「俺はあんたを殺したんだ」
突拍子も無い告白で面を食らう私に、彼はいっそ真摯な程直線的な眼差しで、宣言した。
「だから、今度は守る」
【交錯勇者 - 2.再来宣言】
駆け付けた教員に救助された灯子は、生徒二人と新井、倒れた闖入者の四人と共に病院へ搬送された。
空き教室の惨状に比べ騒ぎがそこまで大きくならなかったのは、生徒が殆ど残っていなかった御蔭だろう。ご近所はそれなりにお騒がせしたようだが。
灯子は大した怪我をしておらず、始めは養護教諭として付き添いのつもりだったけども、一応傷を負っているので大事を取って診てもらうことになった。
「埜途!」
診察が終わり、替えのシャツに着替えた灯子が他の教師と落ち合ったとき。保護者だろうか、四十代の女性が病室に駆け込んで行くのが見えた。
どなたですか、と訊いた灯子に、運ばれた生徒の属する学年の学年主任が神妙な顔で囁いた。
「冴紀くんのお母様だ」
「冴紀くん……ですか?」
確か、今日運ばれた生徒は田代と里中だったはず、と灯子が不思議そうに首を傾げていると、学年主任は続けた。
「冴紀埜途……きみが支えていた男だ。四年前行方不明になったウチの生徒だよ」
「……もう、あかりは寝ちゃったかな?」
最近顔も合わせていない家族のことを思い浮かべ、気分が沈んだ。
────あのあと、灯子が教員たちと合流した警察に事情聴取を受け、解放されたときにはすでに二十三時を回っていた。
闖入者が実は四年前に消えた生徒だったなんて、灯子は思いも寄らなかった。
「まさか、あんなときに帰って来るなんて」
帰って来たのはよろこばしいことだ。だが、と、灯子は暗い帰路を歩きながら考える。
“何で……何で、“勇者様”がいるんだよっ!”
「……」
結局、アレは『何』だったのだろうか。
ヒトとは思えぬ色彩はともかく、不審者のあどけない顔立ちに年の位は、普段見ている生徒たちとそう変わらないみたいだった。
「いったい何だったんだろ……彼、冴紀くんとは知り合いっぽかったけど────」
余り良い知り合いでは無さそうだ。灯子がそう考え、公園の前を横切った瞬間。
「……ぇ、」
背後で公園の木が折れた。木の幹が、中程から真っ二つに折れたのだ。枝の重さに轟音を立て木は倒れた。立派に伸びたその太い枝は、まるで退路を絶つように横たわっている。
「見付けた、偽物」
呆然とする灯子に、上から声が降って来た。
何でこんなことに────灯子は公園の中を疾走していた。
前門の狼後門の虎ではないが、前に不審者後ろに樹木では公園を突っ切る外無い。
「あっははははっ! 逃げろ逃げろー!」
公園は木々が繁る中を遊歩道が敷かれ休憩スペースが設けられている、所謂散歩やウォーキングを目的とした場所だった。
平時なら、灯子も好んでいた木漏れ日を葉に透かす木々も、足の鉤爪を器用に使って空を疾駆する不審者に、今は灯子を追い詰める仕組みと化している。
「……っはぁっ……はぁっ……」
背中に打ち身、胸に浅くは在るけれど切り傷だ。ましてやさっきの現在では、体力の限界だって来ている。だからと言って、木の間を飛び回って煽る不審者の追跡が、止まることは無い。
灯子が止まればトドメを刺され兼ねない。灯子はよろめこうとも、歩みを止めなかった。
しかし。
「……っ」
木の根に引っ掛かり転倒する。疲労で縺れ掛け堪えたところ、引っ掛けしまったみたいだ。
灯子が転がった体を起こすと頭上に影が落ちた。
「終わりだな? 偽物」
仰ぎ見た不審者はニタリと笑った。
「────ぁっ……」
俯せで上体を起こした灯子を不審者は蹴り上げる。勢い余って後ろに引っ繰り返った。
「……仲間を殺され国を奪われ、やっと世界を越えて逃れたのに……まさかまだこんな目に遭うとはな……」
不審者は手のひらを灯子に翳す。座り込んだまま、灯子は動けない。
「……お前を壊せば……私の溜飲も下がるだろう」
ゴゥッと音を立て、空き教室のときのように、風が不審者の手に集中する。冷や汗が灯子の頬を伝う。
「吹き飛ばしてやろうか? 切り刻んで晒したほうがヤツらには効果的かな?」
不審者のベージュの瞳は楽しげに歪んでいて、けれども本気で灯子を殺そうとしていることだけは見て取れた。
「……何で、」
思わず、灯子の口から洩れたのは質疑、だった。不審者は灯子の言葉を聞き咎め、笑みを引っ込めた。
「何でいきなり私が殺されなきゃならないの」
純粋な疑問だった。
赴任して来たばかりの学校で見回りの最中不審者が暴れていて、生徒を助けようとすれば訳のわからないことで狙われ、自分を不審者から庇ったのは数分前話に聞いた四年前消えた生徒で。
全部偶然ではないか。到底、灯子が標的として殺される要素なんか無い。死ぬ要素、なら別として。
「何で、私が、殺されなきゃいけないの」
