2章 作られた世界
2-1. 懐かしき王都
「あっ、主さまにお召し物をお持ちしますね!」
そう言うとルコアはピョンと飛び上がり、崖の中腹にある洞窟までツーっと飛んで行った。
しばらくして両手いっぱいに衣服を持って戻ってくる。
「これなんかいかがですか?」
ルコアは麻でできたシャツなどをあてがってくれるが、六歳児には全部大きすぎてブカブカだ。
「もういいよコレで行く」
ヴィクトルは大きな風呂敷みたいな布を手に取ると、インドのお坊さんのようにシュルシュルと身体に巻き付ける。
「主さま、さすがです。お似合いですわ!」
ルコアはうれしそうに言った。
「じゃあ、朝食でも食べに行くか!」
ヴィクトルはニコッと笑う。
「え? 何食べる……ですか?」
「王都のカフェに行こうかと思って」
「王都! ずいぶん……、遠くないですか? 飛んでも三十分はかかりますよ?」
ルコアは眉をひそめる。
「僕なら三分だよ」
ヴィクトルは服をアイテムバッグにしまうと、ルコアをお姫様抱っこして一気に飛び上がった。
「えええ――――!」
仰天するルコア。
「舌噛むといけないから口閉じてて!」
ヴィクトルは気合を入れ、一気に加速した。
グングンと小さくなっていく山や森。
「ひぃ――――!」
あまりの加速にルコアはヴィクトルにしがみつく。
「さて、全力で行くぞ――――!」
そう言うとヴィクトルは全力の魔力を注ぎ込んだ。
ドーン!
衝撃音を放ちながらあっという間に音速を超え、さらに加速していく。
グングンと高度を上げ、雲をぶち抜くと、そこは朝日のまぶしい青空と雲の世界が広がっていた。
まるで天国のような、爽快な世界にヴィクトルはうれしくなって、
「ヒャッハー!」
と、浮かれながらキリモミ飛行をする。
「キャ――――!」
ルコアがしがみついて叫ぶ。
「ドラゴンなのに怖がりだなぁ」
ヴィクトルが笑いながら言うと、ルコアは、
「こんな速さで飛んだことないんです!」
と、目を潤ませて言った。
「ははは、僕も今日初めてだよ」
ヴィクトルは笑い、ルコアは絶句する。
やがて雲間に王都が見えてきた。
ヴィクトルは『隠ぺい』のスキルをかけると徐々に高度を落としていく。
盆地の中に作られた巨大な都市、王都。頑強な城壁がぐるっと街の周りを囲い、中心部には豪壮な王宮がそびえている。
そして、その隣には高くそびえる賢者の塔……、六年前まで住んでいた王都を代表する知の殿堂だった。
ヴィクトルは賢者の塔に向けて降りていく。
八十年間、ここで頑張っていたのだ。必死に研究をつづけ、国の危機を救い、仲間を悼み、そして自分も最期の時を迎えた……。
建物の随所に思い出が詰め込まれていて、思わず胸が熱くなり、知らぬ間に目から涙がポロリとこぼれる。
「主さま、どうされました?」
ルコアが心配そうに聞く。
「大丈夫、ちょっと目にほこりが入っただけ……」
ヴィクトルはごまかすと、王宮の周りをぐるりと一周飛んで懐かしい景観を楽しむ。
「こんな近くで見たの初めてですよ! 素敵~!」
ルコアは王宮の豪奢な装飾や立派な尖塔に感激する。
「王都はさすがだよね」
ヴィクトルはそう言うと、大きく舵を切って繁華街の裏通りの方へ降下して行った。
◇
辺りに人がいないのを確認して、ヴィクトルは裏路地に着地する。
「本当にあっという間でした。主さま素晴らしいです!」
ルコアは地面に降ろしてもらいながら感激する。
ヴィクトルはニコッと笑うと、
「確かこの辺にいいカフェがあったんだよ」
そう言って歩き出す。
裏路地を抜けてしばらく行くと古びたカフェがあった。最後に訪れたのは十年くらい前だろうか? 弟子を連れて散歩がてらに寄ったことを思い出し、思わず目頭が熱くなる。
「おぅ、ここだここ、懐かしいなぁ……」
「懐かしい……んですか?」
ルコアは小さな子供の懐かしさが良く分からず、不思議そうに聞く。
「気にしないで、ここのサンドウィッチはお勧めだよ」
そう言ってヴィクトルは中に入り、棚に並んだサンドウィッチに目移りをする。
「私は肉がいいなぁ……」
「肉? こういうのとか?」
ヴィクトルはベーコンサンドを指さした。しかし、ルコアは首を振り、
「パンとか野菜は要らないんです」
と、渋い顔をする。
ドラゴンは肉食らしい。
ヴィクトルはサンドイッチを一つとると、カウンターへ行って店のおばちゃんに声をかける。
「すみませーん!」
「はいはい、あらあら、可愛いお客さんね」
おばちゃんは相好を崩す。
「ベーコンだけ塊でもらえたりしますか?」
「塊で!? そ、そりゃぁいいけど……、一つでいいかい?」
おばちゃんはいぶかしげに聞く。
ヴィクトルはルコアを見ると、ルコアは、
「出来たらたくさん欲しいんです……」
と、恥ずかしそうに言った。
「あらまぁ……。五本でいいかい」
おばちゃんは厨房の様子を振り返りながら答える。
「じゃあそれで! それと、コーヒー二つ!」
ヴィクトルは元気に頼む。お代は交渉して魔石で払った。
2-2. 偉大なる神代真龍
二人はトレーに山盛りのベーコンなどを載せて窓際の席に座った。
ヴィクトルはサンドイッチを一口かじり、じんわりと広がる肉と野菜とドレッシングのハーモニーに恍惚となる。
「美味い……。食べ物ってこんなに美味かったのか……」
そう言いながら目をつぶり、一年ぶりのまともな食事に感動していた。
ルコアはベーコンを手づかみで持ち上げると、そのままモリモリかじり始める。
美しい銀髪の女性が、ベーコンを美味しそうにむさぼる様はあまりに異様で、他の客たちは唖然としてその様子をチラチラと見ていた。
サンドイッチを堪能し、コーヒーをすすりながらヴィクトルはルコアに言った。
「ルコアのこと教えてよ」
「はい! なんでも聞いてください」
ルコアはゴクンとベーコンを丸呑みにすると答えた。
「どうやって生まれて、あそこで何してたとか……」
「生まれたのは今から千年位前ですかね? 神代真龍のレヴィア様に作られました」
「ちょ、ちょっと待って。神代真龍……って何?」
ヴィクトルはいきなり出された聞き覚えのない龍の名前を聞き返す。
「あ、この世界を管理されている龍ですよ」
「管理? どういうこと?」
「魔物とか魔法とかを生み出した方です」
ヴィクトルは唖然とした。
魔物の存在には以前から違和感があり、それは龍が作ったものだと聞いてなんとなく分からないこともなかったが、魔法まで作られたものだと聞いて混乱してしまう。魔法とはこの世界の基本にあるものだとばかり思い、八十年も一生懸命その研究を続けてきた前世、その基盤が揺らぐような爆弾発言にヴィクトルは目の前がくらくらした。
「ちょ、ちょっと待って。もしかして千年前には魔法ってなかったの?」
「そうですよ?」
ルコアは当たり前のようにそう言うと、またベーコンをかじって丸呑みした。
ヴィクトルは思わず頭を抱え、一体どういうことかと必死に考える。
体内にある魔力を練り上げ、呪文の術式に載せて力として具現化する……。その行為のどこからが作られたものだろうか? もしかして……、全部……。
嫌な汗がじわっとわくのをヴィクトルは感じた。
「もしかして魔力って……、その、レヴィア様が作った……もの?」
ヴィクトルは恐る恐る聞く。
「そうですよ? HPもMPも魔力も攻撃力もステータスは全部レヴィア様が設定されました」
ヴィクトルは思わず天を仰いだ。
何ということだろうか。今まで当たり前だと思っていたステータス、魔法、魔物、これらはすべて龍によって千年前に作られたものだったとは……。
これらがない世界が本当の世界……、本当の世界ってどんな風になるのだろうか? すでに魔法は社会で広く使われてしまっている。ヴィクトルは、魔法が無くなってしまったら、どうなるのかを思い描いたが……、魔力エネルギーも治療院も無くなったら社会は回らない。思わず背筋が凍って、ブルっと身震いをした。
そもそも魔法なんてどうやって作るのか? ヴィクトルは全く想像を絶する話に言葉を失う。
「主さま? 大丈夫ですか?」
ルコアはキョトンとした顔で、うなだれるヴィクトルを見た。
「その……、レヴィア様には会うことは……できるのかな?」
「はい、ご案内しますよ?」
ルコアはニコニコしながら言う。
「分かった。落ち着いたらお願いするね」
ヴィクトルはそう言うとコーヒーをグッと飲んで目をつぶり、自分の中で大きく崩れてしまった世界観に、どう付き合っていけばいいか思索に沈む。
魔法も魔物も作り物……、それはヴィクトルにとって今後の生き方にもかかわる重大な事件だった。
2-3. 目立っちゃダメ
食後に冒険者ギルドへと向かう。
石造りの立派な建物が立ち並ぶ石畳の道を、二人で歩く。
朝露に濡れていた道ももう乾き、荷物を満載した荷馬車が緩やかな斜面を一生懸命に登ってくる。二人は荷馬車に道を空け、その先の裏路地へと入った。
しばらく行くと見えてきた剣と盾の意匠の看板、冒険者ギルドだ。がっしりとした年季の入った石造りの建物は風格を感じさせる。
「ここで冒険者登録をしよう。いいかい、目立っちゃダメだよ?」
ヴィクトルはルコアを見て言った。
「え? なぜですか?」
「目立つとね、面倒ごとがついてくるんだ。僕は静かに暮らそうと思ってるから実力がバレないように頼むよ」
「は、はい、分かりました……」
ルコアは少し釈然としない表情で答えた。
ギギギー!
ヴィクトルはドアを開け、中へと進んだ。入ってすぐのロビースペースでは、冒険者たちがにぎやかに今日の冒険の相談をしている。
二人はその脇を抜け、カウンターの受付嬢のところへ行った。
銀髪の美しい美人と小さな子供の取り合わせ、その異様さに冒険者たちは怪訝そうな顔をして品定めをし、こそこそと何か話をしている。
「いらっしゃませ! 初めて……ですよね?」
笑顔の可愛い受付嬢はそう言って二人を交互に見た。
「はい、冒険者登録と魔石の買取りをお願いしたいのです」
ヴィクトルがそう言うと、受付嬢は少し悩む。
そして、カウンターに乗り出し、小さなヴィクトルを見下ろし、困ったような顔をして、
「ぼく、いくつかな? 冒険者にはそれなりに実力が無いと……」
と、答えた。
すると、後ろで髪の毛の薄い中年の冒険者が、
「坊やはママのおっぱいでも吸ってなってこった!」
と、ヤジを飛ばし、周りの冒険者たちはゲラゲラと下品に笑う。
すると、ルコアがクルッと振り向き、恐ろしい顔で中年男をにらむと、
「黙れ! 雑魚が!」
と、一喝し、碧い目をギラッと光らせ、漆黒のオーラを全身からブワッと噴き出した。
「ひ、ひぃ!」
中年男は気圧され、ビビって思わず後ずさりする。
ルコアの使った『威圧』のスキルはすさまじく、ギルド内の冒険者たちは全員凍り付いたように動けなくなり、広い室内はシーンと静まり返った。
受付嬢もルコアのただごとではないありさまに青くなる。こんなすさまじい威圧スキルを使える人など見たこともなかったのだ。
ヴィクトルは思わず額に手を当てた。なぜこんな鮮烈なデビューをしてしまうのか……。
しかし、やってしまったことは仕方ない。
ヴィクトルはルコアの背中をポンポンと叩き、威圧をやめさせ、コホン! と咳ばらいをすると、
「一応僕も魔物は倒せるんだよ」
そう言ってアイテムバッグから魔石を次々と取り出し、カウンターに並べた。
オークやトレントなどの弱いものばかり選んで出していたのだが、間違えてワイバーンの真っ青な魔石が手からこぼれ、コロコロとカウンターの上を転がった。
それを見た受付嬢はひどく驚いた表情を見せる。
「えっ? ぼくがこれ、倒した……の?」
ヴィクトルは焦った。ワイバーンは少なくともレベル百のAランクの魔物だ。それを倒せるということはSランクを意味してしまう。Sランク冒険者など王都にも数えるほどしかいない。
「あっ、えーと、これはですね……」
冷や汗を浮かべながら必死に言い訳を考えていると、ドタドタドタ! と誰かが階段を下りてくる。
「今のは何だ!?」
ひげをたくわえた中年の厳つい男は血相を変えて受付嬢に聞く。
「あ、あれはこの方が……」
と、手のひらでルコアを指した。
男はルコアを上から下までジロジロとなめるように見る。
ルコアはニコッと笑うと、
「何かありました? 私はルコアです。よろしくお願いいたします」
と言って、軽く会釈をした。
男も会釈をすると、
「何があったんだ?」
と、受付嬢に聞く。
受付嬢が事の経緯を説明すると、男はふぅっと大きく息をつき、
「ちょっと、部屋まで来てもらえるかな?」
と、ヴィクトルたちに言った。
2-4. 判定試験
男はギルドマスターだった。
応接室に通された二人は、ソファーを勧められる。
「今日は……、どういった目的で来たのかね?」
ソファーに座ると早速マスターが切り出した。
「冒険者登録と魔石の買取りです。あ、それから暗黒の森の遺跡でこれを拾ったので届けようかと……」
ヴィクトルは生贄にされていた冒険者の認識票を手渡した。
マスターはいぶかしげに認識票の文字を読み、ハッとする。
「ヘ、ヘンリーじゃないか……」
そして、ガックリとうなだれ、しばらく肩を揺らしていた。
ヴィクトルは発見した時の状況を丁寧に説明する。もちろん妲己については黙っておいた。
「ありがとう……。仇を討ってくれたんだな……」
そう言いながらマスターは手で涙をぬぐう。
「話を総合すると……、君たちはSランク冒険者ということになるが……」
マスターは二人を交互に見る。
「あ、僕は低めのランクがいいんです。目立ちたくないので……」
ヴィクトルは両手を振りながら言った。
「何を言ってるんだ! ランクは強さに合わせて適切に設定されるものだ。試験をやるから受けなさい」
マスターは厳しい口調で言う。ヴィクトルはルコアと顔を見合わせた。
「まぁ……試験くらいなら……」
ヴィクトルは渋々答える。
◇
ギルドの裏の空き地に行くとカカシが何本か立っていた。
「あー、君、名前は?」
マスターが聞いてくる。本名は避けたかったので、
「僕はヴィッキー、彼女はルコアだよ」
と、適当に返した。
「よし、まずはヴィッキー、あれに攻撃してみてもらえるかな?」
マスターはカカシを指さして言った。
「攻撃を当てたらいいんですね?」
「なんでもいい、好きな攻撃をしてくれ。手抜きをしたらバレるぞ!」
「……。分かりました」
そう言うとヴィクトルは観念してカカシをジッと見る。少しくらい実力を見せるのは致し方ないだろう。
そして、指先を少し動かした。
ピシッ!
