「向こうのあんたは俺を知っていた。でも、こっちのあんたは俺を知らない」

 困惑する私に彼は私を見ずに答えた。

「そうかもしれない。あるいは────

 これから、か」



【交錯勇者 - 3.質疑応答】



「……はい、終わり」
「ありがとうございましたー」
「はーい。気を付けてね」
 怪我の処置を終え生徒が出て行くと、灯子はそのまま机に向かった。とは言え、書類を前に一向に握ったペンは揺れるだけで動きはしなかった。
 学校で騒ぎに巻き込まれ、公園で埜途に助けられてから二週間が経過していた。

 不審者、ケライノォが消えて、二人だけになった公園で灯子は埜途に問い詰めていた。
 次から次へと異常なことが起きて、その上命を狙われた挙げ句に人────人、と言って良いのだろうか不明だが────が明らかに殺され掛けているのだ。事情を聞きたいと思うのは巻き添えを食らった身として当然の行動だろう。
 埜途は、混乱する灯子に言った。
“あんたと俺は、前に会ってるんだ。ここじゃない世界で”
“俺はあんたを殺したんだ”
“だから、今度は守る”

「……それ、どう、」
 呆然とする灯子に埜途が片手を上げて制止した。
「もう、戻らないと」
 外套の下、入院着を着ている埜途は、ケライノォの気配がしたのでとっさに病院を抜け出してしまったのだ。余り遅いと騒ぎになってしまう。ただでさえ、四年前、急に消息を絶った埜途がまた突然現れたのだから。再び姿を消せばどうなるか。
 今度きちんと説明する、と言い残して踵を返す埜途を、灯子もわかるだけに何も言えず見送った。

 検査入院を経て警察の事情聴取を終えた埜途は、結局本人の強い意向で復学した。
 現在埜途は入学より四年経っていて戸籍上は十九歳になる。これだけでも浮くと言うのに、突如戻って来た噂の生徒に、学校は戸惑い生徒たちは強い関心を寄せていた。しかし無遠慮に質問攻めにしていたのは最初の二日三日程度で、あとは距離を取って観察しているようだった。
 割と埜途が如才無く振る舞い、質問もはぐらかしているせいだろう。興味は尽きないけど、それ以上進展は無いだろうと当たりを付けた、と言うところだろうか。高校生は、子供に変わりは無いけれど、子供は子供で空気を読む。集団生活とはそう言うものだ。
「……」
 埜途は、親にも学校にも警察にも、「記憶が無い」と通した。ある日思い出して帰って来たのだと。
 そんな言い分よく通るなと思ったが、実際精神的肉体的な健忘で行方不明になる事象は現実に起きている。全部が嘘だと仮定するには、実証が必要だろう。
「まぁ、当人が元気で健康にも問題が無い、なら、掘り返すことはしないでしょうねぇ」
 真実、ただの記憶喪失で在るならば。灯子はこれが嘘だと知っている。灯子だけが。
 警察も暇では無いからか、埜途の行方不明だった件の捜査にはすでに消極的だった。あのケライノォによる騒ぎも、灯子や生徒たち、新井の証言と現場検証で不審者が他にいて暴れていたことも立証されている。
 不可解なことも多く、一部では、埜途と不審者の繋がり、たとえば犯罪組織に関わっていて今回戻って来た、とか疑っているらしいが。
 如何せん、不審者ことケライノォの行方がわからないため未だ未成年且つ記憶喪失を自称する埜途に強く出られないと言った辺りか。
「……」
 ケライノォは絶対見付からないだろう。灯子はそれも知っている。
 灯子の目の前で体を貫かれ、黒い歪みに押し込まれ消えたのだから。あの歪みが何で、どう言う構造なのかさっぱり灯子にはわからないけれども。
 周囲も沈静化して様子見に転化した。そろそろ、答えてくれるころだろう。
「失礼します」
「……。いらっしゃい、冴紀くん」
 引き戸が開いて入室の声がした。進まない書類から顔を上げてそちらへ向けば、扉を閉め立っていたのは勿論埜途だった。

「説明、してくれるんでしょう? いろいろ」
 ケライノォが何者で、埜途が四年間どこにいて、風を集めたり爆発させたりしたのはどんな原理なのか。わからないことだらけだ。
 だけども、何より知りたいのは。
「どうして、私が、殺されそうになったのかしら」
“何で……何で、“勇者様”がいるんだよっ!”
 ケライノォの驚愕。
 人違いにしては明確な殺意を以て、標的にされた訳。
 埜途は灯子の真っ直ぐな視線を受けて、やがて一つ溜め息を吐いた。
「不在の札とか、鍵は要らないな」
「聞かれても良いの?」
「このご時世、ゲームの話くらいにしか思わないさ」
 肩を竦め埜途は灯子の前まで来ると椅子に腰掛けた。
「それくらい、ぶっ飛んでるんだ」
 そう笑った埜途は、どこか疲れたような笑いを浮かべた。

