【コミカライズ決定】勇者パーティーをクビになった忍者、忍ばずに生きます

「勇者の一撃で死にやがれ、クソ野郎がああぁーッ!」

 やはり、凄まじい威力を伴った金色の剣をフォンの苦無へと叩きつけるクラーク。忍者は目にも留まらぬ速度の剣劇の隙間を縫うように、勇者の目をじっと見つめた。
 狂ったかのような怒り。焚きつけられたかのような憎しみ。
 ――その全てが凝縮した目の中に、顔を驚愕に染めたフォンは確かに見た。
 瞳に上書きされたかのような、青黒い蛇の目の模様が映し出されているのを。

(やっぱり――クラークの目の奥に、『蛇の目の模様』がある! 彼は洗脳されている……ハンゾーの術にかかっているんだ!)

 もう間違いない。クラークは檻から脱走してから、ハンゾーに洗脳されていたのだ。恐らく、憎しみを駆り立てて、尚且つ反逆されないようにセーフティロックをかけておいたのだろう。忍者らしい、抜け目ない作戦だ。
 ならば、他の面子にも術がかけられている可能性がある。

「サーシャ、カレン! 彼女達の目を見てくれ! 二人の目の奥に、妙な模様がないか!?」
「模様だって!? 何を訳の分からないことを、言ってんのよ!」

 サラは拳を振るいながら叫んだが、対面するサーシャの目にも、フォンと同じものが映った。それは間違いなく、ジャスミンにも刻まれた、蛇の目の模様だった。

「……ある! こいつ、目の奥に目がある!」
「拙者も見つけたでござる! 師匠、これは拷問の痕と同じ、蛇の模様でござるな!」
「ああ、そうだ! クラーク達はハンゾーに洗脳されている! だけど……」

 今にも炸裂音や武器同士がぶつかる音、咆哮を聞いて兵士達が集まってきそうな雰囲気の中、眼前の敵とぶつかり合うクロエ達の傍で、フォンは唯一異端の態度を示すマリィに着目した。彼女の目はいつも通りで、儚く、健気で、残虐だ。

(マリィだけは違う。彼女だけは支配されていない……ハンゾーに気に入られたのか、それとも言いたくはないが、洗脳して利用するにも値しないのか?)

 クロエやアンジェラが言っていた通り、炎や風の魔法を連発するマリィの本質は邪悪だ。ハンゾーに闇を見初められたのか、それとも。

(いずれにしても、クラークが洗脳で悪意を増幅されているなら、解除もできるはず!)

 どちらにしろ、フォンの目的は定まった。
 剣を再度ぶつけ、歪んだクラークの顔に自分の顔を寄せ、フォンは叫んだ。

「クラーク! よく聞いてくれ、君は操られている! 君が僕に怒っているのも、殺したいと思っているのも自分の意志じゃないはずだ!」
「なん、だ、とぉ!?」

 騒音が辺りを埋め尽くす中、リヴォルだけが露骨に表情を変えた。

「やっぱり気づいたか……勇者は殺すつもりだなんて言ってるけど、本当は殺す手前で連れて帰るつもりだったんだよね。ハンゾーはお兄ちゃんの体を欲しがってるから、っと!」
「よそ見なんかしてるんじゃあないわよッ!」

 しかし、彼女にはどうにもできない。少なくとも、家具を破壊し尽くしながら猛撃を繰り出すアンジェラをどうにかするまでは、眼前の敵から目をそらせない。
 さて、剣を乱雑に弾いてフォンから離れようとするクラークだが、フォンは彼を逃がそうとしない。決して彼に愛着があるわけではないが、忍者の野望による被害者は一人でも減らさないといけないと、もう一人のフォンが言っているような気がしたのだ。

「聞いたか、聞いただろう!? 彼女達は君の目的を果たさせるつもりなんかない! サラも、ジャスミンもだ! ここまで喋ったのも、君達を甘く見ているからだ! 思い出せ、思い出すんだ、己が何者なのか!」
「己を、だと……」

 ぎりり、と歯を食いしばるクラークの中に、微かな動揺をフォンは見た。
 尤も、それを察知したのは、クロエの矢から逃げ回るマリィも同様だった。

「全く、何の為に私が『監視役』に選ばれたのか、気づいていないようね」

 雷の属性を纏った矢の雨を、長椅子を盾にして防ぐマリィは、切っ先が僅かに鈍って呼吸の荒くなったクラークを煽り立てるかのように、優しさと厳しさを含んだ口調で言った。

「クラーク、貴方は檻を出る時に言ったわ! 自分をこんな目に遭わせたフォン達に復讐する為なら、なんだってやってやると言ったのよ!」
「あいつ、余計な口を挟んでんじゃないっての!」

 クロエは咄嗟に長椅子を射抜くが、マリィはさっと他の面子の後ろに回る。
 これで、彼女の目的と役割ははっきりとした。クラークを鼓舞し、利用するのだ。

「思い出して、クラーク! 貴方の目的はただ一つ、フォンを殺して、真の勇者になるの!」

 その証拠に、彼女の言葉を聞いた勇者の手に、異様なほど力が込められている。まるで内臓の奥から力が噴き出しているかのような感情がこみ上げた彼は、フォンの前で顔にこれでもかと血管を浮き立たせて、獣の如く絶叫した。

「――おおおおぉぉぉぉおおおおぉッ!」

 同時に、とんでもない力が初めて、フォンを圧倒した。
 彼の気迫は、他の所で戦っている勇者パーティも、忍者パーティも圧倒した。叫び声だけでそうなのだから、対面するフォンが少しだけ後方に下がるのも致し方ないだろう。
 苦無をへし折りかねない形相で叫ぶクラークは、最早獣の様相だった。

「俺は勇者だ! フォンを殺して、仲間を殺して、自由を手に入れればまた勇者になれる! その為なら何でもやる、その為だけに俺は忍者に手を貸したんだああぁぁッ!」
「そうだ、勇者パーティの栄光を取り戻すんだよおおぉッ!」
「世界中に可愛さを知らしめてやるんだッ!」

 勇者に焚きつけられ、仲間達が喚き散らす。彼女達の戦意を維持するのもマリィの役目なのだろうが、彼女はきっと勝利を望んではいない。忍者側が目的を全うするまで使い潰すことしか考えていないのだろう。
 少なくとも、クラークと一旦距離を取ったフォンの目には、彼女の淀んだ目が恐ろしい色合いに見えてならなかった。他の仲間達もまた、いきなり鼓舞され、スペックを一時的に向上させた勇者パーティから離れた。

「くっ、ここまで洗脳術が行き渡っているとは……彼を焚きつける役割を与えられてるみたいだけど、マリィは気づいているのか、リヴォル達の目的に……!」
「多分ね。あいつは勇者にもクラークにも、全く関心がないよ。あるのは自分が安心を得られる相手だけ、今回は従う相手がハンゾーになっただけだよ」
「……みたいだね。だったら、説得はなしだ!」

 とはいえ、やはりフォンの敵ではない――正確に言えば、フォン達の敵ではないのだ。
 彼はどこからか、身の丈と同じくらいの大きな黒塗りの平たい棒を取り出した。フォンがそれを、しなりをきかせて開くと、一つの扉ほども巨大な扇となった。

「力技でねじ伏せる、皆は下がって! 忍法・風遁『轟々嵐(ごうごうらん)』ッ!」

 忍者が叫び声と同時に奥義を思い切り振るうと、鋼色に可視化された、台風と見紛うほどのとんでもない突風が部屋中を覆いつくした。勿論、ただの風ではなく、仲間を除いた周囲一帯を切り刻むほどの破壊力を秘めた風だ。
 凪いだ先は前方だが、油断すれば肌を斬られるほどの風圧を、フォンの後ろにいたクロエですら感じ取った。そんなものを正面から受ければ、どうなるか。

「ぐおああぁッ!?」

 合わせて六つの体が宙に浮き、巨人に蹴られたかの如く吹っ飛んだ。

「忍具・『大扇』。風遁忍術の技術と魔力を組み合わせた、マスター・ニンジャ秘伝の忍具だよ。君ですら見たことがないだろう、リヴォル」

 勇者パーティとリヴォル、レヴォルが崩された壁の方まで叩きつけられたのを見たフォンは、自分の持つ忍具を翳しながら、かつての同胞すら知らない力の正体を告げた。
 サーシャやクロエだけでなく、フォンもまた、忍術と魔法が融合した禁忌の武器を持ち合わせていたのだ。しかも、身の丈ほどもある武器をどうやって隠し持っていたのか、床に置けば地面にめり込むほどの重さの武器を軽々と振ってみせたのか。
 何も分からぬまま瓦礫の中から起き上がり、忍者も、勇者も驚愕する。

