ウチの店長が憂鬱な理由

「あの……」


静かな空間に響いたのはしーちゃんの声だった。


「店長さんの言うこと、尤もだと思います」


話すのが苦手いう彼女が必死に話していた。


「私、は……声が変で、人前だと緊張しちゃうし、失敗ばかりします。でもこのままじゃ駄目だってことも分かってるし、だからって直ぐには変われないって」


思ってるんですけど。


「ここで、働きたい……です」


しーちゃんはそう言うとポケットからメモ帳を取り出して、何をするかと思ったらそれをビリビリと破り始めた。
私と店長が宙を舞うその紙切れに目を奪われていると彼女は言葉を続けた。


「今までは紙に頼って生きてきました。でも、ちゃんと自分の声で伝えたい。本当はもっと、人と話してみたい」


今日初めて会った時、彼女はメモ帳を大事に握っていた。そんな人見知りだった彼女がマスクを外して、自分の声で喋って、気持ちを人へ伝えようとしている。
一日でここまで変われたんだから、きっと彼女がコンプレックスを克服する日も遠くはないだろうと私は思った。


「生まれ変わりたいです。お金は要りません。そのきっかけを私にください」


しーちゃんはそう言うと店長に向かって頭を下げた。
その後ろで泣きそうになってしまった。なんて純粋なんだろう。自分の欠点に目の前から立ち向かっているしーちゃんはか弱い女の子じゃなかった。

この子は強い。
「店長!」

「っ……」


私がそう呼び掛けると少し苦く気まずそうな顔をして履歴書に視線を戻した。

そして、


「期間は夏休みの間だけだっけ」

「っ……は、はい」

「……分かりました、宇佐美さんを雇います」


その言葉に私としーちゃんは顔を見合わせた。どうしよう、自分のことのように嬉しいよ。


「やったねしーちゃん!」

「う、うん!」


いえーい、と手を二人で合わせると今度は店長のところへ駆け寄って「ありがとうございます!」と両手で彼の右手を掴んでぶんぶんと上下に振った。


「店長ありがとー! 大好きです!」

「取り敢えず小野さんと一緒の時間にシフト入れるからね。ちゃんと見てあげてね」

「分かってますよぉ」

「頑張ってね、頼りにしてるよ」


あと手握っちゃだめだからねと促されしぶしぶと彼の手を離す。
そんな私に店長はいつものように困ったような表情を浮かべた。明日の天気が雨だと知った時のような顔だ。


「さっきは俺のこと嫌いってムードだったのに」


そんないじけた様なセリフに私は思わず笑う。


「私が店長のこと嫌いになるときなんてないですから」


これからもずっと覚悟しててください、と得意げに告げるとそのまましーちゃんのことを連れ出す様に事務室を出た。
出る瞬間にしーちゃんが戸惑いながらも店長に向かって深くお辞儀をするのが見えた。

お店を裏口から出ると「瑞希ちゃん!」と声が掛かる。


「いいのかな出てきちゃって。まだ詳しいことは何も」

「いいんじゃない? 履歴書渡してるんだし帰ったらしーちゃんに連絡来るよ。その時にシフトの話もしてくれるって」

「……そ、」


そうなのかな、と心配そうな彼女に「そうなんだよ」と笑った。
それからは彼女と手を繋いだまま駅へと向かう。


「私ね、同じ年の子バイトにいなかったから寂しかったの。バイトの人は全員いい人だけどね。だからしーちゃんのこと嬉しかったの」

「……瑞希ちゃんって」

「ん?」

「……て、店長さんのこと、好きなの?」

「うん」
その答えにしーちゃんの表情が少しだけ赤くなるのが見えた。その顔に何故だか私まで恥ずかしくなってしまう。


「そ、そうなん、だぁ……店長さんって歳は……」

「んー、今年で三十?」

「え!? そんなに!?」

「もっと若いと思ってた? それとも逆?」

「う、ううん!」


何でもないの!、と強く否定するしーちゃんに私は「えー?」と笑う。
別にね、関係ないの。年齢なんて、生まれた歳なんて、価値観の違いなんて。

全然ね、私には関係ないんだよ。


「私は、店長の優しいところが好き」

「……優しい」


繰り返した彼女に頷いた。


「好きになっちゃ駄目だよ」


私がそう告げるとしーちゃんは「大丈夫だと思う」と言ってまた顔を赤らめた。







「(とことん小野さんに弱いな、俺は……)」


そんな自覚はちゃんとある店長なのでした。


初めまして、宇佐美雫です。

コンプレックスを克服するためにジョイストのアルバイトを始めて一週間が経ちました。
もう直ぐで夏休みも始まるからそうなったらバイト続きの毎日になるのだけれども、ちゃんと終わるまでに克服出来ているのか心配です。


