長く伸びた煙突からもくもくと煙が昇る中、かまどの前で香椎先輩と高嶺先輩で火の番をする。
そこからすこし離れた場所で、私は改めて宮地さんに挨拶をした。
「改めまして、一年の浅野佐知です」
「ああ、宜しくな。話は二人から聞いているよ。絵の中に入れるんだって?」
「え……?」
「『明日へ』の絵を見ただけで、花井先生に弟さんがいることを言い当てたんだろ? それって絵に呑まれたってことじゃないのか?」
そういえば以前、香椎先輩の知り合いが絵に飲み込まれたという話を聞いたっけ。でもそれは、それほどまでに絵が素敵だったからではないか。私がそう答えると、宮地さんは嬉しそうに笑った。
「あの二人には勿体無いくらい良い後輩じゃないか」
「い、いえ! 私は何も……」
「謙遜しなくていい。二人が誰かをここに連れてくるなんて、今まで一度もなかったんだ。幽霊部員の他の三人や顧問の教師もな」
「そう……なんですか? すみません、何も聞いてなくて」
「本当に説明なしで連れてこられたんだな……。アイツらは頑なに口にしないが、これまでもずっと美術部として活動することにこだわってきた。この工房は芸術コースの生徒が借りに来ることもあるが、あの二人だけは特別だ」
「……どういう意味ですか?」
「灰を絵の具に混ぜる手法を教えたのは俺だからさ」
宮地さんが先輩たちと出会ったのは、美術部がまだ生徒会へ認定申請をしている最中のことだった。
この工房自体、宮地さんの好意で芸術コースが利用させてもらっている。だから面識があるが、そこまで生徒とは深く関わることはなかったらしい。
ある日、ふらっと現れた二人が唐突に「工房を描かせてほしい」と頼みに来た。入口となっている平屋にある細かい細工と、天井を突き抜けて伸びるかまどの煙突が、入学当初から気になって仕方がなかったらしい。
当時の宮地さんは二人が芸術コースの生徒だと勘違いして中に招き入れた。好きなようにデッサンをさせていたところ、二人の画力に大層驚いたそうだ。
「話を聞いたら二人とも進学コースだっていうからさ、今からでも遅くねぇから編入しろって怒ったんだ。そしたらアイツら、なんて言ったと思う?」
「……嫌です?」
「『クソくらえ』ってよ」
実に先輩らしい答えだと思った。
「その根性が気に入ってよ、デッサンが完成するまで工房の出入りを許可したんだ。……ちょうどその頃だったな、俺がデッサン用の木炭を作り始めたのは」
二人がデッサンに夢中になっている間、宮地さんは外部からの依頼でデッサン用の木炭を作っていた。画家の友人へプレゼントしたのがきっかけで作り始めたのだ。デッサン用の木炭は温度管理が大切で、しばらくは離れられない。かまどの前でじっと見つめていた宮地さんに、香椎先輩が興味本位で隣に座ってきたという。
「あまりにも静かだったから驚いてな、何かあったのか聞いたら『俺に構わず続けてください』って、じっとかまどの火を見つめていたんだ。あの時は不気味だったが、それ以上に面白い奴だと思った。お互い目線はかまどに向けたまま、いろんな話をしたんだ。その時に灰を絵の具に混ぜる手法を教えた」
木炭が完成した後、香椎先輩から「絵の具に混ぜたいから灰を分けてほしい」と頼まれたらしい。
「灰の粒子は均一じゃない。余計なモンも入ってたら、絵の具もおじゃんになっちまう。だからずっと前に俺が調整した灰をくれてやったんだ。アイツ的には、かまどに入ってたのがよかったらしいんだが、まだ冷めてもないものを渡せるかっての」
「出来立てをもらおうとしてたんですか……それじゃあ、灰を使った絵を描くのは『明日へ』が初めてじゃないんですね」
「そういうことになるな。二週間後に工房のデッサンを下絵に描いた絵画を一枚、持ってきてくれたんだけど、灰はその絵に使われたアクリル絵の具に混ぜられていた」
