こうして対峙しているだけで、体の震えが止まらない。
恐怖で心が折れてしまいそうになる。
それでも。
僕は我慢をして、剣を握り、地面を蹴る。
「やぁあああっ!!!」
全力、全速の一撃を叩き込む。
我ながら、それなりの攻撃を繰り出すことができたと思うのだけど……
しかし、僕の剣がソフィアに届くことはない。
幻のようにソフィアの姿が消えて、僕の剣は宙を薙ぐ。
直後、右側から強烈なプレッシャーが。
反射的に、振り抜いたばかりの剣を強引に傾けて、盾とした。
ギィンッ!!!
痛烈な衝撃と共に、遠くまで吹き飛ばされた。
「あっ……」
あちらこちらの痛みを無視して起き上がると、真ん中から折れた剣が見えた。
この剣は、今日の稽古のために、街の武具店で買ったものだ。
名剣というわけではないのだけど、でも、複数の金属を重ねた合金製で、よほどのことがないと折れないと聞いていたのだけど……
あっさりと折れていた。
いや。
それだけソフィアがすごいということか。
今の一撃も、全力ではないと思う。
牽制の一撃にすぎないと思う。
それで、こんな風に剣を叩き折ってしまうなんて。
「どうしました? もう終わりにしますか?」
「ううん、まだまだ!」
剣を交換して、再び構える。
今までの稽古では、僕は、そこそこソフィアと戦うことができていた。
身体能力と才能がすごいらしく、勝つことはできないものの、それなりの時間、食らいつくことができた。
ある程度の自信があった。
でも、それは思い上がりだ。
稽古では、僕はソフィアとそれなりの間、戦うことができるかもしれない。
しかし、真剣勝負となれば別だった。
限りなくそれに近い稽古では、僕の力なんてちっぽけなもの。
彼女にぜんぜん届くことなく、いいようにあしらわれてしまう。
それでも。
「はぁあああっ!!!」
「やあっ!!!」
「うわあああぁ!!!」
やはり、僕の剣は一切届かない。
何度も何度も吹き飛ばされて、あるいは眼前に剣を突きつけられて。
これが実戦だったら、僕はもう、百回以上死んでいるだろう。
稽古を始めて、何時間が経っただろう?
全身はボロボロだ。
骨が折れているとか、致命傷とか、ソフィアが気をつけてくれているため、そういうことはないのだけど……
それ以外の傷はあちらこちらにあって、こちらの方がキツイかもしれない。
真綿で首を締められるような苦しさ、辛さがあり、体と心が悲鳴をあげていた。
「……まだ続けますか?」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……も、もちろん!」
「何時間も剣を交わして、未だ、一度も私に届いていません。それでも、まだ続けますか?」
「それは……」
「本気の私と戦うことは、怖いですね?」
「……」
「なら、無理をする必要はありません。ここで退いたとしても、私はフェイトを責めません。誰も責めません。むしろ、今までよくがんばったと、褒められるくらいだと思います。なので、そろそろ終わりにしませんか?」
「でも……それは、だけど……」
諦めろ、と言われているような気がした。
剣聖であるソフィアからしたら、僕の力は大したことはない。
身体能力が高くても、実戦となれば大したことはない。
そう言われているような気がして……
……いや。
ソフィアが無意味にそんなことを言うわけがない。
彼女は厳しいところはあるが、でも、それ以上にとても優しい女の子だ。
今の言葉には、なにかしらの意図があるはず。
その目的は……
「……あ」
ふと、気がついた。
僕は今まで、ソフィアに対する恐怖を乗り越えようと、がむしゃらに剣を振ってきたのだけど……
でも、無理に恐怖を乗り越えて、どうしようというのか?
結局、無理をしていることに変わりはなくて、歪なままで……そんな状態で、成長したといえるのだろうか?
そんなことをするよりも、むしろ、恐怖を受け入れるべきじゃないか?
蛮勇は勇気じゃない。
恐怖を無理に押さえつけるのではなくて、無理矢理乗り越えるのではなくて。
全てを受け止めて、自分のものにして……そして、前に踏み出す。
それこそが、きっと……正しい道だ。
「……」
いつまで続けるの? と問いかけてくるソフィアに、僕は剣を構えることで答えた。
ソフィアも剣を構える。
その口元は、若干、笑みが浮かんでいるように見えた。
僕がやるべきことは、乗り越えるのではなくて受け入れること。
それを力にして、剣を己のものとする!
「はぁあああああっ!!!!!」
恐怖、焦り、怯え……ありとあらゆる負の感情を心で受け止めて、それを力として剣に乗せる。
それをソフィアに向けて、一気に叩きつけた。
「……」
「……」
僕の剣は、ソフィアに届かない。
しかし、初めて防御をとらせることに成功した。
剣と剣がぶつかり、ギリギリと競う。
ただ、そこが限界だった。
もう競う力が残ってなくて、手から剣がこぼれ落ちてしまう。
そのまま体も倒れて……
「おつかれさまです、フェイト」
薄れゆく意識の中、優しく笑うソフィア見えた。
「……んぅ?」
暗闇の底に沈んていた意識が、ゆっくりと浮上した。
目を開けると、僕達が泊まる宿の天井が見えた。
それと一緒に、ぴょこぴょこと犬耳を落ち着きなく動かしているアイシャの姿も見えた。
僕はベッドに寝ていて……
そんな僕を、アイシャがじーっと覗き込んでいるらしい。
「あっ」
「……おはよう」
「おとーさん!」
アイシャが、ぎゅうっと抱きついてきた。
まだまだ小さいので、重いということはない。
「うぅ」
体を起こすと、アイシャの尻尾がシュンと垂れ下がっているのが見えた。
不安になっている?