「勇者だけじゃなくて、私やレヴォル、他の奴らまで弾き飛ばした!? 見たことのない忍具まで……お兄ちゃん、どれだけ強くなってるっていうの……!?」
「この野郎、舐めやがって……!」

 クラーク達は強がってはいたが、マリィだけは察していた。

「僕達の方が優勢なのは明白だろう――観念しろ、クラーク、リヴォル」

 自分達だけでどうにかできるほど、フォンは甘くないと。
 そして、弱くないとも悟った。
 無論、よろよろと起きあがった侵入者達の前に立ちはだかるのは、フォンだけではない。

「一転攻勢、ってやつだね」
「さあて、誰から燃やしてやろうか、でござるな!」
「さあて、誰から潰すか、サーシャ、悩む」

 フォンの仲間達とアンジェラ、彼女に肩を貸してもらったアルフレッドが、敵を見据えていた。今や誰も、敵を一人たりとも逃がすつもりはないようだった。
 最も相手に温情を賭けるフォンですら冷酷に徹しているのだから、他のメンツがリヴォルやクラーク達を逃してやるはずがない。寧ろ、この場で仮にフォンが制止しようとも、後の憂いを絶つべく殺しておくだろう。
 ぜいぜいと肩で息をする勇者パーティのうち、最初に口を開いたのはマリィだった。

「……リヴォル、退いた方がいいわ。ハンゾー様がアルフレッド王子を攫えと言ったのは、可能であるならよ。フォンも同じよ、無理に追えば必ず……ぐっ!」

 だが、返ってきたのは手の甲の強烈なビンタだった。

「洗脳する価値もない頭でっかちが命令しないで。命令は私とハンゾーが下すから」

 顔を殴られて鼻血を流すマリィが蹲るのも無視して、リヴォルはレヴォルを引き寄せた。彼女の怒りはフォンやアンジェラに向いているようだったが、何よりも自分に指図したただの魔法使いの発言が、気に障ったようだ。
 とはいえ、激憤に駆られて継戦するほど、彼女も頭に血は昇っていない。

「一旦退くよ。お兄ちゃんと王子を奪えないのは惜しいけど、目的は別にある。きっと、ハンゾーが作戦の『第二段階』の発動を告げるからね」

 じり、と足を一歩後ろに下げるのと、フォンが彼女を睨むのは同時だった。

「『第二段階』? リヴォル、詳しく教えてもらおうか」
「じきに分かるよ、身を以てね――レヴォル!」

 謎の計画についてフォンは問い質そうとしたが、リヴォルが動く方が早かった。彼女がレヴォルを操作すると、人形の服の袖から小さな球体が転がり落ちてきたのだ。
 それが何かを確かめるよりも先に、球は勢いよく破裂した。中から飛び出してきたのは、刃物や火薬ではなく、辺り一帯の視界を完全に遮るほど濃い灰色の煙だ。フォンですら何も見えなくなるくらいの煙は、たちまち『王来の間』を埋め尽くした。

「わぶっ!? これ、煙玉!?」
「香草も混じってる……僕とカレンの嗅覚対策か……!」

 こうなると、いくらフォンやカレンでも敵を追えない。煙に紛れてこちらを襲ってくるのならやりようはあるが、相手は入ってきた穴から早々に逃げるつもりなのだ。

「そういうわけだから、さっさと逃げさせてもらうね。ほら、行くよ、無能集団」
「ちぃ……次こそは、フォンを殺してやる……!」

 事実、リヴォルは既にクラーク達を引き連れて、部屋を出ようとしている。

「あいつ、まだあんなこと言ってる。懲りないね」

 クロエやサーシャはまだ武器を構えているが、これ以上追撃する気はない。アンジェラだけがリヴォルを追いかけたそうにしていたものの、アルフレッドの護衛をしなければならない立場上、不用意には動けない。
 だから、敵が逃げるのを、ただ待つばかりだった。

「クラーク――」

 ただ一人、そうはいられない男がいた。

「――それでも君は、勇者に選ばれた男か!」

 フォンだ。
 目を見開き、感情に任せて叫ぶフォンに、誰もが驚いた。

「……!?」
「フォン!?」

 クロエが止める間もなく、逃げようとした足を止めるクラークに、彼は吼えた。

「君を付き人に選んだ勇者の想いを考えたことはあるのか、何の為に君を選んだのか! 勇者になったのはちやほやされたいからか、力を得たいからだけなのか!」

 忍者は決して、勇者に同情するわけでも、ましてや許すわけでもなかった。
 しかし、同じく師を失った者として、今の彼の在り方は耐えられなかった。フォン自身が、ではなく、クラークに全てを託して死んでいった勇者の無念がだ。

「どれほどの邪悪に操られているかも知らず、国を傾けるほどの闇に手を貸しているかも気づかずにッ! 復讐心に全てを費やして何も見ようとしない付き人がッ! 勇者にとってどれほど惨めだと思うんだ!?」

 だからこそ、フォンは叫んだ。
 叫ばずには、いられなかった。
 激昂はフォンの優しさから来た感情でもあったし、クラークを選んで愛してくれたであろう勇者への無念でもあったし、堕ちるところまで堕ちたクラークへの怒りでもあった。

「このまま僕を殺して満足か!? 復讐を果たしたと思うか!? 言っておくが、忍者の道具として望みを叶えてギルディアに戻ろうが、どこで大きな顔をしようが、君に闇は纏わりつくぞ! 永遠に消えない闇だ、いいや、そもそも戻れやしない!」
「う、うう……」
「勇者でも、付き人でもないただのクラークに戻る前に、始末されるからだ! サラやジャスミンを仲間だと思っているのなら、まだ勇者でいたいなら、やるべきことは分かっているはずだろう! いい加減甘えるな、自分をもう一度見つめてみろ!」
「ぐあ、ぁ……俺は、俺は……!」

 頭を片手で抑えて呻くクラークだったが、彼の異変をマリィは見逃さなかった。

「クラーク、耳を貸さないで。貴方は自分の役目を果たすのよ」

 勇者を制御する役割を持つ彼女は、サラやジャスミンを無視して、彼を抱き寄せてささやいた。すると、クラークの心に突き刺さった楔は抜けたようだった。

「……ああ……」

 小さく呟いてからは、もう何の気配もなかった。
 サラもジャスミンも、クラークとマリィについていくように消えていった。リヴォルとレヴォルは殿を務めていたようだったが、やがて視線すら感じなくなった。

「……逃げたわね」

 武器を仕舞ったアンジェラがそう言うと、煙がすっかり晴れていった。クロエやサーシャもまた、敵が近くにいないと確信して、それぞれ警戒態勢を解いた。

「でも、諦めるつもりはなさそうだよ。さっき言ってた『第二段階』ってのが何なのかはさっぱりだけど、どう考えたって碌なものじゃなさそうだしね」
「あの女を逃がしたのは癪だけど、一先ずここから離れて、陛下の元に行かないといけないわね。王子、それでよろしいですね?」
「……頼む」

 彼女の手を借りずとも立ち上がれるくらいには回復したらしいアルフレッドは、少しばつが悪そうな調子で、フォンに向き直って言った。

「冒険者達、済まなかったな。俺は君達を軽んじていた。俺はこうして助けられるまで、未知の侵略者も忍者の存在も信じていなかった、間抜けな男のようだ」
「いえ、信じてくれたなら、それで十分です。ありがとうございます、王子」
「後の祭りというやつでござるがな……痛だっ!」

 カレンが茶化すと、アンジェラが彼女の頭を小突いた。

「余計なこと言うんじゃないの。とにかく、あいつらが何かをしでかす前に警備を固めて、バルコニーから陛下達を避難させるのが先決ね」

 蟠りも消えたところで、ようやく誰かが近づいてくる音が、遠くから聞こえてきた。

「足音、聞こえる。兵士達、こっちに来たな」
「ま、これだけ暴れれば当然だね」

 破壊され尽くした部屋の中で、冷静さを取り戻していった一同は、どれだけ自分達が危険な戦いに身を置いているのかを静かに実感していった。
 やはり、忍者は来ているのだ。しかも、危険極まりない相手が。
 去来する決戦の鐘の音を、誰もが心の中で聞いていた。

