不器用なわたし達はそれでも先に



ようやく見つけた彩叶のコーチを引き受けてくれるかもしれないという人。今から会って話をしたいと電話がかかってきたから急いで行かないと。

なんて思っていたのに、突然全身を黒いマントで覆われた人に絡まれてしまった。

「おい、お前、確か京介だったな。俺が見えるか?」

「誰ですか?」

こっちは一分一秒も無駄にしたくないというのに。まったく勘弁してほしい。

「お前、俺が見えるんだな」

「は?何をいきなり……」

「京介。お前、近いうちに死ぬぞ」

いやいやいや、いきなり見えるかとか言ったと思ったら、今度は死の宣告ですか。

「あ、てか、今はそんなことを言いたいんじゃない。お前に聞きたいことがあるんだ。京介、お前はどうしてそこまでして彩叶を支えようとするんだ」

「あなたは彩叶の知り合いですか?」

「知り合いっちゃあ知り合いだな。あいつのことはよく知っている。教えてくれ。お前は何でそんなに彩叶のことを気にかけるんだ」

「……小さい頃に約束したんです」

どうして知らない人にここまで話さなくてはいけないのだろう。

でも、自分自身の心がポキっと折れてしまわないためにも、口にしておきたいと思った。


彩叶と僕は小さい頃に家の近くのスケートリンクで出会った。今思えば、近くに市営のスケートリンクがあるのは、なかなか珍しい環境だったかもしれない。

僕が物心付いた時には、既にお父さんがいなかった。

お母さんはお父さんのことを話したがらなかったから詳しいことは知らないけれど、どうやら僕が生まれてから仲が悪くなったみたい。

僕が赤ちゃんの時は働きに出るお母さんの代わりにおばあちゃんが僕の面倒をみてくれていた。

お母さんは、僕を育てるために朝から晩まで働き詰めの毎日を送っていた。

それでも土曜日には必ず休みを取って、近くのスケートリンクに連れて行ってくれた。それが何よりの楽しみだったのを覚えている。

休日のスケートリンクは一般開放されていて、スケート靴のレンタルもしている。市営だけあって、金額もさほど高くなく、家の近くで安全に楽しめる施設としてもってこいのところだった。

そこでは月に一回子供向けにスケート教室が開かれていた。

僕がスケート教室の方を見ていると、お母さんが「もしかして京介も教室に通いたいの?」と聞いてきた。でも、僕はスケート教室はお金がかかることを知っていたから「ううん、そんなことない」と言って、首を横に振り続けた。

その後も何度かお母さんは僕に訪ねてきたけれど、僕は頑なに首を振り続けた。

やがてお母さんは土曜日にも仕事が入ったと言って、一緒にスケートリンクに行くことはできなくなった。その辺りからだろう、僕とお母さんの間に距離ができてきたのは。

それでもお母さんは僕がスケートリンクに行くためのお金は欠かさず渡してくれた。

でもお母さんと滑るのが楽しかったから、一人で滑る気なんて起きない。次第に僕はスケートリンクには足を運ぶけれど、リンクサイドのベンチに座って、楽しそうに滑っている人達を眺め続けて過ごしていた。

たくさんの人の滑り方を見ていると、自然と次第に誰が上手いのかがわかるようになってくる。僕は自分が滑ることより、人が滑っているのを見るのが楽しいと思うようになった。

最初のうちはスケート教室に通っている同年代の子達を見るのが好きだった。

でも、次第に彼らは先生の言われることを忠実に守り、みんなで同じような動きをしているということに気が付くと、スケート教室の子供達を見るのはすぐに飽きてきた。

その辺りからだろう。同い年くらいの女の子が一人でフリースペースを滑っているのに気が付いたのは。

その子は、隣で行われているスケート教室の生徒がしているジャンプをそれっぽく飛んでみたり、見よう見まねでステップを真似たりしている。そしてよく盛大に転ぶ。

ステップもジャンプもあまりに不恰好で、見ているこっちが恥ずかしくなる。おまけに何度も盛大に転ぶから膝は真っ赤になっているし、服はベタベタになっている。

でも、その子は何度も転けては起き上がりを繰り返す。

しかも思い切りが良くて、偶然成功した時は、周りの人が「おおっ!」と叫んでしまうほど目立っていた。

その表情は、いつもスケート教室に通っている子達よりも真剣そのもの。

上手くいけば一人で「やった!」と言いながらガッツポーズをし、失敗すると「あーもう!」とか「くっそー!」とか言いながら小さい拳で地面をダンと叩き、何度も立ち上がる。

