老婆は一方的に話し終えると去っていった。老婆を見送ってから、遊羽はあらためて石像をみた。キツネの足元にお神酒や油揚げが供えられている。地元の人間は少なくともキツネの道標を信じているらしい。
 キツネの石像が境内の真ん中にあったので、遊羽はその場でぐるりと一周回ってみた。が、クラスメートの女子グループは見当たらない。ここにもいないとなると、奥の社殿のほうだろうか。

 参道を奥に進むにつれて屋台は姿を消し、静寂と厳かな雰囲気を取り戻しつつあった。
 しかし、耳元に聞こえる声は、頻度を増してきた。次第にはっきりと聞こえ、ただの空耳や耳の虫ではないことは明らかだった。

「…………ねぇ」

「…………こっちにおいでよ」

 声は視線を人から人へ移したり、耳から意識を背けたり、ふとしたタイミングで聞こえてくる。
 勘違いなどではない。ただの空耳などではない。遊羽に囁かれているのは間違いない。けれど声の主は見当たらない。
 吐き気のような気持ち悪さがこみ上げてくる。いつの間にか遊羽は、自分の左耳を覆い隠すようにして握りしめ、声から逃げるように歩いていた。
 ふらふらと参道から脇にそれたところで、ふと手水舎が目についた。隣にベンチがある。誘われるようにして座った。

 ベンチに腰を落とし、自分の耳を掴んで引っ張ってみた。ふにふにと耳たぶの柔らかい感触が指に返ってくる。
 水の滴る音が響いている。冷たい水のせせらぎが心地よい。
 水音を聴いてると、いくぶん余裕が戻ってきた。が、遊羽は祭りを楽しむ気分ではなかった。クラスメートには気分が悪くなったと、あとで謝ろう。そう思って立ち上がろうとした。

「…………もう、かえっちゃうの」

 腰を浮かせかけたところで止まった。そのまま五秒くらい固まっていた。遊羽はふたたびベンチに腰を落とした。忘れていた呼吸を再開した。喉が震えているのがわかった。
 左耳は手のひらの中でくしゃくしゃに丸まってる。このまま左耳を引き千切れば、この声は聞こえなくなるだろうか。

「…………そんなことしても、いみないよ」

 ひっ、と息を吸いこんだ。そして地面を睨みつける。握りこんだ耳元に囁きかけられる声に戦慄する。

「いったい……、何なの?」

 小さくつぶやいた。が、答えは返ってこない。
 次に立ち上がったらすぐに帰る。次に何が聞こえても無視する。そう決めた。大きく息を吸い、足に力をこめた。
 そのとき、目の前に草履が見えた。綺麗に揃えられた女の足が着物の裾から伸びている。その女は動こうとしない。
 正面に立ち、遊羽を見据えているようだ。