アイシャの頭を撫でつつ、問いかける。
「どうしたの、アイシャ?」
「……おとーさん、ずっと寝ていたから心配した」
「ずっと?」
「フェイトってば、丸一日、寝ていたのよ」
ふわりと、そんな声が上から降ってきた。
視線を上げると、リコリスが両手にクッキーを持って、ポリポリと食べつつ飛んでいる。
……器用な真似をするね。
「丸一日も?」
「そ。だから、この子も心配したっていうわけ」
「そっか……ごめんね、アイシャ。心配をかけちゃったみたいで」
「おとーさん、大丈夫……?」
「えっと……」
一度、アイシャに離れてもらい、体を軽く動かしてみる。
動かないところはないし、痛みが走るということもない。
「うん、大丈夫。ずっと寝ていたせいか、ちょっとだるいくらいかな」
「よかった……」
もう一度アイシャを抱き寄せて、頭を撫でる。
そうしていると落ち着いてきたらしく、シュンと垂れ下がっていた尻尾が立ち上がり、左右にフリフリと揺れだした。
かわいい。
ウチの娘は世界で一番じゃないだろうか?
「って……そういえば、ソフィアは?」
アイシャとリコリスはいる。
でも、ソフィアの姿が見当たらない。
「ソフィアならそこにいるわよ」
「そこ?」
リコリスが指差す方を見てみると……
「……」
こちらに背を向けて、部屋の隅で小さく丸くなっているソフィアの姿が。
「ソフィア?」
「……っ……」
声をかけると、その背中がビクリと震えた。
それだけで、振り向いてくれない。
「ねえ、ソフィア?」
「……」
「えっと……どうしたの? そんなところで、虫みたいに丸くなって……落ち込んでいるみたいだけど、なにかあった?」
「……」
何度か声をかけると、ソフィアはゆっくりとこちらを見た。
その目には、涙が。
それと、たまらなく不安そうな表情。
そして……
「……ご」
「ご?」
「ごめんなさいいいいいぃっ!!!」
今度は、ものすごい勢いで頭を下げた。
もう、なにがなにかわからない。
「ごめんなさいっ、すみませんっ! 本当に申しわけありません!」
「え? え? なんで、ソフィアが僕に謝っているの? ねえ、どうしたの?」
「だって……フェイトが丸一日も寝ていたのは、私のせいですから」
「なんで?」
「覚えていないのですか? 私と本気の稽古をして……」
「あ、うん。それは覚えているよ」
本気で死ぬかと思うような、厳しい稽古だった。
だから、体も心も疲れ果ててしまい、丸一日、寝てしまったのだろう。
「私のせいで、フェイトがここまで……うぅ……本当にすみません」
「あ、そういう」
やりすぎたと思っているのだろう。
それで、落ち込んでいるのだろう。
「ごめんなさい、フェイト……言い訳になってしまうのですが、私、剣のことは本気になると加減ができず……そ、それと、本気にならないとフェイトのためにならないと思い……う、うううぅ……嫌いにならないでください、フェイト……」
ソフィアは子供のように泣き出してしまった。
すごく不安そうにしていて、しゃくりあげていた。
まったくもう。
アイシャに目で合図をして、僕の上から降りてもらった。
僕はベッドから降りて、ソフィアのところへ。
そして、大事な彼女をしっかりと抱きしめる。
「……あ……」
「嫌いになんて、なるわけないじゃないか」
「で、でも私、こんなことになるまでフェイトに……」
「それは僕が望んだことだよ。強くなりたい、って……ソフィアの隣に立ちたいと願ったから、本気での稽古を望んだんだよ。むしろ、本気でやってくれて感謝しているよ」
「本当ですか?」
「本当だよ」
「本当の本当ですか?」
「本当の本当だよ」
「本当の本当の本当ですか?」
なんだろう。
ソフィアが幼児退行してしまったかのようだ。
こんな時になんだけど、こういうソフィアもかわいいな。
甘えられているような感じがして新鮮で、あと、彼女の温もりがうれしい。
「私のこと……嫌いになっていませんか?」
「まさか。僕は、いつでもどんな時でも、ソフィアが大好きだよ」
「……うぅ……」
ぶわっと、ソフィアの目から涙があふれた。
そのまま、両手をこちらの背中に回して、強く強く抱きついてくる。
「フェイトっ、フェイトっ! うぅ、私も好きです! フェイトが一番なんですぅ!」
「うん、僕もソフィアが好きだよ」
ぽんぽんと、ソフィアの背中を撫でつつ、素直な想いを口にして……
「見なさい、アイシャ。あれが、バカップルっていうヤツよ」
「おー。おとーさんとおかーさん、ばかっぷる」
そこ、変なことを教えないように。
「うぅ……恥ずかしいです」
あれからしばらくして、ソフィアが落ち着きを取り戻して……
そして、今度は真っ赤になった。
幼児退行して、大泣きしてしまったのだから、まあ、気持ちはわからないでもない。
でも、僕はうれしく思っていた。
だって、それだけ彼女が僕のことを大事に想ってくれているから。
そのことがしっかりと伝わってきて、リコリスとアイシャの目がなければ、ニヤニヤして、ソフィアを抱きしめてしまいそうだ。
……とはいえ、そういうことは後で。
まずは、エドワードさんに認めてもらわないといけない。
そのために、漆黒の剣鬼を捕まえないといけない。
まあ……エドワードさんの件がなくても、漆黒の剣鬼なんて物騒な存在を放置しておくことはできない。
リーフランドは僕の故郷じゃない。
でも、ソフィアの故郷で、大事な街だ。
困っていることがあるのなら、なにかしたいと思う。
「それで……フェイト、体は大丈夫ですか?」
「うん、問題ないよ。丸一日寝ていたみたいだから、ちょっとだるいけど、それだけ。動けばすぐに解消されると思うし、今からでも、漆黒の剣鬼にリベンジマッチを挑みたいくらいかな」
「わざわざフェイトが戦わなくても、いいのですよ? 私がお手伝いをすれば、問題なく……」
「ううん、それは最後の手段で」
ソフィアと稽古を重ねた今の僕なら、漆黒の剣鬼に手が届きそうな気がする。
戦い方の覚悟が決まったというか……
技術は短時間で伸びることはないのだけど、心の方は、これ以上ないほどに鍛えられたと思う。
それでも手が出ないのなら……