「……行こう。リヴォルを、クラーク達を……迎え撃つ為に」

 それでも、フォンの声は静かだった。
 彼の言葉には、悲しみよりも、虚しさが詰まっていた。

 ◇◇◇◇◇◇

「――分かった。警備の強化を頼むぞ、アルフレッドよ」
「お任せください。お前達、聞いたな! 鼠一匹、蠅一匹の侵入も許すな! 生誕祭が終わるまでこれ以上の失態は許さん――俺も含めてだ!」
「「はっ!」」

 二階のバルコニーの奥の廊下で、アルフレッドと兵士達の声が響いた。
 『王来の間』に騒ぎを聞きつけた兵士達がやってきてから、一同が二階のバルコニーで演説を終えていた国王の下にやって来るまではそう長くはかからなかった。
 すでに忍者が襲撃を仕掛けてきたと聞いた王と王妃は、すぐさまバルコニーから奥の廊下へと戻り、兵士に囲まれて壁際に立った。幸いにも、演説を終えてからだったので、国民が何かを疑う様子はなかった。
 外で再び演舞を始めたダンサーや踊り子、音楽隊が広場の雰囲気を盛り上げると、宮殿の内側に潜む危険な雰囲気はたちまち感じられなくなった。兵士や護衛がどたどたと慌てた調子で駆け回るのを率いるアルフレッドは、静かにフォン達を見据えて言った。

「……忍者諸君には、君達にも警備の補助を頼みたい。父上と母上のだ」

 彼が両親の警護を務めないと聞いて、アンジェラを含めた全員が驚いた。

「良いのですか? 王子は……」
「俺は他の警備隊へと合流する。さっきのように、別方向からの侵入を企てる者がいないとは言い切れないし、住民に危害が及ぶ可能性もある」
「王子、敵は貴方を狙っています」
「分かっている。だからお前にも、アンジェラにも同行してもらう……それに、俺より強い者が守ってくれる方が安心できる。情けない長男で、済まない」

 しかし、理由を聞けば、それにも納得できた。
 忍者の存在を知り、王族だけでなくネリオスそのものを巻き込む可能性が浮上してきた以上、全体の守護に回らなければならない。その時、士気を高める者の在と不在は、状況を大きく変えるだろう。だからこそ、アルフレッドが前線に出たのだ。
 当然だが、彼は一度敵に攫われかけた。その反省も踏まえて、単独行動は決してしないし、アンジェラも今回は同伴させた。
 何より、実力差を鑑みて、つまらないプライドを捨てた彼は、自分よりも家族を守れる可能性のある者に賭けたのだ。少なくとも、先ほどまでの、自分の力であれば何でもできるなどという傲慢な考えは完全に頭からは吹き飛んでいた。

「そんなことはありません。忍者フォンとその仲間、命を賭して陛下をお守りします」

 だから、フォンは小さく頷き、決意で返した。

「……頼んだ。アンジェラ、行こう」
「分かりました。それじゃあフォン、あとは任せたわ」

 アルフレッドとアンジェラは互いに頷き合い、ある程度の数の騎士を残して、護衛を引き連れて宮殿の警護強化に向かった。
 そんな姿を見て、カレンは妙に口を尖らせて呟いた。

「何というか、これだけの短期間であんなに丸くなるもんなんだね、人間って」
「丸くなったんじゃないよ、王子の本質なのさ。僕達とは少しすれ違っていただけで、何も悪い人じゃあないよ」
「だとしても、表情まで変わるものでござるか、師匠」
「僕達の色眼鏡が外れたんじゃないかな、きっと。さて、そろそろこっちも――」

 フォンも、少しだけ心が落ち着いた気分だった。
 リヴォルの襲撃が過ぎて、油断したわけではないが、張っていた気を微かに緩めた。
 その判断があまりにも甘いと、彼は気づかされた。

「――ッ!」

 彼は怖気を隠し切れなかった。
 全身を突き刺すような――『蛇』の視線が、彼を貫いたのだ。
「フォン?」

 隣にいたクロエが思わず声をかけるほど、フォンの形相は変わっていた。
 彼女の声に気づいてはいたが、彼の喉には言葉が詰まっていた。言いたいこともあるはずなのに、返事も決まっているのに、口に蛇の尾を詰め込まれたかのように、喋れなかった。
 異様な態度にサーシャやカレンも顔を寄せてきた時、やっとフォンが口を開いた。

「……クロエ、サーシャ、カレン。警護を始めてくれ。皆にもそう伝えてくれ」

 さっきまでの明るさは、もうどこにもなかった。
 凶悪な魔物やクラークを相手にしていた頃の余裕は、微塵も感じられなかった。代わりに彼は、一番近い廊下の窓を開いて、大袈裟に身を乗り出した。

「警護って、まだ王様は……」
「いいから言ったとおりにしてくれ、もう猶予はないんだ!」

 そうして、クロエ達に警告したのを最後に、フォンは窓の外へと飛び出した。

「あ、ちょっと待ってよ、フォン! どこ行くの!?」
「師匠!」

 あまりに唐突な出来事に驚いたクロエ達が窓から顔を出すと、フォンはもう壁を走っていた。かつて大木を垂直に走ってみせたように、宮殿の壁を駆け出したのだ。
 フォンの目は、仲間達の方には向いていなかった。宮殿の屋根から感じる蛇の視線が鋭くなるにつれ、彼の瞳はずっと上を向き続け、同じく表情も険しくなる。大口と牙の中に飛び込むような錯覚を覚えながらも、彼の体は重力に逆らい続ける。
 後方からは広場の騒ぎ声が聞こえてくる。現実が引き戻そうとするのを振り払いながら、フォンはあっという間に、広く長い屋根へと辿り着いた。
 ネリオスの全てが見えるほど広大な、宮殿の頂点。遥か青い空の下。

 ――そこに、奴はいた。
 フォンに背を向けた黒いコートの男は、ゆっくりと振り返り、彼に顔を見せた。
 フードの中にあるのは、暗い緑か、青か、黒にも見える色の短髪。嘴の如く尖った鼻。ぎょろぎょろと螺旋模様を描く、蛇に似た大きな瞳。年は恐らくは青年程度で、顔中に継ぎはぎのような傷痕があるのに整った顔立ちに見えるのは、幻覚だろうか、それとも。
 総じてフォンが一度だって見たことのない男だが、彼は正体を知っていた。

「――レジェンダリー・ハンゾー」

 彼が、彼こそが、かつて老人の姿を取っていたハンゾーであると。
 振り返り、フードを脱いだ男は、厭らしさをここまで詰め込めるのかと驚かされるほどの笑みを浮かべて言った。

「――その名で儂を呼ぶとは。まだ敬意というものが残っておるようじゃな」

 嗤うハンゾーとは裏腹に、フォンは冷たい目を見せた。
 亡骸を見据えるというよりは、邪悪の根源を見ているようだ。

「一度死した者は伝説とだけ残るべきだ。埋もれ、潰えるだけでいい。僕がお前を伝説と呼んだのは、どうして生きてここにいるのかと疑問に思ったから、それだけだ」
「うむ、確かにお主は儂の心臓を絶った、と思っているじゃろう」

 フォンの記憶が正しければ、ハンゾーは自分が斬り捨てた。
 だが、彼の認識はやはり違っていたようだ。これまでにも何度か、彼がもしかすると生きているのではないかという考えが頭を過ったが、正しくそちらが事実だったらしい。

「じゃが甘い。儂が自らの心臓を筋肉で止めているのも気づかず、度重なる肉体改造によって心臓の位置が変わっているのも気づかず、お主は相手を殺したと思っただけよ。この体も、可愛らしい少女の姿も、儂の得た禁術のものよ」

 ハンゾーの脳裏に浮かぶのは、自分がフォンに斬られた瞬間だ。噴き出す血と痛みは確かだったが、筋肉や骨格を自在に変える能力を持つハンゾーは心臓を斬撃痕から逃し、死だけは回避してみせたのだ。

「致命傷でも、なんでもなかったというわけか」
「いいや、儂の体を裂いたお主の腕は確かよ。致命傷こそ受けなかったが、隠しておったリヴォルと共に暫く養生しなければならなかったほどにはな。自然治癒力を高める『心身活性の術』がなければ確かに死んでおったかもしれんのう、くはは」
「そのまま朽ちていればよかった。なぜ生き返った、何の為に?」
「分からんわけがなかろう」