真っ直ぐ見据え、不審者に灯子は問う。一つ一つ区切って噛んで含めるみたいに。この話し方は灯子の癖だった。子供に言い聞かせるとき、相手にちゃんと伝えようとしたときなど、よくこう言う話し方をした。
効果が在ったか定かじゃないが、不審者が、ぐっと飲み込む仕草をする。叱られている子供のように。姿形は奇妙だけれど、容貌には似合った幼さだった。灯子は不意に我が家で待つ家族を思い出した。
「……」
灯子は怒っているでも悲しんでいるでもなかった。
ただ、純粋に不可解だった。
なぜ、自分がここまで付け狙われ殺されなければならないのか、と。
誰かと勘違いされているのは自明にしても、殺される謂れは何なのかと。
「────……うるさいっ!」
しばし見詰め合い、膠着していたが、不審者が耐え切れなくなったらしく手を振り被った。今回は輪の形状だった。高速で風が回っている。回転する刃みたいな形状を見るに、どうやら切り刻むことを選んだようだ。キィーンッと、甲高く耳鳴り染みた音を出して風が鳴っている。
けれど次には不審者の背が爆発した。
「ぐぅっ……」
受けた衝撃に不審者は前のめりに灯子の後方まで飛ばされた。一連の出来事を目で追っている灯子の横で土を踏む音がした。
「随分回復が早いじゃないか、“ケライノォ”」
滑り込んで来た声音に灯子は目を剥いた。声がしたほうへ首を巡らせた。
「どうしてっ?」
「気配がしたからな。辿って追った」
灯子の脇を摺り抜け、然も大したことなど無いと言う風に彼、闖入者こと冴紀埜途はそう言って退けた。病院で着替えさせられた入院着の上に、例の外套を羽織っている。
「よぅ、ケライノォ」
「……」
『ケライノォ』と呼ばれた不審者は、覗き込む埜途を地面に伏したまま悔しげに睨み上げていた。背中から煙が立っていることを鑑みて、先の爆発で火傷を負っているのかもしれない。灯子からだと暗闇も相俟って、角度的にも窺い知ることは出来ないが。
「……お前……何人か人を食ったな」
埜途が僅かに沈黙を挟んで口にした科白で、灯子はぎょっとした。とんでもないことを当然みたいにして、埜途は話を進める。
「でなきゃ、さすがに腕を吹き飛ばされてそんな短時間で動き回れないだろう。何人か、殺って食ったな」
埜途は冷静に不審者、ケライノォを問い詰める。伏せた体勢のまま、ケライノォが高笑いした。
「────そうだよ……絶対お前を殺し、“勇者様”の偽物を壊すためには、迅速な回復が必要だったからな! それが何か? お前らだって、魔力を奪うために我らを相手にやってるじゃないか!」
吼えるケライノォを無表情で眺めていた埜途は、何の感慨も無く「そうだな」とケライノォに同意し、ケライノォの首根っこを掴むと持ち上げた。ケライノォもそうだが、埜途も軽々と人一人を片手で持ち上げる。
そして空いているほうの手で、ケライノォの体を貫いた。
「っ……!」
灯子が息を飲む。今日の放課後から先程まで、生徒に対する暴行や灯子自身が暴力に晒されていた。
それでも、まだ、平静を保っていられた。
殺され掛けていたのにおかしな話では在るけども、きっとどこか現実味が欠けていたせいだろう。あるいは、追い付かない理解に追及することを放棄したのか。
そうして今、人がまさに殺されようとしていて、一気に目が覚めたような感覚に陥った灯子は無意識に叫んでいた。
「冴紀くん!」
埜途の体がびくりと跳ねた。ちらりと視線を寄越す埜途に、灯子はそれ以上は駄目だと首を振る。埜途は舌打ちして、ケライノォを貫通した手を引き抜く。手には何かが握られているみたいだが、灯子にはよく見えなかった。
手が引き抜かれると、首根っこを掴んでいたほうの手から蜃気楼でも作られるかの如く空間が歪んだ。小さかった歪みは次第に大きくなり中心が黒くなった。
「止められたからな。殺さないでやるよ」
発生源の手に掴まれているからか頭半分歪みに埋まっていたケライノォを、更に押し込む。反発力が働いているのか、ズムズムと言った体で押し込んで行く。やがてケライノォの全身を飲み込むと、ファーンッとトランペットに似た音を立て歪みは消えた。
後に残されたのは、静かな公園の拓けたところに佇む埜途と、座り込んでいる灯子だけだ。はっとして、灯子は立ち上がると埜途に詰め寄った。
「コレはいったい何なの?」
「……」
「訳がわからない。何が、どうして……」
灯子は様々な疑問点が脳内を駆け巡り、最終的には俯き絶句していた。そう言う灯子をなぜか痛ましそうに見ながら、埜途は口を開いた。
「あんたと俺は、前に会ってるんだ。
ここじゃない世界で」
灯子は顔を上げた。埜途を凝視する。
「俺はあんたを殺したんだ」
埜途は嘘偽りの一片も見当たらない、真剣な表情だった。
突拍子も無い告白で面を食らう灯子に、埜途はいっそ真摯な程直線的な眼差しで、宣言した。
「だから、今度は守る」