赤染は、自分が人間兵器だと、どのタイミングで気が付いたのだろうか。人を食う兵器だと悟れば情緒不安定になるだろうが、そんな素振りは一切なかった。それどころか毎日、楽しそうに学校生活を送っていたくらいだ。
 恐らくだが、強行突破しようとしても、赤染は俺のことを家には入れてくれないはずだ。もしかしたら、白雪くんのことを食べてしまうかもしれない、とか、合わす顔がない、とか言って、俺を家から追い返すはずだ——
 赤染の家に着いた俺は、インターホンを押し、返答を待つ。
 顔が見られないように帽子を深く被った。これで家の前にいる人は、宅配便かなにかに間違えるだろう。ここに来る前に一度、俺は家に戻り、帽子とダンボールを取ってきた。服もそれらしいものを選び、万全な態勢で赤染の反応を待つ。
「……どちらさまですか」どうやら赤染は、まんまと引っ掛かったようだ。前に赤染は引っ越したと伝えてきた隣人は、もしかしたら紅野に関係がある人なのかもしれない。
「お届けものです」声音を変えて返答する。初めて声を変えたから、上手くできているかわからないが、赤染ならこれくらいで騙せるだろう。「印鑑を頂いても宜しいでしょうか」
「私、なにか頼んだっけな……はい、今から取りに行きます」
 がちゃり、と。扉の開く音がした。
 赤染が出てきたドアから、俺が立っている門まではいくらか距離がある。そのあいだで赤染にバレないように俺は足元を見続けた。手汗が出てくる。
「もしかして、あの栄養ドリンクかな……」赤染が気の抜けた声で呟き、門を開けた。「ん……もしかして、この匂い……」
 白雪くんかな? と。
 そんな小声が聞こえて来た瞬間、背中に悪寒が走った。
「——久しぶり、赤染」
 どうやって誤魔化すかを考えようとしたとき、反射的に自分の正体を明かしてしまった。ここはもう、直感に任せるしかない。
「ど、どうして、ここに……」
 後ずさりながら、赤染は目を大きく開いた。
 赤染はきっと、状況を理解ができたらすぐに門を閉めようとするだろう。それをさせないためには、赤染が戸惑っているあいだに決着をつけるしかない。
「ここに入れてくれ! 赤染と話したいことがある!」人生で初めて声を張った。喉に傷が入ってしまう。
「……い、いやだ! 絶対に入れないんだから!」「今しか話せる機会がないんだ! これを逃したら二度と、赤染とは話せなくなる! だから、ここに入れてくれ!」「い、嫌だって!」
 このままだと押し切られてしまう。
 俺を止める赤染の顔は、複雑な顔だった。
「入るぞ!」
 俺は手に持っていた段ボールを赤染に押し付けた。
 突然、ダンボールを押し付けられた赤染は条件反射でダンボールを手に持った。そのすきに、俺は赤染の横をすり抜けて敷地内の中心まで入る。
「どうか、これだけは頼む……俺は、赤染に話さなければならないことがあるんだ」
「……」
 寒さで冷え切った空気が赤染との間に生まれる。
 赤染がどんな表情をしているのか、頭を下げている俺には想像できない。
「家が嫌ならどこでもいい。俺は赤染と話したいんだ。だから」
「いいよ」赤染は抑揚のない声で話す。「その代わり、ここでなら」
 ゆっくりと俺は、顔を上げる。
 赤染の表情は、助けを絶たれてしまったかのような、悲しいものだった。
「わかった。なら、ここで話す」
「白雪くん、どうしたの」光のない目で赤染は、俺をじっと見てくる。
「……赤染、命を狙われてるんだな」
「なに言ってるの、白雪くん。私にはさっぱりだよ」
「とぼけないでくれ!」
「……」驚く様子もなく、赤染はただただ黙り込んだ。
「夏休みに海へ行って以来、連絡が取れなかったこと、二学期から学校に来なくなってしまったこと、全部、自分が人間兵器ってことに関係があるんだろ?」
 ぴくり、と。意表を突かれたかのように赤染は目を開いた。どこにも情報は漏れていないはずなのに、と困惑している。
「どうして、それを」
「結城から聞いた。軍に殺されそうになったらしいな」
「……なんで、なんで、白雪くんは知ってるの——」
 そう言った瞬間、赤染の目の色が変わった。
 乾ききった目から、負の感情が溢れている。