 今度は、ハンゾーの目が妖しく光った。
 彼と目を合わせず、静かに視線をずらすフォンの態度を見ながら、彼は話を続ける。

「忍者が夜を統べる時代は終わりよ。太陽の下を食らいつくし、己が国を以て凡愚どもを従え、真に王冠を被るのが誰であるかをしらしめるのだ。この国は、その第一歩よ」

 ハンゾーの目的は、里にいた頃から何一つ変わっていない。寧ろ、より邪悪さを増しているようでもあった。なんせ、既に計画を実行へと移しているのだから。
 忍者がいかに素晴らしいかを説くのは昔と変わらなかったが、他の忍者と違い、フォンにはやはりどれほど素晴らしいのか理解できなかった。彼は常に、忍者そのものが素晴らしいのではなく、忍者の為すべき正しさに価値があると教えられてきたからだ。
 先代フォンの言葉を覚えているからだからこそ、忍者が偉ぶるのがどれほど無価値か、ともすれば愚かとすら形容できないかは分かっていた。そんな連中を指し示す言葉は、フォンは一つしか思い浮かばない。そして、言ってやらない理由もない。

「自分達を認めない国への反逆か。くだらない」
「反逆? 違う。儂らが持つべきものを取り返すだけだ」

 フォンの言い分を、ハンゾーは軽く受け流した。

「お主も見たであろう。侵略を恐れて殻に閉じこもる愚かな王と、自らが狙われているとも気付けない間抜けな王子を。奴らを傀儡にしてやるのも一興かと思ったが、やはりつまらん。正面から潰してやり、忍者の恐怖を刻み付けるのが一番よな」

 どうやら、クラークやリヴォルをこちらにけしかけたのも、ハンゾーからすれば単なる余興の一環に過ぎなかったようだ。
 作戦が成功すればよし、失敗したところでさして問題もなし。まるで、忍者の余裕を現したかのような行動に、フォンは半ば不快感すら覚えた。特に、アンジェラの同僚を殺したのも丹念な計画ではないかのような言い分は苛立たずにはいられなかった。

「四騎士を殺したのも、戯れ程度だというのか?」
「『配下』の力を試しただけよ。なんじゃ、大きな計画でも感じておったのか?」

 その通りだった。アンジェラがこれを聞けば、どれほど怒るだろうか。

「忍者の力があれば、純粋な武力があれば、計画など不要。衆愚、騎士、兵士、何もかも不要。忍者以外はいらんのだと……リヴォルは理解しておらんようじゃがな」
「忍者以外がいらないのなら、クラーク達は?」
「生かす理由があるとでも?」

 知ってはいたつもりだが――クラーク達の運命も、決まっていた。
 彼らは復讐を果たす前に、道具として使い捨てられるのだ。
 フォンには薄々、彼らの未来が読めていた。ハンゾーほどの残虐な人格者が、道具として回収し、忍者の秘密を知った者を長生きさせるはずがなかった。

「お主を連れてくる為に利用してやるつもりじゃったが、あそこまで使えんとはのう。特にあの魔法使いは、擦り寄りと命乞い以外は蛆虫程度の価値もない。薬で強化してやってもあれだとは……やはり、儂の目的に見合うのはお主しかおらんな、フォン」

 クラークやサラ、ジャスミンはもとより、自分に擦り寄ってきたマリィに関しては猶更価値を見出せないだろう。忍者の薬の力を借りておきながら敗走した時点で、仮にハンゾーが目的を達成しても、彼らが生かされる理由はない。
 それどころか、ハンゾーの関心は手駒よりも、フォンに向いているようだった。

「僕を、どうするつもりだと?」
「決まっておる。儂の右腕とし、新たな『忍者兵団』の頭領とするのよ」

 ハンゾーの目当てが変わっていないのに、フォンは内心驚いていた。死の間際に放った忍者の軍団の頭領に、彼を据えるつもりでいるのだ。
 無論、フォンは喜びなどしない。忍者の最上位に立ったところで、後ろには常にハンゾーがいる。兵団のトップに立つことは、つまり蛇の傀儡になるのと同じである。

「僕を頭領に? ネリオスに潜入させた忍者を任せて、お前はどこへ行くつもりだ?」
「そこまで見抜いておるとはな。そして儂がどこへ行くかとは、さっきも言ったぞ――儂が目指すは忍者の国にして、その王よ」

 同時に、蛇は最早、地を這うことだけを理想とはしていなかった。

「今こそ、忍者が太陽となるのだ。人を、亜人を従える、『忍者帝国』としてな」

 ハンゾーの腹に潜むのは、王としての立場だった。
 しかも、この王国よりも長大な野望だった。少なくとも、王都に閉じこもるような国王はハンゾーの野望の範疇ではない。ともすれば他国を侵略し、平地を、森を、山を、谷を支配する完全にして暴虐の王を、彼は望んでいるのだ。
 忍者とはそんなものか。人を恐怖で統治し、強さを知らしめるものか。

「忍者は――師匠が望んだのは、そんな未来じゃない!」

 いや、決してそうではない。
 フォンが――フォンの中に流れる先代の遺志が、彼を反射的に叫ばせた。

「忍者が最も輝くのは、人の影の中だけだ! 忍術はだれかを支配する為の力でもないし、人の血を無為に流させる力でもない! お前の息子の言葉を、お前は……!」

 だとしても、ハンゾーの決意と憎悪は微塵も揺るがなかった。

「ああ、聞いておったとも。愚息の戯言をな」
「……!」

 それどころか、ハンゾーは自身の息子である先代フォンの在り方を一蹴した。出来の悪い息子を語るような口調を前にして、フォンの目が怒りで見開いた。

「あやつは愚かにも忍者を捨ておった。儂らの悲願を捨て、保身に走った。まこと、まこと愚かな男よ……大人しく儂らに使われておれば、死ぬことも無かったろうに」

 ここまで言われても、フォンは怒りのままに動かなかった。
 代わりに、目の奥に殺意を秘め、ハンゾーを睨みつけた。ある理由から視線を合わせようとはしなかったが、それでも瞳の中に渦巻く憤怒の覇気は凄まじく、相手が忍者でなければ気迫だけで死に至るほどだ。

「僕の、俺の前で師匠を侮辱するな。死期を早めることになるぞ、老人」
「お主こそ、死にたくなければ言葉を選べ」

 しかし、ハンゾーは忍者だ。これしきの殺意では、微塵も動じない。

「残された道は二つぞ、フォン。『忍者帝国』の礎となるか、仲間とやらと共に朽ちて死ぬか。儂もお主の聡さは知っておる。ならば、選ぶべき道は一つであろう?」

 老人が頬をつり上げて嗤った理由は、フォンの未来が見えているからだ。自分達に従って、忍者兵団の新たな面子として加わるか、愚かにも抵抗して死を選ぶか。フォンは愚直ではあるが賢明でもあると、ハンゾーは知っていた。
 とはいえ、彼はフォンのことを知らなさ過ぎてもいた。

「……僕の選ぶ道は、もう決まっている」

 フォンは、ハンゾーの見出した二つの選択肢を、いずれも無視する気でいた。

「僕は僕の繋がりを守る。忍者であるより、強い者であるよりも大事なことがある……それを教えてくれた仲間を、自分の在り方を教えてくれた師匠の意志を、僕は守る」
「つまり?」
「お前の指示した道を、僕は選ばない。忍び忍ばず、フォンはフォンの道を往く」

 フォンの忍者としての道は、もうハンゾーの範疇には収まらなかった。
 これまでどの忍者も進まなかった道。新たなる忍者としての希望を前にして、ハンゾーのレジェンダリーとしての立場と提言が、どれほどの意味を持つだろうか。
 そんな勇気と信念の言葉を、やはり彼は嘲笑した。

「ほう、儂らと戦うと? 勝ち目はないぞ」
「お前こそ、僕達を見くびるな。僕の仲間は、お前が率いる忍者よりもずっと強い。お前が僕を利用する為に与えた力が自分に降りかかるのを、後悔するんだな」
「それにも、やはり気づいておったか。リヴォルはやめるよう提言してきおったが、儂はまだお主が抜け殻だと信じたくてのう……まあ、あれも戯れのようなものよ」

