天災賢者と無能王女と魔法の作り方

「今日からよろしくお願いします、師匠!」
「……なんだって?」

 決闘を終えた翌日。
 教室へ移動すると、すでに登校していたネコネがビシリと敬礼をして俺を迎えた。

 ついでに、訳のわからないことを言っていた。

「どうしたんだ、熱でもあるのか?」
「ち、違いますよ」

 ネコネは不服そうに頬を膨らませた。
 抗議するような視線をこちらに向けつつ、言葉を続ける。

「弟子にしてくれる、って言ったじゃないですか」
「……言ったか?」

 記憶を掘り返してみるが、そのような発言はしていないような?

「その、あの……俺の方がふさわしい、と」
「ああ」

 それなら記憶にある。
 ……ああ、それを了承と受け取ったわけか。

「……まあ、いいか」

 任務のこともある。
 身バレする可能性は高くなるが……
 師匠と弟子の関係になれば、普通のクラスメートよりは長く一緒にいることができる。

 リスクとリターン。

 それを考えて、俺は話を引き受けることにした。

「わかった。今日から俺は、レガリアさんの師匠だ」
「はい! ありがとうございます、師匠!」
「師匠はやめてくれ……」



――――――――――



「スノーフィールド君、魔法を教えてください!」

 放課後。
 話があるからと屋上に呼び出されたのだけど、開口一番、そんなことを言われた。

「というか、ちょっと性格変わっていないか?」

 おしとやかなイメージがあったのだけど……
 今は、わりとアクティブな印象だ。

「そうでしょうか? 私はいつも通りだと思っているんですが……もしかしたら、距離が近くなった影響かもしれません」
「距離?」
「はい、心の距離です。スノーフィールド君が魔法の師匠になってくれたこと。それと、その……とても優しくしてくれたこと。だから、そういうことです」

 どういうことだ?

「それで……魔法、お願いできませんか?」
「わかった。約束だからな、教えてみるが……」
「本当ですか!? ありがとうございます!」

 ネコネは笑顔になって、その勢いのまま抱きついてきて、

「す、すみません!?」

 一人で勝手に照れて、慌てて離れていた。

 これがネコネの素なのかもしれないな。

 王女という立場。
 魔法を使えない。
 それらの要素が心を縛り、それらしくあろうとして、今まで本当の自分を隠していたのかもしれない。

「とりあえず、一度、魔法を使ってみてくれないか?」
「でも、私は……」
「わかっている。どのようにして魔法を使おうとしているのか、最初からもう一度、確認しておきたい」
「……わかりました」

 静かに頷いた後、ネコネは俺から離れた。

 手の平をそっと前に差し出して、上に向ける。
 そして、目を閉じて集中。

「ふむ」

 魔力を練り始めたみたいだ。

 ただ、やはりというべきか、この時点で違和感がある。
 俺は、意識的に魔力の流れを見ることができるのだけど……
 先日の授業と同じように、ネコネの魔力の流れがおかしい。

 通常、魔力は血液のように全身を循環している。
 魔法を使う際は、その流れをコントロールして、一点に集中させる必要があるのだけど……

 よくよく見てみると、ネコネは魔力がうまく循環されていない。
 なにかに引っかかったかのように途中で止まっていた。

 結果……

「ファイア!」

 魔法を唱えようとしても、うまく魔力を引き出すことができず不発に終わる。

「……このような感じです。あの……どうでしょうか? 私でも、うまく魔法を使う術はあるでしょうか?」
「ちょっと待ってくれ。そうだな……」
「え? え?」

 ネコネに近づいて、じっとその瞳を覗き込む。
 額と額が触れ合うほど近く。

「あ、あの、えと……その、その……!?」

 ネコネが急激に赤くなるけど、気にしない。
 それよりも、なぜ彼女が魔法を使えないか?
 その方が気になる。

 このような現象は初めて見た。
 一魔法使いとして、彼女の身に起きていることに興味がある。

 なので、じっと観察をする。

「あわわわ……!?」

 ネコネの目がぐるぐるとなって……

「よし」

 ある程度納得したところで、俺はネコネから離れた。

「はふぅ……ど、ドキドキしました……」
「どうしたんだ、顔が赤いぞ?」
「す、スノーフィールド君のせいですよ!」

 なぜだ?

「それはともかく……レガリアさんが魔法を使えない原因、予測できた」
「えっ、ほ、本当ですか!?」
「たぶん、呪いだな」
「呪い……!?」

 症状は違うけれど、魔力の循環が正常に行われていない人を見たことがある。
 その人は呪いに犯されていて、魔力の循環がダメになっていた。

 今回はそれとよく似ている。

「確証はないけどな」
「いえ……スノーフィールド君が言うことなので、私は信じます。でも、いったいどうして……誰がそのようなことを……」
「悪いが、犯人についてはサッパリだ」

 ネコネに親しい人の仕業か。
 あるいは、まったく関係ない人の犯行か。
 彼女の身辺を知らない俺は、それを特定することはほぼほぼ不可能だ。

 ただ……

「呪いなら話は簡単だ。解呪すればいい」
「できるんですか!?」
「問題ない」

 伊達に賢者の称号は授かっていない。
 解呪の魔法はいくつか知っている。

「じっとしててくれ」
「は、はい!」

 ぴしっと直立不動になるネコネ。
 そこまでしなくてもいいのだけど……まあいいか。

「クリア」

 俺は解呪の魔法を唱えて……

「……なに?」

 パチンという軽い音と共に、魔法が弾かれるのを感じた。
「あの……どうでしょうか? 呪いは解けたのでしょうか?」
「悪い、ダメだった」

 素直に失敗したことを告げた。

「そうですか……」
「ただ収穫はあった」
「え?」
「俺の魔法で解呪できない呪いなんて、普通は存在しない」
「す、すごい自信ですね……」
「それだけの努力を重ねてきた、という自信はあるからな」

 俺の力が通用しない。
 敵が世界最高峰の呪術師というのなら納得だけど……
 しかし、呪いを見る限りそこまで複雑なものではない。

 解呪できなかったのは別の問題があるからだ。

「基本、呪いっていうものはかけたらそれきりだ。その後、継続的になにかをする必要はない。ただ……レガリアさんにかけられている呪いは別だ。定期的に魔力を補充されている形跡がある」
「えっ」
「継続型の呪い。たぶん、何度も呪いを上書きしてきたんだろうな。だから、何重にも呪いに包まれることになって、そうそう簡単には解呪できないようになっている」