「殺したのは私だよ。先に殺しに来たのはあっちだけど、死んでしまったのは、私じゃなくて、軍の人たち。私は生きてるんだよ。昨日、あれだけ打たれたり、刺されたり、殴られたりしたのにね。傷跡が一つも残ってない。これじゃ、ほんものの殺人鬼だよ。死ぬことのない、完璧な殺人鬼。そうでしょ? 白雪くん。私、なにも間違えたこと、言ってないよね?」
「……」
「美味しかったんだよ。人の血が。ご飯とか、お菓子とか、そんなものとは比べものにならないくらい。これが人の味なんだって、食べ続けたいなって、思ったんだよ。そんな私に、白雪くんはなにがしたいの?」
 色のない赤染の瞳が涙で潤んだ。
 ——助けて欲しいのだろう。ほんとうは。
 けれども赤染は、その答えを見つけられない。
 人を食べてしまうかも、人に迷惑をかけてしまうかも、といろいろと考えているのだろう。
 でも、赤染は、俺のことを食べなかった。
 どれだけ近くにいようと、我慢していたのだ。
 ならば赤染は、いつも通りの生活を送っていいはずだ。
「俺は、赤染を助けに——」
「……うるさい」
「……だから一緒に」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
「……赤、染——」
「だったら、私を助けに来たんだったら、どこかに行ってよ……」弱弱しく、赤染は俺を睨みつける。「私を助けたいなら、早く、どこかに行ってよ。お願いだから……」
「嫌だ」
「なんで! 白雪くんは私のために来たんでしょ? だったら、私の言うことを聞いてよ。それが、私にとっての救いなんだから!」
「……」
「私は、白雪くんのことを大切な人のままで終わらしたい。好きな人のままで終わらしたい。でも、この体が、私の言うことを聞いてくれないの。食べろ、食べろ、って訴えてくるの。白雪くんは、私の食糧なんだって、私にとっての栄養なんだって、言い聞かせてくるの。でも、私は、そんな目で白雪くんのことを、見たくない……」
 なにも言い返せずにいると、赤染は頭を抱えて膝まづきそうになった。
「赤染!」
 体が勝手に、手を差し伸べていた。
「——触らないで!」
 俺の手が、はじかれた。
「もういいから! 速く出て行ってよ!」
 顔を覆った手の隙間から、赤染は獣みたいな目で、俺を睨みつけてくる。
「俺は出て行かない! 赤染は連れ出すまでは!」
「ああああああああああああああああ!」
 赤染の叫び声が聞こえたとき、俺の視界から、赤染が消えていた。
 ——きっと俺は、殴られたのだろう。
 視界の位置が、みるみると下がり、背中から地面に落ちる。
 「がっ!」
 あばらにヒビが入ったような気がした。
 吐血はしないが、頭皮から流血している。
「……まただ。また、殺しちゃった」
 赤染の膝まづく音が聞こえた。
「私は、私は—— みんなと一緒にいたいだけなのに……どうして、こうならなくちゃならないの。私、なにも悪いことしていないのに……」
 赤染は泣いた。
 どこにでもあるような、そんな生活を送りたいと泣いた。
 そんな赤染が泣く姿なんて、見たくない——
「……俺を、勝手に、死んだことにするな」
「……え」
「やっぱり、赤染は、人間だ」
 体を起こそうとすると、全身が鞭で叩かれたかのように痛くなった。
 蹲りたかった。痛い、痛い、と言って、立ち上がりたくなかった。
 でも今は、痛いだなんて言っている暇はない。
「……」わけがわからない、とでも言いたそうな顔をして、赤染は、だらりと膝まづいている。
 俺は、そんな赤染の前で、腰を下ろした。
「今ので全部、わかったよ」
「なんで、どうして……」
「確かに赤染は、人を食う化け物かもしれない。おまけに、人を簡単に殺められる力まで持っている。武装した軍人に生身で勝つくらいだからな」
「それなら! 私は、人じゃない……」また俯いてしまった。
「人を食うから人ではない。兵器みたいな強さだから人ではない。赤染は、そう言いたいんだろ?」
「そうだよ! これのどこが人なの! 私は人が粉々になるまで殴って、蹴って、食べた! そのとき罪悪感なんてなかった! これのどこが人なのよ!」
「——なら、どうして泣いてるんだ?」
「……」
「それに、さっきはどうして、俺を殺さなかった? もしも俺を食べたいなら、殺すのが一番手っ取り早いだろ?」
