一
柚木第二高校では今、少し変わった盗難が相次いでいる。
進級してようやく新しいクラスや授業に慣れてきた五月のある日のことだ。
移動教室から戻ってきた男子生徒が購買に行こうとして財布の中を開くと、見覚えのない和柄の折り紙が一枚入っていた。不思議に思いながらも財布の中を確認すると、元々持ち歩いていた三千円のうち千円札が一枚消えていることに気付いた。
学校に来るまでに財布を開いた覚えのない男子生徒は首を傾げていると、近くにいた女子生徒も同じような顔をして、財布からはみ出た同じ和柄の折り紙を見つめていた。
まさかと思い、クラスメイト全員に財布の中身を確認させると、同じようにお札が抜かれ、代わりに和柄の折り紙が入っていた生徒が三人も現れたのだから、担任の先生は驚いて目をまわす事態となってしまった。
翌日のホームルームで生徒に対し、「貴重品は持ち歩くように」「ロッカーに鍵をかけるように」、更に「不安であれば先生に預けるように」と言って盗難事件が起きていることを遠回しで伝えたが、大抵の生徒は言うことを聞かず、「自分は大丈夫」だと言い張って先生の話を気に留めなかった。
しかし、それからすぐ同じA組で盗難が立て続けに起こってしまった。一人、二人と日に日に被害は拡大していくばかりで、気が付けばA組の全員が被害に遭っていた。そしてそれは、隣のB組にも広がってしまい、更にはロッカーの鍵までも開けられた生徒もいた。
「先生、ロッカーもダメだったら先生に預けるのも怖いよ」
帰りに電車の定期券を買う為、一万円を持ってきていた男子生徒が先生に言う。
彼は体育の授業の間、財布をロッカーに入れて南京錠を掛けていた。他の生徒に比べてしっかりした防犯対策は先生が関心したにも関わらず、授業を終えて彼が教室に戻ってきた時には、ロッカーにつけた錠前のツルが宙ぶらりんと空いた状態で開いており、財布から現金一万円が抜かれ、同じように和柄の折り紙が入っていたという。
それからというもの、ロッカーに南京錠やダイヤル錠をつけても教室に人がいない間に開けられることが多くなり、ついに学校側は生徒指導の教師を中心に授業中の見回りを強化することにした。
盗難騒ぎが発生して一ヶ月半、犯人はまだ捕まっておらず、被害者は一向に増えて続けていた。
二年生の特進科A組の全生徒と、同じ特進科でロッカーに鍵を掛けても盗まれた男子生徒がいるB組の生徒の半数が被害に遭うという事態に陥ると、もはやクラスや学年内だけでは済まない話になり、校内中で「折り紙と入れ替える現金泥棒がいる」と噂が流れた。
未だ被害を受けていない一年生と三年生の各クラス、そして二年生の特進科B組の数名と普通科のC、D組と校舎が違う専門学科のE組にも、いつ被害に遭うかわからない。更に犯人はロッカーに着いた南京錠やダイヤル錠といった鍵を開けられる――ピッキングの技術を持ち合わせている人物であるという仮説が、教師陣の中でも頭を悩ませていた。
外部の人間による犯行にしては困難な状況であるものの、南京錠を開けたことといい、手慣れた鍵開けのプロである可能性も視野に入れて警察に被害届を提出しようと話が出た。しかし犯人の特徴が絞られていても、特定には時間がかかり、生徒と保護者、そして地域の住民からの信用を失ってしまう。これ以上事を荒立てる事態にせず、学校内で解決できないかと考えていたところ、ある男子生徒が犯人らしき人物を特定したと言い出した。
「決定的な証拠も押さえました。これ以上被害を出すわけにはいきません。今からその人物に会いに行きます。先生、付いてきてください」
やけに得意げな顔をした生徒の唐突な申し出に、生徒指導担当の教師は半信半疑で彼らの後を追った。
連れてこられたのは専門学科以外の二年生の教室が横一列に並ぶ三階で、被害に遭ったクラスではなく、B組の隣にあるC組の教室だった。荒々しく扉を開けて入っていくと、一番前の席で次の授業の教科書を出そうとしていた女子生徒の机の前に立つ。
不思議そうに見上げた女子生徒に指さして、彼はこう言った。
「A、B組で立て続けに起きている盗難騒ぎを知っているな? 犯人は牛山鼓、お前だ!」
二
――貴方の日常の中で、「これは絶対に在り得ない」といったものはありますか?
例えば、隣の席になった美少女が超能力者で、自分より数十倍も大きい岩や木を念力だけで浮かすことができるとか、近所に引っ越してきた爽やかイケメンが実は極秘で潜入した国家機密のスパイで極秘任務中だったとか、はたまた生き別れた父親が地球征服を企む大魔王で、寝室にある本棚の裏側に隠された扉の向こうにはアジトへの入り口になっていた……とか。
「いやいや、これはないって。在り得ないって」――例え話のような思わず笑ってしまう出来事は流石にないかもしれない。最後の大魔王はほぼ無いと断言してもいいだろう。例え話だというのに突飛すぎてつい私もこれはないと笑ってしまった。
つまり何が言いたいのかというと、「貴方は他人に言われて自分が問われる側になったとき、普段と表情を変えずに答えることができますか?」ってこと。
卑しいことがない限り、大抵の人は笑って受け流すことが出来るかもしれない。それでも笑えない冗談というものは簡単かつ唐突に現れるもので、咄嗟に笑えないものでもある。
一つ、例え話をしよう。
ある日、貴方がとある人物と金銭トラブルで口論になったその数時間後、その人物が何者かの手によって殺されてしまった。貴方は現場からかなり離れた場所にいたが、一人で行動していたためアリバイがない。しかし、現場付近に隠すように捨てられていた包丁から相手の血痕と貴方の指紋が残っていたことから、警察と名探偵が事情聴取に貴方を呼んだ。
かなり突飛で過激な例題だが、よく考えてみて欲しい。
名探偵はあらゆる情報を集約して、貴方を指してこう語り始めるだろう。
「貴方は最近、被害者と揉めていたそうですね。
「犯行時刻に貴方を見かけたという目撃者からの情報があるんですよ。
「……自分じゃない? いやいや、証言してくれた人はちゃんと貴方の顔を見たと話しています。それに包丁に付着した貴方の指紋はどう説明していただけます?
「私は許せないのです。なぜ貴方のような人がこんなことをするのか。
「何かしらの事情があったにせよ、包丁の指紋が事件を物語っているように思えて仕方がない。
「たかが二十円ぽっちの小銭のやり取りで殺すなんて、よほどの殺意があったのでしょうね。どうして周りの人に相談してくれなかったんですか。
「……きっと被害者も、貴方の口から答えを待っています。貴方だって、心のどこかで絶対後悔していると思うんです。
「今ならまだ間に合います。自分に嘘をつかないで。……さぁ、今こそ真実を話すのです!」
名探偵はいかにも悲しそうな顔で、知りもしない貴方と被害者の心理を勝手に組み立てた推理を押し付けてくる。
ここで貴方と名探偵との間にズレが生じている。
口論になったきっかけはただの小銭の借り貸しで、知っているのは貴方と相手のみ以外、誰も知らない。いや、誰かに相談すればほど馬鹿らしいと笑われる額だ。名探偵には恥ずかしくて金額を伝えてはない。そして貴方は犯行現場から離れた場所にいたことも事実で、殺せるはずがない。
それでも血まみれの包丁に付着していた指紋は貴方のもので、貴方が近くにいなかったことを証明してくれる人も物も存在しない。貴方が誰にも話していなくても、被害者が誰かに相談していたのかも不明だ。
人望の厚い名探偵の言葉を受けた警察は勿論、周りの人々は冷たい視線を向け、貴方から離れていく。匿ってくれる味方はいないと思ってもいい。
さあ、今ここでもう一度貴方に問おう。
この状況下で自分の今後が危うくなっても、笑いながら無実を訴え続けることができますか?
――私は、多分できない。
「貴女がやったんでしょ。いい加減白状しなさいよ」
梅雨入りが遅れた六月のある日の昼休み。
次の授業の準備をしていると、乱雑な開け方をした扉から困惑した様子の生徒指導の先生とA、B組の学級委員の生徒が、一度辺りを見回してから真っ直ぐ私の座っている机の前に立った。一体何事かと眉をひそめると、指をさされて唐突に無茶苦茶な推理を叩きつけてきた。
「A、B組で立て続けに起こっている盗難騒ぎを知っているな? 犯人は牛山鼓、お前だ!」
「……は?」
「とぼけても無駄だ。普通科ごときが特進科の頭に敵うとでも思うなよ!」
男子生徒はそう息巻くと、嘲笑うように見下した。
ここで捕捉として、柚木第二高校のクラス分けについて説明しておこう。
柚木第二高校の分け方は学科内でも成績別に分けられている。もちろん希望した学科で分かれてはいるものの、アルファベットの早い方が成績優秀であるという話がひそかに囁かれている。
普通科は一般科目を均等に受けるが、難関大学を目指す特進科はその差が激しく、加えて特待生は特定の授業科目を受けて伸ばしていく。まさにエリートの集まりといっても過言ではない。
その中の一人、探偵を気取ったB組の学級委員である戸田克之とは、入学してから今日まで全く関わりがない。確か学校関係者の息子だとかいう話は噂程度で聞いたことがあるものの、これが初対面であることに変わりなく、共通の知人がいるわけでもないのに、出会って三秒で最初の会話がこれだと第一印象が台無しだ。――そんなことはどうでもいい。何が言いたいかというと、戸田君の声はよく響く。教室にいた全生徒の目を一か所に集めるなど、容易いことだった。
話を戻そう。
状況が理解しきれていない私を置き去りにして、今度はA組の学級委員である桜井朋美が彼の後ろからヤジを飛ばす。
「貴女だったのね、私達のお金を返して!」
「ちょ、ちょっと待って。一体なんの……」
「とぼけるんじゃないわよ。貴女が私達の財布からお金を盗んで、折り紙を入れた犯人でしょ? 貴女が授業中に出歩いていることは知っているの。誰もいない時間帯にB組の教室に何度か出入りしてるの、私はこの目で見たわ。先生に呼ばれたからっていうわけでもないでしょうに、授業中に抜け出すなんて、私達の荷物を漁ってお金を抜き取ってる証拠じゃない!」
「物的証拠が必要なら出してやるよ。ほら」
そう言って戸田君はスマートフォンを操作して私に向ける。
画面には校内のどこかから隠し撮りしたかのような動画が流れていた。
中心には女子生徒がおり、ロッカーにつけられた南京錠に触れて開けている。顔は見えないが、肩まで伸びた茶髪と耳に掛けた髪が落ちてこないように留める銀色のヘアピンが反射して光った。そこに映っているのは背丈も雰囲気も私に良く似ていた。南京錠に何か細いものを刺していじっているところで、動画は止まってしまうと、戸田君はスマートフォンをポケットに仕舞い込んだ。
「わかったか? 証拠はすでにこっちが掴んでいるんだ。大人しく観念したらどうだ?」
満足そうな戸田君の顔に苛立ちを感じながらも私はようやく口を開く。
「……これが私だって決めつけるのは無理やりすぎじゃない? 肝心の顔が映っていないし、後ろ姿だったら私以外にも他に……」
「確かに後ろ姿だけでは判断ができないかもしれないが、この後動画の彼女は三分もしないうちに南京錠を開けてしまった。……この芸当が出来る人物は、お前以外在り得ないんだよ!」
だったら三分もしないうちに鍵を開けた場面もしっかり撮ってよ。動画の録画時間が一分も経っていないことくらい、私にだってわかる。
冷静になれと自分に言い聞かせて叫びたくなる罵倒を飲み込むと、桜井さんが口を開いた。
「逆に聞くけど、貴女が犯人じゃないっていう理由はなに? 答えられる?」
「……それはどういう意味?」
「だって牛山さん、南京錠くらいだったら開けられるじゃない」
桜井さんの言葉で思わず椅子から立ち上がる。ガタン、と教室中に響くのをお構いなしに、私は食い気味で桜井さんを睨みつける。
「あら、心当たりがあるの?」
顔をしかめた私を見て、今度は桜井さんが勝ち誇ったように鼻で嗤う。
中途半端な表情を出すんじゃなかった。この状況下で私に容疑を晴らす証拠は一つもない。口車に乗せられて終わりだ。
「どうやって南京錠を開けたかはともかく、そもそも授業中に盗むなんて無理な話じゃない? A、B組がいつ移動教室でいないのか知らないけど、私はちゃんと一日の授業すべてに出席しているもの。先生に確認は取った? 出席名簿にはちゃんとチェックが入ってるはずだよ! そうですよね?」
二人の後ろで口を閉ざしている先生に声をかける。
授業が始まる前に必ず教師は生徒の出欠の確認をし、教師全員が持っている手帳型名簿にチェックを入れている。それはどの生徒も見たことがあるだろう。少なくとも私が受けた授業では始める前に出欠を確認して名簿に書き込んでいる教師の姿を授業の度に見てきた。出欠の日数は学期末の成績表や受験の内申点に響く。書き忘れることはあっても、確認は必ずしているはずなのだ。
確認事項を怠らない教師だったら味方になってくれる。――そう思った私は完全に甘えていた。
「確かに、名簿上ではお前が授業に出ていることはすぐにわかるだろう。でも実際に授業に出ていたという確証はないんだよ」
先生は困った顔をしてさらに話を続けた。
「たまに授業に出ていないのに出席していたり、途中で抜けることもあるだろう? 正確な出席簿があるかどうか……先生達も混乱しているんだ。まさか牛山がそんなことするはずがないって信じている、信じているけど……この盗難騒ぎを早く収束させるために、協力してくれないか?」
今まで固く閉ざしていた先生の口がようやく開いたかと思えば、出てきたのは普段から全生徒に感じていた不信感とこれ以上騒ぎを大事にしたくないという倦怠感だった。
生徒の成績を評価する教師がそんな曖昧な確認の仕方でいいのかと口に出しそうになるが、それ以上に自分が疑われていることがショックで、私はそっと周りを見渡した。
誰か反論してくれたなら少しでも変わるかもしれないのに。淡い希望を思いながら辺りを見回すが、教室にいる全員が私に冷たい視線を向けている。クラス替えをしてまだ二カ月も経っていないこともあって――初めて同じクラスになる人は仕方がないとして――一年の時に同じクラスだった子も疑いの目を向けられていたのを見て目を背けた。
どれだけ無実を訴えたとしても、一人じゃ証明できない。味方がいないなら、それは嘘つきの真似事だ。
私は今だに緩みきった頬をしている戸田君を見る。
「さあ、もう逃げられない。罪を償え。恨むなら俺の推理を恨めよ? ……ああ、その推理が真実だったっけ? じゃあ自分を恨め。正直に話すのなら今だ。これ以上罪を増やすな」
罪? 推理? 真実?
