まだ肌寒さは残るが、春が顔を出し始める。そろそろ冬のコートもお役御免だ。
「こんばんは!」
煮物屋さんが開店して少しした頃、ご機嫌な様子で現れたのは門又さんだった。
「こんばんは、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ〜」
佳鳴と千隼も笑顔で迎え、まずはおしぼりを用意する。門又さんは差し出されたそれを受け取りながら「お酒でお願い。兼八の、ええっと、今日は炭酸割りにしようかな」
「レモンとかお入れになります? 酎ハイのお値段になりますけど」
この煮物屋さんでは焼酎はロックや水割り、お湯割りで提供することが多く、炭酸割りにするといわゆる酎ハイになる。プレーンな酎ハイは焼酎と同じ値段で、果汁などが入るレモン酎ハイなどは少し高くなる。
「あ、そっか。焼酎を炭酸で割ると酎ハイになるんや」
「はい。うちでは酎ハイはキンミヤ焼酎を炭酸水で割って作っていますから。焼酎の炭酸割りは酎ハイのプレーンです」
「キンミヤ焼酎」の正式名称は「亀甲宮焼酎」と言う。三重県の宮崎本店で造られているものだ。
癖が少なく割り材の邪魔をしないので、焼酎のベースとして広く使われている一品である。
「うーん、でも食事の時はあまり甘い飲み物好きやないしなぁ。プレーンで」
「かしこまりました」
佳鳴はさっそく棚から兼八の瓶と、冷蔵庫から炭酸水の瓶を出す。おお振りのグラスに氷を半分ほど詰め、メジャーカップで焼酎を測ってグラスに入れ、そこに炭酸水をグラス8分目ほど注ぎ、マドラーでくるりと混ぜる。
「お待たせしました」
出来上がった麦焼酎の炭酸割りをお出しすると、門又さんは「ありがとう」と受け取る。
「ねぇ、このお店って酎ハイとサワー両方あるけど、違いってなんなん?」
門又さんが美味しそうにグラスを傾けながら問う。
「今の日本では明確な線引きは無いみたいですよ。でもうちでは酎ハイはキンミヤ焼酎、サワーはスミノフを使ってます。サワーは本来、ウォッカとかジンとかのスピリッツに、柑橘とか果物で作ったお酒を合わせて作るんやそうです。炭酸では割らへんのですって。日本では割ったもんがなじみ深いので、この店でもそうしてますが。果物のお酒も、代わりに果汁で代用してますしねぇ」
「カクテルみたいやね」
「そうですね。うちではカクテルの取り扱いが無いんで、洋酒がお好きなお客さまにはサワーやウイスキーをおすすめしてます」
「なるほどね〜。このお店って煮物とかの和食を食べさしてくれるから、なんとなく焼酎とか和のお酒て思ってたけど、洋酒好きかておるよなそりゃあ」
「はい。あまり種類は多く無いですが、お好きなお酒で楽しんでいただけたら嬉しいです。はぁい、お待たせしました」
そして整えたお料理をお出しする。メインは豚だんごと大根と厚揚げとししとうの煮物だ。スライスした玉ねぎも入っている。
豚だんごはふっくらと仕上がる様に、豚挽き肉にお塩だけを入れて、もったりしろっぽくなるまでこねる。そこに卵を入れ、アクセントに青ねぎの小口切りを入れて、お醤油などで軽く調味をしてお団子にする。
煮汁に甘みを出すために、ごま油で繊維に垂直にスライスした玉ねぎをしんなりと炒め、お出汁を張り、沸いたら豚だんごを落として行く。
豚だんごから出るあくを丁寧に取り除き、お米の研ぎ汁で下茹でした大根、油抜きした厚揚げを入れて、ことこと煮込んで行く。
味付けは日本酒とお砂糖、薄口醤油で付け、ししとうは色合いを生かすためにしんなりする程度の火通しにする。
煮汁には玉ねぎから旨味が滲み出し、ふわっふわに仕上がった豚だんごに良く絡む。大根や厚揚げはその旨味を吸い、すっかりとろとろになった玉ねぎと一緒に口に運ぶと、ふくよかな味わいが広がる。
小鉢はいんげんと舞茸のきんぴらと、たたき長芋ののり梅和えだ。
きんぴらは日本酒とお砂糖、お醤油で味を付け、白すりごまをたっぷりとまぶす。ごま油でしゃきっと炒めた歯ごたえの良いいんげんと、しんなりとした舞茸の対比がおもしろい。味わいのある一品だ。
長芋はジップバッグに入れて綿棒で叩き、ひと口大ぐらいになったら、叩いた梅干しを混ぜ込んだのりの佃煮と和える。
