「全ての都道府県で男子の死亡率の方が高いでしょ。生物学的に男の子の出生率の方が女の子の出生率よりも高くなっている。いつの時代もそう。つまり、男の子が多めに事故死するのは神様にとっては想定済みということね。対策なんかとる必要はないわ。それに一夫一婦制だから対策をとるべきは女の子の方なのよ。女の子をもっと大切にしなければいけないのよ。よく考えて御覧なさい。人類史上戦死したのは圧倒的に男の方が多いでしょ。でも人類は滅亡しなかった。戦争を始めるのは男で、戦争で死ぬのも男。でも神様はそういうことを見越して、男の子の方を多少多めに生ませているのよ」
土岐はファイルを閉じて、自殺者についても男女別の棒グラフを作ってみた。描き出された図を見て今度は亜衣子が小さく叫んだ。その意味を土岐は瞬間的に理解した。土岐は驚きを亜衣子と共有した。二人はその驚きを確認するため暫く沈黙を保った。何となく薄ら寒く思えていた室内の空気が一瞬暖気を失ったように感じられた。パソコンのディスプレイに描き出された棒グラフは先刻の7つの都府県について女子の自殺率のみが全国平均を僅かだが上回った。男子の自殺率は全国平均並みで差はいずれもコンマ1ポイント以下だった。7都府県の男女合計の自殺率は僅かに高めだった。男子の自殺率が平均的であったことから、その分女子の自殺率が全国平均を多少上回ることになった。
「自殺率に地域格差がないのが真実であれば、これは統計的な誤差の範囲内だろうか?」
と右手の三本の指先で机を軽く叩きながら土岐は一人ごとのように呟いた。直感では統計的な有意性はあるともないとも、どちらとも言えないような感じだった。亜衣子はそうでなかった。作業机の上に置いた白く細い指先が小刻みに震えていた。震えている原因が新しい事実を発見したためなのか、一見何の変哲もない棒グラフの背後に邪悪な何かを生理的に感じたのか。
「女の子は多感だし、感受性も強いし、体調の変化もあるし、とくに大都市圏だと人間関係が複雑だし、進学熱も高いし、実際地方より、大都市圏のほうが偏差値も若干高いし、塾も多いし、ファッションも多様だし、男の子は精神的成熟度は女の子より低いし、精神構造も肉体構造も単純だし、ということじゃないのかな」
「共通点があるでしょ」
と亜衣子はわけあり気に腕組みをする。
土岐は棒グラフの上でポインターを右往左往させた。
「東京湾と大阪湾」
と亜衣子は暗示するように言う。
「だけど、奈良と京都は湾岸じゃないでしょ。それに日本に限らず、どの国も、大都市は湾岸に多い」
「和歌山は大都市?違うんじゃない」
と亜衣子は媚びるように言う。
「大阪と地続きだからね。大阪経済圏の周辺に含まれるでしょ」
と土岐が少し気を直して軽く受け答えたところで暫く会話がやんだ。
エアコンの気だるいモーター音と所員がキーボードを間歇的に叩く音が静寂を支配していた。二人ともビデオ画像を停止させたように体を硬直させて原因を考え込んでいた。
「なぜ女子の自殺率が湾岸で少し高いのか?」
と土岐は亜衣子の反応を気にしながらディスプレイに語り掛ける。土岐の鼻の頭に脂汗でうっすらとてかりがあった。土岐は棒グラフを十年間ずつ五つの期間に分けてデータを作り直した。五〇年代、六〇年代、七〇年代、八〇年代、九〇年代として二十一世紀以降は省略した。
ついでに、国勢調査のあった五の倍数の年の人口統計をインターネットでダウンロードした。更に五つの期間の中央年の未成年人口を分母にして、自殺率を求めた。五〇年代は一九五五年の未成年人口で、六〇年代は一九六五年の未成年人口で、七〇年代は一九七五年の未成年人口で、八〇年代は一九八五年の未成年人口で、九〇年代は一九九五年の未成年人口で、それぞれ未成年者の都道府県別自殺者数を割った。土岐がグラフを作成している間、亜衣子は作業机から離れ、統計資料室を出て行った。三十分近く自席を空けた。土岐の統計作業が終わる頃勤務の終業時刻が近づいていた。土岐は五十年前から順に自殺率の男女別棒グラフを作成して行った。最初の三十年間の棒グラフを作成したところに亜衣子が戻ってきた。土岐は椅子の背にかけた上体を少し反らせて最初の三十年間の棒グラフを亜衣子に見せた。
