寂池村(じゃくちむら)と呼ばれる自然豊かな村に、3人の男が訪れた。
 彼らが村の門をくぐると村長が出迎え、引きつった笑みで深々と頭を下げた。村長の態度から、3人のうちの1人は霞月(かげつ)の使者で、この村がその統治下にある事がわかる。
 そしてその使者に連れられた残りの2人は10代半ばの少年たちだ。落ち着いた雰囲気で、実年齢より少し大人びて見える。

清光(きよみつ)元晴(もとはる)。挨拶しなさい」

 2人は名前を呼ばれると丁寧に挨拶をした。
 優し気な瞳に微笑みを浮かべる清光と、切れ長の瞳で気の強さを漂わせる元晴。2人はほとんど同じ造りの顔だがその性格は正反対に思えた。
 村長はにっこりと笑うと感心するように何度か頷いた。

 使者は指定された寂池村の家に2人を放り込み金を渡すとさっさと帰っていった。右も左もわからない村に置いて行かれた清光と元晴は泣きもわめきもしなかった。
 なぜなら二人の記憶は寂池村へ向かう道中から始まり、やっと人生のウォーミングアップが済んだところだったからだ。

 二人はさっそく生活を始めた。働くことも必要なく、気心の知れた兄弟で自分たちが生きるために好きなように生活をする。それだけだった。
 贅沢はできなくとも、その生活に不自由は無かった。

 そんな生活が数年続いたある日の事だった。
 清光は買い物帰りに民家が集まる道を歩いていた。
 この一帯は家族層が多く、子供が活発に遊びまわっている。その様子に顔を綻ばせながら帰路についていた清光は、突然響き渡った男の怒号と子供の泣きわめく声に足を止めた。
 その音の方向へ清光が目を向けると、民家から子供を抱いた女が転げるように飛び出した。
 あざだらけの体で縋るように周りを見回すが、
 それに応えようとする者はいない。
 のしのしと家の中から現れた男が、叫びながら震える女の顔を殴る。
 異様な光景に立ち尽くした清光が周りを見回せば、大人たちは見て見ぬふりで通り過ぎ、眉を潜めて囁き合っているだけだ。

 女を蹴り飛ばした男は、その腕に抱かれた子供に拳を振り上げた。
 清光は考えるよりも先に体が動き出し、男と子供の間に体をねじ込む。その拳を腹に受け、重い衝撃にうずくまると、また子供が大きな声で泣き叫んだ。
 男は口汚く清光を罵り何度も体を蹴とばす。痛みに顔を歪める清光の意識が朦朧としてくると、瞳に青い炎が揺らめいた。彼の周りに立ち上がった人影は鎧を纏った武士のようなシルエットへと変化し、それが腕を振り下ろすと、目の前の男の体がばらりと裂けて崩れ落ちた。
 清光は訳が分からずその肉塊をしばらく見つめたが、周囲のどよめきが耳に届くと震える足で走り去った。

 清光は自宅へ戻ると元晴の胸に飛び込んだ。
 土埃と痣にまみれ、べっとりと血でぬれている清光の姿に元晴は動揺しつつも、理由を聞くのをぐっとこらえて、落ち着かせるように抱きしめ返した。






 次の朝。元晴は様子を窺いながら清光に涙の理由を聞いた。
 それはずいぶんと現実離れした話だ。


「……お前が殺したと言っても、それをやったのは……影だろ?」

 しばらく考えた後、元晴がそう言った。

「そうだけど……その影は僕の体から出てきたんだ」

 弱々しく言う清光は不安そうに視線を泳がせた。

「お前が刀でも持って真っ二つにしたのか?」

「違う!」

「じゃあそれは影に責任があるな。お前が気にする事じゃない」

 そう言う元晴の顔を見て清光は目を瞬かせた。

「男は清廉潔白だったか? いつもニコニコと笑って虫も殺さない?」

「僕はその人を初めて見たし……女性と子供にひどいことを……してた……けど」

「じゃあしかたないな」

 何が仕方ないというのか。
 清光はぽかんと口を開けたまま固まってしまった。

 罪の意識で押し潰されそうだった清光はそんな元晴に少し救われながらも、肩透かしを食らったような気持ちになった。
 元晴がうーんと唸る。

「俺にも変な力がある」

「僕は本当の話をしているんだぞ? 揶揄わないでくれよ」

 困惑した表情で清光が抗議したが、元晴の目は至って真剣だ。



「外に人がいるだろ?」

 清光が人の視線を怖がって光を通すために1枚しか開けられなかった雨戸から二人は外を窺った。視線の先では男女2人が畑仕事をしている。
 自宅の敷地を越えて幾つかの道と畑を挟んだ先にある畑だ。人の大きさは小指の先くらいしか無い。
 元晴が深紅の目に力を込めると、虹彩の色がじわじわと黄金へと変化する。すると畑仕事をしていた男女の動きがピタリと止まり、今度はこちらに向かって大きく腕を振り始めた。
 清光は驚いて身を隠したが、元晴はそんな清光を見ていたずらっぽく笑った。

「これ、俺の変な力」
 寂池村(じゃくちむら)では夜な夜な集会が行われていた。
 そこには村長と、あの瞬間に立ち会った者、そして村の有力者たちがいる。
 皆は額を合わせて話し合った。内容はもちろん、あの双子の今後についてだ。

「あんな子供、ずっと置いておくのは恐ろしい」

 現場を目の当たりにした者が震えながら言った。

「本当にそんなことができるのならば、殺すことも難しいのではないか?」

 村長が不安そうに皆の顔を見回した。

「あいつは自分で影を生み出しておきながら、呆けていたのだろう? もしかしたら悪魔付きかもしれん」

 初老の男が言った。

「自分では操れん力という事か?」

霞月(かげつ)が寄越した子供だ。何があっても不思議ではないが……ただ、殺しては何をされるか」

「あれは捨て子も同然よ」

「いや、まて。力を操れたらどうするつもりだ?」

 皆が口々に討論をしだすと、今まで黙っていた大柄な男が床を拳で一突きした。
 皆の視線が男に集まると、口の端を上げて大声を上げた。

「それは殺しに行かんと分からんだろう!」




 清光(きよみつ)が逃げ去ってから3回目の夜が来た。
 誰もが眠る時刻、双子の家の周りには村人たちが集まっていた。彼らは家のカギをこじ開け、室内に忍び込む。
 先頭を行くのは大柄な男。彼は昔から力が強く、豪快な性格も相まって喧嘩は負け知らずだった。そのせいか、寝室にたどり着いて布団の中に眠る華奢な2人を見下ろすと、

 こんなか弱い者に何ができるのか。

 と、静かに息を吐いた。

 男は懐から短刀を取り出し、照準を定めて腕をふり上げた。
 その刃先が闇夜にきらりと光ると同時に元晴(もとはる)の瞳が見開く。
 黄金の瞳は光り輝き、暗闇に浮かんで見えた。

 思わず男は
「ひっ」
 と声を出したが、次の瞬間には腕をだらんと垂らして、瞳は無気力にくすんだ。

「お前ら、何をしに来た?」

 起き上がった元晴がゆっくりとした口調で問う。
 呆気に取られて何も言えないでいる大人たちにしびれを切らして、元晴はもう一度目に力を込めた。
 腕を垂らして身動き一つ取らなかった男がゆっくりとした動作で立ち上がる。
 土間へフラフラと降り、そして短刀を自分の首に押し当てると一気に引いた。血しぶきが舞い、膝を床に打ち付けて倒れる。

「こうなりたくないなら清光を殺そうなどと二度と思うな」

 元晴が村人たちを見つめると、男の死体を回収して家から出ていった。
 皆の意識が元に戻ったのは家の扉が閉まって元晴の視線が遮られてからだ。

 村人たちは2人を恐れた。
 しかし共存していく自信もなかった。
 何が逆鱗に触れ、自分たちを死に至らしめるのか分からない存在を匿って生活するなど生きた心地がしなかった。
 村人たちは何度か集会を開いては計画を練った。それから何日も監視を続けて元晴が1人になる瞬間に目星を付け、力尽くで捕らえる。あらかじめ用意しておいた布で彼の目を覆って連れ去れば、その力は発揮されなかった。

