まーた奇行が始まっちゃった。
 新木舞香は我ながら呆れた。

 高校に入学してはや一ヶ月。
 今日も友達ができなかった。
 それはまあいい。
 今日も一言しか喋れなかった。
 それもまあいい。
 けれど、いくら居場所がないからって昼休みに学校から飛び出すことはないんじゃない? 
 ……いやいや、これには深いワケがある。
 
 弁当食べた後のあの無為な時間。
 それは、突然、煮えたぎった。
 走ろうと思った。
 走らなければならないと思った。
 だから膝が跳ね上がり、机を蹴倒した。
 教科書をぶちまけながら机は轟音たてた。 
 クラスメートらの無数の不審な目が、舞香の心臓を射抜いた。
 まずは教室から飛び出そうと思った。
 その後はなりふり構わず走ろうと思った。
 
 しかし、イスの足が自分の足に絡んで転倒した。
 その時だ! 
 膝を擦って「痛い」と言うべきところを「熱っつぅ」と言ってしまった。
 これが今日の一言だった。
 これは完全に奇行だろうなぁ。

 おまけに胸ポケットから小銭がこぼれた。
 100円が3枚。50円が2枚。10円が7枚。5円が1枚。1円が3枚。
 合計、16枚の金銀銅の花びらが湿った教室の床の上で華やいだ。
 この絵はいくらするんだろう。
 見惚れてたらよだれがぬるっと垂れた。
 みんな悲鳴をあげやがった。
 ……もう明日から自分の居場所ないかも。



 外は雨が降っている。どしゃぶりだ。
 舞香は、ずぶ濡れになりながらも、人がまばらな商店街の一本道を突っ走っていた。
 学校を出て通学路ではない道を選び、走った。
 走る。とにかく走る。
 まして、こんな雨の中で、走る。
 脚がうずいたから、しかたない。

 閉じ込めていた惨めな記憶が発作的に出てきそうになるとき、人はそれをごまかすために衝動的に何か行動を起こす。叫んでみたり、頭を振ってみたり、白目を剥いてみたり。その行動はなんら意味を成さず、客観的に見たら奇行そのものだ。舞香の場合、それは走り出すことだった。

 雨の日は古傷が痛むんだ、なんてクサいことを一度は言ってみたいか? 
 傷の痛みが回想のスイッチとして機能する以上は、雨の日の走り込みは欠かせないものになるんだぞ?
 もし今日が晴れていたら、教科書も古傷も心臓も、平穏でいられただろうか?

  走りながらの自問自答は、記憶の蓋である。しかし、日を追うごとに自分への問いかけは意味不明を極め、徒労に終わった。今すぐにでも「決別したい記憶」が足から心臓へ、そして脳裏へとふつふつと湧き上がった。息があがる。汗がでる。雨に流す。涙、隠せず。
 ……あの日、痛くもないのに泣いたのは「スポーツの残酷さ」を知ったからだ。



 時は少しさかのぼって舞香が北岬中学校の二年生だった頃。季節は二月の冬。もうじき三年生にあがり、半年後には夏の最後の大会を控えていた時期だった。
 副キャプテンだった舞香は凡ミスを連発していた。原因は自分の身長のせいではないかとひそかに怯えていた。
 そんな舞香を気にかけて、女子バスケ部の顧問が「むしろ小柄である方がその強みを活かせるのだ」と力強く言ってくれた。これは「希望」だった。この言葉を信じて厳しい練習にも食らいついてきたし、最後の試合までバスケを続けてきた。
 しかし、先生は平等だった。
 「小柄なプレイヤーの強みを、潰す、テクニック」も背の高い部員たちに詳細に(そひて念入りに)伝授した。これは言うまでもなく「絶望」に該当した。

 学年が上がる時期になると、新しいチーム編成にどの部員も神経質になるものだ。二年生10人、一年生13人、合計23人で、たった5人のレギュラー枠を競う。さらには4月から入ってくる新入生の中に、ミニバスの強豪チームの何人かが入部してくるという噂もあった。
 三年生が中心となる夏の大会で、一年生がレギュラーとして活躍するのは何も珍しい話ではない。万年ベンチの三年生、三ヶ月でレギュラー入りの一年生の構図は、夏の風物詩だ。その光景を目の当たりにする二年生はしばしば戦慄する。自分も来年ああなるのだろうか。自分は来年レギュラーに選ばれるだろうか。そこで絶望を感じて辞めてしまう二年生は少なくない。継続を選んだ二年生はもう後には引けないため、死に物狂いでレギュラーを獲りにくる。新一年生という見えない味方の敵に震えながら、不確定要素の多いレギュラー争いは激化していく。

