ウチの店長が憂鬱な理由

私は片手を上げると宣誓するようにそう言った。
店長に抱き付けなくなるというのは私のアイデンティティーが無くなってしまうようなもんだがこうなったら仕方がない。いい点数を取ればいいんだから!

店長が疑うように「本当に?」と私に尋ねる。何も嘘はないと頷いた。


「……じゃ、じゃあ」

「言いましたね! 絶対ね!」


店長大好き!、と最後に伝えるとその勢いでフロアへ向かった。
顔を真っ赤にした店長が廊下においてけぼりにされてたけど全然気にしない!

あと三日しかないけど、絶対にいい点数を取ってみせる!






翌日のこと。


「店長! 見てください!!」


私はバイトへやって来ると直ぐ様店長がいる事務室へとやってきた。
いきなり出てきた私に吃驚していた店長の前に数枚の用紙を取り出して彼に押し付けるかのように見せた。


「お、小野さん……これは?」

「もぉ~、惚けないでください! 私がテストで平均80点以上取れたらご褒美くれる約束だったじゃないですか!」

「あ、……」


店長の顔が真っ青になった。何せ、今店長の前にあるのは私の中間テストの結果であり、全て80点以上をキープしていたからであった。
私はそれを「どうですか!」と自信満々に見せる。


「なんとなんと! 学年で五位ですよ! 褒めて褒めて!」

「……へ、へー」


凄いね、と語った店長の目は死んでいた。
私の目がこんなに輝いているのに対して店長の目は酷くくすんでいる。


「ご褒美!」

「……」


でもちゃんと約束したもん。私なんか店長に抱き付くことも犠牲にして頑張って勉強したし、約束した日から全力で勉強したんだから。
店長は私の期待の視線に耐えきれなくなったのか、顔を両手で覆うと、


「で、出来る範囲でね」


と、シクシクと泣き真似をした。いや、本当に泣いているのかもしれない。
椅子に座る店長を見下げて「何してもらおうかなぁ~」と嬉しげに色々考えた。けれど勉強しながら考えたときに浮かんだ、このお願いがやっぱりいいと思う。

うん、これにしよ!


「店長!私にキスしてください!」

「無理だよ!?」


即答だった。
「え!? 俺出来る範囲って言ったよね!? 聞こえてなかった!? きっ……そんなの出来るわけないでしょ!」

「えー、キスならできると思ったのにな……」

「小野さんの中でキスってどのレベルの行為なの……」


じゃあほっぺにでもいいですよ、と言っても店長の頬は真っ赤に染まったままだった。


「あ、あのね小野さん。普通ね? 俺みたいなおじさんが小野さんみたいな女の子に手を出しちゃ駄目なんだ」

「大丈夫です! その人が好きな人だったら犯罪にはなりません!」

「なります!」


とにかく駄目!と一点張りの店長に私はぷうっと膨れた。
テスト期間中、ほぼ徹夜で勉強をして学年五位にまでなったのに、結局ご褒美も何もないなんて。流石に酷すぎではないだろうか。


「テスト」

「っ……」

「頑張ったのに……」

「……あ、お休みあげようか?」

「いらないです、店長に会えなくなるんで」

「……じゃ、じゃあ給料上げよう」

「女子高生を金で釣るんですか?」


そっちの方がやってること極悪人ですよ、とわざと漏らせば店長は「俺、小野さんの雇い主だよね?」と顔を真っ青で言った。
理不尽なことを言っているのかもしれないけれど、この扱いはあんまりだよぉ。


「キース! キース! キース!」

「コール止めて、フロアにまで聞こえちゃうでしょ」

「店長の格好いいところ見てみたい!」

「煽りも止めてね」
押しても押してもご褒美をくれそうにない店長についに私は静かにキレた。
あーあー、そうですか。そっちがそうなら私にも考えがありますよ。

私はむぅとそっぽを向くと、


「それじゃあ、今回は"貯め"にします」

「へ?」

「ご褒美ポイントを沢山貯めて、そしてもっと大きいことをお願いします」

「っ……」


え?と店長が思わず立ち上がったが私は無視して「じゃあシフト入ります~!」とそそくさその場を去った。
ふふふ、やっぱり店長は焦っている方が"らしい"よ。もっと店長は私に振り回されててよ。

