「ただいま戻りました」
「戻りました」
家に帰り、二人で挨拶をする。
普段なら、すぐにメイドが出迎えてくれるのだけど、今日はそれがない。
サプライズパーティーのため、あえて出迎えはなしにしているのだ。
「あれ? みなさん、どうかしたんでしょうか?」
「もしかしたら、全員で買い物に出ているのかもしれませんね。ほら、屋敷が静かでしょう?」
「あ、そうですね。物音だけじゃなくて、話し声も聞こえません」
「ですが、よくよく考えてみると、全員がいないのはおかしいですね。少し探してみましょうか。書き置きなどがあるかもしれません」
「はい」
よし。
うまい具合に、フィーを誘導することができた。
フィーは、人の言葉を疑うことのない、とてもピュアな心を持っているから、誘導できるという自信はあった。
でも、ここまでうまくいくと、将来、悪い男にたぶらかされないかと不安になる。
大丈夫よ、フィー。
私はずっと一緒にいて、守ってあげるからね。
「フィー、誰かいましたか?」
「いいえ、誰もいません。書き置きの類も見つかりません」
すぐに、パーティー会場である部屋に移動しては怪しまれるかもしれないと思い、まずは玄関ホール付近を見て回る。
誰もいないことを不安に思っているらしく、フィーは少し怯えた様子だ。
怯えているところも、なんだか小動物みたいでかわいい。
そんなことを思ってしまう私は、とことんフィーに惚れ込んでいるらしい。
少し申しわけなく思うものの、サプライズが順調に進んでいることを確信する。
マイナス方面の感情を抱いた分、驚きは喜びに変わるはず。
「少し奥を見てみましょうか」
いよいよ本番だ。
フィーは驚いてくれるだろうか? 喜んでくれるだろうか?
もしも、落胆させてしまったら?
こんなものは望んでいないと、拒絶されてしまったら?
かわいいフィーにそんなことをされたら、私は、ショックで死んでしまうかもしれない。
でも。
怖いからと逃げるわけにはいかない。
心の壁を取り除くために。
私達が本当の姉妹になるために。
ここでがんばらないと意味がないのだ。
「あら? ドアノブが硬いですね……フィー、ちょっと開けてみてくれませんか?」
「はい、わかりました」
ドアノブが回せないフリをして、フィーと場所を交換する。
開かないのは、もちろん演技。
フィーはあっさりと扉を開けて……中が真っ暗なことに気づいて、不思議そうな顔になる。
「あれ? どうして、明かりが点いていないんでしょうか? それに昼なのに、カーテンも全部閉められていて……」
不思議そうにしつつ、フィーが部屋の中に入る。
よし。
内心でうまくいったと喜びつつ、私も部屋の中へ。
そして、合図として指を鳴らす。
パチンという音と共に、部屋の明かりが点いた。
さらにカーテンが一斉に開かれて、陽の光が差し込む。
「ふぇ?」
花などが飾られた会場には、たくさんの料理が並べられていた。
その手前に、華やかに着飾った母さま。
ピシッと決めた父さま。
そして、アレックスとジーク。
フィーはなにが起きているかまったく理解していない様子で、半分くらい混乱している。
そんな彼女に向かって、みんなはクラッカーを向けて、
「「「誕生日、おめでとう!」」」
「ぴゃあ!?」
クラッカーの音に、フィーがびくりと震える。
気の弱い妹、かわいい。
怖いと、私に抱きついてもいいよ?
「えっと……こ、これは?」
「ふふっ、驚きましたか?」
「お母さま、お父さま……それに、アレックスにジークさまも。えっと、えっと……あ、アリーシャ姉さま?」
まだわからないらしい。
助けを求めるような感じで、フィーがこちらを見る。
そんな妹に、私は笑顔で告げる。
「誕生日おめでとう、フィー」
「たん……じょうび?」
未だ実感がないらしく、理解できていないらしく、フィーはキョトンとしたままだ。
うーん、ちょっと鈍いのかしら?
まあ、フィーはメインヒロインだから、鈍いとしても理解できる。
「忘れたのですか? 今日は、フィーの誕生日なのでしょう?」
「……あっ」
どうやら、本当に忘れていたらしい。
自分で自分の誕生日を忘れるなんて。
私の妹は、変わった子だ。
……いや。
もしかしたら、それすらもフィーの心が関わっているのだろうか?
誰にも必要とされていないと思いこんでいるから、誕生日も意識することはなかった。
どうでもいいものだと、そう考えるようになってしまった。
だとしたら……ううん。
推測とか答え合わせとか、そういうのは後。
今は、たくさんフィーに楽しんでもらって、そして、私の気持ちを知ってもらわないと。
もう二度と、妹に寂しい思いなんてさせない。
虚しさなな感じさせやしない。
これからはずっと、幸せでいてもらうのだから。
「おめでとう、フィー」
改めて、台詞を繰り返した。
そこでようやく、サプライズパーティーであることに気がついたらしく、フィーがあわあわと慌て始める。
「えっ、そんな、まさか……こ、これ……私の?」
もちろん、というようにみんなが頷いた。
「……」
ようやく理解はしたみたいだけど、でも、実感が湧いていないらしく、フィーは目を丸くしたまま動かない。
主役がそんな状態では、私達もどうしていいのやら。
「ほら、フィー」
「あ……アリーシャ姉さま」
「あなたは主役なのだから、あちらへ」
「は、はいっ」
私に背中を押されて、フィーはパーティー会場の中心に……みんなの輪の中に入った。
「おめでとう、シルフィーナ」
まず最初にお祝いの言葉を直接かけたのは、父さまだ。
にっこりと優しい笑みを浮かべている。
普段は、公爵として厳しく、自分にも他人にも厳しい人なのだけど……
家にいる時はどこにでもいるような普通の人だ。
いや。
娘にとても甘い、親バカな父さまなのだ。
「あ、ありがとうございます……」
「今日はシルフィーナが主役なのだから、そんなに緊張しないでくれ。ほら。これは、プレゼントだよ」
フィーは恐る恐る、両手よりも大きなプレゼントボックスを受け取る。
目で、開けていい? と父さまに問いかける。
父さまがゆっくり頷いたのを見て、フィーはそっとプレゼントボックスを開けた。
中に入っていたのは……
「わぁ……綺麗なお洋服。それに、髪飾りも……」
白のワンピースと花を模した髪飾りがセットになっていた。
どちらもシンプルなデザインではあるが、それ故に、フィーの魅力を最大限に引き立てるだろう。
それに素材も高級品が使われているらしく、キラキラと輝いて見えるほどだ。
「私達のプレゼントよ」
母さまが、補足するように言う。
さては、父さま……年頃の娘にどんなプレゼントを贈ればいいかわからず、母さまと一緒にするということで、難を乗り切ったな?
