教室と思われる室内には、この学校の教師らしき男性が一人だけいた。
「アーサー君ですね」
「はい」
「どうぞこちらにおかけください」
エリスは指定された机に着席した。
「早速ですが、本日の予定を簡単に説明します。まず最初にこの教室で筆記試験を受けてもらいます。次に場所を移動して実技試験。そして最後が面接です。合否につきましては、本日中に発表いたしますので、待合室でそのままお待ちください」
「はい、わかりました」
「何か質問はありますか?」
「いえ、特にありません」
「よろしい。質問がなければ、筆記試験を始めましょう」
教師は、エリスの机に裏返しの状態の問題用紙と解答用紙を置いた。
「私が合図をしたら、解答を始めてください」
教師の試験開始の合図とともに、エリスは問題用紙を表にし、最初のページから最後のページまでざっと目を通してみた。
(これは、どういうことなの?)
エリスの指先は、驚きのあまり、ペンが持てないほど小刻みに震えていた。
(落ち着きなさい、私!)
先ほどから震えが止まらない指先を、エリスはもう片方の手で必死に押さえた。
指先の震えがやっとおさまったところで、エリスは深呼吸して問題を解き始めた。
(すごい……クロードがやってくれた試験対策そのものじゃない!)
問題文の言い回しや数字の違い等はあるものの、全ての問題は、クロードと勉強してきた内容に酷似していた。
エリスは、クロードがあんなに満点にこだわっていた理由がわかったような気がした。これだけ完璧な試験対策ができるのだから、満点を取らせる自信があるのも当然のことだろう。
試験問題を全問解き終わり、全問最初から最後まで解き直しをしても、十分すぎるくらいの時間が余ってしまっていた。
(クロードって、一体何者なのかしら?)
あんなに編入試験のことで緊張していたエリスであったが、クロードの試験対策のおかげで、今ではすっかりリラックスし、試験以外のことを考える余裕まで出てきていた。
(そう言えば、私、三か月もクロードと一緒にいたのに、クロードのこと、何も知らない……。まあ、私に聞かれたとしても、自分のことをペラペラとしゃべるような人じゃないだろうけど)
「まだ試験時間は残っていますが、もう提出できるようなら終わりにして構いませんよ」
エリスが暇そうにしている様子を見て、教師が声をかけてきた。
筆記試験を終えたエリスは、試験官である教師から、実技試験の準備が整うまで待合室で待機するよう指示を受けた。
廊下に出ると、そこにはクロードがいた。
「そろそろ試験が終わる頃かと思いましたので、こちらでお待ちしておりました。待合室までご案内します」
「ありがとう」
エリスは、無言のままクロードの後について待合室に向かった。
待合室に入ると、エリスはクロードに話しかけた。
「何も聞かないの?」
「何をです?」
「だから……試験の出来とか……」
「顔を見れば大体見当がつきます。上手く行ったみたいですね」
「上手く行ったというか……上手く行きすぎというか……」
「そうですか。それは良かった。それならば、満点は確実ということですね」
「満点……と言われるとちょっと……」
エリス自身、満点を取れた自信はある。しかし、思わぬミスを犯してしまっている可能性と、自信たっぷりの素振りをクロードに見せたにも関わらず、満点が取れなかった場合、クロードにどんな嫌味を言われるかわからないため、あえて控えめな態度を取っておいた。
クロードが何か言いかけたとき、待合室のドアがノックされ、実技試験の準備が整ったことを知らされた。
実技試験の会場として案内されたのは、講堂であった。
講堂でエリスを待ち構えていたのは、筆記試験のときとは異なる教師であった。
この教師がエリスの相手をするのだろうか? とても剣を扱うような感じには見えない。
「実技試験では、この模造刀を使用します」
エリスは、教師から渡された模造等を軽く振ってみた。
(あら? 軽い……)
実技試験で使用される模造刀は、クロードとの特訓で使っていた模造刀と比べると、羽のように軽かった。
(これだったら実技試験も何とかなるかも……?)
エリスは淡い期待を抱いた。実は、剣術の稽古においてエリスは、最後までクロードから合格点をもらうことができなかった。
しかし、エリスとて、クロードのような剣の達人を相手に三か月間、みっちりと剣の特訓を積んできたのだ。クロードの求めるレベルに達していなくても、目の前にいる教師相手ならば、どうにかなりそうだった。
「準備はよろしいですか」
「はい!」
エリスは、講堂に響き渡るような大きな声で元気よく返事をした。
「入ってきなさい」
教師は講堂の入り口に向かって声をかけた。
(え……?)
