中学生くらいの頃になっても、私は私のままだった。学校ではあまりみんなになじめず友達がほとんどおらず、唯一いるのも他のグループに本命がいたり、自分だけ一人になるのは嫌で緊急のために私の近くに来ただけで他にできたらすぐに離れてった子もいた。
余計に家に居座ることが多くなる。
二階に自分の部屋があるがそちらに行くことなくリビングで過ごしてばかり。それはやっぱりあの神様のせいなんだけど、その神様本人はそんなのおかまいなしに本に夢中で私が不満そうに彼を眺めても知らんぷりする。
中学生にもなると流石に不満が溜まっていた。
彼は親代わりをしてるわけじゃない。あくまで居場所を与えてくれただけだ。彼も必要以上に絡む気はないのだろう。これまでそんなに愛情を持って接してくれたことなんて――いや、それは言い過ぎか。
「………」
海に溺れたとき、助けてくれたもんね。
でも、彼本人に何らかの制約があるのか外には出られない。出たら、以前のように体調が悪くなる。だから旅行もしたことがないし、私も友達がいないから家でダラダラとすることが多くなる。自然と私の子供時代は百花と沈黙ばかりの日々だ。
彼が相手してくれないとあきらめ、私は勉強をする。ノートを広げ、教科書を見ながら問題を解いていった。百花がいるからサボることもできないし、緊張度が高まる。そして、分からないことがあれば聞けるから私の成績は昔からトップを走っていた。
「ほのか。お前、大人になったらここを出てけ」
急に言い出した、神様。
私は勉強に集中していた。トムとジェリーがいて、トムは毎日のバス代が高いと困っていると英語で長ったらしくしゃべっている。そんなの知らないよと思いながらもトムの英語を翻訳していき――ん、何を言ったこの神様。
「いきなり、何? ちょ、唐突すぎない?」
「………」
だんまりかよ!
「ちょ、流石に何か言ってよ! 出てけって、今更そんな」
「大人になったらと言ったじゃろ。正確には高校を卒業したらじゃな。上京して大学に行くんじゃろ? お前、そのときになれば自然と出てくさ。困ることはない」
「別に、上京するって決めてるわけじゃ」
「こんな田舎に就職先なんてないし、それにお前さんは外に出た方がいい」
早く、出て行けるならした方がいいと彼は言った。
「………」
私は、一方的な物言いに納得がいかず、何か言おうとしたんだけど。
でも、冷静に考えると確かに私は上京――悪くないかなと思ってる。
別にこの地が嫌いなわけじゃない。だが、特別好きでもない。ちょっと歩けば海が見える素敵な場所、ていうのは外を気軽に歩く明るい性格の持ち主がすることで、そして惚れることで、私からしたら波の音はうるさいし、塩害はこの家じゃしないけど、外に出ると影響がすごいし。学校に行く自転車とか、外に止めてたら短時間でもダメージ受けるしさ。
だけど、納得がいかなかった。
確かに、いずれ私はここを出るかもしれないけどさ。
「………」
それって、百花とも離れることになるじゃん。それをさ、自分から言う?
てか、百花は何も思わないわけ。
私達、仮にも長年暮らしてきたんだよ。それなのにさ、そんなあっさりと出てけなんて。例え、まだ大分先の話であってもだよ。何だか、嫌だ。それに出てけって言うのがさ、まるで。
「それって、もう二度とここには来るなってこと?」
神様は答えない。
ひどい。悪魔だ。こういうときだけ、神様みたいな威圧感のある雰囲気を出して、私に何も言わせないようにしている。神様というより、本当に悪魔なんじゃないか。
この当時は中学生だ。
中学生の心は常に爆薬を抱えてるようなもの。このとき爆発した私の心は駆け出し、家を出て走った。どこに向かうか決めてない。すでに日は落ちかけていて、夜になるというのに。子供の私は百花が冷たい態度を取ってふてくされてプチ家出みたいなことをしでかした。
海の近くに、錆びてしまった遊具ばかりが残っている小さな公園がある。
そこのブランコで一人座って、ブランブランッと時間を潰した。
また、あのときみたいに百花が私を助けに来てくれないかなと思っていた。
数時間経ち、流石に十時を越える頃になると家に帰宅した。百花は私は出てくときと同じ姿勢で場所で、本を読んでいた。
「夕飯はできてるぞ。たくっ、もう少し遅かったら尻を叩いてたわ」
「来なかったくせに」
「そう何度もワシは外に出られん」
それ以上語る気はないらしく、会話は終わった。
出されてる料理は私の好きな焼き魚やあさりの味噌汁で、そこだけは救いだった。
これは、あとあとになって気づいたことだが、あいつ公園のそばでずっと私がどうするか見守ってたらしい。夕飯を用意したあと、ぐったりと寝込んだし。後日、学校で夜の公園に美形の少年の噂が流れていた。ほんと、あの神様はツンデレにも程がないだろうか。
6
でも私も子供だったな、と現代の大人な私はうめく。
「……はぁ」
私は、現実にもどる。大学二年生になっていた。
朝、白いカーテン越しに日射しが入る。北欧家具チェーン店で買ったカーテン、あ、洗うの忘れてたな。ちょっとホコリがついてるや。
八畳間ぐらいのアパート。
神様の家にあった机や本棚、ベッドをそのまま持ってきてる。本棚もあり、大学で使う資料を机から取りやすい位置において、あとは趣味の映画関係の雑誌や、サブカルチャー系の本、小説は下段や上段に置いている。あまりにも濃い本は下の下に。
「………」
起き上がる。
時計を確認すると朝の五時。随分と早い時間帯だ。二度寝しようかとも思うが、ちょっと本でも読んでようかな。ある程度経ったら、大学行く準備をしよう。
上京する前に、いやあの家を出る前に百花から十分なお金はもらった。なので、学費と生活費に関しては大分蓄えがある。私も趣味が少ないし、多少本を買う程度なので散財の心配はない。
「……はふっ」本を読み、時間になると朝食の準備をした。昔は全部百花にやってもらってたけど、ご飯を作るのって大変だ。良いご身分だったんだなと今の私は感じるよ。ほんと、楽園にも程があるところだった。百花に良くしてもらいすぎた。