 部員たちが部活に没頭する理由はレギュラー争いだけではなかった。舞香の通う中学校は、二年連続、夏の都大会でベスト16を記録した。いずれも舞香が一年生の時と二年生の時の大会で、舞香は三年生と混じって試合出場した。どちらの試合も勝てる試合を落としての結果だった。 
 シュートの数やボールの支配では優勢だったが、レイアップシュートや2Pシュートなどの基礎のミスが多かった。正確なシュートができていなかったのに、それを勢いでごまかしたのが仇となり負けたのだ。
 練習で当たり前にできたことが本番ではできなかった。いや、練習でできた気になっていたのだ。その甘さが本試合で露呈した。だったらやるべきことは単純明快。練習を確実に丁寧にこなすだけ。

 次の夏の都大会ではベスト8に入れる確信が各々の部員にあった。だから、部員のみんなは自分がレギュラー入りして、前年の記録更新の立役者になるべく、練習に明け暮れていた。
 誰もがレイアップシュートを磨いた。誰もがレイアップシュートの妨害手口を磨いた。他の部員のレイアップシュートを許せば自分のレギュラーの座が遠のいてしまう。その攻防に相乗効果があった。
 舞香にとってレイアップは朝飯前だ。5歳からバスケを始めたため、中二の時点でバスケ歴は10年目だった。



 舞香の兄が所属するミニバスチームの練習場に遊びに行ったことがきっかけだった。

「ドリブルしてごらん」

 舞香はその時、初めてバスケットボールを触った。グレープフルーツを膨張させたような手触り。ずっしりと重く、汗とゴムのにおいがたちのぼってくる。
 すると自分の上半身ほどの大きいボールを両手で抱えながら、ゆっくり走り出した。

「あはは、舞香、それはラグビーだよ」

 6つ年上の兄のプレーは迫力があった。自分より一回り二回り大きい男性がぶつかりあいながらボールを追いかける。シュートする瞬間だけ脱力と鮮やかさが生まれる。そのコントラストに魅了された。
 ゴールリングへ向かう大きく弧を描いたボールの軌道は、どんな上手い人であっても、下手な人であっても、見守るほかにないのだ。
 最初は応援していた舞香だったが、やがて「声が出てなかった」「プレーが固かった」「あの場面では自分からいくべき」「そこは仲間を頼るべき」など鋭い指摘を飛ばした。



 レイアップはミニバスの頃から幾度となくこなしてきた。得意中の得意のプレーだ。バスケ部に入部してまもなく顧問や先輩たちにその安定した実力を買われた。
 舞香は一年生にして唯一、三年生に混じって試合出場した経験がある。ポジションはポイントガード。小柄なプレイヤーは大抵このポジションを任される。
 ポイントガードは、相手の特徴や穴を瞬時に見抜くこと、味方の強みと弱みを日頃から把握し試合で的確な指示をだすこと、その他様々な臨機応変な対応が求められる。
 他のポジションと特に異なるのは、リーダーシップが求められる点だ。つまり、一年生でありながら三年生に積極的に指示を出さなければならない。
 つい半年前まで小学生のバスケチームでプレーしていた舞香が、身長差は大人と子供、力の差は男と女ほどある中学三年生と混じって、バスケの試合をする。ぶつかり合いの可能性もあるだろう。
 普通の一年生だったら、初試合の緊張で基礎的なプレーさえ不安だ。それなのに舞香はポイントガードとして試合を常に概観し、三年生に指示を出し、チームの司令塔になることが求められる。新人を試すにも限度があるだろう。
 ……が、舞香はさも当然かのように、普段の部活から練習試合まで、三年生に対してどんどん指示を出していた。
「山内さん、もっとコンタクトしながら前に出たり、相手との距離を外したりしないとパス回せないですよ」
「鈴木さん、ディフェンスは横につくんじゃなくて、相手の前で待ち構えるようにやってください。だからさっきからファウル取られるんですよ」
「先生、倉田さんベンチに引っ込めてください。バテちゃって全然ダメです」
「吉田キャプテン。今日、体調悪いんですか?」