と、カカシが鳴る。
ニコッと笑うヴィクトル。
「どうした、早くやってくれ」
マスターが急かす。
「もう終わりましたよ」
ニヤッと笑ってマスターを見るヴィクトル。
「へ? 何を言ってるんだ、カカシに当てるん……、へ!?」
なんと、カカシが斜めに斬れてズルズルとずれだし、そして、ドサッと転がったのだった。
唖然とするマスター……。
「主さま! すごーい!」
ルコアはヴィクトルに駆け寄ってハグをした。
ふんわりと甘い香りがヴィクトルを包む……。
「ちょ、ちょっと、離れて!」
ヴィクトルは照れてルコアを押しやる。
「ハグぐらいいじゃない……」
ルコアはちょっと不満そうだった。
「ヴィッキー、お前、一体どうやったんだ?」
「風魔法を使ったんです」
「……。俺は昔、大賢者アマンドゥスの魔法を見たことがあるが……、彼でも魔法の発動にはアクションをしてたぞ? 君はアマンドゥス以上ってこと?」
マスターは困惑してしまう。
ヴィクトルは目をつぶり、ため息をつくと、
「あの頃は……、修行が足りませんでしたな」
と、アマンドゥス時代を思い出して言った。
「あの頃?」
怪訝そうなマスター。
「あ、何でもないです! 僕、この魔法ばかりたくさん練習しただけです! はははは……」
ヴィクトルは冷や汗をかきながらごまかす。
そこに若い男がやってきた。
「マスター! なになに? 試験やってるの? 俺が試験官やってやるよ」
男は陽気に剣をビュンビュンと振り回して言った。
「止めとけ! お前が敵うような相手じゃない!」
マスターは険しい声で言う。
「はぁ? このガキに俺様が負けるとでも思ってんの?」
男は不機嫌に返す。
「いいから、やめとけ!」
マスターは制止したが、男は言う事を聞かずに、
「俺様の攻撃をよけられたら合格だぜ!」
と、叫びながらヴィクトルに斬りかかった。
ヴィクトルは指先をちょっと動かす。
直後、キン! と甲高い音がして刀身が粉々に割れた。
柄だけとなった剣をブンと振り……、男は凍り付く。
「へっ!?」
そして、剣の柄をまじまじと見つめ、
「お、俺の剣が……、俺、これしか持ってないのに……」
そう言ってガクッとひざから崩れ落ちた。
2-5. 最強Cランクパーティ
「だから止めろって言ったんだ!」
マスターが諫めると、
「この野郎!」
男は逆上してヴィクトルに殴りかかる。
だが、直後、ドン! という音がして、男はヴィクトルに触れることもできずに吹き飛ばされ、ギルドの壁にマトモにぶつかって落ち、ゴロゴロと転がった。
マスターは口をポカンと開け、転がる男を眺めていた。
「あ……、やっちゃった……」
ヴィクトルは思わず開いた口を手で押さえる。今まで魔物相手に全力で戦うことしかしてこなかったヴィクトルには、手加減は難しかった。
「試験結果は……どうなりますか?」
ヴィクトルは恐る恐るマスターに聞いた。
マスターはヴィクトルをチラッと見ると、腕組みして考え込んでしまった。そして、大きくため息をつくと、
「Sランクだ……。だが……。あなたは目立ちたくないんですよね?」
「そうですね、できたらEとかFランクが……」
「とんでもない! うーん……。あいつがDだったからな。Cで……どうかな?」
マスターは気を失ってる男を指して言った。
「分かりました! ではCでお願いします」
ヴィクトルはニコニコして言う。Cなら騒ぎになるようなランクでもないし、いい落としどころだろう。
「ただし! ギルドに来た難しい案件は手伝ってもらうよ!」
そう言ってマスターはヴィクトルの目をジッと見つめた。
「わ、分かりました……」
制約が付いてしまったが、それでもSランクで騒がれるよりはいい。
「私は何ランクですか? カカシ吹っ飛ばします?」
ルコアがニコニコしながら聞く。
マスターは肩をすくめながら首を振り、
「いやいや、カカシも安くないんでね……。あなたもどうせSランクでしょ? あの威圧は異常だった」
「ふふっ、バレてましたね」
うれしそうなルコア。
「同じくCランクにしておきます」
「主さま! Cですって!」
「うん、Cランクパーティでやっていこう」
ヴィクトルはニコッと笑った。
「それで……、さっそくで悪いんだが、依頼をやってくれないか?」
マスターが手を合わせて片目をつぶって言う。
「え? 何するんですか?」
「クラムの山奥にコカトリスが三匹巣食っていて、コイツを退治してもらいたい。報酬は金貨二十枚だ」
金貨二十枚なら三カ月ほど宿屋に泊まれる。結構おいしい仕事と言えそうだ。コカトリスは石化の魔法を使う厄介な鳥の魔物だが、遠距離から叩けば大丈夫だろう。
「分かりました! よし、ルコア! クラムまで競争だ――――!」
ヴィクトルは嬉しそうにそう言うと、飛行魔法でビュンと飛び上がった。
「へぇっ!?」
驚くマスター。
「あっ、主さま、ずるーい!」
そう言うと、ルコアも追いかけて飛びあがる。
二人はあっという間に小さくなって見えなくなってしまった。
「はぁ!? 何だあいつら……」
マスターは飛行魔法の常識を破って飛ぶ二人を見て仰天する。飛行魔法というのはふわふわとゆっくり飛ぶ魔法であって、普通、あんなすっ飛んでいくようなものではないのだ……。
「信じられない連中だ……」
マスターは首を振り、ため息をつくと、転がっている男の所へ行った。
そして、ほほをパンパンと叩き、起こす。
必要であれば治癒魔法を誰かに頼まないとならない。
「おい、大丈夫か?」
マスターが声をかけると、男はゆっくりと目を開けた……。
「あ、あれ? 俺は……何して……るんだ?」
「新人冒険者に倒されたんだ、思い出せ」
「新人……? あ、あの子供?」
「Cランク冒険者だ。お前より強いんだ。二度と絡むなよ!」
「C!? 子供がC!?」
「だってお前、歯が立たなかったろ?」
すると男はガクッとうなだれ、ゆっくりとうなずく。
マスターは、パンパンと男の背中を叩き、
「早く冒険の準備でもしろ!」
と、発破をかける。
そして、斬られて転がっているカカシのところへ行くと、その切り口のなめらかさをなで、ため息をつき、新しいカカシと入れ替えた。
2-6. 痛いウロコ
ドーン!
いきなり衝撃音が走り、地面が揺れる。
マスターが驚いて音の方を見ると、金髪の可愛い少年、ヴィクトルが砂ぼこりの中、両手を上げてドヤ顔で立っていた。
「主さま、速過ぎですー」
ルコアが遅れて飛んでやってくる。
「お、お前たちどうしたんだ?」
マスターは、なぜか帰ってきてしまった二人に困惑する。
「どうしたって、コカトリス狩ってきたんだよ。ハイ!」
そう言って緑色に光る魔石を三個、マスターに渡した。
「金貨二十枚だよ!」
ヴィクトルは初成果が嬉しくて、ニコニコしながら言う。
「ちょ、ちょっと待て。もう終わったのか?」
「だって狩るだけでしょ?」
当たり前のように返すヴィクトル。
「主さまが三匹とも狩ってしまいました……」
ルコアは残念そうに言う。
「あ、そ、そうなんだ……」
マスターは規格外の二人に面食らい、魔石を眺めて立ち尽くした。
◇
二人はギルドカードを作成してもらっている間、防具屋へ行く。
壁に並べられているいぶし銀の立派な鎧を見て、ヴィクトルは声を上げる。
「うわぁ、すごーい!」
表面に彫られた唐草や幻獣の精緻な模様は、見ているだけでワクワクしてくる。
「主さまは防具なんて要らないのでは?」
ルコアは不思議そうに聞く。
「いやいや、冒険者だからね! それっぽい見た目してないとさ!」
ヴィクトルはウキウキだった。
「でも、小さい子供向けの鎧なんてないですよ?」
「なんだ? 坊主、鎧欲しいのか?」
厳つい中年男が後ろからにこやかに声をかけてくる。筋肉がムキムキで頭にはタオルを巻いている。店主のようだった。
「あ、僕は後衛なのでローブがいいんですが、子供用はありますか?」
「特注ならできるが……。坊主が……魔物狩るのか?」
店主はいぶかしげに言う。
「僕はこれでもギルド公認の冒険者なんです」
ヴィクトルはニコッと笑って言った。
「Cランクですよ! C!」
横からルコアが余計な事を言い、ヴィクトルは額を手で押さえた。
「C!? ほ、本当か? そりゃぁ……凄いな……」
店主は目を丸くする。
ヴィクトルはコホンと咳払いをして言った。
「できたら賢者が着るような渋い奴がいいんですが……」
「えっ!? 主さまって賢者なんですか?」
驚くルコア。
「あ、いや、あくまでもイメージで……ね」
「賢者かぁ……、そしたらこんなのはどうだ?」
そう言うと、店主は奥から純白のローブを取り出してきた。それは襟のところが青で金の縁取りがされた立派なものだった。
「えっ!? これって?」
ヴィクトルは驚く。それは前世次代に愛用していたデザインのローブだった。
「そう、稀代の大賢者アマンドゥス様のローブだよ!」
ヴィクトルはローブを手に取ると、懐かしさで思わず目頭が熱くなってしまう。
「だが、さすがにこれを着ようって奴はいないがな。ガハハハ!」
店主はうれしそうに笑った。
ヴィクトルはもう一度そでを通したく思ったが、ぐっとこらえ、
「これの青と白をひっくり返した物でお願いしたいんですが……」
と、店主に伝える。
「ふむ、アマンドゥス・リスペクトだな。いいんじゃないか?」
店主はニコッと笑った。
「特殊効果を加えることはできますか?」
「もちろんできるが……、龍のウロコとかいるぞ?」
店主は顔を曇らせる。
「それって暗黒龍のウロコでもいいですか?」
ヴィクトルはルコアをチラッと見て言った。
「あー、暗黒龍なら結構いい物になると思うぞ。魔法防御力+10%とか行くかもしれない。逆鱗ならさらにその倍だな」
「ダメです! ダメです! 逆鱗とか絶対ダメ! すっごく痛いんです!」
ルコアが焦って言う。
「痛い……?」
店主がいぶかしげにルコアを見た。
「お、お財布が痛いんですよ」
ヴィクトルがあわててフォローする。
「お財布って……、暗黒龍の逆鱗なんてどこにも売ってないぞ?」
「大丈夫です。逆鱗は諦めましたから」
それを聞いて、ホッと胸をなでおろすルコア。
「ウロコは……大丈夫そう?」
ヴィクトルは申し訳なさそうにルコアに聞く。
「主さまが何でも一回言うこと聞いてくれるなら……調達できるかも……しれないですね」
ルコアはジト目でヴィクトルを見た。
ヴィクトルは両手を合わせて頭を下げる。
そして、店主に聞いた。
「ウロコ持ってくるだけでいいですか?」
店主はノートを取り出してパラパラめくりながら言う。
「後は……、サイクロプスの魔石と……加工賃が金貨十枚だな」
「分かりました! 持ってきますね」
ヴィクトルはニコニコして言った。
2-7. 龍のスキンシップ
「ルコア、ゴメンな」
店を出るとヴィクトルは謝った。
「ウロコ取るの痛いんですからね!」
ルコアはプイっと向こうを向く。
「お詫びに何をしたら……いいの?」
ルコアはあごに人差し指を当てて、少し考え……、
「そうね……、ちょっと考えとく!」
と、ニヤッと笑った。
◇
次は服屋を回ってヴィクトルの服を見繕う。
ルコアは上機嫌に服を選んでは、次々とヴィクトルに当てた。
「あ、これ、主さまに似合ってるわ!」
「あー、じゃ、これでいいよ」
ヴィクトルはややゲンナリしながら返す。
「あ、ちょっと待って! こっちの方が可愛いかも……」
「いや、可愛くなくていいからさ……」
「うーん……。じゃ、次の店行ってみよう!」
ルコアはノリノリである。
結局、シャツと短パンを選ぶだけですごい時間を取られてしまった。
買った服に着替えたヴィクトルを見て、ルコアはうれしそうにニッコリと笑う。
ヴィクトルは、何がそんなに嬉しいのかとまどったが、そんなルコアを見てるうちに、自然と心がふんわりと温まっていくのを感じた。
今朝従えたばかりの暗黒龍と、こんな心の交流をしているなんて不思議ではあったが、一年ぶりの心癒される気分に頬が自然と緩んでいく。
◇
続いてマスターに紹介された宿屋へ行って部屋を取る。
「201号室だって」
ヴィクトルはそう言って階段を上り、ドアを開けた。
比較的ゆったりとした間取りにダブルベッドがドンと置いてある。
「あ、あれ……ダブルだ……替えてもらわないと」
困惑するヴィクトルを尻目に、ルコアはピョンと飛んでベッドにダイブした。
「わーい!」
「え? ツインに替えてもらおうよ」
「いいじゃない大きいベッド。フカフカで寝心地最高よ! 仲良く寝ましょ!」
ルコアは上機嫌にベッドの上でビヨンビヨンと弾む。
ヴィクトルはしばらく考え込んだが、
「寝相悪かったら床で寝てもらうよ!」
そう言って、ヴィクトルもゴロンと寝転がった。
「あ、本当だ……、これ、いいね……」
一年ぶりのベッドは快適で、ヴィクトルは思わずにんまりとしてしまう。
「ふふっ、主さま捕まえた~」
ルコアが上にのしかかってくる。柔らかな胸が押し付けられ、甘い香りにブワッと包まれるヴィクトル。
「うわっ! やめろバカ!」
押し返そうにも、そのためには少女の柔肌を押さないとならない。
ヴィクトルは真っ赤になって困惑する。
「ふふっ、冗談ですよ!」
ルコアは嬉しそうに横に転がった。
「お、お前なぁ……」
ヴィクトルは大きくため息をつく。
「スキンシップですよ、スキンシップ! 仲良しの秘訣ですよ!」
ドラゴンとのスキンシップがこんなに心臓に悪いとは予想外である。
前世の時も女の子の扱いに困らされてばかりだったのを思い出し、こういう時何と言ったらいいのか悩み、ため息をつく。
やがて睡魔が襲ってくる。思えば今日はいろいろあり過ぎた……。
ヴィクトルは大きく息をつき、静かに眠りに落ちていく。
◇
バシッ!
