赤染が走り出したとき、俺は追いかけられなかった。赤染の足が速い、という理由もある。でも、それよりも、気持ちの問題の方が大きかったような気がする。
あの気持ちはどのように表現すればいいのか、自分でもわからない。磁石が離れようと、人の目には見えない力を発揮しているかのように、赤染の屋上から走り去る姿を見て、俺のなかのなにかが剥がされてゆくような感覚に陥った。
赤染の告白を断った帰り道。言葉にできない虚無感のようなものに襲われながら歩いていると、自転車に乗った結城に遭遇した。これから買いものでもするのだろうか。自転車のカゴに白いエコバッグが入っていた。辺りが薄暗くなっているから目立って見える。
「お、白雪。もしかしてこんな時間まで学校に居たのか? もう六時だぞ?」
「そうだ」
結城の言葉に、俺は、赤染とのやり取りを思い出す。
白雪くんが好き、と言われたとき、俺の頭は真っ白になった。
まさかあの赤染が、俺に好意を抱いているとは思わなかったからだ。この学校には俺よりも顔が整っている生徒なんていくらでもいるし、芸人みたいに面白い生徒だってたくさんいる。そのなかで、どうして赤染は俺を選んだのか。まったくわからない。
「ん? どうした? なにか考えごとしてるみたいだけど」
「……」
「ひょっとして、誰かに告白されたとか」結城は冗談めかして言った。「まあそんなわけないよな。女子から告白だなんて」
「された」
「え? あー。これはこれは。珍しいな、白雪が冗談を言うなんて」
「……いや、されたんだ」
「……」
はあ?
と、結城は顔を歪ませた。「じゃあ誰にだ?」
「……赤染だ」
「赤染か…… はあ」結城は力が抜けるような声を出すと、「なんでだ?」と首を傾げた。「告白のとき、なんで好きになったか言われたか?」
「いや、なにも。好きだから、としか言われてない」
「そうかそうか…… あ、一番肝心なところ忘れてた。それよりも告白はもちろんオーケーしただろ?」当然とでも言いたげな結城の顔に、俺は圧力を感じた。
「……断った」
「……はあ?! あの赤染の告白をか?!」
「そうだ」
「……」結城は放心すると、「どうやって断った?」と訊いてきた。
「理由を言おうとしたら、走ってどこかに行った」
「ははは。まさか断られるとは思ってなかったんだろう。あれだけ可愛い顔してるなら百発百中だろうからな」結城は笑いながら自転車に鍵をした。「で、どうしたらいいか迷ってるわけだ」
「……そういうことだ」
この件で結城には頼りたくなかった。
自分のプライドとか気持ちは関係ない。ただ単に、結城がこの話題を嫌がるかもしれないからだ。ふだんから恋愛の話はするがどれも真剣な話ではない。あの子は可愛いね、とか、あの子は奇麗だね、とかそんなレベルの話で止まっている。だが今回は違う。他愛もない話ではないのだ。
「しょうがないなー」結城は微笑むと、「白雪のことだから考えてるかもしれないけど、別にあの件は気にしなくていいよ。自分のなかでしっかり整理はできてるから」結城は俺を安心させるように微笑んだ。
「もしも結城が俺の立場ならどうする?」
「そうだな……」少しのあいだ結城は考え込むと、「相手の気持ちを汲むのが一番だから、今はなにもしなくていいと思う」冷静な顔で俺を見てきた。
「メールとかはいらないよな」
「いらない。赤染の態度を見て決めればいい。あっちが今まで通りにしたいならそれに合わせればいいさ。もちろん、自分の気持ちも踏まえた上でな」
「どういう意味だ。相手の気持ちを汲むことが第一優先なんだろ」
「そうだけどな」結城は手を上に伸ばして背伸びをすると、「でも、相手との接し方がどうであれ自分の人生だろ?」と言った。
「自分の人生か」