 一年生の舞香がコートに上がった時、相手チームから「可愛い」などと言われた。完全に舐められている。
 ジャンプボールで試合は始まった。相手が優しく譲ってくれた、といった感じでボールが舞香に回った。
 相手のディフェンスは、群れからはぐれたクラゲのようにゆらゆら動き、余裕をかましている。

 展開は舞香のワンプレーから始まった。
 ボールが弾んだ。その一閃。"ボード"に跳ね返ったボールがゴールリングへと落ちていった。すばやいドリブルであっという間にレイアップを決めた。2点、獲得。
 相手のディフェンス5人は、一年のチビに翻弄され、緊張と動揺の息が上がり始めた。

 舞香のオフェンスは低いところでの戦いだった。150cmに届かない身長で、自分の膝下くらいの高さで、ドリブルを高速に打ちつけ、前後左右に動き回る。
 160センチ台の三年生が舞香のドリブルについていこうとすると、より体勢を低くしないといけない。前屈みになって腰に負荷をかけながら、脚はコートの往復を繰り返し、足首は小回りに奔走する。甚だしい体力の消耗を強いられた。まるで素手で野生のネズミを捕まえにいく気分だった。
 相手は背の高さをまったく活かせない。なぜなら舞香は低いところで勝負を仕掛けてくるからだ。
 誰も舞香に追いつけない。無理に横からブロックしようとするとファウルを取られる。
 でもこれは舞香が攻める側の話。

 舞香がディフェンスに回ったとき、相手選手は舞香の身長合わせてプレーする必要はない。つまり、高さを活かした勝負を仕掛けることができる。
 ディフェンスとしてのポイントガードの役割は、相手の攻勢をチームの先頭で迎え撃つこと。責任は重い。しかしそのディフェンスプレーは"脱力"に満ちていた。
 大袈裟にディフェンスに回るふりしては、相手にすり抜かせたり、シュートを打たせたり、パス回しを許したり、舞香のディフェンスはどんどん相手に出し抜かれた。つまり、"ザルディフェンス"だ。
 ……チビだし、ディフェンスは下手なのだろうか。と相手チームは感じとった。
 試合の流れがだいたい見えてきた頃、ディフェンスに回った舞香は、またしても相手のオフェンスに抜かれた。 
 しかしそのすれ違いざまに、大きい声でハッキリと言った。
「その子、クロスオーバーしかできないからよゆーよゆー。多分、それしかできないよ」
 クロスオーバーというのは、ドリブルで相手を抜き去る時に使う技で、右に行くと見せかけて左に走り去り(左右逆の場合もある)、相手を置き去りにする。初心者からNBAの一流選手までもが愛用する、シンプルにして奥深い技だ。
「パターン、見えてる、見えてる。……ほらね、予想通り。アッハハハ!」
 手を叩きながら、煽り文句を響かせた。
「相手、ワンパターン! ワンパターン!」
 レイアップを決めた相手選手は仏頂面で舞香を睨んだ。

ここで第一クォーター終了。

 相手のベンチから警戒の雰囲気が濃厚に漂ってきた。
 ひょっとしたら、「あのチビ」が序盤で見せた脱力気味のディフェンスは実はフェイントで、気付かぬうちに個々のプレイヤーの弱点を分析されているのではないか?
 自由にドリブル、パス、シュートさせたのはデータ収集のためではないか?
 そもそも一年生が夏の大会にレギュラーとして出場している時点で只者じゃない。もっと警戒しておくべきだったか? 
 相手チームの顧問が口を開いた。
「このまま一辺倒じゃだめだ。"多彩な"技を織り交ぜながら攻める。そして『あの一年』は得点力があってすばしっこいけど背が低い。守りをきちんと固めろ。高さを活かせ」

 第二クォーター、開始。

 依然として、舞香の煽りは続く。やがて相手チームは得点でリードしてるにも関わらず躍起になり、力み出した。
 舞香を相手に"慣れない"ドリブルやフェイントを仕掛けては、ボールを蹴飛ばしたり、落としたり、変なところからシュート打ったりなどミスが連発した。ミスは個人の気力もチームの士気も奪ってゆく。
 舞香はこぼれたボールをひろって軽快にシュートを決めた。脱力していた分だけ体力が温存できた。
 レイアップだけでなく、バックシュート、ターンシュート、フックシュート、そして鮮やかなジャンプシュートを決めた。