顔をはたかれたヴィクトルが目を覚ました。
「ん? なんだ?」
部屋はもう薄暗くなっていて、隣でルコアが大口を開けて寝ている。どうやら寝返りを打った時に叩かれたようだった。
ヴィクトルは寝ぼけまなこで不機嫌につぶやく。
「だからダブルは嫌なんだ……床で寝てもらうぞ……」
だが、幸せそうに寝ているルコアの寝顔を見ると、あまり強いことを言う気も失せてくる。流れる銀髪に透き通るような白い肌。そして、長く美しくカールするまつげ……。
ヴィクトルはしばらくルコアの寝顔をぼんやりと眺めていた。
これが街を焼き滅ぼしたとされる、あの恐ろしい暗黒龍とは誰も思わないだろう。世界は不思議に満ちている。ヴィクトルは首を軽く振り、またゴロンとベッドに横になった。
そして、天井を見ながら朝にルコアが言っていたことを思い出す。魔法やルコアを作り出した神代真龍……。一体どういう存在なのだろう? それは自分を転生させてくれた女神、ヴィーナとはどういう関係なのだろうか?
ヴィクトルは寝返りを打って真剣に考えてみる。しかし、いくら考えても全く手がかりすら見えてこなかった。
そもそも転生そのものが自然の摂理に全く反している訳で、自分の存在自体がイレギュラーなのだ。他にどんなイレギュラーな事があっても、驚いていてはいけないのかもしれない。
まずは神代真龍のレヴィア様に会うこと、これをルコアにお願いしてみようと思った。
2-8. 野生を呼ぶステーキ
ヴィクトルは水を一杯飲むとルコアを起こし、夕飯に誘った。
「ふぁ――――あ! 良く寝ちゃい……ましたね」
あくびをしながらルコアが言う。
「君に思い切り叩かれたんだけど?」
ヴィクトルはジト目で言う。
「えっ!? 主さまごめんなさい! どこ? どこ叩いちゃいました? 痛くないですか?」
ルコアはヴィクトルを捕まえ、あちこちをさすってくる。
「あー、もういいから! はい、ディナーに行くよ!」
そう言ってルコアを振り払う。
どうも調子が狂うヴィクトルだった。
◇
二人は石造りの建物の並ぶ夕暮れの街を歩き、ルコアお勧めのレストランにやってきた。
ルコアはテラス席に陣取ると、
「おかみさーん」
と、店の方に手を振る。
「ここは何が美味しいの?」
ヴィクトルが聞くと、
「へ? 私はステーキしか食べたことないですねぇ」
と、首をかしげる。ドラゴンに聞いたのは失敗だったようだ。
「あら、お嬢ちゃん久しぶり。今日は子連れでどうしたんだい?」
「ふふっ、ちょっと訳ありなの。それで、いつもの奴と、ステーキ十人前ね。主さまもステーキでいい?」
ルコアはヴィクトルを見る。
「あ、はい……」
「飲み物はミルク?」
おかみさんは優しくヴィクトルに聞く。
ステーキにミルクは合わないだろう。だが、酒を頼むわけにもいかない。
「水でいいです……」
ヴィクトルは残念に思いながらそう答えた。
「はい、わかったよ」
おかみさんはそう言うと、店の裏に回り、酒樽を重そうに持ってきて、ドン! とルコアの前に置いた。
「キタ――――!」
ルコアは歓喜の声を上げる。
「へ? 何これ?」
ヴィクトルが驚いていると、ルコアはグーパンチでパン! と上蓋を割った。そしてそのまま樽を持ち上げ、飲み始める。
ング、ング、ング、プハ――――!
ルコアは恍惚の表情を浮かべ、しばらく動かなくなった。
ヴィクトルが唖然としていると、おかみさんが水を持ってきてヴィクトルの前に置き、耳元でささやく。
「驚いちゃうわよね、一体この細い身体のどこに入って行くんだろうね?」
そして、ケラケラと笑いながら店内へと戻って行った。
◇
しばらくしておかみさんがステーキを二皿持ってきたが……、ルコアのは厚さ三十センチ近くある。表面はカリカリだが、中はきっと生だろう。
「はい、嬢ちゃん、もってきたわよぉ~」
おかみさんは嬉しそうにタワーのようなステーキをテーブルに置いた。ステーキは熱々のステーキ皿に熱されてジュー! と煙を上げており、肉の焦げる香ばしい匂いを辺りに漂わせている。
「美味しそ~!」
ルコアはそう言うとガッと両手でつかみ、いきなり噛みついた。
「ルコア! ちょっとマナーという物を……」
ヴィクトルが苦言を呈すると、おかみさんは、
「嬢ちゃんはいつもこうなのよ」
そう言ってハッハッハと笑いながら戻って行った。
ヴィクトルは渋い顔をしてルコアを見つめる。美味しそうに肉にかじりつくルコアは真剣そのもので、女の子というよりは野生動物であり、ヴィクトルはその鋭く光る瞳の迫力に気おされていた。
その時、ルコアの口に鋭い牙が光る。
「ちょ、ちょっと、ルコア!」
ヴィクトルは驚いて言った。
「主さまどうしました?」
口の周りを真っ赤にしたルコアが、モグモグしながらヴィクトルを見る。
「牙! 牙!」
ヴィクトルは自分の口を指さして教える。
「あっ、うふふ、失礼しましたわ」
ルコアはそう言うと牙をしまい、また肉にかじりついた。
ヴィクトルは、ふぅとため息をつき、自分のステーキにナイフを入れる。
しかし、ルコアの豪快な食事を見ているうちに、食欲も失せてしまっていた。
ふぅ……。
ヴィクトルはフォークに刺した肉を眺めながら言う。
「ねぇルコア、朝の話だけどさぁ……」
「えっ? 何でしたっけ?」
ルコアは肉を引きちぎりながら答える。
「レヴィア様に会いたいんだけど」
「あ、レヴィア様ね。呼んでみます?」
「えっ!? 今?」
いきなりの話に驚くヴィクトル。ルコアを作り、魔法を作り上げた偉大なる神代真龍をそんな簡単に呼んで大丈夫なのだろうか?
2-9. 不可思議な黒い板
「ちょっと待ってくださいね」
ルコアは手を拭き、アイテムポーチから小さな黒い板を取り出す。手のひらサイズの板は片面がガラスとなっており、周りが金属で重厚感があった。
ルコアがガラス面をタンと叩くと、いきなり明るい色鮮やかで、にぎやかな模様が浮かび上がる。
「うわっ! 何それ?」
ヴィクトルは今まで見たことのない精緻な光のイリュージョンに衝撃を受ける。そんな魔法は見たことも聞いたこともなかったのだ。
「え? iPhoneよ?」
ルコアは当たり前かのように言うが、百年以上生きてきた大賢者でも全く何だか分からない不思議な代物だった。
「あ、あいふぉん? どういう魔法……なの?」
ヴィクトルは恐る恐る聞く。
「あはは、これは魔法じゃないですよ。魔法のない星で作られたものですから」
ヴィクトルは絶句した。なんと、この星の物ではないらしい。宇宙人の作ったもの……。宇宙人がいたなんて初めて知ったし、宇宙人は魔法のない世界でこんな不思議なものを作っている……、それは想像を絶する事態だった。
唖然とするヴィクトルを尻目にルコアはガラス面をタンタンと叩き、iPhoneを耳に当てた。何をしているのかと思ったら、いきなり話し始めた。
「こんばんはぁ、ご無沙汰してますぅ……。はい……。はい……。いえいえ、いつも助かってますぅ……。あ、そうではなくてですね、今からステーキ食べに来ませんか? あ、いや、実は会っていただきたい人が……。え? はい……。それは大丈夫です」
話からするとレヴィア様を呼んでいるらしい。なぜiPhoneでレヴィア様と話ができるのか全く分からなかったが、ヴィクトルはジッと聞き耳を立てた。
「いつものお店ですよ……。そうです、王都の……。はい。分かりました。お待ちしてますぅ」
そう話すと、ルコアはiPhoneを耳から離し、
「すぐ来て下さるって!」
と、嬉しそうに言う。
「え? すぐ来るの? でも、レヴィア様って龍……なんだよね? まさか龍のまま来たりしないよね?」
するとルコアはあごに人差し指を当て、
「うーん、そこまで非常識では……うーん……」
と、悩んでしまった。相当に非常識らしい。
ヴィクトルは嫌な予感がした。
ルコアはiPhoneをポーチにしまおうとする。
「あっ! ちょっと待って! それ……見せて欲しいんだけど」
ヴィクトルは手を合わせてお願いする。
「え? いいですよ」
そう言ってルコアはまたiPhoneを起動し、スクリーンをフリップした。
「こうやって指先で画面をなでたり叩いたりして使うんです。この一つ一つのアイコンがアプリで、電話したりチャットしたりゲームしたりできますよ」
「ゲーム?」
ヴィクトルが聞くと、ルコアは、アイコンを一つタップする。それはRPGゲームだった。
「例えばこういうゲームがあります。主さまやってみます?」
そう言ってまず、ルコアが模範プレーをした。
画面には可愛いアニメ調の女の子が、岩山の中腹を駆け回っている。するとむこうの方に棍棒を持った猿がうろうろしているのが見えてきた。
ヴィクトルはその精緻な画面、グリグリ動く可愛いアニメ調キャラクターに圧倒される。まるでこの板の中に新たな世界が誕生した様な、異様な状況に言葉を失っていた。
ルコアはタンタンと猿をタップする。すると、女の子は弓矢で猿を攻撃し、程なく猿はアイテムを落として消えていった。
「ね? 簡単でしょ? やってみて!」
ニコッと笑うとルコアはヴィクトルにiPhoneを渡す。
「が、画面を叩くだけでいいの?」
ヴィクトルは初めてのiPhoneに、おっかなびっくり触れてみる。
「そうじゃなくて指を付けたままこうグーンと……」
ルコアはヴィクトルの手を取って操作を手伝った。
「うわぁ……、すごい……」
自分の操作したままに、縦横無尽に駆け回るアニメ調の女の子……。
そして出てくる猿。
「あ! なんか出た!」
「叩いて叩いて!」
「え? これ、そのまま叩くだけ?」
そう言いながら猿をパンパンと叩くと、女の子が弓を射って猿を倒した。
「何これ!? すごく……面白いよ!」
興奮するヴィクトル。
「あはは、あまりやり過ぎないでくださいね」
ルコアはそう言って、楽しそうなヴィクトルを幸せそうに見つめた。
2-10. 世界を統べる真龍
さらにゲームにのめり込むヴィクトル。すると、大きな黒い影がいきなりやってきて女の子を襲い始めた。
「あ! 何これ?」
「ワイバーンだわ! 逃げて!」
「ヤバいヤバい!」
しかし、女の子はワイバーンの火にあぶられてあっさり死亡……。
「あ――――!」「ありゃりゃ……」
画面が暗転し、死亡の案内が表示される。
「ごめん……、殺しちゃった……」
落ち込むヴィクトル。
「死ぬのは普通の事だからいいんですよ!」
ルコアは明るく言ってなぐさめる。
宇宙人が作ったというiPhone。そして、その中で生き生きと躍動するゲームの女の子。それは想像を超えた素晴らしい物だ。しかし……、ヴィクトルはこれの持つ意味のあまりの重大さに、これを一体どうとらえたらいいのか分からず、途方に暮れた。
と、その時、遠くで誰かの悲鳴がする。
「キャ――――!」
何だろうと声の方を見ると、何か巨大な物が金色の光をボウっとまといながら飛んでいる……。
「え? まさか……」
ヴィクトルは冷や汗がジワリと湧いてくるのを感じた。
金色のそれは巨大な翼をバッサバッサと羽ばたかせながら近づいてくる……。急いで鑑定をかけると、
レヴィア レア度:---
神代真龍 レベル:???
何だかメチャクチャな結果が返ってきた……。
「ルコア……、いらっしゃったみたいだけど……、店には入らないぞ?」
「あれ、まぁ……、いつ見てもカッコいいわぁ……」
ルコアはニコニコしている。
「うわぁ!」「ド、ドラゴンだぁ!」
通りの人たちが上を見上げ、口々に叫んだ。
やがてドラゴンは速度を落とすことなく、通りにまで降りてきてヴィクトルたちの目の前まで迫る。そして、通り過ぎる時に、真紅に光るギョロリとした巨大な瞳でヴィクトルをにらむと、
ギュワァァァ!!
と、テーブルが揺れだすような重低音で叫んだ。そして、つむじ風を巻き起こしながらバサッバサッと羽ばたき、上空へと飛びあがっていった。
「うわぁぁ!」
ヴィクトルも店の人も大慌てである。
この世界を統べる巨大生物がいきなり現れて、すさまじい咆哮を放ったのだ。さすがのヴィクトルも顔面蒼白になり、ただ、その飛び先を見つめていた。
ドラゴンはやがて夕闇の中へと消えていく……。
どんなに強くなろうがアレには絶対に勝てない。本能がそう告げていた。まさに次元の違う強さを見つけられてひざがガクガクと揺れる。
すると、いきなり空間がツーっと裂けた。
「へっ!?」
ヴィクトルの見てる前で空中がペリペリッと割れたのだ。そしてその向こうから指がニョキニョキと生えてきて、グイッと裂け目を広げる。
その奇怪な事態にヴィクトルは凍り付く。
「よいしょっと!」
空間裂け目の向こうから現れたのは、十三歳くらいの金髪おかっぱの女の子だった。
「え?」
唖然とするヴィクトルを尻目に、女の子はルコアを見ると、
「お待たせちゃん!」
そう言ってルコアにハグをした。
ルコアもニコニコしながら女の子を受け入れる。
「も、もしかして……」
ヴィクトルは女の子に鑑定をかけてみた。
レヴィア レア度:---
神代真龍 レベル:???
メモ:何度も見るなエッチ!
