心の鎧はいつも
     固く冷たく閉ざされていた
      白い追憶

  優しさが想い出される
  雪の季節にいつ果てるともない
   白い追憶 あなたの愛しさ
    街には雪が わたしにはみぞれ
  あなたが心のポケットベルを
   鳴らし続けていたけれど
    わたしの心は留守番電話
     テープ戻して伝言を聞く
      苦い追憶
  あなたが今でも望むのならば
   愛し続けているならば
    わたしの心は電子のメール
     すぐに駆けてくどんなとこでも
      愛の追跡

 冬の田舎は掘り炬燵を囲み、カタカタと木枯らしになる板戸に耳を傾け、春を待つのが日々の営み。掘り炬燵は田舎の社交場。虚飾も嘘もない全裸の会話。いま、一人の来訪者。コトコトと板戸を開け、パタパタと体に纏い付く雪を叩き落す。ポッポッと燃える燠の火。口笛を吹く火鉢の鉄瓶。ああ、かかる日のノスタルジア。
 冬の田舎は風呂場の湯気が、窓の外の雪景色を背景に、ユラリユラリとフラダンスをする所。竈に投げ込む湿った杉の薪木、その吐く溜息が目に染みる。燃えろ、燃えろ、みんな燃えろ。赤く、赤く、灰燼になるまで。どんどんくべろ、薪木をくべろ。みんな、みんな燃え尽せ。寒い寒い冬を追い払うため、わたしの代わりに燃えとくれ。わたしのこの冷たい命。わたしのこの冷ややかな体。炎となってメラメラと燃え上がることを知らないこの唇。心の冬に冷やされて、硬い蕾の儘のこの胸。決して溶けることのない万年雪のようなこの心。みんな、みんな、燃えてしまえ。こんな体なんか、燃えてしまえ!ああ、かかる日のノスタルジア。
 ああ、パリの空の下で身も心も焦がしつくすような、いずみあきらの『フランシーヌの場合』のような命が激しく燃え上がるような恋をしたい。ルネ・クレマン監督が『パリは燃えているか』を1966年に撮った後、1969年にフランシーヌは焼身自殺した。そこで、トム・ジョーンズの『ラヴ・ミー・トゥナイト』のような歌が生まれる。

  あなたの瞳に燃える愛の野獣
  わたしの涙に濡れる夜のしとね
   そうよ ふたりの愛は今 
   熱く密かに燃え上がる
     今宵こそは唇合わせ 
     ああ この髪に指を絡ませ
   愛して あなた この胸に頬埋めて
   愛して あなた 夜の帷 開くまで