「どういうことですか、父上!!」
「どうもこうもない、捨てた」
「あの辺境の地の森に女の子一人捨てるなんてどうかしてます!!」
「もし帰りたかったら歩いてでも帰って来るだろう」
「あそこからどれだけ距離があると思っているのですか!」
「うるさいっ! お前は黙ってわしの言うことを聞けばいいんだ!」
「……」
リーズの兄であるブレスはあまりにも横暴に自分の妹を捨てた父に抗議していた。
だが、運が悪いことに仕事でブレスが父の所業に気づいたのは、リーズが捨てられた二日後だった。
そして所詮ただの伯爵令息にすぎないブレスはこの家の決定を覆すことなどできはしなかった。
「私がリーズを探しに行きます!」
「勝手にしろ」
そう言ってブレスは辺境の地へと馬車を走らせていた。
◇◆◇
馬車の中でブレスはポケットからネックレスを取り出すと、それをじっと見つめた。
「リーズ……」
そのネックレスはリーズが母親の形見として昔大事にしていたものだった。
だが、先月に階段で足を滑らせて頭を打ってからは記憶を失ってしまい、そのネックレスが母親の形見であることはおろか、母親のことも忘れてしまっているようだった。
ブレスは幼い頃リーズが生まれたときのことを思い出した──
『ブレス、あなたは今日からお兄ちゃんよ。この子を守るの』
『守る?』
『ええ、この子にはいつか私のネックレスをあげたいなって思ってるけど、かわりにあなたにはこれをあげる』
そう言って二人の母親は優しく微笑みながらブレスに指輪を一つあげた。
『指輪?』
『これはきっとあなたと、そしてここにいるリーズを守ってくれるわ。二人はいつも一緒に助け合って生きていくのよ』
ブレスは再びネックレスに視線を落とし、そして今度は自分のあのときはめてもらったときよりきつくなった指輪を見つめる。
日の光が入り込み、それは虹色のような不思議な輝きを放っている。
「母上、リーズは必ず私が守ります」
指輪のはまった手、そしてその手に握り締められたネックレスを祈るように額につける。
「どうか無事でいてくれ、リーズ」
馬車は急いで辺境の森へと向かっていった──
朝食をとった二人は食後のコーヒーを飲みながら、今後の生活とこの辺境の地について話していた。
「ここはいわゆる王都からは『辺境の地』と呼ばれるキュラディア村というところなんだ」
「きゅらでぃあ村?」
「ああ、数十人の小さな村でどの家庭もだいたい農業など自給自足で暮らしている」
「自分たちでものを作っているのですね?」
「ああ、だが積極的に協力し合っているから野菜を交換したり、みんなでお金を出し合って王都の市場に行って買い物をしたりする」
「なるほど」
コーヒーを一口飲んで、再び二コラは語り始める。
「リーズにはゆっくりここでの生活に慣れてもらいたいなと思うから、最初はゆっくりお散歩とかしてごらん」
「村のみんなには今朝話してあるから」
「ありがとうございます」
「記憶がないことだけ話してある。そこからは自分で村のみんなに話したいと思ったら話してごらん」
「大丈夫でしょうか……」
二コラはコップをそっとテーブルに置くと、リーズの手を握る。
その手は彼の温かさなのか、それとも飲み物で暖まったからなのか、リーズにはとても嬉しくて優しいぬくもりだった。
「村のみんなは優しいよ。でももし不安があったらいつでも俺に話して? 一緒に出かけるようにするから」
「ええ、ありがとう、二コラ」
そっとそのまま二人は見つめあって、目が離せなくなった。
「リーズ」
「二コラ……」
「おいっ!! 二コラの兄ちゃん!!」
突如玄関のドアを開ける音が聞こえ、二人は気まずそうにばっと手を離して顔を背ける。
そしてドアからの侵入者である小さな子供に二コラは話しかけた。
「ビル、いつもノックをしてから入りなさいと言っているだろう?」
「あ、わりぃ。でもさ、のっく?ってめんどくせーじゃん」
「この村ではいいが、失礼に値するからしっかりと少しずつするようにしなさい」
「は~い……って。お?!!! そこにいるのが今朝言ってた姉ちゃんか?!」
「ああ、リーズだよ」
ビルは無邪気にテーブルに駆け寄って品定めをするようにリーズを上から下までなめるように見る。
それを見た二コラはコツンとビルの頭に手を置いて注意する。
「こら、女性をそんな風に見ない」
「リーズ姉ちゃんって呼んでいいか?!」
「え、ええ」
あまりの勢いにリーズは押されて少しきょとんとしてしまっている。
二コラがビルの頭をそっと撫でながら彼女に紹介した。
「この子はビルといって隣の家の子だよ。子供はこの子ともう一人フランソワーズという女の子がいる。二人とも9歳だよ」
「そうなのね」
リーズは椅子から立ち上がってビルの視線に合わせてしゃがむと、少しお辞儀をしながら挨拶をする。
「リーズと申します。まだ村には慣れてないけど、これからよろしくね」
「ああ、なんでも俺に聞いていいぜ!」
「頼もしいわ。ありがとう」
すると、ビルは無邪気な顔をしてリーズと二コラに尋ねた。
「そういやお前ら夫婦なんだろ? 子供は?」
子供のなんとも直接的かつ真っすぐな質問に、二コラは顔をひくつかせてまたひとつビルの頭にコツンを手を当てた──
ビルの訪問のあと、二コラは仕事があるからと村はずれにある事務所へと向かった。
リーズはそのままビルに手を引かれて隣の家に挨拶に行くことになったのだが……。
「まあっ!! あなたがリーズさん!!?」
「母ちゃん、リーズ姉ちゃんすげえ美人だよな! 母ちゃんと違って!」
「あんたいつも最後が余計な・の・よ!」
リーズからビルを引きはがすと、彼の母親は彼の頭を軽く叩く。
「お見苦しいところをすみません! リーズ……さんっていうのもなんだかよそよそしいのでリーズでどうかしら?」
「ええ、ぜひ!」
「よかったわ! 何もないところだけどよかったら入ってゆっくりしていってちょうだい」
リーズはお言葉に甘えて家の中にお邪魔することにした。
二コラの家とはまた違い家族住まいという感じが漂っており、物が多くて散らかり気味だった。
それでもリーズはある棚の雑貨が気になってまじまじと見つめる。
「これ、スノードームですか?」
「そうなのよ、主人が私の結婚記念日にくれてね」
「スノードーム……」
リーズの中にある記憶の欠片が降りてきて、誰かの声が聞こえた。
『スノードームにはね、幸せが詰まってるの。ほら、ここ●●●●の●●が……』
その場にリーズはしゃがみ込み頭を抱える。
「う……」
「大丈夫かい?!!」
「おいっ! リーズ姉ちゃん!! 大丈夫かよ!」
「え、ええ……」
「とにかくここに座んな!」
テーブルの椅子を急ぎビルの母親が持ってきてリーズを支えて座らせる。
目を閉じて少し心を落ち着かせようとする。
(誰……? あの声は誰なの……?)
しばらくの間椅子に座って息を整えていると、また目の前が鮮明に見えるようになった。
「とにかく紅茶でも飲んで」
「ありがとうございます。だいぶ落ち着きました」
もらった紅茶は桃の香りがしたフレーバーティーで、リーズの心を落ち着かせた──