ウチの店長が憂鬱な理由

「実はこの扉の建て付けが悪くてこっちからじゃ開けられなくなったんだ。そっちから押してドアを開けられないかな」

「マジか……確かに開かないですけど」


ドアを強く蹴っているのか、ドンッドンッと大きな音が部屋に響く。
その一つ一つに体を震わせていると店長が私を安心させるようにそっと手を伸ばした。

しかしその手が私に触れる前に桐谷先輩が話し出す。


「駄目です、開きません」

「こっちはドアノブが外れちゃって開ける術がなくて……」

「多分ぶち抜くしかないと思います。もうこのドア壊しちゃっても大丈夫ですか?」

「う、うん、後で修理に出す予定だし」


するとドアの向こうで「分かりました」と桐谷先輩が頷いた。


「ちょっと馬鹿力持ってくるので待っててください」


そう言うと彼はドアの前から離れて何処かに行ってしまった。
隣の店長の表情を盗み見ると、取り敢えずここから脱出出来るようだと安心したようにはぁと息を吐いた。

私を落ち着かせようと伸ばされた手は私に触れることなく、地面に落ちている。

暫くして桐谷先輩ともう一人誰かの声が聞こえてくる。


「いいから、お前ぐらいしか馬鹿みたいに力強いやついないだろ」

「はぁ? ていうか店長と瑞希が閉じ込められてるとかマジかよ」


かったりぃ、と面倒臭そうに息を吐くその声を聞いて私は店長と顔を合わせる。


「この声って……」

「紅先輩?」


馬鹿力って紅先輩のこと!?
「店長、今から高野弟が思いっきりドア蹴るんで離れた方がいいです」

「ええ、蹴るの!? あんまり損壊が多いのは困るよ!」

「紅先輩にそんな手加減が出来るとは思えない」

「おい、一生出れなくてもいいのか?」


なぜかやる気満々の彼の声に口を塞ぐ。すると店長が「小野さんこっち」と私の腕を引いてドアの側から離れた。
一体どうなるのか、心配で見守っていると紅先輩が「しゃあ!」と大声を上げてダンッと軽く扉を蹴る。


「じゃあ行くぜ、扉ごと吹っ飛ばされないようにしろよ」

「(どんだけのパワーで蹴るつもりなんだ……!)」


すると次の瞬間、凄まじい程の打撃音と共に目の前のドアが動いたと思ったら、紅先輩の長い脚が突き抜けるかのように現れた。
ボロボロの扉は何とかその形を保てたものの、紅先輩が蹴った頃は大きな傷跡が残っている。

しかし久々に浴びた光に二人で目を細くすると、珍しく焦った表情の桐谷先輩が顔を出す。


「店長、無事ですか」

「う、うん、何とか。ありがとう」

店長の返事に安心したのか、彼は安堵した表情で息を吐き出した。
すると「なんだなんだ?」と一応私たちの救世主である紅先輩も顔を見せ、そして私たちのことを見ると目を丸くした。