 元晴が姿を消した事に清光が気が付いたのはその十数分後。
 わずかな時間ではあったが、何の手掛かりも無い清光が元晴の行方を突き止めるには時間を要した。
 手当たり次第に捜索し、ようやくたどり着いたのは村のはずれにある大きな蔵だ。
 それは村の祭事で使われる道具が保管されている場所で、必要がない限り人は寄り付かない。

 普段はがっちりと鎖が巻かれている扉が今日は薄く開いていた。違和感を感じた清光がそこから中を覗き込めば、目隠しをして後ろ手に縛られた元晴が見えた。その着物は着崩れて、体中に痣ができている。それを見下ろす村人たちの声や動き、ひとつひとつに怯える様子はこの数時間に受けた仕打ちを容易に想像させた。
 しゃがみ込んだ男が元晴の顔をしげしげと見つめ、力が使えないことを確認すると

「こいつは目がなければ何もできん。潰してしまえ」

 そう言った。

 清光は目を見開くと、慌てて蔵の裏へ走った。

 男の言葉に顔を青ざめた元晴が叫び、暴れる。
 頭を力任せに固定して、刃物を持った男が元晴の目に狙いを定めた。

 蔵に忍び込んだ清光が駆け寄ると、見張りの男が清光を取り押さえて叫ぶ。

「はやくやれ!」

「やめろ!!! やめてくれ!!!!」

 羽交締めにされた状態で清光が悲痛の叫びを上げると、元晴が布の下で目を見開く。

「清光!? ばか、来るな!!」

 元晴が震えた声で叫ぶが、清光の脳内に響いたのは元晴のか細い声だった。


『怖い……助けて……』


 清光の理性が飛んだ。




 蔵の中の影という影が人の形に伸びていく。それは村人たちの体から伸びた影も例外ではない。
 人型になった影がそれぞれの武器を握りしめ、一斉に村人たちを切り刻んだ。
 膝から崩れ落ちた清光は、人間が肉塊になっていく様に強い快感を感じて口元に弧を描いた。

 蔵の中に肉が散らばった頃、今度は村中に影が現われて人を切り刻んだ。
 蔵の外で起こっている事が清光の脳内に映像として流れ込んでくる。


「ぁ……だめ……だめ!」

 我に返った清光が腕で体を押さえつけても影の暴走は止められなかった。
 赤黒い塊の中で泣きじゃくる清光に駆け寄った元晴がその体を強く揺さぶった。

「清光!」

「元晴、どうしよう……みんな死んじゃった……元晴……」

「清光! 聞こえるか!? なぁ、おい!」

「元晴……生きて……?」

 清光の視線が元晴の顔に定まると、また大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。

「生きてる……生きてるよ。こんな事させてごめん」

 元晴が清光を抱きしめる。清光も抱きしめ返すと徐々に体の震えが止まり、同時に影も消失した。



 蔵から出ると、外はすっかり日が暮れて村は暗闇に溶け込んでいた。

 家までの道のりを、2人は手を繋いで帰る。
 人のいない村と言うのはやけに静かで、星が美しく輝いて見えた。
 嗣己(しき)明継(あきつぐ)緋咲(ひさき)に大紀を加えた霞月(かげつ)の4人は寂池村(じゃくちむら)へ足を踏み入れた。
 田畑は管理されずに朽ち果て、作物は動物に食い荒らされている。そこら中に鳥が留まって餌を狙い、野生動物は民家を生活の拠点にしていた。
 寂池村は自然豊かで人が多い村だった。今や、その面影はどこにもない。

「緋咲、何かいるか?」

 嗣己が村を見渡して問う。

「恐らく2つ。村の中の方が力は強そうね。山の中にもう1つ……だけど、さすがに正確な場所は割り出せないわ」


「2人で住むには広すぎる村だな」

 と、嗣己が独り言のように呟くと、大紀に村を囲む山の偵察を指示した。

「ここに何がいるんだ? 1人で行かせて大丈夫なのか?」

 心配そうに問う明継に嗣己は

「恐らく化け物じゃない。能力者だ」

 と、答えると緋咲に視線を向けて彼女が頷くのを確認した。

「山の捜索は大紀でなければ時間がかかる。やむを得ん」

 それから大紀を見て

「お前は戦闘能力が無いに等しい。対象を見つけても接触はするな」

 と念を押した。
 山へ向かった大紀を心配そうに見つめる明継に嗣己が向き直る。

「明継。お前は民家を覗いてこい」

「ん? わかった」

 明継は嗣己に言われるままに近場の民家を覗きに行くと、中から立ち込める異臭に顔を歪めた。袖で鼻を抑えながら土間に入ると、その異臭は足を進めるほどに強烈になっていく。
 部屋に繋がる引き戸の隙間から中を覗けばそこには動物に食い荒らされた青白い何かがいくつも落ちている。大半は鋭利な刃物で切り離されたような断面を見せていて、それが人間のバラバラ死体だと認識できるまでには時間が必要だった。
 明継は胃の不快感を感じて民家を飛び出した。

「ひどい有様だろ」

「お前、何があるかわかってたな!?」

 その様子に薄ら笑いを浮かべた嗣己に明継が抗議する。
 しかし、顔を青ざめた明継には、それ以上彼を咎める気力もないようだ。

「誰かを秘密裏に痛めつけるなら、どこでする?」

 明継の背中をさする緋咲を見つめて嗣己が問いかける。

「私なら行事品をしまう蔵ね。行事がなければ人は来ないし頑丈な鍵もついてる。都合がいいわ」







 村のはずれまで行くと、そこには大きな蔵があった。
 扉に手をかけた明継は、先ほどの臭いをまた感じ取って顔を顰める。

「この村はどうなってんだよ」

 扉を開いた先には大量の肉が転がっていた。
 蛆が這いまわり、ハエが飛ぶ。明継は中に入る気になれず早々に扉を閉めて振り返る。緋咲の名前を呼ぼうとしたが、2人の視線の先にある、少年の姿にその言葉を飲み込んだ。
 大紀(だいき)は自然豊かな山の中を軽快に駆け抜けた。
 赤く染まり始めた山は美しく、穏やかな日差しと涼しくなり始めた軟らかな風が体を通り抜ける。楽し気に木々に飛び移りながら林を抜けると、その先には美しい小川があった。

 大紀が木の上から見下ろした小川は、太陽光を反射してキラキラと輝く。
 そこに、黒髪の少年が見えた。

 咄嗟に身をひそめてその少年を目で追いかける。上半身を屈めていた少年が体を起こして背中を伸ばすように上を向き、その美しい顔を太陽に晒した。
 それに吸い寄せられるように大紀が身を乗り出した。バランスを崩した足が木から滑り落ちる。体から遠ざかる木を掴もうと慌てて腕を振り回したが、努力の甲斐なく茂みの上に大きな物音を立てて落下してしまった。

 反射的に瞑っていた目を開くと、いつの間にこちらへ来たのか、見惚れていた美しい顔が目の前にある。
 彼の瞳は吸い込まれそうなほどの美しさで輝きを放っていた。

「きれー……」

 大紀は頭に浮かんだままの言葉を発した。
 その声を聞いた少年――元晴(もとはる)の表情に困惑の色が浮かぶ。

「なぜ動ける?」

 独り言のように呟いた。
 人を操る力で生き延びた元晴は、力が通じない相手を初めて前にして恐怖よりも焦りの感情を大きくした。

 この村で起こったことを知られては自分たちの静かな生活を奪われかねない。

 そう思ったからだ。
 腰に携えていた狩猟用の短刀を咄嗟に取り出した。戦う技術を持たない元晴は短刀を大きく持ち上げ、大紀目掛けて振り下ろす。

「あっぶない!」

 声を上げて大紀が転がった。
 元晴が大紀をキッと睨んで短刀を握り直し、振り回す。

「さっそく約束破っちゃったかも……」

 嗣己(しき)の顔を思い浮かべながら大紀は苦笑し、構えを取った。

 元晴の短刀が大紀の頭目掛けて振り下ろされる。元晴の横へ入り込むように体を捌きながら短刀を握りこんだ手を手のひらで受け、元晴の肩を後ろへ回してその中をくぐり抜ける。相手がバランスを崩したところでうつぶせに拘束し、短刀を奪って腕を捻り上げた。