「そうだ。いくら告白されたからって、自分の気持ちを殺すようなことはしたらだめだ。相手の気持ちを汲む、というよりかは、相手の気持ちを踏まえる、のほうが正しかったかな? お互いの気持ちが考慮されているからこそ、恋愛は成り立つからな。そこに義理とか義務はいらないってことかな?」
頭を掻きながら結城は、「まあ、これは俺の意見だと思って聞いてくれ」、と笑いながら答えた。
「ありがとう。なんとなく理解できた」
「おう、それなら良かった」
話しに区切りがついたし、星でも見に行くか、と結城は呟くと、「じゃあまた明日な! 赤染正!」と、大声を上げた。
「まだ付き合ってもないのに、それはないだろ」自転車を走らせて遠ざかってゆく結城の後ろ姿に、俺は大声を上げた。
俺は今、英語のニュースを聞きながら湯に浸かっている。登下校しているあいだにリスニングができなくなったから、この隙間時間にやるしかないのだ。
逃げ出せるものなら逃げ出したい。
けれどもそれはできないのだ。してはいけないことなんだ。
母親は寝る間も惜しまず働いてくれた。
ならば俺は、それ以上の恩返しをしなければならない。
誰も文句を言えないような大学に行き、時間を持て余すくらいに金を稼いで、お世話になった母親を助ける。それで俺の人生は、父親とは違って、幸せな方向へと進むのだ。
だから今は、我慢しなければならない。
たとえどんなに苦しくても、辛くても、泣きたくても、我慢して我慢して、乗り越えなければならないのだ。これが俺の生きる理由で、頑張る理由で、存在価値なのだから——
頬を伝る汗を手で拭い、傍らに置いてあるペットボトルに入った水を飲むと通知音が鳴った。誰からだろうか。いったんニュースを止めてラインを開いた。
「……赤染?」
目を疑った。もう一度、見間違いではないかを確認するためにスマホの画面を凝視する。
間違いない。
赤染から連絡が来たのはほんとうだった。
内容は簡単なもので、これからも一緒に勉強しよう、というものだった。
まるで屋上での出来事がなかったような文章だ。
どう返信すればいいのだろうか。
このまま既読無視するわけにはいかない。
誰に相談すればいいのかわからず悩んでいると、帰り道で結城と話した内容が頭に浮かんできた。もしも告白を断ったなら相手の意見を汲み取ること。そこで忘れてはいけないのが自分の気持ちもしっかりと踏まえること。この矛盾した言葉はいったい、どこから生まれたのだろうか。相手の意見をしっかりと汲み取るなら、自分の意見を蔑ろにしないと前に進めない場面は必ずあるはずだ。頭が痛くなってくる。ぐるぐると、いろいろな言葉が頭の中を循環している。だから嫌いなのだ。答えのない問題は。
いったん赤染とのトーク画面から距離を置き、そのまま俺は、結城に電話をかけた。
「どうした? 珍しいな、お前から電話をかけてくるのは」
「助けて欲しい」
「ん? なにをだ?」
「赤染から連絡が来た」
「ほーほーほー、この学校の頭脳王でさえも人間関係を前にしたら困るんだな」
「当たり前だ。人生で初めての経験なんだから」
「それはそうか」スマホ越しに笑い声が聞こえた。「で、内容は? 簡単にしてくれ」
「今日はごめんね。でも好きなのはほんとう。話変わるけど、これからも勉強教えてくれない? だった」
「なるほどなぁ」
結城は、んー、と考え込み
「やっぱり俺にはわからないな」
と笑いながら言った。こっちは真剣なのにやめて欲しい。
「茶化さないでくれ。どう返答したらいいか教えてくれ」
「いや、ほんとうにわからないんだって」
「なにがだ」
結城は深くため息をつくと、「だからわからないんだって。お前の気持ちが」
結城が困惑している表情が容易に想像できる口調だった。
「……」
「お前は赤染をどう思ってる?」
「どう思ってるって……」