悔しいけど、その時はソフィアにお願いしよう。
できることなら僕が、と思わないでもないのだけど、でも、僕のプライドよりも街の人の安全が第一だ。
「そういえば、今は何時?」
「もうすぐ、陽が沈み始める頃ですよ」
「なら、ちょうどいいタイミングかな」
ギルドの情報によると、漆黒の剣鬼がもっとも盛んに活動する時間帯は、夜だ。
前回は、昼に遭遇したのだけど……
たぶん、あれは偶然だろう。
また起きるかわからない偶然を期待するよりは、情報を頼りに、夜の街を散策した方がいい。
「それじゃあ、まずはごはんを食べようか」
「ごはん……ですか?」
「フェイトってば、いつの間にそんな食いしん坊になったのよ?」
「丸一日、なにも食べていないから、お腹がペコペコなんだ。肝心な時に空腹だと力が出ないし、それに……」
「それに?」
「アイシャもお腹が空いているみたいだから」
よく見たら、アイシャの尻尾が落ち着きなくフリフリされている。
時折、お腹を押さえていて……
たぶん、ずっと看病してくれていたんだろうな。
「あぅ」
アイシャは恥ずかしそうにするものの、僕からしたら、それは勲章のようなもの。
うん、かわいい。
「そういうことなら、まずは食事にしましょうか」
「まー、あたしもクッキーじゃ物足りないって思ってたけど、そんなにのんびりしてていいの? 例の殺人鬼が、早く活動するかもしれないのに」
「大丈夫」
「やけに自信たっぷりね。相手の出方が想像できるの?」
「うん」
漆黒の剣鬼の姿を思い返しつつ、断言するように言う。
「ヤツの次の狙いは、たぶん、僕だから」
――――――――――
漆黒の剣鬼は男。
その得物は、見たことがない種類の剣で、かなりの業物に見えた。
人を襲っているのは……
たぶん、剣の試し切りをしているのだろう。
己の力を過信して、武器の力に酔い、凶行を繰り返している。
そんなタイプの人間に心当たりがある。
シグルドだ。
ヤツは、シグルドと同じタイプだと思う。
自分に絶対的な自信を持っていて、そして、プライドが異常なまでに高い。
寡黙ではあったのだけど、ソフィアが現れて、僕にトドメを刺せなかったことをとても腹立たしく思っているだろう。
なにしろ、漆黒の剣鬼と戦い、生きているのは僕だけなのだから。
それが、ヤツのプライドを傷つける。
傷ついたプライドを回復させるには、僕を斬るしかない。
故に、ヤツの次のターゲットは僕だ。
「……と、いうわけ」
ごはんを食べた後、僕の推理をみんなに聞いてもらう。
「なるほど……私はチラリと見ただけですが、確かに、漆黒の剣鬼はプライドが高いように見えました」
「見ただけで、そんなことわかるわけ?」
「気配や足運びなどで、大体の性格はわかりますよ」
「ソフィアって、怖いわね……」
「ちなみにリコリスは……ふふ、言わないでおきますね」
「言ってよ!? そこで内緒にされると、めっちゃ気になるんですけど!?」
「おかーさん、わたしは?」
「アイシャは、とても優しくてかわいくて、天使みたいな女の子ですよ」
「えへへ」
とても微笑ましい光景だ。
リコリスが騒いでいるものの……
まあ、それはいつものこと、ということで。
「だから、僕をエサにすれば、わりと簡単に誘い出せると思う」
「フェイトをエサにするというのは、ちょっと賛成できないのですが……」
「ごめんね、ソフィア。心配してくれているのはわかるんだけど、今回は、僕のわがままを許してくれないかな?」
「ですが……」
「僕にも、プライドはあって……まあ、それはわがまま以外の何者でもないんだけど。でも、ここで折れたらダメだと思うんだ」
「……フェイト……」
もっと強くなるために。
ソフィアにふさわしい男になるために。
ここで、漆黒の剣鬼という壁を乗り越えないといけない。
「だから、お願い。僕に任せてほしい」
「……」
「ソフィア」
「うぅ……もう、わかりました。わかりましたよ」
ソフィアは困ったような顔をして、ため息をこぼして……
それから、親のような感じで微笑む。
「私が守らなければ、と思っていたのですが……フェイトは、やっぱり男の子なのですね」
「ありがとう」
こうして、僕は再び、漆黒の剣鬼と戦うことを決めた。
舞台は夜。
僕は一人で、薄暗い街の裏路地を歩いていた。
リーフランドはきちんと整備された街だけど、それでも、手の届かないところはある。
僕が今いるところは、その象徴のようなところだ。
街灯は少なく、ゴミが散らばっている。
防犯的にも衛生的にもアウトだ。
軽く調べたところ、エドワードさんは現状をなんとかしようとしているらしい。
ただ、予算やスケジュールの都合で、一気に手をつけることができないとか。
地道な道ではあるが、コツコツと取り組んでいるようだ。
ただ、今回はこうした場所があることに感謝だ。
この場所なら、襲撃にはピッタリだろう。
「はは」
襲撃を望むというのも、おかしな話だ。
ついつい苦笑してしまう。
ちなみに、ソフィア達は一緒じゃない。
ソフィアは、念の為にアイシャの傍に。
リコリスはそのお供。
だから、援護はない。
僕一人でなんとかしなければいけない。
でも、不安はない。
むしろ、覚悟が決まったような感じで、ビシリと気持ちが引き締まっていた。
「……」
異質な気配を感じて、足を止めた。
振り返ると、漆黒の剣鬼の姿が。
「こんばんは」
「……」
とりあえず、挨拶をしてみるものの返事はない。
もしかしたら、コミュニケーションが可能かもしれない。
リベンジはしたいけど、でも、戦いを避けられるのなら避けた方がいい。
そう思って、声をかけ続ける。
「久しぶり、っていうほど時間は経っていないか。あれから元気にしていた?」
「……」
「たぶん、僕が誘っていることを知りつつ、出てきてくれたんだよね。うん、ありがとう」
「……」
「僕もあなたも、リベンジマッチがしたい……でも、できるなら戦わない方がいいと思うんだ。自首するつもりはないかな?」
「……」
色々と言葉を投げてみるものの、反応はない。
応える代わりに、男はゆっくりと剣を抜いた。
夜の闇よりも深い、漆黒の剣だ。
……ちょっと待てよ?