やれやれ……と思うものの、父さまなりに、フィーに喜んでほしいと考えた結果だ。
現に、フィーは瞳をキラキラさせて喜んでいるし、悪い選択ではない。
「次は俺の番だな。シルフィーナ、誕生日おめでとう! これは、俺からのプレゼントだ」
アレックスが元気の良い笑顔と共に、フィーに手の平サイズのプレゼントボックスを差し出した。
彼がなにを買ったのは、聞いていない。
聞いても教えてくれなかった。
しかし、乙女ゲームにもメインヒロインの誕生日イベントは用意されており、ヒーロー達からプレゼントをもらうことができる。
そのイベント通りに世界が進むのだとしたら……
「えっと、その……ありがとう、アレックス」
「気にするなよ。俺達、友達だろう?」
「うん……開けてもいい?」
「ああ、もちろんだ」
フィーは、父さまと母さまのプレゼントを、一度テーブルの上に置いて、それからアレックスのプレゼントボックスを受け取り開封する。
中から出てきたのは、ブローチだ。
高級品というわけではなくて、一般に流通している普通のもの。
でも、その色、その形はフィーにピッタリと合っている。
父さまと母さまがプレゼントした、服と髪飾り以上に、フィーの魅力を引き立てている。
さすが、幼馴染。
見る目は抜群らしく、フィーの好みを一番に捉えたプレゼントだ。
「わぁ」
「あー……どうだ?」
「うん、すごくうれしい。ありがとう、アレックス」
「そっか……うん。シルフィーナが喜んでくれて、俺もうれしいぜ」
フィーのキラキラとした笑顔に、アレックスはやや目を逸らしつつ、そう言った。
照れているのだろう。
まったく、と思わないでもないが、こういう仕草がたまらない。
乙女ゲームをプレイしていた時は、照れながらも祝福してくれるアレックスの姿に、萌え死ぬかと思ったほどだ。
フィーも、同じくらいに感動しているのだろう。
どこかうっとりとした様子で、アレックスを見ている。
むう。
メインヒロインとヒーローが結ばれる定めであることは理解しているものの、やはりおもしろくない。
フィーの姉として、彼女の一番でありたいのだ。
メラメラと対抗心と嫉妬心が燃え上がる。
「次は、僕の番かな?」
次に名乗りをあげたのは、ジークだ。
「シルフィーナ。誕生日、おめでとう」
「あ、ありがとうございます。まさか、ジークさまも祝ってくれるなんて……」
「ひどいな。その言い方だと、僕が薄情者みたいじゃないか」
「あっ、いえ、その!? そ、そういうつもりはなくて……」
「冗談だよ。うん。きみはきみで、ちょっといじめたくなってしまうね」
「あぅ」
ジークは優しそうに見えて、クールでドライで……ついでに言うと、Sだ。
乙女ゲームの展開通りに、フィーに目をつけているようだ。
私のかわいいフィーに色目を使うな!
ムカッとするものの、我慢我慢。
今はフィーの誕生日なのだから、今日だけは堪えないと。
普段だったら、絶対に邪魔するけどね。
「僕のプレゼント、受け取ってくれるかい?」
「は、はいっ」
先ほどと同じように、アレックスのプレゼントを一度テーブルに置いて、ジークのプレゼントボックスを受け取る。
アレックスのものより更に小さい。
「えっと、その……」
「うん、開けてもいいよ」
「は、はい」
小さなプレゼントボックスには、綺麗な細工が施された小瓶が入っていた。
中に琥珀色の液体が収められている。
「これは……?」
「香水だよ。シルフィーナの歳なら、香水も当たり前かな、と思ったんだ。匂いはきつくないし、むしろさわやかなものだから、きっと気にいると思うんだ」
「あ、ありがとうございます」
フィーは年頃の女の子だ。
おしゃれに興味がないなんてことはなくて、香水というプレゼントに、うれしそうに笑ってみせた。
「改めて、おめでとう。きみがウチの娘になってくれたことは、とてもうれしいよ」
「ええ、そうね。これからもよろしくね。それと繰り返しになるのだけど、おめでとう、シルフィーナ」
「これで、シルフィーナも十六歳か……ちぇ、俺が一つ下になったか。でもまあ、俺達の関係が変わるわけじゃないか」
「これからも、よろしくね。きみ達姉妹は、とても興味深い。仲良くしてくれるとうれしいな」
父さまと母さま。
アレックス。
そしてジークが、それぞれに祝福の言葉をかける。
えっと……
フィーを祝福するのはいいんだけど、まだ私の番が残っているのだけど?
私、まだプレゼントを渡していないのだけど?