「……じゃないの」
「え?」
小さく呟いた言葉が聞き取れなかったようで、戸田君は私の顔の近くに耳を傾ける。口を開いた瞬間に吐かれた息が頬を掠めると、思わず身震いした。
ああ、もう無理。
「なーに? 聞こえな――」
彼が言い切るその前に、私は右手を開いたまま彼の左頬に向かって叩きつけた。教室に弾ける音が響くと同時に、反動で戸田君が後ろの黒板に背中を打ち付けた。授業終わりでまだ消していなかったチョークの粉が頭や肩に降りかかる。一瞬顔をしかめたが、すぐに私の方に向かって睨みつける。口元が若干切れて血が滲んでいた。
怪我をさせた――そんな認識は今の私にはなくて、溜め込んでいたものを吐き出すように、この状況にお構いなく彼にぶつけた。
「――バッカじゃないの! 人の話も聞かず、勝手に犯人扱いしていいと思ってんの? 何を根拠に話してるのか知らないけど、その鬱陶しい顔をどうにかしてからにして!」
振り上げた右手の痺れを抑えるように力強く握る。
自分の無実を認めてもらえない事実をひがんだ怒りではなく、戸田君の言動に腹が立って我慢できずに手をあげてしまった。嗤った彼の顔や口を開く度に顔にかかる臭い息、ふんぞり返った態度、話も聞かず自分の都合に合わせるその神経――彼の人間として嫌な部分全てを否定してしまう。
殴った後でなんて子供なんだとと思うともっと自分が嫌になった。それでもどこかすっきりした達成感は否めなくて、「ざまあみろ」とつい口が開きそうになる。
溜め込んでいた本音を吐き出して、咄嗟のことで睨みつけながらも若干涙目になっている戸田君に少し優越感を覚えると、横から桜井さんの平手が飛んでくるのが見えた時にはもう遅かった。
物凄い形相で右腕を振り落とそうとする彼女を見て、なんてことをしてしまったんだと後悔する暇もなく、咄嗟に目を強く瞑る。
叩かれても仕方がないのはわかっていた。私だって戸田君を叩いて少しすっきりしたのは確かだ。彼女の掌が頬に届く数十秒の間、私は「自分も自己満足な人間だな」なんて悠長なことを考えた。
しかし、我慢しようとしていた痛みは一向にくることなく、代わりに聞こえてきたのは桜井さんが痛がる小さな悲鳴と、教室がざわつくクラスメイトの声だった。
恐る恐る目を開けると、目の前には桜井さんの腕を掴む男子生徒の姿があった。
「……さっきから騒がしくて寝れねぇんだけど」
ボサボサの黒髪に使い込まれた制服。苛立っているような低い声で桜井さんを睨み付けた。――というより、寝起きで目がまだ開いていないだけかもしれない。緊迫したこの空気の中で、彼は口を開けて大きな欠伸をする。
教室中の誰もが「誰だコイツ?」と首を傾げる。私も同じことを思った。こんな口調の悪い男子生徒なんていただろうか。
打ち付けた背中をさすりながら戸田君が動揺しながらもボサボサ頭の彼に向かって吠えた。
「な、ななんだよお前! いつからそこにいた!?」
「ずっと居たよ。アンタらがギャーギャー騒いでる時からずーっと。せっかく席替えで窓際の一番後ろのポジション取れたのに、アンタのせいで寝起き最悪。どーしてくれんの?」
そう言って、気怠そうに桜井さんの腕を掴んでいるのとは逆の手で頭を掻く。
……そうだ、思い出した。
彼は授業中にも関わらず、いつも教室の一番後ろの席で突っ伏して寝ている男子生徒だ。二年生になってクラス替えが行われたため、昨年とは違ったクラスメイトと一緒になった中で、私も含め他の生徒とまともに会話をしているところを見たことがない。よく寝ていることから教科書の音読に指名されることも多いが、教科書の正しい文章を読み上げるだけで口調までは知らない生徒が多い。だからほぼ初めて聞く彼の口調に誰もが首を傾げるしかなかったのだ。
確か名前は――東雲祥吾。
そんな彼がこんな修羅場のような場面で登場してくるとは、これはどこかの少女漫画か。
「何よ、その子の味方をする気?」
「…………」
桜井さんがそう言うと、東雲君はじっと彼女の顔を見つめ、あと十センチくらいで鼻先がつきそうな距離まで自分の顔を近づけた。――いや、目を細めているところからしてまだ視界がぼやけているのかもしれない――桜井さんが頬を一瞬赤らめたかと思えば、すぐに顔を歪める。彼女の視線の先を見ると、手首に包帯が巻かれていた。怪我をしていたのに気付いたのか、東雲君はその包帯をじっと見つめてから腕を離した。
そして戸田君と見ると出入り口の方を指さして言う。
「さっさと教室戻れ。その金切り声、うぜぇ」
「…………はぁ? なんなんだよお前!」
「そろそろ授業が始まる頃だから戻れって言ってんの。教室の外で猪野チャンが待ってんだから早くしろって」
「随分上から言うじゃないか。誰にその口聞いてんのかわかっているのか? 俺は理事長の息子だぞ、そんな口の利き方をして……」
「授業内容はともかく、開始時間を遅らせてることに理事長って関係あんの? テストで満点取れなかったら教師のせいなの? アンタのお勉強の時間を知らないくせに、親が学校に口出ししてどうすんのさ? アンタが恥ずかしくない?」
「テストは関係ないだろ! 俺の親父の一言でお前の退学だって……」
「親頼みで解決すんの? だったらアンタの推理とやらは親のおかげなんだ。へぇ……なんか虚しいね。可哀想」
「ふ、二人とも落ち着きなさい! ここで小競り合いしても意味はないだろう?」
どんどん加速していく東雲君と戸田君の言い争いに慌てて先生が止めに入るものの、一向に収まる気配はない。
「先生、コイツも指導対象ですよね? 俺に向かって暴言吐きましたけど」
「暴言? さっきアンタがそこの女子に言ってたのと何が違うの?」
「お前……言っていいことと悪いことが――」
「アンタがどこの誰で口が臭かろうと、アンタがしてたことは俺が吐いた暴言と同じ。お互い様だろ? これ以上口臭い上に面倒臭いことすんなよ」
「口臭いって言うな!」
戸田君が東雲君の口車に上手く乗せられている。先生が懸命に戸田君を抑える中、軽く受け流す東雲君に教室にいる誰もが苦い顔をして見ていた。
……それにしても、彼はこんなに口が悪いのか。
いつも机の上に頭を乗せて眠っている印象が強く、授業前の出席確認の時も寝ぼけながら手を上げるくらいで音読以外で声を発したところを見たことも聞いたこともない。
そもそも最初の席も席替えした後も遠いから聞いたことないのも無理はないとは思うが、周辺の席に座っている子でさえ驚いた表情をしているから、聞き慣れていないのだろう。もともと低い声なのだろうが、寝起きのせいでもっと低くて怠そうに聞こえてくるから、「あれ、怒ってる?」なんて錯覚をしてしまう。
しかし、彼の言う通り教室の外で次の授業である『猪野チャン』こと日本史担当の猪野先生が待っていたのは明らかで、いつまで経っても止まない争いに痺れを切らした猪野先生が殴りこむようにして入ってくると、二人が連れてきた生徒指導の先生が血相を変えて彼らを引きずるようにして教室を出ていった。
猪野先生は呆れた顔で彼らを見送ると、何事もなかったかのように日本史の授業を始めた。
そっと後ろの席に目を向けると、つい先程まで起きていた東雲君は教科書を頭に被せて寝てしまっていた。もちろん、それからすぐ猪野先生に気付かれて起こされ、教科書の本文を五ページほど読まされたのは言うまでもない。
授業が終わって私が席を立つと、どことなく冷たい視線が刺さってくる。無理もない。クラスメイトがいる中で盗難事件の容疑者の疑いをかけられ、別クラスで特進科の生徒を叩いたばかりだ。はた迷惑もいいところである。
視線をかき分けるように一番後ろの席で机に突っ伏して眠っている東雲君の前に行く。あれだけ教科書の内容を読まされていたにも関わらず、肩を揺すっても起きる気配がないほどぐっすり眠っていた。
「えーっと……し、東雲君ー?」
「…………」
ダメ元で声をかけたが、やはり無反応。起きる気配はない。
「あれ、また寝ちゃったの?」
後ろから分厚い授業用ファイルを抱えた猪野先生がやってくると、机を二、三回程叩いて起こそうとした。それでも起きる様子のない彼に、猪野先生は全く……と小さく笑った。
猪野侑子先生は二年C組の担任で、自称二十七歳。耳が少し隠れるくらいのショートカットの黒髪にパンツスタイルの灰色スーツ、片手に大きな授業用ファイルを抱えて校内を歩いていれば、大体猪野先生だ。男勝りで強気なところは先程の先生の様子を見れば一目瞭然だが、恐れられる存在と言っても過言ではないだろう。
恐ろしい印象とは裏腹に、生徒からの信頼は厚い。何でも先生に恋愛相談すると本当に恋が叶う、運動部の練習メニューを見直してもらうと次の試合で勝利するなどという、ほぼ百発百中の助言欲しさに連日職員室に押し掛ける生徒もいる程だ。
そんな猪野先生の悩みの種の一つが、東雲君の授業態度だ。何度も起こして音読させてみても、今年に入って彼がずっと起きていた授業は一つもない。
「五ページじゃ昼寝前の運動も同じなのね……次はもっと増やしてみようかしら」
「そ、それは可哀想なのでは……」
東雲君はよく寝る。それはどの授業でも同じらしく、猪野先生の授業に限った話ではない。
疲れて寝ているのかと思えば、彼が部活動に入っていることもアルバイトをしているとも聞いたことはない。よく話す友人もいるのかも分からない、クラスで浮いているすべてが謎の人物だ。
「そういえば授業前の戸田と桜井は何だったの? 生徒指導まで引き連れちゃってさ」
「あー……実は――」
従業前の騒ぎを簡単に説明すると、猪野先生は眉をひそめた。
「牛山が犯人なワケないでしょ。授業にちゃんと出てるの知ってるし、部活入ってないけど颯爽と教室から出て帰宅しているの見てるし」
「先生……それ、私の身の潔白を証明できる証拠になってないです……」
味方がいない中でも数少ない証拠にはなったかもしれないけど。
「でも手をあげたのはダメよ。暴力で解決するのは絶対ダメ。手が出たら負けなのよ。それが例え男でも女でも、守りたい理由とか格好良いことを謳ったところで結局罪悪感しか残らないんだから」
「……はい、すみませんでした」
罪悪感しか残らない。――猪野先生の言葉に引っかかるも、素直に頷いた。殴った後の罪悪感の他に感じたあの優越感は私の中のエゴイズムなのかもしれない。
「それにしても、戸田が出てくるとはねぇ。面倒なことにならなければいいんだけど……」
「え? 理事長の息子だからって何か問題でもあるんですか?」
いくら学校の一番偉い人の息子だからと言って贔屓するのはいかがなものか。だって偉いのは父親であって、息子は息子でしょう? ――そんな私の考えは、猪野先生の少し悔しそうな顔で上手くいかない事情であることを悟った。
「戸田のお父さんはお金を援助してくれている企業の社長さんなのよ。自分の息子が三年間世話になるからっていう理由で入学する少し前から始まったんだけど……目に見えてわかる溺愛っぷりでね。学校の運営にも関わってくるから、戸田君に何かあるとお父さんが出てきて物言いが始まるの。クラス担任はおろか、校長先生でもどうにもできないから話がややこしくなってね……。牛山達も大人の社会に仲間入りしたら嫌でも見ることになるわよ。それまで子供でいられるこの生活を噛み締めておきなさいね。
「……あ、今の独り言よ? 聞いてないわよね、牛山?
