「わあ!」
「そうそう、それでいいんだよ」
少し不格好な形ではあるが、なんとか耕すことができたリーズはまだまだ遠くまで広がる土地を一目見てふう、と息を吐く。
(これ、全部セリアおばあちゃんがやってたんだ)
広大な土地を老人である女性一人でやっていたのだと知り、リーズは驚くも、畑の作業はもちろんこれにとどまらない。
ようやく自分の周辺だけ耕せたのを見てセリアはそれでいいよと言った様子で合格を出す。
そこで今度は畝を作るという作業を教える。
「そしてここに種を植えるんだ」
「なんで指のここくらいまでなの?」
「これはね、あまり深いと芽が地面からでなくなるからだよ」
「へえ~」
今までこのようなことをしたことがないリーズは、土がついた手を気にせず頬をなでてしまう。
「ああ~ほら、綺麗な顔につくよ」
「え?」
顔に土がついたのを女性は首に巻いていた布でふき取ってくれる。
「ありがとう、セリアおばあちゃん」
まるで本当の祖母と孫のように笑いあう二人の声が畑に響き渡った。
最後に水をやって一旦は完成という形で終了した。
「おばあちゃん」
「なんだい?」
「明日からも作業手伝ってもいい?」
「まあ、いいんかい? 嬉しいけどニコラにも話して許しを得てからだよ」
「は~い」
報告を聞いた二コラは初めこそ驚き、そして怪我をするのではないかと心配したが、食事をしながら今日の話をしているうちに笑顔になり、翌日以降もリーズは畑の作業をしていいことになった。
「セリアおばあちゃ~ん」
「おはよう、今日もよろしくね~」
「うん!」
リーズが少しずつ村の作業を手伝っていくことになる最初の作業だった。
そして、彼女はまだ自身の本当の力を知らない──
珍しくニコラの仕事が休みなこともあり、二人は歩いて森へと向かっていた。
ここらの森はリーズが捨てられた森とはまた別の森で、リスやうさぎなどの比較的小動物しかいない危険が少ない森で、村の皆もよく散歩している。
そんな村の庭のような場所に、一件の小さなカフェがある。
「こんなカフェが……」
「ああ、村のみんなの憩いの場所の一つだよ」
そう言いながらニコラはカフェのドアを開けて中へと案内する。
木の香りの漂う店内に、紅茶の香りがふわっとリーズの鼻をくすぐった。
木の板で作られた椅子に毛糸で作られたお手製の座布団が敷かれており、二人はそこに腰かける。
「マスター、ベリーティーは今日ある?」
「ああ、あるよ。ちょうど採れたてさ」
「じゃあ、それ二つ! あと、おすすめのケーキも二つお願いできるかな?」
「ああ、了解。ちょっと待ってな」
慣れた様子でマスターに注文をするニコラをじーっと見つめるリーズ。
ぽやりとした様子でニコラを見つめるものだから、さすがの彼も少し照れて顔を逸らす。
「その顔は反則……」
「……?」
甘い雰囲気を悟ったのか、マスターは何も言わずに黙々と紅茶とケーキの用意をする。
マスターはここのカフェ経営をして17年目になるベテランで、カフェ経営の他にも村の建設業を手伝っていることもあって、二コラとは顔見知り。
身体もごついが繊細な作業も得意であるため、カフェの経営もなんなくこなす。
彼が留守の時は、彼の妻がキッチンに立ってマスター代理として働いている。
「はい、ベリーティーとシフォンケーキ」
「わあ!」
「おお、いい焼き色!!」
ベリーティーはかなり深い色合いをしており、一見するとコーヒーのようにも見えるが、なんとも甘酸っぱい味と香りを漂わせる。
そしてシフォンケーキはこのカフェの名物であり、村の皆がこぞって注文する一品。
焼き加減もさることながら、そのふわふわ具合は自宅のオーブンでは再現できないと評判。
「いただきます。──っ!!!」
「おいしいでしょ?」
「(ふんふん!!)」
リーズはあまりの美味しさに驚き、目を丸くする。
そしてすぐさま二口目をほおばると、顔をくしゃくしゃにしながら幸せを表現した。
そんな彼女の幸せそうな表情を見て、ああ、連れてきてよかったなとニコラは思う。