「何かの間違いだったのかな?湾岸首都圏の未成年の自殺率は男女とも全国平均と大差ないよ。さっきのは計算間違えだったのかな?」
亜衣子は土岐の斜め背後に浅く腕組みして立っていた。摩天楼のような棒グラフの背後に隠された秘密があるような気がしてならなかった。棒グラフの中に事故死した青少年の怨霊が宿っているような気がした。他の所員が机の上を整理し始めコピー用紙の擦れ合うざわめきに終業時刻の近づいている気配が感じられた。
土岐が八〇年代と九〇年代の十年間ずつのグラフを画面に表示したとき亜衣子の右手が土岐の左肩を激しく強く捕まえた。
「計算は合ってるの」
と言う亜衣子の動作の意味を土岐も理解した。八〇年代十年間のグラフで他の府県に混じって湾岸首都圏の東京と千葉の女子自殺率が全国平均を僅かだが上回っていた。その傾向は九〇年代も同様だった。更に九〇年代には大阪湾岸の五府県にも全国平均を多少上回る値が見られた。グラフに封じ込められた悪霊達が一斉に解き放たれた。棒グラフが梵字で飾られた卒塔婆のように見えてきた。
「計算違いではないと思う。五十年間の累計の自殺率が若干高めで東京と千葉は最初の三十年間は全国平均並みだったんだから残りの二十年間は多少高くなるのは当然だ。大阪湾岸も同じ」
と言いながら土岐はコピー紙の裏にボールペンで棒グラフを描いた。
「女子の自殺率は未成年人口千人あたりで比べてみると、東京と千葉は八〇年代以前は全国平均とほぼ同じだったのが、八〇年代からは一を若干超えてる。大阪湾岸府県も同じように、九〇年代前は、全国平均とほぼ同じだったのが、九〇年代は僅かだが一を超えてる」
「最近十年のグラフを一年刻みで見せてみて」
と亜衣子が早く見たいというように土岐の肩を激しく揺すった。土岐の首が首振り人形のようにだらしなく前後に揺れた。土岐は秘密の扉を開けるような感覚で九〇年代の十年間のグラフを一年刻みで描き出した。パソコンのディスプレイに表示されたグラフは怨霊があぶりだされたかのように十年前からほぼ同じ傾向値を見せていた。
「間違いない、これは大発見だ!」
と土岐は思わず部屋中に響くような大声を出した。その声は深野の耳にも入った。そろそろ帰り支度を始めていた深野は書類を整理する手を休めた。背伸びをするように立ち上がった。サンダル履きのまま作業机に歩いてきた。土岐の肩越しに興味深げにディスプレイをのぞき込んできた。土岐は画面を凝視していた。深野に少しどもり気味に息せき切って説明した。
「湾岸七都府県の女子の自殺率が二十年前から全国平均よりも若干高いんです。これは、何か隠れた原因が、あるとしか、思えない」
「ちょっと待てよ、湾岸七都府県と言うけど東京、千葉は二十年前でいいとして関西の方は十年ぐらい前からじゃないの」
と深野が指摘した。土岐は言い間違えたことに気付いた。
2 祭りのあと仮説
翌日の金曜は前日と同様に薄ら寒い朝だった。午前中土岐は昨日の続きのデータベースの作成に追われた。総務省のデータサイトから各年の年齢別の人口統計を都道府県別に入手した。事故死や病死のない限り0歳の人口統計は毎年1歳ずつ年を取ってゆく。1年刻みの人口統計は毎年ゼロ歳の新生児人口を加えた形になる。実際は事故死や病死や国際間や都道府県境の人口の流出入がある。この都道府県別年次人口統計と二十歳未満の死亡原因別人数から五十年間の都道府県未成年人口千人あたりの発生件数を求める。棒グラフを作った。全国平均で割って見やすくする。ある県の未成年千人あたりの発生件数が全国平均並みであれば数値は1となる。最初の三十年間についてはざっと見た。どの都道府県も全ての死因について常に1を上回ることはない。どの都道府県も1を越える年もあれば1以下の年もある。いずれの年も1に近い。問題は次の二十年間の東京湾と大阪湾の湾岸都府県のデータだった。1年ベースの統計で確認すると新たな事実が浮かび上がった。男女別で女子の東京都と千葉県の自殺率・溺死率・転落死率は八四年から全国平均を常に上回っていた。僅かだが1より大きな値を示している。溺死については湾岸都県であるから水死の確率は高くなるかも知れない。しかし東京には川はあるが海水浴場はない。