「……そう、ならいいわ。とにかく、そんなに思い詰めちゃダメよ。確かにここ一か月半くらい盗難が続いているけど、【ロッカーの鍵を開けることができる人物】を生徒の誰かができるかなんて疑うには難しいところなんだから。生徒指導の先生達が授業中の見回りを強化して捕まえてやるって息巻いているし、きっと大丈夫よ。噂もすぐに収まるわ。私は牛山がやったなんて絶対思えないし、これからも思わない」
真っ直ぐ私の目を見てそう言う猪野先生に、私は小さく頷くくらいしかできなかった。
「今はいろんな人に嫌なことを沢山言われるかもしれない。私に何かできるかわからないけど、すぐ来なさいね。……って言っても、私は明日の午後から出張でいないんだけど……っあ! ヤバイ、授業遅れる! 日直の人、黒板消しといてねー!」
「い、行ってらっしゃーい……」
黒板の上にかかっている時計を見てバタバタと慌てながら教室を出ていく。先生は大変だ。
「――相変わらず元気だな、猪野チャン」
「っうぇ!?」
予期せず東雲君の寝起きの声が聞こえてつい変な声を出してしまった。眠そうに目を擦っているが、全く瞼が開いていない。
「先生も大変だな。猪野チャンはああ言ってたけど、さっきの生徒指導のセンセーも犯人捜しなんてろくにできてないんじゃね? 模索中ってところだろうけど、犯人も目星もついていないようだし、戸田の話も半信半疑な顔して聞いているから、教師陣も想定外だったんだろうけど」
間抜け顔が見れただけ楽しめたからいっか、と満足気に鼻で笑う。寝起きにしては淡々と流暢に話す彼に、私は苦笑いを浮かべる。
「い……いつから起きてたの?」
「ん? アンタが席に来た時から」
……ということは、私が猪野先生と話している間、ずっと彼は起きていたことになる。
「猪野チャンに起きてることバレたらまた教科書読まされるじゃん」
「いや、寝てるから読まされるんだよ……」
「で、なんか用?」
小首を傾げて聞いてくる。本来の目的を忘れていた。
「ああ、えっと……さっきはありがとう。助かった」
「……ああ、あれか。安眠妨害されてクレーム入れただけだよ。アンタ、なんか大変なことに巻き込まれちゃった感じ?」
「……多分」
「あ、そう」
まあ、頑張って。――そう言って東雲君はまた机に突っ伏してしまった。先程より寝息が聞こえてくるから、今度こそ眠ってしまったのだろう。これ以上話せるわけでもないので、私も自分の席に戻った。
それからも周りの目は相変わらず冷ややかなものではあったが、その日はもう誰かが何かを言ってくることも、戸田君と桜井さんがまた乗り込んでくることもなかった。
全ての授業と最後のホームルームが終わってすぐ、誰よりも先に教室を出て廊下を走った。途中で誰かに「廊下を走るなー!」と注意されたが、振り向かず一直線に昇降口へ向かう。
教室に、いや学校の敷地内に長居すれば私が盗難の犯人だと更に疑われてしまう。それならば先に校舎を出てしまえばいい。何より、今は彼らの声を聴きたくなかった。
「……私は、やってない」
――お金のために鍵を開けるなんて、全然面白くない。
校門の外に出て大きく息を吐く。明日またここに来るのだと思うと、なんだか気が重くなった。
三
盗難事件の容疑者だと言われた翌日。周りの視線を気にしながら登校して教室に入ると、クラスメイトが眉をひそめながら小声で話している。その中の一人が私に気付いて、恐る恐る声をかけてくれた。
「あ、牛山さん……お、おはよ……」
「おはよう。何かあったの?」
「……D組の子のロッカーに、折り紙が入ってたって」
その子の話によると、被害に遭ったのは二年D組の女子生徒で、封筒に入れていた二千円が折り紙にすり替わっていたことから、今朝方に学校へ連絡がきたそうだ。
今回被害にあった女子生徒は、その日一日中現金が入った封筒と財布を一緒に教室にあるロッカーに入れたうえ、どちらかが外されても良いように、南京錠とダイヤル錠の二重の鍵をかけるという防犯対策をしていた。
それにも関わらず、昼休み後に行われた体育の授業の関係で、教室に誰もいない状況になった約一時間の間に二つの鍵を開けて鞄を漁って現金を盗み、折り紙を入れて戻したという。
プロの空き巣泥棒のような手際の良さと手口をこなした人物は限られるとして、学校側は折り紙が入っていた時点でA、B組を襲った盗難事件と同一犯の仕業だと睨んでおり、容疑者としてまた私の名前が浮上しているのだという。
現に私の周りのクラスメイトは私を見て疑うようにな視線を向ける。何度説明しても信じてもらえないのは、昨日の殴り込みががあったからだろう。
しかし、不味いことになった。朝一からあの二人がここに来てしまう。そう思ったと同時に教室のドアが勢いよく開き、一番会いたくない彼らが乗り込んできた。
「お前、昨日の今日でよくもやってくれたな!」
「A、B組だけじゃ飽き足らず、D組にまで手を出して……酷いわ!」
「だから私じゃないって言ってんでしょうが!」
ああもう、タイミングが悪い。これでは昨日と同じ繰り返しじゃないか。
せめて昨日と違うのは、連れてきた生徒指導の教師が温厚で有名な高岡俊彦先生だったことだ。生徒指導の担当の教師陣はいつも怒っている印象が強いが、高岡先生だけは生徒一人ひとりに対して物腰柔らかく対応してくれる。
そんな先生も立て続けに起きている盗難事件に眉をひそめている様子は校内でも珍しいと言われていた。
高岡先生は戸田君と桜井さんの後ろから私に声をかける。
「牛山。このところ多発している盗難騒ぎについて、本当のことを話してもらえるかい?」
「やっていません。私、本当に盗んでないし鍵も開けてません。先生も彼らの味方なんですか?」
「頼むよ。学校としてもこれ以上被害を出すわけにはいかないんだ」
「だから最初から……」
「本当のことを言ってくれ。……彼らが昨日、D組の教室で君を見かけたと言っているんだ」
「今回も証拠があるぞ。D組が昨日の移動教室の関係で教室を空にしたときの映像だ」
戸田君はスマートフォンを出して見せてきたのは、また私によく似た後ろ姿の人物がロッカーの鍵を開けている様子が伺える動画だった。
ダイヤル錠を一つずつずらして開けると、順番に南京錠は手で覆い隠すようにして鍵穴に何か金属のようなものを差し込んで開けた。そしてロッカーの扉を開かれると、画面には扉しか映らなくなり、動画を撮るためにズームアウトされたのか、画面いっぱいの扉が小さくなっていくと、千円札を二枚ポケットに入れ、代わりに半分に折り畳んだ和柄の折り紙をロッカーに仕舞おうとする姿が映っていた。もちろん、犯人の顔は隠れたままだ。
「これ以上生徒を疑うことをしたくない。君が話をしてくれれば、犯人に繋がる証拠も出てくるだろう。……頼むよ、牛山」
「…………」
心臓が地面に落ちたような胸の奥が急に重くなる感覚と同時に、鼻先がツンと痛くなる。次第にドクドクとやけに早く叩く心臓の音が耳鳴りの如く聞こえてくる。
先生や彼らはともかく、教室のクラスメイトも皆、疑いの目を私に向けているのが目に見えてわかる。
今ここで「これは濡れ衣です! 二人が私に罪を擦り付けようとしているんです!」とか言ってみたら、この最悪な状況は変わるだろうか?
――なんて、愚問だったな。きっと誰も信じてはくれない。
動画という証拠と、教師が従うほどの権限を持つ探偵役――この二つが揃っていれば、今の段階で充分信じても仕方がないことだろう。私だって、彼らの立場であれば同じように冷たい目でその人物を見てしまう
この状況で、どれだけ私が一人で訴えても、彼らが納得してくれる要素はどこにもない。
張り詰めた威圧感で埋まったこの教室はとてもじゃないけど居心地が悪い。「何か言わなきゃ、早く早く」と自分を急かす度に頭が真っ白になる。
――ああ、こんなことならいっそ「私がやりました」と言ってしまえばいいのかな。
流れに身を任せようとする自分がいる。そんなことを口にしたら最悪な彼らのシナリオに乗っかってしまうのはわかっているのに。
それでもこのもどかしさから抜け出せるのなら、と私は口を開いた。――その瞬間、誰かが私の背中を軽く叩くと、前に出た。
「――随分面白そうなことしてるじゃん。俺も混ぜてよ」
気怠そうな声はそう言って彼らの前に立つ。
顔をあげて、ようやく私の背中を叩いた人物が東雲祥吾であることに気付いた。
「お前か。混ざったところで何ができるんだ?」
「いいじゃん。楽しそうだし。で、コイツが犯人だっていう証拠は?」
コイツ、と言いながら私を指す。すると戸田君はすかさずスマートフォンの画面を東雲君に差し出した。
「この動画が全てだろう。これで牛山が犯人であることは、俺の推理と共に証明済みだ。お前はその泥棒の味方をするのか? 止めた方がいい。泥棒に手を貸すなんて、末代までの恥さらしだ。きっと後悔する。それに俺の両親はこの学校の理事長だ。俺の推理にケチをつける奴は俺への態度を改めた方が良いぞ。この学校で無事に卒業したければな!」
満面の笑みを浮かべる戸田君を前にしても、東雲君はじっと動画を見つめ、巻き戻すこともなく最後まで再生が終わったその静止画を眺めていた。そしてスマートフォンから顔をあげて、彼に問う。
「この動画はアンタが撮ったの?」
「もちろん、盗難の最中の出来事だからこのクラスが移動教室で室内に誰もいなかった時間帯……完全な犯罪の証拠だろう! 牛山さえ認めれば、全生徒が安全に学校生活を送ることができる。東雲、お前も何も言……? 何がおかしい?」
戸田君の言葉に、東雲君は口元を緩めて笑う。私には笑う――というより、嘲笑っているように見えた。
「いや、随分犯人探しに熱心だなって。この動画を撮るために授業をサボったんだろ? 笑っちゃうよ」
「当たり前だろ! A組は全員盗まれ、B組にも被害者が出ているんだ。これ以上被害を出さないためにも……」
「自分のクラスのため、ねぇ」
スマートフォンを戸田君の渡すと、東雲君は話し始めた。
「この事件の被害者は二年A、B組の生徒だ。生徒指導の教師が日に日に見回りを強化しているのを犯人が知らないはずがない。
「それでも被害は起きているってことは、リスクを冒してまで金が欲しいって事なんじゃね? よほど金が必要なんだろうな。
「ま。まだ仮定の段階だから犯人の本性なんて、この時点でどうでもいいさ。余計な情報は早めに切り捨てて考えた方がいい。あとで拾えばいいだけなんだから。
「金目的か優越感に浸りたいだけなのか――この疑問も今は捨てていこう。
「話を戻そうか。
「A組の生徒が全員盗まれたんだ。なんらかの意図があって隣の教室に移り、ジワジワとB組の荷物を物色しているのなら、次もB組の生徒が狙われる確率は高い。
「生徒に恐怖感を植え付けて、強張っている顔を見て嗤っていたい犯人が俺なら、迷わずB組を狙うね。
「……趣味が悪いって? 例えだよ、例え。
「……それにしてもアンタ、思っていた以上に頭が切れるんだね。定期テストでヤマを張った範囲が良く当たるタイプだろ?
「今回も次に狙われるのは【B組の盗まれていない数名の誰か】ではなく、【厳重に鍵を掛けたD組】だって予想して教室に犯人が現れるのを待っていたんでしょ!
「すごいな。その予想に音の出ない小さな称賛の拍手を送るよ。
「……あれ、でもさ。
「衝撃的な場面に遭遇したときは手が震えたりとか、驚いて声を上げたりとかしねぇ? 俺だったら絶対に声を上げてたなぁ。
「もしかして……事前にわかっていたから動揺しなかった、とか?
「でも待てよ……? そもそも動画って必要だったのか?
「自分の成績を落としてまで決定的な証拠の動画を撮るんだったら、その場で捕まえればよかったんじゃね?
「こんな大勢のギャラリーの中で公開処刑するまでもなく、騒ぎを何もなかったかのように収めることだってできるだろ。理事長の息子権限があればどうとでもなるんじゃねぇの」
東雲くんは食い気味で饒舌に話す。随分楽しそうに話す彼とは対照的に、戸田君は口出しする暇もなく、次第に顔が青くなっていく。
言われてみれば確かに、戸田君本人が動画を撮影したのなら、その場で犯人と仕留めてしまえばいい。早期解決を望むのなら、彼が先陣を切って犯人を直接手を下せば終わる話だ。
わざわざ撮影に集中したのは、否定できないほどの絶対的な証拠を掴むため?
犯人を生徒の前に突き出して自白させ、自分の実力を校内中に知らしめるため?
スマートフォンを持つ手が震える戸田君に、さらに東雲君は畳みかける。
「……ところで、『室内に誰もいなかった時間帯』とか言ってたけど、正確には何時の話?
「普通科のD組が教室にいない時間帯をなんで特進科のアンタが知ってるのかは置いといて。
「犯行現場を見ていたのなら、時間くらい答えられるだろ。
「それとも……動画と正確な時間がずれているから答えられない、とか? あるわけないよねぇ?」
東雲君が戸田君の顔を覗き込むようにいうと、戸田君の顔が完全に怯んだ。何も答えられない戸田君に、大袈裟に肩を落としてがっかりした東雲君は言う。
「動画を撮った奴に言っとけ。【細工するなら、動画の中に時間と場所がわかるものを入れない方がいい】ってな」
「え……場所?」
「だから、それどう見たって、教室が違うだろって話」
彼の言葉に混乱しながら、戸田君は動画を再生して目を見張るが、どこが違うのかわからず眉間のしわが次第に濃くなっていく。
それを楽しそうに嗤う東雲君は、今度は私の方へ向いた。
「あー……うし……何ちゃん、だっけ? ウシオちゃん?」
軽く頭を捻りながら聞いてくる。惜しい。同じクラスなのにわからないのか。
「うし……いや、ぎゅう?」
「……牛山です」
「そうそう、牛山ちゃん。一応確認しておきたいんだけど」
先程までの笑みから一転、真顔で私に問う。
「アンタが盗んだの?」
――ぷちん。
小さく何かが弾ける音が聞こえた。
外からではなく私の頭の中から、幻聴にしてはやけにはっきりと聞こえたその音と同時に湧き上がるのは、信用してもらえないという悲しみよりも、同じ話を繰り返し聞いてくることへの苛立ちだった。
「……私は、盗んでないし鍵も開けてない! もし仮に私が犯人だったとしてもこんな面倒なことしない!」
疑われてから同じ話を何度もした。それでも理解してもらえないのは、戸田君の推理と動画を多くの人が信じているから。
それに対して、信頼してもらえる材料が一つもない私を庇ってくれる人はいない。助けてくれそうな先生も、私に本当のことを話せと疑いをかけてきた。辛うじて猪野先生が信じてくれているけど、この場にいなければ同じことだ。――彼もまたその一人なんだろう。
自分が嫌になって怒鳴った後で、唇をかんだ。ぐっと目頭が熱くなる。やり場のない苛立ちと後悔と虚しさで、きっと酷い顔をしていることだろう。
自棄になって睨むと、彼は小さく笑って、私に想像していなかったことを口にした。
「そっか。じゃあアンタを信じるよ」
「……え?」
東雲君の言葉に驚いたのは私だけではなかった。後ろで見ていた戸田君や桜井さん、高岡先生、それどころか、教室にいた誰もが唖然としていた。
「信じるって……」
「だって盗んでないんだろ?」
「そうだけど、でも」
「貴方達、さっきから何を……」
「あくまで仮説だけどさぁ!」
桜井さんの言葉を遮って、東雲君は教室にいる全員に聞こえるように言った。
「――仮説だけど、誰かがコイツに濡れ衣を着せようとしている。そういうのって大体、推理小説なら憎まれ口を叩かれても気にしない奴にそそのかした黒幕がいるってモンだけど、今回の騒ぎに関してはどうなんだろうな? 全員が全員、共犯だったりして?」
ニヤリと浮かべたその見下すような笑みに、この場にいる全員が身震いした。眉をひそめて苦い顔をする高岡先生が東雲君に問う。
「東雲、これは小説の話じゃない。実際に起こっている盗難なんだ。それでも君は彼女の無実を信じるのかい?」
「本人がやってないって言ってるし、注目浴びている中で人殴った挙句怒鳴り散らすガサツ人間がこんな几帳面なことできるわけがないっしょ。決めつけるにはまだ早いんじゃね?」
「失礼にも程があるんですけど!」
「うるせぇ、ちょっと黙ってろ」
唐突に人の悪口を言っておいて放置するなんて。
東雲君は私を見ずに言葉だけで払い除けると、戸田君に人差し指を突き出す。
「一日で真犯人を見つけてやるよ、無能な教師と理事長の息子が全校生徒や教員の前で大恥をかかせるわけにはいかないからな」
今まで表に出てくることなく、後ろで空気と化していた東雲君が堂々と宣戦布告をしたことに、教室にいる誰もが呆気を取られた顔をして言葉にならない声を漏らす。
その中でも私は特に、疑うように彼に「はぁ?」と呟いて彼の腕を掴んでこちらに顔を向かせる。
「うおっ。なに急に?」
「なに? はこっちの台詞。東雲君? 今何て言った? 一日で真犯人を見つけるって本当に言ってるの?」
「いいじゃん、ただのお遊びだろ」
「今後の高校生活を左右する現状をたかが遊びで終わらせないでよ!」
彼の緩んだ頬を引っ張る。私なりに強い力で引っ張っている割には、平気そうに笑っている。――いや、こういう顔をなのかもしれない。変人か?
