「あっ。一人、心当たりがいるわ。ほら、同級生で青い髪が長いのがいるじゃん。“冷たいお嬢様”とか呼ばれてる。知らない?」
「え、あ……っ。と、その……、ちょっと苦手で……」
 あおいは申し訳なさそうに身体をすくめる。
 しかし彼女は間を置いてから、こう切り出した。
「でも、あの“神代(かみしろ)一族”の分家の人なんだよね?」
 ――――神代一族。それを承知しているからこそ、レミは“冷たいお嬢様”を提案した。
「ええ。有名な科学者を代々輩出してきた家系でしょ? 現代の科学技術の数パーセントは神代一族のおかげと言っても過言ではない、その謳い文句は聞いたことあるわ。未来都市の頂点だって神代一族本家の娘でしょ」
神代(かみしろ)小町(こまち)さんだね」
 この未来都市に拠点を置く七つの高等学校、ひいては国内で最上位に君臨する私立、城ケ丘高校。推定偏差値八〇を超えるその高校において頂点に立つとされる存在、神代一族本家の生まれである高校二年生が神代小町だ。
「うん、そうだね。私、レミちゃんに賛成。とにかく訊ける人には訊いてみないと。秘密はトコトン知りたいっ」
 キラキラ目を輝かせたあおいは、レミの手をギュッと取る。普段のか細いおっとり口調は影を潜め、ハキハキと芯のある言葉使いで彼女は訴えた。
(うわー、静かなる狂った科学者(サイレントマッドサイエンティスト)モードになってる。乗り気になってくれたのは助かるけど)
 そうして話がまとまったらレミは知人を通じて青髪の同級生にさっそく連絡をつけ、校舎裏の公園に足を運んだ。ベンチに座り、日向ぼっこをする野良猫とじゃれ合っていると、
「――――私を呼んだのはそこのお二人かしら?」
 透き通った声、ベンチに差す影。レミは顔を上げると、青髪の女が凛然と立っていた。ベンチに座る自分たちを大きな瞳で見下ろすように、そこへと。
「急に呼び出してごめんなさい。研究部の深津檸御よ。こちらは同じく研究部の中原あおい。研究の過程でどうしてもあなたに訊きたいことができたの。少し時間を頂いてもいいかしら」
 レミを皮切りにあおいも腰を上げ、不安に堪えないという顔つきで、
「よ、よろしくお願いします……」
 ――神代(かみしろ)蒼穹祢(そらね)。“冷たいお嬢様”とも呼ばれる彼女はサッと前髪をかき上げ、
「深津さん、コンピュータに関する知識なら校内に肩を並べる者はいない、と言われているのは知っているわ。そんなあなたが訊きたいこととはいったい?」
「私たち、一年前の高校生宇宙飛行プロジェクトについて調べてるのよ。神代一族のあなたなら何か知ってることがあるんじゃないかって」
「…………ッ」
 蒼穹祢は不自然に顔を逸らした。奥歯をギリッと噛み、両手の拳は固く握って。
(どうしたのよ……? 何かマズイこと訊いた、私?)
