味い滋養強壮薬を飲む決意を固めた。

 

 本日は休業日だ。
 学園での授業は基本的に休みとなり、生徒たちは思い思いに与えられた休みを過ごす。
 友達同士で街へ息抜きに繰り出す者、寮の部屋でひがな一日のんびりと過ごす者。
 学パでダンジョン攻略に乗り出す者や、自主的に鍛錬を積む者たちもいる。とにかく休業日には様々な過ごし方があるのだ。

「うぅ。僕はなんでこんなことを……」
「おい? 何か言ったか?」
「いえ、何も――」

 トゥールも今日は学園に入学して初めての休業日である。本来であれば慣れない環境での疲れを癒すためにゆっくりしたり、学園を見て回ったりしたかった。
 しかし、ありがたいことにトゥールの担任であるリンケードは、休みの日まで指導役を買って出てくれた。
 おかげで他の生徒たちが休業日を謳歌する間に、トゥールはひたすら鞘による素振りを繰り返すことになったわけである。

「……四百九十八、四百九十九、ご、五百――ふぅ、はぁ」
「よし、休んでいいぞ」

 言われた通り鞘による素振り五百を終えたトゥールは、鞘を支えにしてズルズルと地面に倒れ込んだ。
 腕の筋肉が痙攣し、思うように力を制御できない。不必要に力が入ったかと思えば、痛みですぐに抜けてしまう。
 しばらくはまともに動かせないだろう。

「いてて……か、顔が痒いのに、腕が上がらない」

 無様に転がりながら顔を掻こうとするトゥールを見下ろしながら、リンケードが意外にも感心した顔つきとなる。

「ふーむ、なるほど。走り込みの後に素振りを五百回だ。腕の方はもちろんそうなっても仕方ないだろうが、だが存外に体力が付いたな。ほとんど呼吸が治まっている」
「へっ? あ、たしかに……」

 屋外鍛錬場を三周した後はともかくとして、十分体力を使う素振りを千回したにも拘わらず、それほど呼吸は苦しくない。
 昨日や以前までのトゥールであれば、素振りだけでも息を荒らげていたはずだが、早くも慣れてきたのだろうか?

「たまには身体を休めることももちろん大事だ。だが、基礎的なトレーニングは毎日継続してこそ意味がある。走り込みと素振りだけは、たとえ授業や特訓がない日でも毎日続けてもらいたい。それだけは、俺がいなくてもできるだろうからな」
「つまり、今後も休業日であっても、走るのと素振りをするのは続けろってことですか?」
「そうだ」
「鍛錬場を三周と、素振り五百回ですか?」
「いや。体力と筋力がもう少しつけばそれらも増やしていく。なーに、じきに三周や五百では物足りなくなるさ。はっはっはっは!」

(くぅ、他人事だと思って……)

 お気楽に笑うリンケードへ恨みがましい視線を送った後、トゥールは何とか身体を起こして地面に座り直す。しばらく休まないと立ち上がることもできないだろう。
 腰元の巾着には滋養強壮薬が入っている。それを飲めばすぐに立ち上がることもできるだろうし、腕もずっと楽になるはずだ。

(けど、それは最後の手段だな)

 なにせ、この薬は不味すぎる。もっと激しく疲労し、どうしようもなくなった時にしか飲む決心ができない。

「どうやら、しばらくは立てそうにないな。その間、昨日みたいに座学でもするか? といっても、魔法であんたに俺が教えられそうなことはないが……一般教養でもいいぞ」
「はぁ……」

 こちらを見かねたように、リンケードが胡坐を掻きながら提案してくる。
 彼の言うとおり、トゥールは十年前から独学で魔法の勉強をし、実に一万以上の魔導書や禁術書を読破している。
 新たな身体を得てから学園に入学するまでの一か月間、実際にどの程度の魔法が使えるか試したが、ほとんど問題なく行使可能だった。
 つまり現在では使用者が限られる十級以上の魔法は元より、一級の魔法さえも使用可能なのである。トゥールとしても、今さら魔法の勉強が必要とは思えない。

 一般教養に関しても、元々はブラバース家で専属の家庭教師を付けられ教わってきた。算術や地理、経済関連などの知識も備わっている。特には必要もない。

(うーん、特に教えて欲しいこともないんだよなぁ)