それなのに、もうクライマックス、みたいな雰囲気を作るのはやめてほしい。
ぷんぷん。
「……」
ふと、フィーの様子がおかしいことに気がついた。
さっきまで笑顔を浮かべて喜んでいたのだけど、今は真逆の表情をしていた。
なにかを必死に我慢しているようで……
迷子になった子供のようで……
とても儚く、寂しく、脆く見えた。
「……どう、して……」
フィーの頬を涙が伝う。
「うっ……ぐす……」
突然、フィーが泣き始めた。
サプライズパーティーがうれしくて……という様子ではない。
悲しそうな、寂しそうな……
そして、混乱している様子で、涙をこぼしていた。
「お、おい。シルフィーナ? どうしたんだよ、いったい」
「僕達は、なにか失礼をしたかな? それとも、体が痛いとかそういう問題が?」
アレックスとジークが慌てている。
父さまと母さまも慌てている。
給仕のメイド達も、心配そうな顔をしている。
みんな慌てていた。
でも、一番慌てているのは……
「フィー!? どうしたのですか、大丈夫ですか? どこか痛いのですか? それとも、苦しいとか? 病気? 怪我? 治癒師を呼んできましょうか!?」
私だった。
すぐにフィーのところへ駆け寄り、小さな体のあちらこちらを確認する。
両親やヒーロー達とは比べ物にならないくらいの慌てっぷりだ。
でも、仕方ない。
なにしろ、世界で一番かわいい妹が泣いているのだ。
慌てない方がおかしい。
むしろ、慌てて当たり前。
よって、私は正しい。うん。
「ち、ちが……違う、んです……痛いとか苦しいとか、そ、そういうことじゃなくて……」
フィーは泣きじゃくりながら、必死に言葉を紡ぐ。
ひとまず、怪我や病気ではなさそうなので、ほっと安心した。
「どう……して?」
「どうして、というのは……どういう意味ですか?」
「どう、して……優しいの?」
フィーは涙をいっぱいに溜めながら、混乱した様子で尋ねてきた。
その姿は、どこか怯えているように見えた。
未知の生物を前にして、どう接していいかわからないというような、そんな感じ。
どんな言葉をかければいいのか?
どんな行動をとればいいのか?
なにもわからなくて、どうすればいいか知らなくて。
ただただ、うろたえることしかできない。
今のフィーは、迷子になって、母親を必死に探す子供のようだ。
「わ、私は……必要となんて、されていないのに、それなのに……うぐ……ど、どうして……こんなに、優しく……」
「っ」
フィーの涙ながらの台詞に、私は思わず胸の辺りに手をやる。
きゅう、っと心が痛む。
この子は、どれだけの孤独を抱えてきたのだろう?
自分はいらない子だと思いこんで、居場所がないと思いこんで……
とんでもなく不安だったのだろう。
寂しかったのだろう。
だからもう、なにも信じることができない。
単純な善意も、なにか裏があるのでは? と疑ってしまう。
だって……自分が必要とされるなんて、求められるなんて、思ってもいないのだから。
そんなことはありえないと、心の底から思いこんでしまっているのだから。
いったい、どのような環境で育てば、ここまで心が歪んでしまうのか?
フィーの実の両親に激しい怒りを覚えるものの、今は、彼らを糾弾する場ではない。
大事な妹の心を救わないといけない。
「……ねえ、フィー」
誰もが言葉を発することができない中、私は、そっと優しく語りかけた。
フィーは、ビクリと震えつつ、小さな声で応える。
「は、はい」
「どうして、って言いましたよね? 私達がフィーに優しくするのに、なんで、って問いかけましたよね? そう思うのは、どうしてなんですか?」
「だ、だって……私は、い、いらない子で……望まれていない子で……この世界に生きている価値なんて、なにもなくて、いてもいなくても変わらなくて……だから、だから……」
「ばかっ!」
どうしようもなく悲しい台詞を耳にして、私の中でなにかが弾けた。
悲しくて悲しくて悲しくて……
次いで、理不尽な運命に怒りが湧いてきた。
乙女ゲームの世界だろうがなんだろうが、大事な妹にこんなに悲しい思いをさせるなんて。
なんてひどい運命なのだろう。
でも、そんなものに従うつもりはない。
皆無だ。
絶対に打ち破り、フィーの心の枷を取り払う。
そんな決意と運命に対する怒りをこめて、ばか、と言い放つ私。
「どうして、そんなに悲しいことを言うのですか? どうして、そんなに寂しいことを言うのですか? もっと周りを見てください。フィーには、たくさんの人がいるでしょう?」
「で、でも私は……」
「自分に自信が持てないことは、仕方ないと思います。ですが、それを理由に、フィーを見てくれている人の善意や好意まで避けないでください。それでは、どちらも傷つくだけで、幸せになれません」
「アリーシャ……姉さま……」
「なんで? と問いかけましたね。私は、こう答えましょう。家族ですから、フィーを見ることは当たり前なのです。あなたは、私のかわいい妹。世界で一番大事な妹なのですから」
「あ……」
「でも、それだけではありません。なによりもまず最初に思うことは、家族とかそういう関係性の話ではなくて、もっともっと単純なことなのです。たった一つの、シンプルな答えなのです」
「そ、それは……?」
恐る恐る問いかけてくるフィー。
そんな妹を、優しく抱きしめる。
「フィーが好きだから、ですよ」
「……あっ……」
私の想いを伝えるように、フィーを抱きしめる手に力を込める。
でも、妹は逃げようとしない。
むしろ、私の想いを必死で受け止めようとして、そのままじっとしていた。
「あなたが好きだから。大事に想っているから。ただ、それだけのことなんです。そんな、単純な感情の結果なんです」
「で、でも私は、望まれていない子で……」
「誰がそんなことを決めたんですか? 私は、フィーを望んでいますよ。あなたは、私のかわいい妹。フィーがいない生活なんて、もう考えられません。ずっとずっと、傍に射てくれないと困ります。これ以上ないくらいに、シルフィーナ・クラウゼンという女の子を望んでいます」
「あ……う……」