 自分でも驚くくらいに冷静だ。
 口が、自然と動き続ける。
「俺は今まで、怯えながら生きてきた。父親のようにはなりたくない、絶対にならないんだってな。怖い未来から逃げるようにしか、俺は人生を歩んでこなかったんだ。でも、それを変えてくれたのは赤染なんだ。迎えたい未来に努力する大切さを、赤染は俺に教えてくれた。だから今、俺はここにいる。赤染と、これからも一緒にいたいから、ここにいるんだ」これでは、告白と取られても仕方がない。けど、それでもよかった。
「……」赤染は疑いの目を俺に向けた。「……いいの? 白雪くんは。だって私は、人を殺したんだよ?」
「そんなの関係ない。第一、襲ってきたのはあっちからだろう? それなら正当防衛だ」
「私、また人を食べるかもしれないよ?」
「大丈夫だ。俺の血ならいくらでもやるし、医療に携われば血くらいは手に入るだろう。それに、赤染はもう、人を食べない。だって、今まで一緒にいた時間が、それを証明しているじゃないか。だから、大丈夫だ。安心しろ——」
「……ありがとう、白雪くん……」
 そう言うと赤染は、ゆっくりと抱き着いてきた。 
「ほんとうに、ありがとう。こんな私を、助けてくれて——」
 ぎゅっと。
 力強く、赤染は引き付けてくる。
「が、離してくれ、息が」
「ありがとう。ありがとう。白雪くんに会えて、ほんとうによかった」
「頼む、離して、くれ——」
 意識が遠のいてゆく。
 離してくれ、と頼んでも、赤染は俺を離してくれない。
 それほど苦しかったのだろう。助けてくれる人がいなかったのは。
 ならば俺が君を守って見せる。
 俺を暗闇から救い出してくれた君を、救い出して見せる——
 

 あのあと俺は、作戦の内容を赤染に伝えた。赤染のやることは案外簡単だから、すんなりと納得してくれた。この島から脱出したあとも宜しくねって赤染は微笑んでくれた。それだけで俺は、戦うためのエネルギーが蓄えられたような気がした。一学期のとき俺は、アヤスマ、になんて興味を持たないだろう、笑顔一つで頑張ろうだなんて思わないだろう、と思っていたが、たった半年くらい一緒にいただけで、こんなにも変わってしまうとは、俺も簡単なやつだな、なんて考えてしまう。
 赤染と別れてから俺は、赤染と別れて結城の家に向った。
 作戦の内容を伝えるだけだから電話でもよかったが、なにせ相手は軍だ。電波を拾われて作戦が筒抜けになってしまったら、俺たちの勝ち目がほんとうになくなってしまう。それにこの作戦は、紅野が言っていたことをもとにして練ったものだから、確実に成功するとは限らないのだ。
「——よお、どうした? 夜中に訪問してくるって、今までに一回もなかったよな」
 寝間着姿の結城が玄関に出てきた。
「結城に話しておきたいことがある」
「なんだそれ?」結城は目を擦った。
「とりあえず、家のなかに入っていいか?」
「ああ。別にいいけど」
 どうぞ、と言わんばかりに、結城は道を開けた。
 靴を脱ぎ、暗い廊下を歩き、俺と結城はリビングに入る。
「あれ。結城の部屋って、こんなに質素だったか? 前まで天体観測するための道具とか、カメラとか、いろいろあったのに」部屋には布団に机に椅子しかない。これから引っ越しでもするかのようだ。
「もう片付けたんだよ。全部、あそこのダンボールに入ってる」
 結城が指差した方を見ると、そこには段ボールの山があった。部屋の隅にできた段ボールの山は、地震が起きたら倒れてくるだろう。
「白雪は片付けたのか?」
「まだだな。でも、そろそろ始めないと。残り一週間しかない」
「まあ、白雪の部屋は勉強道具に机しかないからな。そんなにかからないだろう」
「皮肉しているように聞こえるのは気のせいか?」
「気のせいだ」
 そこの椅子に座りな、と言い、結城はキッチンに行った。
「はい、コーヒー。これで今夜は眠れなくなるぞ」結城が俺に渡してきた。
「そんなに長く話さないよ」ニ十分くらい話して帰ろうかと思っていた。
「まあ飲めって。この家でコーヒーを飲めるのは最後だぞ」
「そんな言い方するな。そもそも俺がこの家に来たのは、今回も含めて三回しかないんだぞ」
「なんだよ、その言い方。まるで俺の家に思い入れがないみたいじゃないか」
