ウチの店長が憂鬱な理由



「(こんなに私のことを思ってくれる人がいるなんて……)」


心のどこかでいつも他人のことを敵のように感じていた。そんなネガティブな感情をこの先もずっと抱えていくんだと思っていた。
だけど私が心を開けば、世界は全く違って見えて、周りの人は私に対して優しさしかなかった。


「(私も性格が悪いな……)」


瑞希ちゃんと出会えてよかった。


「あのね、瑞希ちゃん……」


私、もう後ろを向かないよ。後悔をしない。
瑞希ちゃんのこと、友達だと思ってもいいのかな。

大好きな友達に「ごめんね」と「ありがとう」を。



「というわけで、しーちゃん辞めません!!」


後日、みなさんの前でそう説明してくれた瑞希ちゃんの隣で私は深々と頭を下げた。


「お騒がせして本当にすみません」


絶対に怒られる、そう覚悟していたけれどみなさんは比較的穏やかで私を責める人は一人もいなかった。


「ってことは瑞希が早とちりしていただけかよ」

「ほ、本当に辞めるって聞いてたんですからね!?」

「宇佐美に今辞められるとフロア足りなくなるし、むしろよかっただろ」


瑞希ちゃんと話す弟の方の高野先輩と桐谷先輩の言葉に安堵する。最初は見た目から怖い人だと思っていたけれど、瑞希ちゃんとのやりとりを見ていると優しい人なのだと思う。
それどころか、このお店に優しくない人が存在していなくて驚きである。


「じゃああの色紙どうするんだよ……」

「あ、あれはー……しーちゃん、いる?」

「え、えーと……困るかも……」


私のためにメッセージを集ってくれたのは嬉しいけれど、私は辞めることを想定して書かれた文章をどう処理していいか分からない。
だけどみなさんが参加してくれたことは嬉しくて、改めてその場にいる人たちに感謝の気持ちを伝えた。


「ということでみんな仕事に戻ろうか。宇佐美さん、あとで再契約の話があるから事務の方寄ってもらえるかな?」

「は、はい!」


店長の一言でその場は解散となり、それぞれ自身の仕事へと戻る。私は店長に言われた通り、改めて雇用の契約を組むために事務室に向かうことにした。

その途中、


「宇佐美さん……」

「あ、高野先輩……」


お兄さんの方の高野先輩と鉢合わせた私は本能的に頭を下げて彼に謝罪をしていた。
「あの、本当にお騒がせしました」

「いや、こちらこそ。俺たちが勝手に話を進めていたから言い出しにくくもなっていたでしょうし」

「そ、それはそうなんですけど……」


高野先輩はどれだけ気遣い屋さんなんだろう。全面的に私が悪いはずなのに、こんな私のフォローにも回ってくれて。
瑞希ちゃんの次にお世話になっていると言っても過言ではない。


「でもよかったです。悩んでいたようにも見えたので、宇佐美さんの答えが出たみたいで安心しました」

「私の、答え……」


出た、と言ってもいいのかな。だけど目標はできた。今はその目標に向かって努力するのみだ。
頑張ります、と自分にも誓うように呟くと弟さんが後ろから顔を出し、高野兄弟が私の前で揃ってしまった。


「おっ、そういえば蒼、お前雫がいなくなるんじゃないかって落ち込んでたよな?」

「え?」

「は?」


弟さんの言葉に同時に驚きの声が飛び出る。私がいなくなると思って落ち込んでいた? 誰が?


「紅、ちょっと黙ろうか。そういや夏休みの宿題が終わってないようだけど、こんなところでいていいの?」

「な、なんで俺が宿題やってないって知ってんだよ!?」

「紅のことならなんでも知ってるよ」


にこやかな表情を浮かべながらも口調は冷たい高野先輩に、二人の様子を眺めていた私の背筋も凍った。
何事もなかったかのように私の前から去っていく二人。その背中を見送りながら先ほどの会話に出た言葉を頭のなかで反復させる。