 穏平(やすひら)の指導を受け続けた半年間、大紀は護身術を叩きこまれていた。

 それにしてもこんなに上手くいくとは。

 大紀は元晴を制圧しながらも、自分の能力が信じられないといった表情を見せた。

「お前何者だ! なんで俺の力が効かない!?」

 自由を奪われながらも元晴の瞳は光を失わなかった。固定された腕を解こうと抵抗するが、それはいたずらに体力を消耗するだけだ。
 大紀はその姿に罪悪感を感じて表情を曇らせた。

「うーん……。キミが暴れないなら解いてあげてもいいんだけど」

 困ったようにそう言うと、元晴はしばしの間を置いてから体の力を抜いた。

「……分かった。約束する」

 その言葉を聞いて安堵の笑みを零した大紀にあっさりと解放された元晴は、立ち上がると同時に一目散に走り出した。

「清光……!」

「清光って子がいるの?」

「あぁ!?」

 目の前の木の枝にぶら下がる大紀に元晴が声を上げる。
 急ブレーキをかけた足がもつれてその場に尻もちをついた。

「そんなに急いだら危ないよ」

木から降りた大紀が元晴を覗き込み、手を差し出して微笑んだ。

「お前……何なんだよ」



 大紀を撒くのを諦めた元晴は小川に戻ると着物や体を洗いはじめた。

 どうやらこいつは清光の存在を知らないようだ。ずいぶんと呑気な性格だし、ご希望通りに自分が引き留めた方が清光も安全だろう。

 そう思った元晴は、近くの岩場に座って自分を眺める大紀を追い払うこともしなかった。

「ねぇ、さっき言ってた清光って誰?」

 うんともすんとも言わない元晴を気にするそぶりも見せず、大紀が話しかけ続ける。

「血は繋がってないけど、僕にも春瑠(はる)っていう大事な子がいるよ」

 春瑠を思い浮かべる大紀の笑顔は幸せそうだ。

「……仲はいいのか?」

 その表情を見た元晴が、しばらく間をおいてから返事した。

「うん。色々あったけど、今は一緒に暮らしてる。春瑠の笑顔を見るとほっとするんだ」

 大紀と視線を交わした元晴が短く言い放つ。

「双子だ」

「そうなんだ! じゃあ元晴みたいに綺麗な子なんだね」

 しつこく聞いてようやく教えてもらえた名前を待ちわびたように呼び、笑顔を輝かせる大紀に元晴は顔を顰めた。

「おまえさぁ、俺に綺麗って言うのやめろよ。きもちわりいよ」

「いいじゃん。事実でしょ?」

 何がいけないのかと、首を傾げた大紀が元晴の瞳を見つめ、うっとりとした声で続ける。

「元晴の目がキラキラするのも綺麗で好きだよ」

 元晴はその言葉に複雑な思いを抱いた。自分の瞳を綺麗だと思った事がなかったからだ。
 人間離れした能力に反応して体の一部が異常な動きを見せる。元晴は自分の体ながらも、それを気味の悪いものだと感じて嫌っていた。

「俺は嫌いだよ」

「そうなの? ……じゃあ、元晴の分も僕が大切にするよ」

 困惑した元晴が視線を向けると、大紀は穏やかな笑顔を返した。



「お前、どこからきたんだ? 服も綺麗だし迷い込んだ訳じゃないんだろ」

 話題を変えようとした元晴が問うと、大紀は気まずそうに目を泳がせて嗣己の顔を思い浮かべた。

 さすがにこの質問に答えるのはまずいかもしれない。

 そう判断した大紀が視線を戻すと、いつのまにか目の前に現れた元晴が顔をグッと近づけて疑いの視線を向けていた。

「何考えてた?」

「えっいや……」

 深紅の瞳にまっすぐ見つめられて、大紀がわかりやすく動揺する。
 その隙を見て元晴が大紀の脇腹に手を回した。

「あっ! ちょ、何するの!?」

 体を這う元晴の指が大紀の身を捩らせた。

「オラッ、何しにきたか言え!」

「ひっやめ、て! やはははひぃっやめっ、はは、ヒィイ」

 予想のつかない動きをする指に翻弄されて大紀の笑いが止まらなくなる。元晴も楽しそうに笑うと今度は大紀の腕が伸びて、お返しと言わんばかりにくすぐられる。
 体を捩ってじゃれ合う二人は年相応の無邪気さを取り戻していた。


 ひとしきりじゃれ合うと、笑いとくすぐりに疲れた二人が横並びで寝ころんだ。

「こんなに笑ったの久しぶりかも」

 空を見上げながらぽつりと呟いた元晴に、大紀は村の様子を思い出した。

 元晴に一体何があったのか? 明継(あきつぐ)たちに春瑠を助けてもらった時のように、今度は自分が元晴の役に立ちたい。

 その思いが強くなっていく。

「元晴、僕……」

 大紀の言葉を遮るように、元晴が勢いよく起き上がった。そして唐突に走り出す。

「どうしたの!?」

 慌てて追いかけた大紀が聞くと、元晴が声を張り上げた。

「清光が力を使ってる!」
 明継(あきつぐ)らの目の前に現れた少年――清光(きよみつ)は生気のない顔で3人を見つめていた。

「僕らを殺しに来たの?」

 そう呟いた彼の殺気はおびただしい。
 この村と彼の確執は分からずとも、そこには仄暗い何かがあるのだと、その殺気が物語っていた。

「能力者のお出ましか」

 嗣己(しき)は嬉しそうに笑ったが明継と緋咲(ひさき)にその余裕はなかった。
 彼の瞳に射抜かれただけで脈が早まり、腰が引ける。これが殺気なのかと二人が初めての感覚に陥ると、清光の影がゆっくりと伸び始める。
 それが人影のように形成され、武器を持った人型に揺らめくと

「クグイと同じ……?」

 明継は眉を顰めて呟いた。
 が、嗣己は一気に体から力を抜いてつまらなそうに首を振った。そして一瞬で消えると清光の背後に現れ、振り向く暇を与える事なく締め落とした。
 いくつもの人影が大きく揺らめき、姿を消す。

「この能力は見飽きた。つまらん」

 意識を失って崩れ落ちた清光を冷たく見下ろしながらため息をついた。

「なんでこいつ、クグイと同じ力を使うんだよ?」

 恐怖から解放された明継が動揺しながら問いかけた。

「そんな事、俺が知るか」

 嗣己の瞳が清光の顔を見つめて歪む。

「清光!」

 背後から聞こえた足音に嗣己が振り向くと、顔を真っ青にした元晴(もとはる)が立ち尽くしていた。
 ぐったりと横たわった清光を囲む嗣己らを、敵と認識した元晴は眉を吊り上げて瞳を黄金に塗りかえた。
 小刀の柄に手を置いていた明継と緋咲の瞳から光が消える。
 それを感じた嗣己がまた長い溜息を吐いて