「頭が固いな、ウシイさん。こういう状況は楽しんでなんぼでしょ。金を盗み、意味不明の折り紙を残し、ピッキング技術も兼ね備えている犯人……楽しい鬼ごっこの始まりじゃん」
「だから牛山だって言ってるでしょ! こんなところで名前間違えるとか、東雲君って馬鹿なの? 空気読めないの?」
「俺の名前に羊はいても馬や鹿はいねぇから」
「知らないよ! どうでもいいし!」
なんなのコイツ!
罵倒も焦っていれば言葉にもならない。投げやりの罵倒と同時に彼の頬を挟んでいる指の力が強くなるが、彼はケタケタと笑っていた。
話が全然進まない。彼は本当に変人なのかもしれないと、本気で思い始めた。
すると蚊帳の外だった戸田君が、若干眉を吊り上げて割り込んできた。
「東雲ぇ! 随分大きく出るじゃないか。もし真犯人とやらが出てこなかったらどうする? 牛山がどうなってもいいのか?」
ちょっと待って、どうして私が犠牲になる方向に話が進んでいるの? ――と私が口を開く前に、東雲君が私の手を外して、戸田君にあっけらかんと答える。
「焼くなり煮るなりすればいいじゃん」
クラスの皆と教師がいる前で東雲君は堂々と宣言すると、教室内が沸いた。理事長の息子と唐突に表れた問題児。たかが小さな学校の盗難ごときで、バトルアクションゲームの対戦相手が開かれた時の歓声に近い発狂ぶり。
私は一人ぽかんと開いた口が閉じられなかった。既にクラスメイトの中には野次馬を飛ばす生徒もいる。
この状況に優越感を覚えたのか、戸田君は満足そうに笑った。
「……いいだろう! 一日だけ時間をくれてやる。一日で牛山の無実を証明できなかったら、お前ら二人とも理事長の処分に従ってもらうからな! ま、せいぜい頑張りたまえ」
まるでマントを翻すように、胸を張って歩く戸田君を筆頭に彼らは教室を出ていった。教室中がざわつく中で、一人呆然を立ち尽くす私に東雲君が楽しそうにケタケタと笑いながら言う。
「随分大きく出たな。今の見た? あの自信満々な顔。さっきまで証拠の動画を見て慌ていたのに、自分が有利って思った瞬間にあの顔だよ。いやぁ……ある意味尊敬するよ。というわけで真犯人が見つからなかったら連帯責任ってことで。いいよね? ウシジマちゃん」
「……牛山だって、言ってんでしょうが!」
他人の今後がかかっているのにも関わらず、なぜ彼はこんなに活き活きとしているのだろう。初めて見る表情はとても新鮮で素敵に見えるだろうが、今の私には苦笑いを浮かべて自分の名前を訂正するくらいしか言葉が出てこなかった。
「それは了承したと受け取って良いんだよな?」
「もう有無を言わさず受け取ってるじゃん……」
「物分かりが早くていいね。宜しく、牛山ちゃん」
謝る気もない彼は自分の席に戻っていく。席につくと同時にクラスの男子数名が彼の元へ集まり、どうやって犯人捜しをするのか、秘策はあるのかと茶化し始めると、そそくさに机の上に突っ伏して寝る体制をとった。
興奮冷めやらぬ中、先程の状況を知らない先生が不思議そうな顔をしながら入ってくると同時に、授業開始のチャイムが鳴り響いた。
たった二日の間に急展開が起こった盗難騒ぎに、私の頭はパンク寸前だった。理由もわからずに疑われ、何も言っても信じてもらえず、もうダメだと自棄になっていると、唐突にまともに話したことのない彼が現れたかと思えば、他人のお遊びに巻き込まれるような形で高校生活を終えるかもしれないなんて。こんな状況、誰が想像できただろうか。
授業中も先生の話を聞かずに考えるけど、良い案は何も出てこない。そればかりか、先生に注意される始末だ。
考えるのも嫌になってきた頃、先生が黒板に書き込んで背を向けているのをいいことに、教室の一番後ろに座る東雲君に目をむける。授業が始まる前は机に突っ伏していたのに、珍しく起きて窓の外を眺めてぼーっとしていた。
まともに話したことのない彼に、私は今後の生活を賭けることになるのか……。
不安と同時に、彼はどうやって犯人を捜すのか。――あれ、なんでだろう。不思議と興味が出てきた。お遊び半分で挑む彼より、深刻な状況にいる私がこんな楽観視しているのは、隠しきれない好奇心からだろうが、使える手段は片っ端から使うべきだ。もう一人で考えられる問題じゃない。
この選択は鬼が出るか蛇が出るか――賭けに出ようと決めた。
四
「――おいおい、聞いたか?
「二年C組の牛山っていう女子生徒が、盗難の犯人じゃないかって噂されている話。
「本人は否認しているけど、B組の戸田が証拠を掴んだって言って教師に突き出したんだと。
「そしたらさ、牛山を庇った奴が戸田に自分が一日で真犯人を暴くってC組の教室で堂々と宣言したんだよ! いやぁ……すげぇ緊迫感で圧倒されたよ。
「戸田って理事長の息子だろ? 絶対二人とも退学処分にされるよな……。停学とか、謹慎処分だったらまだいい方だろうけど……。
「え? 喧嘩を売った奴? C組の一番後ろの席でいっつも寝てる奴がいるだろ?
「そう、アイツ。起きているところなんて初めて見たぜ。もしかしたら声も初めて聴いたかも。
「そいつの名前は確か――」
「東雲君、どうやって捜すつもりなの?」
全ての授業が終わった放課後の教室は、ホームルームを終えた生徒達がやれ部活だやれ塾だ、どこで遊ぼうかなど、朝と比べてとても賑やかだった。
様々な会話が飛び交う中、教室の一番後ろの席で机に頬杖をついてボーッとしている東雲君の元へ行くと、開口一番に問う。
授業中はもちろん、放課後もほぼ寝ていて誰かが声をかけないと帰らない彼が、朝の戸田君に宣言してからずっと目を開けている。
授業中も窓の外を見ていてまともに先生の話を聞いてはいなかったものの、「起きているだけ嬉しい」と担任の猪野先生に泣かれると、小さく溜息を吐きながら困った顔をしていた。
私が声をかけると、東雲君は頬杖をついたまま目だけを動かした。
「おー……ウシワカちゃん」
「牛山だって。ふざけてる?」
「いやいや、俺がそんなバカに見える?」
見えるから聞いているんだよ。
……とは言えなかった。いちいち名前を訂正するのも疲れてきた。私は小さく溜め息を吐くと、東雲君は席から立ち上がった。
「それじゃ……牛山ちゃん、付き合ってよ」
「……は?」
「だから、アンタがいないと犯人見つけられないから、付き合って」
「……ああ、うん」
突然何を言い出すのかと思った。
少しだけ驚いた心臓を落ち着かせて、教室を出ていく東雲君の後を追う。
一歩教室の外へ出ると、廊下にいたほぼ全員が私に目を背け、わざとらしくひそひそと話し出した。
「お。アイツが噂の泥棒か……」
「今日はどこのクラスの奴を狙うのかな?」
「ちゃんと鍵を閉めておかなくちゃ」
「意味ないんじゃね? 開けられたら終わりだろ?」
「戸田の奴、今日も動画を撮るのかな?」
「…………」
校内は既に盗難騒ぎの噂で持ち切りだった。面白がっている人もいれば、本当に恐れている人もいる。例えそれが他人を傷つける言葉であっても、仕方がないことだってわかっている。
――わかっている、はずだった。
人って、小さな言葉一つでこんな簡単に傷つけられるものらしい。胸が痛い。早くこの場から離れたいと思いながらも、足は竦んで動こうとしない。
顔も上げるのも辛くなって俯くと、突然頭に何か乗せられた。重みで頭が上がらない。横目で見上げると、東雲君が左手で私の頭を押さえ、軽い力でグリグリと髪を掻きまわし始めた。
暫く放置していたが、流石にうざったくなってきたので強引に彼の手を掴んで頭から離す。
「――人の髪をぐしゃぐしゃにして楽しいか!」
「だって顔が不細工だったから」
「理由になってないし相変わらず失礼だよね! 元々こういう顔なの!」
「元気じゃん。その不細工な悲劇のヒロイン顔してても問題は解決しねぇぞ」
「別にヒロインなんて……!」
「言わせたい奴には言わせておけばいいんだよ。アンタは濡れ衣を証明することだけを考えて、前だけを向いていればいいんだって」
茶化すように笑って言うと、昇降口とは反対の方向に歩き出す。ぶっきらぼうな言い方だったが、彼なりの励ましだったのだろう。彼が歩き出した方向に足も動くようになっていた。
駆け寄って彼の隣に追いつくと、軽い愚痴を続けた。
「そもそも、盗まれるのが恐いなら学校に大金を持って来んなって話だろ。五千円や一万円なんて、学生にしては高価な金額だろ。クラス内とはいえ、ランダムで狙われているのがわかっているなら教師の言うことを聞かずに管理できなかった生徒が大問題。更に話を聞かないとわかって放置した教師はもっと問題! 特進科も普通科も、加えて教師も問題児ばっかりだな!」
授業中に寝ている問題児の東雲君は自分にも言っているのだろうか。どう聞いても自分の首を絞めているようにしか思えない。
「……そういえば、どうしてお札ばっかりなんだろう?」
私が小さく呟いた言葉に、東雲君は足を止めて振り返った。眉をひそめて首を傾げると、不思議そうに聞いてくる。
「お札だけって? なんで盗まれたのが札だけってわかるの?」
「わ、私は聞いただけだからね? それに小銭を盗まれたところでこんなに大事にはならないんじゃないかな?」
彼にそう言ったものの、私も実際にどこまで被害が出ているのか把握できていない。
教室中で聞こえてきた話をまとめると、被害に遭ったのはすべて二年生で、財布からお札の代わりに折り紙が入っていたことくらいだ。
私も東雲君も、まず情報収集から始めた方が良さそうだ。しかし、この状況で生徒にA、B組の生徒に話は聞きに行きづらい。彼らは犯人が私だと思っているし、戸田君に啖呵を切った東雲君も快く思われていないだろう。すると何か思い付いたのか、彼は一度止まって私に問う。
「アンタ、運動苦手?」
「いや別に、普通だけど……って、関係あるの?」
「ないけど。でも情報収集するのに最適の場所を思い付いた」
付いて来い、といって先を歩く。ニヤリと口許を緩めた彼はとても楽しそうだった。
東雲君が向かった先は非常階段だった。教室のある二階から延々と登っていき、何階かの踊り場でようやく彼の隣に並べると、彼は小さく笑って言う。
「おー頑張るじゃん」
「付いてこいって言ったのは東雲君でしょ……! ってか、なんで非常階段なの?」
「用があるのが五階だから」
この学校の校舎は五階建ての構造になっている。最上階である五階は、大きなプロジェクターがある視聴覚室と資料室が並ぶだけでほとんど使われておらず、生徒や教師や立ち入ることもない。
そして非常階段もあまり使われていないため、埃がうっすらと積もっていたりしている。学年別で掃除担当があるため定期的に掃除はされているものの、先生の目も届かないのでサボりがちな場所でもある。
「普段使っている階段でもよかったんじゃ……」
「こっちの方が近いんだよ。ほら、あと一階分だ。頑張れ」
心のこもっていない声援を投げながらさっさと上がっていく。もう少しくらい労わってくれたっていいのではないか。
「ねぇ、朝の動画のことなんだけどさ、どうして戸田君が撮ったものじゃないってわかったの?」
話をすれば少しくらい歩くスピードを緩めてくれるかもしれない。そう思って朝から疑問だったことを彼に問う。
彼はあの時、動画の静止画をじっと見ていただけで戸田君が撮ったものではないと判断した。それが本当なのか、戸田君の顔色を見れば明白だった。
「『細工するなら動画の中に時間と場所がわかるものを入れない方がいい』って、一体どこに入ってたの? 私も一通り見たけど、そんなのどこにも映ってなかったと思うんだけど……」
「……牛山ちゃんさ、動画の中心にいた女子生徒と南京錠しか見てなかったってことはない?」
階段の途中で足を止め、東雲君は振り返って呆れた顔をして言った。
「女子生徒以外はちゃんと見た?」
うろ覚えになっている動画を思い出す。
確かにあの時は【私に似た人物が鍵を開けている】場面を見ていたから、周りの景色にまで気を留めていなかったのかもしれない。
眉をひそめると、東雲君が小さく溜息を吐きながら教えてくれた。
「動画の女子生徒の顔、ちゃんと見れなかっただろ。あれはわざと窓の光を利用して、逆光で顔が見えないように計算していた。それに編集して顔以外の部分に加工を施せばある程度騙せる。
「……まあ、それはいいとして。
「俺が気になったのは影の伸び方だ。
「ウチの学年、AからD組まで一列に並んでるだろ? 窓際は西側にあって、中庭、柵を越えて校庭のグラウンド、それから少し離れたところに夏しか使われない、運が良ければ教室から見えるっていう屋外プール。
「二階ってことも含めて、C組は日の入り方が授業中の居眠りに最適な教室だ。明るすぎず、眩しすぎず。程よい太陽光が差し込んでくるのがいいよね。
「……話がずれたな。なんだっけ。
「ああ、そうそう。専門分野が中心のため、すぐに技術室や美術室に移動できると隔離された専門学科の五階建ての校舎――別館が、C、D組の教室と位置が被って影が教室内まで届くことは知ってるか? 丁度校舎が重なっているから、西に沈む太陽は、特にD組の教室には大きな影ができる。
「……ここで動画との矛盾が生じる。
「【五階建ての別館が影になっているあの教室に、どうやってあんなに夕焼けの日差しが入ったのか】ってことだ。不思議だろ?