 端的に言って、埜途の話は確かに信じ難い内容だった。
「入学して、半月くらいかな? 同級生が部活の先輩に度胸試しだって、空き教室に行くよう命じられたんだ。俺は、付き添いだった」
 埜途曰くあの人が消える噂と言うのは昔から在ったらしい。度胸試しや肝試しも、昔から伝統として在ったみたいだ。ただ、本当に消えたのは埜途だけだったようだけど。
「鏡に付けた付箋紙を取ったら帰る……そう言う、はずで」
 だのに埜途は吸い込まれて消えた。ただし。
「姿見……鏡に吸い込まれたってこと?」
「吸い込まれたのは、発生した歪みにだ……事実、もう鏡なんか無かったんだろう?」
 そうだ。姿見は、撤去されたのだ。と言うことは、姿見は関係無く、空き教室自体に何か在るのだろうか。
「何で……」
「さぁ? わからないな。ただ、帰って来たのもあそこだった。何か在るんじゃないか? 条件とか」
「条件、ねぇ……。それで、アレ、歪みってどこに繋がってるの?」
「……」
「冴紀くん?」
 埜途が言い淀んだ。下唇を噛み、一瞬だけ瞳を伏せると意を決した風に続けた。
「簡単に言えば異世界だな。飛ばされた世界は魔法が存在していて、俺が保護された国では生まれ付き魔法が使える訳ではなくて魔術として技術を用いて魔法を行使していた」
「こっちで言う、科学みたいなものかしら」
「そうだな。科学で良いと思う。錬金術とか。俺はそこで……人を殺していた。戦争をしていたんだ。その世界では、国のピンチに『異人』が現れて救うって伝承が在って……俺は、保護された国で『勇者』として担ぎ出された」
 勝利のシンボルとして戦争に参加させられた。埜途はそう言っているのだ。
「……で、魔法を使うのには材料が必要だった。要するに燃料だ」
「燃料……」
「弾丸や爆弾で言う火薬とか機械を使うための電気に相当するモノ。ケライノォみたいな、魔法を身体の一部として使うヤツらのことだよ」
「────」
 灯子は目を見開いた。ケライノォ。あの少女のような不審者。確かに異形では在った。有り得ない色と有り得ない部位、怪力……。けど、灯子には人間に思えた。今、目前で喋る埜途とそう変わらない年齢の少女に。
「正確には、ケライノォたち、俺のいた国では“マルム”って呼ばれてた。こっちで近いのは『魔族』って意味かな。魔法を作り出す器官を持った……人じゃないって教えられてた」
「……」
「……でもさ、言葉が通じていて、自分を家族を仲間を守ろうとしたり、交渉しようとしたりする生き物を、人じゃないって言えるのか……」
 吐き出されたのは、きっと戦う埜途がずっと抱えていた想いだったのだろう。

「要は、侵略戦争だったんだ。肌の色、自分たちと違う姿形をした人間を略取していた。自分たちと違うって理由だけで……自分たちには無いものを持っている、これを利用したいって、だけで。だんだん、状況がわかって来て……だけど、行くとこも無かったし……逃げても、すぐ捕まったしな」
 灯子は想像した。当時十六の埜途に、向こうの大人たちが何と言っていたか。聞いた埜途がどれ程心細かったか。項垂れて奥歯が軋む。会ったことも無いヤツらに腹が立つ。
「そんなときに」
「……」
「向こう側にも“ペレグリーニィ”……『異人』が召喚されたんだ。
 それが、あんただった」
 真剣な面差しで灯子を注視する埜途が嘘を付いている様子は欠けらも窺えない。
 だが灯子は到底信じられなかった。
「私……ずっとここにいたわよ? 四年前は、私、だって、」
 なぜなら、灯子はその当時こっちにいたと言う確たる証拠が在るからだ。
「知ってる。結婚したんだろ? 俺が捕虜になったとき、あんた言っていたしな」
 驚くことも無く埜途は頷いた。だけれど、埜途は灯子の発言を覆すことを言った。
 いや、発言だけでなく、見解を覆すことを。
「けどな。あんた、こう言ったんだよ。“五年前”って。結婚したのは、五年前だってあんたは言ったんだ」
「嘘。四年よ、だって、」
「旦那さんが死んだのが、結婚して二年後、この高校に赴任する二年前だから?」
 灯子は言葉を失った。会ったばかり、戻ったばかりの埜途が知り得ないことだったからだ。
 灯子のこの事情だって、校長や教頭、副校長などの上司にしか話していないはずだ。個人情報にうるさい昨今で、埜途みたいな生徒へ安易に口外するとも思えない。
「どうして……」
「あんたが言ったんだよ。向こうで。だけど、あんたは“結婚して二年後(・・・・・・・)赴任する三年前(・・・・・・・)”って言ったんだ」
「……」
「向こうのあんたは俺を知っていた。でも、こっちのあんたは俺を知らない。逆に、向こうの俺はあんたを知らなかったけど、こっちの俺はあんたを知ってる」
「……。何それ。違う世界……並行世界の私に、向こうで会ったとでも言うの……?」
 異世界が在るなら、並行世界も在ると言うのだろうか。SFやファンタジーじゃ在るまいし。困惑する灯子に埜途は、灯子を見ずに答えた。
「そうかもしれない。あるいは────

 これから、か」