「よかった、少しずつ村に慣れてきてたとはいえ、疲れもたまってるだろうし、美味しいものでも食べてほしかったんだ」
「もう、すごく美味しいです!!」
「んぐっ!」
ニコラはリーズの破壊力抜群のきらきらの笑顔をまともに食らって、ケーキをのどに詰まらせる。
紅茶を一気に飲み干すと、目をぱちぱちとさせながら言う。
「死ぬかと思った(いろんな意味で)」
「よかったです、マスター紅茶のおかわりありますか?」
「ああ、今持っていくよ」
そんなことすら楽しくて甘くて、そしてリーズには新鮮で嬉しい日に感じられた。
二コラが自分を見てくれている、それだけで嬉しくて、こうして二人でなんでもない日常を過ごせることが幸せだった。
「ニコラ」
「ん?」
「また来ましょうね!」
「ああ、いつでもリーズとなら来たいよ」
ああ、若いな。
なんてマスターは心の中で思いながら二人のことを見守っていた──
「どうなっているんだっ!!!」
フルーリー邸に怒号が響き渡る。
何事かといった様子で伯爵夫人は夫の執務室を覗くと、そこには自分の部下に書類を叩きつける夫の姿があった。
フルーリー伯爵は癇癪持ちで部下を怒鳴ることはそう珍しくはないが、どうやら今回は様子が違うらしい。
「なぜ不作なんだっ!」
「ですから、その……天候不順とブドウの病気が流行り、昨年比の20%ほどしか取れない見込みで……」
「御託はいい!! 早くなんとかしろ!! じゃなけりゃ、お前の給金もなしだ」
「ひいいいー!! これ以上の減給はご勘弁を……! 家族を養えなくなってしまいます……!」
「ふんっ! 自分たちでなんとかしろ」
突き放すような言葉に伯爵の部下は意気消沈して、その場にへたり込む。
その様子を見た伯爵夫人も助けようとするどころか、扇子で仰ぎながら「まあ、見苦しいこと」と言って去っていく。
フルーリー伯爵家の領地は国内でも有数のブドウ畑の名産地であった。
そのブドウを生かしてワインを作って国内外問わず流通させていたのだが、今年は事情が違った。
天候不順の影響に加えて、ブドウの病気が流行ってしまい、うまく育たなかったのだ。
しかも今年だけではなく、去年もそのまた前の年も不作であり、影響は大きくなっていた。
「やっぱりジーニーさんの言った通りに対策をしていれば……」
「ジーニーの話はするなっ! あいつは私に逆らった挙句に辞めたいと抜かしてきおった。あいつなんか知るか」
ジーニーは優秀な人材であり、ブドウの病気が流行った際に来年のために対策をうつように進言したのだが、それをフルーリー伯爵は撥ねつけた。
何度も根気強く説得しようとするも、聞く耳を持たなかったため、ジーニーはついに伯爵家に仕えることを辞めた。
「そうだ、今年も例の帳簿の書き換えをしておけ」
「そんなっ! いくらなんでもこれ以上しては王国に見つかってしまいます!!」
「税金なんてどーせきちんと見てやしない。いいから言う通りにやれっ!」
先程から癇癪を起こして部下にきつく当たっているため、伯爵の息もあがっている。
はあはあと言い、顔を真っ赤にしながら命令する。
書類を再び投げつけるように部下に渡すと、伯爵はさらに自分の机にあった紅茶を部下の顔にかける。
「いいかっ!? お前のせいでこうなったんだ。ワインがお得意様に届けられない状況になってみろ? お前を獣の餌にしてくれるわ!!」
「……ひくっ」
部下はあまりの恐怖でガタガタを震えており、その場から動けなくなっていた。
そんな様子を気にも留めずに、伯爵はそのまま部屋を後にした。
部屋を出て少し歩いたところで、「あ、そうそう」と言って戻って来る。
「ブレスには言うなよ? あいつは変な正義感かざしてうるさいからな。嗅ぎまわれたらめんどくさい」
「か、かしこまりました……」
そう言って扉を乱暴に閉めると、そのままダイニングのほうへと向かって行った。
部屋に残された彼がその後、不正書類を内密に持ち出していたことを、まだ伯爵は知らない──