「C組の教室を思い出して。天気の良い日は黒板に近い席の奴が眩しそうに比べて、俺が座っている後ろ側――つまり、D組側は眩しくない。俺があの席で爆睡できるのは、別館の影のおかげで丁度良い日差しの入り方をしているからだよ。
「……そう、影の伸び方。ロッカーの扉を開けたときの影の伸び方は、どう見ても昼間にはできないくらい伸び方をしていた。
「それらを踏まえると、動画の加工からしてオレンジ色の日差しは放課後以降に撮影されたもの、その時間帯に教室内を照らせるほど日差しが差し込む教室でしかできない。だから撮影されたのは、日当たりのよいAかB組の教室だ。
「……どっちかは知らねぇよ? だってD組の被害に遭った奴と同じ南京錠なんて、似たようなモン買ってくればいいだけの話だし。どの教室でも可能だっていう事実はわかった。
「ま、ぶっちゃけた話、誰もいない放課後にロッカーを開けても、中は教科書だけだろ。荷物なんて部活がある奴は部室に持って行ってるだろうし。教室にいちいち戻って帰る奴って早々いないんじゃね?
「まとめると、撮影された場所はD組の教室でもなく、動画に移っていたお札も財布も折り紙も、撮影の為だけに用意されたモンってことだ。わかった?」
動画の再生時間は三分程。彼はその短い時間で、そこまで深く読み込んだとでもいうのだろうか。あの小さな画面の中でそこまで見えてしまうその洞察力に圧倒されていると、彼は更に続けた。
「動画を撮影したのが別の奴だと聞いたのは、口臭が気になる年齢にはまだ早い戸田クンは『生徒が教室にいない授業中に撮影した』と言った。
「もし仮に撮影されたのがD組生徒が教室にいなくて、授業中に取り付けられたカメラだったとしたら、人の動きに感知してズームを自動でできるカメラを仕掛けたってことだろ。
「殺風景な教室にカメラが仕掛けられてたら、俺だったら別の学年の空き教室を狙うね。
「でもあの動画の女子生徒は、一度動画を撮られたにも関わらず、堂々とカメラのすぐ近くでピッキングしていた。流石に不用心すぎねぇ?」
「撮られた動画は手元がメインで上半身くらいまでしか映っていなかった。その高さからの撮影となると、監視カメラが隠せる場所はない。つまり、誰かが近くにいて撮影していたってことになる。
「撮影した動画は編集して、戸田に『決定的瞬間を撮ったけど言い出しにくい』とか言って渡したんだろうな。戸田君が顔に出やすいタイプでよかったぜ」
確かにおかしい話だ。
仮に二年生のすべての教室に監視カメラを設置したとして、戸田君一人でセットから編集までしているとは考えにくい。自動的にズームをするカメラなんて最近なら沢山あるだろうが、いくら理事長の息子で権限を持っているからといって、自己判断で監視カメラを設置するのはやりすぎな気がする。加えて東雲君の言う通り、女子生徒は一度ピッキングしている場面の動画を撮られている。警戒して周囲に目を配り、不審な動きをしてもおかしくはない。
「じゃあ、戸田君はその人物と共犯っていう線もあるんじゃ……」
「どうかな。表情に出やすい人間ほど、素直で馬鹿正直だったりするし。それをこれから探していけばいいんだよ」
東雲君は五階と書かれた扉を開ける。いつの間にか五階まで登りきっていたらしい。
開かれた扉の先には、他の階と同じように教室が並んでいるにも関わらず、ただ人気の少ない不気味な空気が流れていた。都市伝説のような開かずの間のようなものは存在しないため、七不思議や都市伝説の噂が出てきていないだけまだマシだろう。
非常階段への扉のすぐ近くにある『資料室』と掲げられたパネルのドアを軽くノックすると、間も空けずに扉を開いた。そこには壁一面にファイルや本がずらりと並んでおり、その前には古びた二人掛けソファーが二つ、更に教室で使用している机が三くっつける形で置かれていた。少し離れた窓際の机には、プリントや新聞紙が散乱している。
教室のひとつを改造して何でも相談室にしたり、本棚を裏返して出てきたボタンを押すと秘密の地下通路への道があるといった非現実的な仕様ではなさそうだが、小さいながらに物語に出てくる秘密基地のように思えた。
異様な光景に唖然としていると、東雲君は扉を閉めて自分はソファーに倒れ込んだ。勢いが良かったのか、ソファーから軋む音がする。
「多分そろそろ先輩がくるから牛山ちゃんも座って待ってなよ」
……とてもくつろいでいらっしゃる。
私は躊躇いながら近くにあった椅子に座った。
慣れない空間に落ち着かず、挙動不審に周りを見渡していると、作業台の上に散乱しているものが大会で活躍した部活動のスナップ記事だと気付いた。他にも歴代の卒業写真やアルバムの他に部活等で賞を取ったときの新聞の切り抜きをファイリングして保管しているようだった。
「ねぇ、ここは何をするところなの? それに先輩って、東雲君には他の学年の人に知り合いがいたの?」
「随分失礼極まりない質問の連続だな」
東雲君に言われたくはない。
「ここは歴代生徒会長が管理している資料室。校内の出来事を一年かけて紙に保存していく作業場ってところか。生徒会には他の生徒の出入りがあるし、他にも荷物があるからっていう理由でこの部屋が作られた。……らしい」
「らしいって、知らないの?」
「俺が知ってるわけないだろ。ま、こんな最上階まで来て、薄暗くボロボロの教室に好んで入ってくる奴はいねぇよ。そもそも五階に資料室があること自体、知っている生徒の方がいないんじゃねぇの。それでも気になるなら発案者に聞け」
「その発案者は?」
「知るか。……そこファイル取って。三十八って書いてあるやつ」
怠そうに答えながらも、彼は指をさして私の後ろにある本棚のファイルの背表紙を指差す。『校内事変、三十八』と書かれたまだ新しいファイルを取って渡すと、彼はソファーに寝そべった状態でパラパラとページをめくった。
横から覗き込むと、そこには今回の盗難騒ぎに関する情報が事細かに書かれていた。事件が発生した日、無くなったもの、被害に遭った生徒の名前。容疑者として名前が挙がっている私の名前もしっかり書き込まれている。
「約一ヵ月で二クラスの被害、か。随分手の込んだ窃盗犯だな。面倒臭い仕掛けのおかげでアンタが犯人じゃないことを明確にしてくれている」
「さっきから失礼ね!」
「喜べよ。濡れ衣だってことを証明出来る第一歩だ。……それにしても、わっかんねぇな」
ソファーから上半身を起こし、ページを捲りながらぼやく。
「この騒ぎの目的が金目当てに思えないんだよ。それが目的だったら、わざわざ折り紙を財布に入れて盗んだ犯人がいることを主張する必要がない。
「大体、財布の中身を朝と放課後で違うことを正確に覚えている奴なんて何人いる?
「大金だったらわかるけど、別に五枚の千円札のうち一枚消えていたとしても、それがうろ覚えな記憶だったら無くなっていることに気付けるか?
「……わからないって顔をしているね。えーっと……。
「要は、【盗まれたという証拠が曖昧】だってこと。
「もし盗まれていなかったとしたら、最初に盗まれたと言い出した五人が怪しい。または五人は本当に盗まれていて、誰かが面白がって模倣犯が続いたのかもしれない。
「……となると、被害者だと言っているA、B組の生徒も含めた全校生徒が犯人の可能性が出てくる。
「そもそもなぜ牛山ちゃんに濡れ衣を着せようとしているんだ? 彼女に絞った理由は? 仮に恨みだったとしても、もっと物的証拠を残してもいいと思うんだよな……。
「お札と折り紙を取り替える理由も謎だ。レシートまみれの財布の中から一枚抜いたところで気付く奴なんて何人いる? 盗まれたと気付かせるために、わざわざ折り紙を入れたことに何の意味があるのか?
「それにロッカーの鍵はどうやって開けた? やっぱり犯人はピッキングが出来る人物? 動画は放課後に別で撮影したとして、いつ誰がD組の教室に忍び込んでロッカーを開けた?
「……仮に共犯がいたとして、結局黒幕は誰だ?」
ブツブツと呟いて疑問点を挙げていく。声がだんだん小さくなっていくと、私は途中から何を言っているのか聞き取れなくなった。
それ以前に、私はこの状況を未だに呑み込めていないのだ。
情報収集に最適な場所と言われてこの資料室に連れてこられて、まるで自分の家のようにくつろぎだした彼に戸惑いを隠せない。
加えて彼が独り言とはいえ、こんなに喋る人だと思っていなかったのも事実だ。いつも教室では寝ているばかりで、珍しく起きたかと思えば口が悪くて、教師から問題児扱いされてもどこか納得してしまう。
偏見で判断するのは良くないといわれるが、実際に難しい判断だなと考えていると、彼はムッとした顔で私を見ていた。
「今、俺を不良とか変人とか思っただろ?」
「えっ……そ、そんなことないよ! 思っていた以上に真面目だったんだなって関心したというか、まぁ少しだけ不良っぽいなーとは思ってたよ?」
「全然隠す気ねぇじゃん。別にいい。真面目なんて言われたことないけど、逆に牛山ちゃんは真面目そうに見えて実はやんちゃだよな」
「……ちょっとどういう意味?」
「そのまんまの意味。……あ、来たかな」
東雲君がファイルに目を戻したところで教室のドアが開く。
入ってきた顔の整った男子生徒は、学年の垣根を越えた交流をしていない私でもよく知る人物だった。
「なんだ祥吾、来てたのか……って誰だコイツ?」
「裕司先輩、遅ぇ。また補習の告知でも受けてたの?」
「ちげぇよ! ホームルームが長引いただけだ。つか、部外者は入れるなって言っただろ?」
「俺も部外者なのに入れてくれたじゃん」
「お前は例外中の例外だ! この部屋に無関係の奴を入れたのがバレたら、先代の生徒会長に怒られるの俺なんだからな!」
「そんなの裕司先輩のせいじゃん。それに牛山ちゃんはセーフだよ。セーフ。迷える子羊みたいなモンだろ? あ、牛か?」
「うしやま……?」
先輩と呼ばれた彼はそう言って苦い顔をしながら私の方を見た。
私は私で「ショウゴって誰だっけ」と首を傾げていた為、しかめっ面の顔で先輩と対面することになった。すると先輩は何か納得したかのように頷き、丁寧に扉を閉めて散らかった窓際の作業台に向かいながら言った。
「なるほど、二年C組の牛山鼓か」
「えっ……私の名前、知ってるんですか?」
「生徒会長の俺に不可能はない!」
「ダサい」
「おいコラ聞こえてんぞ!」
自信満々の顔で答えるが、東雲君にひと蹴りされてしまった。
三年D組の巳波裕司先輩。整ったルックスと明るい人望で、二年生の時に生徒会の執行部に入って副生徒会長を勤め、生徒会選挙で多くの支持により生徒会長になった校内の有名人だ。ただ、留年スレスレだったという噂は本当らしく、卒業も怪しいという話も出てきている。
人望が厚い話は良く聞く話であったが、まさか東雲君とまで繋がりがあったとは思わなかった。
「連れてくるなら事前に……って、お前はスマートフォンを持ってなかったな」
「電話できなくてもなんとかなるっしょ」
「……ったく、資料はそこにあるから、勝手に漁れ。……もう漁ってるか。言っておくが、まだ未完成だからな。破いたり持ち出しするのは禁止だぞ」
私を連れてきた理由も聞かずに了承するなんて。呆気に取られていると、巳波先輩は笑って答えた。
「祥吾が理事長の息子に宣戦布告した話は校内に広まっているからな。それに俺も、犯人は他にいると思っている。奴は利用されているだけだろう」
「奴って、戸田君が?」
「あのお坊っちゃん気質は親の七光りも同然だ。権限も多少握っていて教師が横入りできない、探偵役には持ってこいだろ。それに本人が権力を振り回している節があるのは、入学当初から懸念されていたのは事実。だから学校側は多少のことは見なかったフリをしているっていう噂もあるくらいだ」
「え……本当だったんだ、その噂」
「あんなの嘘に見えたら随分お気楽な考えの持ち主だぞ、お前」
噂は噂でしかない。人は等しく人である以上、鋭い牙を持った化け物を相手にするような命の危険はあり得ない。そんな曖昧な考えがこんなところで甘えになるとは考えもしなかったのだ。
「それに盗難騒ぎだって他人事として思ってた。自分は盗まれない、大丈夫だって。でもまさか疑われる側にまわるとは思わなくて」
「……ま、それが普通の反応だよな」
東雲君はソファーから起き上がり、ファイルの次のページを捲りながら私に言う。
「確実なアリバイの証明もできず、怒りに任せて理事長の息子にビンタ。もう十分犯人扱いされてもおかしくないだろうなー」
「ああ、それも校内に広まっているぞ。女子のくせに過激な奴だって」
苦い笑みを浮かべる巳波先輩。一歩引かれているのがわかる。
ああ、叩くのを我慢できなかったあの時の私を蹴り飛ばしたい。
「まあ……その、お前の心境もわからなくはないが、流石に暴力はダメだぞ。八つ当たりならそこのクッションにしていいから」
巳波先輩がそう言ってソファー横に置かれている水色のフカフカのクッションを指さすと、東雲君が投げて渡してくれた。
肌触りの良いクッションをソファーに置いて、私は思いっきり右手で作った拳を撃ちつける。
あ、穴が空いた。
「…………」
クッションを持ち上げると空いた穴から綿が出てくる。それを見て先輩が悲しそうな顔をして見つめていた。
「……えっと」
「……ま、まあいい。クッションなんていつでも買えるからな!」
買うのか。
クッションを大事そうに抱える先輩に、東雲君は笑いを堪えながら励ます。
「それ、この間買ったばかりだったのに……っ先輩、ドンマイ」
「……どいつもこいつも、クッションクラッシャーか! しかも前のクッションはお前が破いたんだろうが! 寝相の悪さはいい加減直せよ!」
「寝相って直るモンなの?」
「知るか! 自分で調べろ!」
若干涙目で訴える先輩に対し、東雲君はとても楽しそうに笑う。遊んでいる、といった方がいいかもしれない。とにかくこんなに楽しそうに誰かと話している東雲君は教室では見られない。
「そんなことより情報くれよ、裕司先輩。あれから進展くらいあっただろ」
「あっさりスルーするなよ! つか、さっきからそのファイル見てるならもう貰ったも同然だろ!」
「俺が知りたいこと書いてない方が悪い。先輩、他にねぇの? 例えば……盗まれたものとか」
東雲君はここに来る前に盗まれたものを気にしていた。先輩は小さく溜め息をついてから、破れたクッションの穴をなぞりながら教えてくれた。
「今のところ、盗まれたものは全て現金だ。被害にあった生徒に聞くと千円だの五千円だの札ばかり。
「……ただ、朝からその額がしっかり入っていたかは曖昧なんだと。
「生徒がなんで盗まれたって思ったかって?