「世話が焼ける」

 と、呟くと明継に歩み寄った。
 相手が刀を抜くよりも先に足を踏み込み、こめかみ目掛けて蹴り上げる。

「うぐぁっ!?」

 明継は空中を飛んだ。
 一番動揺したのは元晴だ。
 意識を奪われた人間は元晴が念じなければ人形と同じだ。強い衝撃を与えられれば簡単に飛んでいく。

「お、お前ら、仲間なんじゃないのか!?」

 元晴の後ろで二人の様子を見ていた大紀(だいき)が眉尻を下げて呟いた。

「あの2人、特殊だから……」


 体を地面に打ち付けて意識を取り戻した明継は倒れる暇もなくガバっと起き上がり、血を滴らせながら嗣己を指さした。

「何すんだ! お前!」

 みるみるうちに回復していく明継は、先ほどの衝撃などなかったかのように声を張り上げる。

「みじん切りにでもせんと死なんのか? お前は」

 首をかしげながら呟いた嗣己が印を結ぶと、緋咲の瞳に光が宿る。

「俺もそれで目覚めさせてくれ!」

「お前に術を使うのはもったいない」

「なんでだよ!!」

 嗣己が笑みを見せると元晴に視線を戻した。

「この村を壊滅させたのはお前らか。里に帰る前に少し話を聞かせてもらおう」








 清光と元晴の家に入ると、明継は嗣己の横に腰を降ろした。それを見た緋咲が二人の間に体をねじ込む。

「なんだ」

 と、嗣己が眉間にしわを寄せて緋咲を見た。

「明継に近寄らないで」

「コイツが勝手に座ったんだ」

 緋咲の切れ長の瞳が睨みつけると、嗣己が嘲笑う。

「くだらん」

 不穏な空気に慌てて席を譲った明継が緋咲に耳打ちする。

「急にどうしたんだよ?」

「どうもこうも……!」

 怒りを吐き出そうとした緋咲だが、明継の困惑した表情にため息をついて言葉を飲み込んだ。
 緋咲が危惧しているのは2人の暴力的な関係だ。緋咲はその行為を目にするたび嗣己に怒りを感じていたし、自分が明継を護らなければと意気込んでいた。しかし目の前の明継は血の染み込んだ服を着ながら平気で加害者の隣に座り、緋咲に困惑の眼差しを向けるのだ。
 当の本人がこれでは、何を言ってもきっと伝わらない。
 緋咲は諦めと嫉妬と怒り、様々な感情に襲われて顔を背けた。

 元晴は村の一件とは関係のないところで亀裂が入っている3人を横目に、未だ目を覚まさない清光の手を握っていた。

「気絶しているだけだ。すぐに目を覚ます」

「俺たちは2人で1つなんだ。清光が目を覚まさないなんて、生きた心地がしない」

 嗣己の言葉に元晴が食い気味に答えた。


 その様子を見て、清光の目が覚めない限り元晴はこちらの話に応じないのだと判断した嗣己は、そんな彼をぼんやりと見つめている大紀の名を呼んだ。

「大紀」

 その低い声に大紀が体をびくりと揺らす。

「何について話すべきか分かっているな?」

「はい……」

 大紀はすらりと伸びていた背筋を縮こませて小さな声で返事をした。嗣己の表情を窺う姿はいたずらをして怒られる子犬のようだ。

「なぜ能力者と接触した?」

「あ……あの、えと、落っこち……ちゃって」

「お前の身体能力で?」

 嗣己の刺すような視線に大紀はたどたどしく答える。

「いや、その、綺麗すぎて、見惚れて」

 明継が嗣己のオーラをものともせずに

「何に?」

 と、好奇心からなる質問を呑気に投げかける。しかし大紀は言葉を探すばかりで中々口を開かなかった。
 その間に元晴の気まずそうな表情を見た嗣己は全てを察し、目を瞑って長い息を吐くと、もう一度大紀を真っ直ぐに見た。

「元晴の力に影響を受けていたら、お前はここにいなかった」

「はい……」

穏平(やすひら)の指導も無駄になる」

「はい……」

 すっかりしょぼくれてしまった大紀を見て明継が慌ててフォローする。

「でも結果オーライじゃん。大紀は生きてるし、力は覚醒したし、穏平の護身術も役に立った」

「明継、ありがとう。それでも穏平先生の気持ちを考えたらもっと慎重になるべきだった。すみません……」

 嗣己の眉間に皺がよる。

「……俺の言い方が悪かった。お前が台無しにしたのは霞月(かげつ)が与えた技術と時間の方だ。碌でも無い穏平の事なんぞどうでも良い」

「は、はい……?」

 目を瞬かせた大紀に、明継が苦笑いを浮かべた。



「清光!」

 そんな空気を断ち切ったのは元晴の声だった。
 皆の視線が集まる中、清光が薄らと目を開く。
 まだ焦点も定まらない状態で清光が真っ先に捉えたのは元晴の顔だった。

「元晴……大丈夫だったの?」

 そう言ってふわりと笑う。

「俺は大丈夫だ。それよりお前気絶して……大丈夫なのか?」

「ちょっとめまいがするけど……」

 清光が体を起こすと、そこに並ぶ面々を見て表情を曇らせた。

「どうして?」

 敵意を含んだ清光の視線を跳ね返し、単刀直入に嗣己が問う。

「お前が主犯だな?」

 その言葉に怒りを示したのは清光ではなく元晴だ。

「清光は被害者だ!」

「ここまで殺しておいてよく言えるな」

「俺たちは村の人たちに殺されかけたんだ!」

「その理由を作ったのはお前たちの能力。自業自得だろう」

 切り捨てるような嗣己の言葉に元晴は怒りで顔を引きつらせる。

「お前らは何なんだよ! 俺たちの能力の事を知っているのか!?」

「見当はつく。教えてほしければ質問に答えろ」

 怒りに任せて口を開こうとする元晴を清光がそっと手で制止する。
 嗣己を真っ直ぐに見つめたその姿に元晴は黙り込んだ。

「いい子だ。お前たちの記憶はいつから始まっている?」

「はっきりとした記憶は、この村に来る寸前から」

「お互いの記憶は?」

「小さい頃からあります。僕と元晴は双子で……2人でよく遊びました」

「どこで?」

「……分からない……まだ小さかったから」

「この村に来たのは数年前だろう? お前らの背丈からして記憶の薄い幼児期に入村したとは思えん。なのに二人そろって記憶が曖昧なのは何故だ?」

 清光と元晴は複雑な気持ちで目を伏せた。辻褄の合わない自分たちの生い立ちを不思議に思わなかったわけがない。

「お前たちの記憶は作られたものだ。植え付けられたと言ってもいい」

「どういう意味だ?」

 嗣己の言葉に元晴が食いつくように問う。

「お前らの肉体は霞月で作られた。頭に入っている記憶は……夢を見ていたようなものだろう」

 清光と元晴は言葉を失ったが、その困惑は表情で十分伝わってくる。

「霞月はそんな事もしてんのか?」

 明継の問いに、嗣己の視線は元晴に向かった。

「俺は聞いていない。研究は止まっているはず」

 考え込むようにしばし沈黙した嗣己が、改めて口を開く。

「この村の惨殺については問題ない。人間などいくらでも連れてきてやる。だがこの二人の出生についてはクグイに問い詰める必要があるな」
 6人が霞月(かげつ)の門をくぐったのは、日がとっぷりと暮れたころだった。
 明継(あきつぐ)緋咲(ひさき)清光(きよみつ)らを任せた嗣己(しき)は通いなれた地下通路を通り、医務室まで足早に行く。
 窓越しにクグイの存在を確認するとノックをすることもなく中へ入った。