いつか私が店長に振り回される前に。

私は更衣室に向かいながら、「何お願いしようかなぁ~」と鼻を鳴らす。
とりあえず今日も今日とてとてもいい日だ。





「(いつか俺の方が食べられそうだな……)」


本当、うちのアルバイトはみんな好き勝手にやるなあ。
白の夏服セーラーって本当に女子高生の特権だと思う。これを爽やかに着こなせるのってやっぱり成人した女の子でも無理があると思うから。
言い換えれば白の夏服セーラーには特別感があり、見ている人の気持ちを高揚させる効果がある。だってそれは限られた期間にしか着られないものなのだから、この時を逃したら今度いつ目にすることが出来るか分からないからだ。

が、この論理は勿論ロリコンにのみ通用する。一般人は白の夏服セーラーになんて興味はない。

私は今日も空に向かって願うのだった。どうか店長が女子高校生好きのロリコンになりますようにと。


「瑞希瑞希、ちょっと見て欲しいものがあるんだけど」

「待って、今物凄く必死。必死なの。これは恋の一大事なの」

「あのさ、たまにするそれ不気味だからやめて欲しいんだけど。それし出すとクラスがちょっとざわつくんだよね」


友人の彩葉と光里に行動を否定されたので渋々と教室の窓を閉めると席へと戻る。窓閉めると暑いからやめて、と言われたのでやっぱり開けた。
まぁ店長がロリコンになるわけがないけどね。別に私はロリコンが好きなわけじゃないから。確かにおじさんは好きだけど、だけどロリコンおじさんが好きなわけじゃない。取り敢えず店長がロリコンになったら話は早いじゃんってことなのだ。

二人は私の机の上に雑誌を大きく開いていた。いや、私の机だよ諸君、分かっておるのかね?
どうやら芸能雑誌らしい。彩葉が開けられていたページの男性一人を指差した。


「この人、どう?」

「ナシ」


即答で答えると二人が一斉に吹き出した。何が可笑しいのかは全く分からない。ただ彼女たちにとってこの私の言葉はとても面白く感じるらしい。
しかしちゃんと雑誌の男性を見ずに即答してしまった。改めてその男性を見つめるがやっぱりナシだと思った。


「瑞希、それ他の女子の前であんまり言わないほうがいいよ。ファンの子とかいたら大変だし」
言わせたの君たちだけどね、と思いながらも私は素直に「うん」と返事した。


「この人は? リツカっていう最近人気のモデルなんだけど」

「えー、興味ないかな……」

「抱かれたい芸能人一位なんだけどなぁ」


抱かれたいか、いやはや前に店長に抱きしめられた時のことを思い出した。細そうなのに結構ガッチリしてた体とか、大きい手とか、高い身長とか……店長には抱かれたいって思うかも。
元々テレビを見ない私は芸能人の名前すらうろ覚えで、だからクラスの女子の話題とかについていきにくい。恋バナとかだったら出来るのになぁ。残念だ。


「まぁ、ウチの店長を超えるのは難しいんじゃないかな」

「そのさぁ、店長のこと私たち知らないから」

「イケメン?」

「イケメン……だよ、多分」

「瑞希のイケメンってどんなのかな」


いや、店長はイケメンでしょう。まぁ桐谷先輩とか蒼先輩と比べたら多分そっちに視線が行っちゃうと思うけれど。だけどもし店長を単体で出したら10人中8人は格好いいっていうんじゃないかな。
そうだな、例えるならばスーツのCMに出ている俳優さん的な感じ。