「何かないのか? 聞きたいこととか?」

 考えるトゥールに、痺れを切らして問いかけてくるリンケード。そんな彼の姿に何となく、以前した話を思い出す。

「先生。そういえば、僕を弟子にしてくれる時に『あんたも鈍色の夢を見るんだな』と言っていましたよね? 鈍色の夢ってなんですか?」
「……あぁ、聞こえていたのか」

 リンケードはトゥールの問いに少しだけ遠い眼をしてから、仕方なさそうに肩を竦めた。

「大した意味はない。俺も剣を教えてくれた師匠に聞いた話なんだが、とある国のことわざみたいなもんだ」
「ことわざですか? 鈍色の夢が?」
「ああ。通常、剣は銀色だろう? 中には黒色だったり鋼色だったりする物もあるが、やがては使ううちに切れ味が悪くなり使えなくなる。どれだけ大事に丁寧にしていても、いつかは鈍らになってしまう。それが……鈍色だ」
「えっ? つまり剣を鈍らにするのが夢なんですか?」

 意味が分からず首を傾げたトゥールに、リンケードが一瞬目を見開いて、そして一拍の間を空けて大笑いした。

「はっはっはっはっ! そうだな、そう思うよな? はっはっは!」
「せ、先生? ちょっと、笑い過ぎじゃ……」

 腹を抱えて涙まで流して笑うリンケード。一体トゥールの言葉のどこに、そこまで笑う要素があったというのか。
 もしかしてリンケードの笑いのツボは、とんでもなく浅いのでは? トゥールがそう思うのも無理なかった。

「いやぁ、すまんすまん。ははっ。餓鬼だった頃、俺も師匠に同じことを聞いたんだ。ついつい懐かしくて笑ってしまった」
「は、はぁ……」
「それで、だ。鈍らっていうのは、剣が振れなくなるってことの比喩表現だな。ずっと使ってきた剣が、斬れ味が無くなり用をなさなくなるか……あるいは自分自身の身体が限界を迎えて剣を握れなくなるか――つまり限界を迎えるまで剣士であろうとすることを、『鈍色の夢を見る』というらしい」
「……なる、ほど?」

 リンケードなりに丁寧に説明してくれたのだろうが、如何せんトゥールにはあまり理解できなかった。
 リンケードもトゥールの表情からそのことを察したのか、苦笑を浮かべる。そしてごつごつとした掌を、トゥールの頭の上に乗せた。

「あぁ、いいぞ。今はわからなくたっていい。あんたが剣士として生きていれば、いつかその意味がわかるかもな」
「……そうでしょうか?」

 トゥールが剣を握ってまだ数日。たしかに今のままでは、剣を鈍らにするなんてずっと遠い未来のことだろう。
 まだまだ想像もつかないことだった。

「よし、随分と話したな。だいぶ疲れもとれただろうし、特訓の再開といくか?」
「あ、はい」

 リンケードの言うとおり、先ほどよりも身体にしっかり力が入るようになっている。これなら何とか剣の修行を続けられそうだ。
 座っていた姿勢からトゥールとリンケードが立ち上がった――時である。

「――っ?」

 空気を震わすような痛いほどの甲高い音が、唐突にこちらの耳へと飛び込んできた。

『――非常事態発生っ! 非常事態発生! こちらは学園治安局である。職員、ならびに生徒は傾聴せよっ! 非常事態発生! 非常事態発生!』

 そして切迫したような人の声が大音量で響き、トゥールは突然の出来事に身を竦めることしかできなかった。
(これは、拡声魔法か?)

 空気を震わせる大きな声は、到底人が出せるものではない。
 おそらく声を大きくする魔法を使い、学園中に届くようにしているのだ。

『――西の方角より『A級来訪者(・・・・・)』ありっ! 西の方角より『A級来訪者』ありっ! 職員は生徒の安全に留意し、速やかに東の門へ誘導せよっ! 生徒諸君は落ち着いて東の門へ集合せよっ! これは訓練ではないっ! 繰り返す――』

「……どうなっている?」

 拡声魔法による放送が続く最中、リンケードは険しい顔で西の方角へ視線を向けた。

「せ、先生?」
「――A級来訪者だと? なんだってそんなモノがこんなところに……あぁ、トゥールっ、逃げるぞっ! すぐに東の門へ急げ。俺はこの周囲に残っている生徒がいないか確認していく」
「ま、待ってくださいっ! いったい何が起こっているんです? 『A級来訪者』ってなんですか?」
「今はそれどころじゃ……いやわかった。どうせ言わないと納得せんだろう? 生徒を不安がらせないよう、職員のみが分かるよう設定された隠語だ。いくつかあるが、その中でも『A級来訪者』は――『王純魔』相当の危険が迫っているって意味だ」
「……えっ?」