 解呪魔法を100回使えば、さすがに解呪できるだろう。

 ただ、さすがに面倒だ。
 それと根本的な解決にならない。

 ここまで執念深い呪いをかける相手だ。
 解呪しても、また上書きされるだけ。
 犯人を見つけないとダメだ。

「どこの誰か知らないが、犯人は、よっぽどレガリアさんに魔法を使ってほしくないみたいだな」
「そのような人がいるなんて……」
「犯人に心当たりは?」
「……わかりません。一応、私も王族なので、いるといえばいるのですが……」
「心当たりが多すぎる、ってことか」

 ネコネは恨みを買うような人物ではないだろう。
 ただ、王族という立場故、狙われる可能性はある。

 例えば、王が言っていた謀反を企む者。
 そいつの犯行かもしれない。

「そうだな……ところで、魔法が使えないと判明したのはいつだ?」

 少し考えて、そんな質問を投げかけた。

「えっと……6歳の頃ですね。アカデミーには初等部から通っているのですが、その時の検査で、なにも使えないことがわかりました」
「けっこう前だな……その間、ずっと?」
「はい」

 6歳から15歳の今まで、約9年、ずっと魔法を使うことができなかった。

 魔法が使えないのに、それだけの期間アカデミーに在籍できたのは、王族だからだろう。
 ただ、それだけじゃなくて……
 その間、ずっとネコネは諦めていないのだろう。
 いつか魔法が使えることを信じて、がんばっていたのだろう。

 その根性。
 魔法に対する想いは嫌いじゃない。

「って、そうじゃない」

 問題は、6歳の頃に呪いをかけられたということ。
 以後、犯人は継続して呪いをかけて、上書きし続けてきたのだろうが……

「案外、簡単に犯人が見つかるかもしれないな」
「えっ、どうしてですか?」
「6歳の頃に呪いをかけられて、それは今も続いている。つまり犯人は、レガリアさんが6歳の頃から今まで、ずっと近くにいる人物、っていうことだ」
「あ」
「6歳から今まで、ずっと近くにいる者は? その上で、魔法が得意な者。あるいは、魔法の知識が深い者。それと……そうだな、よく一緒に過ごす者はいるか?」
「……何人か心当たりはあります」

 ネコネは暗い表情に。

 今の条件に当てはまる者は、家族や親友など親しい人以外いない。
 そんな人が犯人かもしれないと考えて、憂鬱になったのだろう。

「犯人探しが嫌になったか?」
「……いえ。スノーフィールド君が考えている通りのことなら、なおさら、突き止めないといけません。ここで逃げるわけにはいかないのです」

 強い人だ。
 王族とか護衛対象とか抜きにして、少しだけネコネに好意を持った。

「それで、条件に当てはまる人は?」
「まずは家族ですね。父、母、兄、姉、妹、祖父、祖母……数えるだけでも大変ですね」
「王族だからな」
「それと、初等部からの友達が五人。アカデミーとは別に、個人で雇っている教師が三人。侍女と執事が二人ずつ。護衛の方が三人。あとは……庭師のトムおじいさんですね」
「けっこう多いな……ところで、なんで庭師と親しいんだ?」
「とても知識が豊富で、楽しい方なんですよ」

 散歩とかしている途中で知り合い、こっそりと交流を続けていた、というところだろうか?

 どちらにしても、思っていた以上に犯人候補が多い。
 どうやって絞っていくべきか?

「とりあえず、トムじいさんのところへ案内してくれ」
「トムおじいさんを疑っているんですか……?」
「まだなんとも言えない。ただ、知識が豊富なら手がかりを得られるかもしれないからな」

 それと、大抵は老人は交友関係が広いものだ。
 別の人から見たネコネの印象を聞いておきたい。



――――――――――



「貴様、これはどういうことだ!?」

 トムじいさんがいるという中庭へ移動すると、怒声が響いてきた。

 聞き覚えのある声だけど……

「この方を誰だと思っている? 将来、アカデミーを背負って立つ天才、フリス様だぞ!」
「ふふ」

 バカコンビ……もとい、ドグとフリスだった。
 なにやら庭師を怒鳴りつけている。

 ネコネが顔を青くしているところを見ると、あの庭師がトムじいさんなのだろう。

「フリス様を葉で汚すなど失礼極まりない。断罪する必要があるな」
「ですが、私の作業中はここに入ってはいけないと、そこに書いておりまして……」
「言い訳をするか、見苦しい! これだから平民は」
「まあまあ、ドグ君。そう、あまり怒らないであげてほしい。私は気にしていないよ」
「さすがフリス様。その寛大な心、見習いたいと思います」

 なにをしたいんだ、あの二人は?

 たくさんの生徒の前で俺に負けた鬱憤を晴らすため、あちらこちらで問題行動を起こしている、ということはちらりと風の噂で聞いたが……
 本当になにをやっているんだ?

「とはいえ、このままなにもなしでは示しがつきませんからね。私が直々に教育をしてさしあげましょう」
「そうですね。おい、フリス様の教育を受けられること、感謝しろ」
「困りましたな……」

 好戦的な二人に対して、トムじいさんはあくまでも落ち着いていた。
 慌てることなく、取り乱すことなく、常にマイペースだ。

 その余裕の正体は、もしかしたら……

「た、大変です、スノーフィールド君。助けに行かないと!」
「いや……たぶん、大丈夫だ」
「え?」
「おもしろいものが見られるかもしれないぞ」
「これが私の教育ですよ。エアランス!」