ヴィクトルはメモを見て呆然とした。一体どうやったらこんな事ができるのか、大賢者なのに全く想像もつかない。神代真龍の圧倒的な能力に言葉を失うばかりだった。
「紹介します! 私の主さまです~」
ルコアは手のひらでヴィクトルを指すと、レヴィアに紹介した。
金髪おかっぱの女の子は、クリッとした赤い目でヴィクトルをジッと見つめる。きめ細かい透き通るような肌に、整った目鼻立ちには、幼いながらドキッと感じさせるものがあった。
「は、はじめまして……」
ヴィクトルがあいさつをすると、
「あー、お主、アマンドゥスじゃな。ずいぶんと……若くなったのう」
レヴィアはそう言ってヴィクトルをなめるように見た。
「えっ!? 主さまが大賢者!?」
驚くルコア。
あっさり見破られたヴィクトルは、苦笑いをしてうなずいた。
「なんじゃ、ルコアは正体も知らずに仕えとったんかい」
レヴィアは呆れる。
「確かに普通じゃないなって……思ってましたよ?」
ルコアはすねて口をとがらせ、ヴィクトルをジト目で見た。
2-11. 世界を作る数式
「あら! レヴィちゃん、いらっしゃい!」
おかみさんが声をかけてくる。
「あー、おかみさん、久しぶり! いつものヨロシク!」
レヴィアはおかみさんに手を振ると、常連っぽく注文した。
「さっき、ここをね、巨大なドラゴンが通ったのよ!」
おかみさんは興奮しながら言った。
「えっ! ドラゴン! 我も見たかったですー!」
キラキラした瞳を見せ、合わせるレヴィア。
ヴィクトルはルコアと目を見合わせてクスッと笑い合った。
また樽が運ばれてきてレヴィアの前にドン! と置かれる。
樽が二つも並んだテーブルにヴィクトルは圧倒され、言葉を失う。もはや食卓ではない。
レヴィアはパーンと上蓋を割って上機嫌に言った。
「よし! 大賢者にカンパーイ!」
「カンパーイ!」「かんぱーい」
ルコアとレヴィアは樽をゴン! とぶつけ、ヴィクトルは水のコップをコン、コンとぶつけた。
二人は樽をグーっと傾けてエールをゴクゴクと堪能している。自分だけなぜ水なのか、ヴィクトルは渋い顔をしてコップ内で揺れる水面を眺めた。
「で、大賢者様は何が聞きたいんじゃ?」
レヴィアは挑戦的な目でヴィクトルを見た。
ヴィクトルは居住まいを正すと、
「だ、大賢者はやめてください。自分の無知さに打ちひしがれてるくらいなので……」
そう言って頭を下げた。
「ふーん、でもお主のそのステータスは何じゃ? こんな数字見たことないぞ」
レヴィアはニヤッと笑う。
「実は妲己と戦わねばならなくなってですね……」
「だ、妲己じゃと!?」
驚くレヴィア。
ヴィクトルは事の経緯をレヴィアに語った。
「それはまた……面倒なことに巻き込まれたのう……。それ、妲己だけで終わらんぞ」
レヴィアは渋い顔で言う。
「え? それはどういう……」
「よく考えてみろ、ゴブリンシャーマンごときが、妲己を召喚できる魔法陣なんぞ描けるはずが無いじゃろ?」
「確かに……そうですね……」
「つまり、誰かが絵を描いておるんじゃ」
そう言ってレヴィアはため息をついた。
「お心当たりがある……のですか?」
「……。まぁお主には関係のない話じゃ。ステータスとか関係のないレベルの話じゃからな」
レヴィアは気になることを言う。
「ステータスや魔法はレヴィア様が作られたと聞きましたが……」
ヴィクトルは恐る恐る聞く。
「いかにも。魔法は便利じゃろ?」
レヴィアはうれしそうに言って、また樽をグッと傾けた。
「なんで……そんなことができるのでしょうか?」
レヴィアは手の甲で口を拭うと、ヴィクトルをじっと見て言う。
「ふむ、お主はこの世界が何でできてるか知っとるか?」
ヴィクトルはいきなりの根源的な質問に気おされる。
「せ、世界……ですか? 物は分子の集まりでできていて、分子は原子の集まりでできているのは知ってますが……それ以上は……」
「原子にはな、中心に原子核というのがある。原子核は陽子や中性子でできておる。そしてそれらはさらに細かい素粒子でできていて、最終的にはこの世界は17種類の素粒子で成り立っておるんじゃ。『超ひも理論』じゃな」
「どんな物でも17種類の物の組み合わせで構成されているんですね」
「物だけじゃなく光もな。それで、これらの17種類の素粒子の挙動は一つの数式であらわされる」
「え? 数式が一つだけ?」
「そう、17種類の素粒子と一つの数式、これがこの宇宙の全てじゃ。アインシュタイン、キュリー夫人、シュレーディンガー、世界中の天才たちが寄ってたかってついにたどり着いた真実がこれじゃ。テストに出るぞ……って、この星の人は知らんか……」
レヴィアはそう言うとまた樽を傾けた。
「そ、それは凄い……話ですが、それと魔法にどういう関係が?」
「大賢者様はずいぶんせっかちじゃな」
レヴィアは運ばれてきたステーキ肉の塊を手づかみにし、美味しそうにかぶりつく。
自分の頭と同じ大きさの肉を貪る様はあまりに異様で、ヴィクトルはしばらくレヴィアの食事風景に圧倒されていた。
それにしてもとんでもない話だと思った。この世界の全て……人や動物や大自然の複雑な営みが一つの数式で表されるなんて、そんなことがあるのだろうか? たった一つの数式で表される世界なんて、どう考えてもショボい物にしかならなそうだが……。ヴィクトルはレヴィアの話をどう理解したらいいのか途方に暮れた。
2-12. 疑惑の天然知能
そんな困惑しているヴィクトルを見て、レヴィアが言った。
「素粒子があり、それは一つの数式で挙動が決まる。これ、何だかわかるか?」
いきなりの禅問答みたいな質問にヴィクトルは悩む。
「何と言われても……、何でしょう? 一つの仕掛けみたいですが……」
「おぉ、ま、そういうことじゃ。『素子』じゃな。情報処理回路の基本要素じゃ」
「情報処理回路?」
「コンピューターじゃ、それじゃよ」
そう言ってレヴィアは、ヴィクトルの手元に置いてあったiPhoneを指した。
「へっ!? 宇宙がiPhoneってことですか!?」
全く想像もしてなかったものが結びつき、ヴィクトルはビックリする。
「そうじゃ、宇宙は超巨大な量子コンピューターともいえるのじゃ。もちろん、この宇宙のコンピューターは宇宙を運営するだけの機能しか持ってない。だから放っておくと単に太陽が生まれ、惑星が生まれ、宇宙の営みが実行されるだけじゃ。アプリが一つだけのシンプルなコンピューターじゃな」
「はぁ……」
ヴィクトルは話があまりに壮大過ぎて困惑する。
「iPhoneにはいろんなアプリがあるじゃろ?」
「はい、さっきゲームをやりました。女の子を操作して猿を倒したり……」
「あ、あのゲーム面白いよのう」
そう言ってレヴィアはまた樽を傾けた。
「で、宇宙とゲームに何の関係が?」
「お主、鈍いのう」
レヴィアはゲフッとしながら、樽を置き、ニヤッと笑ってヴィクトルを見た。
ヴィクトルは下を向き、必死に考える。
宇宙は巨大なコンピューター、それはiPhoneみたいなもので、iPhoneにはゲームアプリがある。女の子が壮大な世界を冒険して魔物を狩る世界……。
その瞬間、ゾワッとすべての毛が逆立つような感覚がヴィクトルを襲った。
「ま、まさか……」
「ふふん、ようやく気づいたか、大賢者」
レヴィアはうれしそうにそう言うとまた樽を傾け、グッと持ち上げて一気に最後まで空けると、
「プハ――――! おかみさーん! おかわり!」
と、店に向かって叫んだ。
「いやいやいや! ここはゲームの世界なんかじゃないですよ!」
ヴィクトルはバッと顔を上げ、レヴィアに向かって叫んだ。
レヴィアが示唆したアナロジー、それはこのヴィクトルの住んでいる世界は、宇宙という壮大なコンピューターの中の一アプリに過ぎないというものだった。しかし、そんなことがあるわけがない。ヴィクトルは百年以上この世界に住んできていて、その間、作り物だったような不自然な現象など一つもなかったのだ。大自然は人の想いとは関係なく壮大な規模で営まれ、人が気がつかなかったような世界はまだまだ森の奥に、極地に、深海に広がっていた。誰かが作ったような世界ならどこかで矛盾が出てるはずだ。
と、ここまで考えてきてふとヴィーナ様を思い出した。そうだ……、自分は一回死んでいるのだ……。実は自分の存在そのものが……矛盾だった。
固まり、そしてうなだれるヴィクトルにレヴィアが言う。
「今から五十六億七千万年前のことじゃ、宇宙が誕生してからすでに八十一億年経っていたが、ある星でコンピューターが発明された。コンピューターは便利じゃった。あっという間に性能がぐんぐんと上がり、人工知能が開発された」
「人工知能……?」
「機械でできた知能じゃな。iPhoneが賢くなって話し始めるようなものじゃ」
「はい、おまたせー」
おかみさんが新しい樽を持ってきて、レヴィアはまた上蓋をパカンと割った。
ヴィクトルは、美味しそうにエールを飲むレヴィアを羨ましそうに見ながら、聞いた。
「機械が話すなんてこと……、本当にあるんですか?」
「お主は『自分は機械じゃない』ってなぜ確信を持ってるんじゃ?」
レヴィアは手を止めるとヴィクトルをチラッと見て、嫌なことを言う。そして、また樽を傾けた。
「えっ……?」
ヴィクトルは言葉を失った。自分は生まれながらの天然の知能と当たり前のように思っていたが、それに根拠なんてあるのだろうか? 『自分は機械で作られたものじゃない』となぜ言えるのだろうか? 脳があるから天然だろうと一瞬思ったが、『脳は単なる伝達器官だよ』と言われたら反論できない。そもそも脳が自分自身の思考を生み出していることそのものにも自信がなかった。
なんとか『自分は機械なんかじゃない証拠』を探してみるが、思い浮かばない。むしろ、転生して前世の記憶が引き継がれていることを考えたら……むしろ天然である方が不自然だった。
ヴィクトルは百年以上生きてきて初めて自分自身の存在に疑問を持ち、自我が揺らぐのを感じた。手を見るとガタガタと震えている……。
「僕は……何なんだ……?」
そう言って、震える手を無表情にただ眺めていた。
ヴィクトルはふぅっと大きく息をつくと、ルコアの樽を奪って持ち上げ、グッと一気に呷る。
「あー、主さま! それ、私のですー」
ルコアは不満げだったが、ヴィクトルは無反応で、焦点のあわない目で動かなくなった……。
2-13. いきなりの裸婦
ヴィクトルは温かく気持ち良い揺れの中、目が覚めた。
「あれ……?」
「主さま、お目覚めですか?」
ルコアの声がする。
なんとヴィクトルは、ルコアに背負われて夜の石畳の道を運ばれていた。
「ゴ、ゴメン……」
「こうやってお世話できるのはうれしいんですから、気にしないでください」
ルコアは後ろを振り向き、ニコッと笑う。
「ありがとう……。子供の身体ではお酒はきつかった……」
ヴィクトルは反省する。
「いいんですよ、レヴィア様も『酒くらい飲みたくなるじゃろ』って笑ってました」
「しまったなぁ……」
ヴィクトルは酒に逃げてしまった未熟さを恥じ、今度謝らねばと、大きく息をつく。
そして気持ちの良いルコアのリズムに揺られ、温かな体温を感じながらまた、意識が薄れていった。
◇
バシッ!
ヴィクトルは、はたかれて目が覚める。
「う、うーん……」
目を開けるとまだ薄暗いベッドの上で、誰かの腕が額の上に載っている……、ルコアだ。
「ちょっと、もう……」
腕を払いのけ、起き上がりながらルコアを見て、ヴィクトルは固まった……。ルコアは素っ裸で、美しく盛り上がった胸をさらしながら、呑気に幸せそうな寝顔を見せていたのだ。
ヴィクトルはゴクリとツバを飲む。
その均整の取れたプロポーション、美しい透き通るような肌はまるで西洋絵画のように厳かな雰囲気さえ漂わせていた。
しばらくその姿に見ほれていたヴィクトルは、知らず知らずのうちに手が伸びてしまっているのに気がつく。六歳児とは言え中身は大人の男である。そこには抗いがたいものがあった。
しかし、寝込みに手を出すようなこと、あってはならない……。ブンブンと首を振り、毛布をそっとかけて立ち上がる。そして、水差しの水をコップに入れると、ゴクゴクと一気に飲み干した。
「ふぅ……」
カーテンを開けると、東の空は鮮やかな茜色に染まり、朝露に濡れた石畳はその茜色を反射して静謐な朝の街を彩っている。
ヴィクトルはそっと窓を開けた。
チチチチッ
小鳥の鳴き声が聞こえ、涼しい朝の風が入ってくる。
ヴィクトルはその爽やかな風を浴びながら頭を冷やす。そして、昨晩の事を思い出していた。
この美しい世界が誰かに作られたものらしいこと、そして自分自身の思考も機械上で動いているのかもしれないこと、それらは実にとんでもない話だった。この美しい朝焼けの街が、囁き合う鳥たちの営みが、それらを感じている自分が、誰かに作られているというのは、あまりにも飛躍しすぎている。
と、ここで、死後の世界で会った女神、ヴィーナの言葉を思い出した。
『あなたの功績にはとても感謝してるわ……』
確かこんな事を言われた覚えがある。しかし……、自分がやっていたのは単にレヴィアの作った魔法システムを分析していただけに過ぎない。魔法について知りたければレヴィアに聞けばいいだけの話で、自分のやったことが功績になるとはとても思えなかった。
しかし、ヴィーナは喜んでいるようだった。一体これは何なんだろうか?
