寿美香はワイングラスをくるくる回しながら言う。
「私な、結婚してあんたらも産んだけど、ずーっと違和感を感じとったんよねぇ。もともと向かへんなーとは思ってたけど、やっぱりあかんかった。仕事辞める気も家事する気も起きひんかったし、あんたたち産んでも育てる気になれんかった。まぁな、仕事好きな女はいるし家事嫌いな女もいるやろうけど、自分の産んだ子を育てる気になれへんってさ、こりゃさすがに人としてどうかと思って、これでも落ち込んだりもしたんやで。そしたら寛人くんが全部やってくれたから、じゃあ私は仕事に打ち込むかーって。でもあんたたちも私なんかより、寛人くんに育ててもろて良かったて思うやろ?」
「それを俺らに聞くなや」
千隼は顔をしかめてしまう。佳鳴もどう答えたら良いのか判らず黙るしか無い。
「でも結局な、私は寛人くんのこともあんたたちのこともないがしろにしてもうたんやんね。ほんまにね、よう寛人くんに三行半突き付けられへんかったわ。奇跡やで」
「でも離婚する、んやろ?」
佳鳴が怪訝な表情で聞くと、寿美香は「それなぁ」と困り顔を浮かべる。
「寛人くんに言われてもた。あんたらに迷惑掛けるんやったらまた同居しようて。家事は寛人くんが全部するからて。でもな、私結婚ってもんに縛られたぁ無いねん。自分の稼ぎだけで充分食べてけるし、あんたらも立派に独立してるしさ」
「せやからね、せやったら離婚して同居しようて言うたんよ。ただの同居や。やったら気も楽やろうってね」
「それやったらまぁええかって」
穏やかに言う寛人とあっけらかんとした寿美香。佳鳴と千隼は半ば呆れて溜め息を吐くしか無かった。
「ま、父さんと母さんがええんやったら俺はええよ。もう俺らも大人やから親権とか関係無いんやろうし」
「そうやねぇ。私もそれでええと思うよ。考えてみたらお母さんひとりって結構危なっかしいし」
「そうやな」
佳鳴のせりふに千隼はおかしそうに「くくっ」と笑う。
「酷いなぁ」
寿美香は苦笑いする。寛人はその横でうんうんと頷く。
「あ、寛人くんまで酷いなぁ」
今度は寿美香はからからとおかしそうに笑った。
「少しまた変わった家族の形になるかも知れへんけど、僕らの同居で今までよりは家族らしいなるかも知れへんね。変な言い方かも知れへんけど、これからもよろしく頼むわ」
「よろしくね!」
佳鳴と千隼は「ふふ」「はは」と笑みをこぼす。
「なんか変な感じやけど、ま、うん、よろしくな」
「あはは、よろしくね」
その頃にはオードブルとスープを終え、彩りも鮮やかな魚料理がサーブされた。
寛人と寿美香はこの後近くのバーに行くと言うので、佳鳴と千隼は両親と駅前で別れた。時間は21時を少し過ぎていた。
佳鳴たちも誘われたが、翌日はまた煮物屋さんの営業があるからと辞退した。
家に向かってゆっくりぶらぶらと歩きながら、ふたりはぽつりぽつりと口を開く。
「離婚した方が家族ばらばらにならへんやなんて、なんやお母さんらしい」
「かもな。極端なこと言うたら、もう俺らに対する責任も無い訳やしな」
佳鳴は「責任、か」とぽつりと呟いて、「ふぅ」と息を吐いた。
「私たち、自分の城を持ててほんまに良かったね」
「ああ。それはほんまにそう思う。俺さ、正直うちに来てくれる客の仲ええ夫婦とか羨ましかってん。山見さんとかさ」
「うん、そうやねぇ」
「山見さんの奥さんって専業主婦でさ、家事も子育てもやって、なんと言うかちゃんと母親やってたんやろうなって」
「うん」
「でもそれって無い物ねだりやんな。俺らの母親はそうや無かった。やったらそれなりに受け入れるしか無いもんな。俺、自分で思ってたより変にこだわってたんかも知れへん。けど今日母さん見てさ、あ、これからは友だち感覚で付き合っていけばええんやってふと思ってさ」
「私はずっとそのスタンスやったで」
「そうなん?」
「うん。男女の違いなのかなぁ。私は言うてもお母さんと同じ女やから、そういう女性もいるもんだと割り切れるもんやけど、やっぱり男性は母親に理想と言うか、そういうのがあるもんなんや無いかなぁ」
「え、俺まさかマザコン?」
千隼が動揺したので、佳鳴は「あはは、ちゃうちゃう」と笑い飛ばす。
「でもな、例えばお母さんが山見さんの奥さまみたいな方やったら、煮物屋さんをオープンできてへんかったかも知れへんで」
「そうやろか」
「うん。だって千隼が料理しだしたんて、楽しいと思える様になったんて、お父さんの手伝いを始めたからやろ。なんでもやってくれる母親やったらそうならへんかったかもやで」