神様が、家から出てけと言ったのは卒業という意味だったのかな。
あのままだったら、ぬくぬくと永遠にあの場所に居続けた。
それこそ二十歳を超えても、三十を超え、おばあちゃんになって死ぬ間際も――あの場所にいたかもしれない。
百花は、それだけは嫌だったのかな。
「ずっと少年の姿の神様か」
百花は、どんな気分だったのかな。小っちゃかった私に背を超えられて。
嫌な感じだったかな。
そうだったら、嫌だな。
「………」
目玉焼きを作ることにしたが、目玉焼きはすぐに焦げてしまった。
7
電車に揺られて、目的地へ。
私は本を読みながら、走るゆりかごに身をゆだねる。
「………」
今日は、岩さんと会う。
「俺、大学辞めるわ」
昨夜突然岩さんは言った。オンラインゲームをしていたときのことだ。FPS系、中国か韓国制作ので銃をバンバン撃つゲームだ。
百花は私にゲームをするな、とは言わなかった。だが、私の心の中でどことなく忌避感があった。私は早くに両親を失い、この家に居候のような形で将来がどうなるか分からないという焦りがあったのだろう。だけど、クリスマスが近くなると百花は私にプレゼントとしてゲーム機を渡そうとした。その際、さりげなく(百花はそう思ってる)プレゼントが何がいいかを聞いてきたことがある。あいつ、普段は黙々と本を読んでるくせにそういうイベント事はうるさいのだ。
『のう、ほのか。ゲーム機とか欲しくないか?』
『いらない』
全然さりげなくじゃなかったな。あいつ、ちょっとゲームやってみたかったのかもしれない。当時の私はそんな彼の気持ちも知らずに断っちゃったけどね。
思春期だし、余裕がなかったのだ。
で、そんな感じでこれまでずっとゲームをしてこなかった私。
大学生になっても触れる気はなかったのだが、岩さんがちょっとだけでもやってみ、と誘い、パソコンでできるゲームも多いからと――気がつけば、FPS系のゲームを筆頭に色々なゲームに手を出す始末だ。
電車に揺られてゴトンゴトン。
本を読んでいる。ブックカバーをつけて。
相変わらず本の虫だけど原作はノベルゲームのやつで、それもオタクの人が好みそうな題材。中世ヨーロッパ風のお姫様が色々な王子様と恋愛するのだ。
趣味変わったな、と自分でも思う。
電車は平日のお昼頃らしく人の数はまばらで、安心して私は読書時間を楽しめ――ない。正直、岩さんのことで頭がいっぱいだった。
「………」
8
「岩さん、あの、大学を辞めるって」
「ほんとだよ」
岩さんとしては、穏やかに話を進めようとしたらしい。
渋谷にあるおしゃれなカフェ。コーヒーの味より雰囲気とお菓子の内容で勝負する、若い人向けの店だ。そこで、岩さんはアイスコーヒーを、私はカフェオレを選ぶ。
「この前やったゲーム」と岩さんとしては普段通りの談笑から始めようとしたんだけど、私がそれを遮って発言してしまった。相変わらず、自分の不器用さに凹む。
「も、もしかして、同性愛のことで」何か言われて、と言おうとしたのだが。
「あのさ。勝手にいらん想像するのやめろや」
音量の高い声。
これまで岩さんがすることはなかった怒りという色を込めたもの。
私は、思いがけない声を聞いてしまい、ビクッと硬直する。その硬直も恐怖による硬直というより動画を一次停止したかのように微動だにしない硬直。恐怖もあるはず。でもそれ以上に悲しみとか、そういうのが勝る。
「すまん、ちょっと怒りっぽくなってる。ごめんな」
「い、いえ、すいません。悪いのは私です」
うなだれる、私。
悪いと思うなら場を和ますこと言えばいいのに、落ち込むだけの私。岩さんには感謝してもし足りない恩があるのに、ほんとに最後まで何にもできない。
「単純な話だ。金、金がないんだよ」
父親の会社が倒産したらしい。それで、岩さんも働くはめになったと。
「で、でも奨学金を使えば」
「それも返せるアテがないからな。ははっ、しょうがないわ。オヤジに無理言って上京したんだ。だから、オヤジが困ってたら助けなきゃな。母さんもパートばかりやってるらしいし」
弟もいるから、と岩さんは言った。
だから、来年すればもう卒業なのに岩さんは辞めると言っているのだ。
「……そ、そうですか」
ほんとに、気の利いたことを何も言えない私。自分で自分に腹立つ。刺したくなる。何で、これまで何度も岩さんに助けてもらったでしょ。何してんの、あんた。何か、少しでも何か言いなさいよ。
「気にするな。といっても、ほのかには無理か。無駄に考えすぎるタイプだからな」
「い、いえ、私」
「ショック、はショックだけどな。でも、どこか心の中じゃやっぱりこうなったか、て思ってんだ。今までうまく行き過ぎたろってな。田舎が嫌でさ、今思うと多少マシなとこもあるけど、当時はほんとにクソみたいなとこって……でも、今はいいかなって」
悪い、と岩さんはアイスコーヒーを勢いよく飲み干し、席を立つ。
「先帰るわ。悪いな」
「あ、いや、いえ」
また、何も言えず、がんばってくださいすら言えてない。いや、失意の中でそれは逆にひどいか。あー、何をしたいのか自分でも分かっていない。
「……岩さ――」
ひたすら悶々として、意気込んで振り返るとすでに岩さんはいなかった。
数名の若い子達が談笑してるカフェで、一人ぽつんとしてしまう私。
カフェオレを飲み、無性に砂糖が欲しくなった。
9
帰りの電車。
岩さんのことを考えてる。
多分、あの人のこと好きだったんだろうな私。ろくな恋愛経験ないけどさ。初恋となる者はアニメキャラで二回目は陰で私の悪口言ってて、三度目は……三度目は人間ですらない。アニメキャラとはまた違う存在。確かにいるのに、不思議な存在。
四度目は……高校のときに少しだけ付き合った男子。で、五度目が岩さんか。恋愛か分からない。単に男の人に優しくしてもらうってのが久々で、いや神様は例外ね。あれは別。だから、私はその気になってしまったんだと思う。岩さん、女性が恋愛対象じゃないのに。
「………」
でも、実らなくてもいいってあきらめてた。あきらめ?