 苦無に手をかけようとしたフォンの前で、ハンゾーは肩を鳴らしながら言った。

「で、だ。儂らがあの無能な勇者どもとリヴォルだけで来たと、そう思っておるのか?」

 時計回りに、ハンゾーはフォンの前を歩く。フォンもまた、彼と真逆の動きを見せる。

「時間を費やし、陰に隠れていた間、儂が何もしていなかったと思うか? 儂の禁術、『蛇眼支配(じゃがんしはい)の術』を封印して、使っていなかったとでも?」

 『蛇眼支配の術』。
 これこそが、フォンがハンゾーと目を合わせない理由だ。彼の持つ恐るべき術を今は紹介できないが、少なくともフォンですら抵抗できないのは、まぎれもない事実だ。

「……どれほどの数の人を、支配したんだ」

 邪悪な禁術の濫用をフォンは言及したが、ハンゾーは首を横に振った。

「人? くはは、忍者を生み出したところまで考えが既に至っておったところは褒めてやろう。じゃが、誰も人とは言っておらんぞ?」
「なんだと?」
「まだ分からぬか? この国にはおるじゃろう。人より強く、憎しみ深い生き物が」

 そこまで言って、ようやくフォンも悟った。

「人より憎しみ深い……まさか、ハンゾー!」

 彼がどれほど危険な相手を洗脳し、味方に引き入れたのか。
 クラークなどは序の口に過ぎない。フォンの予想が正しければ、彼は血に流れるほどの憎悪と憤怒を携えた面々を、しかも兵団と呼べるほどの数で従えたのだ。
 とんでもない敵の姿を想起したフォンは、微かにホルスターの苦無から手を離した。

「そうよ、その通りよ。お主の浅はかな考えと、くだらぬ絆とやらで破れるほど、今度の『忍者兵団』は甘くないぞ。数を揃えた精鋭がどれほど恐ろしいか――」

 それがまずかった。
 僅かな動揺も、不安も、醜悪な蛇は見逃さないと、フォンは思い知ることとなる。

「――思い知るがいい、小僧ッ!」

 猿の叫びにも似た声と共に、ハンゾーの放った回し蹴りが、忍者の腰に突き刺さった。
 目にも留まらぬ速さの一撃が、的確にフォンに命中したのだ。
「ぐおっ……!」

 一瞬で、フォンの体は屋根から宙に突き飛ばされた。
 終ぞの瞬間まで彼はハンゾーを睨みつけていたが、重力には逆らえず、地面へと落下した。
 広場から聞こえてくる太鼓や弦楽器、管楽器の演奏がスローモーに感じられる。普通の人間なら、死の間際に感じられる遅延かと思うだろうが、フォンの場合は違う。どれだけの高さから落ちても死なないよう、精神を集中させているのだ。
 遥か足元に見えるのは、彼が飛び出した窓。幸いにもまだ開いたままで、クロエも誰も顔を出していないそれを見たフォンは、墜落の速度をそのままに、桟を手で掴んだ。
 みしり、と腕に全体重がかかる。加速の負荷も同様だが、乱痴気にも似た騒ぎを背中で聞きながら、廊下に入っていったフォンにとっては些末以下である。

「ただいま、皆」

 彼は少しの散歩から帰ってきたかのように、廊下を歩いて仲間に駆け寄った。

「え、ちょ、フォン!?」

 寧ろ驚いたのは、唐突な彼の帰投を目撃したクロエの方だ。
 いきなり壁を垂直に走って行った男が、今度は突然落ちてきて、しかも当然の如く戻ってきたのだから、驚かないはずがない。それはクロエの後ろから、フォンに向かって駆け寄ってきたサーシャやカレンも同様だった。

「お前、どこ行ってた?」
「ちょっと懐かしい顔を見にね。それよりも、警備を固めなおさないといけない」

 サーシャの問いに、答えになっていない答えを返すフォンの様子は、どこか慌ただしい。

「警備を固めるって、もう十分に固めてるよ? 何か気になることでもあるの?」
「気になるというよりは、のっぴきならないというべきかな。今しがた、敵の頭領、ハンゾーに会ってきたんだ」

 今度こそ、三人は周囲の騎士や兵士の顔色も構わず、目を見開いて驚愕した。

「何と!? では師匠、既に戦いを……!?」
「いいや、会ってきただけさ。あの男の真意を確かめる為にね……そして確信した。奴は細かな作戦など捨てて、純粋な武力だけでネリオスを崩壊させるつもりだ。それに、戦いに必要な兵隊も既に忍び込んでる」
「兵隊……?」
「『忍者兵団』さ。あの男が育て上げた忍者の一団、正真正銘、ハンゾーの兵隊としてのみ動く危険な連中だ。しかも今度は、彼も相当本気らしい」
「まさか、アンジェラの同僚を殺した張本人?」
「そうだね、しかも今度は、僕が皆殺しにした時よりもずっと危険だ。なんせ……」

 フォンは詳しく事情を説明しようとしたが、不意に口を噤んだ。

「なんせ、どうしたの?」

 クロエが事情を聞こうとしたが、フォンは彼女に返事をするよりも先に、窓の外を睨んだ。
 再びハンゾーの気配を感じたからではない。既にあの邪悪な忍者の気配は消え去っており、この辺り一帯にはいないのは確信できる。
 問題は、宮殿にまで聞こえてきた演奏と歌声、舞踊の熱気が突然掻き消えたことだ。
 あまりにぴたりと止んでしまったので、フォンだけでなく、クロエ達も、警備に勤しんでいた甲冑連中も、窓の外に目をやった。広間までは存外距離があるが、どのような状況になっているのかくらいは一目でわかる。
 無数の観客に囲まれて、広場の中央に鎮座していたのは、黒衣を纏ったとある一団。つい先ほどまでは様々な楽器を携え、沢山の踊り子が舞っていたが、今は誰もが完全に沈黙している。一様に俯き、周囲の騒めきも気に留めない。

「フォン、あれは……?」

 首を傾げるクロエの隣で、フォンは小さく息を呑んだ。

「……そういうことか、ハンゾー……!」

 彼は、ずっと感じていた違和感の正体に、ようやく気付いた。
 背中を走る不快感は、単なる演奏だけではなかった。騒がしさだけでもなかった。

「よくも、あれだけの数の部下を……!」

 苦々しげにフォンが吐き捨てたのと同時に、広間の黒服達は、コートを脱ぎ捨てた。
 ――そこにあったのは、やはり漆黒の衣装だった。
 黒い纏、黒い靴、黒いバンダナで口元を覆い、腰には色々な武器を携えている。ただし、その姿は真っ当な人間のそれではないどころか、人間から遠くかけ離れていた。
 何十はくだらない頭数を揃えたそれらは、何れも人ではなかった。
 一つは、人の体に牛の顔を持つ巨大な怪物。一つは、長い耳を有した弓矢持ち。一つは、とんでもなく長い髭を蓄えた小柄の老人。それら全てが人間ではなく、亜人と呼ばれる種族――人間が忌避し、王族が滅そうとした種族であると、その場にいた者達はわずかな間だけ、理解できなかった。
 人々が唖然とする中、最も巨大な体躯のミノタウロスが吼えた。

「――反逆の時だ! 『忍者兵団』よ、悉く殺し、奪ええええぇぇ――ッ!」

 怒号にも似た号令が、全ての引き金となった。
 果たして、『忍者兵団』を名乗るのは広場にいた面々だけではなかった。

「「オオォォ――ッ!」」

 叫び声に呼応するかのように、露店の裏側から、建物の上から、地面の下から、戸惑う人々の隙間から、まるでゴキブリの如く黒衣の亜人達が飛び出してきたのだ。その恰好は紛れもなく、フォンのイメージする忍者そのものだった。
 誰もかれもが、人より大きい。人よりも凶暴で、屈強で、持っている武器も危険性が高い。刀、鎖鎌、苦無、どれもこれもがひと凪ぎで人を殺すのに十分すぎる。
 そして彼らは、呆然とする人間風情に、逃げる情けを与えてはやらなかった。

「ふんっ」

 忍者の格好をしたエルフの一人が、苦無で近くの男の喉を裂いた。
 血が噴き出し、痙攣しながら倒れ伏せる高貴そうな男が死んだ瞬間、遂に人間達が腹の底で抱えていた恐怖と絶望が爆発した。