ちょっと引いている人もいたけれど、いつしか僕はその子をずっと目で追うようになっていた。

そして少しづつ隣のスケート教室に通っている子達よりも上手くなっているのにも気が付いた。


「もうっ!どうしてできないの……!」

ある日、その子は僕の目の前で盛大に転ぶと、いつものように全力で悔しがっている。

「だ、大丈夫?」

「大丈夫よ。このくらい」

その子は「どうして上手くいかないんだろう」と独り言を言いながらすぐに立ち上がって再び滑ろうとする。

「飛んでる時に腕がバッと開いてる。こうやって脇を締めてジャンプしたら?」

僕は何を思ったのか、その子にアドバイスをした。今思うと、その子と話してみたかったのかもしれない。

その子はキョトンとした顔をして、僕の方を見た。

「脇を締めるの?」

「うん。ほかの子よりも高く飛べてるけど、飛んでる時に傾いてる。だからこうやって脇を締めてみて」

その子は目をキラキラとさせて「やってみる!」と言い、勢い良く滑り始める。すると僕が言った通りジャンプしてすぐに脇を締めると、くるりと綺麗に宙を舞った。

ーーできた……できちゃったよ。

まさか本当にできるとは思っていなかったから、どんな反応をすればいいのかわからなかった。

「やったー!できたー!」

こっちにダッシュで向かって来て、大きくバンザイしながら僕の方に迫ってきた。え?え?どうすればいいの?

パニックになった僕は何を思ったのか、バンザイをした彼女に向かってぎゅっとしてしまった。

そしたら「違う違う!ハイタッチだって!」と言って、僕は顔から火を吹き出しながら全力で謝った。これは後に一生言われ続けることになる黒歴史だ。

その子は僕が抱きついてしまったことなんて全く気にしていない様子で、

「ありがとう!わたし、おだまき さいか!あなたの名前は?」

と聞いてきたから良かった。

「し、しろたえ きょうすけ」

「きゅうすけ!よろしくね」

「さいかちゃんって、すごいね」

「きょうすけが飛び方教えてくれたからだよ」

嬉しかった。

「わたしはフィギュアスケートの選手になってオリンピックに出るの」

「おりんぴっく?」

「そう!有名な選手になってテレビに出るの!」

「すごい……!さいかちゃんなら出られるよ!」

「きょうすけ!わたしのコーチになって!一緒にオリンピックに出よう!」

「こーち?何それ?」

「さっきみたいにわたしの演技を外から見て教えてくれる人。お母さんが言ってたの。本気でオリンピックを目指すならコーチを付けないといけないって。京介、コーチして」

「え……僕なんか……無理だよ」

「大丈夫だよ!さっき京介が教えてくれたからわたしは上手くできたんだよ!二人でオリンピック目指そうよ!コーチして!」

この時初めて彼女の性格の一つを知ることになる。彩叶という女の子は、人一倍頑固だということに。

今までそんなにゴリ押しされたことがなかった僕は、ほとんど流され気味に「わかった」と答えてしまった。

でも、そこから何度も彩叶の頑固さには助けられてきた。

お母さんが家を出て行ってしまった時も、おばあちゃんが亡くなった時も、彩叶は「約束したじゃん!絶対に二人でオリンピックに行くんだからね!」と言って聞かなかった。

そう。彩叶は悲しむ暇なんて与えてくれなかった。

そのおかげで、僕はこうやって普通に暮らせている。彩叶の夢は僕の夢でもある。だから絶対に諦めたくはない。


「逆にお前のせいで彩叶が伸び悩んでいるとか考えたことはないのか」

せっかく答えてやったのに性格悪いやつだななんて思ったけれど、この質問には反論できなかった。

「……たしかに、僕のせいで彩叶を追い込んでしまっている部分もあるかもしれない。でも、彼女は人一倍責任感が強いし、周囲のことを気にしてしまう。誰かが支えてあげなくちゃいけないんだ」

「あいつがここで躓くのは、所詮この程度の器だったってことじゃないのか」

「彩叶はこんなことで潰れる人間じゃない。それに、成績云々じゃなくて、あいつはもっと周囲の人を魅了する演技ができていた。それを取り戻させてあげたいんだ」

「どうするつもりなんだよ」

「それは……今はまだ頭の中を整理できていないかもしれない、だから少し時間を置いてから、もう一度彩叶と話をしたい」

「放っておいて大丈夫か?あいつ相当ヘコんでるぞ」

「僕も……正直どうすればいいのか、わからないんだ……」

「京介、お前やっぱあいつと似てるな。頑固で熱血。おまけにバカ」

「バカって……」

「でもお前らは面白い!よし、決めた!京介、俺がお前を死なねーようにしてやる!」

「はあ?何言ってんだ?」

「彩叶と会ってこいっつってんだ!お前らもう一度一緒にもがいてみろ!」

「い、言われなくてもそうするよ!」


京介はなくなったというのに、学校のはいつもと変わらない雰囲気だった。京介が亡くなったというのに、世界は何も変わらない。

「京介おはよー」

京介の友達の新垣君が言ったその言葉。聞き間違いではないかと思った。けれど次に聞こえてきたその声を聞いて、わたしは激しく混乱した。

「おー、新垣。はよー」

ーーえ?え?うそ……京介?

「ん?彩叶」

「え?え?京介、死んじゃったんじゃ……」

「は?なんでそれを……た、多分それは……夢だ」

「……??」

「よお、彩叶」

「ハイデさん⁉︎え?なんで?どういうこと?」

ばつが悪そうに答える京介にますます混乱していたら、あっちの世界に帰ってしまったと思ったハイデさんが姿を現した。

なんで京介がハイデさんと一緒にいるの?てか、京介にもハイデさんのことが見えてるの?どういうこと?