お嬢ちゃんにも見せてやりてぇな、と宮地さんは懐かしそうに目を細める。以来、宮地さんは二人と連絡を取り合うようになり、絵の具に混ぜる灰の調整をするようになったそうだ。
「今回のベンチもな、俺が頼んだんだ。工房を立ち上げた頃、趣味で作ったベンチを花井先生が気に入ってくれてな、六基を寄付したのがあれだ。そしたら先日の雷で壊れただろ? 俺としても、ここいらが潮時だと思っていたんだ。同じものを作る力はねぇ。でもそれなりに愛着があったからな、廃棄処分するのを引き取ったんだ……アイツらなら、ちゃんと供養してくれると信じている」
「それは、理事長先生の供養絵画を知っているからですか?」
私が問うと、宮地さんは目を閉じて小さく頷いた。
「話を聞いた時は驚いたよ。しかも、その遺灰の調整を俺にやってほしいと先生自ら連絡がきて、一度は断ったんだ。……けど、その二日後に千暁から悠人に決まったと聞いて、引き受けることにした。先生も酷なことをしたモンだ、教え子にこんなことさせるなんて」
「……どうして、断ったのに引き受けたんですか?」
「聞くだけ野暮ってもんだぜ、そりゃ」
宮地さんはそう言って小さく笑う。
「誰だって複雑な事情を持ってる。花井先生だって、悠人に描かせることを躊躇ったと思うんだ。それでもアイツらは『誰かに届く絵を描く』と先生の前で誓ったんだよ。そんなこと本人の目の前で言われたら、俺も本気で向き合わねぇと意味がねぇだろ」
「宮地さんもその場に?」
「遺灰を使わせてもらうんだ。先生が好きだったカスミソウの花束を持って一緒に行った。……ところで、悠人の目についてはどこまで知ってる?」
「……二年もしないうちに、失明すると聞いています」
「そうか。きっとそれもあるんだろうな。この工房で灰を作るときは、解体から火の番まで手伝いにくるんだ。……ほら、見ろよ」
宮地さんが指す方を見ると、かまどの前で手を合わせる先輩たちの姿があった。
「形あるものが灰になる。……それは意志があろうがなかろうが、人も物も変わらないんだと」
そこからすこし離れた場所で、私は改めて宮地さんに挨拶をした。
「改めまして、一年の浅野佐知です」
「ああ、宜しくな。話は二人から聞いているよ。絵の中に入れるんだって?」
「え……?」
「『明日へ』の絵を見ただけで、花井先生に弟さんがいることを言い当てたんだろ? それって絵に呑まれたってことじゃないのか?」
そういえば以前、香椎先輩の知り合いが絵に飲み込まれたという話を聞いたっけ。でもそれは、それほどまでに絵が素敵だったからではないか。私がそう答えると、宮地さんは嬉しそうに笑った。
「あの二人には勿体無いくらい良い後輩じゃないか」
「い、いえ! 私は何も……」
「謙遜しなくていい。二人が誰かをここに連れてくるなんて、今まで一度もなかったんだ。幽霊部員の他の三人や顧問の教師もな」
「そう……なんですか? すみません、何も聞いてなくて」
「本当に説明なしで連れてこられたんだな……。アイツらは頑なに口にしないが、これまでもずっと美術部として活動することにこだわってきた。この工房は芸術コースの生徒が借りに来ることもあるが、あの二人だけは特別だ」
「……どういう意味ですか?」
「灰を絵の具に混ぜる手法を教えたのは俺だからさ」
宮地さんが先輩たちと出会ったのは、美術部がまだ生徒会へ認定申請をしている最中のことだった。
この工房自体、宮地さんの好意で芸術コースが利用させてもらっている。だから面識があるが、そこまで生徒とは深く関わることはなかったらしい。
ある日、ふらっと現れた二人が唐突に「工房を描かせてほしい」と頼みに来た。入口となっている平屋にある細かい細工と、天井を突き抜けて伸びるかまどの煙突が、入学当初から気になって仕方がなかったらしい。
当時の宮地さんは二人が芸術コースの生徒だと勘違いして中に招き入れた。好きなようにデッサンをさせていたところ、二人の画力に大層驚いたそうだ。