「(まさかね……)」


このお店で私の成長のほかになにかが生まれる、なんてことはない……はず?
長かったようで短い高校一年生の夏休みが終わった。学校がある日と違ってほぼ毎日バイトのシフトに入れたから毎日のように店長に会えて幸せだった。
そんな幸せ過ぎる夏休みが終わった私に待っていたのは店長に会えない鬱な日々だった。


「はあ、店長に会いたい……」

「あれだけ働いておいてまだ働きたいか」

「瑞希、ずっとバイトしてたよねー。何回遊び断られたか……」


休み時間に自分の席で店長に会えない寂しさに項垂れていると、左右から光里と彩葉がそんな私を見兼ねて声をかけた。
二人とも夏休みに一度遊んだときに比べてだいぶ日焼けをしたようだ。そういえば遊びの誘いもプールや海が多かった気がする。二人の見た目からして二人も二人で夏休みを謳歌したみたいだった。


「それにしても……」


私は机から少し顔を浮かせるとクラスの様子を視界に入れた。


「教室の空気ってこんなに淀んでたっけ?」


新学期が明けてから、私の気のせいでなければクラスの雰囲気がどんよりと曇っているように見える。
いくら学校が嫌いだとは言え、みんながみんななぜこんなにも落ち込んでいるのだろうか。
「あー、そこに触れちゃうのか」

「ずっとバイトしてた瑞希からしたら理由は想像できないだろうね」

「……?」


二人はこんなにも教室のムードが重たい理由を知っているらしい。
私が見当つかず頭を悩ませていると色葉が「仕方がないなあ」と、


「夏ってさ、付き合っている男女がいるなら距離を縮めるのに持ってこいの季節でしょ? だからよ」

「だから? 仲良くなるんじゃないの?」

「距離が縮まったら相手の嫌なところだって見えてくる。恋は障害がつきものなの」


つまり夏休みにデートなどを繰り返していた男女がこの期間で素性を知り、それが喧嘩だったり破局の原因になったということだろうか。


「それで破局したカップルが学校に来たら、夏休みで距離を近づけてさらにラブラブになってるほかのカップルを見て」

「嫉妬したり恨んだり、こんなにも天国と地獄が綺麗に表れている状況も珍しいものね」


なるほど、それで教室の空気が悪いのか。確かにちゃんと見たら教室の隅っこでいちゃついている幸せそうなカップルの姿も見受けられる。
付き合った後も喧嘩したり別れたり、結構大変なんだなあ。


「そう思うと瑞希って幸せだね」

「え、なんで?」

「店長って今のところライバルとかもいないんでしょ? だったら恋のいざこざとかなくていいじゃん」

「いざこざがないどころか相手にもされないでしょ」
そっかそっか、と笑い合う二人に「そんなことないもん!」と即座に言い返す。
それにいざこざがないって言っても、一応今までに何回かは喧嘩したりして険悪なムードになったりはしているけど。

だけどその度、結局は店長のことが好きという気持ちが先行して、怒っていた気持ちを忘れてしまうんだよね。


「(恋のライバルか……)」


このあいだ、畠山さんがそうかもしれないって思ってたけど、畠山さんは結局のところ男性で店長とはなにも関係なかった。
バイトを始めてからずっと店長のことを見てきたけれど、私が知る限り彼の周りには女性の影は見当たらない。


「まあ、三十路の店長が瑞希みたいな女子高生の相手している方が心配でしょ」

「それもそうだ」


二人の言葉を片隅に置きながらも、私の頭の中にとある説が思い浮かぶ。

もしかして店長は……


「(店長は……モテない!?)」


あんなにも格好いいのに!?




「(店長、あんなに格好いいのに……)」


バイト中、働いている店長のことを盗み見る。背中を丸めながらお店の経理を確認している姿を魅力的に感じるのが私だけというのは不思議な感覚だ。
まるで私だけ他の人とは違う眼鏡をかけているような気持ちだ。

顔も整っているし、背も高い。性格も優しくてしっかりしている。駄目なところを上げるとするならば、いつもよれよれのシャツを着ていてだらしなく感じるところだろうか。
それか周りの人が奇跡的に店長の魅力に気が付いていないとか?