 トゥールは絶句し、西の方へと顔ごと身体を向けた。
 純魔はともかくとして、王純魔が人里に現れることなどそうそうない。逆に一度でも現れてしまえば、複数の村や町、あるいは大きな街、それどころか場合によっては一国さえも地図から消えてしまいかねない。
 それほどの脅威なのだ。

「この学園の教師陣は元冒険者ばかりだ。もちろんある程度なら戦えるが、王純魔を相手にして確実に倒せる保証はない。早く逃げろっ!」
「わ、わかりましたっ!」

 リンケードに有無を言わさない力で背中を押され、トゥールは頷き東の門へと駆ける。

「おい、そんなに慌てるなってっ」
「危ないだろっ! 前を見て走れっ!」
「おまえ、やめろよ。ふざけてる場合じゃなさそうだぞ」

 走りながら東の門を目指していると、同じように移動している生徒たちを見つけた。どうやら教えてもらえたトゥールと違い、迫っている脅威を正しく理解していないようだ。いくらもお気楽そうに見える。
 だが教師たちが意図した通り、恐慌状態に陥っている生徒も見受けられない。「素早く」とは言い難いが、それでも確実に避難場所へと向かっている。正直に王純魔が迫っていると聞かされていれば、混乱が起きて収集がつかなかったことだろう。

「あ、トゥールっ!」
「……キィキ」

 大きな声で名前を呼ばれて振り向くと、そこには最近知り合った魔法科の二年生の姿があった。
 キィキは腕を振ってトゥールの傍まで駆け寄って来る。

「驚いたよなっ! 大規模な拡声魔法まで使ってただ事じゃないぞ。こんなこと、この学園に入学して初めてだ」

 幾分か興奮したように話すキィキに苦笑しながら、トゥールも大きく頷いた。

「こんな事が頻繁にあっても困るけどな。とにかく非常事態が起きているのは間違いない。はやく指示通りに東の門へと向かおう」
「ああ。途中でマイカを見つけられるといいんだけどな」

 再び門へと向かいだしたトゥールに並びながら、何気なく呟いたキィキの言葉に、何故か妙に嫌な予感がした。

「……うん? どうしたんだ?」

 思わず立ち止まったトゥールへ、キィキが不思議そうな顔で首を傾げる。

「いや……あの、キィキ。この非常事態を告げる放送は、ダンジョン内にも届いていると思うか?」
「えっ? うーん、おそらく無理なんじゃないか? 屋外にあるダンジョンならまだしも、大抵は洞窟や建造物の内部にあるものだ。外界と隔絶されたダンジョンに声を伝達させるなんて、きっと不可能だろうとボク様は思う」
「そう、だろうな……」

 トゥールもキィキと同意見だ。
 ダンジョン内に特殊な魔具でもあって、拡声された声をそのままその魔具から発せられる仕組みでもあれば別だろう。だが、そんな魔具の存在は聞いたこともないし、初級ダンジョンにはそれらしい物もなかった。
 
「――つまりダンジョン内にいる生徒たちには、非常事態が伝わっていない可能性もあるのか……」
「その可能性は高いが、ダンジョンの中にいれば大丈夫じゃないか? 西からどんな脅威が迫っているのかは知らないが、ダンジョンはとても頑丈なんだ。ちょっとやそっとじゃ壊れない。たとえ隕石が降ってきて学園が消し飛んだとしても、ダンジョンは残るって言われてるくらいだからな」

 眉根を寄せるトゥールを気遣うように、キィキがそんな気休めを口にする。しかしトゥールが怖いのは、ダンジョン攻略を終えて外に出たマイカの学パと王純魔が鉢合わせすることだ。
 それにいくら頑丈だと言っても、王純魔の力ならダンジョンさえも壊せるかもしれない。

「……マイカは学パとダンジョンの攻略に出かけるって言っていたんだ。キィキ、教えてくれ。三等級ダンジョンってどこにある?」
『「三等級ダンジョン』? たしか――不味いぞ、西だっ! 三等級ダンジョンは学園の西側にあるんだっ!」

 目を見開いて動揺するキィキ。その様子を見れば、今にも西の方へと駆けて行ってしまいそうだ。

「いったん落ち着けよ、キィキ。何をそんなに焦っているんだ?」

 たしかに非常事態を告げる声は「西の方角より『来訪者(おうじゅんま)』あり」と告げていたが、「ダンジョン内であればある程度は安全だ」と言ったのはキィキだ。いくら何でも取り乱し過ぎではないだろうか?