 舞香の多彩なシュートを目の当たりにした相手チームは新たなディフェンスを見せた。
 舞香がボールを持つと相手チームの全員が、ゴール下へと引き下がり、スクラムを組むように、立ちはだかった。
 デクの棒がまばらに5本突っ立っても怖くないけど、さすがにゴール下で密集されると、五重の壁に見える、と舞香は思った。
 チビはここで潰す、といった具合に相手チームはゴール下で隙間なくディフェンスを固めている。

 ドリブルではまず無理だろう。パスもあまり意味なさそう。
 さてどうしましょうと悩んでいると、大きく半円を描いた白線の手前で、自分が立っていることに気がついた。
 なぜだか笑ってしまった。
 ここから6.75m離れたゴールがガラ空きだ。相手はあのリングにボールを入れまいとを必死だけど、あのゴールを直接守れる人は誰もいない。
 自分しか届かない。
 自分だけが届けられる。
 自信が確信へと変わった。
 リングが呼んでるのだ。
 股関節をすっと落とす。
 ぐっと溜めをつくる。
 瞬間、ふわっと飛ぶ。
 足首から膝へ、腰から胸へ、腕から手へ、力がしなやかに連動して、ボールが手のひらから離れた。
 いつのまにか周囲は無音になる。大きな弧を描いて、リングの中へ吸い込まれていくバスケットボール。その背中を舞香は確信に満ちたまなこで見送った。
 さわやかな摩擦音が、沈黙のコート上に響いた。ゴールネットがゆらめく。歓声があがった。
 【3Pシュート】だ。

 オーディエンスには、他校のレギュラー部員やらベンチメンバーやら男女問わず、あるいは部員顧問を問わず集まった。
 ……生意気な一年がいる
 生意気というのは嫉妬にまみれた褒め言葉だ。先輩が中心となる試合に出て結果を求めるなら、一年生は生意気じゃないとやってられない。
 相手の三年生は「体格差」や「力の差」でやっかいだけれども、味方の三年生は「気遣い」という点でやっかいだ。
 だけど、舞香は生意気だ。
 ゴール前までせっせとボールを運んで寸前で先輩にパスをするといった接待もしないし、先輩のミスをきっちり指摘したし、自分の活躍の場を誰にも譲らなかった。
 舞香のデビュー戦は快勝で飾った。
 それは、兄とまったく同じ始まりだった。
 舞香は初戦で得点を確実に稼ぎ、次戦への弾みをつけた。三年生の主力メンバーの体力を十分に温存させつつ、この日の勝利が次の勝利を導いた。

 しかし、ベスト8の懸かった試合では三年生を優先的に出場させた。舞香は一年生でベンチで声援を送っていた。早々に、応援する気がなくなった。先輩達、まるで基本ができていない。
 まずディフェンスがザル。敵に抜かれるわファウルを取られわ、もう散々。敵のドリブルに張り付くには、サイドステップとクロスステップを織り交ぜ、状況に応じて使い分けなければいけない。ただ、なんとなくボールを叩こうとするから相手の腕や手を叩いてファウルを取られる。いいディフェンスってのは相手に下手なシュートを打たせること。つまり、ミスを誘うこと。ハエ叩きみたいにボールを奪うことじゃない。目的意識が無い。
 次にオフェンスが雑。ドリブルが根本的に下手。そんな胸の高さでボールをバウンドさせたら敵に取られやすいに決まってる。基本は自分の腰よりも低いところで、より低く! より細かく! より強く! バウンドさせなきゃ意味ない。そもそも利き手でしかドリブルできない奴はコートに立つなよ。
 ある先輩はレイアップを決めようとしたが諸々のタイミングに失敗し、ボードの角に跳ね返ったボールが自分の頭にぶつかっていた。周囲には笑いが起きた。舞香はベンチで冷めた目で見ていた。笑えるというより惨め。中三にもなってこのプレーはない。