違うか。納得はしてたんだ。最初から恋愛対象にならないって言われたし。じゃあ、岩さんの近くでというか。友達として、やっていこうと。単純に岩さん人が良いし、楽しいしってさ。だからさ。でも、いなくなるって悲しいな。実家は九州らしいから会うことはないだろうな。ネットで会話するくらいか。それも仕事で忙しくなれば、岩さんはできなくなるか。
「はぁ」
帰りの電車。多少、人の数が増した。しかし、それは一人か二人程度。
本を開いてるが中身は頭に入ってこない。
「そうだ」
百花に相談すれば?
神様なら、お金だっていくらでも持ってるんじゃないか。それなら――。
「最低か、私は」
私のお金じゃないだろ。百花に世話になっておいて、何をまだねだろうとしてるの。たち悪い。そうやって友達が辛い目にあったら何でも百花にお願いするの。卒業するって、あいつの家を出るとき誓ったはずなのに。
「………」
窓ガラスにふと視線がいくと、私自身の姿がかすかに映る。嫌になった。
10
高校生になった私。
あの頃の私は、ちょっと無敵だった。
それまで学校では内気で陰気な生活を送っていた私だが、勉学ばかりに励み、その甲斐あってか進学校に合格した。
百花の家からはバスを乗り継いで五十分ほどかかるが、設備は地方にしては整っており、吹奏楽部や演劇部など文化系の部活動が盛んである。校舎は近代建築らしい白い真四角がいくつも並んだ建物で、ここに通うだけで陰気な気分は吹き飛んだ。
友達も何人かできた。とはいっても、進学校の授業は厳しくてついてくのでも大変だったし、友達はほとんど部活に参加していたので、私だけ帰宅部でさびしい思いをする。
「高校生になっても早く帰って来るのう。部活動でもすればよいのに」
と、帰宅した私を百花は言ってくれるが。
うるさい、こっちは好きで早く帰宅してるんだ。
「……ふんっ」
正直、この頃になってようやく百花に対しての思いを把握しつつあった。
といっても相手の見た目は私よりも若く見える。いくら何でも恋しちゃまずいだろってくらいに。いや、神様相手に何を考えてるんだって話だが。
それに、百花は全く私を相手にしていないしね。
悩みなんて、相談すれば一応真剣に聞いてはくれる。授業についてくのが大変といえば、勉強のサポートもしてくれるし、分からないことが尽きっきりで教えてくれた。
でも、それは子供に対する接し方だ。もちろんだけど、恋愛対象にしてるわけじゃない。
当たり前でしょ。幼い頃からいっしょにいるんだから。
「………」
「何じゃ、ワシに何かついてるか」
「ついてないけど」
ふと、彼の顔を長く見過ぎてしまった。流石の神様も反応する。
こいつ、私が恋してるってこと気づいてすらいなんだろうな。で、告白したら絶対笑うんだろ。小さい娘がパパ好きーって言うのと同じような感じと思っちゃうんだ。
「………」
本当のパパは死んじゃったけど。ママもね。
もう、あの二人の記憶はうっすらとしか覚えてない。いなくなったときは悲しくて死にそうだったのに、ひどいかな。でも、時間っていうのは驚くほど私の記憶を抹消してくんだよ。
「ねぇ、百花」
「何じゃ」
勉強する手を止めて、私は百花に聞いてみる。彼はまた本を読みながらの対応。
「上京することになって家を出たら、長い時間が経っちゃったりしたらさ。私、百花のこと忘れちゃうのかな」
「忘れろ。本来、ワシのような存在は人間と会うべきじゃない」
「叔父さんとは知り合いだったくせに」
「あいつは昔から変なものに巡り会う才能があるんじゃ。海外でもワシのようなのと出くわしたらしいぞ。本来、そんなものいらんのにな」
「いらなくないよ」私は言う。「だって、百花に出会わなかったら私、どうなってたか」
「ほのかは十分強い子だったと思うぞ」だから、大丈夫だったと思うと。「いや、大変な道のりになるとは予想するがな。でも、ワシはほのかだったら案外平気だったんじゃないかと考えておる」
そんなことを考えられても困るんだけどな。
百花と出会わなかったらなんて。そんなの、考えたくもない。ひどくない。そんな話するなんてさ。
11
高校生になると多少化粧をするようにもなる。
中学までは私の周りは一部の人達がする程度だった。都会だったらまた違うのかな。それとも、私の周りだけだったのかな。ともかく、高校になるとみんなが当たり前のように化粧をしていた。呼吸でもするかのように、大人になったら税金を払うのが当然のように自然とみんな化粧をするのが法律となっていた。
地味な印象の多い私の友人関係も、みんなしていた。
「あのね、地味だからこそ化粧すべきなんだよ」
と高校の友人の一人に諭された。確かにその通りだと自分を恥じる。
私も彼女達に教えられながら、化粧をした。いや、あくまで高校生が買えるぐらいのものだ。それでいて基礎的なのを教わる。スキンケアやベースメイクの方法、目の周りのあれこれや、リップなど、おすすめを試しながら学んでいく。
高校二年生になると私も化粧を自然とこなせるようになった。といっても元々がめんどくさがりやだから、積極的に目元を強調したりはせず、ただ肌荒れとかそういうのは気にするからそれをカバーする程度だ。
