紗々が言うには、聖レイジスに転校してきたのは、東京にある似たようなエスカレーター式の私立で、ちょっとした問題が起きてしまったからなんだって。紗々が言うには「私は問題児ってことになっている」って言い方をしていた。

紗々は中学2年生からそこに編入してきて、その前はお父さんの仕事の関係で、香港・シンガポール、アメリカ・スペインなど転々としていたので、あまり落ち着いて1か所にいたことがなかったんだって。

紗々のお父さんがしばらく日本を拠点に仕事をすることになったので、東京でも有名な私立の名門学校に入ったの。きっと、名前だけならだれでも知ってると思う。私でも知ってた。

そこは似たような生活環境の子も多いし、芸能人の娘や息子も多いから、他にも目立つ子がたくさんいて、今の学校みたいに注目されたりすることはなくて、どっちかっていうと地味で目立たないほうだったんだってさ。

紗々が目立たないなんて、一体どんな学校なんだろうと、そっちが気になってしまった。

それで、編入したはいいけど、外国生活と転校の多さで学校にうまく溶け込めなくて、何となく学校では静かに過ごしていたんだって。これは、私にもわかる。

周りも悪気はないけど、やっぱり、いろいろゼロから関係性作るのって面倒くさいんだよね。もっとうんと子供の時のほうが、友達って作りやすい。

編入するときに他にも何人かいればいいけど、そうじゃないと、新しくグループに入るのって入れるほうも、入る方も気を使うもの。だから、それは誰のせいでもないと思う。

そうやって1人で静かに学校生活を送っていたんだけど、紗々が言うには
「すごく気にかけて、親切にしてくれてる先生がいたの」

その先生は、まだとても若くて、先生っていうよりも、お兄さんみたいな感じだったんだそう。紗々が日常生活で困っていないか、家ではどんな感じで過ごしているのか、お友達が出来なくてさみしくないかなどを、いつも気にかけてくれて、放課後は先生と2人でたくさん話をしながら過ごしたんだって。

先生は紗々が外国で暮らしてきたことにも興味を持ってくれて、海外での生活の話や、紗々が英語がある程度はできることがわかると、洋書がある本屋さんや、学校の図書室の中でも、洋書コーナーなどを案内してくれていた。

生徒指導の先生だったのかもしれないし、単に先生として、親切でしてくれてたのかもしれない。結局、そういう細かいことを誰もその学校では紗々に教えてくれなかったので、紗々にはよくわからないままだったんだって。

学校の校風は自由で、いかにも都会にある名門私立って感じだった。制服はあるけど私服で来てもよいし、上下関係もあまり厳しくない。バイトも部活動も自由だったから、どの生徒も、あまり規則にしばられないで、思ったようにやるっていうのが、校風といえば校風っていう言い方をしていた。

紗々は何度か、部活でもしようかなって思ったんだけど、自分の母親のことを考えてやめたって言ってた。紗々のママはちょっと気まぐれなところがあり、突然紗々を誘って学校を休ませて一緒に3週間くらいの旅行に出かけたり、

海外の高級ホテルに連泊するようなことがあるから、仮にクラブ入っても、突然休んで周りに迷惑かけるのも、ママにクラブ活動の説明をするのもどっちも面倒だから、やめたって言ってた。

だから、放課後は一人で家に帰るか、学校がある渋谷の街をプラプラするか、学校の図書室で本を読むか、先生が声をかけてくれた時には、先生とお話をするっていうのが、丸2年くらい続いていたんだって。

その先生は元は国語の先生なんだけど、その学校では主に作文の授業を専門にしている先生で、国語の中でも文学を専門に教える、ちょっと特殊な授業の先生だったの。海外で暮らしてきた紗々に、小学校くらいから触れる日本文学に関したことを教えてくれていた。

半分、紗々の家庭教師みたいな感じになっていたんだけど、先生の教えてくれることが面白いから、すごい勢いで日本文学と海外の文学を読んでいったんだって。

だけど、1年くらいしてから、先生の様子がだんだんと変になってきたんだそう。紗々が言うには

「多分、私のことを日々、熱心に考えるあまり、私に恋をしてしまったんだと思う」

って言っていた。そんなことってあるの?って聞いたら、紗々は、

「だって、私たちってほとんど毎日、自分の考えや、自分たちの生い立ちや、昨日食べたものや、好きな文学や音楽や映画の話をしていくんだよ?