「三等級ダンジョンはヤバいんだっ! 構造が森林になっているっ!」
「『森林』? おい、それって――」
「そうさっ! 三等級ダンジョンは屋外なんだよっ!」

 その言葉を聞くや否や、トゥールは東へと向かう人々の流れに逆らい一気に駆け出した。

「うーん、これが三等級ダンジョン『深淵の森』かぁ……なんだか大したことないな」

 鬱蒼と生い茂る木々の隙間を進む中、前を歩く少年の呟きがマイカの耳に届いた。
 
「ほんと。思ったより魔物も少ないし、今のところ手古摺ったのはトロールくらいって感じ?」

 その少年の隣にいた少女が同意し、彼らに追従するように他の面々が首肯する。

 拍子抜けしたように、すっかり油断した風情でダンジョンを進むパーティー。
 彼らこそ、現在の学園で一番の有望株パーティーと称される『闇夜の篝火』である。出現する魔物たちの手応えのなさに、傲慢にも似た気持ちを抱くのも無理はない。

(……でも、気を抜かない方がいいと思うけどなぁ)

 踏破するまで何が起こるかわからないのがダンジョンだ。
 楽観視するパーティーメンバーの中にあって、マイカは周囲に気を配りながらこっそりと嘆息した。

 そしてそんな時だった。周囲の空気が微かに震えたのは――。

『ザ……ザザー……せい! ……ありっ! ……誘導……っ! ……ザザー――』

「あっ? なんだ、なんだ?」

 空気を震わせノイズ交じりの声が周囲に響き渡り、『闇夜の篝火』のメンバーは足を止める。
 屋外とはいえ外界とは切り離されたダンジョン内のためか、どんなに耳を澄ませても、声の内容を聞き取ることはかなわなかった。

「で? どうする、リーダー?」
「……引き返そう」

 逡巡する様子を見せたのは一瞬。
 静寂が戻ってから少女に問われた少年は、素早くパーティーメンバーへと向き直る。

「おそらく、今のは異常事態を告げる緊急放送だ。何が起きているかわからない以上、俺たち学生だけで行動するのは危険だ。すぐにダンジョンを出て教師陣と合流しよう」
「けど、リーダー。今から引き返すよりもここのボスを倒して転移陣に乗る方が早くないか?」
「いや、地図通りならここはちょうど中間地点だ。湧いてくる魔物たちを倒すのは苦もないが、さすがにこんな浮足立った状態でボスとは戦いたくないな」
「……了解」

 納得していない表情の者たちもいるが、『闇夜の篝火』はリーダーである少年が絶対的な権限を持っている。リーダーが『引き返す』と決めたのであれば、表立って異を唱える者はない。

 異常事態と見るや、これまでの道程を惜しむことなく入口に戻る判断をした『闇夜の篝火』。
 周囲からの期待や評価に増長気味ではあるものの、その即応性が彼らを有望株パーティーに押し上げている一端だろう。
 本来なら称えられて然るべきその判断は――だが、今回に限っては悪手以外の何物でもなかった。 

 ダンジョンを引き返し、『闇夜の篝火』が現れる入口付近まで戻ってきた時だった。

「ちょっ……ストップっ、ストップっ。リ、リーダー、『気配探知』になんかかかった……」

 リーダーである少年の横を歩いていた少女が、切羽詰まったような顔で立ち止まり告げる。
 彼女は精度の高い広域の『気配探知』の魔法を使用できるため、索敵役としてパーティーに多大なる貢献をしてきた。そんな彼女が今まで見せたこともないような焦燥感を露にしているのだ。ただ事ではない。

「どうした? トロールじゃないのか?」
「ち、違うってっ! もっと反応デカいし、ヤバいってっ! それにこれ――ダンジョンの外(・)からこっちに近づいてる……」
「なに?」
「ちょっ! これ、早いっ! みんな構えてっ! もう傍に――」
「――えっ?」