その剣、どこかで見たような。
「……もしかして、魔剣?」
「……っ……」
初めて男に反応が。
警戒するように、こちらを睨みつけてくる。
「正解みたいだけど……でも、やる気になっちゃったみたいだね」
「死ね」
「はい、なんて言うわけがないよ!」
こうなれば、当初の予定通り、剣で決着をつけるだけだ。
僕は、雪水晶の剣を抜いて、正眼に構えた。
ソフィアに稽古をつけてもらったものの、たったの一日で劇的に強くなれることはない。
技術は向上していない。
でも、心はものすごく鍛えられた!
「はぁっ!」
未知の力を持つ相手に怯むことなく、こちらから仕掛けた。
前に踏み込むと同時に、剣を振り下ろす。
自分で言うのもなんだけど、流れるような動作で無駄はない。
それでいて、岩を砕くほどの力が込められている。
正直なところを告白すると、前回、僕は漆黒の剣鬼に心で負けていた。
突然の戦闘。
そして、異質な気配。
不気味な剣を手にして、死の気配を濃厚にまとう姿に、どこかで恐怖を覚えていたのだと思う。
だから、負けそうになった。
力とか技術とか、そういうのは関係ない。
すでに心が折れていたのだから、どうやっても勝てるわけがない。
でも、今は違う。
これでもないくらいに、ソフィアに鍛えられた。
技術はともかく、心は何倍もレベルアップしたと思う。
だから……
「今回は、負けないっ!!!」
「っ!?」
踏み込み、回転しつつ剣を横に薙ぐ。
さらに剣を跳ね上げて、斬り上げた。
そこで終わることはない。
ありとあらゆる角度から、何度も何度も斬りつける。
体が軽い。
前回はできなかった動きが、今は簡単にできるようになっていた。
これも全部、ソフィアに鍛えてもらったおかげだろう。
恐怖に体が縛られることはなくて。
僕が思うように……いや、思う以上に自由に動くことができる。
「……やるな」
ぽつりと、男がつぶやいた。
言葉ではなくて剣をぶつけたから、彼はそれに応えたのかもしれない。
「前回とはまるで動きが違う」
「それなりに鍛えたからね」
「そうか……」
男は不愉快そうに唇を歪めた。
初めて、彼が感情を乱すところを見たような気がする。
「相変わらず、不愉快なガキだ……」
「なんだって?」
「あの時も生意気な口を……この俺に……」
「あなたは……」
僕のことを知っている?
でも、殺人鬼に知り合いなんて……
いや、待てよ?
この声、この体格……
「あなたは、もしかして……以前、食堂でレナと揉めた……?」
漆黒の剣鬼の正体は、軽い因縁のある冒険者だった。
「どうして、こんなことを!?」
答えが返ってくるかわからないのだけど、でも、問いかけずにはいられなかった。
僕達冒険者は、誰かのためにある。
自分のために力を使うのではなくて、困っている人を助けるためのものだ。
それなのに、通り魔になるなんて……
「……俺は、強い」
意外というべきか、返事があった。
ややかすれた声で、静かに言う。
「力を手に入れた」
「力……?」
「全て、俺の前にひざまずくべきだ……そう、そうでなければいけない。だから、従わない者は斬る……そう、斬らなければいけない。もう二度と、あの男に負けるわけにはいかない。屈するわけにはいかない」
ぶつぶつと言葉を並べるものの、意味がわからない。
この人は、いったいなにを言いたいのだろう?
突然、話が飛んだかと思えば、脈絡のない言葉を並べて……
意味不明すぎる。
こんなことを言うのはなんだけど、正気なのだろうか?
「あの男……エドワードを……斬る!」
「なんだって?」
エドワードさんの関係者?
だとしたら、いったい……
目を見る。
男の目は、川底のヘドロのように淀んでいた。
見ているだけで、吸い込まれてしまいそうな、そんな錯覚を抱く。
「あなたは、いったい……」
「そう……俺は、勝者になる。ならなければいけない」
「あっ……!? その剣、もしかして……?!」
男の剣は初めて見るのだけど、しかし、見覚えがあった。
そんな矛盾した感想。
漆黒の刃は、わずかに湾曲している。
赤い宝石がハメこまれていて、血のような輝きを放っている。
心がザワザワとするような感覚。
本能的な嫌悪感。
間違いない。
これは……魔剣だ。
「あなたは、どこでその剣を……?」
「ウゥ……」
「もしかして、様子がおかしいのは、その魔剣のせい? 魔剣は人を狂わせる……? でも、ドクトルは……」
いや、まった。
ドクトルは、一見、正気に見えたけど……
その行いは狂気意外の何者でもなかった。
もしかして、ドクトルも魔剣に侵されて狂っていた?
「お前は、俺の正義を邪魔するのだな? ならば、断罪しなければならない。そう、これは世界のためなのだ」
「その剣を捨てろ! その剣は……ダメだ!!!」
このまま放置したらいけない。
この人にとっても、他の人にとっても、災厄にしかならない。
危機感を覚えて、頭の中で警報が鳴る。
それに突き動かされるまま、僕は前に踏み出した。
「はぁっ!!!」
全力の上段斬り。
しかし、敵もさるものながら、しっかりとした動きで僕の攻撃を受け止めてみせる。
さらに連続で剣を叩き込むものの、全て防がれてしまう。
男の様子を見る限り、自我があるか非常に怪しい。
ただ、その技は体に染み込んでいるのか、剣の腕はまったく衰えていない。
むしろ、魔剣を手に入れたことで、さらに強くなっているみたいだ。
「さあ、死ね!」
男のカウンター。
僕の連撃のわずかな隙を突いて、懐に潜り込んできた。
その勢いのまま、こちらの胸に剣を突き立てようとする。
速い!