 負けて笑顔の三年生を見て、一年生の舞香はヌルいなと思った。三年生を腑抜けにさせてるのは、仮に負けたとしても都大会ベスト16という実績を残せるからだ。この年の都大会ベスト16という記録は、北岬中学校の女子バスケ部にとって数年ぶりの好成績だった。
 だから何の緊張感もない。リラックスして試合に臨むのと、緊張感なく試合に臨むのはまったく別物だということをわかってない。
 中学校最後の大会で思い入れがあるのはわかる。でも基本プレーをミスって敗北して、最後の夏が終わって、それがなぜ楽しい思い出になるのかまったく理解できない。
 自分を出せばこんなへぼいチームに負けることはなかった。都大会ベスト16なんてどうでもいい。勝てる試合を落としたのかたまらなく悔しくなった。向こう一年はこのへぼいチームの格下扱いになる。三年生は勝利よりも思い出を選んだ。
 一体、この人たちは何のためにスポーツをやってきたんだろう。
 それが二年連続と続いたことが舞香を苛立たせた。都大会のちゃちな功績が部員を緩ませ弱体化を招く。本末転倒っぷりに舞香はしばしば呆れた。

 舞香は確信した。
 コイツらのやり方は、間違っている。
 自分のやり方が、絶対、正しい。

 舞香が二年生の時に、三年生の先輩が前年の反省もなく引退試合前に言ったこと。
『最後の試合なんだし気楽に楽しんでいこう』
『思い出に残るようにがんばろう』
 ……いやいや、勝負に負けて楽しい感情なんてありえないですから。そもそも気楽に臨む試合ってなんだよ。ゆるんだ態度でシュート外して、ヘラヘラやって、それが中学生活最後のバスケの思い出とか最低最悪ですから。
 寸前のところまで出かかった言葉を無理やり飲み込んだが、ギラついた目からは本音が筒抜けだった。
 先輩たちは、背中を刺してくる一人の尖った視線を柔和な笑顔で受け流していたが、その不満に満ちて煮えたぎった独善的な心中を、決して見逃しはしなかった。

 夏の最後の大会のあと、三年生は次期キャプテンを発表することになっていた。三年生は話し合いと多数決で次期キャプテンを選ぶが、満場一致で決まっていた。舞香は選ばれなかった。
 三年生は8人いたが、誰一人舞香を指名しなかったのだ。キャプテンに選ばれたのは舞香と同じ二年生で、その年の夏にようやく試合に出れたレベルの部員で、舞香よりも一年も出遅れていた部員だった。声を枯らして三年生を応援していた健気な後輩が、キャプテン。名前は、えっと、上原……なんちゃらという子。
 顧問の提案で舞香は副キャプテンに選ばれた。立場じゃなくて実力と結果で"正しさ"を証明してやろうと思った。
 「バスケ歴10年目」「一年生の頃からレギュラー」「二年連続都大会ベスト16の立役者」という経験と功績が舞香の自己肯定感を揺るぎないものにした。

 自分が一番、バスケをわかってる。勝ち方を知っている。
 勝てる試合を落とすことを「夏の思い出」などとは言わない。
 そんな腑抜けた意識は自分の代で決別する。

 さっそく三年生が引退してから、チビの副キャプテンが独裁者のごとく自分の部活方針を部員らに押し付けた。
 独裁者には確固たる考えがあった。
 あらゆるプレーは機械的、反射的であるべきだ、というもの。
 試合というのは必ず、緊張する。体は萎縮し、ミスの頻発を誘う。
 しかし、緊張そのものは悪いものじゃない。
 緊張感のある試合中のプレーは、あらゆる油断や隙を潰してくれる。
 いくら、得点でリードしてても警戒心を忘れずにいさせてくれる。
 普段から積極的に緊張感と付き合って上手く手懐ければいいのだ。
 だから練習中からヘラヘラやってた三年は本試合でミスを連発していた。
 シュートの確実性を担保するのは安い慰めじゃない。日々の反復的な練習だ。
 正確なフォームを何回も繰り返し、反射的にできるように体に馴染ませる。
 たとえ得点がリードされて焦っていても、試合の終盤で疲れていても、疲労がたまって調子悪くても、いつなんどきも機械的に発動できる確実なシュート。これが理想だ。