再び、フィーの目に涙が溜まる。
それを指先でそっと拭いつつ、私のプレゼントを差し出す。
「ハッピーバースデー、フィー。これは、私からのプレゼントですよ」
「こ、これは……」
プレゼントの中身は……クッキーだ。
アレックスとジークに手伝ってもらい、なんとか完成にこぎつけた。
「私が……前に、アリーシャ姉さまと一緒に作った……」
「はい、そうですね。それと……フィーの思い出のクッキーなんですよね? 家族と一緒に作ったという」
「それ、は……」
「悲しい寂しい思い出は、このクッキーで上書きします。これからは、クッキーを見ても微妙な思い出を掘り返す必要はありません。私のことを……新しい家族のことを思い返してください」
「うぅ……」
フィーは、びくびくとしつつも、クッキーを受け取る。
そのままじっと見つめて……
しかし、食べる勇気がない様子で、手が止まる。
「シルフィーナ!」
アレックスの大きな声が響いた。
「俺も、お前が必要だからな! 俺はお前の幼馴染で、友達で……俺だって、ずっと一緒にいたいと思っているんだ。だから、そんな寂しいこと言わないでくれよ!」
「……アレックス……」
「僕も、きみがいないと困るかな。アリーシャと違って、きみはきみで、とても興味深いと思うし……やや照れるけど、友達だと思っているよ。望まれていないとか、そんなことはない。たくさんの人に望まれていると思う」
「……ジークさま……」
二人の台詞に、フィーの目に再び涙が溜まる。
「シルフィーナ」
父さまの穏やかな声が響いた。
「きみは、大事な娘だ。時間は関係ない」
「ええ、旦那さまの通りです。私達は、望んであなたを迎え入れたのですよ」
「……お父さま……お母さま……」
父さま母さまだけではなくて、給仕のメイドからも声が飛んできた。
とても大事な主、尽くしたいと思う相手……などなど。
ここにいる皆が、フィーのことを肯定していた。
彼女の存在を望んでいた。
そんな皆の声に、心に気づかないような妹じゃない。
フィーは、なんだかんだで、とてもしっかりとしていて……そして、優しい子なのだ。
「フィー」
「……アリーシャ姉さま……」
「あなたは、望まれていない子などではありません。ここにいる皆は、あなたを望んでいる。そして私も……誰よりも、かわいい妹に傍にいてほしいと願っています」
「うっ、うぅ……」
「だから、これからも一緒にいてくれますか? 私の妹で、い続けてくれますか?」
「は……はいっ……はい、はい、はい……ずっと、アリーシャ姉さまの妹です!」
「よかった」
私はにっこりと笑い、フォーの頬をそっと撫でる。
それから、クッキーが入った袋を、改めてフィーのところへ。
「今回は、けっこう自信があるんです。食べてみてくれませんか?」
「は、はい」
フィーは、袋を開いてクッキーを手に取る。
少しの間、じっと見つめて……
「あむっ」
小さな口をいっぱいに開いて、ぱくりと食べた。
「……おいしい……」
「本当に? よかった。アレックスやジークが慌てているから、もしかしたら失敗したのではないかと、少し不安だったの」
「そりゃあ、あんな調理過程を見せられたらな……」
「慌てるのも仕方がないよね……」
二人はどこか遠い目をしていた。
失礼な。
「本当に……うく……おいしい、です」
フィーが再び涙を流す。
でも、それは悲しさや寂しさから来るものではなくて、
「ありがとう、ございます……アリーシャ姉さま。私、うれしいです……!」
喜びからくるもので、フィーは泣きながらも、とびっきりの笑顔を見せていた。
フィーの誕生日パーティーは、大成功で終わり……
みんな、最後まで笑顔だった。
フィーが喜んでくれて、アレックスとジークも喜んでくれて、父さまと母さまも喜んでくれた。
一連の流れを企画した身としては、うれしい限りだ。
今回のことで、アレックスとジークが、私に対する見方、印象を変えてくれたらラッキーなのだけど……うーん、どうだろうか?
二人共、満足していたような気はするが、フィーに対する好感度が上昇しただけで、私に対する好感度は変わっていない気がする。
というのも、誕生日パーティーの時、二人は私のドレス姿を見てなにも褒めてくれなかった。
フィーに対しては、綺麗だのかわいいだの言っていたのに……
私を見ると、途端に気まずそうな顔になり、目をそらしていた。
見るのもイヤなのだろうか?
うーん……それなりに順調に進んでいると思っていただけに、二人の反応は残念だ。
「まあ、それはそれで構いませんけどね」
アレックスとジークのことは気になるものの……
でも、今日はなによりも、フィーのことを一番に考えないといけない。
そして、誕生日パーティーは成功した。
フィーは本物の笑顔を浮かべていた。
それで十分だ。
「……そろそろ寝ましょうか」
ペンを置いて、日記帳を閉じる。
フィーを真似て日記を書き始めたのだけど、なかなか楽しい。
一日の出来事を思い出して、色々なことを考えることができる。
それが楽しくもあるし……
おそらく、後々で見返した時に、重要な発見をしたりもするのだろう。
これからも、毎日、日記をつけていこうと思う。
コンコン。
「はい?」
扉がノックされる音が響いて、答える。
こんな時間に誰だろう?
「あの……アリーシャ姉さま、まだ起きていますか? シルフィーナです」
「フィー? どうぞ」
「失礼します」
恐る恐るという感じで、フィーが部屋に入ってきた。
かわいいフリルのついた、ピンク色の寝間着姿だ。
「ごほっ!?」
「アリーシャ姉さま? ど、どうしたんですか?」
「……フィーは、私を萌え死させるつもり」
「もえ……?」
「いえ、なんでもありません。それよりも、どうしたのですか?」
寝間着に気を取られて気づかなかったけれど、なぜか枕を手にしていた。
ふと、その理由に思い至る。
これはもしかして、もしかすると……?
「あの……子供っぽい、って笑われるかもしれないんですけど、でも、その……一緒に寝てもいいですか?」
「もちろん!!!」
二つ返事で了承する。
かわいい妹と一緒に寝られるなんて、最高か!