 フリスが風系初級魔法を放つ。

 風で編んだ槍を打ち出すもので、殺傷力は極めて低い。
 ただ、拳で殴られるのと変わらない威力があるため、質が悪いことに変わりはない。

 フリスの暴挙を目の当たりにして、トムじいさんは……

「……やれやれ」

 ワンステップ、横に移動することで魔法を回避した。

「「なっ!?」」

 フリスとドグが驚愕していた。
 それも仕方ないだろう。

 風魔法は威力は低いが、圧倒的に速い。
 魔法によっては、音を超える速度で飛翔するものもある。

 そんな魔法を、あの距離で、予備動作なしに回避されたのだ。
 フリスとドグはさぞかし驚いたことだろう。

「……」

 ネコネも驚いているらしく、目を大きくしていた。

「お前さん、非常時でもない限り、魔法は人に向けて放つものではないぞ」
「な、なにを……」
「貴様、フリス先輩にふざけた口をきくな! ファイアランス!」

 先に我に返ったドグが魔法を放つ。
 今度は火属性の魔法だ。
 初級だろうと、直撃したらタダでは済まない。

 しかし……

「……」

 トムじいさんはまったく動揺せず、落ち着いていて、再び魔法を避けてみせた。

「なるほど」

 なぜ、トムじいさんは魔法を避けることができるのか?
 そのからくりが理解できた。

 ただ、フリスとドグは理解できないらしく、目の前の光景が信じられないとばかりに瞬きを繰り返している。
 至近距離で魔法を何度も回避してみせる。
 それは恐怖を感じることだったらしく、二人は震えていた。

「さて」
「「っ!?」」

 トムじいさんが前に出ると、フリスとドグはびくりと震えて、後退する。

「やんちゃな生徒はおしおきをしなければいけないが……」
「くっ……お、覚えておきなさい! この屈辱、必ず晴らしてみせますよ!」
「あぁ!? 待ってください、フリス先輩!」

 脱兎の如き逃げ出す二人。
 貴族と言っていたような気がするが、とてもじゃないが高貴な姿には見えないな。
 この様子なら放っておいても問題はないだろう。

 それよりもトムじいさんだ。
 攻撃は回避していたけれど、もしかしたら見えないところで怪我をしていたかもしれない。
 俺の目も万能ではないからな。

「大丈夫か?」
「おや、これは……むっ」

 トムじいさんは、恥ずかしいところを見られたというような顔をして……
 次いで、鋭い表情に切り替わる。

 なんだ?

「どうして姫様が暴君と一緒に……」
「暴君? なんのことだ?」
「とぼけるか……そうか、もしや姫様によからぬことを? 姫様から離れよ!」
「えっ」

 トムじいさんがものすごい勢いで駆けてきた。

 一瞬で目の前に。
 大地を踏み抜くような勢いで一歩を出して、その力を拳に転換して打ち出す。

 ギィンッ!

 トムじいさんの拳は結界によって防がれた。

 今の一撃は完全な不意打ちで、俺も対応できなかったのだけど……
 こういう時のために、常に結界を展開している。
 ある程度の攻撃は防いでくれるから問題ない。

 とはいえ……

「おい、いきなり攻撃とはどういうことだ?」
「それは儂の台詞である。姫様に近づき、なにを企んでいる?」
「いや、俺は……」
「問答無用!」

 さきほどと違い、ものすごく苛烈だ。

 トムじいさんは、結界なんて気にしないとばかりに拳を連打する。
 そんなことをすれば、普通、拳の方が砕けるのだけど……

 その様子はない。
 むしろ、結界の方が砕けてしまいそうだった。

「マジか」

 結界を拳で砕くなんて、初めて見た。
 とある仕掛けがあるとしても、なかなかできることじゃない。

「面白いな」

 ニヤリと笑う。

 強者との戦いは好きだ。
 俺の魔法がどれだけ通用するか、確かめることができる。
 また、さらに成長して新しい魔法を習得、開発できる良い機会でもある。

 俺は魔力を練り上げて……

「やめてください!」
「「っ!?」」

 ネコネの叫び声に、俺とトムじいさんはピタリと動きを止めた。

 なんて大声。
 耳がキーンとする。

「なにか勘違いしているみたいですが、スノーフィールド君は悪い人ではありません。スノーフィールド君も、おじいさんとケンカをしようとしないでください」
「えっと……」
「あー……」

 トムじいさんと顔を見合わせて、

「「ごめんなさい」」

 揃ってネコネに頭を下げた。
 時に、男は女性にどうやっても敵わないものなのだ。
「さきほどはすまなかったのう……」

 カフェテリアに移動した後、トムじいさんが頭を下げてきた。

「姫様が暴君と一緒におるものだから、妙な早とちりをしてしまったよ」
「その暴君っていうのは?」
「お主のことじゃよ」
「うん?」
「遅れてやってきた新入生。首席の同級生を一蹴して、さらに上級生までも叩きのめした。その圧倒的な力から、一部では暴君と噂されているのだよ」
「マジかよ……」

 誰だ、そんな迷惑な噂を流したヤツは。

「本当にすまなかったのう」
「いいよ、謝罪を受け入れる」
「そんなに簡単に許していいのか?」
「別に大したことじゃないからな」
「大したことない、か……ふぉっふぉっふぉ、そう言われてしまうと自信をなくしてしまうのう」

 なんて言いつつ、トムじいさんは朗らかな笑みを浮かべていた。
 気持ちのいい人だ。

「それにしても、トムおじいさんはとても強かったのですね」

 ネコネが紅茶を飲みつつ、驚いた様子で言う。

「姫様、お忘れですかな? 儂は庭師ですが、姫様の護衛でもあるのですぞ」
「そうなのか?」
「あ」

 ネコネを見ると、すっかり忘れていた、という様子でつぶやいた。
 しっかりしているようで、けっこう抜けたところがあるのかもしれない。

 護衛が被っているが……
 トムじいさんは平時の、俺は緊急時の。
 そんな感じで役割が分けられているのだろう。

「まあ、大した魔法は使えないので、姫様がお忘れになるのも仕方ありませんが」
「そうか? トムじいさんは、十分すごい魔法使いだと思うが」
「ほう……どうして、そのように思うのかな?」
「身体能力を強化する魔法を使っていたじゃないか」

 魔力を外に放出するのではなくて、内に留めてエネルギーに転換する。
 そんな技術があるのだけど、誰にでもできるものじゃない。
 むしろ、ごくごく一部の者しか使えない高等技術だ。

 だからこそ、フリスとドグはトムじいさんの力を見極めることができなかったのだろう。

「体内の魔力を活性化させることで、身体能力を何倍にも高める……なかなかできることじゃない」
「詳しいのう」
「魔法は好きだからな」

 トムじいさんがネコネを影から護衛していたというのも納得だ。
 そして、先程襲ってきたのも納得だ。

 護衛からしたら、俺は不審者極まりないからな。
 早とちりしてしまうのも仕方ないだろう。

「トムじいさん……トムじいさんって呼んでもいいか?」
「ああ、かまわないよ」
「なら、トムじいさんはレガリアさんの護衛なんだよな?」
「うむ」
「いつから彼女の護衛を?」

