あやかしなごり ~わらし人形店の幸運お守り~



その行為がショックだったのか、陽葵はその場にぺたんと尻餅をつく。


「ど、どどど、どうしましょう!」


これまで見守っていた来夢だが、さすがの展開に助けを求めるように司の袖を引いた。


「司さん、なんとかしてください!」


「無理だ」


「ええ!?」


「やるのは俺じゃない。アイツだ」


司はいまだ陽葵の手の中で握りしめられていたぬいぐるみを指さす。


「そうでした! 幸運のぬいぐるみ!」


言うが早いか、来夢は陽葵の元へ走ると、


「まだです!」


ぬいぐるみを持っている陽葵の腕を彼女の胸へと押し当てた。


「……来夢? どうして、ここに?」


涙を浮かべた陽葵は、不思議そうに問うが、


「そんなことより、まだ終わってないです! 幸運のぬいぐるみ! はやく使ってください!」


そう言って、頷いてみせる。


それで思い出したのか、陽葵ははっとすると、ぬいぐるみを力強く抱きしめた。


「幸運のぬいぐるみ。どうか、どうか、私を助けて──」



その時──。


来夢は確かに見た。
間の抜けた顔だったはずのぬいぐるみが、やさしく微笑むのを。


次の瞬間。

幸運は舞い降りてくる。

祈った本人。陽葵にとっての幸運が──。



「え、えええ!?」


木の陰へ戻りかけていた来夢が、驚きの声をあげる。


「つ、司さん、大変です!」


「どうした」


「こ、こんな時に……」


「なんだ」


「こんな時なのに──洗い物がしたいですうぅー!」


我慢しようとしているのか、身悶えする来夢。


しかし司は、


「そうか」


と言っただけで、別段なにをするわけでもなく、その後は無言……。


「ま、まずいです! はやくも我慢が……洗い物が……ああ、無理ですー!」


来夢はスイッチが入ったように走り出していた。

陽葵の横をすり抜け、帰りかけている智也も通り越し、その先に見える水道へと。


「ああああ! 洗いたいですー!」


「来夢!?」


「?」


しんみりとした二人を背に、来夢は水道へ滑り込むと、しゃがんで勢いよく蛇口を捻った。

サーッと流れ出る透明な水に落ちていた石ころを浸し、手で土埃をゴシゴシ落としていく。


「あー……、気持ちいいです」


欲望が満たされ次第に気持ちがほっこりしていくと、


「北条……?」


智也が真後ろまで来ていた。



「あ、結城くん! これは、その、違うんです! 決して二人の邪魔をしようとした訳ではなくて──」


「そんなことより、北条。その突然洗い出すやつ、休みの日も出るのか?」


「……はい。学校だからとかではないです」


「なら、授業をさぼるためにおかしなフリをしていたんじゃないのか」


「ああ、やっぱりそう思われてましたか」


授業中に突然教室を抜け出したりしていれば、単純にそう思われても仕方のないことだった。
現にクラスメイトの大半はそう思っていると陽葵に聞いたこともある。


「どこにいても突然起こるんです。自分では止められない発作が」


「発作……」


「智也、信じてあげて。来夢はやりたくてやっているんじゃないの。本人だってみんなに変な目で見られるって分かってる。けど、止められない病気みたいなものなの」


「陽葵」


気づけば陽葵もやってきていた。

陽葵はそれでも手を止めない──いや、止められない来夢の横に屈むと、頭をやさしくポンと叩いた。


「そこ以外をちゃんと見てればわかるよ。来夢は友達思いのすごく良い子だって」


「確かに……。そう言われたら、それ以外、北条の嫌われる要素なんてないけど……」


そこでようやく智也は何かに気づいたようにはっとする。


「それって! もしかして、陽葵のストーカーも同じだってことか!」


「もしかして、じゃなくて正解。少しは話、聞いてくれる気になった?」


「理由があるのか」


「簡単には信じてくれないかもだけど、あるよ」


陽葵は立ち上がると、目に涙を浮かべながらも、


「長~くなるから覚悟してね」


いつもの調子を取り戻していた。