まるで風のような攻撃だ。
体を捻り、ギリギリのところで避ける。
男の攻撃は止まらない。
今度は自分の番というように、立て続けに剣を振る。
右から左へ。
跳ねたように斜め下へ飛び、そこから直上へ跳ね上げる。
変幻自在の剣筋というべきか。
速度がすさまじいだけではなくて、動きもトリッキーなため、回避が精一杯だ。
「死ね! 死ね! 死ね!」
「わかりました、死にます……なんて言うわけないよ!」
「ならば……死ね!」
「ああもうっ、会話が成り立たない!」
説得は不可能。
倒すか……それとも、殺すか。
その二択しかないだろう。
できるのなら、前者にとどめたいのだけど……
そんな余裕、あるかどうか。
「落ち着け、落ち着くんだ、僕」
一度距離を取り、深呼吸を一回した。
そして、ソフィアとの稽古を思い返す。
敵は強い。
とてつもなく強い上に、魔剣を持っている。
想定外の展開だ。
ただ……
恐怖はない。
これくらいなら、ソフィアの方が怖い。
稽古をした時の方が、何倍も怖い。
「……よし」
心を落ち着かせることに成功した。
今なら、多少はなんとかなるはず。
「神王竜剣術・壱之太刀……」
男が突っ込んできた。
一瞬で目の前に迫るほどの、脅威的な速度だ。
でも。
僕の方が速い!
「破山っ!!!」
全身全霊の一撃。
山を断ち割るような、極大の斬撃を繰り出してやる。
ここまできたら、男の生死を気にする余裕はない。
できるのならば、という思いはあるのだけど……
でも、僕の方が格下だ。
手加減する余裕なんてないし、そんなことを考えれば即座にやられてしまう。
ソフィアがいる。
アイシャがいる。
リコリスがいる。
僕を待ってくれている人を悲しませないためにも、悪いけど、僕自身を優先させてもらう!
ギィンッ!!!
鉄と鉄がぶつかる、甲高い音が響いた。
「ぐっ……!」
僕の全力の一撃を、男はしっかりと受け止めてきた。
ただ、さきほどと違い、反撃に移る余裕はないらしい。
刃と刃が競い合う。
力比べをする形となり、互いに全力で剣を押し込んでいく。
「このぉ……!!!」
「ぐぅ!?」
全身の筋肉を使い、ありったけの力を振り絞る。
体ごと前に倒れるような感じで、剣を押し出した。
一瞬ではあるが、男が僕の圧に押され、バランスが崩れた。
その隙を見逃さない。
足で地面を蹴るようにして、さらに突撃。
全体重をかけて、押し切る!
ガッ!!!
ついに、男が完全に体勢を崩した。
僕の剣圧に負けて、吹き飛ばされる。
背中から壁に激突して、小さな悲鳴がこぼれるのが聞こえた。
このまま一気に……!
決着をつけようとするのだけど、
「っ!?」
ゾクリとした悪寒を覚えて、足を止めた。
距離を保ち、油断なく剣を構える。
「ぐっ、この俺が……なんてことだ、俺は正しい、正しいんだ……力こそ正義なんだ」
「なんだ……?」
今のとんでもない殺気……男のものじゃない?
男は確実にダメージが蓄積されているらしく、明らかに動きが鈍っていた。
そんな彼が、あんなにも冷たく鋭利な殺気を放つことができるとは思えない。
だとしたら、今のはいったい……?
「……いや」
考えるのは後だ。
今は、この男との決着を。
「……」
「……」
こちらが戸惑っている間に、男は体勢を立て直してしまう。
ただ、すいぶんと弱体化しているように見えた。
心なしか、魔剣も力を失いつつあるように感じる。
あと一歩、というところかな?
ただ、破山は近接専用の技だ。
手負いの獣ほど怖いというし、なるべくなら接近戦は避けたい。
リスクを恐れていたら、勝利を掴むことはできない。
でも、無謀な蛮勇は勇気とは違う。
「……よし」
少し考えて、覚悟を決めた。
剣を鞘に戻した。
その上で、左手で鞘を支え、右手でしっかりと剣の柄を掴む。
深く、深く構える。
脳裏にソフィアの姿を思い浮かべつつ……
その綺麗な動作を再現しつつ……
剣を抜く。
「神王竜剣術・四之太刀……」
駆ける。
駆ける。
駆ける。
どこまても高く。
誰よりも速く。
そして……抜剣。
「……蓮華」
ソフィアが見せた、超高速の抜剣術。
みよう見まねで、ソフィアが見たら、たくさんの粗を指摘されるだろうけど……
それでも、できた。
そして、届いた。
「……がっ」
男の魔剣が半ばから折れた。
それと同調するかのように、男は小さな悲鳴をあげて、崩れ落ちた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
念ために構えは解かないのだけど、男が立ち上がる気配はない。
胸元が動いているところを見ると、気絶しているだけのようだ。
よかった。
僕自身を優先すると決めたものの……
それでも、やっぱり、できるなら命は奪いたくないと思っていた。
僕は、こうして生き延びることができた。
そして、男を倒すことができた。
魔剣も折ることができた。
うん。
これ以上ないくらい、最善の結果だ。
「ふう」
もう大丈夫。
そう判断して、剣を鞘に収めた。
その時だった。
パチパチパチと、どこからともなく拍手が響いてきた。
「え?」
気配なんてなかった。
僕と男の他に、誰もいないはずだった。
それなのに、どこから……
いや。
いったい、誰が?