「あれぇ? 嗣己が任務帰りに僕のところに来るなんて珍しいじゃない」

 不躾な入室にもかかわらずクグイは嬉しそうに出迎えた。

「お前、おかしな研究に手をつけていないか?」

 嗣己は表情を変える事なく問う。

「僕は霞月のために富国強兵を目指して常に頑張ってるけど?」

「冗談を交わしに来たわけじゃない」

「いつにもまして機嫌が悪いなぁ。何があったの?」

寂池村(じゃくちむら)を知っているか?」

「じゃくち……? 僕と関係があったかな?」

元晴(もとはる)と清光は?」

「うーん。知らない」

 クグイの様子を見て嗣己は首を振ると、手近にあった椅子に座って落ち着いた口調で話し始めた。

「今日、寂池村というところに行ってきた。村人は能力者に惨殺されて、畑も荒れて昔の豊かさは見る影もなかった」

「へー、そりゃ大損害だね」

「その原因となった能力者、俺たちの力を使っていたぞ」

「えぇ!?」

 他人事のように返事をしていたクグイが目を見開いた。

「俺たちの能力の元は封印されているんだろう? 俺とお前の体から抜き出さん限り、あの能力は使えん」

「そうだけど……なんかしたかな? あ」

 困惑していたクグイの動きが止まり、急に何かを思い出したように声を上げた。

「言われてみれば数年前に作った気がする」

 嗣己の眉が一瞬歪んだのを見て、クグイは彼が苛立ちを感じているのだと理解した。

「彼らを作るだけ作って後の処理は下に任せちゃったんだよね。名前も移住先も知らないから繋がらなかった。そんなに怒らないでよ」

 穏やかに笑うクグイに、嗣己は居心地悪そうに視線を外した。

「えーっと。確か嗣己のDNAが手に入ったから僕のと掛け合わせたんだよね」

 間をおいて、困惑した表情の嗣己が聞き返す。

「俺のDNA……?」

「うん。精子だね」

「……」

「僕たち付き合いが長いからね。そんなこともあるよ」

 さらっと言いのけるクグイに対し、嗣己は脳内で過去を振り返りながら遠くを見つめた。

「確かに研究は止まってたんだけどね。いないなら作ればいいという精神で、まずは僕と嗣己の掛け合わせでやってみたんだ。どう? 顔似てた?」

 その問いに、遠のいていた意識を戻した嗣己が双子の顔を思い浮かべる。
 清光と元晴の顔はよく似ているが、目元はそれぞれ特徴を持っている。清光の柔らかく丸い瞳はクグイに、元晴の切れ長の瞳は嗣己にそっくりだ。だが鼻と口はどちらの特徴も取り入れていて、角度次第でどちらにも似ている。
 嗣己は彼らを見た瞬間にそれを薄々感じていた。
 それが事実だとしたら、まるで――

「まるで、じゃなくて僕たちの子供だよ?」

 嗣己の思考を読むようにクグイがにっこりとほほ笑む。

「しょうがないじゃない。遺伝子情報が僕と嗣己のものなんだもの。勝手に似るよ。穏平(やすひら)と掛け合わせるのはごめんだけど、嗣己ならいいかなって」

 嗣己は複雑な表情を浮かべたが、クグイは気にするそぶりもなく、むしろ嬉しそうに笑顔を見せた。

「そっかぁ。清光と元晴って名前になったんだ。僕の息子」

 楽しそうに想像をふくらませるクグイをどうしてやろうかと嗣己は考えたが、それはため息となって吐き出されるだけだった。

「いつになく楽しそうだな」

 呆れたように言うと、クグイは嬉しそうに目を細めた。

「だってすごいことだよ。これがうまくいけば化け物を介入させることなく、親の性別がどうであれ、新しい能力者を作り出せる。試験的に双子の年齢を操ってみたけど、その様子ならそっちも上手くいきそうだしね」

「ついにお前も先代の研究に足を踏み入れたか。……苦しくないか?」

「大丈夫だよ。僕たち自身がそうやって造られてきたんだから」

 嗣己はクグイの言葉に思いを巡らせた。
 彼らは、自分が化け物と人間の間の生き物である事を自覚したうえで悲観はしていない。それはこの霞月という里で生まれ、育ってきたからだ。
 それが彼らの常識だった。

