【長編版】誕生日に捨てられた記憶喪失の伯爵令嬢は、辺境を守る騎士に拾われて最高の幸せを手に入れる

「……わかったわ。でもビルを絶対に傷つけないで、それからビルは解放して、もちろん森の入口まで連れて行って」
「ほお、自分を犠牲にしてこいつを守ろうってか? 泣けるね~」

 ビルの服を掴んでいた男は腕を離してリーズのほうにビルを投げつける。

「──っ! ビル……!」

 なんとかビルを受け止めたリーズはぎゅっと彼を抱きしめる。

「さあ、約束だぜ。おとなしくこっちきな!」
「きゃっ!」

 リーズは男に引き寄せられると、そのまま腕を掴まれて抵抗できなくなる。

「話が違うじゃないっ! ビルを森の入り口まで……」
「うるせえ! 自分の状況がわかってねえようだな」

 少し痛い目にあわせてやる、と男が言いながら刃物をリーズに向ける。

「──っ!!」

 もうだめかもしれない、そう思ったリーズだったがいつまで待っても何の衝撃も訪れない。

「……?」

 リーズはそっと閉じていた目を開くと、そこには見知った狼がいた。

「シロっ!」
「(たくっ! こんな輩に絡まれるとは、お祓いでもしてきたほうがいいぞ)」
「なっ! 兄貴ーっ!!」

 シロはその大きな肉球でリーズに襲い掛かろうとした男を踏みつけて動けなくしていた。
 男はその衝撃で気を失い、もう一人の男はシロの姿におびえてガタガタを震えている。

「ま、魔獣……?」
「(ふん、手を出した相手が悪かったな。ほら、騎士様が駆け付けたぞ)」

 リーズを捕らえていた男の首筋に剣が突きつけられた。

「離してもらおうか、私の妻を」
「──っ!!」
「ニコラ……」

 リーズの視線の先には剣を男に向けながら、睨みと怒りの声を出したニコラがいた。
 男がリーズを解放すると、ニコラはリーズを優しく片腕で抱きかかえる。

「君を怖い目に合わせた奴らに最大級の恐怖を与えるから待ってて」

 そう言ってニコラは、平常心を失いナイフを向けてきた男と交戦する。

「シロ、そちらの男は押さえつけたままにしておけよ」
「(私に命令するとはいいご身分だな)」

 シロが一人の男を押さえつけて動かなくしている間に、ニコラがもう一人の男と戦う。
 ナイフをくるくると回しながらニコラに素早く切りかかる。

「俺がナイフさばきで負けるわけねえだろぉ!!!」
「ふん、誰にものを言っている」


 ──勝敗はすぐに着いた。
 王国でも凄腕の剣技を持つニコラに敵うわけもなく、男はすぐさま捕縛された。

「リーズを守るのが俺の役目。命を懸けて」

 ニコラは男たちを捕縛した後、いつもの優しい微笑みでリーズの元に向かった──
「シロ、本当にありがとう」
「(構わん、ニコラが心配するから早く家に帰りなさい)」
「うん、ありがとう。風邪ひいちゃだめだよ」
「(魔獣が風邪など引くか)」
「もう、強がっちゃって……」

 そんなたわいもない話をしながらリーズは久々に会ったシロとの話を楽しむ。
 と同時に、すぐに来てしまう別れに寂しさも感じていた──


 その晩のこと、リーズは人さらい犯の男たちを王国警備隊に引き渡したニコラと温かい紅茶を飲みながら話をしていた。

「怖かっただろう」
「いいえ、だってシロとニコラが来てくれたもの……!」

 リーズは紅茶を一口飲むと目の前から視線を感じて顔をあげる。
 すると、ニコラの顔が目の前にあり、驚いて目をまんまるくした。

「──っ!!!」
「本当は?」
「え?」
「本当は怖かったんじゃないの?」

 そう言われてリーズは少し目を泳がせた後で、俯きながら小声で呟く。

「……かった……」
「ん?」
「怖かったわ。すごく、もうニコラに会えないんじゃないかって」
「シロじゃなくて?」
「え?」
「さっき来てくれたって言った時に、俺より先に『シロ』って言った」

 見ると、ニコラは少し口をとがらせて目を逸らしている。
 そんな様子を見たリーズをニコラの顔を無理矢理に自分のほうへと向けた。

「──っ!!」
「もうっ! 私の中ではニコラもシロも大事なの! でも……」

 少しそこまで言っていて自分の中に沸いてくる感情に少し戸惑った。

(あれ……この間まで二人とも大事って思ってたのに、なんだか変……。だって、ニコラのことを優先に考えちゃう)

「リーズ?」
「なんでもないっ! ニコラ、今日は助けてくれて本当にありがとう。来てくれて嬉しかった。それにかっこよかった」
「初めてリーズにかっこいいって言われた気がする」
「そうかしら?」