「盗まれたお札と差し替えるように、折り紙が入ってたんだよ。見せてもらったけど、なんも変哲もない、そこら辺に売っているただの折り紙だった。
「ファイルに貼っている折り紙は、実際に使われたものと同じメーカーの折り紙だ。どこにでも売っている、安くて子供だましな和柄の折り紙だ。
「和柄でまとめているのが気になるが……きっと犯人の手元にはこれしかなかったんだろう。ちなみに学校の備品ではないことは生徒会の管理表で確認済みだ。
「あと、ロッカーを施錠していた南京錠とダイヤル錠も確認してきた。
「……そもそも、今朝の出来事の説明をしろと? お前、知らずに啖呵切ったのか。
「一日で情報を整理してファイリングできるとか思うなよ? しょうがねぇな。
「昨日の被害者である二年D組の女子生徒は、学校終わりに立ち寄るピアノ教室に提出する月謝一万二千円を持ってきていた。厳重に鍵をかけておけば盗まれることはないだろうと踏んでいたらしいが、
月謝を渡そうと袋から出したところ一万円しか入っておらず、代わりに折り紙が入っていたそうだ。
「女子生徒は自分の財布に常に入れていた二千円を使って月謝を払うことができたが、折り紙が入っていた事実を学校に伝えたことから、盗難騒ぎの延長線上ではないかと学校側が判断。恐らく今までと同じ人物によるものと教師陣は考えている」
巳波先輩が淡々と説明をしてくれるが、様々な情報が交差しすぎて、頭の中で整理が間に合わない。そんな様子を見かねた東雲君は、私に先程のファイルを差し出した。
「裕司先輩の話は被害に遭った生徒に直接聞いているから、ある程度信頼してもいい。ファイルに書かれた内容のほとんどが被害者に直接聞いた話でもある。嘘は書かれてねぇよ」
「……先輩、なんか雑誌の編集者みたいですね」
「そうなんだよ……生徒会長も大変だぜ」
やれやれ、とどこか嬉しそうな笑みを浮かべて溜め息をつく。この学校の生徒会長が異色なだけだと思うのは私だけだろうか。確かに渡されたファイルに事細かに書かれた内容は、被害に遭わなければ書けないものばかりだった。
「ま、被害者の話が嘘だったら全部おじゃんになるけど、その点は安心してくれ。俺は人望が厚いからな! その人望のおかげで今回、特別に女子生徒から南京錠を借りることができた。ダイヤル錠は今ロッカーで鍵を掛けているから、こっちだけな。俺が見てもわからないだろうが、祥吾なら何か気付かと思ってさ」
先輩はポケットから小さな透明ビニール袋に入った南京錠を東雲君に渡す。
私も近くまで寄って南京錠をじっと見つめた。どこにでも売っていそうはこの錠前は、自分のものとわかるように可愛らしいオレンジの花が描かれたシールが貼ってあるだけで、特に変わったところは見当たらない。
しかし東雲君の目線は南京錠ではなく、私に差し出したファイルに向けられていた。
「裕司先輩、一万二千円ってことは一万円札が一枚と、千円札が二枚あったんだよな?」
「……ってことになるな」
「変だな……。今まで犯人が狙っていたのは、その生徒の【財布に入っている最大の金額】のはずだ。なぜ折り紙が入っているのかは現時点で不明だけど、今まで最大金額を盗んできた奴が、今回はD組の被害者の最大金額である一万円を盗まなかった。これって今までの傾向と変わってるんじゃね?」
最大の金額――それが本当なら、今回盗まれたものが千円札の二枚なのは引っかかる。
何らかの理由で盗む金額を変えたのか、それとも模倣犯が出てきたのか。……何にせよ、これまでの騒ぎと異なる点はヒントになるかもしれない。
「ジュースでも飲みたかったんじゃないのか? 自販機って一万円札が入らないし、小銭にしてしまえば千円札自体は手元から消えるんだから」
「それは犯人が自販機に売っているジュースがどうしても飲みたいがためだけに、二つも鍵をかけて厳重な防犯対策をしていたロッカーを、わざわざ手間隙かけて開けたって言いたいの? 一体、何の為に?」
「それはー……ほら、あれだよ。スリルが欲しかったんだよ!」
「却下。校内に盗難の話が広まって捕まる確率が高くなっている時点でこんなスリルを誰が求めてるんだよ? プロの泥棒だったらまだ妥協案として考えてもいいけど、さすがにそれはない。推理小説の読みすぎじゃねぇ?」
「少しくらいロマンがあったっていいじゃないか!」
二人でわいわいと――主に先輩が――スリルだのロマンだの言っているが、私の今後の学校生活がかかっていることを忘れないでほしい。
東雲君の手からそっと南京錠が入っているビニール袋を抜き取り、袋越しから眺める。やはり普通のどこにでも売っている錠前だ。ダイヤル錠に関して言えば、解除する番号の検討は大体つくが、鍵が必要な南京錠はどうやって開けたのだろう。
「……あれ?」
南京錠のある部分に目が止まった。私の声に気づいたのか、二人が顔をこちらへ向ける。
「牛山、どうした?」
「え、あ……いや、大したことじゃないんですけど……南京錠の鍵穴が、ピッキングされた割には綺麗だなって思って」
大抵ピッキングにあった錠前の鍵穴には、針金で引っ掻いたような痕が残る。日常で傷が付くこともあるが、この南京錠にはほとんど傷がないので最近買ったものだろう。持ち主が一日に何度も鍵を使って開けていたとしても、鍵穴には新しい傷が見当たらない。錠前の中にあるシリンダーを分解すればピッキングされたか調べれられるが、なんせここには分解する器具も判断できるプロもいない。
私は髪に隠すようにつけていたヘアピンを一本取り出し、L字に折り曲げて袋から出した南京錠の鍵穴に差す。
「お、おい、何をしてんだ?」
先輩は少し焦った表情で私を見る。
「……この南京錠、ピッキングされてないと思います」
私の感覚が正しければ、この錠前は今私の手によってピッキングされている。ヘアピンを差し込んだこの感覚は、初めて見つけた鍵穴に差し込んだ時とよく似ていた。
「い、いやいやいやいや。牛山、どうしてわかるんだよ?」
「う、上手く言えませんけど、ピッキングをしたら多少なりと鍵穴の近くに引っ掻いた痕が残ります。これにはそれがないし、差し込んだ時の感覚がこう……つっかかると言いますか」
「そんなの感覚でわかるのか?」
「ぐ、偶然そういう場面に一度遭遇したことがあるんですよ! 最近大型のイベントで脱出ゲームがあるじゃないですか、そういうのによく参加してて……」
「お、おう……」
作り笑いをして誤魔化すと、先輩は府に落ちない顔をしながらもそれ以上は聞いてこなかった。私は表情に出やすいのだろうか、東雲君が隠れて鼻で嗤っていた。私の座っている席からなら丸見えだからな。
「じゃあ……牛山の感覚を信じるとして、ピッキングの痕がないってことは、本人の鍵を拝借したか、犯人が合鍵を作って開けたってことになるのか? 前回ロッカーに南京錠をかけていた男子生徒はともかく、今回の女子生徒はダイヤル錠も南京錠もしてたんだぞ? しかも祥吾の【生徒の財布のの中に入っていた最大の金額】っていう犯人の特徴はどこにいった? ピッキングの時間をかけて二千円しか持っていかなかったのは割に合わないだろうし、型取りをして合鍵を作ったとしても、金の無駄だろ?」
「それは……私も思いました」
合鍵を業者に依頼しても、安くて五百円はする。わざわざ一度しか開けない南京錠の為にそこまでするだろうか。加えて犯人が合鍵を作ったとしたら、一体どのタイミングで型取りをしたのだろう。
「先輩、南京錠の鍵は本人が持っていたんですよね?」
「ああ。……そういえば、南京錠は預かっても鍵は見てなかったな。ちょっと行ってくるか」
先輩はそう言って、大切そうに抱えていたクッションを散らかった作業台の上に置くと、私から南京錠の入った袋を取ることなく、出入り口に向かう。
そのまま出て行くのかと思えば、ドアを開ける前にこちらを振り返って不思議そうな顔をした。
「何してんだよ? 一緒に行くぞ」
「行くって……どこに?」
「この南京錠の持ち主は陸上部のマネージャーで、部活に出ているんだよ。牛山が一緒に来れば借りなくても見るだけで型取りされたかわかるだろ?」
「……はい?」
いやちょっと待って。私は一言もピッキングを見破れますなんて言ってない。
すると東雲君もソファーから立ち上がると、私の肩を軽く叩く。
「さっさと行くぞ」
「お。祥吾も行くか?」
「興味本位で」
「よし。それじゃ、皆で聞き込みしてくるか!」
満面の笑みを浮かべて廊下に出る先輩。東雲君がこそっと耳元で教えてくれた。
「裕司先輩、ああ見えて寂しがり屋なんだよ。付き合ってやらねぇと拗ねるから」
ああ、嫌な予感しかしない。
南京錠の入った袋を持って、重い腰を上げた。
五
柚木第二高校のモットーは『文武両道』だ。勉強も部活も両立しましょう。楽しむときは思い切り楽しみましょう。――そんな緩いモットーの下で全国大会にまで出場している部活動がいくつかある。
その中で近年、大会で好成績を残しているのが陸上部だ。九年くらい前にある男子部員がハードルの種目で全国大会に出場したのがきっかけで、学校側が部活動にも力を注ぐようになり、今では特待生まで取るようになった。
今回の被害者の一人である女子生徒――馬場実咲は、陸上部のマネージャーだった。容姿端麗で普通科の生徒でありながらも成績は常に上位の彼女は、いわゆる『高嶺の花』だ。
水飲み場でボトルを洗っていたジャージ姿の彼女に巳波先輩が声をかけると、手を止めて話を聞いてくれた。
「えーっと……馬場さんでいいかな? さっきはありがとう。確認をしたくてまた来てしまったんだけど、大丈夫かな?」
「あ、はい。……ってあれ?」
先輩の後ろにいた私と目が合った途端、彼女は嬉しそうに目を輝かせて私に飛び付いてきた。
「ツヅミ! 大丈夫だった? クラスの子に苛められてない? 戸田にビンタしたって話は聞いたけどツヅミは怪我してない? 桜井さんから殴られそうになったって話も聞いて……ああ、なんで私はツヅミと一緒のクラスになれなかったんだろう! 私が近くにいたら、代わりにボコボコにしてやったのに!」
「お、落ち着いて、実咲……っ!」
「落ち着いていられる訳ないでしょ? 私の友達が理不尽に酷い目に遭っているのに、何もできない自分が悔しくて仕方がないの! せめて、せめてツヅミの前では笑顔でいたいけど、今だけは怒らせて!」
「ぶべっ! つ、つべだ……っ!」
先程まで水に触れていた彼女の手が私の両頬を挟む。ひんやりとした感覚と勢いで挟まれて変な声が出た。彼女の背中を叩いて離れてもらうように訴えるが、先程から続く懺悔のせいで効果はない。彼女は力も自分を追い詰める加減も知らないのだ。
「牛山ちゃん、知り合いだったの?」
驚いた顔をしている先輩の隣で仏頂面の東雲君が問いに苦笑いで答える。
私と実咲は中学からの友人だ。三年間同じクラスで行動するときはいつも一緒だった。高校は別だと思っていたにも関わらず、たまたま受験した高校が一緒だったため、今でも仲は有難いことに健在だ。
先程『高嶺の花』と例えたが、実は彼女の心配性で慌てやすい性格は昔から変わらない。これが更に進んでいくと、発言は狂った追っかけやヤンデレに近いものがある。それを凌駕するように、彼女の笑顔はいつも眩しくて、知られたくない黒い部分は見せないのだ。
「どうしてツヅミが二人と一緒に? すごい珍しいコンビよね」
「……とりあへずはにゃして(とりあえず離して)」
「へ? ああ、ごめんね」
今の状態に気付いたのか、実咲はどこか名残惜しそうに離れた。
「なんて言ったらいいのかな……濡れ衣であることを証明するために、二人に助けてもらっているっていうか……」
「そうだったんだ……とにかく、まだ何もされてないんだよね?」
何が?