私は咄嗟に「気になるなら見に来ればいいじゃん」と言った。すると二人は揃って目を丸くする。


「え、いいの?」

「駄目って言ったことあるっけ?」

「無いけどー、でも瑞希ってバイト先に友達とか来るの嫌なタイプじゃ無いんだね」

「だって普通にここの学校の制服着た人来るよ?」お仕事のお邪魔かと、と控えめに言う光里に手のひらを振る。


「邪魔さえしなければ、それに夕方とかはまだ空いてるし接客も担当できると思う」

「へー、じゃあ今日行く?」

「だね、瑞希の言う例の店長を見に」

「イケメンを見にね」

「イケメンか」

「好きにならないでね」

「大丈夫、うちら年上好きじゃないから」


ならば安心だ。というか店長を好きになってから安心ばかりだ。元々ああいう性格から女性にモテるタイプじゃないし、職場には店長と同世代の独身の女性もいないから狙われる心配もない。だから目一杯アタックできるんだよね。
私はふふんと足を振る。今日会ったら店長に言わなきゃ、友達が来てるから紹介させて欲しいって。そしたら私たち友達公認のカップルじゃん。

今日のバイト、楽しみになってきた。
が、しかし。


「いや、無理だよ?」


店長は苦笑いをしてそう言った。


「え!?どういうことですか!?」

「それ多分俺の台詞だと思うけど」

「どうしてそんなことに!?」

「多分それも」


店長は「本当に困るよ」と眉を下げた。その表情が普段から放っている哀愁に上手くマッチしていて本当に可哀想な人に思える。
彩葉と光里はいつ来るか分からない。ゆっくり向かうと言っていたけれど何処か寄り道していたとしてもきっと直ぐに辿り着いてしまうだろう。

つまりこんなことをしている場合ではない。


「い、嫌ですか、私の友達に会うの?」

「嫌というか会う目的が分からないというか」

「店長のこと紹介するためです」

「な、何で紹介するの?」


そこがよく分からないよ、と店長は両手のひらを前に出して身体を近づけてくる私と距離を取った。
そりゃ未来の彼氏は友達に紹介してもおかしくないだろう。それに結婚したら家に二人のことも呼ぶことになるだろうし、早くから顔を合わせておくのも悪くない。何より店長のことを自慢したいってのはある。確実に。


「何って、店長がイケメンだからですよ」

「イケメンが見たいなら俺じゃないほうがいいと思うよ。ほら、高野くんたちとかもいるし」

「でも店長が見たいって。私が店長の話したから」

「俺の話したの!?」


店長が目を見開いて大いに驚いた。そして私の肩に手を置くとガックリと項垂れる。


「そ、それってどこまで?」

「どこまで?えーと、将来は店長と愛を育み、三人の子供に恵まれ幸せに暮らしますってところまで」

「それって捏造だよね!?」
店長は「嘘は駄目だよー」と参ったように顔を手で覆う。私の将来の目標だから嘘を言っているつもりはないのだが。


「俺逮捕されちゃうよ」

「どうしてですか? 愛があるなら関係ないですよ」

「小野さん、何度も言うけどそういう問題じゃないんだよ」

「それとも、私のこと好きじゃないってことですか?」

「……」


そう言えば店長はピタッと動きを止めた後頭を左右に振り、「いや、ちがっ…」と途切れ途切れに言葉を呟くと私の肩から手を離した。相当体重を掛けられていたようでとても軽くなった。
店長は顔を上げるとコホンと一つ咳をした。微かに顔が赤い気がするが気のせいだろうか。


「とにかく、駄目だよ。勝手にそういう約束しちゃ。俺は会えないから」

「えー、ケチ!」

「ケチじゃないよ。ほらそろそろ時間でしょ」

「……」


何だこのイライラは。私は店長の言葉にむぅと唇を噛んだ。あれも駄目、これも駄目。何だったら店長は許してくれるんだろう。
そろそろフロアに、と私の肩に触れそうになった店長の手を咄嗟に払い除けた。