茨城はなぜ溺死率が東京や千葉程高くないのか。かなづちが少ないからか?なぜ一九八四年からなのか?棒グラフが賽の河原に不安定に積み上げた四角い石柱のように見えてきた。データの数字ひとつ分が失われた命を表している。幾千幾万もの無念の思いが棒グラフの背後に蠢きながら閉じ込められている。午前中はデータと対話しながらデータベースの整理に費やされた。昼近くになって、経理伝票の整理が終わり、手すきになった亜衣子が様子を見に来た。土岐は最初に、男女別の未成年者の死亡率の全国平均からの乖離を示す折れ線グラフを亜衣子に見せた。一本の折れ線グラフは一つの地方自治体を示している。一つの画面に十本の折れ線グラフを入れてある。全ての都道府県は五枚の画面に収まっている。横軸に暦年をとった折れ線グラフでは、どの都道府県も平均を示す1の値の付近を上下している。
「どの都道府県も全国平均から極端にはずれるということはないのね。全国平均よりも高い年もあれば低い年もあるし」
と感想を言う亜衣子の目が女子の死因別折れ線グラフで点になった。
「自殺と溺死と転落死が東京と千葉だけ違う。ここ二十年間は平均より高い」
「そうなんだ。他の都道府県は全国平均の1のあたりを行ったり来たりしているけれど、東京都と千葉県は一九八四年以降、最近迄ほんの少しだけれど、連続して上回っている」
「でも、ほんの少しね」
と言う亜衣子の言葉を捉えて土岐は憤慨したように、
「これは間違いなく何かがある。ほんの少しどころじゃないいんだ」
土岐の剣幕に亜衣子は逆ぎれした。
「だってほんのちょっと1より大きいだけじゃない。大体平均というだけのことじゃない」
「大違いだ」
と言いながら土岐は拳を振り上げた。
「長期にわたって年毎の値が平均値の1の近辺を上下しているということは偶然そうなっているということだ。1より大きくなる年がコインの表、1より小さくなる年がコインの裏だとすれば、どの都道府県も年ごとにコインの表が出たり裏が出たりしているということだ。ところが東京と千葉の場合、一九八四年からずっとコインの表が出続けている。コインの表が出る確率は二分の一。2年連続で表がでる確率は四分の一、3年連続なら八分の一、4年連続なら十六分の一、5年連続なら三十二分の一、6年連続なら六十四分の一、7年連続なら百二十八分の一、8年連続なら二百五十六分の一、9年連続なら五百十二分の一、10年連続なら千二十四分の一、11年連続なら二千四十八分の一、12年連続なら四千九十八分の一」
「それって2の倍数ってことでしょ。だから、なんなの?」
「表が20回以上連続して偶然に出ることは殆どありえない」
「ありえないって言ったって、実際に起こっていることでしょ」
「偶然だとしたらありえないことが現実には起こっているんだから偶然ではないということだ。サイコロを振って1の目を出そうとしたらせいぜい6回振って1回でしょ。だけどギャンブラーは6回振って6回とも1の目を出すことができる。この違いは僕らにとってサイコロの目で1を出すのは偶然だけどギャンプラーにとっては必然だということだ。なぜ6回振って6回とも1の目を出せるかと言えば投げるときの角度や力の入れ具合や持ち方を何万回、何十万回も練習していつでも1の目を出すこつを会得しているからだ」
「ということは?」
と亜衣子が土岐に結論をうながした。
「東京と千葉が84年以降、僅かとはいえ全国平均より20年以上にわたって高い値を示しているのは偶然ではなく必然たらしめている何かの原因があるということだ」
と言う土岐の熱っぽい顔を横目でちらりと見て亜衣子は納得したように首を縦に幾度も振り続けた。
昼食は昨日と同じレストラン。同じ三人が同じテーブルを囲んだ。
「順調?」
と深野はネクタイを緩めて下着代わりのTシャツの襟首をのぞかせている。場違いな快活さで業務の進捗状況を聞いてきた。
「データベースは作成しました。加工データをどう調理するかという点なんですが、データの有意な相違の解釈が見つからなくて」
と土岐は木製ハンガーのような肩を大げさにすくめて見せた。
「どういうこと?」