明るくて元気な子のイメージしか俺にはない。けれども今、結城が俺に訊いているのはもっと深い内容のような気がして、なにも答えられなかった。
「俺は白雪がしたいように返信して欲しいな」
「……俺がしたいように、か」
俺のしたいことはなんだろうか。
つい最近、誰かに俺は、あなたのしたいことはなに? と訊かれたような気がする。
そのときも俺は答えられなかった。俺はなにをしたいのか、したくないのか。自分でもわからないのだ。
「そう。自分のしたいように。赤染が好きなら一緒に勉強しようって誘えばいいし、嫌いなら誘いを断ればいい。一応言っておくけど、折角の誘いを断るのは申し訳ないからって引き受けるは辞めておいた方がいいぞ。それは申し訳ないじゃなくて失礼だからな。別にビジネスの世界じゃあるまいし」
結城はなにかをむしゃむしゃと食べながらそう言った。
「じゃあそろそろ電話切るぞ。俺は星を、ぼーっと眺めたいんだ」
「ああ。ありがとう」
「礼は時間で返せ」
「金ならまだしも時間は無理だ」
「ははは。相変わらず答え方が真面目だな。じゃあ、また明日」
「おう」
沈黙の時間が少し流れると、電話がぷつん、と切れた。
湯船にだらりと体重を預けて、俺は湯煙で見えない天井を見る。
さっきの話しをしたあとに見るこの天井は、自分自身でもわからない心の内を表しているような気がした。本心が、湯煙のような形のないものに包み隠されている。
だから俺は思い返した。
赤染と一緒にいるとき、俺はどんな感情を抱いていたのかを。
俺は赤染といて楽しかった。
どうしてなのかはまだ言葉にできないが、歳を取っても記憶から消えないような時間だった。
勉強を教えているときも、変顔を突然披露されたときも、不思議と気持ちが和むような時間だったのだ。
……それなら答えは既に決まっている。
意外に答えを見つけるのは簡単だったじゃないか。
自分に対して素直になれば、答えを見つけるのはあっという間だった。
俺はスマホの画面を開き、赤染とのトーク画面を開いた。
これで未来が決まる、と考えると、鼓動が速くなってきた。
『よろしく。これからも一緒に頑張ろうな』
文章は素っ気ないだろう。けれど、俺にとって、この文章は今までの人生で一番の重みがあるだろう。
だってこれが、自分に素直になれた瞬間であるかのような気がしたから——
あの気持ちはどのように表現すればいいのか、自分でもわからない。磁石が離れようと、人の目には見えない力を発揮しているかのように、赤染の屋上から走り去る姿を見て、俺のなかのなにかが剥がされてゆくような感覚に陥った。
赤染の告白を断った帰り道。言葉にできない虚無感のようなものに襲われながら歩いていると、自転車に乗った結城に遭遇した。これから買いものでもするのだろうか。自転車のカゴに白いエコバッグが入っていた。辺りが薄暗くなっているから目立って見える。
「お、白雪。もしかしてこんな時間まで学校に居たのか? もう六時だぞ?」
「そうだ」
結城の言葉に、俺は、赤染とのやり取りを思い出す。
白雪くんが好き、と言われたとき、俺の頭は真っ白になった。
まさかあの赤染が、俺に好意を抱いているとは思わなかったからだ。この学校には俺よりも顔が整っている生徒なんていくらでもいるし、芸人みたいに面白い生徒だってたくさんいる。そのなかで、どうして赤染は俺を選んだのか。まったくわからない。
「ん? どうした? なにか考えごとしてるみたいだけど」
「……」
「ひょっとして、誰かに告白されたとか」結城は冗談めかして言った。「まあそんなわけないよな。女子から告白だなんて」
「された」
「え? あー。これはこれは。珍しいな、白雪が冗談を言うなんて」
「……いや、されたんだ」
「……」
はあ?