のりの佃煮も煮物屋さんで作っている。のりはガスの直火に当てて香ばしさを出し、ちぎって日本酒とお醤油、お砂糖で煮詰めて作る。旨味を出すためにかつおの粉末も入れている。
甘やかなのりの佃煮の中から顔を出す梅の爽やかな酸味が、さくさくの長芋に良く合うのだ。
「ありがとう。いただきます」
門又さんはお箸を取って、小鉢から手を付ける。
「あ〜、こういうおばんざいみたいなんが食べられるんがほんまに嬉しいやんねぇ。家でひとりやとこんなん作れへんもん」
そう言って嬉しそうに顔を綻ばせる。そしてまた兼八の炭酸割りをあおった。
「あ、そうや。店長さん、ハヤさん、これ見てこれ!」
お箸を置いた門又さんが、開いた左手の甲をぐいと伸ばす。
きらりと輝く綺麗な透明の石が埋め込まれ、それを挟んで赤い不透明の石がふたつ填め込まれた、デザインとしてはシンプルな指輪が門又さんの薬指を飾っていた。
真ん中の透明の石がいちばん大きく、赤い石はやや小振り。土台になっている銀色の金属もほとんど傷など無く、石に負けじと光を放っていた。
「綺麗ですねぇ!」
佳鳴が黄色い声を上げる。佳鳴だって女性だ。アクセサリーだって好きである。
「へへ。ちょっと奮発してん」
門又さんは言って、嬉しそうに笑う。
「自分へのご褒美や無いけど、まぁ今まで独り身でがんばってきたやろかって。いや、自分で選んで独り身なんやけどな? 今はな? でも平日毎日有休もろくに取らんと仕事して、家事もやってって。そりゃあそんなんひとり暮らしやったら当たり前なんやし、結婚して仕事持ってたらもっと大変なんやろうけど、これまであんまりご褒美ってしてへんかったなぁって思って」
「ええですねぇ、ご褒美。若いお嬢さんは結構自分へのご褒美ってしているみたいですね。今週がんばったから、ちょっとお高めのスイーツとか」
「そうなんやってね。私も服とか買うけどそれは必要やからやし、アクセサリーはあんま興味が無かったから、冠婚葬祭に使う真珠ぐらいしか持ってへんかったんやけど、ついでがあって梅田の阪急百貨店のジュエリー売り場に行ったら綺麗なんたくさんあって。もしかしたら食わず嫌いやったんかもって。店員さんに相談して、これに決めてん。真ん中がダイヤで、赤い石が珊瑚。好きな色やねん」
「珊瑚が不透明なのがええですねぇ。真ん中のダイヤが際立って見えます」
「やろ? 余計に輝いて見えるやんね。赤いんが輝く系の石だったら、ちょっとうるさいかもて思って。もう私もそう若いわけや無いから、これぐらい落ち着いてるぐらいの方が長く使えるし」
「門又さんはまだまだお若いと思いますが。あ、でも薬指なんですね」
「そうやねん。在庫あるのが薬指にしか合わへんで。サイズ直し2週間掛かるって言うから待てへんなって、とりあえず落ち着くまで薬指に付けてる。ほぼ一目惚れみたいなもんやったからね〜。お店もサイズ直しいつでも受け付けてくれるて言うてくれてるから」
「解ります。気に入っちゃったらすぐにでも身に付けたいですよねぇ」
佳鳴がうんうんと頷くと、門又さんは「あはは」とおかしそうに笑う。
「私に男っ気が無いんは皆知ってるし、変な誤解生むことも無いやろうしね。実際今日これで会社行ったら、男の同僚に「何見栄はってんねん」って笑われてもた。失礼やんね〜」
「門又さん、そこは怒るところです」
千隼が言うと、門又さんはまた「あはは」と笑う。
「もうそんなんいちいち気にしてられへんて。私って同期の中でも結構出世してるからなぁ。将来のこともあるからばりばり働いて貯金してって思ってるから、女扱いされてへんのかも知れんなぁ」
「そこも、怒るところですよ」
千隼の少し呆れた様なせりふに、門又さんはまたまた「あはは」と笑顔。
「まぁ気にせんぐらいには図太くなったんかもね。この指輪は今の私の唯一の潤いかも。土台もプラチナやから、私にしては結構がんばって買うたんやで。できたら一生大事にできたらて思ってる」
「ええですねぇ、そういうの。私も何か見に行ってみようかな。お仕事中は着けられないですけど」
「やったらネックレスとかでもええんやない? 綺麗なんたくさんあったで」
「あ、そうですね。あまり派手なもので無かったら、お店でも着けられますもんね」
「もし買うたら見せてな〜」
「はい。もちろんです」