 まずは目的意識のない練習をやめた。意味のない声出し、だらだらドリブルで往復、惰性のレイアップなど。
 声出しの意味は二つ。シャウト効果を狙ってより強く力を発揮すること。情報伝達によりボール運びを円滑に進めること。
 ドリブルの位置は腰より低く、体全体を使って高低に緩急つけ、攻守の切替を徹底する。
 レイアップは、一に速さ、二に速さ、三にやっと正確性。速さと正確性はどちらも必須。でも、いくら正確性を身につけてもリングの下までドリブルするのが遅いと、レイアップシュートの機会がない。経験が積めない。必然的に正確性が落ちるのは明らかだ。
 次にミニバスレベルの基本の内容からのやり直し。バスケのプレーをまずオフェンスとディフェンスに分けて理解させる。これにより試合やバスケの全体の目的と個々のプレーの意味をハッキリさせる。
 重点すべき個々のプレーを五つに限定した。ドリブル、パス、シュート、リバウンド、コンタクト。
 そして何がファウルになるかを今一度きっちり把握させる。ファウルにはオフェンスとディフェンスどちらにもある。プレー中に選手同士が激突してどちら側のファウルかの判断はベテランの審判でも難しい。でも基準は明確にある。ファウルの仕組みをわかってないといつまでも下手なディフェンスで、相手にフリースローを許すことになり、つまらない失点を重ねる。

 舞香がいつも思っていたのは、部員一同(すでに卒業した先輩や引退した先輩も含めて)、試合中の基本的な心構えがそもそもなってないな、ということだった。
 バスケの試合というのは基本、コート内で陣地争いを繰り返すものだ。パスをもらう位置、シュートを打つ位置、ドリブルの切口や道筋など、自分の理想とする陣地は積極的に相手とぶつかりながら取りに行かないといけない。このぶつかる行為を「フィジカルコンタクト」という。
 強豪校ほどこのフィジカルコンタクトに慣れている。弱小校はシュートやドリブルなどボールをキャッチした"後"のことしか考えていないため、フィジカルコンタクトの対策を怠り、試合当日になって敵チームの激しい競り合いに泣かされ、心を折られる。強いチームはボールを持つ"前"から戦略的に動いている。
 しかし、いたずらに相手にぶつかるとファウルを取られる。フィジカルコンタクトとファウルは密接な関係にある。だからこそファウルを取られないフィジカルコンタクトのためにバスケの基本的な概念(シリンダー、リーガルガーディングポジションなど)を舞香は熱心に伝えた。
 しかし、これが部員にわかってもらえなかった。練習中に同じチームメイトにわざわざぶつかって陣地を奪うのは、みんな気が引けるからだ。ケガさせるリスクを負ってボールを支配しようとする人はかなり野蛮に見える。舞香は一人これをやった。何人かをケガさせ、当然のごとく嫌われた。

 けれど、辞めていく部員は少なかった。
 北岬中学校は、バスケに限らず、運動部は全国大会から都大会まで好成績を残すバリバリのスポーツ強豪校だった。こういう気合の入った体育会系の中学において、一年生は先輩の指示に従うか辞めるかの二択を迫られる。反論、というのはない。なぜなら先輩は経験と実績において圧倒的に一年生より勝ってるからだ。先輩にやり方が間違ってるとわからせるには、実力と結果で見返すことが求められる。
 その点、舞香は立派だった。ミニバスで全国大会準優勝の時の記念写真を一枚、部室に置いた。一年生にして反論も異論も自由に認められた。
 そして舞香は副キャプテンとして君臨し、一年生に指示をだす。
 一年生は大人しく従うものが多かった。まだ実績はないが根性があった。

 三年生が引退して新体制で部活が再始動すると、秋から年末にかけてあっという間に時が過ぎた。
 舞香のやり方でサボる人、ケガ人は増えた。
 一年生を中心に不満が募った。
 一方で、努力の成果が如実に現れた。
 しばしば一年生が舞香のプレーを出し抜いたのだ。
 ここで一年生を始めとするルーキーたちは努力の味を覚えた。
 バスケ一筋10年の選手をわずか一年未満の努力で自分が勝る瞬間は、さすがに例えようのない興奮を覚えた。
 努力はやがて中毒になった。
 厳しいトレーニングであるほど報われた時、とてつもない快感をもたらしてくれた。
 例えば、練習試合で初めて三人抜いてレイアップを決めた時、ディフェンスでたやすく相手のオフェンスをブロックしその勢いでシュートを決めた時、本試合で逆転3Pシュートを決めた時、練習中に小うるさい先輩(舞香)のシュートを妨害成功した時、突き飛ばした時など。