「ああ、それもそうか」
「また違うタイミングで料理楽しいって思ったかも知れへんけど、お店まで出せたかは判れへんからね。私は千隼と一緒に煮物屋さんができて楽しいし幸せやって思ってるで。来てくださる常連さんもええ方ばかりで、お話していて楽しいし癒されるし」
「そうやな。それは俺も思う。俺ら客に恵まれてるやんな」
千隼はそう言って穏やかに笑う。佳鳴も嬉しそうに口角を上げた。
「まぁ、さ、母さんが子ども服のデザイナーなんてのをやってる理由ってのも、うん、ま、意外やったけど」
「ねぇ。ちょっとびっくりしたやんねぇ」
寿美香に聞いてみた。すると寿美香にしては珍しく申し訳無さそうに目を伏せた。寿美香は元々アパレルブランド勤めだったのだが。
「子ども服を扱うたびにね、子どもが産まれたら着せてあげたいなぁって思っててん。でもいざ産んでみたら育てることすらできひんでさ。やのに子ども服見るたびに、あんたらに着せてあげたいなって虫のええこと思ってた。で、あんたらに着せる服作りたいなて思ったんよね。はは、ほんまに虫のええ話なんだけどさ」
少なくともその分だけは、寿美香は佳鳴と千隼の母親だったのだ。母親としては足りなかったのかも知れないが、寿美香がふたりを思ってくれている時間があったのだ。
確かに寿美香は夫である寛人と、子どもである佳鳴と千隼をないがしろにしたのだろう。だが寛人がそんな寿美香と離婚をしなかったのは、そんな部分を感じていたのかも知れない。
そして佳鳴と千隼も、少し救われた様な気がしていた。
「ねぇ千隼、帰ったら少し飲み直さへん?」
「そうやな。明日に響かない程度やったらええやんな。まだダイエー開いとるな。なんか見繕うか」
「私めっちゃええ日本酒飲みたい! それと酒粕クリームチーズ!」
「ええな。俺は何にしようかなぁ。塩辛のバターソテーでも作るかな」
「じゃあとっとと行こう。楽しく飲んで、明日の英気を養うで」
「おう」
そうしてふたりはほんの少しだけ暖かなものを抱え、帰途に着く。新しい家族の形にほんの少し戸惑いはあるが、どうにかうまくやって行けそうだ。
あとは両親が巧く同居生活を送れることを願うばかりである。
「私な、結婚してあんたらも産んだけど、ずーっと違和感を感じとったんよねぇ。もともと向かへんなーとは思ってたけど、やっぱりあかんかった。仕事辞める気も家事する気も起きひんかったし、あんたたち産んでも育てる気になれんかった。まぁな、仕事好きな女はいるし家事嫌いな女もいるやろうけど、自分の産んだ子を育てる気になれへんってさ、こりゃさすがに人としてどうかと思って、これでも落ち込んだりもしたんやで。そしたら寛人くんが全部やってくれたから、じゃあ私は仕事に打ち込むかーって。でもあんたたちも私なんかより、寛人くんに育ててもろて良かったて思うやろ?」
「それを俺らに聞くなや」
千隼は顔をしかめてしまう。佳鳴もどう答えたら良いのか判らず黙るしか無い。
「でも結局な、私は寛人くんのこともあんたたちのこともないがしろにしてもうたんやんね。ほんまにね、よう寛人くんに三行半突き付けられへんかったわ。奇跡やで」
「でも離婚する、んやろ?」
佳鳴が怪訝な表情で聞くと、寿美香は「それなぁ」と困り顔を浮かべる。
「寛人くんに言われてもた。あんたらに迷惑掛けるんやったらまた同居しようて。家事は寛人くんが全部するからて。でもな、私結婚ってもんに縛られたぁ無いねん。自分の稼ぎだけで充分食べてけるし、あんたらも立派に独立してるしさ」
「せやからね、せやったら離婚して同居しようて言うたんよ。ただの同居や。やったら気も楽やろうってね」
「それやったらまぁええかって」
穏やかに言う寛人とあっけらかんとした寿美香。佳鳴と千隼は半ば呆れて溜め息を吐くしか無かった。
「ま、父さんと母さんがええんやったら俺はええよ。もう俺らも大人やから親権とか関係無いんやろうし」
「そうやねぇ。私もそれでええと思うよ。考えてみたらお母さんひとりって結構危なっかしいし」
「そうやな」
佳鳴のせりふに千隼はおかしそうに「くくっ」と笑う。
「酷いなぁ」
寿美香は苦笑いする。寛人はその横でうんうんと頷く。
「あ、寛人くんまで酷いなぁ」
今度は寿美香はからからとおかしそうに笑った。
「少しまた変わった家族の形になるかも知れへんけど、僕らの同居で今までよりは家族らしいなるかも知れへんね。変な言い方かも知れへんけど、これからもよろしく頼むわ」