「しーちゃん! バイト行こー!」


この子は同じバイト先で働いている瑞希ちゃん。私をアルバイトに誘ってくれた可愛くて明るい女の子。
瑞希ちゃんはいつも放課後になると隣のクラスから私の事を迎えに来てくれる。私には友達が少ないからこうして彼女が迎えに来てくれることが凄く嬉しい。


「今日こそお客さんに挨拶出来るようになろうね!」


私はその言葉にコクコクと首を動かした。未だに学校にはマスクを付けることを徹底していて、人前では声を出さないようにしている。
そんなので本当に克服出来るのかな。また不安になってきた。

学校を出て暫くしてから私はマスクを外す。


「瑞希ちゃん」


私の口から出るその声はまるで幼稚園児の子供が舌足らずに喋っているような声だった。
年に合わないその声が私はずっと大嫌いだった。

でも、


「いつも迷惑かけてごめんね?」

「え?そんなことないよー。しーちゃんだって仕事覚えるの早いし、お客さんの対応も上手だし。きっと仕事自体は合ってると思うよー」
そうかな、と返事をすると「そうだよー」と瑞希ちゃんが笑う。
瑞希ちゃんの側にいると彼女の明るい気持ちが移って自分も前向きになれる。


「(そろそろ注文を聞く練習とかしないと……)」


じゃないとお店に迷惑掛けちゃう。

私たちはジョイストに着くとお店の制服に着替える。
瑞希ちゃんにエプロンの紐を結んでもらっていると更衣室に女の人が入ってきた。


「あ、花宮さん!」

「っ……」


背の高いその女性の名前は花宮さんといって、このお店のバイトチーフである。
若いのにチーフなんて凄いって初めて会った時に思ったけど、そういうこともありながら少し怖くてあんまり話したことはない。

私はまだエプロンの紐が結ばれてないのに瑞希ちゃんの後ろへと隠れてしまった。


「新しく入った子だっけ?」

「そうです! しーちゃん!」

「あだ名で言われても分かんないって……宇佐美さんだっけ?」

「っ……」


どうしよう、でも何か話さないと何も出来ない人だって思われるし、それにチーフの人に役立たずなんて思われたくないよ。
あわあわと口を震わせていると花宮さんは首を傾げた。


「前も思ったけど、私何か怯えられてるよね」

「しーちゃんは人見知りが激しくて。慣れたら大丈夫なんですけど」

「ふーん、小野には懐いてるみたいだけど」

「私はしーちゃんの友達なので!」

「その無駄に激しいコミュ力がようやく役に立ったのね」

「酷いです!」


親友ですから!、という瑞希ちゃんの言葉に励まされる。
こんな何も出来ない私にまで優しくしてくれる瑞希ちゃんは天使なんじゃないか。
そうだ、瑞希ちゃんと約束したんだ。このコンプレックスを克服するまで絶対に諦めないって。
私は息を深くまで吸うと心を落ち着かせるようにして口を開いた。


「あ、の……」


更衣室に私の声が響くと二人の視線が突き刺さる。
しかしそれにも負けないようにして絞るようにして声を出す。


「が、頑張ります、ので……宜しくお願いしま、す……」


途切れ途切れのその言葉に花宮さんの表情が固まるのが見えた。あぁ、絶対変な声だって思われたに違いない。
どうしよう、変な空気になっちゃった。もうこのまま穴を掘って埋まった方が絶対マシだよ。

自分がしたことに後悔して顔を赤らめていると暫くして花宮さんがポツリと言葉を漏らす。


「……可愛い」

「へ?」

「かっわい!」


気が付けば花宮さんは目の前にいた瑞希ちゃんのことを退かして私の手を握っていた。


「こう見えて私可愛いものに目が無いんだよね! 今の声宇佐美の!?」

「は、はひ……」

「可愛いー! 瞳さんって呼んでみて?」

「え?えっと……瞳、しゃん」


あ、噛んだ。もう恥ずかしくて地に埋まるところか海に帰りたくなった。
それなのに花宮さんは目を輝かしたまま私のことを見つめる。
「うん、じゃあ宇佐美はこれから瞳さんって呼んでね」