 マイカが少女の声を聞き取れたのはそこまでだった。
 一陣の風が吹いたと思った時には、目の前にいたはずの少女は遠くの地べたへと転がっていた。そして代わりとばかりに、黒々とした毛皮に覆われた巨体が、こちらを見下ろすように立っている。
 一見すればその姿は動物の熊だ。しかし、マイカが知っている熊とは大きさも毛の鋭利さもその身体から滲み出る禍々しさも何もかもが異なっている。そして何より、額で大きな紫の石が輝いているのだ。ただの熊であるはずがない。

「……魔石――気を付けろっ! こいつは純魔だっ!」

 誰よりも早く我に返ったリーダーの少年が、メンバーに注意を促しマイカの前に立った。

「マイカっ! 俺たちが時間を稼いでいるうちに逃げろっ!」
「えっ? で、でも――」
「逃げて教師を呼んできてくれっ! こいつは、俺たちだけで勝てる相手じゃないっ!」

 マイカを睨んでいた熊のような純魔は、大声を出して割って入ってきたリーダーの方へ視線を移した。
 
「『光り、轟き、脅威を(つんざ)け――第十三等級魔法:瞬雷(ゾル・ラムン)』っ!」
「『揺蕩い漂う形なき水よ、我に仇なす敵を討てっ――第十一等級魔法:|水球《デル・フロード)』っ!」

 その瞬間、純魔の両脇からメンバーが放った魔法が炸裂して土埃が舞い上がる。
 直撃したように見えるその光景にマイカが安堵したのも束の間、

「早く行けっ! この程度で倒せる相手じゃないっ!」
「は、はいっ!」

 切羽詰まったようなリーダーの怒鳴り声で、マイカは思わず飛び上がって返事をし、彼らに背を向けダンジョンの入口へと走り出す。

 後方から聞こえる詠唱と怒号、悲鳴や罵声を背にマイカは自身が持てる全ての力を用いて外に向かう。しかし――。

「きゃっ!?」

 横を掠めるように通り過ぎた物に驚き、足を止める。
 見れば吹き飛ばされたと思しきパーティーリーダーの少年が、血まみれで転がっていた。

 辛うじて息はあるようだが、どうやら意識を失っているようだ。

「そ、そんな……」

 振り返れば他のメンバーも同じような惨状だ。
 わずか数十秒で、学園でも名の知れた学パが壊滅――まるっきり悪夢のような光景が広がっていた。

『ガァァァっ!』

 純魔は呆然と立ち尽くすマイカに襲い掛かると、鋭い鉤爪が生えた大木のような腕を振り上げる。

「うっ、わ、『我が身を守れっ――第十三等級魔法:白壁(ガムダ・アルソン)』っ」

 辛うじて間に合った魔法の短縮詠唱は、マイカと純魔との間に半透明な白の壁を作り出した。
 そして白壁は、純魔の振り下ろした巨腕と激突――まるで薄い紙きれのように、ほとんど抵抗を感じさせずに切り裂かれてあっさりと消滅する。

「ぐうぅっ」

 わずかに軌道が逸れたため、殺傷力の高い鉤爪の直撃こそ避けられた。が、白壁を壊しても余りある威力の純魔の腕が、マイカに激しく直撃。彼女を軽々と吹き飛ばした。

「がっ、は……」

 吹き飛ばされ、勢いよく地面に投げ出されるも衝撃は残り、マイカの身体は地べたを何度か転がりようやく止まる。

 ただの一撃で完全に身動きが取れなくなったマイカの元へ、純魔がゆっくりとやってくる。痛みと恐怖で薄れゆく意識の中、傍まで接近した純魔が再び腕を振り上げたの見えた。

(……ダメ、死ぬ――)

 どうすることもできずに、ただ死を覚悟したマイカ――しかしその瞬間、視界の端に赤色の髪が躍る。

(……な、に? だれ? 綺麗なあかい、ろ)

 自分と純魔の間に立ちはだかった人物を確認する間もなく、マイカの意識は暗い闇へと沈んでいく。
 その間際、燃えるような赤色の髪だけは、マイカの眼に焼き付いて残った。