「素直に話したいって言えばいいものを」これ以上、コーヒーを飲むか飲まないかで揉めていても時間の無駄だ。俺は湯気の出ているカップを手に取り、一口コーヒーを飲む。
「そう。それでいいんだよ。一日くらい、ゆっくりしていけよ」結城は嬉しそうだ。「それで、作戦ってなんだ?」椅子に腰を下ろしながら言う。
「赤染を助ける作戦だ」
「赤染って。その前に赤染と会えたのかよ」
「会えた。それで話した。やっぱり赤染は、死にたくないってさ」
「死にたくない以前に、よくそこまで話し込めたな」結城はカフェオレを啜る。「どうやって赤染と対面したんだよ」
「特別なことはなにもしてない。赤染の家に、配達員のふりをして潜り込んだんだだけだ」
「やっと、覚えたんだな。人を騙すってことを」ニヤニヤと結城は笑った。
「その言い方だと語弊が生じる」
「いやいや。俺は嬉しいんだよ。白雪が自分の生きがいを見つけてくれて」
「なんだよ急に。俺は思い出話をしに来たわけじゃないんだ」
「やっぱり、話しの脱線は受け付けないか」
 あはは、と結城は苦笑した。
「じゃあ本題に入るか」結城は改まって言った。「その作戦とやらはなんだ? しかも相手は軍だぞ? 一般人が太刀打ちできる存在ではない」
「いや。一般人だからこそできる、作戦が一つだけある」
「なんだそれ」
「じゃあ今から説明する——」
 そこから俺は今回の作戦について説明した。赤染に頼んだこと。俺がすること。それから、結城に頼みたいこと。
 一気に話し過ぎたせいか、最初の反応はいまいちで、うんうん、と頷いていても理解していない様子だった。けれども、紙に図を書きながら説明すると、結城は納得したのか、そういうことか! と賛成してくれた。
 作戦を一通り聞き終わり、結城はカフェオレを飲んだ。
「なるほど。つまり今回の作戦は、生徒会長、SNS、それから島の住人を使った、鉄壁な防御作戦ってことかぁ」
「そうなる」
「にしてもよく考えたな。紅野の発言が嘘だった場合、この作戦は破綻しそうだけど。賭け要素はかなりあるな」
「俺の頭じゃ、これが限界だ」
「でも、これくらいで十分だと思うぞ。この島から赤染を脱出させれば、こっちに勝利の女神が降臨しやすくなるからな。生徒にスパイみたいのがいなければ成功するだろう」
「だな。仮にいたとしても、赤染にアプローチをかけてくるに違いないから、すぐにわかる」
「確かに。紅野の発言を解析すると、それしか手段はないからな」
「他に疑問点は?」
「ない。あとは実行するのみだ——」
 ひとまずこれで大丈夫だろう。
 俺の身に、なにかあったときの代役は任せられる。
「じゃあ早速、紅野だけがいないラインのグループを作るか」
「おーけー」結城はポケットから古い方のスマホを取り出して使った。「紅野に渡したやつ、もう帰ってこないだろうな」
「……」
 申し訳なくなった。嫌な出来事を思い返させてしまった。
「そう暗い顔するなって。俺はもう大丈夫だから。俺のスマホを取り返すためにも頑張ろうぜ」
「そうだな」
「俺は紅野を装って、グループに参加すればいいんだろ?」
「それで大丈夫だ。結城がいない理由は、スマホを川に落とした、でいいよな?」
「文句なし。あとは全員入ってきたあと、先生にサプライズしたいから、学校でこの話をするのは禁止、も忘れずにな。そうすれば紅野に情報が回りにくくなるだろう。それに、卒業式の写真撮りごときに、みんなザワつかないだろ」
「だな。集合写真は恒例行事のようなものだから、学校で話題にすらならないだろ。あとは祈るしかないな」
 一週間後の卒業式の日に全てが決まる。
 これは予想だが、紅野たちが赤染を処理してくる日は、卒業式の日に合わせてくるはずだ。いつ暴走するかわからない赤染、機密情報を漏らす可能性のある一般市民が減るタイミング、これらを踏まえて考えた結果だ。
 作戦を伝えたあと、俺と結城は結局、思い出話に浸かった。幼稚園の頃にタイムカプセルを埋めたとか、小学生のときは、自由研究の課題でペットボトルロケットを連射するためにジュースを無駄買いしていたら母親に怒られたとか、そんな話をした。
 こんな平和な時間を、赤染とも送りたいと、俺は強く願った。