数日後、開店したばかりの煮物屋さんにはお客さまがまだひとり。最近来てくださる様になった若い男性のお客さまだった。名を山形(やまがた)さんと言う。

 山形さんは小柄でおとなしそうなイメージなのだが、若いだけあってたくさん召し上がる。最初はお酒で料理を楽しまれたあと、ご飯と味噌汁を頼まれる。

 そしてお酒は、これもまた若いからなのか、サワーを多く飲んでいた。特にカルピスや柚子(ゆず)がお好みの様だ。山形さんは「まだまだ子ども舌なんですわ」と笑っていた。

 そんな山形さん、今夜は柚子サワーで料理に舌鼓(したづつみ)を打っていた。子ども舌と自分で言うわりには、佳鳴たちが作る和食、家庭料理を美味しい美味しいと食べている。

 今日のメインは鶏もも肉とかぶとお揚げの煮物。彩りは塩茹でしたスナップえんどうを添えている。

 かぶは冬の野菜だが、通年出回っている。それは春の気配が濃くなった今でも変わらない。

 今日は豊南(ほうなん)市場の八百屋さんを覗くと、お得値になっていたのだ。

 旬は過ぎているので小振りだが、張りのある良いかぶだ。葉っぱは八百屋さんに置かれている時にはすでに落とされていた。

 鶏もも肉は皮目をこんがりと焼き付け、全体をさっと炒めたらお出汁を張り、縦に4等分にしたかぶ、油抜きしたお揚げを入れて、日本酒とお砂糖とお醤油で煮込んだ。

 鶏もも肉とお揚げから出るふくよかな旨味がかぶに吸い込まれ、繊維もしっかりと取り除いたそれは口に中でとろりと溶ける様だ。

 スナップえんどうはそろそろ旬がやって来る春の野菜。塩茹でしただけで爽やかな甘みが蓄えられる。

 小鉢は(たけのこ)の土佐煮と、水菜と椎茸の煮浸しである。

 筍は小さめだが生のものが買えたので、水から米ぬかと唐辛子を加えて茹でた。茹で上がったら放置して冷ましながらあくとえぐみを抜く。

 生の筍の新鮮さを活かすために、味付けはお出汁をメインに、日本酒で甘みを少し、薄口醤油で風味付け。仕上げに削り節をまとわせてできあがりだ。

 しゃくっとした爽やかな筍に、削り節がふんだんに旨味を足すのだ。

 春にしかお目に掛かれない生の筍は、それだけで価値があると考える佳鳴と千隼である。

 煮浸しは日本酒とみりん、お醤油で味を整えたお出汁に、ざく切りにした水菜と厚めにスライスした椎茸を加えてさっと煮て、火を落として余熱で火を通す。そうすることで水菜の綺麗な青と歯ごたえが損なわれない。

 今夜は全体的にかつお節の旨味に頼ったお献立だが、素材が変われば味わいもまた変わる。その違いを楽しんでいただけたら嬉しい。

「筍がしゃきしゃきしてて美味しいですねぇ〜。味も優しくて。ハンバーグとかも大好きですけど、たまにはこういうんも食べて身体を労ってあげんと」

「お家や他のお店では洋食が多いんですか?」

「そうですね。ハンバーグとかカレーとかオムライスとか。あとは牛丼とか、お昼やったらハンバーガーも多くて。コンビニやったらパスタとか唐揚げ弁当とか。どうしてもお魚よりお肉ってなります。本当に子ども舌やなぁ、僕」

「お若いんですから、お肉をがっつりと食べたくなりますよね。弟もお肉の方が好きですよ。なのでこのお店でもお魚の煮物は少ないんですよねぇ」

「あ、そんな理由なんですか」

「そうなんです。何を作ろうか考える時、どうしても肉が先に浮かびますね。魚は仕入れの時に目に付いて、自分が食べたいなって思ったら作ります」

 千隼が笑いながら言うと、山形さんは「そうなんですね」と笑みを浮かべる。

「じゃあ今度お魚の時に挑戦してみようかな。お肉好きのハヤさんが作るお魚料理やったら美味しそうです」

「はは。楽しみにしててください」

 千隼が言って笑った時、煮物屋さんのドアが開いた。

「こんばんは」

 門又(かどまた)さんだった。

「こんばんは。いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませ」

 店内はまだ空いていて、門又さんは山形さんから3つ席を開けて手前に掛けた。佳鳴からおしぼりを受け取り、兼八の水割りを注文する。

「あ〜、今日もがんばって働いたわぁ。ここでのご飯はご褒美(ほうび)やんね。あ、ご褒美ってこういうことかぁ」

「ああ、先日おっしゃってたことですね」

「そうそう。やったら私しょっちゅうご褒美あげてたやん。若い子のスイーツ以上やね」

「うちでのお食事がご褒美になっていたら嬉しいです」

「もの凄うなってるわ〜。この指輪もやけど、ご褒美って大事やね」

 門又さんは言って、左薬指にはまっている件の指輪を大事そうに撫でる。

 すると、少し離れている山形さんが、お箸を持ったまま門又さんの手元をぼんやりと見つめていた。

 何だろうかと理由も判らず佳鳴は首を傾げる。するとそんな佳鳴に気付いたのか、山形さんは慌てふためいて両手をさまよわせた。

「あ、あの、違うんです。いや何が違うんかあれなんですけど、あの、指輪、きれいやなぁって」

 山形さんの視線は、門又さんの指輪に注がれていたのだった。門又さんは「あら」と声を上げると、指輪を外しながら「そう言えば、お会いするのは初めてのお客さんやね?」と言う。

