「二人とも根詰めすぎなんです。文化祭まで時間があるとはいえ……」
「俺達には時間がない」
「それでも詰め込みすぎですよ。工房に行ったりお見舞い行ったり、文化祭のことだけじゃなくて、進路のころで先生と話したりで、夏休み中なのにここ毎日学校に来てるじゃないですか。心労が溜まっていてもおかしくないんです」
「ストレスなんて感じてねぇし」
「気付かないからストレスなんです」
 絵に関しては気にしていられないんだろうな。似たもの同士もいいところだ。
「つか、なんでお前がここに? 今日は高嶺のところって言ってただろ?」
「その高嶺先輩から、写真を撮ってこいと言われて来たんです。撮って出力したら病院戻ります」
「そっか。それ、俺も行く」
「工房の方はいいんですか?」
「今は宮地さんが灰を調整中。種類が多いから時間がかかる」
 さっさと撮るぞ、と言いながら香椎先輩は同じ構図の写真を取り出した。私も鞄から渡された赤い印の入ったプリントを取り出して机に広げる。高嶺先輩の意図が手に取るようにしてわかるのか、先輩はプリントと照らし合わせながらスマホで撮っていく。
 その姿を見ていると、いつも思う。
 夏休みに入る前は先輩たちが並んで描いていた。お互いの絵を見比べて、一つの絵に時間を費やして語ることもあった。特に香椎先輩が使っているイーゼルの上にはいつもカンバスが置かれていた。見るたびに何かが描き加えられていて、真っ白なカンバスを見たことがない。
 だから聞けなかった。香椎先輩が何も置かれていないイーゼルの前で何を考えていたのか、と。
 右の手のひらや指先に付いた鉛筆が刺さった複数の痕も、足元にビリビリに破かれ、散らばったクロッキー帳も、触覚や聴覚の危機以前にスランプに陥っているのではないか、なんて考えたくなかった。
 嘘も隠し事もしない――そう言っていたのは、先輩なりの強がりだ。私が追い詰めているんじゃないかと、途端に不安が襲い掛かる。払拭するものが見当たらないから、何も聞けなかった。
「佐知」
 気付かないうちに俯いていたらしい。名前を呼ばれて顔を上げると、香椎先輩がスマホで撮影を続けながら言う。
「お前は俺達の我儘に付き合わされているようなモンだ。バイトだってしてるんだし、お前までストレスで倒れたりしたら、俺達が後悔する。だからほどほどにしとけよ」
「……私は私ができることをしています。先輩たちに尻拭いなんてさせません」
「そうか。じゃあ俺達も後輩に尻拭いなんてさせねぇから」
 香椎先輩なりの気遣いだったのだろう。挑発的な言い方に少しムッと顔をしかめると、横目でこちらを見た先輩が鼻で嗤った。
「撮れたぞ。メッセージに送ったから、高嶺も見れるよな?」
「はい。ありがとうございます」
「にしても、こんなことさせるなんて高嶺らしくないな」
「どういう意味ですか?」
「指定した場所が細かすぎるんだよ。『明日へ』くらい、細かく描き込むつもりなのかもしれない」
 『明日へ』の時は、亡き理事長先生と話し合ったうえで絵の内容を決めたと聞いている。実際は近付くことで鉛筆で細かく描き込まれた戦時中の悲痛の叫びがメインだったとも話を聞くが、先輩たちは「こればっかりは依頼者との約束で口外しないことになっているから」といって教えてくれない。
 たとえ文化祭に現れたご婦人――改め、理事長先生が私の妄想によって作り出されたものだったとしても、気に入っていると誇らしく笑みを浮かべたのだから、要望通りのものに仕上がったのだろう。
 しかし、今回の美術室はただでさえ物が多い。構図は美術室の奥から見渡した室内で、ある程度の荷物を描かないことで、空間を作り出している。高嶺先輩はそれをわざわざ描き込もうとしている。
「……バカなことを考えていなければいいんだけどな」