朝食をとった二人は食後のコーヒーを飲みながら、今後の生活とこの辺境の地について話していた。
「ここはいわゆる王都からは『辺境の地』と呼ばれるキュラディア村というところなんだ」
「きゅらでぃあ村?」
「ああ、数十人の小さな村でどの家庭もだいたい農業など自給自足で暮らしている」
「自分たちでものを作っているのですね?」
「ああ、だが積極的に協力し合っているから野菜を交換したり、みんなでお金を出し合って王都の市場に行って買い物をしたりする」
「なるほど」
コーヒーを一口飲んで、再び二コラは語り始める。
「リーズにはゆっくりここでの生活に慣れてもらいたいなと思うから、最初はゆっくりお散歩とかしてごらん」
「村のみんなには今朝話してあるから」
「ありがとうございます」
「記憶がないことだけ話してある。そこからは自分で村のみんなに話したいと思ったら話してごらん」
「大丈夫でしょうか……」
二コラはコップをそっとテーブルに置くと、リーズの手を握る。
その手は彼の温かさなのか、それとも飲み物で暖まったからなのか、リーズにはとても嬉しくて優しいぬくもりだった。
「村のみんなは優しいよ。でももし不安があったらいつでも俺に話して? 一緒に出かけるようにするから」
「ええ、ありがとう、二コラ」
そっとそのまま二人は見つめあって、目が離せなくなった。
「リーズ」
「二コラ……」
「おいっ!! 二コラの兄ちゃん!!」
突如玄関のドアを開ける音が聞こえ、二人は気まずそうにばっと手を離して顔を背ける。
そしてドアからの侵入者である小さな子供に二コラは話しかけた。
「ビル、いつもノックをしてから入りなさいと言っているだろう?」
「あ、わりぃ。でもさ、のっく?ってめんどくせーじゃん」
「この村ではいいが、失礼に値するからしっかりと少しずつするようにしなさい」
「は~い……って。お?!!! そこにいるのが今朝言ってた姉ちゃんか?!」
「ああ、リーズだよ」
ビルは無邪気にテーブルに駆け寄って品定めをするようにリーズを上から下までなめるように見る。
それを見た二コラはコツンとビルの頭に手を置いて注意する。
「こら、女性をそんな風に見ない」
「リーズ姉ちゃんって呼んでいいか?!」
「え、ええ」
あまりの勢いにリーズは押されて少しきょとんとしてしまっている。
二コラがビルの頭をそっと撫でながら彼女に紹介した。
「この子はビルといって隣の家の子だよ。子供はこの子ともう一人フランソワーズという女の子がいる。二人とも9歳だよ」
「そうなのね」
リーズは椅子から立ち上がってビルの視線に合わせてしゃがむと、少しお辞儀をしながら挨拶をする。
「リーズと申します。まだ村には慣れてないけど、これからよろしくね」
「ああ、なんでも俺に聞いていいぜ!」
「頼もしいわ。ありがとう」
すると、ビルは無邪気な顔をしてリーズと二コラに尋ねた。
「そういやお前ら夫婦なんだろ? 子供は?」
子供のなんとも直接的かつ真っすぐな質問に、二コラは顔をひくつかせてまたひとつビルの頭にコツンを手を当てた──
ビルの訪問のあと、二コラは仕事があるからと村はずれにある事務所へと向かった。
リーズはそのままビルに手を引かれて隣の家に挨拶に行くことになったのだが……。
「まあっ!! あなたがリーズさん!!?」
「母ちゃん、リーズ姉ちゃんすげえ美人だよな! 母ちゃんと違って!」
「あんたいつも最後が余計な・の・よ!」
リーズからビルを引きはがすと、彼の母親は彼の頭を軽く叩く。
「お見苦しいところをすみません! リーズ……さんっていうのもなんだかよそよそしいのでリーズでどうかしら?」
「ええ、ぜひ!」
「よかったわ! 何もないところだけどよかったら入ってゆっくりしていってちょうだい」
リーズはお言葉に甘えて家の中にお邪魔することにした。
二コラの家とはまた違い家族住まいという感じが漂っており、物が多くて散らかり気味だった。
それでもリーズはある棚の雑貨が気になってまじまじと見つめる。
「これ、スノードームですか?」
「そうなのよ、主人が私の結婚記念日にくれてね」
「スノードーム……」
リーズの中にある記憶の欠片が降りてきて、誰かの声が聞こえた。
『スノードームにはね、幸せが詰まってるの。ほら、ここ●●●●の●●が……』
その場にリーズはしゃがみ込み頭を抱える。
「う……」
「大丈夫かい?!!」
「おいっ! リーズ姉ちゃん!! 大丈夫かよ!」
「え、ええ……」
「とにかくここに座んな!」
テーブルの椅子を急ぎビルの母親が持ってきてリーズを支えて座らせる。
目を閉じて少し心を落ち着かせようとする。
(誰……? あの声は誰なの……?)