「え!?」


無理だ! 歳上の人を下の名前で呼ぶなんて! しかもバイトチーフを!
私がブルブルと顔を震わせているのにも関わらず花宮さんは手を離してはくれなかった。


「ちょっと花宮さん! 何してるんですか!」

「何、小野。いたの?」

「いたでしょ! 私と会話してたでしょ!」


ていうか可愛いのが好きって初耳ですよ!、と言えば彼女は「そりゃ言ってないもの」と呆れたように自分の顔を指差して答える。


「ほら、私って身長高いし目付きも悪いから可愛いの好きって柄じゃなくて。自分がそうだから尚更そういうものに惹かれちゃうの」

「なら何で今まで私にそうならなかったんですか?」

「だって小野可愛く無いじゃん]


花宮さんから直球のスマッシュを食らった瑞希ちゃんはショックを受けたように顔を真っ青にした。
私は慌ててフォローするように、


「み、瑞希ちゃんも可愛いよ」

「しーちゃん……」

「"も"ってことは自分が可愛いのは認めるのね」

「はっ」


そんなはずでは、私は瑞希ちゃんをフォローするつもりが更に変な展開を招いてしまって驚きを隠せなかった。
我に返った瑞希ちゃんはこれ以上私を花宮さんのそばに置いておくのが危険だと分かったのか、私の腕を引っ張ると、


「し、しーちゃん逃げるよ!」

「え?」


そう言ってぐいぐいと私のことを更衣室の外へと追い出すとドアを叩くように閉めた。
私もあのままだと花宮さんの餌食になりそうだったから何とか助かった。

それにしても花宮さんのギャップ……私よりも凄いかも。


「まさか花宮さんにあんな秘密があったなんて。人は見た目で判断したら駄目なんだね」

「(でも瑞希ちゃんにはそれを一番知って欲しかった……)」


瑞希ちゃんは腕時計の時刻を見ると「タイムカード押さなきゃ!」と再び私の腕を引っ張った。

今でもまだ知らない人の前で声を出すのは怖い。だけど支えてくれる人がいてくれるのは心強い。
いつまでもそんな状況に甘えてたら駄目なんだ。






「宇佐美さん、来店したお客さんお願い」

「え」


パートさんの言葉に固まっていると「はいはい!」と後ろから声が聞こえてきた。


「私が行きます!」

「じゃあ瑞希ちゃんお願い」

「はい!」


私が申し訳なく思っていると瑞希ちゃんが背中を叩く。


「気にしないで! それより窓側の席の片付け代わってくれない?」

「う、うん……」


ありがとう、と言えば瑞希ちゃんは私に笑顔を向けて店の入り口へと走って行った。
私もあそこまでの余裕と気を遣うことができたらなぁ。

自分のことを惨めに思いながら指示通りにテーブルの上を片付ける。私、片付けばっかりしてるけどちゃんとお店の役に立ててるのかな。
食器を厨房へと運んで溜息を吐く。今度こそは、今度こそはと思いながらも私は未だに一歩を踏み出せずにいる。


「ねぇ」


誰も私には勇気を与えてくれなんかしない。


「……そこ、ちっちゃいの」

「はひっ」
振り返ると厨房から覗く顔が一つ。その顔の端正さに怖気付くと私は後ろへと退いた。
た、確かこの格好いい人は桐谷先輩と言ったかもしれない。バイトを始めた初日に顔を見たことがあるけどそれだけで話したことなんてなかった。

ど、どうしよう、私何かしたのかな。
じっと私のことを見つめる桐谷先輩の瞳は真っ暗だった。


「新しく入ってきたバイトだっけ?」

「は、はい……」

「これ、四番テーブルね」


台の上に置かれたハンバーグに私の視線が移る。早く運ばないと冷めてしまう。
だけど私がお皿を受け取るまで桐谷先輩は離れるつもりはないのか。そこにいられると私は取りに行けないんだけどな。


「あ、あの……」

「何」

「……」


怖い、顔が整っているからかその分真顔が物凄く気持ちを圧迫してくる。それにまだ対人恐怖症を直せてなんかいない。

おどおどしていると桐谷先輩は思い出したように、


「あぁ、店長が言ってたのってアンタ?」

「店長さん?」

「そういうことか、迷惑掛けない程度に早くそれ治しなよ」


桐谷先輩はそう言うと厨房の奥へと戻っていく。
店長さんから聞いたって、もしかして私が人見知りだって桐谷先輩に伝えてくれてたのかな? 彼ならそれくらい気を遣えるかもしれない。


「あ、あの!」

「……」

「ありがとうございます!」