と、結城は顔を歪ませた。「じゃあ誰にだ?」
「……赤染だ」
「赤染か…… はあ」結城は力が抜けるような声を出すと、「なんでだ?」と首を傾げた。「告白のとき、なんで好きになったか言われたか?」
「いや、なにも。好きだから、としか言われてない」
「そうかそうか…… あ、一番肝心なところ忘れてた。それよりも告白はもちろんオーケーしただろ?」当然とでも言いたげな結城の顔に、俺は圧力を感じた。
「……断った」
「……はあ?! あの赤染の告白をか?!」
「そうだ」
「……」結城は放心すると、「どうやって断った?」と訊いてきた。
「理由を言おうとしたら、走ってどこかに行った」
「ははは。まさか断られるとは思ってなかったんだろう。あれだけ可愛い顔してるなら百発百中だろうからな」結城は笑いながら自転車に鍵をした。「で、どうしたらいいか迷ってるわけだ」
「……そういうことだ」
この件で結城には頼りたくなかった。
自分のプライドとか気持ちは関係ない。ただ単に、結城がこの話題を嫌がるかもしれないからだ。ふだんから恋愛の話はするがどれも真剣な話ではない。あの子は可愛いね、とか、あの子は奇麗だね、とかそんなレベルの話で止まっている。だが今回は違う。他愛もない話ではないのだ。
「しょうがないなー」結城は微笑むと、「白雪のことだから考えてるかもしれないけど、別にあの件は気にしなくていいよ。自分のなかでしっかり整理はできてるから」結城は俺を安心させるように微笑んだ。
「もしも結城が俺の立場ならどうする?」
「そうだな……」少しのあいだ結城は考え込むと、「相手の気持ちを汲むのが一番だから、今はなにもしなくていいと思う」冷静な顔で俺を見てきた。
「メールとかはいらないよな」
「いらない。赤染の態度を見て決めればいい。あっちが今まで通りにしたいならそれに合わせればいいさ。もちろん、自分の気持ちも踏まえた上でな」
「どういう意味だ。相手の気持ちを汲むことが第一優先なんだろ」
「そうだけどな」結城は手を上に伸ばして背伸びをすると、「でも、相手との接し方がどうであれ自分の人生だろ?」と言った。
「自分の人生か」
「そうだ。いくら告白されたからって、自分の気持ちを殺すようなことはしたらだめだ。相手の気持ちを汲む、というよりかは、相手の気持ちを踏まえる、のほうが正しかったかな? お互いの気持ちが考慮されているからこそ、恋愛は成り立つからな。そこに義理とか義務はいらないってことかな?」
頭を掻きながら結城は、「まあ、これは俺の意見だと思って聞いてくれ」、と笑いながら答えた。
「ありがとう。なんとなく理解できた」
「おう、それなら良かった」
話しに区切りがついたし、星でも見に行くか、と結城は呟くと、「じゃあまた明日な! 赤染正!」と、大声を上げた。
「まだ付き合ってもないのに、それはないだろ」自転車を走らせて遠ざかってゆく結城の後ろ姿に、俺は大声を上げた。
俺は今、英語のニュースを聞きながら湯に浸かっている。登下校しているあいだにリスニングができなくなったから、この隙間時間にやるしかないのだ。
逃げ出せるものなら逃げ出したい。
けれどもそれはできないのだ。してはいけないことなんだ。
母親は寝る間も惜しまず働いてくれた。
ならば俺は、それ以上の恩返しをしなければならない。
誰も文句を言えないような大学に行き、時間を持て余すくらいに金を稼いで、お世話になった母親を助ける。それで俺の人生は、父親とは違って、幸せな方向へと進むのだ。
だから今は、我慢しなければならない。
たとえどんなに苦しくても、辛くても、泣きたくても、我慢して我慢して、乗り越えなければならないのだ。これが俺の生きる理由で、頑張る理由で、存在価値なのだから——
頬を伝る汗を手で拭い、傍らに置いてあるペットボトルに入った水を飲むと通知音が鳴った。誰からだろうか。いったんニュースを止めてラインを開いた。
「……赤染?」
目を疑った。もう一度、見間違いではないかを確認するためにスマホの画面を凝視する。
間違いない。
赤染から連絡が来たのはほんとうだった。
内容は簡単なもので、これからも一緒に勉強しよう、というものだった。