「ったく、ややこしいことしてくれるぜ」

「京介、事故にあったんじゃないの?」

「お前が巻き戻しを拒否したから、代わりに事故った京介の時間を巻き戻したんだよ」

「うそ……」

「最初に言ったろ。俺は死が身近に迫っている人間にしか見えないって。京介は俺のことが見えてたんだ」

「京介にも死が近付いていたってこと?」

「ああ。京介は事故という死期が近づいていたから、俺のことが見えたんだ」

「で、でも京介は車とぶつかったんだよね。本当に死んじゃったよね……」

「ぶつかった瞬間に巻き戻しを発動した」

「そ、そんなことできるの?」

「彩叶の件で手続きや準備は終わっていたからな。後はやるだけだった」

「でもさ。お父さんが言ってたよ、京介が亡くなったって」

「それはタイムラグの部分だろ」

巻き戻しは発動してもすぐに消えて過去に戻るわけではなく、時間をかけて徐々に過去に戻っていく。

その間はいつも通り時間が過ぎていくが、やがてその時間の出来事は消えてしまう。その消える部分のことを”タイムラグ”と呼ぶらしい。

京介が救急車で運ばれたことや病院で息を引き取ったことは、タイムラグの部分になっている。

「じゃ、じゃあさ。どうしてわたしの記憶はそのまま残っているの?」

「これはあくまで俺の推測だが、彩叶は既に巻き戻しの手続きを終えていたからだと思う」

わたしは手続きだけを終えて、京介は実際に巻き戻しが実行された。

巻き戻しの儀礼は対象の一人に対して行われるため、その人だけタイムリープさせるものだと思われがちだ。だが実際は対象の人間の記憶を保存してから時間軸全体を戻しているのだと言っている。

「直前までお前の巻き戻しの準備を進めていたから、たまたま彩叶の記憶も無くならなかったんだろ」

「ちょっと頭が付いていかないけど、これって向こうの世界にバレたらまずくないの?」

「バレたらそん時に説明すりゃ良いだろ。別に京介の巻き戻しは成功してるんだし。申請する人を間違えましたって言っとけば問題ねえ」

開き直ってない?大丈夫?

「それより彩叶、お前なかなか良い判断をしたな」

「え……?」

「俺は途中から彩叶には巻き戻しが必要ないことに気が付いていた。で、どうするかと思ってたら、ちゃんと自分から巻き戻しを拒否しただろ。あの判断は、なかなかできねーぞ。お前、最初に会った頃から随分変わったな」

わたしが巻き戻しができないと言った時、ハイデさんが意外とすぐに去っていったのは、そういう意味があったんだ。

「それに京介、お前の持つ執念にも感心した。何せ轢かれた瞬間絶対諦めてたまるかって顔してたからな」

「いやいや、僕はまだ死ぬわけにはいきませんので……」

「まったく。ヒヤヒヤさせやがって。でもお前らを見てると、人間も捨てたもんじゃないなって思ったよ。良い経験させてくれてありがとな」

「さてと、儀礼も終わったし、俺はそろそろあっちの世界に帰るわ」

「え、もう帰っちゃうの?」

「おう。もうこっちの世界に用はねえからな。多分お前らとは二度と会わない。でもお前らのことは一生忘れない。彩叶、京介、精一杯生きろよ」

「ありがとう」

「お気をつけて」

わたし達がお礼をいう頃には、すでに消えかけてしまっていたから、きちんと聞こえていたのかはわからない。随分あっさりとした別れ方だなあ。まあハイデさんらしいからいっか。

「彩叶」

「えっと……京介、この前あんな態度取って、ごめんね……」

「僕の方こそ、辛い思いをしていたのに、突き放してごめん」

「えっと、わたしもう一度、京介と一緒にスケートをしたい」

「もちろん。もう一度やり直そう」



わたしたちは正解のない世界をもがきながら生きている。

でも、正解のないものだからこそ、ふわふわしたものが気持ち悪くて、いつしか目に見えるものばかりを取り合うようになる。

思い通りになることなんて少なくて。でも思い通りにいかないことが許せなくて。

もがき続けることを、諦めようとする。

でも、やり続けたものだけが見える景色が、やり遂げたものだけが辿り着ける頂は、きっとある。

だから、不器用なわたし達は、泥臭くもがき続けるしかない。

たくさんの人に支えられながら、もがき続けるしかない。



ーーわたし達はまだまだこれからだ。


Representing Japan Saika Odamaki

会場のアナウンスがわたしの滑走を知らせる。


「彩叶!平常心!いつも通りやれば大丈夫だ!」

わたしは京介に向かってゆっくりと深く頷く。

京介はにこりと笑ってわたしの両肩をぽんぽんと叩く。

「行って来い……!」

わたしは解き放たれたかのように氷上に飛び出すと、雨のような拍手の音と、心地よい歓声がリンクを覆った。

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