魔法を知りたいわけではないとしたら、自分の活動の何を評価してくれたのだろうか……。
眉をひそめて必死に考えていると、プニっと誰かに頬を押された。
「なーに、怖い顔してますか?」
見るとルコアが毛布を巻いて立っていた。
「いや、ちょっとね……。あ、昨晩はゴメンね」
「ふふっ、弱った主さまも可愛かったですよ」
ルコアはニコッと笑う。
「はは、参ったな……。で……、何で裸なの?」
ヴィクトルは頬を赤らめて聞いた。
「うふふ、触っても……良かったんですよ?」
ルコアは斜に構えて妖艶な笑みを浮かべる。
「いや、あまりに美しくてつい……ね。でも、毎晩裸になられても困るんだけど?」
「私寝るときはいつも裸です。裸じゃないと寝られません。それとも龍に戻ります?」
不満そうなルコア。
「龍って……この部屋入らないよね?」
「今、龍に戻ったら、この建物壊れますね」
ルコアはニヤリと笑い、ヴィクトルは肩をすくめた。
「分かった分かった。その代わり毛布かぶっててよ」
ヴィクトルが折れると、ルコアはそっと近づいて耳元で、
「ふふっ、いつでも触っていいですからね」
そうささやいて、うれしそうに洗面所へと入って行く。
「へっ!?」
ヴィクトルは間抜けな顔をさらし……、目をギュッとつぶって宙を仰ぐとしばらく動けなくなった。
2-1. 懐かしき王都
「あっ、主さまにお召し物をお持ちしますね!」
そう言うとルコアはピョンと飛び上がり、崖の中腹にある洞窟までツーっと飛んで行った。
しばらくして両手いっぱいに衣服を持って戻ってくる。
「これなんかいかがですか?」
ルコアは麻でできたシャツなどをあてがってくれるが、六歳児には全部大きすぎてブカブカだ。
「もういいよコレで行く」
ヴィクトルは大きな風呂敷みたいな布を手に取ると、インドのお坊さんのようにシュルシュルと身体に巻き付ける。
「主さま、さすがです。お似合いですわ!」
ルコアはうれしそうに言った。
「じゃあ、朝食でも食べに行くか!」
ヴィクトルはニコッと笑う。
「え? 何食べる……ですか?」
「王都のカフェに行こうかと思って」
「王都! ずいぶん……、遠くないですか? 飛んでも三十分はかかりますよ?」
ルコアは眉をひそめる。
「僕なら三分だよ」
ヴィクトルは服をアイテムバッグにしまうと、ルコアをお姫様抱っこして一気に飛び上がった。
「えええ――――!」
仰天するルコア。
「舌噛むといけないから口閉じてて!」
ヴィクトルは気合を入れ、一気に加速した。
グングンと小さくなっていく山や森。
「ひぃ――――!」
あまりの加速にルコアはヴィクトルにしがみつく。
「さて、全力で行くぞ――――!」
そう言うとヴィクトルは全力の魔力を注ぎ込んだ。
ドーン!
衝撃音を放ちながらあっという間に音速を超え、さらに加速していく。
グングンと高度を上げ、雲をぶち抜くと、そこは朝日のまぶしい青空と雲の世界が広がっていた。
まるで天国のような、爽快な世界にヴィクトルはうれしくなって、
「ヒャッハー!」
と、浮かれながらキリモミ飛行をする。
「キャ――――!」
ルコアがしがみついて叫ぶ。
「ドラゴンなのに怖がりだなぁ」
ヴィクトルが笑いながら言うと、ルコアは、
「こんな速さで飛んだことないんです!」
と、目を潤ませて言った。
「ははは、僕も今日初めてだよ」
ヴィクトルは笑い、ルコアは絶句する。
やがて雲間に王都が見えてきた。
ヴィクトルは『隠ぺい』のスキルをかけると徐々に高度を落としていく。
盆地の中に作られた巨大な都市、王都。頑強な城壁がぐるっと街の周りを囲い、中心部には豪壮な王宮がそびえている。
そして、その隣には高くそびえる賢者の塔……、六年前まで住んでいた王都を代表する知の殿堂だった。
ヴィクトルは賢者の塔に向けて降りていく。
八十年間、ここで頑張っていたのだ。必死に研究をつづけ、国の危機を救い、仲間を悼み、そして自分も最期の時を迎えた……。
建物の随所に思い出が詰め込まれていて、思わず胸が熱くなり、知らぬ間に目から涙がポロリとこぼれる。
「主さま、どうされました?」
ルコアが心配そうに聞く。
「大丈夫、ちょっと目にほこりが入っただけ……」
ヴィクトルはごまかすと、王宮の周りをぐるりと一周飛んで懐かしい景観を楽しむ。
「こんな近くで見たの初めてですよ! 素敵~!」
ルコアは王宮の豪奢な装飾や立派な尖塔に感激する。
「王都はさすがだよね」
ヴィクトルはそう言うと、大きく舵を切って繁華街の裏通りの方へ降下して行った。
◇
辺りに人がいないのを確認して、ヴィクトルは裏路地に着地する。
「本当にあっという間でした。主さま素晴らしいです!」
ルコアは地面に降ろしてもらいながら感激する。
ヴィクトルはニコッと笑うと、
「確かこの辺にいいカフェがあったんだよ」
そう言って歩き出す。
裏路地を抜けてしばらく行くと古びたカフェがあった。最後に訪れたのは十年くらい前だろうか? 弟子を連れて散歩がてらに寄ったことを思い出し、思わず目頭が熱くなる。
「おぅ、ここだここ、懐かしいなぁ……」
「懐かしい……んですか?」
ルコアは小さな子供の懐かしさが良く分からず、不思議そうに聞く。
「気にしないで、ここのサンドウィッチはお勧めだよ」
そう言ってヴィクトルは中に入り、棚に並んだサンドウィッチに目移りをする。
「私は肉がいいなぁ……」
「肉? こういうのとか?」
ヴィクトルはベーコンサンドを指さした。しかし、ルコアは首を振り、
「パンとか野菜は要らないんです」
と、渋い顔をする。
ドラゴンは肉食らしい。
ヴィクトルはサンドイッチを一つとると、カウンターへ行って店のおばちゃんに声をかける。
「すみませーん!」
「はいはい、あらあら、可愛いお客さんね」
おばちゃんは相好を崩す。
「ベーコンだけ塊でもらえたりしますか?」
「塊で!? そ、そりゃぁいいけど……、一つでいいかい?」
おばちゃんはいぶかしげに聞く。
ヴィクトルはルコアを見ると、ルコアは、
「出来たらたくさん欲しいんです……」
と、恥ずかしそうに言った。
「あらまぁ……。五本でいいかい」
おばちゃんは厨房の様子を振り返りながら答える。
「じゃあそれで! それと、コーヒー二つ!」
ヴィクトルは元気に頼む。お代は交渉して魔石で払った。
2-2. 偉大なる神代真龍
二人はトレーに山盛りのベーコンなどを載せて窓際の席に座った。
ヴィクトルはサンドイッチを一口かじり、じんわりと広がる肉と野菜とドレッシングのハーモニーに恍惚となる。
「美味い……。食べ物ってこんなに美味かったのか……」
そう言いながら目をつぶり、一年ぶりのまともな食事に感動していた。
ルコアはベーコンを手づかみで持ち上げると、そのままモリモリかじり始める。
美しい銀髪の女性が、ベーコンを美味しそうにむさぼる様はあまりに異様で、他の客たちは唖然としてその様子をチラチラと見ていた。
サンドイッチを堪能し、コーヒーをすすりながらヴィクトルはルコアに言った。
「ルコアのこと教えてよ」
「はい! なんでも聞いてください」
ルコアはゴクンとベーコンを丸呑みにすると答えた。
「どうやって生まれて、あそこで何してたとか……」
「生まれたのは今から千年位前ですかね? 神代真龍のレヴィア様に作られました」
「ちょ、ちょっと待って。神代真龍……って何?」
ヴィクトルはいきなり出された聞き覚えのない龍の名前を聞き返す。
「あ、この世界を管理されている龍ですよ」
「管理? どういうこと?」
「魔物とか魔法とかを生み出した方です」
ヴィクトルは唖然とした。
魔物の存在には以前から違和感があり、それは龍が作ったものだと聞いてなんとなく分からないこともなかったが、魔法まで作られたものだと聞いて混乱してしまう。魔法とはこの世界の基本にあるものだとばかり思い、八十年も一生懸命その研究を続けてきた前世、その基盤が揺らぐような爆弾発言にヴィクトルは目の前がくらくらした。
「ちょ、ちょっと待って。もしかして千年前には魔法ってなかったの?」
「そうですよ?」
ルコアは当たり前のようにそう言うと、またベーコンをかじって丸呑みした。
ヴィクトルは思わず頭を抱え、一体どういうことかと必死に考える。
体内にある魔力を練り上げ、呪文の術式に載せて力として具現化する……。その行為のどこからが作られたものだろうか? もしかして……、全部……。
嫌な汗がじわっとわくのをヴィクトルは感じた。
「もしかして魔力って……、その、レヴィア様が作った……もの?」
ヴィクトルは恐る恐る聞く。
「そうですよ? HPもMPも魔力も攻撃力もステータスは全部レヴィア様が設定されました」
ヴィクトルは思わず天を仰いだ。
何ということだろうか。今まで当たり前だと思っていたステータス、魔法、魔物、これらはすべて龍によって千年前に作られたものだったとは……。
これらがない世界が本当の世界……、本当の世界ってどんな風になるのだろうか? すでに魔法は社会で広く使われてしまっている。ヴィクトルは、魔法が無くなってしまったら、どうなるのかを思い描いたが……、魔力エネルギーも治療院も無くなったら社会は回らない。思わず背筋が凍って、ブルっと身震いをした。
そもそも魔法なんてどうやって作るのか? ヴィクトルは全く想像を絶する話に言葉を失う。
「主さま? 大丈夫ですか?」
ルコアはキョトンとした顔で、うなだれるヴィクトルを見た。
「その……、レヴィア様には会うことは……できるのかな?」
「はい、ご案内しますよ?」
ルコアはニコニコしながら言う。
「分かった。落ち着いたらお願いするね」
ヴィクトルはそう言うとコーヒーをグッと飲んで目をつぶり、自分の中で大きく崩れてしまった世界観に、どう付き合っていけばいいか思索に沈む。
魔法も魔物も作り物……、それはヴィクトルにとって今後の生き方にもかかわる重大な事件だった。
2-3. 目立っちゃダメ
食後に冒険者ギルドへと向かう。
石造りの立派な建物が立ち並ぶ石畳の道を、二人で歩く。
朝露に濡れていた道ももう乾き、荷物を満載した荷馬車が緩やかな斜面を一生懸命に登ってくる。二人は荷馬車に道を空け、その先の裏路地へと入った。
しばらく行くと見えてきた剣と盾の意匠の看板、冒険者ギルドだ。がっしりとした年季の入った石造りの建物は風格を感じさせる。
「ここで冒険者登録をしよう。いいかい、目立っちゃダメだよ?」
ヴィクトルはルコアを見て言った。
「え? なぜですか?」
「目立つとね、面倒ごとがついてくるんだ。僕は静かに暮らそうと思ってるから実力がバレないように頼むよ」
「は、はい、分かりました……」
ルコアは少し釈然としない表情で答えた。
ギギギー!
ヴィクトルはドアを開け、中へと進んだ。入ってすぐのロビースペースでは、冒険者たちがにぎやかに今日の冒険の相談をしている。
二人はその脇を抜け、カウンターの受付嬢のところへ行った。
銀髪の美しい美人と小さな子供の取り合わせ、その異様さに冒険者たちは怪訝そうな顔をして品定めをし、こそこそと何か話をしている。
「いらっしゃませ! 初めて……ですよね?」
笑顔の可愛い受付嬢はそう言って二人を交互に見た。
「はい、冒険者登録と魔石の買取りをお願いしたいのです」
ヴィクトルがそう言うと、受付嬢は少し悩む。
そして、カウンターに乗り出し、小さなヴィクトルを見下ろし、困ったような顔をして、
「ぼく、いくつかな? 冒険者にはそれなりに実力が無いと……」
と、答えた。
すると、後ろで髪の毛の薄い中年の冒険者が、
「坊やはママのおっぱいでも吸ってなってこった!」
と、ヤジを飛ばし、周りの冒険者たちはゲラゲラと下品に笑う。
すると、ルコアがクルッと振り向き、恐ろしい顔で中年男をにらむと、
「黙れ! 雑魚が!」
と、一喝し、碧い目をギラッと光らせ、漆黒のオーラを全身からブワッと噴き出した。
「ひ、ひぃ!」
中年男は気圧され、ビビって思わず後ずさりする。
ルコアの使った『威圧』のスキルはすさまじく、ギルド内の冒険者たちは全員凍り付いたように動けなくなり、広い室内はシーンと静まり返った。
受付嬢もルコアのただごとではないありさまに青くなる。こんなすさまじい威圧スキルを使える人など見たこともなかったのだ。
ヴィクトルは思わず額に手を当てた。なぜこんな鮮烈なデビューをしてしまうのか……。
しかし、やってしまったことは仕方ない。
ヴィクトルはルコアの背中をポンポンと叩き、威圧をやめさせ、コホン! と咳ばらいをすると、
「一応僕も魔物は倒せるんだよ」
そう言ってアイテムバッグから魔石を次々と取り出し、カウンターに並べた。
オークやトレントなどの弱いものばかり選んで出していたのだが、間違えてワイバーンの真っ青な魔石が手からこぼれ、コロコロとカウンターの上を転がった。
それを見た受付嬢はひどく驚いた表情を見せる。
「えっ? ぼくがこれ、倒した……の?」
ヴィクトルは焦った。ワイバーンは少なくともレベル百のAランクの魔物だ。それを倒せるということはSランクを意味してしまう。Sランク冒険者など王都にも数えるほどしかいない。
「あっ、えーと、これはですね……」
冷や汗を浮かべながら必死に言い訳を考えていると、ドタドタドタ! と誰かが階段を下りてくる。
「今のは何だ!?」
ひげをたくわえた中年の厳つい男は血相を変えて受付嬢に聞く。
「あ、あれはこの方が……」
と、手のひらでルコアを指した。
男はルコアを上から下までジロジロとなめるように見る。
ルコアはニコッと笑うと、
「何かありました? 私はルコアです。よろしくお願いいたします」
と言って、軽く会釈をした。
男も会釈をすると、
「何があったんだ?」
と、受付嬢に聞く。
受付嬢が事の経緯を説明すると、男はふぅっと大きく息をつき、
「ちょっと、部屋まで来てもらえるかな?」
と、ヴィクトルたちに言った。
2-4. 判定試験
男はギルドマスターだった。
応接室に通された二人は、ソファーを勧められる。
「今日は……、どういった目的で来たのかね?」
ソファーに座ると早速マスターが切り出した。
「冒険者登録と魔石の買取りです。あ、それから暗黒の森の遺跡でこれを拾ったので届けようかと……」
ヴィクトルは生贄にされていた冒険者の認識票を手渡した。
マスターはいぶかしげに認識票の文字を読み、ハッとする。
「ヘ、ヘンリーじゃないか……」
そして、ガックリとうなだれ、しばらく肩を揺らしていた。
ヴィクトルは発見した時の状況を丁寧に説明する。もちろん妲己については黙っておいた。
「ありがとう……。仇を討ってくれたんだな……」
そう言いながらマスターは手で涙をぬぐう。
「話を総合すると……、君たちはSランク冒険者ということになるが……」
マスターは二人を交互に見る。
「あ、僕は低めのランクがいいんです。目立ちたくないので……」
ヴィクトルは両手を振りながら言った。
「何を言ってるんだ! ランクは強さに合わせて適切に設定されるものだ。試験をやるから受けなさい」
マスターは厳しい口調で言う。ヴィクトルはルコアと顔を見合わせた。
「まぁ……試験くらいなら……」
ヴィクトルは渋々答える。
◇
ギルドの裏の空き地に行くとカカシが何本か立っていた。
「あー、君、名前は?」
マスターが聞いてくる。本名は避けたかったので、
「僕はヴィッキー、彼女はルコアだよ」
と、適当に返した。
「よし、まずはヴィッキー、あれに攻撃してみてもらえるかな?」
マスターはカカシを指さして言った。
「攻撃を当てたらいいんですね?」
「なんでもいい、好きな攻撃をしてくれ。手抜きをしたらバレるぞ!」
「……。分かりました」
そう言うとヴィクトルは観念してカカシをジッと見る。少しくらい実力を見せるのは致し方ないだろう。
そして、指先を少し動かした。
ピシッ!