「えへへ……よかったです、断られなくて」
「フィーの頼みを断るなんて、ありえませんよ」
「アリーシャ姉さま、優しいです」
「それじゃあ、寝ましょうか」
「はいっ」
ベッドに移動して、フィーは自分の枕を横に並べた。
まずは私がベッドに横になり、続けてフィーが。
おじゃまします……なんて、少し照れた様子で言う姿は、たまらない破壊力だ。
くっ……この世界にスマホがないことが悔やまれる。
「……アリーシャ姉さま、まだ起きていますか?」
「横になったばかりですよ。さすがに、まだ起きています」
苦笑しつつ、フィーの言葉を待つ。
ただ単に、一緒に寝たいだけではなくて、なにかしら話したいことがあるのだろう。
「ありがとうございます」
「誕生日パーティーのことですか? 妹のために、姉として当たり前のことをしただけですよ」
「それもあるんですけど、でも、それだけじゃなくて……」
フィーが恥ずかしそうにしつつ、言葉を続ける。
「……私の姉さんになってくれて、ありがとうございます」
「……フィー……」
「アリーシャ姉さまのおかげで、私、自分を好きになることができました。シルフィーナ・クラウゼンを嫌いにならないですみました。だから……ありがとうございます。全部、全部、アリーシャ姉さまのおかげです」
そっと、フィーが私の手を握ってきた。
おっかなびっくりではあるのだけど……
でも、一度握った後は、離したくないというかのように強い。
「私は、大したことはしていませんよ」
「でも……」
「フィーが自分を好きになることができたのは、フィー自身の力によるものですよ」
「そんなことありません。アリーシャ姉さまがいなかったら、私は……今も、自分を好きになれなかったと思います。ただ流されるままに、なにも考えずに生きていたと思います。アリーシャ姉さまが、私のことを、ただの人形から血の通う人にしてくれたんです」
フィーは、私の手を両手で握る。
そして顔を近づけて、キラキラとした目をこちらに向けた。
「だから、ありがとうございます」
「私はなにもしていない、と言っても、あなたは納得しないのでしょうね」
「はい。私のこの気持ち、想いは、アリーシャ姉さまでも覆すことはできませんから」
「なら……一応、否定するのはやめておきます」
「……」
「……」
互いの顔を見て、
「ふふっ」
「くすっ」
共に小さく笑う。
フィーの浮かべている笑顔は、心からのものだ。
以前のように、曇っているようなことはない。
そんな笑顔を生み出すことに、私が少しでも関わることができたのなら、それはとても誇りに思う。
「アリーシャ姉さま」
「はい、なんですか?」
「あの……これからも、ずっと一緒にいてくれますか?」
「もちろんです」
にっこりと笑いながら答える。
「フィーがイヤと言っても、私は一緒にいますからね。ずっとずっと、傍にいますからね。だって……私達は、姉妹なのですから」
「アリーシャ姉さま……はいっ」
フィーは、花が咲いたような、明るく輝いた笑みを浮かべて、
「アリーシャ姉さま、大好きです」
とびきりの笑顔と共に、そう言うのだった。
朝。
いつものように学舎に向かうのだけど……
今日は馬車ではなくて徒歩だ。
たまには歩いて行きたいというフィーの要望を叶えたことになる。
「えへへ」
フィーは笑顔だ。
うれしそうに私と手を繋いで、ぴたりと寄り添っている。
「フィー、そんなにくっつかれると歩きにくいのですが」
「ダメ……ですか?」
「いいえ! まさか!」
むしろ大歓迎。
手を繋ぐだけじゃなくて、腕を組みたい。
というか、いっそのことフィーをお姫さま抱っこしたい。
とはいえ、さすがにそれは無理。
そこまでの力はないので諦めるしかない。
まあ、こうして手を繋いでいるだけでも幸せなのだけど。
「私もフィーと手を繋いでいたいと思いますよ」
「えへへ、アリーシャ姉さま」
「どうしたんですか? 今日はやけに甘えん坊さんですね」
布団に潜ってきて、手を繋いで。
昨日の誕生日パーティー以来、フィーは少し変わったような気がする。
具体的にどこが、と問われると言葉に迷うのだけど……
少し明るくなったような気がした。
「アリーシャ姉さま」
「はい、なんですか?」
「あの……今日のお昼、一緒に食べませんか?」
「……」
思わぬ展開に、ついつい目を丸くしてしまう。
フィーに昼食に誘われた。
まさかの出来事だ。
なにせ、いつも私の方から誘ってばかりで、フィーから誘われたことは一度もない。
もしかして私避けられている? なんて、夜も眠れないほどに悩んだこともある。
それなのに、ついに誘ってもらえるなんて……
「……うぅ」
「え? え? あ、アリーシャ姉さま!? ど、どうされたんですか!?」
突然、涙ぐむ私を見て、フィーがあわあわと慌てる。
そんなところもかわいい。
「いえ……すみません。フィーから誘ってくれたことがうれしくて、つい」「
「お、大げさです……」
「そのようなことはありません。姉というものは、妹からの言葉をいつでも待っていて、期待しているものなのですよ?」
自分で言っておいてなんだけど、そんな話、今まで聞いたことがない。
今、この場で思いついたことだ。
でも、フィーのようなすごくかわいい妹がいるのなら、あながち間違いでもないだろう。
一緒にごはんを、なんて誘われたら、うれしくて感涙してしまうのが普通だ。
普通ですよね?
「あと、その……アレックスとジークさまもお誘いしたくて」
「……」
舌打ちしてしまいそうになるのだけど、なんとか我慢した。
「アリーシャ姉さま?」
「……いえ、とても良いアイディアだと思います。やはり、ごはんはみんなで食べる方がおいしく感じられますからね」
フィーと二人きり、フィーと二人きり、フィーと二人きり……
心の中で涙を流しつつ、しかし、表では笑顔の仮面をつける。
正直なところ、ものすごく残念なのだけど……
でも、フィーがみんな一緒を望んでいるのだから、それをよしとしておかないと。
それに……
最近は色々とあって忘れがちだったものの、私は悪役令嬢だ。
破滅の未来を避けるために、ヒーローである彼らと仲良くしておいて損はないだろう。
でも、フィーはあげません!