「おいっ! 待てよ、トゥールっ! 君は三等級ダンジョンの場所を知っているのか?」

 マイカへ危険が迫っている予感に駆け出してしばらく、追いかけてきたキィキが横に並びながら訪ねてくる。

「……えっと、どこ?」
「はぁ、やれやれ。君はマイカのこととなると別人のようだな……こっちだ」」

 思わず立ち止まったトゥールを、キィキは呆れた表情で止まることなく追い抜いた。
 そしてそのまま先導するように駆けて行く。

「悪いな。ただ、ダンジョンが見えたらキィキはすぐに東の門へ行ってくれ。危険だ」
「へっ、嫌だね」

 キィキを追いかけながら告げれば、彼女はこちらを振り向き舌を出して見せた。

「君にとってマイカがどれくらい大切かは知らないが、ボク様にとってもマイカは大事な親友なんだ。それに、ボク様の勘が告げているのさ。『一人でいるより、君にくっついていた方が安全だ――』とね?」
「……なんだそりゃ」

 キィキの主張に呆れて脱力するも、トゥールは諦めの溜息を吐いた。
 これ以上言葉を尽くしたところで、おそらく彼女を翻意させるのは不可能だろう――そう確信が持てたからだ。

「もう、わかったよ。その代わり、絶対に僕の傍を離れないでくれよ?」

 覚悟を決め、前を走るキィキが気付かないように『身骨靭化』の魔法で身体を強化する。
 これで王純魔と突然出くわしても、少しは時間が稼げるはずだ。が、身体能力を上げたことで、キィキの走りが遅いことにもどかしさを覚えた。

「……キィキ、ちょっとごめん」
「――えっ? うひゃっ?」 

 我慢できずキィキに追いつくと、彼女の身体をヒョイと抱き上げた。俗に「お姫様抱っこ」と呼ばれる抱き方だ。

「うわわっ!? な、なにをするんだ、君はっ! おろ、おろろ、おお、お、おろせっ!」
「うるさいよ、おろおろするな。時間がないんだ。悪いけどこのまま道案内を頼む」
「何を――うわっ!?」

 抗議し、腕の中で暴れていたキィキだったが、トゥールが走る速度を一気に上げると驚いたようにしがみついてくる。
 そんな彼女の様子に苦笑し、しかしキィキがこちらに密着したことにより、少女特有の香りが鼻腔をくすぐり頭が一気に熱くなった。
 今さらながら腕の中にいるのが異性(・・)であることを意識させられ、しかしそんな場合ではないと自分自身を叱咤する。

「き、キィキっ。そんなに強くしがみつかないでくれっ」
「し、しかしっ! あ、いや、悪い。苦しかったな?」

 トゥールが裏返った声でキィキに注意すると、彼女は躊躇いながらも恐る恐ると身を離してくれた。
 意外にも張りと弾力のある大きめな胸と、甘酸っぱい香りが身体から遠ざかったことに安堵――そして少しの未練――を抱き、トゥールはその気持ちを振り払うように速度をさらに上げた。

「だ、だから速いってっ!」

 キィキが耳元で抗議の悲鳴を上げるが、しかしトゥールに頓着している時間はない。
 
「それで? このまま真っすぐに行けばいいのか?」
「あっ、そこの大きな建物の前で右に曲がって、すぐに左に行った方が近いっ!」
「わかった!」

 それからしばらく悲鳴交じりのキィキの誘導に従い走っていれば、目の前に大きな森林が現れた。
 入口と思しきところに立派な門が聳えており、そこから森林を囲むようにして巨大な塀が巡らされている。

「あれが三等級ダンジョンか? なんだ、ちゃんと外部と遮断する門と壁があるじゃないか」

 
 ダンジョン前に辿り着いたトゥールは、ここまで案内をしてくれたキィキをゆっくりと地面に降ろしつつ安堵する。
『屋外』と聞いていたので不安だったが、これならダンジョンへ外敵が侵入するのは難しいだろう。

「いや。この門と壁は後付けで、学園側が設置したものなんだ。初級ダンジョンや他のダンジョンの壁のような不自然な頑強さはない。ほら、見てみろよ」
「えっ? あ、門が……」

 キィキの指を差す方向を見れば、ダンジョン前の門扉が無残にも破壊されている。鉄製の門扉をまるで引き剝がしたかのようなその惨状は、人間業には思えなかった。

「やはり、『A級来訪者』ってのはこの三等級ダンジョンに――ってトゥール?」
「キィキはここにいろっ! ボクはマイカを探してくるっ!」

 驚くキィキを背後に残し、トゥールは力強く地を蹴ってダンジョンへと突入する。

 身体強化が施された下肢によるその一歩は、ダンジョンの地面を深く抉ってトゥールの身体を前へ前へと運んでいく。

 そうしてすぐに、その光景は現れた。

「――マイカ?」
 
 今まさに、馬鹿でかい熊のような化物に、マイカの身体が小枝のように吹き飛ばされるところだった。
 そんな絶望的な光景を前に、トゥールの思考は一瞬止まりかける。が、化物がマイカへさらなる追撃を行おうとするのを見て、胸の内に煮え滾るような怒りが沸々と湧いて出た。