「うわあああああああ!」
「逃げろ、逃げろおおおぉぉっ!」

 ほんの僅かな時間の間に、広場では恐ろしい虐殺が始まった。
 亜人が人間を蹂躙し、さっきまでの陥落はたちまち絶望に取って代わられた。市民が襲われる恐怖は、少し離れた宮殿にも伝播していた。

「師匠、あれは……!」

 慄くカレンの隣で、フォンは悟った。

「……ハンゾーの新しい『忍者兵団』だ。奴は亜人を洗脳して忍者として育て上げ、この日を待っていたんだ。長い時を経て、世界に復讐する為に……!」

 思い思いに人を殺し、暴れまわる連中の目が、こちらに向いているのに。彼らはただ殺戮をするべく暴れているのではなく、目的を見定めるだけの冷静さを手に入れているのだと知ったフォンは、彼らの次の行動を予測できた。
 武器を構えた無数の忍者は、怯え惑う人々を殺しながら、宮殿へと迫ってきたのだ。
 叫ぶ大臣、狼狽する兵士。唐突な災害に、人々は凡そ対応など出来ない。忍者も、この場においては災害と大差ない。
 あまりにも急すぎる終焉の切迫を、フォンと仲間達はただ静かに見つめていた。
 自分達でも驚くほどに冷静で、去来する死の軍団を迎え撃つ気持ちしかなかった。

「おい、こっちに来る。どうする」
「……どうするって、決まってるよ。あたし達の役割は一つだから」
「うむ! いかに危険な相手であろうと、決着をつけるべく、負けられぬ!」
「――ああ。行くよ、皆」

 四人の目が、迫りくる忍者の大群を見据えた。
 『忍者兵団』。勇者パーティ。リヴォル。そして、ハンゾー。
 恐るべき敵との決着をつけるべく、フォン達の長い一日が。
 ――最後の一日が、ようやく始まった。
 大きな窓からも見える黒い影の塊は、恐るべき危険性を視認させるには十分だった。
 困惑して怯え、パニックにすら陥る者達もいる中、アンジェラとアルフレッド、彼らが率いる騎士達が階段を上ってやってきた。

「フォン! あの外に集まっている連中、忍者って認識で間違いないわよね!?」
「ああ、間違いないよ、アンジー」

 明らかに困惑している二人に向かって、フォンは告げる。

「アルフレッド王子、奴らが忍者です。ここに来て、王族や家臣、人間と思しき全てを殺す存在です……捕まる前に、陛下達を連れて逃げてください」
「忍者、だと!? 人間には見えないぞ、あの姿は!」

 人間よりもずっと大きな体躯で人々を虐殺し、人間よりもずっと速く宮殿へと迫りくるそれらに対し、彼は明確に恐怖を抱いていた。
 しかし、あれはネリオスが陰で続けてきた迫害と差別の結果に過ぎないのだ。

「あれは亜人が洗脳された姿でもあります。人々への憎しみを利用されて、今や忍者の頭領の傀儡となっています。最早思想も何もなく、殺戮だけを望みに生きているようです」

 フォンがそう言うと、アルフレッドは壁を強く拳で叩いた。

「……我々が生み出した怨恨を、利用されたというわけか……!」

 王子は生まれて初めて、亜人達への侮蔑と憎悪を――凡そ他の誰かや思想に植え付けられたそれを信じ続けてきた自分を、心から愚かだと思った。
 とはいえ、こんな事態に陥ってから、もっと誠実に接すれば良かったと後悔しても遅い。
今できるのは、近くにいる人命を一つでも多く救うことだけだ。

「とにかく今は、戦う力のない人を連れて、地下通路を使って避難してください! アンジー、アルフレッド王子と一緒に彼らを護衛してくれ!」
「貴方はどうするの、フォン?」

 アンジェラに問われた彼は、窓の外とその少し上を眺めて呟いた。

「僕はハンゾーを、邪悪の権化を倒す……まだ奴は、宮殿のてっぺんにいる」

 彼は、ハンゾーが齎す邪悪な気配をまだ察知していた。
 それを完全に滅さなければ、戦いは終わらないし、恐るべき計画も消え去らない。何より先代から続く因縁を今度こそ断ち切るべく、フォンはハンゾーを倒すさだめにあった。
 それを聞いたアンジェラは小さく頷き、彼の仲間にも目をやった。

「……分かったわ。そこのお仲間さんも、一緒に行くんでしょう?」
「勿論。あたしは最後までフォンと戦うよ」
「サーシャも!」
「拙者も!」

 もう、どこにも迷いはない。進むべき道は、フォンの隣にある。
 彼女達のまっすぐな目を見たアンジェラは、少しだけ安心した。初めて出会った時のような、フォンのおまけではなく、それぞれが一人の強者であると確信できたからだ。
 ならば、かける言葉は一つだった。以上でも以下でもなく、ただ一つだけ。

「……死なないでね。絶対に勝って、またギルディアで会いましょう!」

 再会を祈る言葉。
 ただそれだけを告げて、微笑み、アンジェラは髪を翻して叫んだ。

「皆さん、地下通路へ誘導します! アルフレッド王子と私、騎士に続いてください!」

 彼女とアルフレッド、騎士達が先導役を買って出ると、重役や家臣、国王と王妃は彼らについて行った。目指すは地下にある、都市の外へと避難する為の秘密の通路だ。
 忍者が相手である以上、当然秘密とはいかないだろう。それに、相手はそれぞれが自分達より質が高い可能性もあるのだから、いずれにせよ油断は一切できない、危険な手段である。

「大丈夫かな、アンジェラ……あれだけの忍者を相手にして……」

 最も因縁があるようで、一番アンジェラの身を案じているクロエに対し、フォンが言った。

「心配する気持ちは分かるけど、クロエ、僕達に人を気にかける余裕はなさそうだよ。忍者兵団がこれ以上増える前に、ハンゾーのもとへ行こう!」
「……うん!」

 フォンの声に頷いたクロエが駆け出すと、先陣を切るフォンに続き、仲間達も走り出した。
 幸いにも、ハンゾーがいるらしい宮殿の屋根まではそこまで遠くない。問題は、黒い塊を成していた忍者達が、既に宮殿の窓を走り、上ってきている点だ。

「人間、人間だっ! 『忍者兵団』、襲撃開始いぃっ!」

 言うが早いか、忍者兵団の忍者が窓を突き破り、廊下に侵入してきた。
 牛の顔をした忍者、馬のような下半身を持つ忍者、長い耳を持つ忍者。いずれも人間とは違う亜人だが、誰も彼もが忍としての修行を受けているようだ。手にした苦無と、壁を上る技術、体を隠す黒の装束がその証拠だ。
 五人近い忍者は群れを成して襲いかかってきたが、こちらも忍者だ。迎撃はできる。

「もう来たか……カレン、火遁だ!」
「承知でござる!」

 フォンとカレンが並び立ち、ポーチの中から赤い薬草を取り出す。クロエ達が自分の後ろに回ったのを把握した二人は、発火材を指で擦り、勢い良く息を吹きかけた。

「「忍法・火遁っ! 『忍猫双炎(にんびょうそうえん)』!」」

 次の瞬間、廊下全体を舐め回すほどの炎が、忍者を焼き払った。

「グギャアァ!?」
「熱づ、熱づいいいぃぃッ!?」

 忍者の火遁忍術は、洗練されたものであれば、有機物を燃やしていない限りは一瞬で掻き消える。残ったのは、火傷と延焼に悶え苦しむ忍者の残骸だ。
 ところが、忍者は半死の体になっても、攻撃を仕掛けてくる。仲間の屍すら踏みつけて襲ってくる敵に対し、クロエは矢を放ち始めた。サーシャも近寄ってくる亜人の頭を、腹をメイスで叩き潰すが、敵は窓からわらわらと湧いてくる。

「これだけの量、矢が何本あっても足りないよ! あたし達の方ですら敵の数が多いんだから、アンジェラと王子の方にはもっと……!」
「向こうの心配、してる余裕、ないッ! 自分のこと、考えるッ!」
「そうだ、とにかく前に進んでハンゾーを倒さないと、忍者兵団は止まらない! 僕達にできることは、一瞬でも早く頭領を仕留めることだけだ!」

 火遁忍術を放った後のフォンとカレンも、それぞれ苦無と爪で応戦する。
 ハンゾーが鍛えた忍者の軍団ではあるが、幸いにも四人に戦力で勝るようではなかった。一般人では相当苦戦するだろうが、彼らはもう、並ではない。特にフォンは、こんな状況でも敵を死には至らしめていないほどの余裕がある。
 巨大なミノタウロスが倒れたのを見た彼は、三人に向かって叫んだ。

「とりあえず道は拓けた! 行くよ、皆!」

 敵はまだまだ出てくるが、先に進まなければ話にならない。
 仲間を連れて廊下を疾走するフォンは、僅かに窓の外の景色に目をやった。
 苦無で裂かれる騎士。押し寄せる忍者の軍団。そして力なき国のトップを守るべく蛇腹剣を振るうアンジェラと、白銀の刃を携えるアルフレッドの姿。
 いかに彼女達と言えど、苦戦は免れない。下手をすれば、死すらも。

(アンジー……君の方こそ、死なないでくれ……!)