「いやー、すごいね。うん、本当にすごいと思うよ。おめでとう」
そう言って、笑顔を浮かべていたのは……レナだった。
「キミは……」
確か……この前、食堂で出会った女の子。
「レナ?」
「やった♪ ボクのこと、ちゃんと覚えていてくれたんだね」
「それは、まあ」
色々な意味でインパクトの強い女の子だった。
そうそう簡単には忘れない。
それに、まあ……
一応、告白をしてきた女の子だ。
そんな子をすぐに忘れるほど、薄情じゃないつもりだ。
「やっぱり強いんだね、フェイトは」
「もしかし、今の見て……?」
「うんうん。なにか起きてるなー、って思って覗いてみたら、フェイトとそこの男が戦っていたから、つい」
「けっこう危ない真似をするね……とばっちりを受ける可能性もあったのに」
「大丈夫。フェイトも知っていると思うけど、ボクは強いからねー」
あっけらかんと言うレナ。
その言葉は誇張や虚勢ではないだろう。
確かな自信と力を感じられる。
「その男、死んじゃった?」
「いや、生きているよ。けっこうなダメージを与えたから、治癒院に直行することになると思うけど……でも、死ぬまでの怪我じゃないはず」
「頑丈だねえ」
「うん……なぜか」
男が持つ魔剣に目が行く。
この魔剣が、男に力を与えるだけではなくて、尋常ではない耐久力も与えているのだろうか?
「その剣がどうかしたの?」
視線などから、僕が剣に注目していることに気がついたのだろう。
レナが、そんなことを尋ねてきた。
「なんていうか……僕もわからないことだらけなんだけど、この剣、特別なものらしくて」
「へー。名工が打った一品物とか?」
「どう……なんだろう? そういうまともな剣じゃなくて、もっとこう、歪で危険なもののように思えるんだけど……詳しくは知らないんだ」
「そう言われると、なんか危ない感じがするかもね」
軽く言いつつ、レナは魔剣をひょいっと気軽に手にしてしまう。
「あっ!?」
「うーん……重さは普通。握り心地も普通。でも、なんか、他の剣にはない力を感じるかも?」
レナに……異常はない。
なんてことないという様子で、剣についての感想を並べている。
迂闊に触れたら危険だと思ったんだけど……
そんなことはないのかな?
「フェイトも持ってみる?」
「えっと、それじゃあ……」
「あっ」
レナが僕に魔剣を手渡そうとして……
しかし、その直前に、ポキリと刀身が折れてしまう。
そこからヒビが全体に広がり……
最初に、埋め込まれている宝石が砕けた。
それと連動するかのように、剣も粉々に砕けて、塵となってしまう。
「「……」」
固まる。
レナも固まる。
ぎぎぎ、とぎこちなく動いて、互いに目を合わせる。
そのまま、しばらくの間、沈黙した。
「……これ、ボクのせい?」
「……どうなんだろう?」
「……見なかったことに」
「……それは無理かも」
「だよねー」
「あはは」
乾いた笑い。
「なんでぇえええええ!?」
ややあって、レナの悲痛な叫び声が響いたという。
――――――――――
その後、通報によって騎士団が駆けつけてきた。
それから、冒険者ギルドの関係者も協力して、現場検証が行われた。
今までの情報から、男が漆黒の剣鬼で間違いないという判断がされた。
ただ、僕との戦いで、男はそれなりの怪我が。
騎士団に併設されている治癒院に運び込まれることになり、尋問は後回しに。
代わりに、僕とレナが事情聴取を受けることになった。
僕は冒険者で、依頼を請けて動いていたため、特に怪しまれることはない。
ただ、レナは別。
他所からやってきた旅人らしく、身分を証明するものがない。
その上、魔剣を壊して? しまった。
男の仲間ではないか? と疑われることになり、根掘り葉掘り聞かれていた。
「うー……ひどい目にあったよ」
ようやく解放されたレナは、とても疲れているらしく、ぐったりとしていた。
僕は先に解放されていたのだけど……
一人だけ先に帰る、というのは薄情な気がして、待っていることにした。
ソフィアに知られたら怒られてしまいそうなんだけど……
うーん。
どうしてか、レナを放っておくことができないんだよね。
「おつかれさま」
「疲れたよぉ……ボク、なにもしてないのに犯人の一味じゃないかとか協力者じゃないかとか、あれこれ疑われるし」
「魔剣を砕いちゃったのがいけなかったのかもしれないね」
「それも、ボクのせいじゃないのに……はあ、とにかく疲れた」
ふらふらとしてて、ともすればそのまま倒れてしまいそうだ。
肉体的な疲労というよりは、精神的な疲労が強いのだろう。
「一緒にごはんでも食べる? おいしいものを食べて、元気を出して」
レナを誘ったのは、決してやましい気持ちからではない。
なんとなく、レナともう少し話をしたいと思ったのだ。
「おごり?」
「うん」
「おー! ……って、喜びたいところなんだけどね」
レナは、がくりと肩を落とす。
「ボク、ちょっとした用事の最中なんだよね。これ以上遅れたら、とんでもない大目玉をくらっちゃうから、残念だけど」
「そっか……」
「じゃあ、またね!」
レナはにっこりと笑い、手を振りながら立ち去る。
僕も手を振り返して……
「うん?」
なにか違和感を覚えるのだけど……
しかし、その正体に辿り着くことはできず、もやもやとした気持ちになるのだった。
フェイトと別れたレナは、何食わぬ顔で街の大通りを歩いて……
いくらかの細い道に入った後、隠れ家に移動した。
家の中に入り、はあああ、とため息をこぼす。
「疲れた……あと、危なかった……」
「やけに疲れているようじゃな」
隠れ家には、すでにリケンの姿があった。
優雅にお茶を飲みつつ、くつろいでいる。
「なにか失敗でもしたか?」
「ううん、それは大丈夫。あれこれ聞かれたけど、誰もボクのことを怪しんでいないから。ただ、ごまかすのがめんどくさくて疲れたー」
「なにかミスをしてのではないか?」
「してない、と……思う、よ?」
「したのか……」
やれやれと、リケンはため息をこぼした。
レナは優秀で、その戦闘力はリケンを超える。
しかし、諜報活動に関しては、やや不安を覚えるくらいの能力だ。
今回のようなミスをすることは多い。
「だ、大丈夫! ちょっと騎士団と接触することになったけど、怪しまれていないし」
「本当か?」
「本当、本当! あと、ちゃんと魔剣も処分しておいたよ」
男が持っていた魔剣は、意味不明に壊れたわけではない。
魔剣のことをよく知るレナが、自壊コードを発動させたのだ。
その場面をフェイトに見られたものの……
魔剣の知識がない彼からしたら、なにが起きたかさっぱりわからないだろう。
「当たり前だ。今はまだ、魔剣のことを世に知られるわけにはいかぬ」