佳鳴は言って、ふわりと微笑んだ。
「こんばんは!」
煮物屋さんが開店して少しした頃、ご機嫌な様子で現れたのは門又さんだった。
「こんばんは、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ〜」
佳鳴と千隼も笑顔で迎え、まずはおしぼりを用意する。門又さんは差し出されたそれを受け取りながら「お酒でお願い。兼八の、ええっと、今日は炭酸割りにしようかな」
「レモンとかお入れになります? 酎ハイのお値段になりますけど」
この煮物屋さんでは焼酎はロックや水割り、お湯割りで提供することが多く、炭酸割りにするといわゆる酎ハイになる。プレーンな酎ハイは焼酎と同じ値段で、果汁などが入るレモン酎ハイなどは少し高くなる。
「あ、そっか。焼酎を炭酸で割ると酎ハイになるんや」
「はい。うちでは酎ハイはキンミヤ焼酎を炭酸水で割って作っていますから。焼酎の炭酸割りは酎ハイのプレーンです」
「キンミヤ焼酎」の正式名称は「亀甲宮焼酎」と言う。三重県の宮崎本店で造られているものだ。
癖が少なく割り材の邪魔をしないので、焼酎のベースとして広く使われている一品である。
「うーん、でも食事の時はあまり甘い飲み物好きやないしなぁ。プレーンで」
「かしこまりました」
佳鳴はさっそく棚から兼八の瓶と、冷蔵庫から炭酸水の瓶を出す。おお振りのグラスに氷を半分ほど詰め、メジャーカップで焼酎を測ってグラスに入れ、そこに炭酸水をグラス8分目ほど注ぎ、マドラーでくるりと混ぜる。
「お待たせしました」
出来上がった麦焼酎の炭酸割りをお出しすると、門又さんは「ありがとう」と受け取る。
「ねぇ、このお店って酎ハイとサワー両方あるけど、違いってなんなん?」
門又さんが美味しそうにグラスを傾けながら問う。
「今の日本では明確な線引きは無いみたいですよ。でもうちでは酎ハイはキンミヤ焼酎、サワーはスミノフを使ってます。サワーは本来、ウォッカとかジンとかのスピリッツに、柑橘とか果物で作ったお酒を合わせて作るんやそうです。炭酸では割らへんのですって。日本では割ったもんがなじみ深いので、この店でもそうしてますが。果物のお酒も、代わりに果汁で代用してますしねぇ」
「カクテルみたいやね」
「そうですね。うちではカクテルの取り扱いが無いんで、洋酒がお好きなお客さまにはサワーやウイスキーをおすすめしてます」
「なるほどね〜。このお店って煮物とかの和食を食べさしてくれるから、なんとなく焼酎とか和のお酒て思ってたけど、洋酒好きかておるよなそりゃあ」
「はい。あまり種類は多く無いですが、お好きなお酒で楽しんでいただけたら嬉しいです。はぁい、お待たせしました」
そして整えたお料理をお出しする。メインは豚だんごと大根と厚揚げとししとうの煮物だ。スライスした玉ねぎも入っている。
豚だんごはふっくらと仕上がる様に、豚挽き肉にお塩だけを入れて、もったりしろっぽくなるまでこねる。そこに卵を入れ、アクセントに青ねぎの小口切りを入れて、お醤油などで軽く調味をしてお団子にする。
煮汁に甘みを出すために、ごま油で繊維に垂直にスライスした玉ねぎをしんなりと炒め、お出汁を張り、沸いたら豚だんごを落として行く。
豚だんごから出るあくを丁寧に取り除き、お米の研ぎ汁で下茹でした大根、油抜きした厚揚げを入れて、ことこと煮込んで行く。
味付けは日本酒とお砂糖、薄口醤油で付け、ししとうは色合いを生かすためにしんなりする程度の火通しにする。
煮汁には玉ねぎから旨味が滲み出し、ふわっふわに仕上がった豚だんごに良く絡む。大根や厚揚げはその旨味を吸い、すっかりとろとろになった玉ねぎと一緒に口に運ぶと、ふくよかな味わいが広がる。
小鉢はいんげんと舞茸のきんぴらと、たたき長芋ののり梅和えだ。
きんぴらは日本酒とお砂糖、お醤油で味を付け、白すりごまをたっぷりとまぶす。ごま油でしゃきっと炒めた歯ごたえの良いいんげんと、しんなりとした舞茸の対比がおもしろい。味わいのある一品だ。
長芋はジップバッグに入れて綿棒で叩き、ひと口大ぐらいになったら、叩いた梅干しを混ぜ込んだのりの佃煮と和える。