私に拒否られるとは思っていなかったのか、店長は少しだけ吃驚しているように見えた。


「知らない、店長のことなんて」

「お、小野さん?」

「大嫌い」
ツンと私がそう言えばまるで娘が反抗期になった時のショックのような顔を浮かべた店長。
私は勢いそのまま事務室を出るとその場で地団駄を踏んだ。また駄目だった。そろそろアプローチの仕方を変えていかないと。


「(……そもそも年齢のせいなのか)」


別にお父さんって歳でもないのにそんなに私の年齢が気になるんだろうか。単に本当に私が嫌いなだけなの?

それだったら、悲しいしか見つからないけれど。





それから暫くして彩葉と光里がやって来た。予定より遅れていたがゲームセンターにでも行って時間を潰していたのだろう。
丁度ブレイクタイムなのでお店の中にはお客さん店員含め人が少なかった。私がメニューを持ってくると彼女たちは意味無く拍手を送る。


「いやー、瑞希可愛いよ。制服よく似合ってる」

「まさか本当に働いてるとは」

「働いてるよ、真面目にお給料もらってるもん」

「で、例の店長は?」

「……」


キョロキョロと店内を見回す二人に私ははぁと溜息を吐いて先程の話を全部話した。
話しながらもどうして店長はあんなに拒否るのだろうとか、あんな態度酷いなどと軽く愚痴っていると彩葉が「なるほど」とうんうん首を振った。


「そりゃそうだわ」

「え?」
何が?、と首を傾げる。


「そもそも店長は瑞希の店長でしかないのにいきなり友達に紹介なんて可笑しいもん」

「彼氏でもないのにね」

「で、でも顔合わせるぐらい」

「シャイなんでしょ? 仕方がないよ」

「まぁ私たちそんなことだと思ってたし」


確かに店長はシャイだ。最近店長の癖にフロアに出てこないのは恥ずかしいからじゃないかと思うぐらいにはシャイである。
それでも彼はもう直ぐ三十路になるいい大人でもある。そんな彼がそこまで人見知りをするだろうか。


「瑞希、本当に店長のこと好きなんだね」

「うん、好きだよね」

「自分で言うのか。でももしかしたら、店長が私たちと会いたくないのって逆にいいことかもよ?」

「……どういうこと?」


私からメニュー表を受け取った光里がくくっと意味深に笑う。


「普通一回りも下の女の話真に受けるかなぁって。いい大人だったら余裕持って流すくらいできると思うんだよね」

「……つまり?」

「つまり、店長は瑞希のことちゃんと意識してるからこそ私たちに会って囃し立てられるの恥ずかしがってるんじゃないの?」

私はその光里の言葉に口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。
その間に頼むものが決まったのか、「フルーツパフェ!」「チョコレートブラウニーパフェ!」とそれぞれが食べたいものの名前を挙げた。


裏に戻ると厨房に桐谷先輩が入るのが見える。思わず勢いで引き止めた。


「桐谷先輩ぃいぃいぃ!」

「ウザい、マジウザい」

「そんなこと言わないで! 可愛い後輩の悩みを聞いて!」

「可愛い後輩なんて持ったことないからパス」


相変わらずツレない桐谷先輩は放って勝手に話を進めた。


「何で店長ってあんなにシャイなんですか? あれで社会やっていけてるんですか?」

「……」

「私の友達に会いたくないのって私のことが嫌いだから?それとも私のこと意識してるから?」


分かんないよ、と桐谷先輩の細い腕を抱きしめると一瞬引き離される力が弱くなった気がした。
そして頭を撫でられたかと思ったら顔を上に上げられ、力強く引き離された。


「知らない、店長じゃないから」

「酷い……」

「でもポジティブじゃない小野は小野らしく無くて何か嫌。更に鬱陶しい」

「……」

「元気出せよ」


桐谷先輩はそう言うと「で、注文は?」と首を傾げた。やっぱりこの人格好いい。