 共に戦ってきた仲間の無事を祈り、四人は長い廊下をひた走った。
 忍者パーティが屋根へと向かう一方、宮殿の中にはでは死闘が繰り広げられていた。

「死ねえ、人間共ッ!」
「忍者兵団、進軍せよ! 忌まわしき国王の首を取れ!」

 凄まじい勢いで襲撃してくる忍者と、宮殿と中にいる無力なお偉方を死守する人間達との、肉塊と血しぶきが舞い散る激闘だ。
 騎士や護衛の兵士達も奮戦するが、亜人の忍者はあらゆる点で彼らを上回っている。
 それこそ、容易く人間を肉の塊へと変えて、逃げ惑う肥えた大臣の喉元を掻き斬ろうとするくらいには。武力を持たない人間は、ただ泣き喚くばかりだ。

「ひいぃ、死にたくないぃ――っ!」

 ただ、彼らは運が良い。

「そうはさせないわよ、私の目が黒いうちはねッ!」

 宮殿の入り口から飛び出してきた増援の騎士と、蛇腹剣『ギミックブレイド』を振るうアンジェラ、そしてアルフレッド第一王子の攻撃が間に合ったからだ。
 他の騎士達はともかく、アンジェラの蛇腹剣は蛇どころか竜の首の如く、忍者の黒装束を鮮血で染め上げる。人の肌と違う色の腕を、足を斬り裂き、抉り取ってゆく。

「な、なんだ、この女はぎゃばらあぁ!?」

 最も近くにいたエルフの体に巻き付き、引き裂いた剣を手元に戻し、彼女は叫んだ。

「皆さん、通路へ! 急いでッ!」

 言われるまでもないとばかりに、護衛騎士と大臣達、そして国王と妻が宮殿の地下へと逃げてゆく。あれを獲物の群れだと判断した忍者兵団は追いかけようとしたが、鼻息を荒くしたアンジェラが単身立ちはだかり、刃を抉れた字面でかち鳴らした。

「言っておくけど、私を殺さないとこの先には行けないわよ。貴方達の一人でも通すつもりはないから、殺すつもりでかかってきなさい!」

 忍者に突撃する彼女の後ろから、アルフレッド達も追撃を仕掛ける。

「アンジェラ、無理をしてくれるな! お前達、通路への防衛線を死守しろ!」
「「うおおおおぉぉ――ッ!」」

 ならばとばかりに、忍者兵団も騎士の軍団へと突撃した。

「人間は皆殺しだ、忍者の力を見せてやれええぇッ!」

 果たして、王宮の広い中庭は、小さな戦場と化した。
 巨大な忍者が騎士を叩き潰し、複数の騎士がドワーフの忍者を左右から斬り倒す。血で血を洗う地獄の様相は、増え続ける双方の援軍のせいで、更に拡大する。
 そんな中、一人で複数の忍者を斬り払うアンジェラと、白銀の刃で堅牢な忍者の体を簡単に真っ二つにするアルフレッドの存在は、人間側に形勢を傾けるのに十分だった。
 背中合わせで忍者の返り血を浴びて戦う二人に、騎士が三人駆け寄ってくる。

「王子、大広場にいた忍者は全てこちらに向かっているとのこと! 街の人々への被害は今のところ抑えられていますが、その分こちらの敵の数が凄まじく……!」

 忍者の数と質に怯えている彼らを、二人は戦術の付与と共に鼓舞する。

「狼狽えるなっ! 敵の数は多く見えるが、総数ではこちらに利がある!」
「なるべく敵一人に対して、最低でも三人で戦って! 決して一対一の状況を作ってはダメよ! 相手は忍者の得意技、不意打ちを仕掛けてくるから、正面から攻撃しないようにしなさいッ!」

 まるで忍者と、或いは亜人と戦い慣れているかのようなアンジェラとアルフレッドの指摘――恐らく実際に戦った経験談を聞き、彼らは互いに顔を見合わせ、剣を強く握る。
 兜の奥は見えないが、この調子であれば忍者とも戦えるだろう。

「了解しました!」
「お前達、聞いたな――んがばッ」

 その勇気が、もう少し早く芽生えていれば、の話だが。
 己を奮い立たせた騎士達の背後に何者かが現れたかと思うと、それは踊るような動きで、掌から生えた刃で騎士を鎧諸共細切れにした。
 腕が、足が、頭が落ちるさまを見て、アルフレッドは目を見開いた。
 しかし、アンジェラはそれの到来を予期していたかのように、頬の血を拭って言った。

「……やっぱり、来たわね」

 彼女の眼前にいたのは、人形使いの忍者、リヴォル。そして彼女の人形のレヴォルだ。
 右目と右腕を失った少女の忍者だが、その実力は全く衰えていない。殺意の覇気を放つアンジェラを見ても、彼女は戦いと殺しを楽しむ狂気の表情を隠そうともしないのだ。

「久しぶり、女騎士さん。もう会いたくなかったけど、騎士を皆殺しにしろってハンゾーの命令だから、仕方なく来てあげたよ」

 けらけらと笑うリヴォルに、剣を構えたアルフレッドが吼える。

「貴様、人形使いの忍者だな! 俺をまた攫いに来たのか!?」
「ううん、違うよ。目的は武力による殲滅になったから、もう王子様は用済み。そこの女騎士と一緒にさっさと殺しちゃうだけだから、安心してね」

 指の動きに応じて動く人形に対し、アンジェラも蛇腹剣をだらりと垂らす。

「……その願いは叶わないわ。私が復讐を果たすのが先よ」

 逆恨みに近い形で家族を殺された以上、アンジェラはどうあっても彼女を許すつもりはなかったし、ここで決着をつけるつもりだった。
 さて、リヴォルはというと、アンジェラの話を聞いて心底呆れているようだった。
 まるで子供の我儘を何時間も聞かされたかのような顔で、彼女は口を尖らせる。

「そう、そこなの。あなたのことなんてどうでもいいのに、たかだか家族を殺したくらいでぎゃあぎゃあ喚いてキレるんだもの。私のレヴォルも、もう疲れちゃったんだよね」

 リヴォルにとって、そんな面倒な輩を黙らせる方法はただ一つ。

「だから、今日ここで家族の元へ送ってあげる! 死にたくないなんて喚いて、小便垂れ流して死んだ弟にもやっと会えるね、きゃははははッ!」

 自分が殺した有象無象と同じように、あの世に送ってやることだけだ。
 嘲笑も、レヴォルの嘲るような動きも、アンジェラの怒りを爆発させるには十分過ぎた。

「――王子、手出しは無用ですッ! 今ここで、こいつはブチ殺すッ!」

 怒りで唇を噛み切ったアンジェラが、『ギミックブレイド』を鞭の如く振り回しながらリヴォルへと突進した。
 リヴォルもまた、レヴォルを操って蛇腹剣を防ぐ。

「そうはいかん! 忍者と一対一で挑むなと言ったのは君だ、俺達も加勢する!」
「下っ端忍者達、手伝いなさい! 一人として逃がしちゃだめだよ!」

 アルフレッドや周囲の騎士が援護するのを見たリヴォルの命令で、近くの雑魚を今しがた殺した忍者の雑兵が、人間共を迎撃する。
 白い髪が、肌が有象無象の血で汚れるのを、彼女は心底喜んだ。
 これから始まる残虐絵巻に、アンジェラもアルフレッドも関係ない。復讐も敵意も関係ない。ただただここに存在するのは、自分が主役の殺人劇なのだから。