 せっかくの機会なので、犯人探しも行おう。

「姫様がアカデミーに入学した時からじゃな」
「ってことは、もう9年近いのか……すごいな」
「なに。大した事件は起きておらぬから、誇れることではないさ」
「それはそれで退屈じゃないか?」
「とんでもない。姫様の安全が一番じゃからな。それに、このようなことを言うのは恐れ多いが、姫様のことは孫のように感じておる。そんな姫様の身を守ることができる栄誉は、とても素晴らしいものじゃよ」
「トムおじいさん……いつもありがとうございます」

 ネコネは感激した様子で言う。
 トムじいさんは少し照れた様子で、ごまかすように笑い声をあげていた。

「ふむ?」

 見た感じ、トムじいさんはネコネの呪いと無関係のように見えるが……
 彼女に向ける感情が少し気になるな。

 9年も一緒にいれば親しみを持つことは当たり前のことだ。
 でも、相手は王族。
 普通は、孫のようになんて思わない。
 乳母となれば、また話は別だろうが、彼はただの庭師なのだ。

「ところで……」

 小さな違和感はひとまず保留にして、情報収集に務める。

 ネコネの周囲で怪しい人物はいないか?
 どんな些細なものでもいいから、呪いに関する情報を持っていないか?
 彼女を恨んでいる、逆恨みをしている、利用しようとしている者はいないか?

 色々な質問をしてみるものの、全て空振り。
 トムじいさんはなにも知らず、力になれなくてすまないと頭を下げた。

「すまないのう……なにやら大変なことになっている様子。こういう時こそ儂が力にならなければいけないのに……」
「いえ、そんな! トムおじいさんが謝るようなことではありません」

 ネコネはあたふたと手を横に振る。

「いつも守っていただいて……そのことだけで、とてもありがたいです。いつもありがとうございます」
「姫様……もったいなきお言葉。もしもよろしければ、これからも姫様を護衛する栄誉を与えていただけませぬか?」
「ええ、もちろんです」

 ネコネとトムじいさんは笑みを交わす。
 二人の間に流れている信頼関係を表しているかのようだ。

 良い光景ではあるが……
 なるほど、そういうことか。

「レガリアさん、そろそろ行こうか。他にも聞き込みをしないと」
「あ、はい。そうですね」

 トムじいさんと別れて、ネコネと一緒にカフェテリアを後にした。

「あれ?」

 しばらく歩いたところで、ネコネが不思議そうに小首を傾げた。
 寮に向かっていることに気づいたのだろう。

「えっと……スノーフィールド君、どこへ行くのですか? 聞き込みをするのなら、アカデミー内の方がいいと思うのですが」
「聞き込みなんてしないさ。内緒話……対策やら色々考えたい」
「え?」
「あれ、レガリアさんは気づいていなかったのか?」

 足を止めて振り返る。
 ネコネはきょとんとしていた。

 気づいていなかったみたいだ。

「えっと……なにを、でしょうか?」
「犯人だよ」
「えっ」
「自白していたぞ」
「えっ、えっ」

 ネコネは瞬きを繰り返して、いつの間にそんなことが? と驚いている様子だった。
 寮の俺の部屋に移動した。

「なんていうか……す、すごい部屋ですね」
「そうか?」
「壁一面に本棚が……これ、何冊くらいあるのでしょうか?」
「1万3432冊だな」
「いっ……!?」

 ネコネが絶句した。
 本の冊数に驚いているのか、それとも、きちんと覚えていることになのか。

 俺の部屋は本で埋まっている。
 壁一面に本棚。
 収納にも本。
 テーブルの上にも本。

 全て魔法書だ。
 まだ読んでいないものが半分。
 目は通したけれど、何度も見返しておきたいものが半分。

「これ、全部魔法書なんて……すごいですね。でも、スノーフィールド君なら納得な気がします」
「これで全部じゃないけどな」
「えっ」
「十分の一くらいだな。寮の部屋は狭いから、これだけしか持ってこれなかった」
「す、すごいですね……」

 ネコネは呆然とした様子で本棚を眺めていた。

 興味があるのなら見るか?
 解説してもいい。
 珍しいものもあるから、一読しておくのもアリだ。

 ……そんな言葉が飛び出しそうになるけど、我慢した。

 魔法の話をすると、俺は止まらなくなるらしい。
 そんな時間はない。
 今はこれからのことを話し合わないと。

「それよりも、犯人に関する話をしよう」
「あっ……そ、そのことですけど、誰なのかわかったのですか?」
「逆に聞くけど、ネコネは気づかなかったのか?」
「えっと……?」
「犯人……あるいは、犯人に通じているのはトムじいさんだよ」
「えっ!?」

 答えを教えてやると、ネコネは声を大きくして驚いた。

 小さい頃から影で守ってきてくれた。
 それだけではなくて、プライベートでも仲良くしてもらっていた。
 ある意味で、親のような人。

 そんなトムじいさんが犯人と告げられて、ネコネはショックのようだ。

「大丈夫か?」
「……大丈夫ではない、です……けど……」

 ネコネは震えつつ。
 でも、しっかりとこちらを見て言葉を紡ぐ。

「スノーフィールド君のことだから、しっかりとした根拠があるのですね?」
「ああ」
「間違いではない?」
「そうだな」

 トムじいさんが犯人なのか、あるいは、犯人と通じている者なのか、そこはまだわからない。
 ただ、ネコネの呪いに関与していることは確定だ。

「簡単な話だ。カフェテリアでの話を思い返してくれ」
「えっと……」
「トムじいさんに色々と聞いたよな? その中に、呪いをかけた人物の心当たりも聞いたよな?」
「そうですね。でも、トムおじいさんは心当たりはないと」
「そこがおかしい。ネコネに呪いがかけられているなんて普通は知らないのに、どうして、トムじいさんは普通に話を受け入れた?」
「あ」

 そういえば、という感じでネコネは小さな声をあげた。

 俺がトムじいさんに呪いの話を持ち出した時。
 彼は驚くわけでも問い返すわけでもなくて、知らないと言った。
 ネコネに呪いがかけられているなんて、普通は知りようもないのに。