だから、先生と生徒なんだけど、ほぼデートなのよ。その上、私たちは気が合ってるっていうのか、好きなものや物事への感じ方が似ていたんだよね。だから先生は、だんだん私のこと1人の女の人として見るようになってきたんだと思うのね」

って言っていた。なんか、それは、わかるような気がする。

紗々は、先生と一緒に、すごくたくさんの純文学と言われる名著を読破していたから、恋愛に垣根はないっていうのは、自分が恋をしたことがなくても理解は出来ていた。だから、先生の変化はすんなり受け入れてしまったんだって。

「受け入れたって言っても、先生の考えてることを理解したって程度だけどね。そもそも、私たちって学校の中でしか会えないから、別に何も起きないんだけどね。でも、先生の内側で私への愛情が濃く熱くなっていくのが、手に取るようにわかる」

先生の教師としての愛情は受け止められるけど、男の人としての愛情はよくわからないから答えようがないんだけど、でも先生のそばを離れるの嫌だった、って紗々は言ってた。

それを聞きながら、大人でも恋すると、いろんなことがわからなくなるものなのかな?って思った。そんなにも、理性が吹っ飛んでしまうものなのだろうか。

それとも、それは紗々が相手だからなのだろうか。私には、まだわからないやって思いながら聞いてた。紗々が、続ける。

「それでね。ある時から、先生が文学の話などをし終わった後に、本当にたまにだけど、私のことを抱きしめてくれることがあったの。変な意味じゃないよ?ハグだよね」

「紗々は、その間、どうしてたの?」
「ん?ただ、ジーっとハグされて、黙って抱きしめられてた。少しも嫌じゃなかった。それに、私の周りで信頼できる大人って、その先生だけだったから。その頃って、家の中はもめ事が多くて居心地が悪いし、学校もうまく馴染めなかったから、私にとっての安心できる場所って、この世で先生のそばだけだったし」

ハグされていると、大事にされていることが伝わってくる。先生が言葉には出さなくても、私を大事に思っていることはわかったって、紗々はそう言った。

だけどある日、その様子を保護者の一人に見られてしまって、問題になった。もちろん、先生は、生徒に対する教師としての友愛であることを説明したし、紗々も、あれはいわゆるハグであるということも伝えたんだけど、うまくいかなかったみたい。

私は多分、先生の紗々に対する激しい恋の気持ちが、隠していても、周りに伝わってしまうんだと思った。

「あの学校は割と放任っていうか、何に対しても自由なところがあったから、他の先生たちも大して気にも留めてなかったの、最初は。先生が生徒指導に熱心なのも知っていたから、日本にも学校にもなじめない私に、少し親切にし過ぎた程度にしか受け取らなかったんだけどね。でも、保護者代表の中には、私が誘ったんじゃないかって言い出す人も出てきてね」
「そんなのひどい!何その人たち!」

それで、仕方がないから、学校側は紗々と先生に、精神鑑定を受けさせ、それぞれにカウンセリングを数回受けさせることで、保護者代表は納得したんだって。さらに、先生と紗々が学校内で接触出来ないようにするために、先生は表向きは病気療養の無期謹慎、そして紗々はなぜか、一時期、校長室で自習を命じられるようになった。

「そんなことをしたら、同級生は、何故、あの子は校長室で勉強してるんだってことになるじゃない?学校も対応がバカなのよ」
と吐き捨てるように紗々が言う。

「それは、俺も聞いてそう思ったわ」
ずっと黙っていたケイが、口を開いた。

「学校はさ、先生に問題があるってなると採用してる学校側に問題があることになるから、とりあえず、紗々に問題が多いことにして、隔離したってことだよ」
「そんなのひどいよ、あんまりだよ」
「ひどくても仕方がないのよ。そうなっちゃったし。それに、うちのママもパパにも問題があるっていうか………」

紗々のパパとママは本当に変わっていて、紗々のもめごとを一切に気にしていなかった。何度も繰り返される会議に、ある日、とうとう紗々のママが呼ばれることになった。その会議で、紗々が先生に迫り、先生が女生徒に一定以上の感情を抱いている疑いがあるという話になった時でも、紗々のママは