と、カカシが鳴る。
ニコッと笑うヴィクトル。
「どうした、早くやってくれ」
マスターが急かす。
「もう終わりましたよ」
ニヤッと笑ってマスターを見るヴィクトル。
「へ? 何を言ってるんだ、カカシに当てるん……、へ!?」
なんと、カカシが斜めに斬れてズルズルとずれだし、そして、ドサッと転がったのだった。
唖然とするマスター……。
「主さま! すごーい!」
ルコアはヴィクトルに駆け寄ってハグをした。
ふんわりと甘い香りがヴィクトルを包む……。
「ちょ、ちょっと、離れて!」
ヴィクトルは照れてルコアを押しやる。
「ハグぐらいいじゃない……」
ルコアはちょっと不満そうだった。
「ヴィッキー、お前、一体どうやったんだ?」
「風魔法を使ったんです」
「……。俺は昔、大賢者アマンドゥスの魔法を見たことがあるが……、彼でも魔法の発動にはアクションをしてたぞ? 君はアマンドゥス以上ってこと?」
マスターは困惑してしまう。
ヴィクトルは目をつぶり、ため息をつくと、
「あの頃は……、修行が足りませんでしたな」
と、アマンドゥス時代を思い出して言った。
「あの頃?」
怪訝そうなマスター。
「あ、何でもないです! 僕、この魔法ばかりたくさん練習しただけです! はははは……」
ヴィクトルは冷や汗をかきながらごまかす。
そこに若い男がやってきた。
「マスター! なになに? 試験やってるの? 俺が試験官やってやるよ」
男は陽気に剣をビュンビュンと振り回して言った。
「止めとけ! お前が敵うような相手じゃない!」
マスターは険しい声で言う。
「はぁ? このガキに俺様が負けるとでも思ってんの?」
男は不機嫌に返す。
「いいから、やめとけ!」
マスターは制止したが、男は言う事を聞かずに、
「俺様の攻撃をよけられたら合格だぜ!」
と、叫びながらヴィクトルに斬りかかった。
ヴィクトルは指先をちょっと動かす。
直後、キン! と甲高い音がして刀身が粉々に割れた。
柄だけとなった剣をブンと振り……、男は凍り付く。
「へっ!?」
そして、剣の柄をまじまじと見つめ、
「お、俺の剣が……、俺、これしか持ってないのに……」
そう言ってガクッとひざから崩れ落ちた。
2-5. 最強Cランクパーティ
「だから止めろって言ったんだ!」
マスターが諫めると、
「この野郎!」
男は逆上してヴィクトルに殴りかかる。
だが、直後、ドン! という音がして、男はヴィクトルに触れることもできずに吹き飛ばされ、ギルドの壁にマトモにぶつかって落ち、ゴロゴロと転がった。
マスターは口をポカンと開け、転がる男を眺めていた。
「あ……、やっちゃった……」
ヴィクトルは思わず開いた口を手で押さえる。今まで魔物相手に全力で戦うことしかしてこなかったヴィクトルには、手加減は難しかった。
「試験結果は……どうなりますか?」
ヴィクトルは恐る恐るマスターに聞いた。
マスターはヴィクトルをチラッと見ると、腕組みして考え込んでしまった。そして、大きくため息をつくと、
「Sランクだ……。だが……。あなたは目立ちたくないんですよね?」
「そうですね、できたらEとかFランクが……」
「とんでもない! うーん……。あいつがDだったからな。Cで……どうかな?」
マスターは気を失ってる男を指して言った。
「分かりました! ではCでお願いします」
ヴィクトルはニコニコして言う。Cなら騒ぎになるようなランクでもないし、いい落としどころだろう。
「ただし! ギルドに来た難しい案件は手伝ってもらうよ!」
そう言ってマスターはヴィクトルの目をジッと見つめた。
「わ、分かりました……」
制約が付いてしまったが、それでもSランクで騒がれるよりはいい。
「私は何ランクですか? カカシ吹っ飛ばします?」
ルコアがニコニコしながら聞く。
マスターは肩をすくめながら首を振り、
「いやいや、カカシも安くないんでね……。あなたもどうせSランクでしょ? あの威圧は異常だった」
「ふふっ、バレてましたね」
うれしそうなルコア。
「同じくCランクにしておきます」
「主さま! Cですって!」
「うん、Cランクパーティでやっていこう」
ヴィクトルはニコッと笑った。
「それで……、さっそくで悪いんだが、依頼をやってくれないか?」
マスターが手を合わせて片目をつぶって言う。
「え? 何するんですか?」
「クラムの山奥にコカトリスが三匹巣食っていて、コイツを退治してもらいたい。報酬は金貨二十枚だ」
金貨二十枚なら三カ月ほど宿屋に泊まれる。結構おいしい仕事と言えそうだ。コカトリスは石化の魔法を使う厄介な鳥の魔物だが、遠距離から叩けば大丈夫だろう。
「分かりました! よし、ルコア! クラムまで競争だ――――!」
ヴィクトルは嬉しそうにそう言うと、飛行魔法でビュンと飛び上がった。
「へぇっ!?」
驚くマスター。
「あっ、主さま、ずるーい!」
そう言うと、ルコアも追いかけて飛びあがる。
二人はあっという間に小さくなって見えなくなってしまった。
「はぁ!? 何だあいつら……」
マスターは飛行魔法の常識を破って飛ぶ二人を見て仰天する。飛行魔法というのはふわふわとゆっくり飛ぶ魔法であって、普通、あんなすっ飛んでいくようなものではないのだ……。
「信じられない連中だ……」
マスターは首を振り、ため息をつくと、転がっている男の所へ行った。
そして、ほほをパンパンと叩き、起こす。
必要であれば治癒魔法を誰かに頼まないとならない。
「おい、大丈夫か?」
マスターが声をかけると、男はゆっくりと目を開けた……。
「あ、あれ? 俺は……何して……るんだ?」
「新人冒険者に倒されたんだ、思い出せ」
「新人……? あ、あの子供?」
「Cランク冒険者だ。お前より強いんだ。二度と絡むなよ!」
「C!? 子供がC!?」
「だってお前、歯が立たなかったろ?」
すると男はガクッとうなだれ、ゆっくりとうなずく。
マスターは、パンパンと男の背中を叩き、
「早く冒険の準備でもしろ!」
と、発破をかける。
そして、斬られて転がっているカカシのところへ行くと、その切り口のなめらかさをなで、ため息をつき、新しいカカシと入れ替えた。
2-6. 痛いウロコ
ドーン!
いきなり衝撃音が走り、地面が揺れる。
マスターが驚いて音の方を見ると、金髪の可愛い少年、ヴィクトルが砂ぼこりの中、両手を上げてドヤ顔で立っていた。
「主さま、速過ぎですー」
ルコアが遅れて飛んでやってくる。
「お、お前たちどうしたんだ?」
マスターは、なぜか帰ってきてしまった二人に困惑する。
「どうしたって、コカトリス狩ってきたんだよ。ハイ!」
そう言って緑色に光る魔石を三個、マスターに渡した。
「金貨二十枚だよ!」
ヴィクトルは初成果が嬉しくて、ニコニコしながら言う。
「ちょ、ちょっと待て。もう終わったのか?」
「だって狩るだけでしょ?」
当たり前のように返すヴィクトル。
「主さまが三匹とも狩ってしまいました……」
ルコアは残念そうに言う。
「あ、そ、そうなんだ……」
マスターは規格外の二人に面食らい、魔石を眺めて立ち尽くした。
◇
二人はギルドカードを作成してもらっている間、防具屋へ行く。
壁に並べられているいぶし銀の立派な鎧を見て、ヴィクトルは声を上げる。
「うわぁ、すごーい!」
表面に彫られた唐草や幻獣の精緻な模様は、見ているだけでワクワクしてくる。
「主さまは防具なんて要らないのでは?」
ルコアは不思議そうに聞く。
「いやいや、冒険者だからね! それっぽい見た目してないとさ!」
ヴィクトルはウキウキだった。
「でも、小さい子供向けの鎧なんてないですよ?」
「なんだ? 坊主、鎧欲しいのか?」
厳つい中年男が後ろからにこやかに声をかけてくる。筋肉がムキムキで頭にはタオルを巻いている。店主のようだった。
「あ、僕は後衛なのでローブがいいんですが、子供用はありますか?」
「特注ならできるが……。坊主が……魔物狩るのか?」
店主はいぶかしげに言う。
「僕はこれでもギルド公認の冒険者なんです」
ヴィクトルはニコッと笑って言った。
「Cランクですよ! C!」
横からルコアが余計な事を言い、ヴィクトルは額を手で押さえた。
「C!? ほ、本当か? そりゃぁ……凄いな……」
店主は目を丸くする。
ヴィクトルはコホンと咳払いをして言った。
「できたら賢者が着るような渋い奴がいいんですが……」
「えっ!? 主さまって賢者なんですか?」
驚くルコア。
「あ、いや、あくまでもイメージで……ね」
「賢者かぁ……、そしたらこんなのはどうだ?」
そう言うと、店主は奥から純白のローブを取り出してきた。それは襟のところが青で金の縁取りがされた立派なものだった。
「えっ!? これって?」
ヴィクトルは驚く。それは前世次代に愛用していたデザインのローブだった。
「そう、稀代の大賢者アマンドゥス様のローブだよ!」
ヴィクトルはローブを手に取ると、懐かしさで思わず目頭が熱くなってしまう。
「だが、さすがにこれを着ようって奴はいないがな。ガハハハ!」
店主はうれしそうに笑った。
ヴィクトルはもう一度そでを通したく思ったが、ぐっとこらえ、
「これの青と白をひっくり返した物でお願いしたいんですが……」
と、店主に伝える。
「ふむ、アマンドゥス・リスペクトだな。いいんじゃないか?」
店主はニコッと笑った。
「特殊効果を加えることはできますか?」
「もちろんできるが……、龍のウロコとかいるぞ?」
店主は顔を曇らせる。
「それって暗黒龍のウロコでもいいですか?」
ヴィクトルはルコアをチラッと見て言った。
「あー、暗黒龍なら結構いい物になると思うぞ。魔法防御力+10%とか行くかもしれない。逆鱗ならさらにその倍だな」
「ダメです! ダメです! 逆鱗とか絶対ダメ! すっごく痛いんです!」
ルコアが焦って言う。
「痛い……?」
店主がいぶかしげにルコアを見た。
「お、お財布が痛いんですよ」
ヴィクトルがあわててフォローする。
「お財布って……、暗黒龍の逆鱗なんてどこにも売ってないぞ?」
「大丈夫です。逆鱗は諦めましたから」
それを聞いて、ホッと胸をなでおろすルコア。
「ウロコは……大丈夫そう?」
ヴィクトルは申し訳なさそうにルコアに聞く。
「主さまが何でも一回言うこと聞いてくれるなら……調達できるかも……しれないですね」
ルコアはジト目でヴィクトルを見た。
ヴィクトルは両手を合わせて頭を下げる。
そして、店主に聞いた。
「ウロコ持ってくるだけでいいですか?」
店主はノートを取り出してパラパラめくりながら言う。
「後は……、サイクロプスの魔石と……加工賃が金貨十枚だな」
「分かりました! 持ってきますね」
ヴィクトルはニコニコして言った。
2-7. 龍のスキンシップ
「ルコア、ゴメンな」
店を出るとヴィクトルは謝った。
「ウロコ取るの痛いんですからね!」
ルコアはプイっと向こうを向く。
「お詫びに何をしたら……いいの?」
ルコアはあごに人差し指を当てて、少し考え……、
「そうね……、ちょっと考えとく!」
と、ニヤッと笑った。
◇
次は服屋を回ってヴィクトルの服を見繕う。
ルコアは上機嫌に服を選んでは、次々とヴィクトルに当てた。
「あ、これ、主さまに似合ってるわ!」
「あー、じゃ、これでいいよ」
ヴィクトルはややゲンナリしながら返す。
「あ、ちょっと待って! こっちの方が可愛いかも……」
「いや、可愛くなくていいからさ……」
「うーん……。じゃ、次の店行ってみよう!」
ルコアはノリノリである。
結局、シャツと短パンを選ぶだけですごい時間を取られてしまった。
買った服に着替えたヴィクトルを見て、ルコアはうれしそうにニッコリと笑う。
ヴィクトルは、何がそんなに嬉しいのかとまどったが、そんなルコアを見てるうちに、自然と心がふんわりと温まっていくのを感じた。
今朝従えたばかりの暗黒龍と、こんな心の交流をしているなんて不思議ではあったが、一年ぶりの心癒される気分に頬が自然と緩んでいく。
◇
続いてマスターに紹介された宿屋へ行って部屋を取る。
「201号室だって」
ヴィクトルはそう言って階段を上り、ドアを開けた。
比較的ゆったりとした間取りにダブルベッドがドンと置いてある。
「あ、あれ……ダブルだ……替えてもらわないと」
困惑するヴィクトルを尻目に、ルコアはピョンと飛んでベッドにダイブした。
「わーい!」
「え? ツインに替えてもらおうよ」
「いいじゃない大きいベッド。フカフカで寝心地最高よ! 仲良く寝ましょ!」
ルコアは上機嫌にベッドの上でビヨンビヨンと弾む。
ヴィクトルはしばらく考え込んだが、
「寝相悪かったら床で寝てもらうよ!」
そう言って、ヴィクトルもゴロンと寝転がった。
「あ、本当だ……、これ、いいね……」
一年ぶりのベッドは快適で、ヴィクトルは思わずにんまりとしてしまう。
「ふふっ、主さま捕まえた~」
ルコアが上にのしかかってくる。柔らかな胸が押し付けられ、甘い香りにブワッと包まれるヴィクトル。
「うわっ! やめろバカ!」
押し返そうにも、そのためには少女の柔肌を押さないとならない。
ヴィクトルは真っ赤になって困惑する。
「ふふっ、冗談ですよ!」
ルコアは嬉しそうに横に転がった。
「お、お前なぁ……」
ヴィクトルは大きくため息をつく。
「スキンシップですよ、スキンシップ! 仲良しの秘訣ですよ!」
ドラゴンとのスキンシップがこんなに心臓に悪いとは予想外である。
前世の時も女の子の扱いに困らされてばかりだったのを思い出し、こういう時何と言ったらいいのか悩み、ため息をつく。
やがて睡魔が襲ってくる。思えば今日はいろいろあり過ぎた……。
ヴィクトルは大きく息をつき、静かに眠りに落ちていく。
◇
バシッ!