家にいても神様はその手のことは疎いのか気づかずにいたが、高校三年生くらいになってようやく神様は私の化粧に気づいた。
「……ん、おおっ!? ほのか。お前、化粧してるのか」
「いや、遅いからね。高一でしてるよ」
何だ、子供にはまだ早いっていう嫌な大人的なこと言うのかとそのときは疑ったがそのときは何も言わず、後日、誰かからもらった化粧品グッズやらを私に渡してくる。いや、高そうな口紅とか香水まであってさ。そんなの私だって分からないよ。
「ワシがやってやろうか? 一度やってみたかったんじゃ」
「絶対にイヤ。死んでも百花にはやらせない」
「何でじゃ!?」
「そんなショックそうな顔してもダメ! 百花、子供心な目をしてるもん。それ、男の子がプラモデルいじるときにする目でしょ!」
ただ、その後も百花はしつこかったので一度だけやらせることにした。案の定、私の顔は昭和の怪人のような顔になってしまった。ほら、江戸川乱歩とか。そういうの。
「……(しゅんっ)」
百花の妄想では、嫌がってた私が賞賛するほどのメイクをするはずだったらしい。この神様、妙な自信だけは無駄にあるんだよね。
私にもやらせてよと百花にメイクした。元から質感の良い白い肌をしてるというか。普段の彼が超絶美形だからか。逆にどこをメイクすれば分からなかったが、とりあえずメイクの下地をして、多少まつげを整える。それだけでも美しい彼の顔は際立つ。
「ほう、やるもんじゃのう。ほのか」
いや、すごいのは百花の美顔だよ。
くぅ、神様と人の違いってやつなのか。メイクを教えた私の方が悔しくなったのだった。
12
メイクをすると自信もついてきた。歩くときも以前の私は重しでも乗せられたかのように背が曲がって目もキョロキョロと落ち着きがなかったのが、背筋に針金を通したみたいにビシッとなり、動作の一つ一つも毅然とする。
そして、告白された。
「おれと付き合わない?」
橘修介(たちばなしゆうすけ)くん。
私が通学で使うバス停は人があまりおらず、それもそのはずであの家がある辺りはほぼ限界集落だし、そこ付近の子供というとどうしても分母の数は限りなくゼロに近い。彼も私と負けず劣らず田舎の子だった。
派手な印象はなく、一応部活でサッカーをしてるらしい。日焼けした体。体格は私から見たら倍以上あるように見えて、でも威圧感のある人じゃなく、だからかバス停で出くわすと度々会話した。
だから、自然と「はい」と答えていた。
当時の私は浮かれていた。告白されたのは高二の夏。正確には夏休みに入る前だ。
「私、彼氏ができたんだ」
いつも通り本を読んでいた神様。このときも「ふぅーん」と反応するだけだった。
おい、もっと何か言うことあるだろと私は不満だったが、その日の夕食は大量の赤飯だった。どれだけ感情表現が下手なんだ、あいつは。百花と出会い暮らすようになってそこそこ経つが、ようやく彼のことが分かり始めて来た。
朝、登校しようと外に出る直前、百花は家庭料理の入門書という本を渡してきた。
「………」
いや、何か言えよ。
多分、これで男の胃袋をつかめ。的なことを言いたかったんだろうけど、不器用すぎて何も言えなかったらしい。言いたいことは分かるけどさ。あーもう、神様なのに何なのだ、と心でブーブー言いながら私はバス停へ向かう。
私の高校の通学は二つか三つバスを乗り継ぎするもので、橘くんとは三つ目のバスでいっしょになる。
楽しかった。
あまり男子慣れしてない私だが、彼は優しく紳士的で、それでいて会話も部活のサッカーで大人数と話して吸収して語彙が多いらしい。テレビで見るお笑い芸人よりも笑わせてくれた。
百花という超絶美形の見た目お子ちゃまな神様と暮らしているが、あいつは男子、いや男……という感じではない。外見からして人外というか、人の領域を超えすぎていて、学校の男子とは別物だったし、あいつは……私を娘、いや小娘程度にしか思ってないだろうから、異性の目で見られることもなかった。
今にして思えば、私が岩さんに惹かれたのもそれが理由だったのかもしれない。
異性として見られないからこその安心感。
それに甘えるように私は女扱いをしないというか、性の対象として見られることがない安全圏にいられるから、と思い込んでしまった。
13
橘くんとは半年ほど付き合って、別れた。
理由は明白、私は彼の誘いを断った。
『なぁ、いいかな。榎戸……』
ある日のバス停。
雨がざーざーと振り、二人しかいなかった待ち時間。橘くんはキスしてきた。そして、頬を赤らめて私に言ったのだ。ちょ、こんなところでと胸をさわられ、嫌がる私。いや、それだけじゃない。恐怖。怖かった。橘くんが知らない人のように感じられ、私は強く彼を突き飛ばす。もちろん、体格差がありすぎるから彼が吹っ飛ぶことはなかったものの、彼は精神的にショックだったようだ。
でもさ、誰だってイヤじゃない。そんなとこで求められても。だけど、彼にとっては重要だったようでそれ以降は疎遠になり、彼から別れを言い出した。
『榎戸、お前さ。おれ以外に好きな奴がいるだろ』
それが辛くて、もう耐えられないと。
彼は言った。
……そうだよ?