「あのー……盛り上がっているところ悪いんだけど」
完全に蚊帳の外にされていた巳波先輩が声をかけてくる。ああ、忘れていた。
「まさか昨日の被害者と知り合いだったとは……牛山、とばっちりにも程があるぜ」
「生徒会長、私とツヅミは中学からの仲です。この子を犯人扱いするなら許しませんからね!」
「お前ら見れば嫌でもわかるよ、牛山が腐れ縁の荷物を漁るほど腐ってねぇことくらい」
「酷い! 腐れ縁なんて言い方は酷すぎます。せめて運命の糸とか、偶然ではなく必然だったとか……まさか、そうやって私とツヅミを引き離そうと……」
「してねぇよ! なんでそんな怖い発想に繋げられるんだよ?」
「実咲、ちょっと落ち着いて」
彼女が暴走すると私でさえ手に負えない。こんなところで時間を使っている余裕は今の私にはないというのに。不服そうな顔をしている彼女に、本題の南京錠を見せる。
「ねぇ、この南京錠の鍵はある?」
「鍵? うん、部室に置いてある鞄に入ってるけど……何かあったの?」
詳しい事は伏せて確認したいことがあると伝えると、彼女は小さく頷いて部室に向かった。流石に部外者で泥棒の噂が広まっている私が無闇に近付くと実咲にも迷惑がかかるので、ここで待たせてもらうことにした。
待っている間、どこからか視線を感じて目を向けると東雲君が仏頂面でこちらを見ていた。
「なんでそんなにふて腐れた顔なの?」
「……別に。普段からこんな顔だけど」
「いやいや、いつもより目付き悪いじゃん」
「随分容赦のない悪口だなオイ」
拗ねたようにそっぽを向く東雲君。
「……アンタが馬場ちゃんと仲が良いなんて知らなかった」
「へ? 馬場ちゃん? 東雲君、実咲と知り合いだったの?」
「一年の時、同じクラスでずっと叩き起こされてたから嫌でも名前は覚えた……」
どこか遠くの方を見ながら若干震えている。実咲は怒る時は怒るから、きっと昨年の約半年は彼女を見るたびに眠い目を擦っていたに違いない。何より私も一度怒らせたことがあるので、大体想像がついた。
今度、東雲君と被害者の会でも作ろう。勝手に彼の肩に手を置いて黙って頷くと、東雲君は不思議そうに首を傾げた。
「それにしても、まさか馬場ちゃんがねぇ……」
「ね、私もビックリした。そういえば実咲、合唱部の助っ人でピアノの伴奏頼まれたって話をしてたような……」
彼女は小学生の頃からピアノを習っていたこともあり、中学の時も何度かクラス合唱で伴奏を引き受けていた。その傍ら、自身は陸上部に入っていて、リレーの選手に選ばれたこともあった。それでもピアノの伴奏は嫌な顔をせず引き受け、授業の間の休み時間や放課後を利用して音楽室で練習していたのを何度か見たことがある。
流石に無理をしていないかと思い、一度聞いたことがあるが、「私が好きだから伴奏するの。ツヅミが一緒にいてくれるのと同じで、私は自分にとって負担になることは絶対しないわ」と、やけに嬉しそうに笑う彼女を、今でも鮮明に覚えている。
「いや、その話じゃなくて」
「へ? じゃあ何?」
「そっち」
どっちだ。
東雲君の回答に首を傾げていると、部室から実咲が戻ってきた。手には南京錠の鍵と、可愛らしいオレンジ色の花のキーホルダーがついている。南京錠についていたシールと同じ花だ。
「いつも制服のポケットに入れてるんだけど、あの日は盗難が続いていたから体育の授業でも持って行ってたの。ダイヤル錠もついてるから大丈夫だと思ってたけど、念の為に。だから放課後になって月謝袋を見たとき驚いたわ」
「……ダイヤル錠の番号、自分の誕生日でしょ」
「えっ? うん、なんでわかるの?」
私が言い当てると、実咲はとても驚いた顔をした。こういうものは大抵自分が忘れない番号に設定しがちになってしまい、名簿や誕生日、携帯の番号に設定すると他人でもすぐわかってしまう。
「この話、結構有名だと思うんだけど……」
「そっか……じゃあ今度からツヅミと出会った記念日にしておくね!」
「設定してもいいけど、ロックをかける時はちゃんと番号を全部ずらしてね。一つだけ回しても無駄だから」
小さくため息をつきながら、実咲が持ってきた鍵を見つめる。どこも怪しいところは見当たらない。むしろきれいに拭かれているように思えた。ハンカチに包まれていた訳ではなさそうだ。
「牛山、何かわかったか?」
「何かって、なんですか?」
「ピッキングに使用されたかとかさ、見てわかんねぇの?」
「何度も言いますけど、私別にピッキングを見破れる名人でもなんでもないですから!」
先輩を軽く睨みながら言うと、威力が強かったのか、先輩が両手を上げて落ち着けと促す。
「わ、わかったよ……」
「……いえ、すみません」
「でもこの鍵、なんか妙だな」
横から覗くような形で鍵を見てくる東雲君が呟く。
「馬場ちゃん、裕司先輩に話した昨日のこと、特にロッカーのことを教えて」
「わ、わかった。えーっと……。
「まず、私は体育の授業の後から放課後まで一度も開けてないわ。
「昼休みに食べたお弁当をしまう時に一度開けたけど、体育の授業は昼休みの後だったし、自販機で飲み物を買った時も、持ち歩いている小銭入れのお金を使っていたし……。
「少なくともロッカーには放課後になるまで近づいてない。これは断言できるよ。
「最初はダイヤル錠しかつけてなかったんだけど、盗難が多発してるって聞いて一週間くらい前に南京錠をつけたの。貴重品はいつもロッカーに入れているわ。
「鞄までは入れられないから、ロッカーの中は財布とピアノ教室に持っていく月謝袋だけ。あとは教科書がいくつか入っているくらいかな。
「南京錠の鍵はいつもブレザーのポケットに入れているけど、最近は盗難騒ぎが多発していたから、昨日は体育の授業にも持って行ったわ。持ち歩くようになったのは……ここ二、三日前。B組に盗まれた人が出た頃かな。
「それまでは自分の席の椅子にかけてたわ。私、教室では廊下の出入り口近くだから、入れっぱなしにしておくと怖いなって思って。
「……遅かったけど、ね。
「正直、D組まで来るとは思ってなかったのよ。A組から順番にこう……。
「……ごめんなさい。訂正するわ。悪気があった訳じゃないのよ。
「あ、昨日の放課後の部活は出てないわ。
「大会に出る合唱部の伴奏を頼まれた時は、休ませて欲しいって先生にお願いしてるの。今年に入ってマネージャーも増えたから、役割分担ができて融通が利くようになったのは良かった。
「中学の時から、ピアノ教室の先生に無理を言って時間を作って貰っているの。だから昨日はホームルームが終わってすぐ学校を出たかな。グラウンドにはまだ野球部が準備運動してたもの。
「それにしても、不思議よね。
「月謝袋に入っててすり替えられた二千円、財布の中に四千円入ってたときから、私が移し忘れただけなのかなー……とか思ってて。でも折り紙は入れた覚えがないし。
「一応念の為に学校には連絡したわ。でもツヅミに迷惑をかけることになるなんて……これは想定外だったわ。犯人が見つかったらすぐに弁慶の泣き所を蹴ってやるんだから!」
実咲の話が一通り終わると、東雲君は腕を組んで黙り込んだ。今の話を聞いて整理しているのだろうが、彼の目線は私の掌に乗せられた南京錠の鍵に向けられていた。何度見ても、どこにでも売っている南京錠の鍵にしか見えない。
すると東雲君がいる反対側から急に影が伸びてきた。顔をあげると、中学の頃からよく見慣れていた顔が覗き込んでいた。
「その鍵、なんか焦げ臭くないですか?」
「へえっ⁉」
「相変わらずいい反応ですね、ツヅミ先輩」
彼はそう言って笑うと、少し離れて私達を見下ろした。黒の短髪にキリッとした眉、一八五センチの長身の彼は、陸上部のジャージ姿だった。あまりにも急なことに驚いていた私の代わりに、実咲が彼に問う。
「瑛太、お疲れ。もう休憩?」
「いえ、ランニングから戻ってきたところです。馬場先輩が遅いから見て来い。……って、部長が」
「ああ、そっか。ごめんね」
「気にしないでください。事情は何となく察したので」
瑛太と呼ばれた彼はそう言ってこちらを見る。
「ツヅミ先輩」
「は、はい!」
唐突に名前を呼ばれて反射的に敬語になる。彼は私の後ろを差しながら問う。
「その変な顔をしている奴は誰ですか?」
「……はい?」
彼の視線の先――後ろを振り返ると、更に仏頂面が増した東雲君と呆然とした顔で見ている生徒会長の姿があった。
「えっと……同じクラスの東雲君と、その後ろにいるのが生徒会長の巳波先輩で……」
「同じクラス……先輩とどういったご関係で?」
「えっと……」
「ただのクラスメイトだけど。何、なんかイイ感じにでも見えた?」
私を差し置いて、東雲君はグッと前に出た。東雲君もそんなに低くないはずなのに、彼と目線を合わせる為に少し見上げている。
「ええ、随分仲が良く見えたので。世話になった先輩が面倒ごとに巻き込まれた話は校内に広がっていますし、何よりロングスリーパーで有名な問題生徒が、理事長の息子に啖呵を切ったらしいじゃないですか。心配にもなりますよ」
「心配? いやいや、それは嫉妬以外の何物でもないよ。ボディーガードだがなんだか知らないけど、男の嫉妬は醜いらしいぜ」
「随分口の悪い先輩ですね。だから問題児扱いされてるんですか?」
「別に俺のことは何言っても別に良いんだけどさ、俺よりアンタの方が毒舌だよ。後輩なら目上に対する姿勢ってモンを覚えろ」
「――ってちょっと待って、ストップストップ!」
二人が睨み合いにになってくる前に、間に入って仲裁する。私を挟んで喧嘩を始めないでほしい。
「ちょっと牛山ちゃん、コイツなんなんだよ? 知り合い?」
「コイツじゃありません。先輩、こんなのと一緒にいると何か悪いものが移ります。一刻も早く離れましょう」
「ああ、もう! ちょっと黙って!」
出会ってまだ五分も経っていないというのに、なんでこんなに敵意をむき出しにしているのだろうか。彼らの間にバチバチと火花が散っているのは、後ろで口を開けて固まっている巳波先輩にも見えたらしい。
ちなみに実咲は慌てて仲裁に入る私を楽しそうに傍観していた。せめて部活の後輩である瑛太を宥めるところくらい、手伝ってくれたっていいのに。
二人が落ち着いたところで、二人に長身の彼を紹介する。
「彼は犬塚瑛太。私と実咲と同じ中学の後輩で、特進科の一年生。陸上部でハードル走の競技選手の特待生だよ」
「……はぁ?」
柚木第二高校の受験には一般と推薦の他に、特待生受験が用意されている。
瑛太はその中でもスポーツ特待生として入学し、陸上部のエース候補として活躍している。実際に彼は中学二年生の頃からハードル走で全国大会で上位に入るほどの実力者だ。
実咲に誘われて見学しに行ったときも含め、何度か走っているところを見たことがあるが、素人の私が見ても彼の走り方はとても綺麗で、力強いと思えた。
「今年のスポーツ特待生がヤバイって騒いでいたのは、お前のことだったんだな。噂では聞いていたんだが……うん。なかなかの男前じゃないか。宜しくな」
「俺は世話になった先輩達が、変質者に何かされていないか確認しに来ただけです。手伝う気は毛頭ありません」
「勝手に先輩を変質者にするな!」
「裕司先輩、ちょっと黙って」
明らかに挑発している瑛太に、東雲君は先程と打って変わって真剣な目で彼に問う。
「さっき、焦げ臭いって言った?」
「……言いましたけど」
「それってどこから?」
「鍵から」
瑛太が指をさしたのは、私の掌にある実咲の南京錠の鍵だった。
「俺、昔から嗅覚が鋭いんです」
「そんなどや顔で言われてもなぁ……牛山、その鍵から何か匂うか?」
先輩も信じられないといった顔をしている。私もただ金属臭いくらいしかわからない。更に周りの土の匂いや近くの商店街から流れてくる惣菜のわずかな匂いがするくらいで、焦げ臭い感じはしない。
すると東雲君が何かを見つけたようで、鍵を横から奪い取るようにしてギザギザの部分をじっくり見つめた。
「……あった」
鍵のギザギザの部分を私達に見えるように指をさす。微かに凹んでいるところに黒い煤がついていた。
「煤……というより、焦げた痕というか。馬場ちゃん、摩擦熱でも起こした?」
「そんなことするわけないでしょ! 私のポケットに発火物なんて入ってないわよ!」
「……あ」
焦げた痕――その言葉でふとある方法を思いついた。これなら犯人は南京錠の合鍵を、低コストで作って開けることができる。しかし、これを校内で行うとなると、完全に人がいない時間帯と空間が揃っていないと成立できない。
「犬塚君、他に何か感じない?」
東雲君が瑛太に問いかけると、迷惑そうな顔をしてそっぽを向く。
「出会って五分も経たないうちに犬扱いですか」
「アンタのその犬並みの嗅覚、自分で自慢したんだから有効活用させろ。鋭い嗅覚を持ってるアンタならわかるだろ?」
完全に喧嘩を売っている。
ニヤリと笑みを浮かべた東雲君に対し、瑛太は眉間に皺を寄せた。不服そうな顔をしながらも、差し出された鍵を鼻に近づけると、すぐ何かに気づいたようだ。
「……香水? いや、これは薬……?」
「わかるのか?」
「まぁ、多少……これ、市販で売っている、薬用のハンドクリームの匂いがします」
「薬用なら私も持ってるわよ?」
「馬場先輩が持っているハンドクリームはシトラス系でしょ。その匂いとは別に、薬品臭いのが混ざってる。それが恐らく無香料なんでしょうね」