 つまり、彼が呪いをかけた張本人。
 あるいは、その関係者だ。

「初等部の頃から一緒。定期的に接触する。魔法が得意。トムじいさんは、それらの条件に全て当てはまっているからな」
「確かに……」
「王族に呪いをかけるなんて命知らず、そうそういないと思うから、トムじいさんが主犯だと思うが……まあ、共犯者がいる可能性もゼロではないから、そこは調べていく必要があるな」
「……」

 ネコネは暗い顔をして、軽くうつむいていた。
 わずかに見える表情は、今にも泣いてしまうそうな子供のようだった。

「……レガリアさんは、ここまでにしておくか」
「え」
「後は俺がなんとかしておく。そうだな……三日もあれば十分だろう。その間に呪いを解除するから、レガリアさんは吉報を待っててくれ」
「それはダメです」

 さきほどまでの様子はどこへやら。
 ネコネは強く凛とした様子で、俺の言葉に異を唱える。

「これは私の問題です。そして、私がスノーフィールド君に相談して、巻き込みました。それなのに、私だけが安全圏でぬくぬくするわけにはいきません」

 王族とは思えないくらい、強い女性だ。
 いや。
 王族だからこそ、なのか?

 どちらにしても、彼女の決意が固いのはわかった。
 なら、こちらも遠慮しない。
 どんな結末が待っていようと、最後まで付き合ってもらうことにしよう。

 ネコネにかけられた呪いを解除して、犯人を突き止める。
 突き詰めれば、これも任務の一貫だろう。

「共犯がいるかいないか。それについては、ちょっとした伝手があるからそちらで調べてもらう。一日二日もあれば答えは出るだろう」
「そんなに早いんですか?」
「ターゲットが絞られているなら、あとは身辺調査を行うだけだからな」

 逆に言うと、ターゲットが絞られていないと果てしなく難しく、時間がかかる。
 絞るまでがなかなか難しいのだ。

「呪いの解除だけど、本人に解除させるか、あるいは捕まえて上書きするのを阻止。落ち着いたところで少しずつ解呪していく。まあ、手っ取り早いのは前者だな」
「応えてくれるでしょうか?」
「どうだろうな。動機によると思う」

 営利目的なら交渉の余地はある。
 ただ、怨恨関係だとしたら難しいだろう。

「そもそも、トムじいさんはなんでネコネに呪いをかけたんだろうな?」

 そこが謎だ。

 見た感じ、トムじいさんは本気でネコネを慕っているように見えた。
 あの笑顔で実は憎んでいます、とかなったら、ものすごい役者だ。

 憎んでいるから呪いをかけて嫌がらせをしました、っていうのもちと微妙だ。
 嫌がらせにしては中途半端。
 もっと苦しめる方法はいくらでもある。

 9年近く、呪いをかけ続けて……
 それでいて護衛を続けていた。

「トムじいさんは、なにがしたいんだ?」
「……」

 俺の言葉を受けて、ネコネは考えるような仕草をとる。
 ややあって口を開いた。

「私に、トムおじいさんとお話をさせてくれませんか?」
 三日後。

 王家御用達の諜報員により、トムじいさんの身辺が徹底的に調査された。
 その結果、共犯者はいないということが判明。
 ネコネの呪いは彼一人の犯行と確定した。

 そして……

「すみません。お仕事でお忙しい中、このようなところへ来てもらい……」

 俺とネコネは、トムじいさんを再びカフェテリアに呼び出した。

 俺達以外にも客や店員がいるが……
 それらは全てフェイク。
 王家が用意した諜報員だ。

 これなら逃げることは不可能。
 抵抗されたとしても、すぐに制圧できるだろう。

「なに、構いませぬ。姫様のような美しいレディとお茶ができるのは、儂にとってご褒美ですからな」
「まあ、口がうまいですね」

 何度見ても、トムじいさんからはネコネに対する悪意が感じられない。
 でも、彼が呪いをかけていることはほぼほぼ確定した。

 動機が気になるが……
 まあその辺りは、事件を解決してからゆっくりと聞けばいいか。

「それで、今日はどうされたのですかな?」
「悪い。俺がレガリアさんに言って、呼んでもらった」
「ふむ」
「単刀直入に聞く……ネコネに呪いをかけたのは、あんただな?」
「……」

 トムじいさんは朗らかな笑みを浮かべたまま……
 しかし、その身にまとう気配が鋭いものに変わる。

「はて? なんのことですか」
「とぼけるな。証拠は出ている」

 テーブルの上に書類を並べた。

 トムじいさんが呪いに関する魔法書を購入した記録。
 呪いに必要な触媒を購入した記録。
 ……などなど。

 調べれば調べるほど色々と出てきた。
 故に、ネコネに呪いをかけたのは他にありえない、という結論になったのだ。

「これらは状況証拠で、儂が犯人という決定的な証拠にはならないのでは?」
「そうだな。ただ、決定的な証拠をお望みなら、多少時間はかかるが用意してやるさ。ここまで大胆に動いているんだ。絶対に証拠は出てくる」
「……」
「今、罪を認めるか先延ばしにするかの違いだ。どうする?」
「ふぅ」

 トムじいさんは小さなため息をこぼした。
 それから苦笑する。

「まさか、このようなところでバレてしまうとは」
「それは自白と考えていいんだな?」
「うむ」
「っ」

 トムじいさんが頷いて……
 ネコネが傷ついたような表情に。
 状況証拠は出揃っていたが、それでも信じたい気持ちがあったのだろう。

「どうして、このようなことを?」
「姫様のためですな」

 迷いもなく、トムじいさんは即答した。

「……それは、どういう意味だ?」
「魔法は便利な力ではあるが、しかし、時に使用者を傷つける刃となる。とても危ないもので……そのようなものに姫様に関わってほしくなかったのでな」
「……」
「……」
「うん? まさか、今のが理由の全てなのか?」
「ええ」
「……」

 なにを考えているんだ、こいつ?
 あまりに理解不能な回答に、ついつい言葉を失ってしまう。

 その間、トムじいさんはどこか陶酔めいた表情で語る。

「姫様には魔法なんかに関わってほしくないのですよ。それなのに、魔法学院に通うと言い出して……だから、魔法を使えなくする呪いをかけた。そうすれば、魔法を学ぶことを諦めると思ったのだけど……」

 それでもネコネは諦めなかった。
 無能とバカにされても、9年、がんばり続けた。

 ……少し腹が立ってきたな。

「そんな自分勝手な理屈でネコネから魔法を奪ったのか?」
「ええ」
「あのな……そんなバカな話、聞いたことがないぞ。ってか、お前には関係ないだろ」
「関係ありますとも」

 トムじいさんは笑う。
 優しく、慈愛に満ちた表情を浮かべる。

「儂は、姫様のことを実の孫のように思っていますからな」
「あんた……」
「孫の近くに刃物が置かれていたら、誰もがそれを遠ざけるじゃろう? 儂は、それと同じことをしただけのこと。全ては姫様を思ってのことじゃ」

 マジで言っているのか?