 彼女の反応を見て思考を巡らすレミだが、
「…………、あのプロジェクトの件は私に訊かないで。お願い、他の人をあたって」
 ポツリと、囁くように蒼穹祢は呟いた。怒った口調でもなく、顔つきはどこか哀しげに。
「悪かったわ、変なことを訊いて。けどもう一つ、訊きたいことがあるけど大丈夫?」
 返答はないものの、蒼穹祢は断りを示すような素振りも見せない。
「確かに存在するはずの技術の出所を探ってるんだけど、見つけられないのよ。私たちの目には見えない所にあるんじゃないかって思い始めるくらいだわ。……変な質問だけど、そういう特別な技術の出所になりそうな場所、知ってないかしら」
 我ながら下手な言い回しだと、レミは質問した直後に後悔してしまった。こんな問い、されたところで困惑されるに決まっている。
 けれど、
「表立ってできないことは、普通は隠し立てて行われるものでしょ?」
 蒼穹祢は明確に顔の向きを変えてそう答えたのだ。その目配せの先にあるのは、未来都市の中央にそびえる高き塔――未来の記念碑。
「お二人が知りたがっているあのプロジェクトも、当然隠された世界で進んでいたもの。なにせ飛行士に高校生を選んだのだから。ええ、あの世界なら答えを知っているはず、少なくとも科学に関してはこの世界よりも」
「それってどういう――……」
 尋ねようとレミは言葉を発したが、蒼穹祢は振り切るように背中を向け、何も言うことなくそのまま去ってしまった。
 レミはそれを追いかけてはいかず、あおいと顔を見合わせて困惑することしかできなかった。

       ◇

(このカフェで待ってればいいんだよな)
 放課後、桜鈴館高校からバスに乗ること十分少々。レンガ造りを模した黒い壁のカフェに大地は入店する。落ち着いた色合いの外観とは反して、店内は白を基調とした明るい雰囲気だ。
 わざわざこの店に足を運んだ目的は、ある人との待ち合わせ。女が多数を占めるこのような洒落たカフェなど、待ち合わせ以外の目的で利用することなどまずない。
(男一人ってのも居心地が悪いな……。気にしすぎか? 早く来てくれないかな)
 きっかけは昨日、研究部顧問の滝上先生に持ちかけた大地の相談だった。『宇宙飛行プロジェクトに関わりがあるとしたら、この街で一番優れた城ケ丘高校の生徒のはず。城ケ丘高校に知り合いがいたら誰か紹介してくれませんか?』と(レミにも何人か知り合いがいるそうだが、昨日は不在のため先生に頼んだ)。滝上先生は快諾してくれ、本日の午後四時にこのカフェで待つよう言われた。なんでもその生徒はこのカフェのモンブランと紅茶が好物だそうだ。
 そろそろ来るはず。大地が壁時計を一瞥し、時刻を確認しようとしたその時――、
「逢坂大地くんでよかったかしら?」
 声は女の音色。呼びかけにつられて壁時計から視線をスライドさせると、
「……え、マジ?」
 その風貌を見て、大地は息を呑んだ。
 紺色のセーラー服に胸の赤いリボンは、見間違うはずがない、天下の城ケ丘高校のもの。その顔立ちは女子高生離れした、大人びた雰囲気を漂わせていて、赤縁の眼鏡が知的さを後押ししている。背中に伸びる黒い髪が清楚で美しい。
 この未来都市に越して半年。けれどそんな日の浅い大地ですら、彼女の名は知っていた。
「はじめまして、――神代小町です。要件は梢恵……研究部の顧問から聞いているわ」
(おいおい、マジか!? 本物!? 滝上先生、ここに呼んだのって――――ッ!?)
 大地はガタっと席を立ち、
「あ、逢坂大地ですっ。よ、よろしくお願いしますっ」
 大きな波となってこみ上げた緊張で声が上ずり、自然に頭も下がる。
「そんなに緊張しなくてもいいのに。さ、座りましょうか」
 苦笑いを浮かべた小町に促され、大地は再び、恐る恐る腰掛けた。
「紅茶とモンブランケーキをお願いします」
「オレはアイスティーで」
 伺いに来た店員に注文をする様子を含め、見た感じ、大人びてはいるが普通の女子高生ではある。小町という古風な名に恥じない佇まいがあり、美人な顔立ちだと大地は感心する。
「自分、高校生宇宙飛行プロジェクトについての研究を滝上先生に任されたんですよ。そのプロジェクト、隠されてることだらけで。先輩が知ってること、あれば訊いてもいいですか?」
「申し訳ないけど、あのプロジェクトのことは私もたいして存じていないわ」
 小町はきっぱりと口にするので、大地は肩を落として落胆する。
「そうッスよね……」