「確かにそうか」

 嗣己がポツリと言うと、クグイの口元が緩む。

「でも嗣己が僕の事を心配をしてくれたのは嬉しいよ。最近じゃ明継くんばっかりだもん」

「そんな事はない。アイツの中身は霞月の資産。それを護っているだけだ」

「うそつき」

 月白色の瞳が見透かすように嗣己を見つめた。



「今後はどうするつもりだ?」

 その視線から逃げるように嗣己が問う。

「まずは彼の力を精製して経口接種できる状態にする。取り出すのはその後かな」

「そうか」

 目を伏せた嗣己に、クグイが眉尻を下げて微笑んだ。
 朝早く、緋咲(ひさき)の家を訪れたのは春瑠(はる)だった。

「緋咲さん」

 いつも通り声をかけるが、返事はない。
 出かけているのかと視線を彷徨わせると、扉が薄らと開いているのに気が付いて手をかけた。

「緋咲さんにしては不用心ね……?」

 あっさりと空いてしまった扉を不思議に思いながら中を覗きこむと、布団はまだ膨らんでいる。

「緋咲さん?」

 もう一度声をかけるが、緋咲は起きる様子を見せない。
 春瑠はついつい、いたずら心をくすぐられてしまった。


 布団へ歩み寄り、思わずにやける口元を手で押さえた。
 掛け布団を薄く開いて緋咲の体の向きを確かめる。
 抱きついて驚かせようと、布団にもぐりこんだ瞬間

「え!?」

 急に伸びてきた腕に捕まって春瑠が動揺の声を上げた。

清光(きよみつ)……? もう少し寝かせろ」

 そのまま抱きしめられて、春瑠は叫んだ。



「春瑠!?」

 緋咲が部屋に飛び込むと、目に涙をためた春瑠が飛びついた。
 布団の上に座り込んだ寝起きの元晴(もとはる)は、叩かれた頬を撫でながら不機嫌さを露わにしている。

「こいつが俺の布団の中に入って来たんだ」

 状況を飲み込めていない緋咲の視線に元晴が答えると、緋咲にしがみついた春瑠がキッと睨みつけて叫んだ。

「緋咲さんがいると思ったんだもん!」

「普段から緋咲の布団に忍び込んでんのか?」

「そ、そんなわけないでしょ!」

 顔を顰めて言う元晴に春瑠は動揺しながらも、先ほど自分がされた事を思い出して反論した。

「アンタだって清光って子とギューして二度寝してるんでしょ!」

「あぁ!? 違ぇよ!」

 図星をつかれたように語気を強めて否定する元晴に顔を突き合わせた春瑠が

「動揺してるじゃん!」

 と言うと、元晴も負けじと

「お前こそ!」

 と応戦した。

「二人とも落ち着いて」

 呆れたように緋咲が仲裁に入る。

「春瑠。この子は昨日の任務で連れて帰った子よ。元晴っていうの」

「なんで緋咲さんの家にいるんですか! 私はダメだったのに!」

「春瑠は連れ帰ることが分かっていたから事前に部屋が用意してあったの」

 春瑠をなだめつつ、元晴に視線を向ける。

「元晴。この子は春瑠よ。大紀(だいき)から聞いてるでしょ? 彼と同じ村で暮らしていた子」

「春瑠? お前が大紀の……」

 元晴の訝しげな視線に春瑠がまたむくれる。
 そこに入って来たのは緋咲の後ろで様子を窺っていた清光だ。

「春瑠さん。元晴が失礼をしたのなら謝ります」

「被害者は俺だぞ」

 駆け寄って謝罪を口にした清光に元晴が眉間にしわを寄せて抗議するが、清光はそれに構うことなく元晴を押しつぶすように無理やり頭を下げさせた。

「こいつ、ツンケンしてるけど本当は世話焼きで優しいヤツなんです。よかったら仲良くしてやってください」

 清光の登場で春瑠の表情が微かに和らいだ。
 その表情を読み取って、すかさず挨拶に移る。

「僕は清光と言います。こいつとは双子で。よろしくお願いします」

 微笑んだ清光に半べそをかいていた春瑠も表情を整え、目線を合わせた。

「清光さん……素敵なお名前ですね。初めまして。私は春瑠です。こちらこそよろしくお願いします」

 その可憐な姿に清光の顔が緩むと、元晴が顔をそむけて口の中で呟く。

「なんだよ、デレデレしやがって」

「あー、ヤキモチ妬いてる!」

 不貞腐れた元晴の顔を春瑠が覗き込み、揶揄うように笑った。

「はぁ!? ちげぇし!」

「元晴ー!」

 そこへ突然響いた声は緋咲の家の中に飛び込こみ、そのままの勢いで元晴を抱きしめ押し倒した。

「ぐあっ!」

「昨日はちゃんと眠れた!?」

元晴に覆いかぶさり、嬉しそうに問いかけるのは大紀だ。

「じゃねーよ! 飛び込んでくるな!」

「えへへ、ごめん。元晴に早く会いに行かなきゃと思ったら勢い余って突っ込んじゃった」

 怒鳴る元晴に怯む様子もなく、大紀が緩み切った顔で謝る。
 そんな2人の様子に真っ先に困惑を見せたのは春瑠だ。

「任務で会った綺麗な子って女の子じゃなかったの!?」

「うん、男の子だよ! ふふ……やっぱり綺麗だなぁ。僕が一生大事にするんだ」

 うっとりとした大紀の眼差しに春瑠が慌てふためく。

「ちょっとアンタ、純粋な大紀を誑かさないでよ!?」

「誰も誑かしてねぇ!」

 今度は3人のやりとりを見ていた清光が、冷ややかな視線を元晴に送る。

「僕が明継(あきつぐ)たちと対峙してた時に、元晴はそんな約束してたんだ?」

「ちがう! こいつは……」

「違わないよ! 約束したもん!」

「大紀! お姉ちゃんは認めないからね!?」

「僕は必死だったのに、元晴は大紀とよろしくやってたんだ。ふ〜〜〜ん」

「俺の話を聞け~!!!」

 3人に迫られた元晴が叫んだ。






「ずいぶんと賑わってるな」

 朝の準備を済ませた明継が覗き込んだ。

「皆、個性豊かよ」

 家主を置いて騒ぐ彼らを指し示すように手のひらを向けた緋咲がため息をついた。

「村にいた時より表情が明るくて良かった」

 家の中で戯れ合う姿を見て安堵する明継の表情に、緋咲が目を細める。

「……明継のそういうところ、すごく好き」

「え……」

 緋咲に面と向かって好意を示されたのがずいぶんと久しぶりな気がして、明継が微かに頬を染めた。
 その表情を向けられた緋咲も、思わず頬を染める。
 故郷や家族を失った彼らにとって自分のアイデンティティの一部を共有できる存在は他にいない。明継と緋咲はお互いを"絶対に失いたくない相手"なのだと意識し続けるうちに、いつの間にか兄妹のような存在から、失ってはならない大切な存在へと変わりはじめていた。


「そう言えば」

 明継が胸の高鳴りをごまかすように言葉を発した。

「清光たちの部屋と振り分けが決まった。落ち着いたら指導も始まるらしい」

「そ、そう。良かった」

 緋咲も頭を切り替えて返事をし、心を落ち着かせる。

「次の俺たちの任務も決まった」

「あの子たちも連れていくの?」

「今回は3人だ」

「そう」

 短く答えた緋咲の視線はじゃれ合う4人に向かっている。
 年のそれほど違わない4人が集まれば年相応の少年少女の顔になる。
 円樹村(えんじゅむら)にいた頃の自分と明継を重ね合わせて緋咲の表情が微かに曇った。

 そんな彼女を見かねて明継が声を張る。

「春瑠! 大紀! そんなにのんびりしていていいのか? 遅刻するとうるさいぞ。特にクグイが」

「もうそんな時間!? 元晴のせいで緋咲さんとの時間が台無し!」

 春瑠が元晴を恨めしそうに見つめながら幼さの残る頬を丸く膨らませる。元晴が揶揄うように舌を出すと、また始まりそうな小競り合いを予測して明継が手を叩いた。

「清光と元晴は屋敷に移動! やることは沢山あるぞ。さぁ準備準備!」

 せっつかれるように春瑠と大紀が部屋を飛び出すと、元晴は身支度をはじめ、清光は部屋を片付け始めた。

 こうして清光と元晴の、霞月(かげつ)での生活が始まったのだった。


 ひと月の間に霞月(かげつ)の能力者が何人も行方不明になっている。
 報告によれば、子供くらいの背丈の虫に体液を吸いだされ干からびるように死ぬのだという。
 この情報は能力者に同行していた無能力者が自力で里に戻った際に証言したものだ。それは同時に、能力者のみを襲うという事実を明らかにした。
 嗣己(しき)明継(あきつぐ)緋咲(ひさき)はその調査をするべく現場に向かった。


「能力者が次々とやられるなんてどんな相手なんだ?」

 調査地点へ向かう途中、明継が嗣己に問いかけた。

「霞月の能力者もピンキリだ。強い力を持つ者を調査や化け物処理に回す分、使いに出るような奴らは最低限の力しか持たない。襲撃でもされればひとたまりもないさ」

「能力者の力を吸って生きているのかしら」

 二峯村(ふたみねむら)の一件を思い出して緋咲が呟く。

「なんで化け物は能力者の力を吸うんだよ?」

 腑に落ちない様子で言う明継の視線を感じて嗣己が笑った。

「お前だって肉の分際で肉を食うだろう?」

「誰が肉じゃい!」

 明継の抗議を鼻で笑う嗣己が、

「それにしても被害者が多すぎる。よほど虫の数が多いか――」

 そこまで言ったところで、明継は空気の滞りを感じた。
 ズン、と重い空気が一瞬体にのしかかるような、空気の境を通ったような、そんな感覚だ。

「おい、今変な感じ……」

 明継は二人に話しかけようと口を開いたが、両者の姿が消えていることに気が付き足を止めた。


「え…………?」







 微かだが、その感覚は嗣己と緋咲の体でも感じ取れていた。

「何かいるのか?」

 周囲を警戒しながら嗣己が緋咲に問いかける。

「感知したのはほんの一瞬。もう消えてる」

 嗣己が舌打ちをして明継がいたはずの場所を見つめた。

「明継を感知することはできるのか?」

「難しいわね」

「あいつがいつも垂れ流している雑音も聞こえんな。何かに連れていかれたか」

 二人は周囲を見回した。深夜の森は静まり返り、漆黒に染まっている。

「気づいているか?」

「ええ。さっき感知した力とは違う。こいつら、一つ一つの力は小さいけれど数が多い」

 緋咲がそう言うと、闇の中にずらりと樺色の光が浮き上がった。それは地上だけでなく上空からも二人を見つめている。

「明継はこいつらの仲間……或いはボスに連れていかれた可能性があるな」

 嗣己の言葉を聞いて頷いた緋咲がクナイを構えたと同時に、上空に浮いていた光が一斉に羽ばたく。
 鮮やかな樺色の羽がいくつも折り重なった様は大きな怪物のようだ。
 印を結んだ嗣己がそれ目掛けて炎を吹きかけると、焼け焦げた表面がボロボロと地面に落ちた。地面にたたきつけられたものを確認すると、背中に蝶の羽をつけた小柄な人間のようだ。
 再び上昇していく塊を目で追う嗣己の耳に緋咲の悲鳴が届く。

「ギャー!!」

 嫌悪感で半べそをかいている緋咲の足には縞模様のついた巨大な幼虫が貼り付いていた。子供の胴回りほどもある体を這わせて登ってくる様に顔を真っ青にしながらクナイで取り払うと、その切り口から出た液体が散って緋咲の服を溶かし始めた。

「その調子じゃお前の体が溶けて終わるぞ」

「そんなこと言われたって!」

「お前、まだ印も結べんのか?無能の弟子は無能だな」

穏平(やすひら)先生は無能じゃありません!」

 抗議する緋咲に歩み寄った嗣己が、張り付いた虫を足で蹴とばし引きはがす。
 片手で印を結んで地面に手をつくと、鋭く尖った木の幹が虫目掛けて大量に飛び出した。
 串刺しになった虫がぼとぼとと転がり落ちる。
 上空で様子を伺っていた虫たちが一斉に飛び去った。







 そのころ、明継はどうすればいいのかわからず森の中を歩いていた。
 と言うのも、彼は緋咲ほど鋭い感知力がなく、精神感応も上手くない。
 戦闘能力には長けているが、探し物をするのには全く向いていないのだ。

 それなのに、明継の足は何かに引き寄せられるように勝手歩を進めた。
 自分の足がどうしてこちらへ向くのか理由はわからなかったが、たどり着いた先に広がる鮮やかな花畑が目に入ると感嘆の息を漏らした。

「きれいだな……」
 広がる花々には風船状の実が付いており、ぼんやりと光る姿は幻想的だ。
 引き寄せられるように歩いていくと、先端を結びつけられた背の高い草がある事に気が付いた。
 その中は子供一人が入れる程度の空間があり、覗き込めば細い足が見える。小さな寝息を立てている少女かとも思ったが、背中に視線を移すとそこには薄い羽がついている。

「蝶々……?」

 呟くと、少女の目が開いた。
 明継は驚いて身を引くが、相手はぐっと身を乗り出して不思議そうに視線を向けてくる。
 口を動かす仕草でしゃべりかけられているのは明継も理解したが、その声は聞こえない。