「……」

 目はマジだった。

 護衛が対象に親近感を抱くという話は聞いたことがある。
 命を賭けて守る相手だ。
 それなりの情を抱くことは、よくあるのだけど……

 だからといって、本当の孫のように思い、過度に接するなんてこと、聞いたことがない。

「そう、儂がしたことは孫を守るためにしたこと。なにも問題はない」
「なら、解呪するつもりはないと?」
「ない」

 即答だった。

「そっか」

 俺はにっこりと笑い、

「エアロランス」

 ゴガァッ!

 魔法を放ち、テーブルとイスが吹き飛んだ。
 ただ、トムじいさんは驚異的な身体能力で避けていた。
 こうなる展開を読んでいたらしく、あらかじめ身体能力強化魔法を自分にかけていたみたいだ。

「ちょ……す、スノーフィールド君!?」
「悪い、レガリアさん。俺、魔法をこういう風に悪用するヤツ、大嫌いなんだ」

 俺は魔法が好きだ。
 心底惚れている。

 だからこそ……
 こんな歪んだ方法で人を縛りつけておいて、魔法を悪用して、まるで反省していないヤツを見ると我慢できなくなってしまう。

 ついでに……

「すまん、嫌な話を聞かせた」
「……あ……」

 ネコネの頬に指先をやり、流れていた涙を拭いた。

 彼女が泣いているところを見ると、不思議とこちらも腹が立つ。

「さあ、おしおきの時間だ」
「いきなり魔法を放つとは……君は、姫様の隣にいる資格はないのう」
「あんたに言われたくない」

 睨み合い……

「ふっ!」

 息を吐くと同時に、トムじいさんが突撃を開始した。

 速い。
 身体能力を強化しているから、風のようだ。

「動くな!」
「おとなしく……がっ!?」

 周りにいた諜報員が動くけど、返り討ちにあってしまう。

 歳の差なんて感じさせない動きだ。
 というか、経験値が圧倒的に向こうの方が上なので、諜報員では手も足も出ない様子だ。

「俺がやるから、レガリアさんを頼む」
「はっ……」

 諜報員達は苦い顔をしつつも、実力差を理解したらしく、ネコネを連れて後ろに下がる。

「スノーフィールド君!」
「なんだ?」
「その、あの……本来、このようなことは頼めないのですが、しかし……」
「わかった」
「え?」
「殺さない」

 誰のことを指しているか理解したのだろう。
 ネコネは頭を下げて、後ろに下がった。

「待たせたな」
「なに。姫様を巻き込むわけにはいかないからのう」
「じゃあ……」
「始めるとしよう、ゆくぞ」

 再びトムじいさんが駆けた。
 床を踏み砕くような勢いで蹴り、超加速。
 一瞬で視界外へ移動してしまう。

 ただ……

「甘い」
「む!?」

 背後に回り込んだトムじいさんが拳を繰り出してくるが、俺は振り返ることなく、それを回避した。
 そのまま腕を掴み、背中に背負うようにして投げる。

 ダンッ!!!

 カフェテリアの床を割る勢いで、トムじいさんを叩きつけた。
 ただ……

「ふんっ!」

 トムじいさんは両手を床について、腰を回転させつつ、両足をこちらにぶつけてくる。
 ダンスをしているかのような動きで、かなり変則的だ。
 それ故に動きを見切ることが難しい。
 いくらか攻撃を受けてしまう。

「厄介な技を」
「儂の専門は格闘術でのう。魔法使いとしては、やりづらいじゃろう?」
「確かにやりづらいな」

 殴り合いは趣味じゃない。
 やはり派手な魔法の撃ち合いの方が楽しい。

 でも、

「なんじゃと!?」

 ほどなくしてトムじいさんの足捌きを見切り、全ての攻撃を回避した。
 その上でカウンターを叩き込み、数メートルほど吹き飛ばす。

 とはいえ、それはトムじいさんが衝撃を逃がすために自分で跳んだだけ。 
 実際に大したダメージはないらしく、すぐに起き上がる。

「器用な真似をするな」
「……それは儂の台詞じゃ。お主には初めて見せる技なのに、即座に対応するとは」
「あれくらい、脅威のうちに入らないからな。初見で驚いただけで、対処するのは簡単だろう?」
「言ってくれる」

 トムじいさんは呼吸を整えると、再び突撃してきた。
 今度はまっすぐ、真正面から突っ込んできた。
 さきほどのような速さはない。

 ただ、一歩一歩が重い。
 たくさんの力が込められている様子で、妙な威圧感を感じる。

「これは……」

 そうか、なるほど。
 トムじいさんがやろうとしていることを理解した。

 さて、どうするか?