 二人は目を合わせて笑いあいながら紅茶を飲んで夜通し話をした──


 翌日、ニコラが仕事に出た後のこと。
 リーズはお鍋のスープの表面に映る自分の顔を眺めながら、ぼうっと考えていた。

(なんかざわざわする……今までニコラが仕事に出たときも何とも思わなくて送り出してたのに、なんだか……)

「寂しい……」

 スープに塩を入れた後、また手が止まって考え込んでしまう。

「──っ!!」

 スープのぐつぐつと煮えたぎる音でリーズは我に返って慌てて火を止める。
 煮込みすぎたスープはなんだか水分がなくなり、ドロドロ状態になっていた。
 鍋の縁にある焦げつきがスープの減り具合を表している──

(ダメだ、キャシーさんに相談してみよう。同じ女性ならわかるかもしれない……)

 リーズはエプロンを脱いで椅子にかけると、軽く髪を整えてキャシーの元へと向かった。



「恋だよ」
「へ?」

 リーズの悩みはいとも簡単に解決した。
 その答えに最初は頭が追いつかないリーズだったが、次第に脳内がクリアになってきたようで、顔を赤くして目をぱちくりさせている。
 ハーブティーを用意しながらキャシーは端的にそう答えたが、リーズのあまりの固まりぶりにちょっといきなりすぎたかしらと口元を抑えた。
 テーブルに二人ともつくと、リーズは口をパクパクさせながらキャシーに問いかける。

「その……恋ってその、あの」
「う~ん、まだ愛って感じじゃないだろうね~恋だね。うん」

 まさか自分が恋を今更自覚しているとは思わず捲し立てるように話す。

「でも! ニコラとはその……曲がりなりにも夫婦で、その愛情はあって、今までも大事に思ってたというか」
「まあ、おそらくニコラは愛だろうね。リーズもニコラの事を大事に思っているのは間違いないと思うよ。でも、たぶん二人はすっ飛ばしたんだよ。『恋』の過程を」
「恋の過程……?」
「ああ、記憶が戻らないまま夫婦になって、一目惚れでもない人間と家族になった。家族としては好きだろうけど、恋人として意識してなかったんだよ」

 そこまで言われてリーズには思い当たる節がいくつかあった。
 昔は思わなかったのに、最近はニコラに可愛く思われたいと思う。
 昔は思わなかったのに、昨日は近づけられた顔を見て心臓が止まりそうになった。

 今まで感じていたふわっとした家族愛のようなものとは別の、なんだかときめくようなそんな気持ち。

「そっか、恋……」

 リーズの頭の中にたくさんのニコラの笑顔と声が思い浮かばれる。

(ああ、早く会いたい。会ってその声を聞きたい)

 キャシーはもう何も言う必要ないね、と心の中で思いそっとリーズを、二人を見守ることにした。


 リーズは自分を助けてくれた騎士に恋をした──



◇◆◇





 リーズは村の畑仕事を終えて家路につこうとしていた時に、森の方に人影が見えた。

(ん……? こんな時間にどうしたんだろう)

 そこには二コラが誰かと話す姿があった。
 ニコラっ!と声をかけようと近づいた時にもう一人の人影が見えて、思わず反射的に木の陰に隠れた。

「これでいいんだよな?」
「ああ、これでうまくいくはずだ」

(なんだか怖い顔……とても近づけない……)

 会話はそこまでで途切れてしまい、あとの声は聞こえない。
 二人は何かを手渡した後、そのまま森の奥に行ってしまった──

 ある日、フランソワーズとビルと一緒に遊んでいたリーズはニコラに呼び止められる。

「リーズ!」
「ニコラ、どうしたの?」

 馬から降りたニコラはリーズを抱きかかえて再び騎乗する。
 その様子はまさに騎士そのもので、リーズは顔を赤くしてドタバタした。
 ビルはその様子を見てひゅーひゅーと声をあげて、隣にいるフランソワーズに制止されている。

「降ろしてっ!」
「どうして」
「恥ずかしいから」
「大丈夫、みんな見てもリーズのことを可愛いって思って見てるだけだから」
「もうっ! そんなわけないでしょ」

 そんなことを言っていると、ごめん時間ないから飛ばすねと呟いたニコラを馬に指示を与えて走り出す。

「きゃっ!」
「しっかり俺に掴まってて」
「え、どこに行くの?!」
「ないしょ!」

 リーズとニコラを乗せた馬はまっすぐ森を抜けていく。
 初めて受ける風とあまりの速さにリーズはニコラにしがみついた。

「ふふ、君が抱き着いてくれるなら、今度また馬で出かけようかな」
「結構怖いわよ!」