そうだけどさ。ずっと、ある奴のことが好きだけどさ。今、それについて言うかな。
違うでしょ、私が橘くんを拒絶したからそれがショックだったんじゃないの。
私が違う人を本命にしてるのは別の話じゃないの。
……言い訳か。違うよね。多分、彼は付き合った当初から私の本命は他にいるって気づいてたんだ。そうか、あんなところで急に求めて来たのもそれが理由だったのかな。
悪いのは私だったのかな。
橘くんと別れることになった日。
家に帰り、死人のように沈黙する私。
「………」
神様はというと、やたらソワソワしている。いつもは一言か二言、何か言う私が死に体で読書にも集中できず、私の周りをウロチョロしていた。しかし、聞き出す勇気はないようでとりあえず温かいお茶を出したり、お茶菓子を出す程度だ。しかも無言。
温かいお茶……紅茶を丁寧に淹れたやつでおいしかった。
「……うぇ」
泣いた。
ここ何年も号泣してなかった分も含めてのような大粒の涙。
余計に神様は慌ただしくなるのだが。
14
「いや、それお前は悪くないじゃろ」
事情を聞いた百花は怒った。
余計に家に居座ることが多くなる。
二階に自分の部屋があるがそちらに行くことなくリビングで過ごしてばかり。それはやっぱりあの神様のせいなんだけど、その神様本人はそんなのおかまいなしに本に夢中で私が不満そうに彼を眺めても知らんぷりする。
中学生にもなると流石に不満が溜まっていた。
彼は親代わりをしてるわけじゃない。あくまで居場所を与えてくれただけだ。彼も必要以上に絡む気はないのだろう。これまでそんなに愛情を持って接してくれたことなんて――いや、それは言い過ぎか。
「………」
海に溺れたとき、助けてくれたもんね。
でも、彼本人に何らかの制約があるのか外には出られない。出たら、以前のように体調が悪くなる。だから旅行もしたことがないし、私も友達がいないから家でダラダラとすることが多くなる。自然と私の子供時代は百花と沈黙ばかりの日々だ。
彼が相手してくれないとあきらめ、私は勉強をする。ノートを広げ、教科書を見ながら問題を解いていった。百花がいるからサボることもできないし、緊張度が高まる。そして、分からないことがあれば聞けるから私の成績は昔からトップを走っていた。
「ほのか。お前、大人になったらここを出てけ」
急に言い出した、神様。
私は勉強に集中していた。トムとジェリーがいて、トムは毎日のバス代が高いと困っていると英語で長ったらしくしゃべっている。そんなの知らないよと思いながらもトムの英語を翻訳していき――ん、何を言ったこの神様。
「いきなり、何? ちょ、唐突すぎない?」
「………」
だんまりかよ!
「ちょ、流石に何か言ってよ! 出てけって、今更そんな」
「大人になったらと言ったじゃろ。正確には高校を卒業したらじゃな。上京して大学に行くんじゃろ? お前、そのときになれば自然と出てくさ。困ることはない」
「別に、上京するって決めてるわけじゃ」
「こんな田舎に就職先なんてないし、それにお前さんは外に出た方がいい」
早く、出て行けるならした方がいいと彼は言った。
「………」
私は、一方的な物言いに納得がいかず、何か言おうとしたんだけど。
でも、冷静に考えると確かに私は上京――悪くないかなと思ってる。
別にこの地が嫌いなわけじゃない。だが、特別好きでもない。ちょっと歩けば海が見える素敵な場所、ていうのは外を気軽に歩く明るい性格の持ち主がすることで、そして惚れることで、私からしたら波の音はうるさいし、塩害はこの家じゃしないけど、外に出ると影響がすごいし。学校に行く自転車とか、外に止めてたら短時間でもダメージ受けるしさ。
だけど、納得がいかなかった。
確かに、いずれ私はここを出るかもしれないけどさ。
「………」
それって、百花とも離れることになるじゃん。それをさ、自分から言う?
てか、百花は何も思わないわけ。
私達、仮にも長年暮らしてきたんだよ。それなのにさ、そんなあっさりと出てけなんて。例え、まだ大分先の話であってもだよ。何だか、嫌だ。それに出てけって言うのがさ、まるで。
「それって、もう二度とここには来るなってこと?」
神様は答えない。
ひどい。悪魔だ。こういうときだけ、神様みたいな威圧感のある雰囲気を出して、私に何も言わせないようにしている。神様というより、本当に悪魔なんじゃないか。
この当時は中学生だ。
中学生の心は常に爆薬を抱えてるようなもの。このとき爆発した私の心は駆け出し、家を出て走った。どこに向かうか決めてない。すでに日は落ちかけていて、夜になるというのに。子供の私は百花が冷たい態度を取ってふてくされてプチ家出みたいなことをしでかした。
海の近くに、錆びてしまった遊具ばかりが残っている小さな公園がある。
そこのブランコで一人座って、ブランブランッと時間を潰した。
また、あのときみたいに百花が私を助けに来てくれないかなと思っていた。
数時間経ち、流石に十時を越える頃になると家に帰宅した。百花は私は出てくときと同じ姿勢で場所で、本を読んでいた。
「夕飯はできてるぞ。たくっ、もう少し遅かったら尻を叩いてたわ」
「来なかったくせに」
「そう何度もワシは外に出られん」
それ以上語る気はないらしく、会話は終わった。
出されてる料理は私の好きな焼き魚やあさりの味噌汁で、そこだけは救いだった。
これは、あとあとになって気づいたことだが、あいつ公園のそばでずっと私がどうするか見守ってたらしい。夕飯を用意したあと、ぐったりと寝込んだし。後日、学校で夜の公園に美形の少年の噂が流れていた。ほんと、あの神様はツンデレにも程がないだろうか。
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でも私も子供だったな、と現代の大人な私はうめく。
「……はぁ」
私は、現実にもどる。大学二年生になっていた。
朝、白いカーテン越しに日射しが入る。北欧家具チェーン店で買ったカーテン、あ、洗うの忘れてたな。ちょっとホコリがついてるや。
八畳間ぐらいのアパート。
神様の家にあった机や本棚、ベッドをそのまま持ってきてる。本棚もあり、大学で使う資料を机から取りやすい位置において、あとは趣味の映画関係の雑誌や、サブカルチャー系の本、小説は下段や上段に置いている。あまりにも濃い本は下の下に。
「………」
起き上がる。
時計を確認すると朝の五時。随分と早い時間帯だ。二度寝しようかとも思うが、ちょっと本でも読んでようかな。ある程度経ったら、大学行く準備をしよう。