 トムじいさんがやろうとしていることは、多少、時間がかかる。
 妙な威圧感を放ち、しかし距離を詰めてこないのは時間稼ぎだ。

 先手を打つと楽に戦いを進められるだろうが……
 でも、そうだな……あえて受けて立つか。

 これは、おそらくトムじいさんの切り札。
 それを真正面から受けて、そして、完膚なきまでに叩きのめす。
 そうすることで心を折ることにしよう。

「ふぅううううう……」

 トムじいさんは深く息を吸う。
 準備完了だ。

「はぁっ!!!!!」

 トムじいさんの魔力が爆発的に高まった。

 あらかじめ溜め込んでおいた魔力を、ここぞという時に一気に解き放つ。
 遅延魔法と似た原理の技だ。
 そうすることで、通常使う魔法が数倍の威力に跳ね上げる。

 爆発的に膨らんだ魔力を、トムじいさんは全て身体能力強化に回した。
 その結果、音を超える速さで動いた。

 ふっ、と消えた後には真横に回り込んでいて、音が遅れてやってくる。

 周りにいる諜報員はなにも見えていない、気づいていない。

 ネコネも見えていない。
 ただ、なにか起きていると気づいているらしく、慌てていた。
 センスがある。

「終わりじゃ」
「あんたがな」
「なっ!?」

 きっちり反応してやると、トムじいさんは驚愕に目を大きくした。
 それでいて、超速で拳を突き出してくる。

 ただ……甘い。

「遅いな」

 俺は、トムじいさんのさらに上をいく速度で動く。
 彼の拳をミリ単位で避けると同時に、彼の腕を掴んで逃げられないようにした。

 そのまま腕を引き寄せて、ゼロ距離まで接近する。
 それと同時に膝を腹部に叩き込む。

「がっ!?」

 体勢が思い切り崩れたところで、足を引っ掛け、地面に倒す。
 倒した状態でも腕を掴んでいたため、あらぬ方向に曲がり、鈍い音と共に折れる。

 それでも反撃を狙っている様子なので、脇腹を蹴る。
 いくつか骨を折り……
 動けなくなったところで、頭の脇スレスレを踏み抜いた。

「っっっ!!!?」

 こめかみに衝撃が伝わり、トムじいさんの運動機能を一時的に麻痺させた。
 意識は残ったままだけど、これでしばらくは動くことができない。

「お主……なぜ、このような力を……魔法使いでは……」
「そうだな、俺は魔法使いだ。ただ……」

 言い放つ。

「格闘術が苦手なんて誰が言った? 俺は、なんでもできるオールラウンダーなんだよ」
「姫様! なぜ、この儂にこのような仕打ちを!?」

 トムじいさんを逮捕したのだけど……
 彼は諦めが悪く、取り押さえられた後も暴れていた。
 かなりのダメージを与えたはずなのに元気なものだ。

「儂は姫様のためを思い、あえてこのようなことを……! 孫のように思う姫様に害を成すつもりなど、毛頭ありませぬぞ! 儂のしていることこそが正しいのです!!!」
「……」

 必死に訴えてくるトムじいさんを見て、ネコネは辛そうな表情に。

 仕方ないだろう。
 幼い頃からの知り合いで、ずっと守ってきてくれた。

 トムじいさんにとってネコネが孫のようなら、ネコネにとってトムじいさんは祖父だ。
 そんな祖父から歪な感情を向けられていたなんて、普通、耐えられない。

「レガリアさん」
「……あ……」

 ぽん、と彼女の肩を叩いた。

 彼女は護衛対象だけど、でも、必要以上になにかをする必要はない。
 慰めの言葉なんていらない。

 そのはずなのに……
 気がつけば、俺は勝手に口が動いていた。

「トムじいさんのこと、気にしてもいいし気にしなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「俺は当事者じゃないから適当なことしか言えないが……ぶっちゃけた話をすると、向こうが勝手に期待していることだ。押しつけている、と言ってもいい」
「それは……」
「ただ、それを受け止めるか。あるいは無視するか。それもまた、レガリアさんの自由なんだ」
「……自由に……」
「相手の期待に応えてもいい。無視してもいい。その選択権もまた、レガリアさんが持っていることを忘れないでくれ」
「……」

 ネコネは、少し考えるような顔に。

 ややあって、トムじいさんの方に一歩、前に出た。

「姫様、儂は……!」
「私は」

 トムじいさんの声を遮り、ネコネが凛とした表情で言う。

「……あなたのことを、本当の祖父のように慕っていました」
「おぉ!」

 ネコネの言葉に、トムじいさんは目を輝かせる。

 しかし、気づいていないのだろうか?
 ネコネは、いつものように『トムじいさん』と呼んでいないことに。

「ですが」
「……姫様?」
「あなたが本当の祖父であろうとなかろうと、私の生き方を勝手に決めることは、決して許されることではありません!」
「え、あ……し、しかし、それは姫様のためを想ってのことでして……」
「そのようなことを頼んだ覚えはありません。あなたのしてきたことは、ただの独りよがりな独善です。私の9年を返してください!!!」
「っ……!!!?」

 これ以上ないほどの拒絶を叩きつけられて、トムじいさんはふらりとよろめいた。
 立っている力がなくなったらしく、その場に膝をついてうなだれる。

 そのまま無理矢理立たされて、連行された。
 彼がネコネに会うことは、もう二度とないだろう。

「……行きましょう」

 ネコネに頷いて、カフェテリアを離れた。

 ただ、すぐ寮へ向かうわけではない。
 ネコネは屋上に登り、俺もなにも言わずついていく。

「……」

 いつの間にか空は赤くなっていた。
 その夕日を眺めるネコネは、一枚の絵画のように綺麗だ。

 ただ、その表情は悲しみであふれている。

「……スノーフィールド君」
「なんだ?」
「私は……これでよかったのでしょうか?」
「さあな」

 冷たいと思われるかもしれないが、俺は答えを持っていない。

「正しいか正しくないか。それを判断できるのは、レガリアさんだけだ」
「そう、ですよね……」

 ネコネはうつむいて、

「っ!」

 次いで、こちらに抱きついてきた。

「レガリアさん?」
「少しだけでいいです。少しでいいから……胸を貸してください」
「……ああ」

 そっと、ネコネを胸に抱いた。
 彼女の表情は見えない。わからない。

 ただ……
 涙で濡れていることはわかる。

「あんなことを言ってしまいましたが、私、完全にトムおじいさんのことを嫌いにはなれません。なれませんでした」
「ああ」
「本当は、まだ、どこかで優しい笑顔を見せてほしいと思っていて、のんびりと他愛のない話をしたいと思っていて……優しかったんです。あんなことをされていましたけど、でも、とても優しくて、温かい人だったんです」
「ああ」
「好きでしたけど、でも、許せない気持ちもあって……私は、私は……!」
「いいさ」

 彼女の方は見ない。
 そのまま声をかける。

「割り切れないことは色々とあると思う。それを我慢する必要はないさ」
「我慢しなくても……いいのですか?」
「いいんじゃないか? なんでも溜め込むよりは、適度に発散した方がいいさ」
「そうでしょうか……? 我慢しなくてもいいのでしょうか?」
「いいさ」