 少女の口元に気を取られていると、突然腕に痛みが走った。視線を向ければ、少女の鋭い爪が明継の腕の中へ食い込んでいる。
 痛みに顔を歪めた明継の目の前で少女は舌を伸ばし、それを蝶々の吸収管のように変形させた。
 とびかかるように押し倒すと腕の傷口に吸収管をねじ込み、痛みで暴れる明継を少女とは思えぬ腕力でねじ伏せた。
 腕の中身を吸い上げられるような異様な感覚に体を震わせていると、腕がみるみるうちに水分や組織を失いミイラのように枯れていく。
 
「うわああああ!」

 明継が悲鳴を上げると、同じような個体が何匹も現れてわらわらと群がった。彼女らは皮膚を傷付け、吸収管をねじ込む。

「いやだ!やめろ!」

 起き上がることも許されない明継の顔は恐怖で引きつった。
 このままでは死ぬ。
 その言葉が頭の中を駆け巡った瞬間、体の奥から黒いものが湧き上がるのを久しぶりに感じた。

「早く!」

 明継はその力に向けて怒りにも似た声を上げていた。

 明継の意思で引きずり出された黒い霧が一瞬で全身にいきわたる。その衝撃は爆風となって円形の衝撃波を生み出し、虫たちを一気に弾き飛ばした。
 明継に害をなすものがなくなったのを確認したように黒い霧は徐々に引き、明継の体を元に戻した。







「明継が力を使ってる!」

 感知と同時に緋咲が走る。
 いくつかの林を越え、その先に見えたのはどこまでも広がる草原だった。
 一瞬で消えた爆発的な明継の力を探るように緋咲がその中に入ると、何かに足を取られてバランスを崩した。
 嗣己がその体を支えて元に戻すと、その原因となった物を見つめた。

「こんなところで死んでいたのか」

 そこにあったのは干からびた人間だ。身に着けている衣類には霞月の印が入っている。
 周囲を見回せばそんなものがゴロゴロと転がっていた。

「あいつもここで襲われて力を使ったんだろうな」

 嗣己の言葉に、もう一度緋咲が意識を集中させる。

「明継が近くにいる……いるはずなのに姿が見えない」

「ふむ……時空が違う……かもな」

 嗣己は眉間にしわを寄せた。
 明継を隔離したという事は、体の中にある力を取り上げようとしているか、連れ帰ろうとしている可能性がある。

「本体を締めあげるのが一番早いだろう。化け物の位置は分かるか?」

「薄い膜が張っているような感覚があって正確じゃないけど……このレベルなら多分行けるわ」

「お前、思っていたより使えるな」

 感心したように言う嗣己に、緋咲は顔を歪めて返した。

「じゃあ、穏平先生への悪口は撤回してくれる?」






 嗣己と緋咲がたどり着いたのは巨大な石を切り出した遺跡だった。元々神殿として使用されていたここは、いつしかその使命を全うし、苔むして遺跡となった。
 それでもなお、暗闇に通じる入口は人を寄せ付けない強い圧力を持っている。

「どうやって明継を見つけるの?」

 緋咲が聞くと、彼女の腕を嗣己が掴んだ。

「空間移動の応用だ。ここにいることが分かっているならそいつと周波数を合わせればいい」

 ズン、と重力に押されるような感覚を受けると嗣己の手が離れた。

「これで……?」

「ああ。明継と化け物の気配も強くなった」

 緋咲が表情を引き締めて踏み出す。しかしその目の前に現れたのは見覚えのある虫たちだ。
 先ほどとは比にならない数の幼虫が遺跡の隙間からわらわらと這い出し、成虫が空を黒く染める。

「中に入るには害虫駆除が必要みたいだな」

「げぇ、また虫」

 青ざめた緋咲の顔色を見て、嗣己が呆れて首を振った。

「お前は中に入って本体を叩け」

「え、でも」

「こいつら相手にお前は足手まといだ。かと言って二人で入れば雑魚が中まで押し寄せる。よってお前が一人で中に入れ」

「中に何がいるのかも分からないのに!?」

「安心しろ。亡骸は拾ってやる」

 緋咲はまだ訴え続けていたが、嗣己は構わず体に触れて遺跡の中に緋咲を転送した。

「帰ったら穏平にクレームを入れんとな」
 明継(あきつぐ)が目を覚ましたのは、冷たい空気が漂う暗がりの中だった。
 彼は横たわったままぼんやりとした視界の中で辺りを見渡した後、指先に力を入れた。
 体の動きに違和感がないことを確認して安堵すると、体に触れる冷たい感触が石でできた床なのだという事にようやく気が付いた。
 疲労感の強さにせめて目が慣れるまではと起き上がるのを躊躇っていたが、目の前を白く輝く蝶々が通ると、虫たちに群がられた記憶がフラッシュバックして飛び起きた。

「目が覚めた?」

 暗闇から聞こえたのは鈴を転がすような声だった。
 純白のドレスを身に纏った髪の長い女性――アルモナがゆったりと近づいてくる。その周りには先ほどの蝶々がひらひらと舞っている。
 艶やかな黒髪の先端は鮮やかな樺色に染まり、優し気に垂れた瞳はくっきりとした濡羽色だ。小ぶりな忘れ鼻と、花びらのように薄くて淡い色合いの唇が顔の中でバランス良く配置されている。
 どんな男も虜にしそうな容姿の女性だが、それはどこか、あの草原で明継を襲った少女たちの顔に似ていた。

「ずいぶんと怖い目にあったようね。私の子供たちが無礼を働いてごめんなさい」

 まるで他人事のように言うと、手のひらを口元に寄せて息を吹きかけた。

「あなたの体の中から滲みだす力に皆が食いついたみたい。でもよく生き延びたわ。彼女たちのいたずらにすら敵わない霞月(かげつ)の人間がゴロゴロいるのに」

 アルモナの動きに警戒して明継が身構える。同時に、花の蜜のような香りが鼻孔をくすぐった。

「あいつらの仕業か」

「全てはあなたをおびき寄せるためよ」

 甘い香りで肺が満たされた頃、明継は目をこすった。

「あなたの中にはあの人の力が眠っている」

 アルモナの言葉が頭の中で反響し、上手く聞き取れなくなっていく。視界も徐々に霞んでいく。
 小刀を抜き、切っ先を向けて怯まぬ意思を見せるが、アルモナはゆったりとした態度を変えずに微笑んだ。

「まだ立っていられるの? あの人が出てこられないはずだわ」

「あの人あの人って……なんなんだよ」

「自分の体のことなのに聞かされてもいないのね。かわいそうな子」

 眉間に皺をよせた明継がアルモナに向かって走り、斬りかかる。しかしその刃先が貫くはずのアルモナの体は何匹もの輝く蝶々となって散った。

「そんな玩具では私を斬れないわ」

 ざわざわと音を鳴らして羽ばたく大量の蝶が明継の横を通りながら囁く。それは背後に集まると再び女性の形に戻り、細い手のひらで明継の目を隠した。

「あ……ぁ」

 明継の全身から力が抜け、膝から崩れ落ちた。

「おやすみなさい」








「こんな窮屈な思いをさせられて……さぞお辛いでしょう」

 何の話をしているんだ?