上京する前に、いやあの家を出る前に百花から十分なお金はもらった。なので、学費と生活費に関しては大分蓄えがある。私も趣味が少ないし、多少本を買う程度なので散財の心配はない。
「……はふっ」本を読み、時間になると朝食の準備をした。昔は全部百花にやってもらってたけど、ご飯を作るのって大変だ。良いご身分だったんだなと今の私は感じるよ。ほんと、楽園にも程があるところだった。百花に良くしてもらいすぎた。
神様が、家から出てけと言ったのは卒業という意味だったのかな。
あのままだったら、ぬくぬくと永遠にあの場所に居続けた。
それこそ二十歳を超えても、三十を超え、おばあちゃんになって死ぬ間際も――あの場所にいたかもしれない。
百花は、それだけは嫌だったのかな。
「ずっと少年の姿の神様か」
百花は、どんな気分だったのかな。小っちゃかった私に背を超えられて。
嫌な感じだったかな。
そうだったら、嫌だな。
「………」
目玉焼きを作ることにしたが、目玉焼きはすぐに焦げてしまった。
7
電車に揺られて、目的地へ。
私は本を読みながら、走るゆりかごに身をゆだねる。
「………」
今日は、岩さんと会う。
「俺、大学辞めるわ」
昨夜突然岩さんは言った。オンラインゲームをしていたときのことだ。FPS系、中国か韓国制作ので銃をバンバン撃つゲームだ。
百花は私にゲームをするな、とは言わなかった。だが、私の心の中でどことなく忌避感があった。私は早くに両親を失い、この家に居候のような形で将来がどうなるか分からないという焦りがあったのだろう。だけど、クリスマスが近くなると百花は私にプレゼントとしてゲーム機を渡そうとした。その際、さりげなく(百花はそう思ってる)プレゼントが何がいいかを聞いてきたことがある。あいつ、普段は黙々と本を読んでるくせにそういうイベント事はうるさいのだ。
『のう、ほのか。ゲーム機とか欲しくないか?』
『いらない』
全然さりげなくじゃなかったな。あいつ、ちょっとゲームやってみたかったのかもしれない。当時の私はそんな彼の気持ちも知らずに断っちゃったけどね。
思春期だし、余裕がなかったのだ。
で、そんな感じでこれまでずっとゲームをしてこなかった私。
大学生になっても触れる気はなかったのだが、岩さんがちょっとだけでもやってみ、と誘い、パソコンでできるゲームも多いからと――気がつけば、FPS系のゲームを筆頭に色々なゲームに手を出す始末だ。
電車に揺られてゴトンゴトン。
本を読んでいる。ブックカバーをつけて。
相変わらず本の虫だけど原作はノベルゲームのやつで、それもオタクの人が好みそうな題材。中世ヨーロッパ風のお姫様が色々な王子様と恋愛するのだ。
趣味変わったな、と自分でも思う。
電車は平日のお昼頃らしく人の数はまばらで、安心して私は読書時間を楽しめ――ない。正直、岩さんのことで頭がいっぱいだった。
「………」
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「岩さん、あの、大学を辞めるって」
「ほんとだよ」
岩さんとしては、穏やかに話を進めようとしたらしい。
渋谷にあるおしゃれなカフェ。コーヒーの味より雰囲気とお菓子の内容で勝負する、若い人向けの店だ。そこで、岩さんはアイスコーヒーを、私はカフェオレを選ぶ。
「この前やったゲーム」と岩さんとしては普段通りの談笑から始めようとしたんだけど、私がそれを遮って発言してしまった。相変わらず、自分の不器用さに凹む。
「も、もしかして、同性愛のことで」何か言われて、と言おうとしたのだが。
「あのさ。勝手にいらん想像するのやめろや」
音量の高い声。
これまで岩さんがすることはなかった怒りという色を込めたもの。
私は、思いがけない声を聞いてしまい、ビクッと硬直する。その硬直も恐怖による硬直というより動画を一次停止したかのように微動だにしない硬直。恐怖もあるはず。でもそれ以上に悲しみとか、そういうのが勝る。
「すまん、ちょっと怒りっぽくなってる。ごめんな」
「い、いえ、すいません。悪いのは私です」
うなだれる、私。
悪いと思うなら場を和ますこと言えばいいのに、落ち込むだけの私。岩さんには感謝してもし足りない恩があるのに、ほんとに最後まで何にもできない。
「単純な話だ。金、金がないんだよ」
父親の会社が倒産したらしい。それで、岩さんも働くはめになったと。
「で、でも奨学金を使えば」
「それも返せるアテがないからな。ははっ、しょうがないわ。オヤジに無理言って上京したんだ。だから、オヤジが困ってたら助けなきゃな。母さんもパートばかりやってるらしいし」
弟もいるから、と岩さんは言った。
だから、来年すればもう卒業なのに岩さんは辞めると言っているのだ。
「……そ、そうですか」
ほんとに、気の利いたことを何も言えない私。自分で自分に腹立つ。刺したくなる。何で、これまで何度も岩さんに助けてもらったでしょ。何してんの、あんた。何か、少しでも何か言いなさいよ。
「気にするな。といっても、ほのかには無理か。無駄に考えすぎるタイプだからな」
「い、いえ、私」
「ショック、はショックだけどな。でも、どこか心の中じゃやっぱりこうなったか、て思ってんだ。今までうまく行き過ぎたろってな。田舎が嫌でさ、今思うと多少マシなとこもあるけど、当時はほんとにクソみたいなとこって……でも、今はいいかなって」
悪い、と岩さんはアイスコーヒーを勢いよく飲み干し、席を立つ。
「先帰るわ。悪いな」
「あ、いや、いえ」
また、何も言えず、がんばってくださいすら言えてない。いや、失意の中でそれは逆にひどいか。あー、何をしたいのか自分でも分かっていない。
「……岩さ――」
ひたすら悶々として、意気込んで振り返るとすでに岩さんはいなかった。
数名の若い子達が談笑してるカフェで、一人ぽつんとしてしまう私。
カフェオレを飲み、無性に砂糖が欲しくなった。
9
帰りの電車。
岩さんのことを考えてる。
多分、あの人のこと好きだったんだろうな私。ろくな恋愛経験ないけどさ。初恋となる者はアニメキャラで二回目は陰で私の悪口言ってて、三度目は……三度目は人間ですらない。アニメキャラとはまた違う存在。確かにいるのに、不思議な存在。
四度目は……高校のときに少しだけ付き合った男子。で、五度目が岩さんか。恋愛か分からない。単に男の人に優しくしてもらうってのが久々で、いや神様は例外ね。あれは別。だから、私はその気になってしまったんだと思う。岩さん、女性が恋愛対象じゃないのに。
「………」
でも、実らなくてもいいってあきらめてた。あきらめ?