「話を聞いたら二人とも進学コースだっていうからさ、今からでも遅くねぇから編入しろって怒ったんだ。そしたらアイツら、なんて言ったと思う?」
「……嫌です?」
「『クソくらえ』ってよ」
実に先輩らしい答えだと思った。
「その根性が気に入ってよ、デッサンが完成するまで工房の出入りを許可したんだ。……ちょうどその頃だったな、俺がデッサン用の木炭を作り始めたのは」
二人がデッサンに夢中になっている間、宮地さんは外部からの依頼でデッサン用の木炭を作っていた。画家の友人へプレゼントしたのがきっかけで作り始めたのだ。デッサン用の木炭は温度管理が大切で、しばらくは離れられない。かまどの前でじっと見つめていた宮地さんに、香椎先輩が興味本位で隣に座ってきたという。
「あまりにも静かだったから驚いてな、何かあったのか聞いたら『俺に構わず続けてください』って、じっとかまどの火を見つめていたんだ。あの時は不気味だったが、それ以上に面白い奴だと思った。お互い目線はかまどに向けたまま、いろんな話をしたんだ。その時に灰を絵の具に混ぜる手法を教えた」
木炭が完成した後、香椎先輩から「絵の具に混ぜたいから灰を分けてほしい」と頼まれたらしい。
「灰の粒子は均一じゃない。余計なモンも入ってたら、絵の具もおじゃんになっちまう。だからずっと前に俺が調整した灰をくれてやったんだ。アイツ的には、かまどに入ってたのがよかったらしいんだが、まだ冷めてもないものを渡せるかっての」
「出来立てをもらおうとしてたんですか……それじゃあ、灰を使った絵を描くのは『明日へ』が初めてじゃないんですね」
「そういうことになるな。二週間後に工房のデッサンを下絵に描いた絵画を一枚、持ってきてくれたんだけど、灰はその絵に使われたアクリル絵の具に混ぜられていた」
お嬢ちゃんにも見せてやりてぇな、と宮地さんは懐かしそうに目を細める。以来、宮地さんは二人と連絡を取り合うようになり、絵の具に混ぜる灰の調整をするようになったそうだ。
「今回のベンチもな、俺が頼んだんだ。工房を立ち上げた頃、趣味で作ったベンチを花井先生が気に入ってくれてな、六基を寄付したのがあれだ。そしたら先日の雷で壊れただろ? 俺としても、ここいらが潮時だと思っていたんだ。同じものを作る力はねぇ。でもそれなりに愛着があったからな、廃棄処分するのを引き取ったんだ……アイツらなら、ちゃんと供養してくれると信じている」
「それは、理事長先生の供養絵画を知っているからですか?」
私が問うと、宮地さんは目を閉じて小さく頷いた。
「話を聞いた時は驚いたよ。しかも、その遺灰の調整を俺にやってほしいと先生自ら連絡がきて、一度は断ったんだ。……けど、その二日後に千暁から悠人に決まったと聞いて、引き受けることにした。先生も酷なことをしたモンだ、教え子にこんなことさせるなんて」
「……どうして、断ったのに引き受けたんですか?」
「聞くだけ野暮ってもんだぜ、そりゃ」
宮地さんはそう言って小さく笑う。
「誰だって複雑な事情を持ってる。花井先生だって、悠人に描かせることを躊躇ったと思うんだ。それでもアイツらは『誰かに届く絵を描く』と先生の前で誓ったんだよ。そんなこと本人の目の前で言われたら、俺も本気で向き合わねぇと意味がねぇだろ」
「宮地さんもその場に?」
「遺灰を使わせてもらうんだ。先生が好きだったカスミソウの花束を持って一緒に行った。……ところで、悠人の目についてはどこまで知ってる?」
「……二年もしないうちに、失明すると聞いています」
「そうか。きっとそれもあるんだろうな。この工房で灰を作るときは、解体から火の番まで手伝いにくるんだ。……ほら、見ろよ」
宮地さんが指す方を見ると、かまどの前で手を合わせる先輩たちの姿があった。
「形あるものが灰になる。……それは意志があろうがなかろうが、人も物も変わらないんだと」