と深野がゴブレットの水を舐めた。キュービックアイスを回転させながら、角氷の音をわざと立てて聞く。
「東京と千葉の女子の自殺率と水死率と転落死率がどういうわけか、他県と比べると一九八四年から有意に高くなっているんです」
「自殺率って未成年人口千人あたりの?」
亜衣子も深野に同調してわざとらしい訝しげな甲高い声をあげ、「どうしてかしらね?」
と他人事のようにつぶやく。フォークを持つ手を休めてゴブレットに浮かぶ角氷をながめている。
「ずっと高いの?」
という深野の質問に土岐は、
「多少」
とスパゲッティをフォークにくるくると絡めながら手短に答えた。
「ということは東京と千葉に何かあるということだな。面白そうだ。調査報告書の目玉になりそうだな」
と深野は興味を示し、赤いタバスコを掛けなおし、
「午後、ちょっとデータを見てみようか」
と言いながらナポリタンスパゲッティをずるずると吸い込む。亜衣子は、フォークに巻き取ったパスタをスプーンでカットしながら、深野がたてるその音に少し顔をしかめて、
「一九八四年って何の年かしら?」
「一九八五年といえばプラザ合意だ」
と深野は窓の外を見るでもなく、遠い記憶に視線を泳がせた。右手のフォークが宙に浮いている。
「いや一九八六年からなら分かるんだ。先進五カ国蔵相会議後のプラザ合意のプレスリリースの口先介入で円高不況になってそれから輸出関連企業の倒産が相次いで自殺者も多かったんじゃないかな」と深野が言い終えないうちに、土岐がパスタに落としていた目線をきりりと上げた。話を元に戻して反論した。
「円高不況の話ですが、確かに中小企業の経営者の自殺は多かったかも知れませんが、今扱ってるデータは二十歳以下なんで」
「でも一家心中もあったんじゃないかな」
と深野は自説に固執する。
「だとすると京浜工業地帯の神奈川も自殺率が高くてもいいんじゃないですか?あの辺は零細工場が多いでしょ」
と土岐も譲らない。二人の会話に口に含んだパスタを咀嚼し終えた亜衣子が割って入ってきた。
「二人とも何言ってるの?問題は八四年からでしょ」
昼食後、統計資料室に戻った。深野は土岐の椅子に腰掛けた。土岐が作成したグラフをスクロールする。
「なる程面白い。これにもっともらしい仮説を立てて検証結果を添付すれば新聞ネタにもなる」
と深野はにんまりした。キーボードをたたく指先で女子の自殺率や事故死率の表の数値で各年の各都道府県のデータで全国平均の一を超えるものを検索した。深野が検索にマウスポインターをあわせてクリックすると百個余りのデータが表示された。一・一を超えるものはなかった。表示されたデータは降順で最高値は千葉の一九八八年の一・〇八。数値の右には年度と都道府県の情報が並んでいる。
「都道府県でソートを掛けてみたら」
と深野の右隣に座っていた亜衣子が自分の両膝に両手を突っ張るようにして囁くように深野の耳元でアドバイスした。深野は先に指示されて悔しそうに言った。
「今そうしようとしていたところだ」
と一・〇五を超えるデータについて都道府県名で降順でソートする。大阪、京都、千葉、東京、和歌山の順にデータが並べ替えられた。
「これが、土岐・能美の湾岸仮説か。確かに異常のように見える」
「でも暦年でソートをかけたら別の仮説がでてくるかも」
と深野の左隣に座っていた土岐が少し腰を浮かせる。深野の顔色を横目で窺いながら提案する。深野が暦年の昇順でソートをかけると最初に出てきたのは七一年の大阪、京都、奈良、兵庫、和歌山、滋賀だった。深野が部屋中に響くような大声をあげた。亜衣子も意味不明の奇声を上げた。土岐が周囲を見回す。室員の視線が一斉に深野に向けられていた。皆ミーアキャットのように首を伸ばした。
「どういうことだ、これはいったい!?」
「七一年って何があった年ですか?」
不意に深野はほんの僅か斜視の眼で天井の一点を睨むようにして見上げた。天井は古材の格天井になっていた。
「七一年八月にはニクソン・ショックがあった。それから円高に」
「自殺率が高いのはその円高の影響ですかね?」
二人から疎外されていた亜衣子が呆れたように土岐を睨む。