「何か店長と瑞希、距離近くね?」

「っ……」


お互いに近付けていた体を話すと気まずい空気が二人の間に流れた。店長は私の様子を見かねて何かを言いかけたようにも見えたが諦め、そして桐谷先輩たちの元へと向かう。

その背中を見て、また狡いと感じた。
「ありがとう。取り敢えず今日にでも業者さんを呼ぶよ」

「そうしてください。前々からちょっと危ないって思ってたんで」

「おいおっさん! 助けてやったんだから給料上げろよな!」

「普段高野くんが割ってる皿の数を考えるとプラマイゼロな気もするけど」


桐谷先輩たちが来て、今までの二人きりの空間は特別だったんだと実感する。
暗闇の中で少しだけ見えたのは店長の本音だった。

きっと振られても可笑しくなかった。だけどそうしなかったのはそれもまた彼の優しさだ。


「(狡い人……)」


本当に。


「店長」


後ろからそう呼び掛けると彼がこちらを振り返る。
私は近付くと彼の首元のネクタイを引っ張ってその驚いた顔に近付いた。

彼の瞳の中に私の顔を映っている・


「私、絶対に店長のこと諦めませんから! いつか店長の口から、『私のことが好きだ』って言われるまで絶対に諦めません!」


それがいつになろうと、私には貴方しかいないの。


「で、ことでこれからもよろしくお願いします」

「……」


ポカンと口が開きっぱなしの彼を笑うと私は彼らの間を抜けて休憩室に戻って行く。

どれだけラインを引かれたって、どれだけ距離を開けられたって。
私はそれを飛び越えるし、開けられた分だけ近付いてやる。

そこまでしないときっと大人な彼の隣には並べない。

今日見せてくれたあの少しの本音に、もっと近付きたいって思えたから。

絶対に負けたくない。


『……凄く、大事な子』


その意味が好きに変わるまで、私は絶対に店長のことを諦めない。
最近、バイト先の周りで不審者がうろついているという噂があるらしい。


「そう、だから女の子たちはみんな一緒になって帰るように。いいね?」


シフトに入る前にそう説明を受けた私としーちゃんは顔を見合わせてしまった。
確かに夜になるとお店の周りは暗くなるから少し危ないなという気がしていた。


「夏だからかなぁ」

「……夏って関係あるの?」

「いや、知らない!」


私の返事にしーちゃんが不安そう顔を浮かべたので「しーちゃんは私が守るから大丈夫!」とぎゅうっと強く抱き締めた。
ことの説明をしてくれた店長は乾いた笑いを漏らしながら、


「それはそれでいいけど、小野さんも気を付けてね」

「へ?」

「小野さんだって、見た目"だけ"は普通の女の子なんだし」

「だけってなんですか!? 中身は女の子じゃないってことですか!?」


私がそう問い詰めると店長は「そんなことないよ!」と慌てた素振りを見せるけど絶対に中身はか弱くないって意味だった気がする。
店の周りで不審者の出没事件があるかもしれないのに、もうちょっと心配してくれたっていいんじゃないかな。


「もぉー、じゃあ私のことは店長が守ってくださいね」

「俺一緒に帰れないから! あと急に抱き着いてこようとしないで」


離して!、と焦る店長の腰を今日も堪能したところで私たちは制服に着替えるために更衣室へと向かった。
しかし着替えている間も浮かない表情を浮かべるしーちゃんのことが気掛かりで、着替え中のところを後ろから「わっ!」と抱き着いたところなんとも可愛らしい声を上げてその場にしゃがみ込んだ。

何今の声、ちょっと癖になりそう。
「み、瑞希ちゃん!」

「あはは、だってしーちゃん元気無いから。そんなに不審者のことが怖いの?」

「……」


白い肌を隠すようにしゃがみ込んでいた彼女はおずおずと立ち上がると私の目の前に立った。

そして、


「実は……」

「実は?」

「……ここに来る途中、誰かに付けられてる気がするの」


それを聞いた瞬間、私は更衣室に響き渡るほどに「うそぉ!?」と声を荒げた。


「い、いつ!?」

「一人の時とか。たまに瑞希ちゃんといる時も」

「え、私全然そんなの感じなかったよ?」

「瑞希ちゃん、いつもバイト行く時は店長のことで頭がいっぱいだから」


ね、と弱々しく言う彼女に私はブンブンと首を横に振る。


「一大事じゃん! 店長に相談しないと!」

「えぇ、でも忙しいのに悪いなって」

「えー、だけどさぁ。このままだと私だって嫌だよ。今度からしーちゃんが一人で来る時は不安になっちゃうし」

「……」


それなのに彼女は「私の気のせいかも」と笑ったのでそこから後は何も言えなくなってしまった。
そのまま二人でシフトに入ったけれど、私の頭の中は彼女の言った話のことばかりで埋め尽くされていた。
しーちゃん、本当に怖いんだろうな。だけど他人に迷惑をかけたくないというのも彼女の本心で、それは彼女の性格から来るものだから否定しづらいし。
もしその話がバイト中に知られてしーちゃんが困るのも私は見たくない。だけどこのままなのは絶対に駄目だ。


「(勝手に太田でストーカーとかには敏感になっていると思ってたけど、あれはアイツに限定した話だったのか)」


それか太田がストーカーをするのを下手くそだったか、今回の不審者のストーカーが特別上手いかって話だけど。
というか何でみんなそんなに簡単にストーカーするの? 私だって店長のストーカーしたいのに。

って話が逸れてる。

どうにかしてその不審者捕まえられないかな。そんなことを考えながらフロアからバックヤードへ戻っていると前をちゃんと見ていなかったこともあって誰かとぶつかってしまった。

顔を上げて私は安堵の息を吐き出す。


「良かった、店長か」

「え、何それちょっとショック」

「嘘です、すみませんボーとしてて」


えへへと笑うと彼が心配そうに私を覗き込んだ。


「大丈夫? なんか元気なさそう」

「え、そうですか? バイトの日は大抵元気ですよ!」

「そうかな……」

「……元気ないって、分かるんですか?」


すると彼は「分かるよー」と、


「小野さんが来てそろそろ三か月は経つし、その間ずっと一緒に居たんだから。少しぐらいの違いには気付けるよ」

「っ……」


何でこの人は、私に期待させるようなこと言うんだろう。


「(もう誰かを好きになることはないって言ったくせに)」


なのに、私にはこんなに苦しいぐらいに好きにさせておいて。
最近ちょっと店長はいい加減なのではないかと思い始めた。
「何でもないです」

「え、何で今ちょっと拗ねたの?」

「別に。とにかく店長には関係のないことです」

「(……学校のことかな?)」


少し寂しそうに「そっか」と微笑んだ彼を見てうっと胸が詰まる。
三十路手前の男性の困った笑顔、本当に弱いのだから。きっと私が同級生の男子にドキドキしないのは年上の男性が好みだからだ。