 明継は朦朧とした意識の中で、アルモナに膝枕をされながらその声をぼんやりと聞いていた。

「私が出して差し上げますからね」

 アルモナが明継の胸に手をかざすと、白い光が生み出された。
 明継は瞳に差し込む微かな光を感じていたが、その光が徐々に熱を帯び始めると、体の中から何かを引きはがされるような感覚に襲われた。

「あ……! ぐ……!」

「大丈夫。すぐに終わります」

 明継の胸がへこむと、中からとげとげしい漆黒の結晶が顔を出し始める。

「ああ、良かった!」

 アルモナが顔を喜びに染めて叫ぶ。しかしそれは部屋に鳴り響いた緋咲(ひさき)の声によってすぐさま打ち消された。

「明継!」

「邪魔者が来たようね」

 声に反応して視線を上げたアルモナが緋咲を睨みつける。
 緋咲はその腕の中にぐったりと横たわる明継の姿を見つけると、尖りゆく瞳孔を紫に染めた。

「明継を返して」

 緋咲の表情を見て、アルモナが静かに笑う。

「この子の中には私の愛する人がいる。それを開放したらこんな子いつでもくれてあげる」

「中に何がいるのか知らないけど、それもひっくるめて私の明継なの。勝手に触らないでくれる?」

 二人は視線を交えて静かに火花を散らした。
 しばし睨み合いを続けたが、アルモナが先に視線を逸らすと明継の顔を見て、愛おしいものに触るかのように髪を撫でる。

「そんなにこの子が好き? ……でも私も、あの人を愛しているの」

 アルモナは明継を床に寝かせて立ち上がると、緋咲に鋭い視線を向けて間合いを詰めた。

「随分と品のない女が来たわね」

「見てくれだけの性悪女が」

 顔を歪めたアルモナが手を差し出すと白い光が棒状に伸び、すらりとした長剣が生み出された。
 緋咲は小刀を構えながら皮膚に鱗を纏わせて硬化する。

「蛇……? あなたにお似合いね」

「アンタなんて毒虫でしょう?」

 緋咲がアルモナに向かって走り始め、間合いに入ると2人同時に武器を振りかざした。刃物同士がぶつかる甲高い音が響き、武器越しに互いを睨む。
 緋咲が身を翻して刀身を解放すると、アルモナの脇腹を狙って刀を振りぬく。が、その体はふわりと解けて小さな蝶が舞った。

「ごめんなさいね。そういうの効かないの」

 体を元に戻したアルモナが吊り上げた唇で煽った。
 攻撃を躱された勢いで無防備になった緋咲の体にアルモナの長剣が振り下ろされ、刃先が肩に食い込んだ。しかし緋咲はよろめきもせず、口を蛇のように裂いて牙をその腹に突き立てた。
 だがやはりアルモナの体はふわりと解けて、空振りに終わる。

「そんな力じゃ大事な人を護れない」

「化け物が」

 懐から薬を取り出した緋咲は口に含んで噛み砕いた。体に深く刻まれた傷口がみるみるうちに回復していく。
 眉間に皺を寄せたアルモナに

「霞月には優秀な薬剤師がいるのよ」

 と、言って飛びのき、再び間合いを取った。

「いくら回復したって、あなたの攻撃じゃ私を倒せない」

 アルモナは憐憫の眼差しを送ったが、緋咲の瞳は衰えなかった。
 構えた小刀を紫色の光で包む。

「あら……美味しそうな光だこと」

 物理攻撃がきかない相手に緋咲が出した最終手段だったが、実際に目にしたアルモナの反応は緋咲が予想していたものとは違った。
 体から溢れた紫色のオーラを見たアルモナが目の色を変えて体を解いた。
 青白く光る蝶々が一気に舞い上がったことで緋咲が瞬きをする。
 その瞬間、腹に鋭い痛みが走った。

 緋咲は何が起こったのかと痛みを感じた箇所へ視線を送る。

「……う、そ……いつ……?」

 アルモナの長剣は緋咲の腹を貫いていた。
 目前にまで迫っていたアルモナの笑みが緋咲の瞳に映る。

 長剣を勢いよく抜くと、緋咲は大量の血を吐き出しながら床に崩れ落ちた。

「被食者のクセに誘ってくるからよ?」

 パックリと開いた腹の傷口にアルモナの細長い指がねじ込まれていく。
 容赦のない挿入に緋咲が声を上げた。

「う、ああぁ!」

 紫色の光がアルモナの指を伝って移動する。傷口をこじ開けられる痛みと力を抜き出される鈍痛で膝から崩れ落ちた。

「あら。吸われるのは初めて? 痛い? ねえ」

「い……や゛あぁ!」

「ふふ。美味しい蜜がたくさん溢れてくる。もっと吸わせて」

 アルモナは傷口に挿入する指の本数を増やして更に力を吸い取った。吸収したエネルギーがアルモナに快感を与え、瞳がとろける。
 緋咲の耳元に熱を含んだ吐息がかかった。

「ヒトの力って、どうしてこんなに美味なのかしら? ほら、もっと声を聞かせて……」

「ひっ、ぃ……やめて……いや……」

 覆いかぶさるアルモナを腕で押し返そうとするが、緋咲の体にそこまでの力は残っていなかった。抵抗もむなしく緋咲の力はアルモナに吸いつくされていく。
 やがて緋咲が静かになると、アルモナは探るように指を捻ったが吸収するものが無くなった事を知ると引き抜いて付着した血液を舐めた。

「ごちそうさま」

 明継の元へ戻ったアルモナは、明継を再び膝の上に乗せると緋咲に見せつけるように唇を奪い取った。
 明継の胸元に置いたアルモナの手のひらから白い光が発せられると、再び明継の唸り声が響く。


 霞みゆく意識の中で明継の悲鳴を聞きながら緋咲は最後の力をふり絞って懐を探った。
 緋咲の言う優秀な薬剤師――春瑠(はる)が渡した薬は二種類。回復薬と起爆剤。
 鉛のように重い腕を動かしてゆっくりと小瓶の中身を口に流し込むと、緋咲の体が震えた。

「うう……う……」

 くぐもった声を微かに上げながら、脳裏に春瑠の顔を思い浮かべた。

(クグイさんには内緒ですよ? 緋咲さんにだけ渡します)

 記憶の中の春瑠がいたずらっぽく笑う。

「うう……あ、ああ」

 緋咲の息が上がり始める。胸を貫く痛みに動かなかったはずの体が無意識に藻掻き始めた。

(明継さんの力を精製して調合したんです。一次的ですが起爆剤となって力を与えます)

「あっ……は、あぁ……!」

(でも本当の本当に、必要な時しか使っちゃダメですよ。緋咲さんの体が耐えられなければ…………。だから、絶対に何かを守りたい時だけ。そのために使うんです)

 心配そうな瞳が緋咲を見上げた。

『緋咲さんを死なせるわけにはいかない』

 この言葉は、緋咲が春瑠の心をこっそりと覗いて聞こえた声だ。

「ううう、うううああアアッッ!」

 緋咲の体から生まれた衝撃が遺跡の岩を震わせた。それは外に待機する嗣己(しき)の体にも伝わった。


 衝動に駆られるように緋咲が体を起こす。
 アルモナは緋咲の力を観察するように見つめ、それが自分の良く知った力の一部だと理解すると

「霞月め……」

 と、呟いて唇を噛んだ。

 明継から離れ、再び立ち上がったアルモナに緋咲が吠える。

「明継を返せ!」

 その声は緋咲のものとは程遠い、禍々しいものだった。
 体は赤黒く、目は光り、前のめりになって肩で呼吸をする。

 アルモナの目の前に一瞬で接近した緋咲は鋭い爪先で切り裂いた。黒い霧を纏う爪はアルモナの体が解ける前に大きな傷跡を残す。
 痛みに顔をゆがめながら飛びのいたアルモナの足首を緋咲が捕まえて放り投げた。頭から地面に突っ込む前に体を解くが、脳への衝撃を全て逃がすことはできなかった。

「明継に何をした? お前は何者だ? 明継を返せ!」

 言いながら近づく緋咲を睨みつけながらアルモナは後ずさる。

 これが本当にあの人の力の一部ならば、敵わない。

 表情を曇らせたアルモナに、漆黒の大蛇となった緋咲が牙を剥き出しにして飛びかかる。
 アルモナは間一髪で転がり避けるが、全身を蛇に変えた緋咲はひどく俊敏で、腕が逃げ遅れたともなればすぐに捕まり引きちぎられてしまう。
 女は白い光を放って体を再生するが、気が付けば壁際まで追い詰められていた。
 人の形状に戻った緋咲が逃げ場を失ったアルモナに詰め寄る。全身が赤黒い緋咲の口元だけが真っ赤に色づき、裂けた。


「旨そうだ」


 顔を歪めたアルモナは襲い掛かられる前に全身を解いて散らばった。
 発光する大量の蝶々を1匹とて逃さんと緋咲の手と牙が追いかけ仕留めるが、それをすり抜けた蝶は岩の隙間を通って逃げ出すと上空高く舞い上がり、消滅した。