ずぶ濡れで民宿に戻ると、民宿を経営している老夫婦の婦人が、湯の準備をしてくれた。シャワーだけで済ませるつもりだったが、熱い湯の魅力に勝てず、家庭用のものより少し広めの湯船に浸かって菊理は手足を伸ばした。
 不思議と、足の痛みも無く、呼吸器官にも違和感は残っていない。鼻からもしたたか水を吸い込んでいたはずが、湯気の恩恵か、ひりつくような痛みは無くなっていた。
 湯船で腕を伸ばし、リンパを流すようにマッサージをする。
 湯と、海水。元は同じ水のはずなのに、異物を排除するかのように自分を拒んだ海と、やわらかく身体を抱きとめるような湯の優しい肌触りは、同じ水とは思えなかった。
 もちろん、海水と真水を沸かした風呂であれば成分にも違いはあるのだろうが。
 ざぶん、と、菊理が湯船で膝立ちをすると、からりと脱衣所と繋がる扉が開いて、先程の男が姿を現した。
「ああ、人心地ついたかい?」
 まるで当たり前のような顔をして、全身を隠そうともしないタカオと名乗った民宿の息子は平然と浴室に進み、シャワーをとって身体をすすぎ始めた。驚いた菊理の方が、男の身体を見ないように視線をそらしたほどだった。
 男はまだ湯にはなっていないであろう冷たい水を平然と浴びていたかと思うと、湯気が立ち上り、シャワーの温度が上がったのがわかった。
「いいだろ? うちの風呂」
 屈託なく言う。まるで同性か、家族にでも声をかけるように。
 菊理は叫びもあげず、石像のように固まっていたが、あまりにも平然としているタカオの様子に取り乱すのもおかしな気持ちになって、身体を隠すように静かに湯船に身を沈めた。
 この男は、いったい何を考えているんだろう。
 それか、私は女だと思われていないのだろうか。
 菊理は確かめるように両の乳房を下から持ち上げてみる。
 特別大きくは無いが、だからといって男と見間違われるほどに小さくも無い。なんなんのだ、このタカオと言う男は。
 どういうつもりか尋ねようと声をかけようとしたところで、廊下からパタパタと走ってくる音があり、今度はガラリと引き戸が開いた。
「タカオ! お前! 何してるんだい!!」
 現れたのは民宿の老婦人だった。
「え? 風呂だけど……」
「うちの者は後、今はお客様が……」
 と、言いかけて、湯船の中で縮こまっている菊理を見つけて、老婦人は目に見えて青くなり、
「も、……申し訳ありませんっ!! と、その場で土下座をして見せた」