そうだ、店長なんかずっと私のことで困っていればいいんだ。


「何か困ったことがあったら言ってね。お父さんとかに言えないこととかもあると思うし」

「……店長は私のお父さんになりたいんですか?」

「え゛、そうじゃないけど」


言葉が詰まる店長の姿に私はちょっとだけ笑みを取り戻すと彼も安心したように口元を緩めた。
彼は「じゃあお仕事頑張って」と言うと事務室の方へと戻っていった。

相変わらずだな、一応この前宣戦布告的なことを言ってしまったんだけど。
全く気にしていないような素振りをするのは大人の余裕からなのだろうか。


「(早く大人になりたい……)」


じゃないと、きっと店長は子供の私には振り向いてくれないから。
だからこれからは子供っぽい理由で彼を振り回すのはやめよう。

私が何でも自分で解決できるような大人になれば、店長も私を見てくれる?






「と、いうわけでしーちゃんを不審者から守りたいと思います!」


仕事が終わり、帰ろうとするしーちゃんと高野兄弟を引き止めた私は三人の前で仁王立ちでそう告げた。
しーちゃんと蒼先輩は私の言葉にポカンと口を開けていたが、紅先輩だけは相変わらず高圧的な態度で、


「はぁ? いきなりなんだよ。こっちは疲れてるんだから帰らせろよ」

「しーちゃんの一大事なんだからそんなこと言わないでくださいよ!」

「一大事?」


蒼先輩はそう呟いてしーちゃんの方を見るが、しーちゃんはブルブルと頭を左右に振る。


「そ、そんな私ごときの問題でお二人までも巻き込むなんて。こんなチビで変な声で意気地なしな私のせいで大事なお時間を奪うなんて、今すぐ海に沈んで詫びなければ」

「しーちゃん、誰もそんなこと言ってない」

「何か困ってることがあるんですか? 良かったらお話聞かせてください」


紅先輩と違って理解のある蒼先輩に私は「実は」としーちゃんが抱えている問題について彼女からの了承を得ると説明した。
なぜこの二人に説明したかというと帰る時間が丁度同じであったからだ。


「それは大変ですね。取り敢えず店長に相談した方が」

「蒼先輩待って! 今回のことは私が解決しますから」

「小野さんが?」


どうして、と首を傾げる彼に私の思惑について語り始める。


「私、頼り甲斐のある大人の女性を目指すために大人に頼らずしーちゃんのことを救ってあげたいんです」


そして、


『小野さん、不審者から宇佐美さんを守るなんて君はなんて強い女性なんだ! 小野さんがこんなに大人になっているなんて知らなかったよ。今からじゃ遅いかもしれないけど、君に求婚してもいいかな?』


って感じにヘタレな店長は私にメロメロに……


「なったりして! なったりして!!」

「目的が不純すぎだろうが」
そんなことに俺らを巻き込むな!、と紅先輩の怒号が立ち込めたが私は耳も貸さずにしーちゃんの手を握る。


「だから任せて! しーちゃんは私が守るからね」

「瑞希ちゃん……」

「まぁ、何はともあれ、俺たちも側に付いていた方が安心ですし駅まで一緒に帰りましょう」

「ですね!」


何とか紅先輩のことも納得させると私たちは四人で駅まで帰ることになった。
しかし一応不審者の存在も確認しておきたい、というわけで……


「大丈夫ですか、あれ。宇佐美さん震えてません?」

「普通にしててって言ったのに〜。そう言った方が緊張しちゃうのかな」

「ワハハッ! アイツ! 犬みてぇじゃねぇか!」

「「煩い」」


両側から紅先輩のことを押さえ込みながら私たちは目の前を歩くしーちゃんに視線を向ける。
こうして彼女の後を追っていれば不審者の存在にも気が付けるのではないかと踏んだのだが、その意図を知っているしーちゃんは後ろにいる私たちが気になって歩くのもままならない。


「私が隣についていた方が良かったかもしれませんね」

「確かに宇佐美さんには荷が重かったかも」

「それに不審者っぽい人なかなか現れないし。逆に周りから見たら私たちの方が不審者っぽくないですか?」

「その時は紅を置いて逃げましょう。犠牲は一人でいい」

「蒼先輩、相変わらず揺るぎないですね」


もう少しで駅だし、このまま捨てられた子犬のような目でこちらを見てくるしーちゃんを一人にしているのも心苦しくなってきたので彼女の戻ろうとする。