「それじゃあ、レヴォル! 手加減無用で楽しもう、殺戮と破壊をね!」

 頬まで避けた口をこれでもかと開き、リヴォルは心から笑った。
 忍者兵団の亜人に真っ先に切り込んだのは、やはりアンジェラだった。
 苦無や他の忍術を用いて迫りくるミノタウロスやドワーフ、ケンタウロスは凡人が見ればそれだけで失禁しかねない脅威だ。しかし、怒りに満ちた女騎士には関係ない。

「邪魔をしないで頂戴、雑兵がッ!」

 突き刺し、穿つが如く放たれた蛇腹剣は、敵の頭を、腕を斬撃で奪い去る。

「ブゴオォ!?」
「人間風情が、ぎゃばぁ!」

 自分に肉薄しようとするアンジェラを前にして、リヴォルも同様に騎士を屠る。人形に忍ばせた刃や針で騎士を惨殺するだけでなく、自らの左腕で容易く敵の首をへし折るのだ。

「ほらほら、どうしたの? 早く私を止めないと、増援の連中も死んじゃうよー?」
「舐めた真似を……言われなくても、地獄に送ってやるわ!」

 併せて八人の忍者をあの世に送り、とうとうアンジェラはリヴォルに接近した。
 彼女の蛇腹剣は距離があっても相応の威力を保つが、近距離であれば遠くを攻撃するよりもはるかに高い攻撃力を誇る。
 鞭のように敵を捕獲するのも、四肢を斬り落とすのも難しくない――ましてや、相手がフォン並みの忍者ならまだしも、振るった刃の一撃で絶命するような雑兵なのだ。

「この距離、この速度、もらった!」

 だから、彼女は両腕の『ギミックブレイド』でリヴォルを薙ぎ払おうとした。
 さっきまでの雑魚に放っていた斬撃とは別格の速度、威力。命中は間違いないと確信した。

「よっと!」

 ところが、彼女どころか、人形すらも、アンジェラの必殺技を簡単に回避してのけた。

「なんですって!?」

 人形を操ってカウンターを仕掛けようとするリヴォルから僅かに間を取りつつ、半ばリスクすら背負うほどの至近距離で、彼女は再び畳みかけようとする。
 だが、斬撃は地面を削り取り、周囲の忍者を裂くばかりで、まるで当たらないのだ。

「攻撃が、当たらない!? どうして!?」

 あらゆる技の軌道が見えているかのように、リヴォルは挑発同然に笑う。

「当たり前だよ、一度戦った相手の攻撃を避けるなんて、忍者には難しくないよ! さっきから斬り殺してる雑魚ならともかく、私におもちゃの斬撃なんて無意味なんだよ!」
「そんなことが、あって、たまるかあぁ!」

 こんな調子で嘲笑われれば、アンジェラが平静でいられるはずがない。

「落ち着け、アンジェラ! 俺がそっちに行く、それまで耐えろ……このッ!」

 忍者の群れに足止めされていたアルフレッドが、ようやく彼らを薙ぎ倒してアンジェラのもとへと向かおうとしていた時には、既にリヴォルが彼女の喉元に狙いを定めていた。

「これで――とどめッ!」

 気づけば自身が死地に立たされていると知った時には、後の祭り。
 レヴォルの凶刃が、アンジェラの喉に深々と突き刺さろうとしていた。

「させる、かああぁ!」

 その刹那、アルフレッドが選択したのは、敵への反撃ではなかった。

「ぐはッ……!」

 振り払われた刃は、アルフレッドの腹から胸元にかけて深く斬り裂いていた。
 目の前で血が噴き出て、王子が地に伏せ、アンジェラはやっと我に返った。片目が血で汚れて、視界が遮られているのも構わず、彼女は王子に駆け寄った。

「――王子!」
「ぐう、俺に構うな、アンジェラ……! 人形の右腕は奪った、今のうちに距離を取れ!」

 確かにアルフレッドの言う通り、攻撃したレヴォルの右腕は、銀色の刃で破壊されていた。

(ふーん、やるじゃん、あの王子様。けど、所詮その程度なんだよね)

 感心するリヴォルだが、ぶらぶらと揺れる腕を邪魔だと判断して引き千切ったレヴォルの行動が示す通り、さして大きな怪我ではない。
 寧ろ、敵を一人行動不能にして、もう一人の視界を奪った彼女の方が有利だ。

(さっきの一撃で、片目に血がかかったね! 視界が遮られた女に、私の攻撃が避けられるはずがないよ! ましてやレヴォルとの同時攻撃なら猶更、抵抗は全部無駄ってことっ!)

 アンジェラとアルフレッドを囲むようにして迫りくる人形使いを見て、王子はアンジェラが自分を置いて一度退くことを期待していた。自らの命を犠牲にしても、あの忍者を倒せる機会を作るべきだと判断した。
 ところが、なんとアンジェラはまだ、その場で蛇腹剣を振るう準備をしていたのだ。

「おい、なぜ逃げない!? 敵が来るぞ、早くここを離れろ!」

 血の付着した右目を閉じ、肩で息をする彼女は、覚悟を決めた瞳で敵を見据える。

「そうはいきません、王子。ここがやつを仕留める、最後の好機だから!」
「駄目だ、奴らはこちらの攻撃を全て避けるんだ! 頼む、逃げてくれ、アンジェラ!」

 傍から見れば勇猛な様だが、リヴォルからすれば単なる無謀であり、惨めに死ぬ人間が自己を肯定する為に勇気を奮っているように見せかけているだけに過ぎない。
 つまり、相手は自ら認めたのだ。次の攻撃を避けられるはずがないと。

(逃げない? 成程、諦めたんだね! だったら、ちゃあんと殺してあげるねッ!)

 アンジェラの正面からレヴォルが、背後からリヴォルが迫る。
 倒れこむアルフレッドがどうにかもう一度盾になろうとするが、体に力が入らない。
 せめてどちらだけでも仕留めようと、女騎士の蛇腹剣は鎌首をもたげたが――。

「行くよ、リヴォル! 忍法・秘伝奥義『双刃殺(そうじんさつ)』ッ!」

 前後から放たれた煌めく刃が、アンジェラの腹を、胸を貫いた。

「アンジェラ――ッ!」

 虚しくも、ギミックブレイドの二つの首のうち、一つはレヴォルの反撃で破壊された。黒い紐のような素材で繋がれた刃の関節が、音を立てて地に落ちた。
 つまり、彼女の攻撃はレヴォルに届かなかった。
 愚かな反撃の末路を悟り、リヴォルは口が裂けるほど大笑いしてみせた。

「あはははは! 私達の同時攻撃が避け切れなかったから、せめてレヴォルだけはどうにかしようと考えたみたいだね! けど、そっちにも攻撃が届いてないじゃん!」

 女騎士の腹から、口から滴る血が地面を濡らし、リヴォルの足元まで広がっている。
 随分と多くの血を流す無様な死にざまだと、彼女は思った。

「散々私に復讐を果たすなんて言っておきながら、所詮忍者の敵じゃあ……」

 そこまで言って、リヴォルは違和感に気づいた。
 血の量が多い。人ひとりから流れるにしては、あまりに多すぎるのだ。
 ちょうどもう一人、誰かが致死量の血を噴き出していれば、双方の足元に血液の水溜りを作るだろうか。そしてその血は――リヴォルの腹から流れているのだ。

「……あ、あれ……なに、が……?」

 人形使いは、赤い液体を垂れ流す口から言葉を漏らした。
 そんな彼女に声をかける者は、正面にだけいた。

「……避けるなんて、誰が言ったのかしら?」

 リヴォルに背を向けたまま、鎧を鮮血で染め上げたアンジェラだ。

「お前が、視界の届く範囲で、全ての攻撃を避け切ることは……知ってたわよ……だったら、油断させればいいのよ……見えないように、直前で避けられないように……」

 彼女は、最初から逃げるつもりも、避けるつもりもない。そこまでは、リヴォルの予想通りだった。しかし、二つだけ、彼女が予想できていないことがあった。
 アンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサが、既に生きるのを諦めていること。
 己の命と引き換えにしてでも、仇敵を仕留めようと決めていたこと。

「――私自身で視界を塞がれれば、致死の一撃だって、命中するでしょう……?」

 彼女の作戦は成功した。
 アンジェラの放つギミックブレイドは、リヴォルの心臓を貫いていた。
 自らの腹を貫通し、敵の心臓に突き刺さっていたのだ。

「ご、ぼっ――」

 真実に気付き、吐血で刃の銀色が赤く染まるのに気付き――リヴォルは、斃れた。