エリスは教師の声に釣られ、入り口に目を向けた。
「失礼します」
入り口から入ってきたのは、一人の青年であった。
「彼が君の実技試験の相手をします」
入ってきたのはエキゾチックな風貌の美しい青年であった。
身長はクロードと同じくらいだろうか。艶やかなゆるいウエーブがかった長めの黒髪を後ろで軽く結び、アメジスト色の瞳が褐色の肌によく映えている。
「彼はこの学校の在校生です」
教師が簡単に紹介すると、
「よろしく」
と青年がエリスに握手を求めた。
「あ……よ、よろしくお願い……します」
エリスは、おそるおそる青年へ手を差し出したが、顔を上げて青年の顔を直視することができなかった。それは、赤面した自分の顔を青年に見られたくなかったからでもあった。
(どうしよう……耳まで赤くなってるみたい……。おかしな子だと思われているかも……)
そう考えると、エリスは居ても立っても居られない気持ちになった。試験を放り出して、青年の前から走り去ってしまいたいくらいだった。
「アーサー君、試験を始めてもよろしいですか」
「は、はい……お願いします」
教師の言葉で、エリスは一旦、現実に引き戻された。
(集中しないと……!)
エリスは懸命に心を落ち着かせようとした。
しかし、目の前に青年がいるかと思うと、どうしても意識が青年の方に向かっていってしまう。
(一体、どうすればいいの?)
エリスは初めての感情に戸惑っていた。
(エドワードとの婚約が決まったときも嬉しかったけど、こんな気持ちになったことはなかった。それに胸がすごくどきどきしている……)
勝負は一瞬で決まった。
むしろ、勝負にならなかったと言った方が正しい。
「きゃっ」
教師の開始の合図が終わるや否や、エリスは剣を払い落された挙句、勢い余って尻もちをついてしまうという失態を犯した。
呆然として座り込んだままでいるエリスに、青年は近づいて手を差し伸べた。
「大丈夫? 怪我は?」
「だ、大丈夫です……」
青年は、エリスを引っ張り起こした。
「悪いね、剣は得意なんだ――それにしても、さっきの叫び声といい、線の細さといい、君は女の子みたいだな」
エリスはまたもや赤面し、恥ずかしさのあまり、うつむいたまま黙り込んでしまった。
そんなエリスの様子を見て青年は、
「気を悪くしてしまったかな。君の合格を心より願っているよ。また会おう、レディ」
とエリスに言い残し、講堂から出ていった。
「実技試験はどうでしたか?」
エリスが待合室に入るなり、クロードが声をかけてきた。
筆記試験の出来について何も尋ねてこなかったクロードが、実技試験については逆だった。
それは、クロードなりにエリスの身に起きた異変に気がついたからに他ならなかった。
「不合格になったかも知れない……」
エリスは声を振り絞った。
「は? 試験官を怒らせるようなことでもなさったのですか?」
「そうじゃなくて……負けた」
「それで?」
「『それで?』じゃなくて! 試験が始まってすぐに負けたの。それもあっけなくね!」
「そうでしたか。私はまた別の理由かと」
「え?」
「いえ、『負けた』とおっしゃるわりにはあまり悔しそうな感じには見えなかったもので」
「あ……」
クロードに指摘され、エリスは初めて気がついた。
実技試験で結果を残せず、不合格の影がちらついたとき、エリスは真っ先に実技試験の相手である青年のことが思い浮かんだ。
「一応、聞いておきますが、その実技の相手とは?」
「えっと……確かこの学校の生徒だって言ってた……」
「他には?」
「あとは……剣が得意って……」
ここまで言うと、エリスは、自分が青年のことを全く知らないということを痛感していた。
(私、あの人の名前も知らないんだ……)
「仕方ないですね。今、こういう話をすると、緊張感が失われるので本当は言いたくなかったのですが……結論から申し上げると、その程度のことで不合格にはなりません。はっきり申し上げれば、ハーバート家が推薦状を出した時点で、もう合格は確定しているのです。筆記試験は解答用紙に名前さえ書けていればいいですし、実技試験は剣を持って構えているだけで合格です」