「だよねー。魔剣は聖剣の対となる存在……聖剣が世界を救うのなら、魔剣は世界を壊す。物騒極まりないからねー」
「我らにとっては、こんなまがい物の世界は壊す以外の選択肢はない」
「まあねー」
「聖剣の方はどうだ?」
「あー……それね。やっぱりダメ。量産型の魔剣……しかも、使い手は適当極まりないザコ。それじゃあ、聖剣をどうにかすることはできないよ」
「ふむ……できることならば、聖剣も我らのものとしておきたかったが、剣聖が手にしているのならば仕方ないか」
「フェイトにも負けちゃうくらいだからねー」
「それで……作戦は、次の段階へ進めていいのじゃな?」
「うん、大丈夫。次は、あの男を使おう」
「了解じゃ。しかし……ミスをしたという割には、うれしそうじゃな?」
「そうかな? そうかも。えへへー」
レナは無邪気に笑う。
「ボク、本気でフェイトが欲しくなってきたかも」
――――――――――
ややスッキリしない結末ではあったものの……
でも、街を騒がせていた漆黒の剣鬼を討伐することができた。
すでに被害に遭った人については、安らかにとしか言えないのだけど……
でも、これ以上の被害が出ることはない。
それは幸いというべきだろう。
騎士団の調査に協力しつつ、事情を知り、駆けつけてきた冒険者ギルドの職員、それとギルドマスターに色々と説明をした。
結果、僕は依頼を達成したと判断された。
そして……
「というわけで、巷で話題になっていた漆黒の剣鬼は、フェイトが討伐いたしました」
「うぐ……」
「漆黒の剣鬼は、数々の冒険者を手にかけてきた実力者。その漆黒の剣鬼を倒したフェイトは、力があるという証明になりますね」
「むぐ……」
「そしてなによりも、フェイトは街の人のために戦いました。その心、想いは称賛させるべきだと思いますが」
「うぐぐぐ……」
場所は、再びソフィアの実家。
事件を解決した後、エドワードさんとの面会を約束することができて……
話をしに行ったところ、ソフィアが得意そうな顔で今回の事件のことを語り始めた。
「これでもまだ、フェイトのことは認めないと言うのですか?」
「ぐうううううっ……!」
反論する隙を与えられず、エドワードさんがとても悔しそうに唸る。
そして、僕のことを、ものすごい目で睨みつけてきた。
いや、あの……
なんか、ごめんなさい。
「ソフィア、そういう話ならやめておこう」
「え? ど、どうして止めるのですか? 今回の事件で、フェイトは決定的な手柄を立てることができたのですよ? それなら……」
「がんばってくれるソフィアには悪いんだけど、でも……やっぱり、今回の事件を利用するようなことはしたくないんだ」
少ないものの、すでに犠牲者が出てしまっている。
それなのに、事件を利用するようなことをしたら……
僕は、とんでもない愚か者になってしまうような気がした。
そんな胸の内を話すと、ソフィアは目を丸くして、次いで、仕方ないなというような優しい顔をした。
その隣で、エドワードさんが驚いていた。
「エドワードさんに認めてほしいけど、でも、もうちょっとまっすぐな方法をとりたいんだ。強い魔物を倒すとか、難しいダンジョンを踏破するとか。今回の事件も、手柄と言えなくもないけど……でも、犠牲者が出ているし、そのことを利用するのは不謹慎だと思うんだ」
「そうですね……すみません、フェイト。私が間違っていました」
「ううん。ソフィアは、僕のことを考えてくれたわけだから、怒ることなんてできないよ」
「はい」
ソフィアはうれしそうにして、
「……むう」
エドワードさんは、眉間にしわを寄せていた。
怒っているのだろうか?
それにしては、いつもの怒鳴り声が飛んでこないのだけど……
「……小僧」
「は、はい」
「……小僧が倒した男は、儂と因縁のある男だった」
「え?」
「そうなのですか?」
思わぬ事実を告げられて、僕とソフィアは目を丸くして驚いた。
「うむ。ヤツは以前は冒険者ではなくて、街の行政に関わっていた。しかし、ろくでもない輩に騙され、地位を失い、冒険者となった……そのことで儂を恨んでいてな」
「それは、逆恨みでは……?」
「そうだな。しかし、恨まずにはいられなかったのだろう。誰かに怒りをぶつけることで、心の正常を保っていたのだろう。そして……どこの誰か知らぬが、そこに付け入られた」
「……」
「放っておけば、妻やソフィアにも害が及んでいたかもしれん。その点については、礼を言おう……ソフィア」
少し考えるような間を挟んだ後、エドワードさんが静かに呼んだ。
「どうしても、その小僧がいいのか?」
「はい」
「他の男は考えられないのか?」
「もちろんです」
「……」
「私は、フェイトが好きです。子供の頃から、大好きでした。ずっと一緒にいたいと思うほど……世界で一番、愛しています」
いつもなら、ここでエドワードさんが激怒するのだけど……
「……」
沈黙を保ったままだ。
「ソフィア」
「はい」
「一週間後、許嫁との顔合わせの場を設ける」
「お父さま! まだ、そのようなことを……」
「顔合わせ、だ。仮とはいえ、そう定めた以上、顔合わせもせずになかったことにすることはできん。だから、一回限りとはいえ話をしてこい。その後は……好きにするといい」
「え? それは、つまり……」
「言っておくが、許嫁をなかったことにするまでだ! それだけだ! そこの小僧との仲を認めたわけではないからな?!」
なんてことを言っているのだけど……
少なくとも、今回のことがなければ、エドワードさんの態度は変わらなかっただろう。
つまり、多少なりとも僕のことを認めてくれたということになる。
そのことはうれしく、ついつい笑みがこぼれてしまう。
「小僧、なにを笑っている? 貴様を認めたわけではないと、そう言ったじゃろう!」
「はい、ありがとうございます」
「ええいっ、だから認めたわけではないわ! 礼を言うでない!」
「ありがとうございます!」
「くううう……まったく、この小僧は!」
後ろの方で、
「おとーさん達……仲直り?」
「その一歩手前、って感じかしらねー」
アイシャとリコリスの、そんなやりとりが聞こえてくるのだった。
一週間後。
ソフィアは、実家の自室にいた。
ドレスに着替え、きらびやかな装飾品で身を飾っている。
「わぁー……おかーさん、きれー!」
アイシャはキラキラと目を輝かせて、尻尾をブンブンと横に振っていた。
その気持ちはよくわかる。
今のソフィアは、地上に舞い降りだ女神のようだ。
全身が宝石のようにキラキラと輝いている。
それでいて嫌味な感じはなくて、自然体。
彼女の魅力は何倍にも増していて、視線を離すことができない。
ずっとずっと、いつまでも見つめていたい。
「はう……」
ソフィアが耳まで赤くなり、両手で顔をおさえてしまう。
あれ、どうしたのだろう?