「お前っ! マイカに何をしてやがるっ!」

 地面を陥没させる勢いで蹴りつけたトゥールの身体が、まるで瞬間移動したかのようにマイカと熊の化物の間へ割り込んだ。
 そして振り下ろされた巨腕による一撃を、抜き放った剣で受け止める。

「ぐぅっ! こ、このぉ――せいっ!」
『グゥゥっ?』

 叩きつけられた腕の威力に膝を折ってしまったが、それでも気合を入れ剣でもって跳ね飛ばす。 
 
 まさかこんな小柄な少女に力負けするとは思わなかったのか、化物は戸惑ったように飛び退った。

「額にやたら大きな魔石……純魔、いや王純魔か」

 対峙する化物を見れば、姿こそ巨大化した熊のように見える。だが、額に埋め込まれた緋色の大きな魔石は、その存在が魔物や単なる動物と一は線を画すモノであると如実に告げていた。
 純魔――それも学園側の放送とリンケードの言葉を加味するのであれば、王純魔と呼ばれる災厄に違いない。

『グラァっ!』

 咆哮を上げ、剣を構えるトゥールへと猛烈な突進を仕掛ける王純魔。その速度は、ただの人間の視力では到底捉えることはできまい。為す術もなく圧殺されて終いだろう。
 ただし、それはトゥールが身体強化を使用していなければ(・・・・・・・・・・・・・)――の話である。

「速いが……僕の方がまだ迅いっ!」

 振り下ろされた右腕を難なく躱し、手にした剣で鋭く斬りつける。

『グギっ』

 まるで大木に木の棒を叩きつけたような鈍い手応えとともに、王純魔が再びトゥールから距離を取った。その姿を見るに、戸惑ってはいるようだが攻撃が効いた印象はない。

 敵の動きが鈍くなったその隙を狙い、今度はこちらから攻めることにした。

「ふっ。せぇやっ!」

 一つ息を吐くと、裂帛の気合とともに跳躍にて一瞬で間を詰め、中空から王純魔に向かって剣を振り下ろす。

『ギァっ?』

 脳天に直撃した必殺の一撃は、王純魔に悲鳴にも近い呻き声を上げさせた。

「まだまだっ!」

 引力によって地面に引き寄せられる最中、それでもトゥールの斬撃は止まらない。
 さらに一閃、二閃、三閃と加え、まるで荒れ狂うよう嵐のような連撃を着地までにお見舞いする。

『グググゥっ』

 王純魔はロクに抵抗することもできず、その巨腕で身体を守るのがせいぜいだ。剣の威力に身を丸め、吹き飛ばされないように両足で踏ん張り耐えている。
 それでも後退を余儀なくされた王純魔は、巨腕の隙間から忌々し気な赤の瞳でトゥールを睨む。

 この状況、優勢なのは確実にトゥールだ。
 災厄級の存在とされる王純魔を圧倒し、主導権を握っている。

「……これは、不味いな」

 しかしそれでも、トゥールの口は意識せずに弱気を紡いだ。

『――ガァァァァァっ!』

 トゥールの攻撃が止まったのを見計らい、王純魔が両腕を広げ一瞬で距離を殺して襲い来る。

「はぁっ!」

 先ほどよりもずっと速いその接近を落ち着いて躱し、トゥールは王純魔の背後を取って背中から剣で斬り付けた。

『グビャっ』

 潰れるような声を上げ、もんどりうってひっくり返った王純魔は、そのまま一回転をしてすぐに立ち上がって構えた。
 
「くっ、硬い……」

 トゥールは歯噛みしつつ、握る剣へわずかに視線を送った。
 幾度となく斬り付けてみたが、それでも王純魔に有効なダメージが入っているようには見えない。

(――速さは僕が勝ってる。そして力も。だけどそれだけじゃ、あの化物を倒すことはできない、か……)