「(このまま誰も店長のことを好きにならなかったらいいのに……)」


そうしたら、私が大人になったときに振り向いてもらえるかもしれない。
それは長い月日が必要なのかもしれないけれど。


「小野さん、背中が熱い……」

「へ?」


事務室のドアの隙間から店長の様子を見つめていると、あまりにも熱視線を送りすぎたからか、呆れた様子で彼が後ろを振り返った。


「なにか用? 手伝うことある?」

「あ、えーと。そうだ、今後のシフトの件で相談があって……」


お店にお客さんが来ないから店長のことを眺めていたなんて不真面目なこと、彼の前では口を避けても言えない。
私は適当に理由を見つけて事務室のなかに入ると店長に近付く。


「そっか、小野さんの学校って進学校だから新学期始まると忙しくなるよね。いつでも相談していいよ」

「私はずっと夏休みでもいいんですけどね~」

「はは、小学生みたいなことを言って」
店長は私のことを子供扱いするように笑ったけれど、夏休みがもっと続いてほしいのは平日もお昼からこの店で働きたいからで、店長と長い時間一緒にいたいからだ。
まさかここまでアプローチを受けておいて、そのことに気が付かないだなんて。あまりにも鈍感すぎる。


「小野さん、急に黙り込んでどうかした?」

「いえ、店長がヘタレで格好悪くてよかったなって思っていました」

「え……まあ、否定はできないけど……」


表情やしぐさからも自分に自信がないことを伝わってくる。そういうところがほかの人から見たときに魅力的に映らないのかもしれない。


「大丈夫ですよ、そういう店長のことが私は好きなので」


だから私だけ、店長のことを好きな私だけは自信を持って彼のことを格好いいって思っていよう。




それから数日後のこと。


「じゃ、いつも通り店長によろしく言っておいて」

「店長のことばっか見てないでちゃんと働きなよ」


いつも通り、放課後に光里と彩葉と駅まで一緒に帰り、バイトがある私がそこで二人と別れようとしたとき。
二人は私のバイト先での様子を気にかけているのか、それともからかっているのか。どちらか分からないような言葉を私に掛けてくる。


「余計なお世話だって。お店では私、結構真面目なんだよ」

「真面目な瑞希ってなんか想像つかないね」

「また今度ご飯食べに行くからサービスしてね」


相変わらずちゃっかりしている二人に呆れながら別れて一人バイト先へ向かう。
今日はしーちゃんがシフトに入っていないから私一人だ。ほかのシフトに入っている人はいるんだろうか。
ジョイストに到着した私は普段通り裏口からお店に入ろうとする。
裏口を通るために駐車場を通り抜けようとしたそのとき、視界に見慣れない人影を映った。


「(あれは……)」


ファミレスの駐車場に似つかない大きなサングラスに高いピンヒール。唇に塗られている真っ赤な紅が茶髪のロングヘアーにきれいに映えている。
お客さんだろうか。だとしたらなぜお店の中に入ろうとしないのだろう。お店の裏口の前で突っ立ってスマホを触っているその女性の存在感に思わず圧倒される。

シフトの時間が近づいてきていることに気付いた私が慌てて裏口を通ろうとしたとき、


「ちょっと、いい?」


突然その女性に引き止められた。


「え……」

「このお店の店員さん?」


サングラス越しだからか表情が分からない女性の声に思わず怯えてしまう。声色から二十代後半のような気がする。だけど存在感というか威圧感が同じ世代の店長と大違いだ。


「そ、そうです。えっと、なにかありましたか?」

「このお店って、何時閉店なの?」

「閉店? 閉店っていうか、二十四時間営業ですけど……」

「一日営業してるの? そんなお店もあるのね」


あるのね、って。ファミレスって大体そういうものだと思うけど。
だけどよく見てみたらこの人が身につけてる腕時計やネックレスなど、詳しくないから分からないけれどものすごく高価なものに見える。それにこのファミレスに似合わない風貌から見ても、あまり平凡な暮らしをしているようには見えない。

彼女は「そうねえ」と人差し指を口元に置いた。そろそろお店の中に入ってもいいだろうか。
失礼します、とその場をあとにしようとしたのだが、再び彼女に引き止められてしまった。