「もう合格しているってこと?」
「ええ、どうですか。少しは安心しましたか?」
「うん……」
クロードは懐中時計を確認した。
「もう間もなく面接の時間です。合格が確定しているからとはいえ、最後まで気を抜かないように注意してください」
面接は学校長と一対一で行われた。
「筆記試験と実技試験の結果を拝見いたしました。筆記試験は全問正解、推薦状の通り、大変優秀ですね」
「ありがとうございます」
「そして、実技試験の方ですが……」
クロードから合格は確実だと言われていたが、さすがにこの場で実技試験の結果に言及されるとなると、それなりに緊張した。
「まあ、彼が相手ならば仕方ないでしょう。もちろん、文武両道であることに越したことはありませんが、人には得手不得手がありますから。入学してからでも剣の腕を磨く機会はあります」
「え、それでは」
「ええ、合格です。当校への入学を正式に許可します」
エリスは晴れてウィンストン校の生徒となった。そして、エリスは、合格発表後すぐに寮生活に入ることになった。
「こちらがアーサー様のお部屋です」
クロードに案内されたその部屋は、建物の最上階にあった。
「すごい……」
部屋に足を踏み入れたエリスは、思わず感嘆の声を漏らした。
なぜなら、二つのベッドルームに加え、リビング、バストイレ、キッチンまで備え付けられていたからだ。
「名門校だと聞いていたけれど、こんなにすごい部屋で寮生活を送れるなんて……!」
「この部屋が特別なのです。他の生徒たちは、相部屋で寝起きし、設備も共用です。もちろん、私のような従者もいません」
豪勢な部屋に舞い上がっているエリスに、クロードは釘を刺した。
「それよりも、手配していた身の回りの品が届いております。部屋の整理でもされたらいかがですか。制服も届いていると思いますので、試着しておいてください」
「わかった、そうする」
エリスは、クロードに言われた通り、部屋の片付けと学校の準備をすることにした。
私物の類をエリスは一切持って来れなかったが、どういうわけか寝室は大量の箱で溢れかえっていた。
(これを全部開けて、一つ一つ中を確認するの……?)
想像するだけで骨の折れそうな作業であった。
箱の中身は大きく分けて二種類。日用品と学校関係の品だ。
日用品は、ハーバート家から送られてきたのだろうか。どれも上等な品ばかりだった。
(えっと、制服が入っている箱は……これかしら?)
他の箱と違い、一つだけベッドの上に置かれていた箱を、エリスは開けてみた。
エリスの予想通り、箱のなかには制服一式が入っていた。
ジャケット・タイ・ベスト・ズボン・シャツ……シンプルながらも上品なジャケットスタイルの制服だ。
エリスはさっそく制服に袖を通してみた。
(あら?)
エリスは、制服が大きめに作られていることに気がついた。
そこで、エリスは、リビングで作業をしているクロードに尋ねてみた。
「ちょっと制服が大きいみたいだけど」
「そのことですか。それはわざとです」
「わざと?」
「ええ、この学校の生徒は、入学時に、後々の成長のことも考え、制服を大きめに作るのです。確かに、私たちはジョナサン王子の情報を得次第、この学校から去ることになりますが、最初からそのつもりで、今の体型に合った制服を着ていたらおかしいでしょう。些細なことかも知れませんが、不安の種は可能な限り先に積んでおきたいのです」
今日からエリスの学校生活が始まる。
エリスは朝一番に校長室を訪ねた。校長から、学校生活についての説明を受けるためだ。
「そろそろ時間ですね」
校長がそう言うのと同時に、校長室のドアがノックされた。
「お入りなさい」
「はい、失礼します」
校長室に入ってきたのは、金色の巻き毛の小柄な少年であった。
「紹介します。彼の名前はロイ。学校生活でわからないことがあったら、彼に聞いてください。ロイ君、こちらが昨日お話ししたアーサー君です」
「よろしく」
エリスとロイは、握手を交わした。
(それにしても……このロイって子、ずいぶん幼く見えるけど、本当に同い年?)