「なら、俺の家でゆっくり話そう」


「うん」


さっそくとばかりに歩き出す二人。

同時に反対側から近づいてくるやよいと司の姿があった。
司は相変わらずのポーカーフェイスだが、やよいの顔はどこか晴れ晴れとして見えた。


陽葵たちを見送る来夢の瞳には、未だ陽葵の腕にしっかり抱かれたまぬけ面のぬいぐるみが満足気に笑ったように映った。








東京、浅草の片隅。

連日、観光客で賑わいを見せる大通りから一本入った裏路地の先に、その一軒の古民家はあった。

木造で風情のある佇まい。一見すると、古民家カフェに見えなくもない。
だが、格子窓のついた扉を開けひとたび店内へと入れば、そこは色とりどり大小様々なぬいぐるみが所狭しとひしめき合う人形店。


そんな可愛らしい店内とのギャップ激しい店主である神代司は、珍しくイラついていた。


普段は、感情を表に出さない冷静なタイプだと自他ともに認めているのだが……。
今は鋭い目をさらに研ぎ澄まし、ストレスをぶつけるようにテーブルに中指を規則的に打ち付けていた。

なぜかと言えば。


「なにこのドーナツ! めちゃめちゃおいしい!」


「それは、よかったです。この間、どうしても食べたくなって外に出たのですが、【洗い物発作】が起こってしまって、その後陽葵ちゃんのストーカー事件で、ついさっきまで忘れていたのです。それを突然思い出したので、この間のお詫びもかねて買ってきました」


原因は二人の女子高校生。


「ありがとう。でもこの間のことはもう怒ってないよ。来夢」


「そう言っていただけると有り難いです。やよいさん」


である。


どちらかと言えば静けさを好む性質の司には、近距離での10代特有のワントーン高い声でなされる言葉のキャッチボールは遠慮願いたい部類のもので、さらに言うと、


「駅前の喫茶店の新作パフェもおいしいよ」


「そうなのですか。それはぜひ食べてみたいです」


目の前にいるのに無視をされるというのもあまり好きではない。
したがって、


「おい! お前らはいったいなにをしに来たんだ」


と、語気も荒くなるというもの。

「あ、司さん。こんにちは」


「こんにちは」


「挨拶はいい……。ここでなにをしている」


「なにって……」


「ねえ」


二人は顔を見合わせると、不思議そうに司を見つめた。


「陽葵ちゃんと結城くんが仲良く帰った後、今回のことを説明するから日をあらためて来いって言ったのは司さんですよ」


「そうそう。私たちいろいろ聞きたかったのにあの時は、疲れたから今日は帰るって、私たちを置いて帰っちゃいましたよね」


確かにそんなことを言った気もする。疲れていたというのも事実だ。

しかし。


「だからと言って男を奪われた女と、奪った女の親友に仲良くしろとは言っていない」


「なによ、それ」


「そうですよ! あれから三日間毎日学校帰りにお店に来てるのに、ずっとお休みだったんですよ。それでやっと今日は開いてると思ったら、そこに座ったままずーっと縫い物して、挨拶しても返事もないし」


確かに昨日まで店は閉めていた。今日は午後から開けたがさっきまで手作りのぬいぐるみを作っていて集中もしていた。気づいたら二人が座っていたのだ。

だが、それはそれだと司は脳の中でひとり納得する。


「それでなぜおまえたちが友達になる?」


「それは、最初はちょっと気まずかったですけど、毎日お店の前で二人で待ってたらお話だってしますし」


「お互い悪い人じゃないって思えたってことでしょ。そんなことより司」


「──司?」


「なに? 呼び捨てにしたらダメ?」


「かまわないが、やよい。おまえは最初に聞いていたのとはだいぶ印象が違うがどうなっている」


陽葵の説明では、隣のクラスの小さくて女の子らしい子だったはずだと司は指摘する。


「そんなの、ほとんど話したこともない相手の印象なんて勝手なイメージでしょ。来夢のことで私も気づいたけど、洗い物のことで学校では悪く言われてるけど本当はいい子じゃない──それより、私のことも呼び捨てで呼んでいいわよ」