しばらくの間椅子に座って息を整えていると、また目の前が鮮明に見えるようになった。
「とにかく紅茶でも飲んで」
「ありがとうございます。だいぶ落ち着きました」
もらった紅茶は桃の香りがしたフレーバーティーで、リーズの心を落ち着かせた──
桃のフレーバーティーをカップの半分ほど飲んだ頃、ビルが隣に、そしてビルの母親がリーズの向かいに座った。
「落ち着いたみたいだね」
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いいんだよ、身体は大丈夫そうかい?」
「はい、もうだいぶ落ち着きました」
「私はキャシーだよ、ビルの母親。もし困ったことがあったらいつでも来な」
「ありがとうございます。嬉しいです。なんとお礼を言っていいか……」
「いいんだよ、記憶、ないんだろ?」
そのキャシーの言葉に思わず黙ってしまう。
ビルも先程までやんちゃに動き回っていたが、心配そうに見つめておとなしくしている。
「もし思い出したとしても、思い出さなくても、この村はあんたを受け入れるように決めたんだ。ニコラが頼み込んでくることは滅多ないからね」
「ニコラはどんな人なんですか?」
ある日森に放り出されていた自分をどんな人間かもわからないのに、助けてくれた人。
だからこそ彼のことを知りたいし、役に立ちたいと思っていた。
リーズの中では彼が辺境を守る騎士としか情報がない。
「ニコラはね、私たちをいつも助けてくれる立派な騎士様だよ。森からの獣退治だけでなく、村の運営も手伝ってくれている」
「騎士とはどういったお仕事なのですか?」
「私たちも詳しくはわからないが、ニコラは王都からの使者でね、三年前にここにやってきたんだ。まだ若いのに一人で馬に乗ってやってきてね」
当時を思い出すように紅茶を一口飲んで、語る。
「この辺境の地をまとめる長だけど、気取ってなくて優しくてね」
「ニコラの兄ちゃんは俺に読み書きも教えてくれるしな!」
「そうなのよ、なかなか私も農業と市場への運び込みとかで手が離せないこともあってね。そんなとき隣の子のフランソワーズとビルの面倒を見てくれるんだよ」
「そうですか……」
騎士の本来の仕事は任地の統治であり、そこまで住民に密接にかかわることは少ないが、ニコラは違った。
積極的に村の者の意見を聞き、取り入れて、助け助けられていた。
そんな仕事でのニコラの様子を聞いたリーズの心にある気持ちが芽生えた。
(お役に立ちたい、ニコラの)
それと同時に騎士の妻たるにはどうしたらいいのだろうか、そもそも妻とはどうしたいいのかわからなかった。
そんな戸惑いを見透かしたのか、キャシーが優しい微笑みで声をかける。
「自分のやれることをやればいいんだよ」
「え?」
「妻というのは難しいし、正解なんてないよ。ニコラと相談してもいいし、自分で考えてもいい。でも彼のことを理解しようとして彼の癒しになってあげてほしいと私は思う」
「キャシーさん……」
「今すぐでなくていい。少しずつどうやって生きるか考えてごらん。いつでも相談に乗るし、手助けするからさ!」
リーズはキャシーと、そしてビルの顔を見ると頬を一筋の雫が伝う。
「リーズ?!」
「あ、なんだか安心してしまったのでしょうか。久々に泣いてしまったようです」
騎士の、ニコラの妻であるためにはどうすればいいのか、彼女はこれから少しずつ向き合っていく──
「リーズ、戻ったよ」
「あ、おかえりなさい、ニコラ」
ニコラが仕事から戻るとそこにはキッチンに立つリーズの姿があった。
家にはないはずのエプロンをしておたまを持ちながら、ゆっくりと鍋をかき混ぜている。
「…………」
ニコラはリーズのその新鮮な姿に思わず虚を突かれて、ぶわっと顔を逸らす。
その口からは小さなか細い声で「やばいだろ、その服」と呟いていた。
「ニコラ?」
「い、いや! なんでもない、それより何してるの?」
するとリーズはちょっと照れたようにもじもじとしながら、唇をぎゅっと結んで言う。
「えっと、お昼に隣のお家にお邪魔してね、その、ニコラのお仕事のこと聞いてたんです」
「俺の?」
「ええ、そしたらなにか私にもできることないかなって思って、キャシーさんに料理を教えてもらったのだけれど……」
「けれど?」