「ロイ君、せっかくですので、アーサー君に校内を案内してあげてください」
「はい、校長先生」
エリスとロイはともに廊下に出た。
「ええっと……アーサー君?」
「アーサーでいいよ」
「じゃあ、僕のことはロイって呼んで」
「ああ、そうさせてもらう」
「君……特別室の人だよね?」
ロイがエリスにおそるおそる聞いてきた。
「特別室?」
「そう、最上階の特別室。すごいなあ、僕、特別室に入る人なんて初めて見たよ。しかも執事連れなんて」
「そんなに珍しいこと?」
「実は僕、この学校には9歳のときからいるんだけど、特別室を使っている人なんて見たことがない! 君の実家ってものすごいお金持ちなんだね……あっ!」
ロイは、慌てて口を押えた。どうやら言ってはいけないことを言ってしまったようであった。
「……?」
「ごめん、君のご実家のことは聞いちゃいけなかった」
「え……? それってどういう……」
「『生徒はみんな平等』、っていうのがこの学校のモットーなんだ。学校内では、自分の家柄や身分のことを絶対に話してはいけないんだ。もちろん、他の生徒にも聞いちゃいけない。名前を呼びあうときは、必ずファーストネームで、と決められている」
「そうなんだ……でも、この学校は名門校なんだから、それなりの身分の人も多くいそうだけど……」
「うん、いるよ。貴族どころか、王族もいるんじゃないかな」
「王族!?」
もしかして、ロイは、ジョナサン王子に繋がるような手がかりをもっているのだろうか? しかし、今日初めて会ったロイに根掘り葉掘り聞くのは気が引ける。
「王族に興味がある?」
「王族が、普通に学校生活を送っているかも知れないってことに驚いただけだよ。王族こそ特別室を使いそうなものだけど」
エリスは、笑ってごまかそうとした。
「でもね、ああいう人たちは、極力目立たないようにするんだ。ただでさえ目立つ存在だからね」
「じゃあ、僕は……」
「うん、相当目立っている。この学校で君のことを知らない人なんていないんじゃないかな? この時期に編入してきて、しかも特別室を使うなんて、あり得ないことなんだよ! 『大国の第一王子か、それとも、世界一の大富豪の一人息子か?』ってみんな君のことを噂しているんだ」
「ご想像にお任せするよ……」
初日からこんな悪目立ちをしてしまっていることに、エリスは、軽いめまいを覚えずにはいられなかった。
「どうして特別室なんかにしたんだ!」
初日を終え、部屋に戻ってきたエリスは、まっ先にクロードに怒りをぶつけた。
「おかげでずっとジロジロ見られて……気分が悪いったら!」
「仕方ないでしょう……特別室以外の選択肢はなかったのですから」
クロードは眉一つ動かさない。
「でも!」
「良い方向に考えてみては? 注目を集めたことによって、ジョナサン王子の情報が得られやすくなるかも知れません」
「……とてもそんな風には考えられない」
エリスは大きくため息をつくと、話題を変えた。
「これから友達が来るから、お茶の準備を。特別室を見てみたいらしい」
「ここが特別室……すごいなあ」
やってきた友達というのは、ロイであった。
「それに……君の執事さん、とっても素敵な方だね! それにこの紅茶とっても美味しい!」
「おほめにあずかり光栄です。失礼ながら『スカラー』でいらっしゃいますか?」
「えっ! わかるんですか?」
「ええ、そのジャケットでわかりました。大変優秀でいらっしゃるのですね」
(スカラー……? ジャケット……?)
エリスには、クロードとロイの話している内容がさっぱり理解できなかった。
「あの、二人とも……何の話をしているの?」
「アーサー様、ロイ様のジャケットを見て何か気がつきませんか」
「ロイのジャケット……?」
そう言えば、エリスや他の生徒のジャケットは無地であったが、ロイのジャケットはストライプ地だ。
「ロイ様のジャケットは、ウィンストン校において、学業が優秀な生徒のみが着用を許される名誉あるものです」
「すごい! そんな人と友達になれたなんて!」
「二人とも、ほめ過ぎだよ……僕なんてルーイ兄さまの足元にも及ばないんだから……」
「ルーイ兄さま……? ルーイ兄さまって誰?」
「ルーイ兄さまはこの学校の生徒会長なんだ。ルーイ兄さまっていうのは下級生の間で呼ばれているあだ名で、本当の名前はルードヴィッヒさまって言うんだ」
「へえ……ルーイ兄さまって呼ばれているくらいだから、よほどみんなに慕われているんだね」
「うん! そうなんだ、ルーイ兄さまは見た目も良くて、何でもできて……でも、とっても気さくでみんなに優しい、本当に素晴らしい人なんだ。伝説の生徒会長と肩を並べられるのは、ルーイ兄さまだけだってみんな言っている!」