違うか。納得はしてたんだ。最初から恋愛対象にならないって言われたし。じゃあ、岩さんの近くでというか。友達として、やっていこうと。単純に岩さん人が良いし、楽しいしってさ。だからさ。でも、いなくなるって悲しいな。実家は九州らしいから会うことはないだろうな。ネットで会話するくらいか。それも仕事で忙しくなれば、岩さんはできなくなるか。
「はぁ」
帰りの電車。多少、人の数が増した。しかし、それは一人か二人程度。
本を開いてるが中身は頭に入ってこない。
「そうだ」
百花に相談すれば?
神様なら、お金だっていくらでも持ってるんじゃないか。それなら――。
「最低か、私は」
私のお金じゃないだろ。百花に世話になっておいて、何をまだねだろうとしてるの。たち悪い。そうやって友達が辛い目にあったら何でも百花にお願いするの。卒業するって、あいつの家を出るとき誓ったはずなのに。
「………」
窓ガラスにふと視線がいくと、私自身の姿がかすかに映る。嫌になった。
10
高校生になった私。
あの頃の私は、ちょっと無敵だった。
それまで学校では内気で陰気な生活を送っていた私だが、勉学ばかりに励み、その甲斐あってか進学校に合格した。
百花の家からはバスを乗り継いで五十分ほどかかるが、設備は地方にしては整っており、吹奏楽部や演劇部など文化系の部活動が盛んである。校舎は近代建築らしい白い真四角がいくつも並んだ建物で、ここに通うだけで陰気な気分は吹き飛んだ。
友達も何人かできた。とはいっても、進学校の授業は厳しくてついてくのでも大変だったし、友達はほとんど部活に参加していたので、私だけ帰宅部でさびしい思いをする。
「高校生になっても早く帰って来るのう。部活動でもすればよいのに」
と、帰宅した私を百花は言ってくれるが。
うるさい、こっちは好きで早く帰宅してるんだ。
「……ふんっ」
正直、この頃になってようやく百花に対しての思いを把握しつつあった。
といっても相手の見た目は私よりも若く見える。いくら何でも恋しちゃまずいだろってくらいに。いや、神様相手に何を考えてるんだって話だが。
それに、百花は全く私を相手にしていないしね。
悩みなんて、相談すれば一応真剣に聞いてはくれる。授業についてくのが大変といえば、勉強のサポートもしてくれるし、分からないことが尽きっきりで教えてくれた。
でも、それは子供に対する接し方だ。もちろんだけど、恋愛対象にしてるわけじゃない。
当たり前でしょ。幼い頃からいっしょにいるんだから。
「………」
「何じゃ、ワシに何かついてるか」
「ついてないけど」
ふと、彼の顔を長く見過ぎてしまった。流石の神様も反応する。
こいつ、私が恋してるってこと気づいてすらいなんだろうな。で、告白したら絶対笑うんだろ。小さい娘がパパ好きーって言うのと同じような感じと思っちゃうんだ。
「………」
本当のパパは死んじゃったけど。ママもね。
もう、あの二人の記憶はうっすらとしか覚えてない。いなくなったときは悲しくて死にそうだったのに、ひどいかな。でも、時間っていうのは驚くほど私の記憶を抹消してくんだよ。
「ねぇ、百花」
「何じゃ」
勉強する手を止めて、私は百花に聞いてみる。彼はまた本を読みながらの対応。
「上京することになって家を出たら、長い時間が経っちゃったりしたらさ。私、百花のこと忘れちゃうのかな」
「忘れろ。本来、ワシのような存在は人間と会うべきじゃない」
「叔父さんとは知り合いだったくせに」
「あいつは昔から変なものに巡り会う才能があるんじゃ。海外でもワシのようなのと出くわしたらしいぞ。本来、そんなものいらんのにな」
「いらなくないよ」私は言う。「だって、百花に出会わなかったら私、どうなってたか」
「ほのかは十分強い子だったと思うぞ」だから、大丈夫だったと思うと。「いや、大変な道のりになるとは予想するがな。でも、ワシはほのかだったら案外平気だったんじゃないかと考えておる」
そんなことを考えられても困るんだけどな。
百花と出会わなかったらなんて。そんなの、考えたくもない。ひどくない。そんな話するなんてさ。
11
高校生になると多少化粧をするようにもなる。
中学までは私の周りは一部の人達がする程度だった。都会だったらまた違うのかな。それとも、私の周りだけだったのかな。ともかく、高校になるとみんなが当たり前のように化粧をしていた。呼吸でもするかのように、大人になったら税金を払うのが当然のように自然とみんな化粧をするのが法律となっていた。
地味な印象の多い私の友人関係も、みんなしていた。
「あのね、地味だからこそ化粧すべきなんだよ」
と高校の友人の一人に諭された。確かにその通りだと自分を恥じる。
私も彼女達に教えられながら、化粧をした。いや、あくまで高校生が買えるぐらいのものだ。それでいて基礎的なのを教わる。スキンケアやベースメイクの方法、目の周りのあれこれや、リップなど、おすすめを試しながら学んでいく。
高校二年生になると私も化粧を自然とこなせるようになった。といっても元々がめんどくさがりやだから、積極的に目元を強調したりはせず、ただ肌荒れとかそういうのは気にするからそれをカバーする程度だ。
家にいても神様はその手のことは疎いのか気づかずにいたが、高校三年生くらいになってようやく神様は私の化粧に気づいた。
「……ん、おおっ!? ほのか。お前、化粧してるのか」
「いや、遅いからね。高一でしてるよ」
何だ、子供にはまだ早いっていう嫌な大人的なこと言うのかとそのときは疑ったがそのときは何も言わず、後日、誰かからもらった化粧品グッズやらを私に渡してくる。いや、高そうな口紅とか香水まであってさ。そんなの私だって分からないよ。