いくらヒーローであろうと、フィーと付き合いたいと言うのならば……ふっ、ふふふ。
「あ、アリーシャ姉さま? なにか怖いです……」
「はっ……す、すみません。なんでもありませんよ?」
「はあ……」
いけない、いけない。
フィーに彼氏ができるという最悪の未来を想像してしまい、ちょっと高ぶってしまったみたいだ。
一応、私は公爵令嬢。
それにふさわしいように、常に落ち着いていないと。
「ところで……」
「はい、なんですか?」
「フィーは、少し変わりましたね」
「え?」
「とても良い顔で笑うようになりました」
「そ、そうですか……? 私は、その……よくわからないです」
自分の頬をむにむにと触る。
なにその仕草。
かわいすぎる。
この世界にカメラがないことが悔やまれる。
「でも……それは、アリーシャ姉さまのおかげだと思います」
「私ですか?」
「はい。アリーシャ姉さまがいてくれたからこそ、私、うまく笑えるようになったんだと思います」
「私はなにもしていませんが……」
「え?」
「え?」
フィーが、それはありえない、というような顔をするのだけど……
でも事実、私はなにもしていない。
そもそも、私は悪役令嬢だ。
なにかできるわけがないし……
メインヒロインのフィーの力になれるとしたら、ヒーローであるアレックスやジークだろう。
まあ、それはそれで癪なので。
日頃、フィーをかまってかまい倒しているのだけど。
「ふふ」
ややあって、フィーがおかしいと言うかのようにくすりと笑う。
「アリーシャ姉さまは、いつでもどこでもアリーシャ姉さまらしいのですね」
「どういう意味ですか?」
「なんでもありません」
「?」
フィーの言葉の意味がわからない。
わからないのだけど……
フィーがうれしそうにしているので、なんでもいいか、と思ってしまう私だった。
かわいい妹が笑顔なら私も幸せなのだ。
数日後。
登校した後。
私はぼんやりと窓の外を眺めていた。
あいにくの曇り空で雨が降っている。
この世界にも四季はあり、梅雨がある。
最近になって梅雨入りしたらしく、残念な天気が続いている。
「このところ雨ばかりですね……」
雨は嫌いだ。
早く晴れてほしいのだけど……
梅雨となれば、そうもいかないか。
「クラウゼンさま」
クラスメイトに声をかけられ、振り返る。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「お聞きになりましたか?」
「なんのことでしょう?」
「実は、転入生がやってくるらしいですわ」
「転入生? このような時期に?」
あと一ヶ月ほどで学園は夏季休暇に入る。
やや中途半端な時期だ。
「詳しくは知らないのですが、そのような噂を聞きまして」
「私達のクラスに?」
「はい、そのようですわ。女性らしいので、友達になれるかもしれませんわ」
「なるほど」
「あ……きっと、この後のホームルームで紹介されると思いますわ」
ホームルームの時間が近づいてきたため、クラスメイトは自分の席に戻った。
「転校生……か」
自分にしか聞こえない声でつぶやいた。
この時期に転校なので、もしかしたら、なにか事情があるのかもしれない。
うまく学園に馴染めるように、できることがあればしたいと思うのだけど……
はて?
なにか引っかかる。
魚の小骨が喉に刺さったような感じで、もどかしい。
なにかあったはずなのだけど、思い出すことができない。
結局、そのままホームルームの時間を迎えてしまう。
「今日は、みなさんに新しい仲間を紹介します」
お決まりの文句と共に、転校生が紹介される。
先生の合図で教室に入ってきたのは、黒髪のショートカットの女の子だった。
どことなく幼さが残る顔。
ただ、目は大きく、元気な印象を受ける。
幼さが見えるものの、あちらこちらを走り回る元気な子供という感じだ。
制服は私達と同じもの。
ただ、急ごしらえなのか、サイズが少し合っていない。
彼女、わがままな体をしているみたいで……
やや窮屈そうだ。
まあ、調整はできるだろうから、それほど大きな問題ではないだろう。
転校生は壇上に立ち、にっこりと元気な笑みを浮かべる。
「はじめまして! 私は、ネコ・ニルヴァレン、っていいます。田舎の方で暮らしていたんだけど、ちょっと事情があって王都に移住することになって……ぶっちゃけると田舎者だから、こっちのことを色々と教えてくれるとうれしいです。よろしくお願いします!」
元気よく言い、お辞儀をする。
とても気持ちのいい人だ。
クラスメイト達も同じことを思ったのか、拍手で迎える。
それにしても……
ネコ、なんて独特な名前だ。
そのせいか、どこかで聞き覚えがある。
そんな知り合い、いないはずなのだけど……
でも、勘違いではないと断言できるくらい、強い印象を抱いている。
どこで聞いたのだろうか?
あれは、確か……
「……っ!?」
答えに辿り着いて、思わず声をあげてしまいそうになる。
なんとか我慢できた私は、素直に偉いと思う。
そう……思い出した。
彼女は、乙女ゲームのサブキャラクターだ。
いわゆる、主人公の友達ポジション。
ふとしたことからメインヒロインと出会い、友情を育んでいく。
そして、歳は違うものの唯一無二の親友になる。
物語後半になるにつれて、メインヒロインには数々の試練が降りかかる。
それをヒーローと一緒に乗り越えていくのだけど……
ここで、ネコ・ニルヴァレンの存在がとても大事なものとなる。
彼女と友情を育んでいるかどうかで、ハッピーエンドかバッドエンドか、道が分かれるのだ。
そんなことを知らなかった私は、初回プレイ、ヒーローばかりと仲良くなっていたため、悲惨なバッドエンドを迎えたものだ。
「まさか、彼女も登場するなんて」
ここ最近は、フィーの誕生日の準備に夢中になっていたため、破滅を回避することをすっかり忘れていた。
でも、それは仕方ない。
あんなにかわいい妹がいれば、そっちに夢中になるのは当たり前のこと。
よって、私は悪くない。
とはいえ、ネコ・ニルヴァレンの登場で、ここが乙女ゲームの世界であることを思い出した。
今のところ、順調に進んでいるような気はするものの……
ありがちな展開だと、世界の修正力とやらが働いて、最終的に私は悪役令嬢として断罪されてしまう。
そのことを考えると、順調だからといって油断はできない。
このタイミングでネコ・ニルヴァレンが出てきたということは……
たぶん、なにかしらの関連イベントが発生するはず。
それをうまく乗り越えることで、破滅を回避してみよう。
放課後。
「ニルヴァレンさんは……」
「好きなものは……」
「前にいたところは……」
クラスメイト達がニルヴァレンさんのところへ集まり、あれこれと質問をぶつけている。
転入生の宿命だ。
ただ、ニルヴァレンさんは欠片も嫌そうな顔をしていない。
むしろうれしそうにしていて、積極的にクラスメイト達と話をしている。
私もニルヴァレンさんと話をしたいのだけど……
その前に、思い出しておかないといけないことが。
「ニルヴァレンさんが登場してすぐに、なにかしらのイベントが発生したはずなのだけど……」
どんなものだったかしら?