「よろしくね!」
佳鳴と千隼は「ふふ」「はは」と笑みをこぼす。
「なんか変な感じやけど、ま、うん、よろしくな」
「あはは、よろしくね」
その頃にはオードブルとスープを終え、彩りも鮮やかな魚料理がサーブされた。
寛人と寿美香はこの後近くのバーに行くと言うので、佳鳴と千隼は両親と駅前で別れた。時間は21時を少し過ぎていた。
佳鳴たちも誘われたが、翌日はまた煮物屋さんの営業があるからと辞退した。
家に向かってゆっくりぶらぶらと歩きながら、ふたりはぽつりぽつりと口を開く。
「離婚した方が家族ばらばらにならへんやなんて、なんやお母さんらしい」
「かもな。極端なこと言うたら、もう俺らに対する責任も無い訳やしな」
佳鳴は「責任、か」とぽつりと呟いて、「ふぅ」と息を吐いた。
「私たち、自分の城を持ててほんまに良かったね」
「ああ。それはほんまにそう思う。俺さ、正直うちに来てくれる客の仲ええ夫婦とか羨ましかってん。山見さんとかさ」
「うん、そうやねぇ」
「山見さんの奥さんって専業主婦でさ、家事も子育てもやって、なんと言うかちゃんと母親やってたんやろうなって」
「うん」
「でもそれって無い物ねだりやんな。俺らの母親はそうや無かった。やったらそれなりに受け入れるしか無いもんな。俺、自分で思ってたより変にこだわってたんかも知れへん。けど今日母さん見てさ、あ、これからは友だち感覚で付き合っていけばええんやってふと思ってさ」
「私はずっとそのスタンスやったで」
「そうなん?」
「うん。男女の違いなのかなぁ。私は言うてもお母さんと同じ女やから、そういう女性もいるもんだと割り切れるもんやけど、やっぱり男性は母親に理想と言うか、そういうのがあるもんなんや無いかなぁ」
「え、俺まさかマザコン?」
千隼が動揺したので、佳鳴は「あはは、ちゃうちゃう」と笑い飛ばす。
「でもな、例えばお母さんが山見さんの奥さまみたいな方やったら、煮物屋さんをオープンできてへんかったかも知れへんで」
「そうやろか」
「うん。だって千隼が料理しだしたんて、楽しいと思える様になったんて、お父さんの手伝いを始めたからやろ。なんでもやってくれる母親やったらそうならへんかったかもやで」
「ああ、それもそうか」
「また違うタイミングで料理楽しいって思ったかも知れへんけど、お店まで出せたかは判れへんからね。私は千隼と一緒に煮物屋さんができて楽しいし幸せやって思ってるで。来てくださる常連さんもええ方ばかりで、お話していて楽しいし癒されるし」
「そうやな。それは俺も思う。俺ら客に恵まれてるやんな」
千隼はそう言って穏やかに笑う。佳鳴も嬉しそうに口角を上げた。
「まぁ、さ、母さんが子ども服のデザイナーなんてのをやってる理由ってのも、うん、ま、意外やったけど」
「ねぇ。ちょっとびっくりしたやんねぇ」
寿美香に聞いてみた。すると寿美香にしては珍しく申し訳無さそうに目を伏せた。寿美香は元々アパレルブランド勤めだったのだが。
「子ども服を扱うたびにね、子どもが産まれたら着せてあげたいなぁって思っててん。でもいざ産んでみたら育てることすらできひんでさ。やのに子ども服見るたびに、あんたらに着せてあげたいなって虫のええこと思ってた。で、あんたらに着せる服作りたいなて思ったんよね。はは、ほんまに虫のええ話なんだけどさ」
少なくともその分だけは、寿美香は佳鳴と千隼の母親だったのだ。母親としては足りなかったのかも知れないが、寿美香がふたりを思ってくれている時間があったのだ。
確かに寿美香は夫である寛人と、子どもである佳鳴と千隼をないがしろにしたのだろう。だが寛人がそんな寿美香と離婚をしなかったのは、そんな部分を感じていたのかも知れない。
そして佳鳴と千隼も、少し救われた様な気がしていた。
「ねぇ千隼、帰ったら少し飲み直さへん?」
「そうやな。明日に響かない程度やったらええやんな。まだダイエー開いとるな。なんか見繕うか」
「私めっちゃええ日本酒飲みたい! それと酒粕クリームチーズ!」
「ええな。俺は何にしようかなぁ。塩辛のバターソテーでも作るかな」
「じゃあとっとと行こう。楽しく飲んで、明日の英気を養うで」
「おう」
そうしてふたりはほんの少しだけ暖かなものを抱え、帰途に着く。新しい家族の形にほんの少し戸惑いはあるが、どうにかうまくやって行けそうだ。
あとは両親が巧く同居生活を送れることを願うばかりである。