「あ、はい。最近転職して曽根に引っ越して来て、このお店を見付けました。山形と言います」

「山形……くん? 私よりも若いやんね。よろしくね、門又と言います」

 門又さんがふわりと笑みを浮かべると、山形さんも嬉しそうに笑顔になってぶんと頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

「あ、指輪やね。見る?」

「え、ええんですか?」

「うん、もちろん」

 門又さんが山形さんに指輪を渡すと、山形さんは顔を輝かせてそれを受け取る。

「うわぁ……! きれいです。真ん中がダイヤで、両脇は赤珊瑚(さんご)ですか? 土台はプラチナ……」

「山形さん、お詳しいんですねぇ」

 佳鳴が言うと、山形さんは照れた様に笑う。

「へへ、僕こういうの好きなんです。あ、男やのにこういうのが好きっておかしいですか……?」

 途端(とたん)に山形さんの顔が曇る。すると門又さんが「ううん、全然」とこともなげに首を振った。

「宝石とかが好きでもおかしないって。おるやんねぇ、そういう男性かて。そういうんに詳しいのも格好ええよねぇ」

「はい。僕は全然詳しくないですけど、天然石とか見るの結構好きですよ。色とりどりできれいですよね」

 千隼も言うと、山形さんはほっとした様に表情をほころばせた。

「良かったです」

 そう言って、「へへ」と小さく笑みを浮かべた。



 数日が経ち、月曜日。煮物屋さんは定休日である。

 佳鳴は千隼が作ったナポリタンの昼食を摂ったあと、阪急電車を使って大阪梅田駅に降り立っていた。

 春はまた少し近付き、桜もちらほらと開き始めている。大阪梅田駅の電車止めにある花壇を見ると、色とりどりの花が可愛らしい姿を見せていた。

 数日前に門又さんに見せてもらった指輪に触発されたのか、少し見てみたくなったのだ。そこで一目惚れする様なものがあれば購入しても良いと思っている。もちろんお財布と相談なのだが。

 アクセサリーを見に行くなんて何ヶ月振り、いや、何年振りだろうか。煮物屋さんを初めてから、食べ物を扱う商売だからと、指輪はもちろんしていない。

 門又さんがおっしゃっていた様にネックレスなら問題無いだろう。ピアスでも良いだろうが佳鳴の耳はピアスホールを開けていない。イヤリングは落とす可能性があるのでするのはためらわれた。

 佳鳴は阪急うめだ本店に入る。アクセサリーやジュエリーは1階フロアである。佳鳴は鼻歌でも歌いそうなご機嫌さでジュエリーのエリアに向かう。佳鳴だって女性である。こういうきらびやかなものが好きなのだ。

 目的地辺りに着くと、数々のブランドコーナーが軒を連ねていた。まずは一周回ってみることにする。

 行く先々で「いらっしゃいませ」と店員に上品に声を掛けられ、佳鳴はそれらに笑顔と会釈で返す。

 ショウウィンドウに所狭しと並べられている指輪やネックレスなどはどれもとてもきれいで、佳鳴はわくわくする。石をひとつだけ使ったシンプルなものから、多くをあしらった華やかなものまでその選択肢は多い。

 しかし佳鳴は普段使いができたらと思っているので、あまり華美なものは選ばない。

 ダイヤモンドはやはりお値段はお高めだ。大きさや透明度などにもよるのだろう。1カラットともなると、もう佳鳴には手出しできない。

 そんな数々の輝きの中で、佳鳴が良いなと思ったのは……。



 無事購入し、小さなショッパー片手にふんふんと上機嫌でフロアを後にしようと下りエスカレータに向かう。すると向かいから見知った顔が歩いて来た。

 それは煮物屋さんの常連さんだったので、佳鳴は一瞬お声掛けに迷う。しかし向こうが気付いて声を掛けてくれた。

「あ、店長さん。こんにちは」

 そう言って柔らかな笑顔で会釈してくれたのは山形さんだった。

「山形さんこんにちは。お買い物ですか?」

「はい。あの、ちょっと参考にしたくて。店長さんもお買い物ですか?」

「はい。門又さんの指輪がええなぁと思って、私も何か良いのがあればと思いまして」

「そうなんですか、門又さんの……あ、そうや、あの、これからお時間ありますか?」

「はい。大丈夫ですが」

 この後は予定も入れていないので、家に帰って休んだ後、千隼と夕飯の支度をするだけだ。

「あの、相談に乗っていただけたらと思って。あの、ええっと、門又さんの、ことで……」

 だんだんと尻すぼみになっていく言葉に、佳鳴は少しずつ耳を寄せて行く。そしてどうにか聞き取れた門又さんの名前。

「門又さんですか?」

 佳鳴が目を丸くすると、山形さんは「は、はい……」と恥ずかしげに顔を赤くした。