まるで屋上での出来事がなかったような文章だ。
どう返信すればいいのだろうか。
このまま既読無視するわけにはいかない。
誰に相談すればいいのかわからず悩んでいると、帰り道で結城と話した内容が頭に浮かんできた。もしも告白を断ったなら相手の意見を汲み取ること。そこで忘れてはいけないのが自分の気持ちもしっかりと踏まえること。この矛盾した言葉はいったい、どこから生まれたのだろうか。相手の意見をしっかりと汲み取るなら、自分の意見を蔑ろにしないと前に進めない場面は必ずあるはずだ。頭が痛くなってくる。ぐるぐると、いろいろな言葉が頭の中を循環している。だから嫌いなのだ。答えのない問題は。
いったん赤染とのトーク画面から距離を置き、そのまま俺は、結城に電話をかけた。
「どうした? 珍しいな、お前から電話をかけてくるのは」
「助けて欲しい」
「ん? なにをだ?」
「赤染から連絡が来た」
「ほーほーほー、この学校の頭脳王でさえも人間関係を前にしたら困るんだな」
「当たり前だ。人生で初めての経験なんだから」
「それはそうか」スマホ越しに笑い声が聞こえた。「で、内容は? 簡単にしてくれ」
「今日はごめんね。でも好きなのはほんとう。話変わるけど、これからも勉強教えてくれない? だった」
「なるほどなぁ」
結城は、んー、と考え込み
「やっぱり俺にはわからないな」
と笑いながら言った。こっちは真剣なのにやめて欲しい。
「茶化さないでくれ。どう返答したらいいか教えてくれ」
「いや、ほんとうにわからないんだって」
「なにがだ」
結城は深くため息をつくと、「だからわからないんだって。お前の気持ちが」
結城が困惑している表情が容易に想像できる口調だった。
「……」
「お前は赤染をどう思ってる?」
「どう思ってるって……」
明るくて元気な子のイメージしか俺にはない。けれども今、結城が俺に訊いているのはもっと深い内容のような気がして、なにも答えられなかった。
「俺は白雪がしたいように返信して欲しいな」
「……俺がしたいように、か」
俺のしたいことはなんだろうか。
つい最近、誰かに俺は、あなたのしたいことはなに? と訊かれたような気がする。
そのときも俺は答えられなかった。俺はなにをしたいのか、したくないのか。自分でもわからないのだ。
「そう。自分のしたいように。赤染が好きなら一緒に勉強しようって誘えばいいし、嫌いなら誘いを断ればいい。一応言っておくけど、折角の誘いを断るのは申し訳ないからって引き受けるは辞めておいた方がいいぞ。それは申し訳ないじゃなくて失礼だからな。別にビジネスの世界じゃあるまいし」
結城はなにかをむしゃむしゃと食べながらそう言った。
「じゃあそろそろ電話切るぞ。俺は星を、ぼーっと眺めたいんだ」
「ああ。ありがとう」
「礼は時間で返せ」
「金ならまだしも時間は無理だ」
「ははは。相変わらず答え方が真面目だな。じゃあ、また明日」
「おう」
沈黙の時間が少し流れると、電話がぷつん、と切れた。
湯船にだらりと体重を預けて、俺は湯煙で見えない天井を見る。
さっきの話しをしたあとに見るこの天井は、自分自身でもわからない心の内を表しているような気がした。本心が、湯煙のような形のないものに包み隠されている。
だから俺は思い返した。
赤染と一緒にいるとき、俺はどんな感情を抱いていたのかを。
俺は赤染といて楽しかった。
どうしてなのかはまだ言葉にできないが、歳を取っても記憶から消えないような時間だった。
勉強を教えているときも、変顔を突然披露されたときも、不思議と気持ちが和むような時間だったのだ。
……それなら答えは既に決まっている。
意外に答えを見つけるのは簡単だったじゃないか。
自分に対して素直になれば、答えを見つけるのはあっという間だった。
俺はスマホの画面を開き、赤染とのトーク画面を開いた。
これで未来が決まる、と考えると、鼓動が速くなってきた。
『よろしく。これからも一緒に頑張ろうな』
文章は素っ気ないだろう。けれど、俺にとって、この文章は今までの人生で一番の重みがあるだろう。
だってこれが、自分に素直になれた瞬間であるかのような気がしたから——