ロイは、目を輝かせながら、生徒会長について熱く語った。
「え? 伝説の生徒会長……?」
また新しい登場人物が現れた。
「あ、伝説の生徒会長っていうのはね……」
ロイは今度は、伝説の生徒会長について熱く語るのであった。
「ルーイ兄さまに伝説の生徒会長か……、ロイがあんなに夢中になっているルーイ兄さまってどんな人なんだろう?」
エリスは、クロードの意見を求めた。
「どうしたの、クロード?」
クロードは、顎に指をあてて、何やら考え事をしている。
「もしかすると、そのルーイという生徒会長……ジョナサン王子の失踪に関して何か知っているかも知れません」
「それは本当?」
エリスは驚きのあまり、勢いよく椅子から立ち上がってしまった。
「ええ、確か、ジョナサン王子のご学友に『ルードヴィッヒ』という名の生徒がいたはずです」
「手掛かりは名前だけ? 単に名前が同じだけなのかも、偽名かも知れない」
「生徒名簿を調べてみましたが、『ルードヴィッヒ』という名の生徒は一人だけでした。偽名を使っている可能性も無きにしも非ずですが、すでに名前がわかっている以上、生徒会長にあたってみるのが得策でしょう」
「そうだね……」
「まず最初にやるべきは、その生徒会長の信頼を得ることです」
エリスは一気に憂鬱になった。
「ごく普通の生徒が、上級生で、なおかつ生徒会長の立場にある人に近づくなんて、できると思う?」
「ロイ様に相談してみてはいかがですか? お話を聞く限り、かなりこの学校の情報に精通されているみたいですから」
次の日、エリスはいつ生徒会長のことをロイに切り出そうかと、機会をうかがっていた。
しかし、残念なことに、その機会はなかなか訪れず、とうとう下校時間を迎えてしまった。
(この広い敷地内で、そう簡単に生徒会長と遭遇しないわよね。それに……そういえば私、生徒会長がどんな外見をしているのか知らなかった……!)
「ねえ、ロイ。もし良かったら、この後遊びに来ない? もっと学校のことを教えて欲しいんだ。クロードが紅茶とお菓子を用意してくれるって」
「わあ、嬉しい! 今日も行ってもいいの?」
「ぜひ!」
そんな会話を交わしながら、エリスとロイが出口に向かって歩いていると、何やら背後が騒がしくなってきた。
(今、……ルーイ兄さまって言ってなかった?)
ざわめきの中から、エリスは確かにその人物の名前を聞いた。
「ルーイ兄さまだ!」
今度はロイまでもがはっきりと叫び、エリスの腕を掴み、通路の端へと引っ張っていた。
すごい光景だった。
廊下を散り散りに歩いていた生徒たちが、波が引くかのように、一斉に左右の廊下の端に寄った。そして、誰もいなくなった廊下の中央を、悠々と歩いてくる一団がいた。
左右に分かれた生徒たちは、その一団の様子を身動きもせず、目だけで追っている。
ロイもその一人であった。
エリスは、ロイに聞きたいことがたくさんあったが、肝心のロイは、他の生徒と同様、固まってしまったかのように動かない。
そこでエリスは、自分の目から入ってきた情報のみで状況を判断する必要があった。
廊下の中央を歩いているのは三人。
この三人が身に纏っている制服は、他の生徒たちのものとは異なった特徴があった。
内二人は、ロイと同じスカラーのジャケットを着用しているが、中央を歩いている生徒は、どの生徒とも異なるテイルコートを身に付けていた。
だが、ベストだけは三人とも同色であった。
生徒会長の姿をよく見ようと、人垣の隙間から身を乗り出した。
(あれは……!)
あることに気がついたエリスは、すぐに体を引っ込めた。
(どうしてあの人が?)
同じ学校の生徒なのだから、いつかは出会う機会が来るのだろうと、エリスは漠然と考えていた。
しかし、その機会がこんなに早く、このような形でやって来るとは思いもしなかった。
気恥ずかしさから、エリスは隠れるように他の生徒たちの背後で身を屈めた。
ロイが、エリスの袖を軽く引っ張り、エリスに何かを知らせようとしていた。
エリスがロイの視線の先を辿ると、
「また会えたね、レディ」
と微笑みかける人物がいた。
「あ、あの……試験のときはどうも……」
やっとの思いでそれだけ言うと、エリスは目を伏せた。恥ずかしくてまともに目を合わせられない。
「まずは入学おめでとう。君とは時間をかけてゆっくりと語り合いたいのだが、あいにく今日はこれから生徒会の用事があってね」
「生徒会……」
エリスが、何か思いついたように小さく呟いたとき、
「会長、もう時間が……」
という声が聞こえた。
(え? 今、『会長』って言った……?)
エリスは『会長』という言葉に即座に反応した。
「わかった……というわけだ、レディ。名残惜しいが、次の機会に期待しよう。困ったことがあったら、いつでも生徒会室においで」