初回プレイでは、華麗に彼女をスルー。
その後のプレイでも、攻略サイトを頼りにしてのプレイだったため、印象が薄く……
いまいち彼女についての記憶がない。
彼女を快く思わない人がいて……
なにかしらの嫌がらせを受けてしまう。
そこをメインヒロインが助けたことで友情が生まれる、という展開なのだけど、詳細を覚えていない。
「まあ、いずれ思い出すかもしれませんね」
すぐにニルヴァレンさんが追いつめられるわけではないので、そこは心配いらない。
時間をかけて思い出していこう。
そのためにも、まずはある程度は仲良くなっておかないと。
彼女と親しくすることで、破滅を回避できるかもしれないので。
「クラウゼンさま」
いざ出陣!
というところで、クラスメイトに声をかけられた。
「はい?」
「妹さんが来ていますよ」
「フィーが!?」
ニルヴァレンさんのことは後回し。
なににおいても、妹が最優先されるべきだ。
私はすぐに教室の入り口へ。
おっかなびっくりといった様子で、教室の様子をうかがうフィーの姿が。
たぶん、上級生の教室ということで気後れしているのだろう。
でも、そんなところもかわいい。
「どうしたのですか、フィー」
「あ、アリーシャ姉さま」
私を見つけると、フィーは花が咲いたような笑顔に。
私の妹、天使。
一目がなければ抱きしめて、頬にキスをして……
それからもう一度抱きしめて、頬をスリスリしていたところだ。
「あの……よかったら、一緒に帰れないかと思いまして」
「これからですか?」
「はい……ダメ、でしょうか?」
「もちろん、大丈夫ですよ」
即答だった。
ニルヴァレンさん?
いいえ。
それよりも妹と一緒に帰ることの方が大事。
「少し待っていてくださいね。鞄を取ってきます」
「はい」
鞄を取りに、自分の席へ戻る。
その途中……
「それで、ニルヴァレンさんは……」
「えっと……」
まだ質問は続いていた。
さすがのニルヴァレンさんも疲れてきたらしく、ちょっと笑顔がぎこちない。
「……」
鞄を手に取る。
それから、フィーのところではなくて、ニルヴァレンさんのところへ。
「みなさん、すみません」
「え?」
私が声をかけると、ニルヴァレンさんを含めて、クラスメイト達が驚きの顔に。
「ニルヴァレンさんのことが気になるのはわかり、申しわけないのですが……この後、一緒に帰る約束をしていまして」
「へ?」
ニルヴァレンさんが目を丸くするものの、気にしない。
「お話は、また明日でも問題ないですし……妹を待たせているので、そろそろいいでしょうか?」
「そうなんですね。ごめんなさい、クラウゼンさん」
「またお話しましょうね」
クラスメイト達は素直に引いてくれた。
「では、行きましょうか?」
「え?」
未だぽかんとするニルヴァレンさんの手を引いて、フィーのところへ。
「あ、アリーシャ姉さま! と……どちらさま、でしょうか?」
「ふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。こちらは、ニルヴァレンさん。私の新しいクラスメイトです」
「そうなんですね。あ、私、アリーシャ姉さまの妹の、シルフィーナ・クラウゼンです。よろしくおねがいします」
「えっと……うん! 私は、ネコ・ニルヴァレン。シルフィーナちゃんも……それに、アリーシャさんもよろしくね!」
状況を理解して、気持ちを切り替えることができたらしく、ニルヴァレンさんはにっこりと笑いつつ自己紹介をした。
私とフィーは公爵令嬢なのだけど……
放課後の帰り道は歩きを選択することが多い。
毎日馬車で送り迎えをしてもらっていたら、かなり目立つ。
普通の生徒から反感を買うかもしれないし……
なにより、そんな無駄遣いをさせるわけにはいかない。
最初の頃は治安に対する疑問もあったため、馬車を利用していたけど、今はほぼほぼ徒歩だ。
基本的に王都は平和で、夜ならばともかく、昼から事件が起きることはない。
そんなわけで、私とフィーとニルヴァレンさんは、並んで帰路を歩いていた。
「えっと……ニルヴァレンさまは、新しいクラスメイトということですが……」
「うん、そうだよ。今日、転入してきたんだ」
「そうなんですね。学院には慣れましたか?」
「さすがに、それはちょっと早いかな?」
「そ、そうでした……すみません」
「ううん、気にしないで。でも、アリーシャさんのおかげで、わりと早く慣れることができそう」
「私ですか?」
突然、私の名前が挙げられて驚いてしまう。
「さっきはありがとうね、助かっちゃった」
「アリーシャ姉さまがなにかしたんですか?」
「クラスメイトの質問攻めにあっていたんだけど、アリーシャさんに助けてもらったんだ」
「なるほど、さすがアリーシャ姉さまです!」
特に深い考えはなかったのだけど……
うん。
フィーから尊敬の眼差しを向けられることは、すごくうれしい。
「質問されるのがイヤだったわけじゃないんだけど、一度にたくさんの質問が飛んできて、それがずっと続くからどうしていいかわからなくて」
「なるほど……それは大変そうですね」
「申しわけありません。クラスメイトの皆も、悪気があるわけではないのですが……」
「あ、ううん! アリーシャさんが謝ることじゃないよ。それに、質問をするっていうことは、私に興味を持ってくれている、ってことだよね。それは、素直にうれしいから」
にっこりと笑うニルヴァレンさん。
うーん。
さすが、主人公の親友ポジション。
まっすぐな性格をしていて、それと、とても元気で……うん。
素直に好ましいと思える。
とはいえ、フィーの親友を任せられるか、それは話が別だ。
せっかくの機会だ。
フィーの親友としてやっていけるか、私が見定めることにしよう。
「ところで、仮定の質問なのですが……」
「うん? なに?」
「ニルヴァレンさんの友達が危機に陥っていたとしたら、どうされますか?」
「え? どうしたの、いきなり」
「ただの日常会話です」
「日常、かなあ……? でも、友達が困っているのなら、もちろん助けるよ」
即答だった。
考える間もない。
予想外の返答に、ついつい目を丸くしてしまう。
「即答なのですね」
「え? なにかおかしいかな?」
普通は、少しためらったり迷ったりすると思う。
友達の力になりたいと思うことは当たり前のこと。
でも、そこに危険が伴うとしたら、迷いを抱いてしまうことも当たり前のこと。
しかし、ニルヴァレンさんはまったく迷わない。
そうすることが当たり前のように、即答してみせた。
そして、彼女の様子を見る限り、それが普通だと信じている。
(さすが、主人公の親友というべきですか)
主人公に負けず劣らず、性格が良い。
人気投票が開催されたことがあるのだけど……
サブキャラクターでは一位だった。
それだけの人気があるのも納得だ。
「では、友達を助けることで、自らに大きな害を受けるとしたら?」
でも、私はまだ納得しない。
事は、大事な妹に関すること。
本当に妹の親友ポジションを任せても大丈夫か?