「やよい、ではないのか」


「弥生ひかり。やよいは苗字」


「なるほどな……」


「なにがなるほどなんですか?」


司は妙に納得するが、来夢にはなにがなるほどなのか見当もつかなかった。


「確か、結城智也もやよいと呼んでいたな。それは、二人はそこまで親しくはなかったということだろう」


「そうよ。だって、ショッピングモールに一緒にいた時だって、私がストーカーの正体を教えるって呼び出したんだもん。そこにたまたま石田陽葵がやってきただけ」


「わたしはてっきり結城くんとやよいさんってもうつき合ってるのかと思ってました」


「告白したけど、ストーカーのせいでなかなか返事がもらえなかっただけの仲だよ。石田さんが告白した後、結局二人はつき合うことになったから見事にフラれたんだけどね」


「そうだったんですね……」


「結果はさておき、視点を変えれば事実は異なってみえるものだ」


「それって、わたしの洗い癖を見て、結城くんが陽葵ちゃんのストーカーにはなにかあるかもって気づいたってことと同じですね」


「それなんだけど」


ここで、やよいが改まったように急に姿勢を正した。


「あやかしのなごりって本当なの? 来夢からは聞いてはいるんだけど、司からも聞きたくて……来夢が嘘を言ってるようには思えないんだけど、なんというか簡単に信じられないというか……」