顔をはたかれたヴィクトルが目を覚ました。
「ん? なんだ?」
部屋はもう薄暗くなっていて、隣でルコアが大口を開けて寝ている。どうやら寝返りを打った時に叩かれたようだった。
ヴィクトルは寝ぼけまなこで不機嫌につぶやく。
「だからダブルは嫌なんだ……床で寝てもらうぞ……」
だが、幸せそうに寝ているルコアの寝顔を見ると、あまり強いことを言う気も失せてくる。流れる銀髪に透き通るような白い肌。そして、長く美しくカールするまつげ……。
ヴィクトルはしばらくルコアの寝顔をぼんやりと眺めていた。
これが街を焼き滅ぼしたとされる、あの恐ろしい暗黒龍とは誰も思わないだろう。世界は不思議に満ちている。ヴィクトルは首を軽く振り、またゴロンとベッドに横になった。
そして、天井を見ながら朝にルコアが言っていたことを思い出す。魔法やルコアを作り出した神代真龍……。一体どういう存在なのだろう? それは自分を転生させてくれた女神、ヴィーナとはどういう関係なのだろうか?
ヴィクトルは寝返りを打って真剣に考えてみる。しかし、いくら考えても全く手がかりすら見えてこなかった。
そもそも転生そのものが自然の摂理に全く反している訳で、自分の存在自体がイレギュラーなのだ。他にどんなイレギュラーな事があっても、驚いていてはいけないのかもしれない。
まずは神代真龍のレヴィア様に会うこと、これをルコアにお願いしてみようと思った。
2-8. 野生を呼ぶステーキ
ヴィクトルは水を一杯飲むとルコアを起こし、夕飯に誘った。
「ふぁ――――あ! 良く寝ちゃい……ましたね」
あくびをしながらルコアが言う。
「君に思い切り叩かれたんだけど?」
ヴィクトルはジト目で言う。
「えっ!? 主さまごめんなさい! どこ? どこ叩いちゃいました? 痛くないですか?」
ルコアはヴィクトルを捕まえ、あちこちをさすってくる。
「あー、もういいから! はい、ディナーに行くよ!」
そう言ってルコアを振り払う。
どうも調子が狂うヴィクトルだった。
◇
二人は石造りの建物の並ぶ夕暮れの街を歩き、ルコアお勧めのレストランにやってきた。
ルコアはテラス席に陣取ると、
「おかみさーん」
と、店の方に手を振る。
「ここは何が美味しいの?」
ヴィクトルが聞くと、
「へ? 私はステーキしか食べたことないですねぇ」
と、首をかしげる。ドラゴンに聞いたのは失敗だったようだ。
「あら、お嬢ちゃん久しぶり。今日は子連れでどうしたんだい?」
「ふふっ、ちょっと訳ありなの。それで、いつもの奴と、ステーキ十人前ね。主さまもステーキでいい?」
ルコアはヴィクトルを見る。
「あ、はい……」
「飲み物はミルク?」
おかみさんは優しくヴィクトルに聞く。
ステーキにミルクは合わないだろう。だが、酒を頼むわけにもいかない。
「水でいいです……」
ヴィクトルは残念に思いながらそう答えた。
「はい、わかったよ」
おかみさんはそう言うと、店の裏に回り、酒樽を重そうに持ってきて、ドン! とルコアの前に置いた。
「キタ――――!」
ルコアは歓喜の声を上げる。
「へ? 何これ?」
ヴィクトルが驚いていると、ルコアはグーパンチでパン! と上蓋を割った。そしてそのまま樽を持ち上げ、飲み始める。
ング、ング、ング、プハ――――!
ルコアは恍惚の表情を浮かべ、しばらく動かなくなった。
ヴィクトルが唖然としていると、おかみさんが水を持ってきてヴィクトルの前に置き、耳元でささやく。
「驚いちゃうわよね、一体この細い身体のどこに入って行くんだろうね?」
そして、ケラケラと笑いながら店内へと戻って行った。
◇
しばらくしておかみさんがステーキを二皿持ってきたが……、ルコアのは厚さ三十センチ近くある。表面はカリカリだが、中はきっと生だろう。
「はい、嬢ちゃん、もってきたわよぉ~」
おかみさんは嬉しそうにタワーのようなステーキをテーブルに置いた。ステーキは熱々のステーキ皿に熱されてジュー! と煙を上げており、肉の焦げる香ばしい匂いを辺りに漂わせている。
「美味しそ~!」
ルコアはそう言うとガッと両手でつかみ、いきなり噛みついた。
「ルコア! ちょっとマナーという物を……」
ヴィクトルが苦言を呈すると、おかみさんは、
「嬢ちゃんはいつもこうなのよ」
そう言ってハッハッハと笑いながら戻って行った。
ヴィクトルは渋い顔をしてルコアを見つめる。美味しそうに肉にかじりつくルコアは真剣そのもので、女の子というよりは野生動物であり、ヴィクトルはその鋭く光る瞳の迫力に気おされていた。
その時、ルコアの口に鋭い牙が光る。
「ちょ、ちょっと、ルコア!」
ヴィクトルは驚いて言った。
「主さまどうしました?」
口の周りを真っ赤にしたルコアが、モグモグしながらヴィクトルを見る。
「牙! 牙!」
ヴィクトルは自分の口を指さして教える。
「あっ、うふふ、失礼しましたわ」
ルコアはそう言うと牙をしまい、また肉にかじりついた。
ヴィクトルは、ふぅとため息をつき、自分のステーキにナイフを入れる。
しかし、ルコアの豪快な食事を見ているうちに、食欲も失せてしまっていた。
ふぅ……。
ヴィクトルはフォークに刺した肉を眺めながら言う。
「ねぇルコア、朝の話だけどさぁ……」
「えっ? 何でしたっけ?」
ルコアは肉を引きちぎりながら答える。
「レヴィア様に会いたいんだけど」
「あ、レヴィア様ね。呼んでみます?」
「えっ!? 今?」
いきなりの話に驚くヴィクトル。ルコアを作り、魔法を作り上げた偉大なる神代真龍をそんな簡単に呼んで大丈夫なのだろうか?
2-9. 不可思議な黒い板
「ちょっと待ってくださいね」
ルコアは手を拭き、アイテムポーチから小さな黒い板を取り出す。手のひらサイズの板は片面がガラスとなっており、周りが金属で重厚感があった。
ルコアがガラス面をタンと叩くと、いきなり明るい色鮮やかで、にぎやかな模様が浮かび上がる。
「うわっ! 何それ?」
ヴィクトルは今まで見たことのない精緻な光のイリュージョンに衝撃を受ける。そんな魔法は見たことも聞いたこともなかったのだ。
「え? iPhoneよ?」
ルコアは当たり前かのように言うが、百年以上生きてきた大賢者でも全く何だか分からない不思議な代物だった。
「あ、あいふぉん? どういう魔法……なの?」
ヴィクトルは恐る恐る聞く。
「あはは、これは魔法じゃないですよ。魔法のない星で作られたものですから」
ヴィクトルは絶句した。なんと、この星の物ではないらしい。宇宙人の作ったもの……。宇宙人がいたなんて初めて知ったし、宇宙人は魔法のない世界でこんな不思議なものを作っている……、それは想像を絶する事態だった。
唖然とするヴィクトルを尻目にルコアはガラス面をタンタンと叩き、iPhoneを耳に当てた。何をしているのかと思ったら、いきなり話し始めた。
「こんばんはぁ、ご無沙汰してますぅ……。はい……。はい……。いえいえ、いつも助かってますぅ……。あ、そうではなくてですね、今からステーキ食べに来ませんか? あ、いや、実は会っていただきたい人が……。え? はい……。それは大丈夫です」
話からするとレヴィア様を呼んでいるらしい。なぜiPhoneでレヴィア様と話ができるのか全く分からなかったが、ヴィクトルはジッと聞き耳を立てた。
「いつものお店ですよ……。そうです、王都の……。はい。分かりました。お待ちしてますぅ」
そう話すと、ルコアはiPhoneを耳から離し、
「すぐ来て下さるって!」
と、嬉しそうに言う。
「え? すぐ来るの? でも、レヴィア様って龍……なんだよね? まさか龍のまま来たりしないよね?」
するとルコアはあごに人差し指を当て、
「うーん、そこまで非常識では……うーん……」
と、悩んでしまった。相当に非常識らしい。
ヴィクトルは嫌な予感がした。
ルコアはiPhoneをポーチにしまおうとする。
「あっ! ちょっと待って! それ……見せて欲しいんだけど」
ヴィクトルは手を合わせてお願いする。
「え? いいですよ」
そう言ってルコアはまたiPhoneを起動し、スクリーンをフリップした。
「こうやって指先で画面をなでたり叩いたりして使うんです。この一つ一つのアイコンがアプリで、電話したりチャットしたりゲームしたりできますよ」
「ゲーム?」
ヴィクトルが聞くと、ルコアは、アイコンを一つタップする。それはRPGゲームだった。
「例えばこういうゲームがあります。主さまやってみます?」
そう言ってまず、ルコアが模範プレーをした。
画面には可愛いアニメ調の女の子が、岩山の中腹を駆け回っている。するとむこうの方に棍棒を持った猿がうろうろしているのが見えてきた。
ヴィクトルはその精緻な画面、グリグリ動く可愛いアニメ調キャラクターに圧倒される。まるでこの板の中に新たな世界が誕生した様な、異様な状況に言葉を失っていた。
ルコアはタンタンと猿をタップする。すると、女の子は弓矢で猿を攻撃し、程なく猿はアイテムを落として消えていった。
「ね? 簡単でしょ? やってみて!」
ニコッと笑うとルコアはヴィクトルにiPhoneを渡す。
「が、画面を叩くだけでいいの?」
ヴィクトルは初めてのiPhoneに、おっかなびっくり触れてみる。
「そうじゃなくて指を付けたままこうグーンと……」
ルコアはヴィクトルの手を取って操作を手伝った。
「うわぁ……、すごい……」
自分の操作したままに、縦横無尽に駆け回るアニメ調の女の子……。
そして出てくる猿。
「あ! なんか出た!」
「叩いて叩いて!」
「え? これ、そのまま叩くだけ?」
そう言いながら猿をパンパンと叩くと、女の子が弓を射って猿を倒した。
「何これ!? すごく……面白いよ!」
興奮するヴィクトル。
「あはは、あまりやり過ぎないでくださいね」
ルコアはそう言って、楽しそうなヴィクトルを幸せそうに見つめた。
2-10. 世界を統べる真龍
さらにゲームにのめり込むヴィクトル。すると、大きな黒い影がいきなりやってきて女の子を襲い始めた。
「あ! 何これ?」
「ワイバーンだわ! 逃げて!」
「ヤバいヤバい!」
しかし、女の子はワイバーンの火にあぶられてあっさり死亡……。
「あ――――!」「ありゃりゃ……」
画面が暗転し、死亡の案内が表示される。
「ごめん……、殺しちゃった……」
落ち込むヴィクトル。
「死ぬのは普通の事だからいいんですよ!」
ルコアは明るく言ってなぐさめる。
宇宙人が作ったというiPhone。そして、その中で生き生きと躍動するゲームの女の子。それは想像を超えた素晴らしい物だ。しかし……、ヴィクトルはこれの持つ意味のあまりの重大さに、これを一体どうとらえたらいいのか分からず、途方に暮れた。
と、その時、遠くで誰かの悲鳴がする。
「キャ――――!」
何だろうと声の方を見ると、何か巨大な物が金色の光をボウっとまといながら飛んでいる……。
「え? まさか……」
ヴィクトルは冷や汗がジワリと湧いてくるのを感じた。
金色のそれは巨大な翼をバッサバッサと羽ばたかせながら近づいてくる……。急いで鑑定をかけると、
レヴィア レア度:---
神代真龍 レベル:???
何だかメチャクチャな結果が返ってきた……。
「ルコア……、いらっしゃったみたいだけど……、店には入らないぞ?」
「あれ、まぁ……、いつ見てもカッコいいわぁ……」
ルコアはニコニコしている。
「うわぁ!」「ド、ドラゴンだぁ!」
通りの人たちが上を見上げ、口々に叫んだ。
やがてドラゴンは速度を落とすことなく、通りにまで降りてきてヴィクトルたちの目の前まで迫る。そして、通り過ぎる時に、真紅に光るギョロリとした巨大な瞳でヴィクトルをにらむと、
ギュワァァァ!!
と、テーブルが揺れだすような重低音で叫んだ。そして、つむじ風を巻き起こしながらバサッバサッと羽ばたき、上空へと飛びあがっていった。
「うわぁぁ!」
ヴィクトルも店の人も大慌てである。
この世界を統べる巨大生物がいきなり現れて、すさまじい咆哮を放ったのだ。さすがのヴィクトルも顔面蒼白になり、ただ、その飛び先を見つめていた。
ドラゴンはやがて夕闇の中へと消えていく……。
どんなに強くなろうがアレには絶対に勝てない。本能がそう告げていた。まさに次元の違う強さを見つけられてひざがガクガクと揺れる。
すると、いきなり空間がツーっと裂けた。
「へっ!?」
ヴィクトルの見てる前で空中がペリペリッと割れたのだ。そしてその向こうから指がニョキニョキと生えてきて、グイッと裂け目を広げる。
その奇怪な事態にヴィクトルは凍り付く。
「よいしょっと!」
空間裂け目の向こうから現れたのは、十三歳くらいの金髪おかっぱの女の子だった。
「え?」
唖然とするヴィクトルを尻目に、女の子はルコアを見ると、
「お待たせちゃん!」
そう言ってルコアにハグをした。
ルコアもニコニコしながら女の子を受け入れる。
「も、もしかして……」
ヴィクトルは女の子に鑑定をかけてみた。
レヴィア レア度:---
神代真龍 レベル:???
メモ:何度も見るなエッチ!