しっかりときちんとはっきりと見極めないといけない。
「害っていうと……痛いこととか?」
「まあ、そのような感じで」
「痛いのは困るなあ……でも、やっぱり力になりたいかな」
今度も即答だった。
「怪我をするようなことがあっても、構わないと?」
「うん、そうかな」
「普通、イヤだと思いませんか?」
「友達が傷つく方がイヤだから」
「……」
彼女は聖女だろうか?
ついついそんなことを思ってしまう。
「なるほど……これならば」
フィーの親友を任せてみてもいいかもしれない。
なんて、上から目線のことを考えていると、
「だから、アリーシャさんが困っていたら、私は全力で力になるつもりだよ」
「どうして、私の話になるのですか?」
「え?」
「え?」
共に小首を傾げて、
「だって、アリーシャさんは友達だから」
ニルヴァレンさんは、さらりとそう言った。
なるほど……なるほど?
私はいつ、ニルヴァレンさんと友達に?
「……でも」
一緒に帰って、お話をして。
それはもう友達なのかもしれない。
それに……
私は悪役令嬢だけど、でも、彼女と友達になりたいと思う。
そう願う。
だから……
「はい、そうですね……ネコ」
「うん!」
名前で呼ぶと、彼女はとてもうれしそうに笑った。
太陽のように明るく、元気な笑顔だ。
「ふふ」
私達を見て、フィーは幸せそうな感じで笑うのだった。
「よう」
「やあ」
朝。
いつものようにフィーと一緒に学院に向かっていると、アレックスとジークと出会う。
「おはようございます、アレックス、ジークさま」
「おはようございます」
私とフィーが挨拶をすると、二人も挨拶を返してくれた。
せっかくなので、このまま一緒に学院に向かう。
「ところで、お二人はこんなところでどうされたのですか?」
「え? あー……ぐ、偶然だよ」
「そうだね、偶然だね」
「はあ、偶然ですか」
ちょっと気になるところはあるものの……
でも、二人がそう言うのなら、そういうことなのだろう。
「僕も聞きたいことがあるのだけど」
「はい、なんですか?」
「昨日、見知らぬ女子生徒と一緒にいるところを見たのだけど……彼女は知り合いなのかい?」
「ああ、ネコのことですか」
「猫?」
「いえ、動物の猫ではなくて。彼女、ネコという名前なのです」
「ネコさんは、アリーシャ姉さまのクラスにやってきた転入生みたいです。それで、昨日、一緒に帰って私達と友達になりました」
フィーがそう補足してくれた。
しっかりと説明ができるフィーは、天才かもしれない。
さすが私の妹。
「なるほど、転入生……か」
「それがどうしたのですか?」
「……いや、なんでもないよ」
なんでもないという感じではないのだけど……
しかし、ジークはそれ以上を語らない。
本人が言うように大したことないのか。
それとも、私達に話すことができないようなことなのか。
彼がなにを考えているか、それはわからない。
――――――――――
「おはよう、アリーシャ」
「おはようございます、ネコ」
教室に入ると、ネコが太陽のような笑顔で迎えてくれた。
正直、癒やされる。
でも、妹の笑顔以外で癒やされてしまうなんて……
姉失格では?
違う、違うのですよ、フィー。
私はフィーが一番。
でも、ネコは友達なので……
「アリーシャ?」
「……いえ、なんでもありません」
怪訝そうな視線を向けられて我に返る。
フィーのことになると、たまに我を忘れてしまうことがあるのだけど……
うーん。
少し気をつけた方がいいかもしれない。
「ねえ、アリーシャ。週末の休日、時間あるかな?」
「週末ですか?」
特に予定はない。
フィーとイチャイチャして過ごそうと思っていたくらいだ。
「特には」
「なら、お願いがあるんだけど……この街を案内してくれないかな?」
「街を?」
「私、少し前に引っ越してきたばかりなんだ。だから、どこになにがあるのか、よくわからなくて……あと、できればアリーシャのオススメのお店とか教えてくれるとうれしいな」
なるほど。
そういえば、主人公の親友は別の街からやってきたという設定だった。
確か……
親が商売に成功して、その都合で王都に。
お金がなくて学院に通うことができなかった親友も、ようやく登校できるように。
そんな感じの設定だったと思う。
そんな中、親友はメインヒロインと出会う。
歳の差はありつつも、二人は仲良くなり……
街の案内をしたことがきっかけとなり、親友となる。
あれ?
なんで私が誘われているのだろう?
私は悪役令嬢なのだけど。
「ダメ、かな?」
「いえ、大丈夫ですよ」
疑問はある。
フィーとイチャイチャできないのは残念だ。
でも、ネコのことは、どうしてか放っておけなくて……
私は笑顔で承諾した。
「よかった! ありがとう、アリーシャ」
「いいえ。街の案内くらい、いつでも大丈夫ですよ」
こうして、週末はネコと一緒に過ごすことに。
この時は友達と過ごす時間を楽しみにしていたのだけど……
その夜、とんでもないことを思い出すのだった。