「それが普通の反応だ。自分が経験していないものを理解しろと言っても難しいものだ。だから俺には──真実だ、としか言いようはない」


「やっぱり……、不思議なことってあるんだね」


「陽葵は【べとべとさん】。来夢は【あずき洗い】のなごりもちだ」


「えっ!? ……ええーっ!? わたしってあずき洗いだったんですか!」


サラッと言われた初めてきく事実に来夢は驚くが、


「洗うといえば、だいたいそう思うんじゃない?」


「見当もつけてなかったのか……」


二人は残念な子を見る目。


その後、ひとしきり話をしてやよいは帰って行った。
去り際には「また、がんばって恋愛しよう!」と元気ですらあった。
が、


「まだ、帰らないのか」


来夢はムスッっとしたまま残り続けていた。


「帰らないもなにも、最初にこのお店に誘ったのは司さんですよ」


「そう言えば、そうだったな」


「わたしにもその幸運のぬいぐるみをくれるんですか」


司が作りかけていたテーブル上の半ぬいぐるみを指さす。


「そのつもりだったんだがな……」


「だが、なんですか?」


「思ったよりも、来夢は奥が深そうなんでな」


「奥ってなんですか」


そう言った来夢ではあったが、なんとなく意味は察していた。


なぜなら……。


「やっぱり……もしかして、これもなごりなのですか!」


なぜなら、来夢は司の脛をなぜかスリスリとしていたから。


「すねこすり、だな。本来、人の脛にまとわりつくだけの、あずき洗い同様ほぼ無害なあやかしだ」


「すねこすり! 名前はかわいいですけど……──ですけど、これはわたしには有害です!」


言いながら、手や頬で司の脛をこれでもかとスリスリスリスリと触りまくっていく。


「トリガーは不明だが、どうやら俺の脛が大層気に入ったということだろう」


「そんなの気に入ってないです! 冷静に説明はいいので、なんとかしてください!」


そこへ。


カラン、と店の扉が開かれた。


入ってきたのは、一人の男性。
背は低く可愛らしい容姿で、目つきの鋭い司とは間逆タイプの中性的なイケメンだった。


男性はツカツカと店内を進み司の正面まで来ると、上着のポケットから写真入りの警察手帳を取り出す。


「え!? 警察?」


そして、いまいち状況がつかめない来夢を後目に、手錠を取り出した男性は真剣な表情で言い放つのだった。


「神代司! 連続殺人の容疑で逮捕する」


「殺人! ──痛っ!」


思わず、床にいた来夢はテーブルに頭をぶつけ、


「……蒼士(そうし)」


手錠をかけられた司は静かに男性の名前を呟くのだった。





 ……しばらく後。



「へえ、大学時代からのお友達ですか」


「そうなんだ。もう五年以上になるかな。ね、司」


三人はテーブルを囲んで談笑していた。
と言っても、話しているのはもっぱら突然現れて司を逮捕──するフリをした蒼士という警官と来夢だった。

職業が警察官だというのは本当だがあくまで逮捕は冗談だったらしく、手錠ををかけた後すぐに屈託のない笑顔になった蒼士は司に抱きついていた。


「久しぶり! 司」


もっとも、


「暑苦しい」


司は仏頂面でそれをふりほどいていたが……。


そこからは、びっくりついでにテーブルから這いだした来夢への誤解を蒼士が解いて今に至るという訳だ。


二人はしばらく自己紹介がてら互いに質問をしていたが、


「お二人は親友なんですか?」


その問いでようやく静かだった司が口を開いた。


「来夢……。この脳天気と俺が仲良く見えるならお前の目は0歳児からやりなおす必要がある」


「またまた~。司は相変わらず素直じゃないな~」


「蒼士……。お前は口を動かす前にまずこれをはずせ」


司が手首を持ち上げると、そこにはいまだ手錠がはめられていた。


「ん? ああ、それね」


と言いながら蒼士は鍵を取り出すが、そこで手を止めた。


「実は司にお願いがあるんだけど……」


「断る」


「まだなにも言ってないじゃないか」


「人を拘束していうことをきかせるのはお願いではなく脅迫だからな」


「でも、こうでもしないと僕の頼みなんてどうせ聞いてもくれないでしょ」


「わかっているなら来るな、帰れ」


「ガーン!」


ビシッと一喝され蒼士はテーブルに上半身を投げ出す。
が、司は眉一つ動かさず蒼士から鍵を奪うと、手の拘束を自分で解いた。


「司さん、聞いてあげるだけでもしてあげないんですか」


しょんぼりとした蒼士を見かねた来夢が口を挟むが、


「どうせロクなことではないからな」


あっさりと拒否。



「どうしてそう思うんですか」


「アホだからだ」


「あほ?」


「そうだ。蒼士はアホの中のアホ。キングオブアホだ」


「そんなにですか」


「そんなにだ」


散々な言われように蒼士も流石に起きあがる。


「言い過ぎだよ、司!」


「そうか? 迷子を助けようとして一緒に迷子になって誘拐犯と間違われたり、暴走族の喧嘩の仲裁に考えなしに飛び込んで両方からボコボコにされたり、告白を断れずにいたらいつのまにか彼女を名乗る女が十人を超えてモメにモメたり、変わったことがあるとすぐになごり関係だと勘違いしたあげく暴走するアホだろう」


「今度は本当にそうなんだって!」


「どうせ根拠はないんだろ」


「ちょっと待ってください!」


ここで、再び来夢が間に入った。


「蒼士さんの相談って、なごりの相談なんですか」


「あやかしなごりだと思いこんでの勘違い相談だ」


「こ、今度のは思いこみじゃないよ! すっごくおかしいんだから!」


蒼士は涙目になりながらも両手で机を叩いてアピールをする。


そして、


「司さん。ここまで真剣なんですから聞いてあげてもいいんじゃないですか?」


と司に寄り添う来夢を見て、何かを閃いたのかニヤリと微笑んだ。


「いいよ……。相談に乗ってくれないなら大学時代の友だちとかここのご近所さんとかみ~んなに言ってやるから」


「ああ?」


「え?」


「司は、──わらし人形店の店主神代司は、真昼間から堂々と未成年の女子高生とイチャイチャしてる、【淫行】だっーーて!」


拳を高々と振り上げ勝ったと言わんばかりに大声を上げる蒼士の口を、司は慌てて塞ぐのだった。