「うん、とってもいいお天気!」

 晴れ渡った帝都の空を見上げて、小春は清々しい空気を吸い込んだ。
 広い庭の地面に籠を置き、溜まった洗い物を手際よく、物干し竿に背伸びしながら干していく。まさに洗濯日和である。

 途中で後ろから、バタバタとふくよかな中年女性が走ってきた。この家で小春と同じく、女中として雇われている加代だ。

「小春ちゃん! ごめんなさいねえ、お洗濯物を任せちゃって! 私が寝坊したせいで……」
「いいですよ、加代さんもお疲れだと思うので」
「本当に、小春ちゃんが来てから助かっているわあ……働き者だし、いい子だし。でも、残りは私に任せて! 明子お嬢様が小春ちゃんを朝からお呼びよ」
「え、明子様が? すぐ向かいます!」

 申し訳ないけど、お言葉に甘えて残りの洗濯物は任せ、小春は薄紅の着物を翻して家の中へと入った。

 時は大正――。
 新しい文化が花開き、人々の生活も目まぐるしく変化するこの時代。
 小春が本郷にある、この珠小路子爵家に来てから、あっという間に三度目の春が訪れた。

 なんとあの雪の夜、小春を助けてくれたのは、子爵家を継いだばかりのご当主・珠小路有文様だったのだ。

 なぜ華族様があんなところにいたのかというと、なにも芸者遊びに来たのではなく、父親の借金を返しに行った帰りだというのだから、なおさら驚きである。
 小春の中で華族といえば殿上人。
毎日綺麗なお着物やお洋服を着て、パーティーやらに洒落込んでいるのかと思っていた。

 しかし現実は、華族といっても全員が全員裕福ではないらしく、もとより珠小路子爵家は資産に恵まれていない公家華族。前当主の有文父には商才などもなく、にもかかわらず放蕩三昧したいせいで、方々で借金まで作っていたという。

 有文は苦笑しながら言ったものだ。『一年ほど前に父が亡くなるまで、苦労ばかりさせられた』と。

 母親は父より先に亡くなっていて、親戚も信用に足る者はいない。妹の明子とふたりきりで、有文はまだ若くして家を背負うこととなった。

 だが彼は父の借金にも負けず、家財を売って返し切り、商売も一から始めてなんとか軌道に乗せ、たった一年で見事家を立て直した。景気の後押しもあるとはいえ、父を反面教師にした相当の努力家である。

 とはいえ、彼の会社はまだまだ小さく、懐も潤っているとは言い難い。この日本家屋も大きく立派ではあるが、生活は質素倹約だ。

 それなのに行き場のない小春を女中として置いてくれて、小春は毎日感謝してもしきれない。

(私が明子様の幼い頃に似ているから、放っておけないとおっしゃっていたけど……ただ有文様たちがお優しいだけだと思うんだよね)

 助けてもらってからの顛末を思い、簡単に束ねた長い髪を振ってうんうん頷きながら、小春は縁側を通り抜ける。

 ちなみに幼いといっても、小春と明子は同い年の十六歳だ。

 小春が幼く見えたのは、もとから小柄な体がさらに痩せ細っていたせいだった。今はちゃんとした食事にありつけるおかげで、体も年齢相応にふっくら肉付きがよくなっている。

 この家にいる使用人は、女中の佳代と小春、それから下男の盛太郎のみだが、有文たちは手厚く扱ってくれている。
 小春はいまだにふかふかのお布団で目覚めると、夢の続きなのではないかと疑うくらいだ。

 料亭にいた頃よりも破格の待遇に、ずっと恐縮しきりである。

(たくさんたくさん働いて、おふたりに恩返ししないと!)

 小春は気合いを入れて、辿り着いた部屋の障子戸に向かって声をかけた。

「明子様、失礼いたします。小春です」