 とはいえ、予想はしていた。城ケ丘高校の生徒だからといって、神代一族本家の娘だからといって、宇宙飛行プロジェクトと縁があるわけではないのだから。
 しかし不思議だ。大地の要件は滝上先生から事前に聞かされていると小町は発言した。では、どうして大地に面会してくれたのか。
 大地が目線を下げ、心中で疑問に思っているところで小町が、
「おそらくキミは、あのプロジェクトで使われた技術の出所を調べる過程で詰まっているのね」
「……ッ!?」
 大地は顔を上げた。眼鏡の奥のつぶらな瞳が、大地の心を見澄ますかのように黒々と輝く。
「そ、そうッス!」
「残念だけど、“あの世界”を他言することは禁止されているわ。ここでキミに話せるのはせいぜい二つのヒントを伝えることだけ。それを承知してくれるのなら、話せることは話すわ」
「あの……世界?」
 大地は戸惑った。けれど小町は彼の困惑などお構いなしに、
「いい? 私が伝えること、ただ呑み込んでほしいわ。質問に答えることは私でも許されていないから。そもそもヒントを与えること自体がグレーだけど、まあそこは神代一族の人間ということで」
「は、はい。わかりました」
 一方的な助言に大地はうなずくしかできない。神代一族の者だからこそ話せることなのだろか。
「きっと逢坂くんはインターネットや図書室の文献を活用して調べているのね。けれどそれではたどり着けないわ。人は目に映る“表”から無意識に答えを探ろうとするけど、目には映らない“裏”も考慮しなければ、それは見つからならないのかもしれない」
「それは……、紙に例えられる話ですよね。表の面を眺めても探したいことが見つからなくて、なんとなしに紙を捲ったら見つかったって」
「ええ、そういうことよ。――それが一つ目のヒント」
「あ、はい。……はい?」
 今のがヒント? 質問したい衝動に駆られるが、ぐっと喉の奥底に呑み込んだ。小町との約束を破り、ここでヒントを打ち切られるのは勘弁だ。
「そして二つ目。“次元”という概念の話になるわ。これは一般的な法則なのだけれど、一次元の世界から一次元は把握ができない。二次元から二次元を、三次元から三次元も同様よ。観測をするためには、対象の次元よりも高位の次元からでなければならないわ」
「次元論の話ですね。三次元に住むオレたちが一見して三次元に見えてるこの世界も、二次元で捉えているものを脳の錯覚で三次元のように捉えてるだけですからね」
「理解が早くて助かるわ。ええ、そのとおりね」
 フォークで切り分けたモンブランケーキを頬張る小町。美味を味わい、口元に浮かべるほのかな喜びは隠さない。カフェで過ごす周りの女子高生と同様に甘いものが好物のようだ。
「以上、私から伝えられるヒントよ」
「……え、それだけ?」
「ええ。逢坂くんならこのヒントで解けると思うわ。梢恵がキミのことを認めているもの」
 と小町は言ってくれるが、はっきり言って全然ピンとこない。
「表立つことで流出してしまうことを恐れての措置なのは間違いない。けれどあの世界の成り立ちは……、忌まわしいものだわ。科学のための犠牲で済ませていいものでは……決してない。あの宇宙飛行プロジェクトもひょっとすれば、終わりを迎えていないのかもしれないわ」
 なぜだろうか。小町は窓辺から、――未来の記念碑の方面を垣間見て、独り言のように呟くのであった。

       ◇

「今日はお時間ありがとうございました」
「いえいえ。研究部の話も聞けて楽しかったわ。また会う機会があれば」
 小町に頭を下げた大地はカフェを出て、バス停のベンチに腰掛ける。日は暮れ始め、辺りは大地の髪色のように夕日色に染まっている。
 大地はスマートフォンを取り出すと、『小町とは会えたかな。ふふ、驚いた?』という滝上先生のメッセージを確認した。『別件で連絡がある。私は明日出張だから、今日のうちに連絡しておきたい。空いた時間で構わないから電話をくれないか?』という追記も。
(いやいや、とんだサプライズだよ。先生にも礼を言っとかないとな)
 アドレス帳のリストから『滝上先生』を選んで受話口を耳に当てる。二回のコールで繋がり、
「あーもしもし? 逢坂ですけど」
 まるで友達に話す感覚でマイクに語りかけたが、
「あれ……、先生? 聞こえてますか?」
 相手の電話に繋がったのにもかかわらず、一向に返答がない。だが、
『――――お疲れさま、逢坂クン』
 口調こそ似てはいるものの、やっとのことで聞こえた声は研究部顧問のものではない、覚えのない女の声だった。それに先生は苗字で部員を呼ばず、下の名かあだ名でいつも呼ぶ。