 王純魔を打倒するために足りないモノ――。
 それは、手にした剣が刃毀れだらけになっているのを見れば一目瞭然だ。

「問題は『硬度』だな」

 たしかに、身体強化を使用しているため速度や膂力はトゥールが王純魔の上を行っている。だが、トゥールが手にして戦っているのは『魔放剣』でも名剣でも聖剣でもない単なる剣だ。鈍らとは言わないにしろ、とても業物とも言えない。

 この剣でいくら攻撃をしたところで、鎧を思わせる王純魔の極厚で頑強な毛皮は越えられない。それどころか、斬り付けたこちらの剣が先に使い物にならなくなってしまう。

(――斬り付けて駄目なら……手は一つ)

 トゥールは剣を構え直すと、体勢を低くしたまま王純魔へと駆け寄った。

『ガガガァっ!』

 王純魔も左腕を突き出し右腕を振り上げ、まるで迎え撃つような構えを取った。
 そして王純魔と激突する寸前、トゥールは剣を水平にして柄尻を自分の身体へ引き寄せ――。

「てやっ!」

 そして一気に切っ先を、王純魔の身体目掛けて突き出した。
 斬撃が駄目であるならば、剣による攻撃では最大威力を誇る刺突を試すまで。
 トゥールの渾身の力が込められた切っ先は、咄嗟に反応して身を伏せた王純魔の『魔石』に激突する。

「なっ――」

 その瞬間、突き入れられた剣はまるで飴細工のように湾曲し、『キィーン』と澄んだ音を残し折れ砕けた。後に残ったのは、掌程度の長さになった刀身のみだ。

『グググっ』

 一方、自身の魔石に傷一つつかなかったことを誇るように、王純魔が牙を剥き出しにして唸り声をあげた。そして剣が使い物にならなくなって呆然とするトゥールへ、反対に襲い掛かってくる。

「うっ、くっそっ!」

 トゥールは持っていた剣の残骸を王純魔へ投げつけ、辛うじて振り下ろされた右の巨腕を躱す。
 だが、王純魔の攻撃は止まらない。
 鋭い爪でトゥールを引き裂かんとばかりに迫り、また巨腕で圧殺せんと腕を振り回す。
 武器を失ってしまったことで、今度はトゥールが防戦一方となってしまった。

(――どうする? 魔法を使うしかないか?)

 背後へ大きく跳躍し、一旦距離を取りつつ考える。

 武器を失った以上、残された攻撃手段は徒手空拳か魔法のみだ。

 徒手空拳――身体強化によって硬化されているとはいえ、剣で傷を付けられなかった王純魔に、拳や蹴りでダメージを与えられるとは思えない。これは却下だ。
 なら消去法的に魔法ということになるが、なにせリスクが大きい。
 現在、トゥールの魔放具である指輪はリンケードが所持している。
 魔放具がなくとも高威力の魔法を放つことはできるはずだが、問題はその後だ。その後、無事に立っていられる保証はない。補助を伴わない魔法の行使には、常に暴発や魔力枯渇の危険性が付き纏う。
 
 仮に王純魔の頑強な毛皮に阻まれ、一撃で倒すことができなかった場合、トゥールは窮地に陥るだろう。自分の命だけではなく、周囲にいるマイカの身も危なくなるのだ。そんな危険は冒せない。

(――くそ、何か手はないのか……)

 悩むトゥールに考える時間など与えないとばかりに、再び王純魔が接近し鋭い爪による攻撃を仕掛けてくる。
 それをギリギリとのころでいなし、躱しつつ、トゥールは必死に頭を巡らせる。

(マイカの指から魔放具を外して……いやいや、そんな時間はくれそうにない。せめて小さな魔石でも転がっていれば……)

 効率はいくらも落ちるが、加工していなくとも魔石があれば魔法はずっと行使しやすくなる。トゥールもそれを知っているため、王純魔の隙を見ながら周囲を探るが見つからない。
 そもそも魔石とは貴重な物で、ダンジョンとはいえそう簡単に道端には落ちているはずもない。

 だからこそリンケードも、『魔放剣を造る素材は手に入れにくい』と言っていたのだ。本来であれば、魔石は魔力を帯びた鉱山を採掘するか、あるいは純魔の核(・・・・)を取り出すことによってしか手に入れられないのだ。

「――うん? 待てよ……」

 トゥールはそこまで思い出し、そして思いついてしまった。
 荒唐無稽な、しかしそれでもこの状況を打開し得る悪魔の一手を……。