「だから、それはないってランチ食べながら確認したんじゃない。だって、傾向的に平均を超えているのは関西の府県だけじゃない。円高不況って、全国的なものでしょ。なんで、関東の都県がないの?」
「あっ!そうだ、関東がない」
と土岐は素直に驚いて見せた。それから亜衣子の方を向いて感心したようにうなずいて見せる。
「それより、八月の輸入課徴金の影響がその年にすぐ出るとは思えない。待てよ、そういう論法であるとすると前年の影響か?」
と言う深野の推論に被せるように亜衣子が自説を展開した。
「因果関係にはタイムラグがあるもの。原因が先で、少し時間をおいて結果が現れる。一九七〇年はどんな年だったんですか?タイムラグが二年だとすると一九六九年はどんな年だったんですか?」
それを受けて深野が思い出の糸を懐かしそうに手繰り寄せる。
「唯一の思い出といえば大阪万博」
と深野が言いかけたところで三人の体の動きがシンクロナイズして一斉に止まった。一呼吸して深野がゆっくりと語り始めた。
「大阪万博は三月から九月迄、半年間やっていた。入場者は六七千万人だった。空前絶後の万博だった」
「でも、万博があると、なんで女の子の事故死や自殺率が、その周辺の府県で高くなるのか?」
と言いながら土岐は亜衣子を見た。
「お祭りのあとにできちゃって、ということかしら」
と言ってから亜衣子は自分の言ったことに顔を赤くした。
「そうかも。女子の方がコンマ一ポイント男子よりも高いし十五歳以上が圧倒的に多い。しかし事故死もあるし」
「事故死の中には自殺も含まれているかもね。担当の刑事が事後捜査が面倒くさいので自殺の疑惑があったのに事故死にしてしまった。家族もそのほうが世間体もいいし」
と亜衣子は思い付きを言った。これは深野に無視された。
「祭りの後にできちゃった仮説か。一応検証してみる?自殺の理由を警察庁のデータベースからとってごらん。七一年のデータをまとめて夕方また検討することにしよう」
と言い残し深野は椅子から立ち上がり自分の机の方に歩いて行った。
七一年の関西地区の未成年女子の自殺原因のデータを警察庁のデータベースにアクセスして探していると亜衣子の机の上に郵便物の束がドサッと置かれた。持ってきたのは受付の無愛想な初老の男だった。亜衣子はそれを見て自分の机の方に戻って行った。
土岐がデータベースをざっと見ると恋愛、進学、友人関係、家庭、病気、学業などの自殺原因が書かれていた。一番多いのは、
〈不明〉
だった。七〇年と七二年についても調べてみた。
「どういうことだ」
とデータベースを閲覧して思わず声を殺して叫んだ。亜衣子の視線を感じた。亜衣子は郵便物を各所員に配達し始めていた。
土岐が叫んだのは七〇年と七二年の自殺理由に不明に分類されている件数が殆どなかったからだ。資料作成を後回しにして、土岐は八四年以降の東京と千葉の自殺原因のデータベースも閲覧した。見ながら心臓の鼓動が高まって行くのを感じた。自殺原因の第1位は〈不明〉だ。八三年以前のデータベースにアクセスしながら指先が震えるのを抑制できなかった。結果は脳の血流を更に増幅させた。首筋がずきずきした。八三年以前の自殺原因で〈不明〉はどの年も最下位だった。脈拍がこめかみを叩いているの感じた。
亜衣子が土岐の隣に自分の椅子を引きずってきて腰掛けた。土岐が気付いていないようなので声を掛け、
「どうしたの?何か発見?」
土岐は得意げに言った。
「祭りのあと不明仮説だ」
「なにそれ?」
と亜衣子はつんとした鼻先を少し上方に突き出した。土岐は横目で亜衣子の横顔をのぞき見ながら、
「祭りの後に自殺が増えるが原因はできたじゃなくて不明だ。八四年って何の年だ?」
「万博みたいなお祭りは記憶にないわ」
「僕は良く覚えてる。幼稚園の年少組だったけど、クラスの友達に自慢されたのが悔しくて悔しくて初めて親を呪ったよ」
「早く言いなさいよ」
と亜衣子がテーブルをこつんと叩いた。
「CDLだ。一九八三年に開園した。君のさっきのタイムラグ仮説が正しいとするとそれから1年後に影響が出てくる。しかもお祭りはまだ続いている。一九八三年には最下位だった不明の自殺原因が、一九八四年以降、ずっと第1位だ」
「すると、WSJは二〇〇一年に始まったから」
と言う亜衣子の言葉尻を土岐が奪った。