のりの佃煮も煮物屋さんで作っている。のりはガスの直火に当てて香ばしさを出し、ちぎって日本酒とお醤油、お砂糖で煮詰めて作る。旨味を出すためにかつおの粉末も入れている。
甘やかなのりの佃煮の中から顔を出す梅の爽やかな酸味が、さくさくの長芋に良く合うのだ。
「ありがとう。いただきます」
門又さんはお箸を取って、小鉢から手を付ける。
「あ〜、こういうおばんざいみたいなんが食べられるんがほんまに嬉しいやんねぇ。家でひとりやとこんなん作れへんもん」
そう言って嬉しそうに顔を綻ばせる。そしてまた兼八の炭酸割りをあおった。
「あ、そうや。店長さん、ハヤさん、これ見てこれ!」
お箸を置いた門又さんが、開いた左手の甲をぐいと伸ばす。
きらりと輝く綺麗な透明の石が埋め込まれ、それを挟んで赤い不透明の石がふたつ填め込まれた、デザインとしてはシンプルな指輪が門又さんの薬指を飾っていた。
真ん中の透明の石がいちばん大きく、赤い石はやや小振り。土台になっている銀色の金属もほとんど傷など無く、石に負けじと光を放っていた。
「綺麗ですねぇ!」
佳鳴が黄色い声を上げる。佳鳴だって女性だ。アクセサリーだって好きである。
「へへ。ちょっと奮発してん」
門又さんは言って、嬉しそうに笑う。
「自分へのご褒美や無いけど、まぁ今まで独り身でがんばってきたやろかって。いや、自分で選んで独り身なんやけどな? 今はな? でも平日毎日有休もろくに取らんと仕事して、家事もやってって。そりゃあそんなんひとり暮らしやったら当たり前なんやし、結婚して仕事持ってたらもっと大変なんやろうけど、これまであんまりご褒美ってしてへんかったなぁって思って」
「ええですねぇ、ご褒美。若いお嬢さんは結構自分へのご褒美ってしているみたいですね。今週がんばったから、ちょっとお高めのスイーツとか」
「そうなんやってね。私も服とか買うけどそれは必要やからやし、アクセサリーはあんま興味が無かったから、冠婚葬祭に使う真珠ぐらいしか持ってへんかったんやけど、ついでがあって梅田の阪急百貨店のジュエリー売り場に行ったら綺麗なんたくさんあって。もしかしたら食わず嫌いやったんかもって。店員さんに相談して、これに決めてん。真ん中がダイヤで、赤い石が珊瑚。好きな色やねん」
「珊瑚が不透明なのがええですねぇ。真ん中のダイヤが際立って見えます」
「やろ? 余計に輝いて見えるやんね。赤いんが輝く系の石だったら、ちょっとうるさいかもて思って。もう私もそう若いわけや無いから、これぐらい落ち着いてるぐらいの方が長く使えるし」
「門又さんはまだまだお若いと思いますが。あ、でも薬指なんですね」
「そうやねん。在庫あるのが薬指にしか合わへんで。サイズ直し2週間掛かるって言うから待てへんなって、とりあえず落ち着くまで薬指に付けてる。ほぼ一目惚れみたいなもんやったからね〜。お店もサイズ直しいつでも受け付けてくれるて言うてくれてるから」
「解ります。気に入っちゃったらすぐにでも身に付けたいですよねぇ」
佳鳴がうんうんと頷くと、門又さんは「あはは」とおかしそうに笑う。
「私に男っ気が無いんは皆知ってるし、変な誤解生むことも無いやろうしね。実際今日これで会社行ったら、男の同僚に「何見栄はってんねん」って笑われてもた。失礼やんね〜」
「門又さん、そこは怒るところです」
千隼が言うと、門又さんはまた「あはは」と笑う。
「もうそんなんいちいち気にしてられへんて。私って同期の中でも結構出世してるからなぁ。将来のこともあるからばりばり働いて貯金してって思ってるから、女扱いされてへんのかも知れんなぁ」
「そこも、怒るところですよ」
千隼の少し呆れた様なせりふに、門又さんはまたまた「あはは」と笑顔。
「まぁ気にせんぐらいには図太くなったんかもね。この指輪は今の私の唯一の潤いかも。土台もプラチナやから、私にしては結構がんばって買うたんやで。できたら一生大事にできたらて思ってる」
「ええですねぇ、そういうの。私も何か見に行ってみようかな。お仕事中は着けられないですけど」
「やったらネックレスとかでもええんやない? 綺麗なんたくさんあったで」
「あ、そうですね。あまり派手なもので無かったら、お店でも着けられますもんね」
「もし買うたら見せてな〜」
「はい。もちろんです」
佳鳴は言って、ふわりと微笑んだ。