 あえて言い切る。
 それが必要だと、そう思った。

「俺は、ここにいるから」
「はい」
「でも、なにか聞くことはないし、聞こえてもいないから」
「はい」
「だから、好きにするといい」
「……はい」

 そして……

 しばらくの間、ネコネの鳴き声が響いた。
 数日後。

「おはようございます」

 教室に行くと、ネコネが笑顔で挨拶をしてきた。

 トムじいさんの件で、ここ最近、落ち込んでいたものの……
 今日はいつもと変わらない様子だ。

 立ち直ったのか。
 それとも、表には出さない程度に気持ちの整理をつけることができたのか。

 どちらなのかわからないが、元気になったのはいいことだ。

「スノーフィールド君!」
「うん?」
「私、今日から魔法を使えるようになりましたか!?」
「そうだな……」

 呪いの重ねがけは防ぐことができた。
 あれから、解呪も行っておいた。

 問題は全て解決したはずだから、魔法を使えるようになっているはず。

「放課後、試してみるか」
「はい!」



――――――――――



 そして、放課後の屋上。

「ファイア!!!」

 ありったけの気合を込めて、ネコネが魔法を唱えた。
 ぽわっ、という感じで、指先に小さな火がつく。

「あ、あああ……」

 ゆらゆらと燃える小さな火。
 それを見たネコネは、声を震わせて体を震わせて……

「で、できました! できましたよ、スノーフィールド君!?」
「熱っ!?」

 火をつけたまま抱きついてくるものだから、制服が燃えそうになってしまう。

「あああっ、ご、ごめんなさい!?」
「いや、いいさ」

 あたふたと慌てるネコネに、気にしていないと、俺は小さく笑ってみせた。

 今までずっと使えなかった魔法をようやく使うことができた。
 その気持ちは、俺もわかるつもりだ。

 初めて魔法を使うことができた時の感動。
 あれは、一生忘れられない。

「それにしても、魔法って難しいんですね……あんな小さな火を生み出すだけで、ものすごく疲れてしまいました……私って、才能がないのでしょうか?」
「そんなことはないさ。レガリアさんは、今まで魔法を使えない状態だったからな。例えるなら、まったく運動をしていない人が突然リレーをしたようなものだ。いきなりうまくいくわけがない」
「なるほど」
「まずは体を慣らして、それから練習を積み重ねていけばいい。理論はしっかりと学んでいるから、慣れれば一気に上達すると思う」
「はい。がんばりますね、師匠!」
「だから、師匠はやめてくれ……」
「ふふ」

 ネコネがいたずらっぽく笑う。

 一緒にいるようになって判明したのだけど、彼女は礼儀正しいように見えて、けっこうないたずら者でもある。
 親しい人には子供のような一面を見せることが多い。
 それもまた、彼女の魅力なのだろう。

 ……うん?
 そうなると、俺もネコネの親しい人になるのだろうか?

 そんな者は、別に……

「見つけたわ!」

 突然、第三者の声が乱入してきた。
 何事かと振り返ると、ネコネと同じ髪の色をした女の子が。

 輝く銀色の髪は、左右に分けてツインテールにしている。

 くりっとした瞳と、ちょこんとした鼻。
 童顔で、けっこう下に見えるのだけど……
 中等部の制服を着ているところを見ると、そこまで歳は離れていないのだろう。

 体の起伏は平坦。
 ただ、将来はとんでもない美人に化けるだろうという、可能性を感じた。

「アリン!? どうしてここに……」

 アリン・レガリア。
 ネコネの妹であり、第四王女でもある。

 アリンは肩を怒らせつつ、ツカツカと歩いてきた。
 俺の目の前で止まると、ビシッと指さしてくる。

「ちょっとあんた! お姉ちゃんになにをしているのよ!?」
「……俺のことか?」
「他にいないでしょ! 答えなさい。こんなところでお姉ちゃんと二人きりになって、なにをしているの!?」
「魔法の訓練だが」
「嘘つかないで! 本当はよからぬことを考えていたんでしょう!?」
「よからぬこと、っていうのは?」
「そ、それは……言葉にもできないような、ピンク色のいやらしいことで……」
「なんだ、それは?」
「わ、わかるでしょう!? ここまで言えば!」
「わからないから聞いている」
「そ、そんなことを言われても、これ以上はあたしの口からなんて……そんな、あんなことやこんなことを……お姉ちゃんにそんなことをするなんて許せない! コロス!!!」

 突然、キレた。

 なんだ、この生き物は?
 ネコネの妹とは思えないくらい、落ち着きがないのだが。

「アリン、どうしてここにいるんですか?」
「くううう、あたしのお姉ちゃんがこんな馬の骨にとられちゃうなんて、そんなのダメ。ダメダメダメ! 絶対にダメなんだから」
「アリン、ちょっと落ち着いてください」
「お姉ちゃんはあたしのものなんだから。いつも優しくて甘やかしてくれて、それで、あたしのお嫁さんになってくれる、って約束もしているんだから」
「……」
「あんたなんかにお姉ちゃんは渡さないわ! さあ、今すぐに……」
「えいっ」
「ふぎゅ!?」

 ネコネはアリンの首をコキッとやった。

 アリンは白目を剥いて倒れるのだけど……大丈夫か?
 今の、気絶させるには有効な方法だけど、専門職以外がやると事故に繋がりかねないのだが。

「えっと……」
「妹が失礼なことを言って、すみません……」
「やっぱり、妹さんだよな? 第四王女の」
「知っているんですね」
「容姿くらいは、さすがに。とはいえ、直接言葉を交わしたのはこれが初めてだから、どういう性格をしているのかはわからないけど」

 こういう性格というのは予想外だった。
 たぶん、ネコネのことが好き……シスコンというやつなのだろう。

「迷惑かけてすみません。今日は、妹を連れて帰りますので……」
「ああ、わかった。じゃあ、また明日」
「はい、さようなら」

 ネコネはにっこりと笑い、この場を後にする。
 笑顔で気絶した妹を引きずるのは、なかなかシュールな光景だ。

「あれが第四王女……か」

 この先、面倒事になるような予感がした。