ヴィクトルはメモを見て呆然とした。一体どうやったらこんな事ができるのか、大賢者なのに全く想像もつかない。神代真龍の圧倒的な能力に言葉を失うばかりだった。
「紹介します! 私の主さまです~」
ルコアは手のひらでヴィクトルを指すと、レヴィアに紹介した。
金髪おかっぱの女の子は、クリッとした赤い目でヴィクトルをジッと見つめる。きめ細かい透き通るような肌に、整った目鼻立ちには、幼いながらドキッと感じさせるものがあった。
「は、はじめまして……」
ヴィクトルがあいさつをすると、
「あー、お主、アマンドゥスじゃな。ずいぶんと……若くなったのう」
レヴィアはそう言ってヴィクトルをなめるように見た。
「えっ!? 主さまが大賢者!?」
驚くルコア。
あっさり見破られたヴィクトルは、苦笑いをしてうなずいた。
「なんじゃ、ルコアは正体も知らずに仕えとったんかい」
レヴィアは呆れる。
「確かに普通じゃないなって……思ってましたよ?」
ルコアはすねて口をとがらせ、ヴィクトルをジト目で見た。
2-11. 世界を作る数式
「あら! レヴィちゃん、いらっしゃい!」
おかみさんが声をかけてくる。
「あー、おかみさん、久しぶり! いつものヨロシク!」
レヴィアはおかみさんに手を振ると、常連っぽく注文した。
「さっき、ここをね、巨大なドラゴンが通ったのよ!」
おかみさんは興奮しながら言った。
「えっ! ドラゴン! 我も見たかったですー!」
キラキラした瞳を見せ、合わせるレヴィア。
ヴィクトルはルコアと目を見合わせてクスッと笑い合った。
また樽が運ばれてきてレヴィアの前にドン! と置かれる。
樽が二つも並んだテーブルにヴィクトルは圧倒され、言葉を失う。もはや食卓ではない。
レヴィアはパーンと上蓋を割って上機嫌に言った。
「よし! 大賢者にカンパーイ!」
「カンパーイ!」「かんぱーい」
ルコアとレヴィアは樽をゴン! とぶつけ、ヴィクトルは水のコップをコン、コンとぶつけた。
二人は樽をグーっと傾けてエールをゴクゴクと堪能している。自分だけなぜ水なのか、ヴィクトルは渋い顔をしてコップ内で揺れる水面を眺めた。
「で、大賢者様は何が聞きたいんじゃ?」
レヴィアは挑戦的な目でヴィクトルを見た。
ヴィクトルは居住まいを正すと、
「だ、大賢者はやめてください。自分の無知さに打ちひしがれてるくらいなので……」
そう言って頭を下げた。
「ふーん、でもお主のそのステータスは何じゃ? こんな数字見たことないぞ」
レヴィアはニヤッと笑う。
「実は妲己と戦わねばならなくなってですね……」
「だ、妲己じゃと!?」
驚くレヴィア。
ヴィクトルは事の経緯をレヴィアに語った。
「それはまた……面倒なことに巻き込まれたのう……。それ、妲己だけで終わらんぞ」
レヴィアは渋い顔で言う。
「え? それはどういう……」
「よく考えてみろ、ゴブリンシャーマンごときが、妲己を召喚できる魔法陣なんぞ描けるはずが無いじゃろ?」
「確かに……そうですね……」
「つまり、誰かが絵を描いておるんじゃ」
そう言ってレヴィアはため息をついた。
「お心当たりがある……のですか?」
「……。まぁお主には関係のない話じゃ。ステータスとか関係のないレベルの話じゃからな」
レヴィアは気になることを言う。
「ステータスや魔法はレヴィア様が作られたと聞きましたが……」
ヴィクトルは恐る恐る聞く。
「いかにも。魔法は便利じゃろ?」
レヴィアはうれしそうに言って、また樽をグッと傾けた。
「なんで……そんなことができるのでしょうか?」
レヴィアは手の甲で口を拭うと、ヴィクトルをじっと見て言う。
「ふむ、お主はこの世界が何でできてるか知っとるか?」
ヴィクトルはいきなりの根源的な質問に気おされる。
「せ、世界……ですか? 物は分子の集まりでできていて、分子は原子の集まりでできているのは知ってますが……それ以上は……」
「原子にはな、中心に原子核というのがある。原子核は陽子や中性子でできておる。そしてそれらはさらに細かい素粒子でできていて、最終的にはこの世界は17種類の素粒子で成り立っておるんじゃ。『超ひも理論』じゃな」
「どんな物でも17種類の物の組み合わせで構成されているんですね」
「物だけじゃなく光もな。それで、これらの17種類の素粒子の挙動は一つの数式であらわされる」
「え? 数式が一つだけ?」
「そう、17種類の素粒子と一つの数式、これがこの宇宙の全てじゃ。アインシュタイン、キュリー夫人、シュレーディンガー、世界中の天才たちが寄ってたかってついにたどり着いた真実がこれじゃ。テストに出るぞ……って、この星の人は知らんか……」
レヴィアはそう言うとまた樽を傾けた。
「そ、それは凄い……話ですが、それと魔法にどういう関係が?」
「大賢者様はずいぶんせっかちじゃな」
レヴィアは運ばれてきたステーキ肉の塊を手づかみにし、美味しそうにかぶりつく。
自分の頭と同じ大きさの肉を貪る様はあまりに異様で、ヴィクトルはしばらくレヴィアの食事風景に圧倒されていた。
それにしてもとんでもない話だと思った。この世界の全て……人や動物や大自然の複雑な営みが一つの数式で表されるなんて、そんなことがあるのだろうか? たった一つの数式で表される世界なんて、どう考えてもショボい物にしかならなそうだが……。ヴィクトルはレヴィアの話をどう理解したらいいのか途方に暮れた。
2-12. 疑惑の天然知能
そんな困惑しているヴィクトルを見て、レヴィアが言った。
「素粒子があり、それは一つの数式で挙動が決まる。これ、何だかわかるか?」
いきなりの禅問答みたいな質問にヴィクトルは悩む。
「何と言われても……、何でしょう? 一つの仕掛けみたいですが……」
「おぉ、ま、そういうことじゃ。『素子』じゃな。情報処理回路の基本要素じゃ」
「情報処理回路?」
「コンピューターじゃ、それじゃよ」
そう言ってレヴィアは、ヴィクトルの手元に置いてあったiPhoneを指した。
「へっ!? 宇宙がiPhoneってことですか!?」
全く想像もしてなかったものが結びつき、ヴィクトルはビックリする。
「そうじゃ、宇宙は超巨大な量子コンピューターともいえるのじゃ。もちろん、この宇宙のコンピューターは宇宙を運営するだけの機能しか持ってない。だから放っておくと単に太陽が生まれ、惑星が生まれ、宇宙の営みが実行されるだけじゃ。アプリが一つだけのシンプルなコンピューターじゃな」
「はぁ……」
ヴィクトルは話があまりに壮大過ぎて困惑する。
「iPhoneにはいろんなアプリがあるじゃろ?」
「はい、さっきゲームをやりました。女の子を操作して猿を倒したり……」
「あ、あのゲーム面白いよのう」
そう言ってレヴィアはまた樽を傾けた。
「で、宇宙とゲームに何の関係が?」
「お主、鈍いのう」
レヴィアはゲフッとしながら、樽を置き、ニヤッと笑ってヴィクトルを見た。
ヴィクトルは下を向き、必死に考える。
宇宙は巨大なコンピューター、それはiPhoneみたいなもので、iPhoneにはゲームアプリがある。女の子が壮大な世界を冒険して魔物を狩る世界……。
その瞬間、ゾワッとすべての毛が逆立つような感覚がヴィクトルを襲った。
「ま、まさか……」
「ふふん、ようやく気づいたか、大賢者」
レヴィアはうれしそうにそう言うとまた樽を傾け、グッと持ち上げて一気に最後まで空けると、
「プハ――――! おかみさーん! おかわり!」
と、店に向かって叫んだ。
「いやいやいや! ここはゲームの世界なんかじゃないですよ!」
ヴィクトルはバッと顔を上げ、レヴィアに向かって叫んだ。
レヴィアが示唆したアナロジー、それはこのヴィクトルの住んでいる世界は、宇宙という壮大なコンピューターの中の一アプリに過ぎないというものだった。しかし、そんなことがあるわけがない。ヴィクトルは百年以上この世界に住んできていて、その間、作り物だったような不自然な現象など一つもなかったのだ。大自然は人の想いとは関係なく壮大な規模で営まれ、人が気がつかなかったような世界はまだまだ森の奥に、極地に、深海に広がっていた。誰かが作ったような世界ならどこかで矛盾が出てるはずだ。
と、ここまで考えてきてふとヴィーナ様を思い出した。そうだ……、自分は一回死んでいるのだ……。実は自分の存在そのものが……矛盾だった。
固まり、そしてうなだれるヴィクトルにレヴィアが言う。
「今から五十六億七千万年前のことじゃ、宇宙が誕生してからすでに八十一億年経っていたが、ある星でコンピューターが発明された。コンピューターは便利じゃった。あっという間に性能がぐんぐんと上がり、人工知能が開発された」
「人工知能……?」
「機械でできた知能じゃな。iPhoneが賢くなって話し始めるようなものじゃ」
「はい、おまたせー」
おかみさんが新しい樽を持ってきて、レヴィアはまた上蓋をパカンと割った。
ヴィクトルは、美味しそうにエールを飲むレヴィアを羨ましそうに見ながら、聞いた。
「機械が話すなんてこと……、本当にあるんですか?」
「お主は『自分は機械じゃない』ってなぜ確信を持ってるんじゃ?」
レヴィアは手を止めるとヴィクトルをチラッと見て、嫌なことを言う。そして、また樽を傾けた。
「えっ……?」
ヴィクトルは言葉を失った。自分は生まれながらの天然の知能と当たり前のように思っていたが、それに根拠なんてあるのだろうか? 『自分は機械で作られたものじゃない』となぜ言えるのだろうか? 脳があるから天然だろうと一瞬思ったが、『脳は単なる伝達器官だよ』と言われたら反論できない。そもそも脳が自分自身の思考を生み出していることそのものにも自信がなかった。
なんとか『自分は機械なんかじゃない証拠』を探してみるが、思い浮かばない。むしろ、転生して前世の記憶が引き継がれていることを考えたら……むしろ天然である方が不自然だった。
ヴィクトルは百年以上生きてきて初めて自分自身の存在に疑問を持ち、自我が揺らぐのを感じた。手を見るとガタガタと震えている……。
「僕は……何なんだ……?」
そう言って、震える手を無表情にただ眺めていた。
ヴィクトルはふぅっと大きく息をつくと、ルコアの樽を奪って持ち上げ、グッと一気に呷る。
「あー、主さま! それ、私のですー」
ルコアは不満げだったが、ヴィクトルは無反応で、焦点のあわない目で動かなくなった……。
2-13. いきなりの裸婦
ヴィクトルは温かく気持ち良い揺れの中、目が覚めた。
「あれ……?」
「主さま、お目覚めですか?」
ルコアの声がする。
なんとヴィクトルは、ルコアに背負われて夜の石畳の道を運ばれていた。
「ゴ、ゴメン……」
「こうやってお世話できるのはうれしいんですから、気にしないでください」
ルコアは後ろを振り向き、ニコッと笑う。
「ありがとう……。子供の身体ではお酒はきつかった……」
ヴィクトルは反省する。
「いいんですよ、レヴィア様も『酒くらい飲みたくなるじゃろ』って笑ってました」
「しまったなぁ……」
ヴィクトルは酒に逃げてしまった未熟さを恥じ、今度謝らねばと、大きく息をつく。
そして気持ちの良いルコアのリズムに揺られ、温かな体温を感じながらまた、意識が薄れていった。
◇
バシッ!
ヴィクトルは、はたかれて目が覚める。
「う、うーん……」
目を開けるとまだ薄暗いベッドの上で、誰かの腕が額の上に載っている……、ルコアだ。
「ちょっと、もう……」
腕を払いのけ、起き上がりながらルコアを見て、ヴィクトルは固まった……。ルコアは素っ裸で、美しく盛り上がった胸をさらしながら、呑気に幸せそうな寝顔を見せていたのだ。
ヴィクトルはゴクリとツバを飲む。
その均整の取れたプロポーション、美しい透き通るような肌はまるで西洋絵画のように厳かな雰囲気さえ漂わせていた。
しばらくその姿に見ほれていたヴィクトルは、知らず知らずのうちに手が伸びてしまっているのに気がつく。六歳児とは言え中身は大人の男である。そこには抗いがたいものがあった。
しかし、寝込みに手を出すようなこと、あってはならない……。ブンブンと首を振り、毛布をそっとかけて立ち上がる。そして、水差しの水をコップに入れると、ゴクゴクと一気に飲み干した。
「ふぅ……」
カーテンを開けると、東の空は鮮やかな茜色に染まり、朝露に濡れた石畳はその茜色を反射して静謐な朝の街を彩っている。
ヴィクトルはそっと窓を開けた。
チチチチッ
小鳥の鳴き声が聞こえ、涼しい朝の風が入ってくる。
ヴィクトルはその爽やかな風を浴びながら頭を冷やす。そして、昨晩の事を思い出していた。
この美しい世界が誰かに作られたものらしいこと、そして自分自身の思考も機械上で動いているのかもしれないこと、それらは実にとんでもない話だった。この美しい朝焼けの街が、囁き合う鳥たちの営みが、それらを感じている自分が、誰かに作られているというのは、あまりにも飛躍しすぎている。
と、ここで、死後の世界で会った女神、ヴィーナの言葉を思い出した。
『あなたの功績にはとても感謝してるわ……』
確かこんな事を言われた覚えがある。しかし……、自分がやっていたのは単にレヴィアの作った魔法システムを分析していただけに過ぎない。魔法について知りたければレヴィアに聞けばいいだけの話で、自分のやったことが功績になるとはとても思えなかった。
しかし、ヴィーナは喜んでいるようだった。一体これは何なんだろうか?
魔法を知りたいわけではないとしたら、自分の活動の何を評価してくれたのだろうか……。
眉をひそめて必死に考えていると、プニっと誰かに頬を押された。
「なーに、怖い顔してますか?」
見るとルコアが毛布を巻いて立っていた。
「いや、ちょっとね……。あ、昨晩はゴメンね」
「ふふっ、弱った主さまも可愛かったですよ」
ルコアはニコッと笑う。
「はは、参ったな……。で……、何で裸なの?」
ヴィクトルは頬を赤らめて聞いた。
「うふふ、触っても……良かったんですよ?」
ルコアは斜に構えて妖艶な笑みを浮かべる。
「いや、あまりに美しくてつい……ね。でも、毎晩裸になられても困るんだけど?」
「私寝るときはいつも裸です。裸じゃないと寝られません。それとも龍に戻ります?」
不満そうなルコア。
「龍って……この部屋入らないよね?」
「今、龍に戻ったら、この建物壊れますね」
ルコアはニヤリと笑い、ヴィクトルは肩をすくめた。
「分かった分かった。その代わり毛布かぶっててよ」
ヴィクトルが折れると、ルコアはそっと近づいて耳元で、
「ふふっ、いつでも触っていいですからね」
そうささやいて、うれしそうに洗面所へと入って行く。
「へっ!?」
ヴィクトルは間抜けな顔をさらし……、目をギュッとつぶって宙を仰ぐとしばらく動けなくなった。