「あら、うちの紗々はそれはそれは美しいですから。どんな殿方が心酔しましても、少しも不思議はございませんわ。紗々は誘ったのではなく、きっと、ただ見つめただけですわ。でも私の娘ですもの、その先生の態度は、殿方としては実に正常ですわよ」

という感じで、全然、話がかみ合わなくて、これには逆に先生たちが頭を抱えたという。

紗々のママは若いときにデビューした世間知らずな元女優さんということもあり、人生の価値基準が「美」に集約されているせいか、紗々の美の価値に加算されるような出来事は、どんなことでも、プラスと捉えてしまうという特徴があるんだそうな。「ママにとって私が美しいことは、翻って、ママが美しいってことになるの」って、紗々があきれ顔で言っていた。

それに当時は、紗々のママは、紗々のパパの前妻との離婚問題でもめていて、正直、娘の学校での出来事なんてどうでもよかったように見えたと、紗々が言ってた。
「私は、ママとパパの子なんだけど。ママ、パパの愛人だったの」

だから、3人で暮らすために、紗々のパパは海外を転々としながら会社を大きくして、前の家庭が破綻しているという既成事実を作って、東京で落ち着いて仕事を出来るようにしてから前妻さんとの離婚調停に入ったんだって。

それを聞きながら、ケイがニヤニヤして
「紗々のオヤジさん、実にデキルよなあ」
って感心していた。

それで、話の通じない紗々ママの代わりに、今後は紗々のパパが呼び出されたんだけど、このパパも、これまた変わり者で。

その先生が、娘を危険な目に合わせているならともかく、学校で1人さみしくしていた娘を守ってくれようとして一生懸命に愛情をかけてくれているのに、その先生を処罰するなんてケシカラン!娘を先生と引き離すなんてケシカラン!と職員室で先生と父兄代表に怒鳴り散らすありさまで、この件に関しては、とにかく紗々の両親は、普通の親としての対応は出来てなかったんだって。


そんなわけで、学校はどうしていいかわからず、とりあえず事態を鎮圧するために、先生は無期限の謹慎、紗々を一時的に校長室において監視をするって形で、父兄代表に納得させたってことみたいなの。

「先生は、自分のせいで私が校長室にいるようになったり、私に会えなくなってしまったことが苦しくなってしまったみたい。すごく自分を責めてた」
「え、紗々、それはなんでわかったの?」
「ん?先生が分厚いラブレター毎日家に送ってくるから」
表情一つ変えずに、紗々がそう答えた。

「毎日?それはすごい。紗々は読んでたの?」
「うん、もちろん。だって、私を心配する内容と、私が日々どうしているか、先生がどういう風に心配しているかだけが切々と書いてあるんだもの。それに、作文の先生だというだけあってね、それがもう、純文学みたいにきれいな文章なの。だから、むしろ、私だけに届く特別な文芸書みたいな感じで、毎日ポストを開けるのを楽しみにしてた」

「その先生も淫行をしたわけではないんだから、処罰をされる理由もないんだよな。その先生の話、どうやって聞いても、単に紗々を学校の中で庇っていただけじゃないかよ」
とケイが口を開く。
「インコーって?なに?」

「あ、うーん、大人が子供にエッチなことをすることだよ」
「ああ。それはしないでしょ、大人だから」

「まあな。普通はな。しかし世の中には未成年相手にそういうことをする人たちも、実際にいるからな」
「へ? そなの?」

「マイマイ、お前は、そんなこと知らなくていいんだ」
そういって、ケイが私のおでこに手のひらを置いて、グリグリ頭を動かした。なんかバカにされたような気がしてケイをグーで打とうと思ったんだけど、ケイのほうがリーチが長くて全然届かなかった。

そんな感じで、学校の中でさらに居場所が微妙になった紗々は、今度は教室に戻ってからが本当に大変だったという。

生徒たちには、先生と紗々とのことは伝わっていないので、生徒たちには、紗々が突然、校長先生からひいきをされるようになったと、完全に曲解されてしまっていた。

「もともと仲良い子もいないから、ますます仲良くしてくれる人はいなくなるよね。普通に話していた子さえ、もう互いに挨拶しかしなくなったよ。彼らは小さいころから一緒にいる子たちだから、途中で入った私のことはよく知らないし、知らない子のことって、そもそも庇いようも無いんだと思うよ」

そう言いながら、諦めきった表情を、紗々はした。