「ワシがやってやろうか? 一度やってみたかったんじゃ」
「絶対にイヤ。死んでも百花にはやらせない」
「何でじゃ!?」
「そんなショックそうな顔してもダメ! 百花、子供心な目をしてるもん。それ、男の子がプラモデルいじるときにする目でしょ!」
ただ、その後も百花はしつこかったので一度だけやらせることにした。案の定、私の顔は昭和の怪人のような顔になってしまった。ほら、江戸川乱歩とか。そういうの。
「……(しゅんっ)」
百花の妄想では、嫌がってた私が賞賛するほどのメイクをするはずだったらしい。この神様、妙な自信だけは無駄にあるんだよね。
私にもやらせてよと百花にメイクした。元から質感の良い白い肌をしてるというか。普段の彼が超絶美形だからか。逆にどこをメイクすれば分からなかったが、とりあえずメイクの下地をして、多少まつげを整える。それだけでも美しい彼の顔は際立つ。
「ほう、やるもんじゃのう。ほのか」
いや、すごいのは百花の美顔だよ。
くぅ、神様と人の違いってやつなのか。メイクを教えた私の方が悔しくなったのだった。
12
メイクをすると自信もついてきた。歩くときも以前の私は重しでも乗せられたかのように背が曲がって目もキョロキョロと落ち着きがなかったのが、背筋に針金を通したみたいにビシッとなり、動作の一つ一つも毅然とする。
そして、告白された。
「おれと付き合わない?」
橘修介(たちばなしゆうすけ)くん。
私が通学で使うバス停は人があまりおらず、それもそのはずであの家がある辺りはほぼ限界集落だし、そこ付近の子供というとどうしても分母の数は限りなくゼロに近い。彼も私と負けず劣らず田舎の子だった。
派手な印象はなく、一応部活でサッカーをしてるらしい。日焼けした体。体格は私から見たら倍以上あるように見えて、でも威圧感のある人じゃなく、だからかバス停で出くわすと度々会話した。
だから、自然と「はい」と答えていた。
当時の私は浮かれていた。告白されたのは高二の夏。正確には夏休みに入る前だ。
「私、彼氏ができたんだ」
いつも通り本を読んでいた神様。このときも「ふぅーん」と反応するだけだった。
おい、もっと何か言うことあるだろと私は不満だったが、その日の夕食は大量の赤飯だった。どれだけ感情表現が下手なんだ、あいつは。百花と出会い暮らすようになってそこそこ経つが、ようやく彼のことが分かり始めて来た。
朝、登校しようと外に出る直前、百花は家庭料理の入門書という本を渡してきた。
「………」
いや、何か言えよ。
多分、これで男の胃袋をつかめ。的なことを言いたかったんだろうけど、不器用すぎて何も言えなかったらしい。言いたいことは分かるけどさ。あーもう、神様なのに何なのだ、と心でブーブー言いながら私はバス停へ向かう。
私の高校の通学は二つか三つバスを乗り継ぎするもので、橘くんとは三つ目のバスでいっしょになる。
楽しかった。
あまり男子慣れしてない私だが、彼は優しく紳士的で、それでいて会話も部活のサッカーで大人数と話して吸収して語彙が多いらしい。テレビで見るお笑い芸人よりも笑わせてくれた。
百花という超絶美形の見た目お子ちゃまな神様と暮らしているが、あいつは男子、いや男……という感じではない。外見からして人外というか、人の領域を超えすぎていて、学校の男子とは別物だったし、あいつは……私を娘、いや小娘程度にしか思ってないだろうから、異性の目で見られることもなかった。
今にして思えば、私が岩さんに惹かれたのもそれが理由だったのかもしれない。
異性として見られないからこその安心感。
それに甘えるように私は女扱いをしないというか、性の対象として見られることがない安全圏にいられるから、と思い込んでしまった。
13
橘くんとは半年ほど付き合って、別れた。
理由は明白、私は彼の誘いを断った。
『なぁ、いいかな。榎戸……』
ある日のバス停。
雨がざーざーと振り、二人しかいなかった待ち時間。橘くんはキスしてきた。そして、頬を赤らめて私に言ったのだ。ちょ、こんなところでと胸をさわられ、嫌がる私。いや、それだけじゃない。恐怖。怖かった。橘くんが知らない人のように感じられ、私は強く彼を突き飛ばす。もちろん、体格差がありすぎるから彼が吹っ飛ぶことはなかったものの、彼は精神的にショックだったようだ。
でもさ、誰だってイヤじゃない。そんなとこで求められても。だけど、彼にとっては重要だったようでそれ以降は疎遠になり、彼から別れを言い出した。
『榎戸、お前さ。おれ以外に好きな奴がいるだろ』
それが辛くて、もう耐えられないと。
彼は言った。
……そうだよ?
そうだけどさ。ずっと、ある奴のことが好きだけどさ。今、それについて言うかな。
違うでしょ、私が橘くんを拒絶したからそれがショックだったんじゃないの。
私が違う人を本命にしてるのは別の話じゃないの。
……言い訳か。違うよね。多分、彼は付き合った当初から私の本命は他にいるって気づいてたんだ。そうか、あんなところで急に求めて来たのもそれが理由だったのかな。
悪いのは私だったのかな。
橘くんと別れることになった日。
家に帰り、死人のように沈黙する私。
「………」
神様はというと、やたらソワソワしている。いつもは一言か二言、何か言う私が死に体で読書にも集中できず、私の周りをウロチョロしていた。しかし、聞き出す勇気はないようでとりあえず温かいお茶を出したり、お茶菓子を出す程度だ。しかも無言。
温かいお茶……紅茶を丁寧に淹れたやつでおいしかった。
「……うぇ」
泣いた。
ここ何年も号泣してなかった分も含めてのような大粒の涙。
余計に神様は慌ただしくなるのだが。
14
「いや、それお前は悪くないじゃろ」
事情を聞いた百花は怒った。