「フェイト。あんた今、全部、言葉にしてたわよ」
「えっ」
しまった、なんていう失敗をしてしまったんだ。
あわあわと慌てる。
「えっと、その……ごめんね、ソフィア」
「い、いえ、私は気にしていないので……」
「でも、ウソとかお世辞とか、そういうわけじゃないから! 全部、本気だから! あまりに綺麗なものだから、それで、ついつい本音がこぼれて……」
「うぅ……フェイトは、私を恥ずかしさのあまり殺そうとしているのですか? それとも、喜ばせすぎて昇天させようとしているのですか?」
「あれ?」
謝罪して、落ち着かせるつもりが、ソフィアはさらに赤くなってしまった。
なんで?
「いい、アイシャ? あんたの父親と母親は、バカップル、っていうの。はい、復唱」
「ばかっぷる?」
「うん、それでよし」
「「変なことを教えないで!!」」
――――――――――
きらびやかなドレスに身を包んだソフィアは、屋敷で一番の客間に移動した。
そして、ため息。
「顔合わせとはいえ、わざわざこのような格好をしないといけないのは、あまり気が進みませんね」
フェイトのためならば、いくらでも、喜んで着飾ろう。
最大限にメイクをして。
限界突破をして綺麗になってみせよう。
しかし、今回は違う。
見ず知らずの相手に、このドレス姿を見せなければいけない。
そのことが、ソフィアのテンションを著しく低下させていた。
「そういえば……」
許嫁の名前を聞き忘れていた。
いったい、どこの誰なのだろうか?
少しくらい八つ当たりをしても構わないだろうか?
物騒なことを考えていると、扉がノックされる音が響いた。
「はい」
「失礼します」
姿を見せたのは、二十代半ばくらいの男だった。
立派な服で身を飾っているが、それに負けないくらい、顔は綺麗に整っていた。
眼鏡をかけているからか、その笑顔はとても穏やかなものに見えた。
事実、男はゆっくりと、落ち着いた仕草で礼をする。
「ソフィア・アスカルト嬢ですね? はじめまして。俺は、アイザック・ニードルと言います。よろしくおねがいします」
「ソフィア・アスカルトです」
ソフィアは立ち上がり、同じく礼を返した。
それから、互いに向き合うように席に座る。
ひとまず、笑顔で雑談を交わす。
当たり障りのない内容の会話だけど、これは相手の出方をうかがうようなもの。
まずは、どのような性格なのは見極める。
許嫁の話は断ること前提ではあるが……
もしも性格が良く、長けた能力を持っているのならば、ここで繋がりを作っておいた方がいいだろう。
そう判断してのことだ。
それにしても……?
ソフィアは、心の中で子首を傾げた。
ニードルという姓は、どこかで聞いた覚えがある。
どこだっただろうか?
おぼろげな記憶を手繰り寄せるものの……
「それにしても」
思い出すよりも先に、アイザックが話題を変えて、意識がそちらに持っていかれてしまう。
「ソフィアさんは、とても聡明な女性なのですね」
「あら。そんな言葉をいただけるのはうれしいのですが、どのような根拠で?」
適当を言うのなら叩く。
そんな想いを心の中に隠しつつ、ソフィアは笑顔で問いかけた。
「今、俺のことがどのような人間なのか、推し量っているでしょう?」
「……なんのことでしょうか」
「ごまかさなくていいですよ。その目。それと、話のテンポ……俺のことを見定めているとしか思えませんからね」
「鋭い観察眼を持っているのですね」
「恐縮です。俺は父の仕事を手伝っているのですが、その性質上、自然と目が鍛えられまして」
「なるほど……」
油断のならない男だ。
そう思う一方で、ソフィアはアイザックの評価を上方修正した。
思っていた以上に頭の回転が早い。
(でも……)
アイザックならば、ソフィアにその気がないことはすでに気がついているだろう。
それなのに話を続けるのは、どういう意図があってのことか?
しばらくは話をしなければいけないと、ソフィアに付き合ってくれているからなのか。
あるいは、同じようにソフィアを見定めているのか。
もしくは……最悪の可能性ではあるが、ソフィアを気に入り、なんとしても手に入れようと機会をうかがっているのか。
どうにも判断がつかず、ソフィアは小さな吐息をこぼした。
「ところで、ソフィアさんはワインはお好きですか?」
「ワイン、ですか?」
「とても良いワインが手に入ったので、ぜひ、ソフィアさんと一緒に飲みたいと思いまして」
「えっと……そうですね。なら、少しいただきます」
断るのも失礼と思い、ソフィアはその申し出を受けた。
アイザックは合図をして、従者と思わしき者にワインを持ってきて、グラスに注いでもらう。
冷えているところを見ると、断られることは考えていなかったのだろう。
「では、そうですね……俺達の出会いに乾杯を」
先にアイザックがワインを飲み、そして、ソフィアもワインを飲んだ。
そして……
「なっ……!?」
ぐらりと、ソフィアの体が揺れた。
「あなたと、あなたの剣をもらいますよ」