「無香料って匂いしないよね? 瑛太の嗅覚どうなってんの?」
「だから薬用なんだろ」
実咲の問いかけにあっさりと切り捨てた東雲君は、瑛太の顔を見てニヤリと笑った。
「サンキュ。ちょっとわかったよ」
「別に協力した訳じゃありませんから」
「わぁってるよ。邪魔して悪かったな」
東雲君は踵を翻し、校舎の方へ戻っていく。私と先輩も一緒になって彼を追う。少し後ろを振り返ると、実咲が苦笑いする瑛太の背中を軽く叩いて楽しそうにしているのが見えた。
六
校舎に戻ると、東雲君は五階の資料室ではなく中庭に向かっていた。
普通科、難関大学進学を目的とした特進科に加え、あらゆる専門の技術を学ぶ専門科は、カリキュラムの関係で校舎が分かれている。普通科と特進科は技術や美術、音楽がない限り近付かないうえ、クラス同士の関わりもほとんどないため、同じ学年でも顔と名前が一致しないことが多い。
専門科の校舎――多くの生徒は別館と呼んでいる――は中庭を中心にして分かれており、その片隅にはゴミ捨て場になっている倉庫がある。四畳くらいの大きさの倉庫は古い丸落としがかかっているだけで、誰でも出入りが可能だ。
扉の引き戸を開けて中に入ると、東雲君はおもむろにゴミ袋の口を開いて漁り始めた。
「祥吾、お前なにしてんの? 腹でも減った?」
彼の行動を不審に思った巳波先輩が声をかける。若干顔が引きつっているのは気のせいではないだろう。流石に私もゴミを漁ってまで食事を求めるのは抵抗がある。
「裕司先輩は俺がゴミを食べるところ見たことあんの?」
「いや、見たこと無いから聞いてんだよ」
「専門科のゴミだったら、金属くらい一緒に捨てられるだろ」
「……あ!」
思わず声が出た。
首を傾げる巳波先輩を横目に、私も倉庫の中に入ってゴミ袋の中を漁り出した。
「え……牛山、お前も腹減ってんの?」
「減ってません! 先輩、暇だったら技術室と金工室を見てきてください」
「は? 技術室と、金工室? ……ああ」
そういうことか! と大きな独り言を叫びながら先輩は専門棟へ向かった。
「なんだ、やっぱりアンタもわかってたんじゃん」
可燃物の入ったゴミ袋を漁りながら、東雲君が私に向かってニヤリと口許を緩めた。
彼が探しているものは誰かの食べ残しでもテストの答案用紙でもなく、実咲の南京錠を開けるために使用した合鍵だ。
先程瑛太が気付いた【焦げ臭い】匂い。もしこの匂いが関係しているとするならば、低コストで鍵を作り、開けることができあの方法が考えられる。そして作った合鍵は、普段から置かれているゴミ袋の中に入れて捨てることも可能だ。
もしこの推測が間違っていなければ、犯人は合鍵を捨てた可能性が高い。さすがの犯人も、合鍵をずっと持っている訳にはいかないだろう。それが学校以外で破棄されていたとしたら――もう遅いかもしれないけど。
「東雲君、どうしてわかったの?」
「さぁな」
答えにならない返事をしながらも、彼は手を止めることなくゴミ袋を漁る。
異臭が充満するこの狭い倉庫に、長時間滞在するつもりはお互いに毛頭ない。しかし小さい倉庫ながらも可燃やプラスチック、ビン、缶といった様々な種類の袋に分けられ、足元を埋め尽くした挙げ句、上に重なって乱雑に置かれているゴミ袋の山は、二人で手分けしても時間がかかってしまうのは明白だった。
専門棟に向かわせた巳波先輩が早く戻ってくることを願いながら、次のゴミ袋を開けた瞬間、袋から溢れ出した腐った臭いが顔に直撃した。
飲み残しが入ったまま捨てられたのか、袋の口元には飛び散ったジュースがシミのように張り付いており、底には黒ずんで溜まった液体が異臭を放っている。思わず袋を閉じて顔をしかめてえずく。肺の空気を入れ替えたくても、吸って出ていくのは埃と異臭だけ。
ああ、最悪。触りたくもない。でもこの袋の中に鍵が入っていたとしたら……?
「…………うう」
……やるしかない。でも嫌だな……。
手を入れることを躊躇していると、東雲君が私の目の前に可燃ゴミの袋を差し出した。
「牛山ちゃん、その袋とこっち交換して」
「え? でもこれ飲み残しが……」
「いいから。変えて」
有無を言わさず強引に袋を取り替えられると、東雲君は袋を開けてすぐ顔をしかめた。それでも恐る恐る二本の指で慎重に空き缶を持ち上げて確認していく。
私が嫌な顔をしていたから無理して取り替えてくれたのかもしれない。ちょっとはいいところあるじゃん。――なんて思いながら渡された袋を開ける。
それにしても、可燃ゴミにしてはやけに軽い。中から聞こえてくる音も紙きれだけのようだ。職員室のシュレッダーにかけられたプリント類だろうか。
袋を開けてみると、シュレッダーのような綺麗に揃えられた紙ではなく、雑に破かれたプリントが大量に入っていた。
その中から何となく手に取ると、緑色の線が入った原稿用紙には「反省」の文字が書かれていた。気になって似た筆跡のものを探して二、三枚ほど繋ぎ合わせて見ると、丁寧に綴られた反省の言葉が並べられていた。
『――反省……私は……グロス一点……万引きし……』
『気がついた時には……入れて』
『反省し……従うこ……』
これだけではない。他にも反省文らしき紙切れがいくつか見つかった。インクが滲んで読めないものや、細かく千切られているものがあってすべてが読めたわけではないが、その中でも気になる人物の名前がはっきりと残っていた。
『二年A組 桜井朋美』
桜井朋美――戸田君と一緒に教室に乗り込んできたA組の学級委員だ。
そういえば彼女は、B組の教室から出てきた私を目撃したと言っていた。
実際に私は、B組の教室の前は通っても中に入ったことは一度もない。――知り合いのいない教室に好んで入る意味が、私にはわからない。――それに加え、彼女は私がピッキングができるのではと鎌をかけてきた。苦い顔をして答えてしまった私を見て、彼女は確信を持ったのだろう。あんなに堂々としていられたのは、それがあったからかもしれない。
いつの間に隣に来ていたのか、東雲君が横から顔を覗かせて反省文の切れ端を見つめていた。
「戸田と一緒に来てた女子か。へぇ、あんな優等生ぶってんのに万引きしちゃうとか、世の中何があるかわからねぇモンだな」
何を感心しているんだこの人は。
「それにしても、反省文って本当に書かされるんだな。初めて見た」
「え? 東雲君は書いたことないの?」
「ねぇよ。それなりに授業は出てるし成績も問題はない。案外身なりだけで判断する教師ばかりじゃねぇってことはわかってる。大体、反省文を書く程しでかした奴が……」
彼はそう言いながら可燃ゴミ袋の中に手を入れ、他の切れ端を持ち上げて見比べる。いくつか見ているうちに、彼は眉をひそめた。
「……これって、誰が管理してるか知ってる?」
「誰って……生活指導だから担任か……生徒指導の先生じゃない?」
「これ見て」
ゴミ袋から紙の切れ端を私に差し出す。桜井さんが書いたものの他に、明らかに他の生徒が書いたであろう原稿用紙が破れた状態で出てきた。――「万引き」「暴行」「口論」「ゲーム機」どれも反省文の一部分であることが見受けられる。どれも筆跡がバラバラだから少なくとも四、五人分の反省文が混ざっているだろう。名前までしっかり破られているから人物を特定するのは困難だ。辛うじてどの用紙にも【二年A組】と書かれていることがわかった。
「どういうこと……?」
A組は特進科――普通科よりも倍の授業量と教師陣の目が光る、いわゆるエリートクラスだ。そんなクラスから生活指導が入るのは、学校としては宜しくない事態といえるだろう。しかし、反省文の通りに指導が入るような出来事があったとしても、すべて事実であるという証拠はない。
この学校の生徒は皆、口が軽いうえ噂話が好物であることは、私が騒ぎの犯人扱いされて――半分は東雲君のせいで――理事長の息子と教師に喧嘩を売ったという話が、たった数時間で校内全体に広がったことで実証されただろう。
それにも関わらず、反省文を書いた生徒達が噂にも引っかからないのはどう考えてもおかしい。生徒が問題を起こしたなどという生徒絡みの情報は、必ずどこかしら漏れているようなものだ。仮に私と東雲君が校内の噂や流行に疎くても、生徒会長の業務とはいえ、校内で起きたあらゆる事件を一からまとめてファイリングしている巳波先輩が知らないはずがない。巳波先輩がどれだけ間抜けだったとしても、あの几帳面な性格が反省文を書かされるレベルのことをしでかした生徒を調べないわけがない。
「反省文を書いている全員が二年A組の生徒……生徒指導担当か担任の教師が反省文を書かせたとしても、保管せず破り捨てることはないだろ」
「誰かが破いて捨てたってこと? ……もしかして証拠隠滅のため? 学校の内外に広まらないように、とか……」
「同じことを繰り返しさせない為に反省文を書かせたにも関わらず捨てるか?」
「うっ……せ、先生が捨てたとか限らないんじゃないかな? 生徒だって職員室には入れるし、手で破くなんて誰でもできるでしょう?」
「在り得ない話ではない……が、リスクが高すぎる。仮に生徒がこれを盗んで捨てたとして? 見つかったら即呼び出されて謹慎処分、校内に噂は広まるだろう。管理しているのが職員室ならもっと大事かもになっているかもな。それにしてもこのタイミングで見つかるってことは、これを捨てた奴は随分焦ってたのか? 俺達が何か探しているのもわかってたのかもしれねぇ。……これは、不味いかもなぁ」
「不味いって?」
「学校側が隠蔽しようとしていた証拠を見つけちゃって、退学に一歩近づいちゃったかも?」
「そ、そんなことある……? だってこれは校内で起こった盗難とは関係のない反省文でしょ?」
「関係あるかどうかは、俺達が判断できることじゃねぇよ。でも少なくとも、このタイミングで桜井の反省文が見つかったってことは、嫌な予感してるんだよなぁ……」
眉をひそめ、難しそうな顔をする。そしてまたブツブツと独り言を呟き始めると、ああでもない、こうでもないと頭を抱えた。
これって結構やばいんじゃない?
「東雲君、とりあえず一度出て先輩と合流しない? 桜井さんが万引きしたっていう話も、もしかしたら先輩のファイルに書いてあるかも――」
ようやく重い腰を上げた瞬間、倉庫の引き戸が嫌な音を立てながら閉まった。
「ちょっ……待って!」
急いで引き戸に駆け寄った途端、扉にかけられた丸落としが落ちた音がした。
思い切り引き戸を叩いて中にいることを伝えようとするが、外にいる誰かは反応してくれない。建付けが悪いことをいいことに、強引に引っ張って壁の隙間から覗くと、校舎に入っていく人物の後ろ姿と、壁を繋ぐように跨いでいる扉につけられていた丸落としの鉄の棒が見えた。
彼の嫌な予感は的中した。
言うまでもなく、私たちはこの薄汚いゴミ置き場に閉じ込められたのだ。
七
「誰か、誰かいませんか! 開けて! あーけーてー!」
腐敗臭がこびり付いた扉を大きく叩きながら、外にいるかもしれない誰かに訴える。ポケットに入れていたスマートフォンには十七時と大きく映し出していた。放課後で人がいないとはいえ、まだ部活動で残っている生徒や先生はいるはずだ。
しかし、かれこれ十分が経過するが、反応どころか倉庫に人が寄ってくる気配はない。
スマートフォンで連絡するにしても、実咲と瑛太は部活中で手放している。今から送っても来てくれるまで時間がかかってしまうだろう。巳波先輩は持っていても連絡先を知らない。担任の猪野先生は、今日の午後は出張だと言っていた。他のクラスメイトにはかけづらいし、学校に連絡するのも笑い話だ。
「どうしよう……」
「……参ったな」
一人で項垂れていると、助けを呼ぶこともせず破かれた反省文を眺めていた東雲君がようやくこっちを向いた。その表情はどこか残念そうな顔をしている。
「ちょっと、考えるの後回しにして手伝ってよ」
「え? 何かあった?」
「閉じ込められたの! 鍵がかかってて開かないから助けを呼ぶしかできなくて」
「なんでそんなことに……あ、本当だ。いつの間に」
東雲君はあっけらかんと扉を押したり引いたりして鍵がかかっていることを確認する。
なんてこった。ずっと一人の世界に浸っていたのか。ドンドン、と扉を叩くが、勿論外からの反応はない。
「外に誰もいないの?」
「何度か声をかけているけど誰もいなさそう。本当は巳波先輩と連絡が取れたらいいんだけど、私知らなくて……」
「裕司先輩、基本スマートフォンは鞄の中だから多分知っていても意味ねぇな。あ、俺はスマートフォン持ってないから」
信用できないし、期待もできない。
「こうなったら体当たりで……」
「教師から一番目をつけられているアンタが、学校の建物を壊してお咎めがないとでも思ってんの? 生徒の現金を盗み、理事長の息子をぶっ叩いただけでは飽き足らず、ゴミ置き場とはいえ学校の建物壊すとか……かなり最悪な状況になるけど」
彼の言う通りだ。ここで学校の建物を壊したら即停学処分――もしかしたら退学かもしれない。それでもこんな場所にずっと居座るのは嫌だ。
「これは非常事態なの! 壊したところで誰かに閉じ込められたんだから多少の融通は効くはず!」
「その自信はどこから出てくるの?」
「それに、東雲君も一緒にいるんだから連帯責任でしょ!」
「あ……」
今しまった、っていう顔をした。
「こんなところでゴミを漁って散らかしてるなんて、生徒指導室に呼び出されるに決まってるよ! ただでさえ授業中寝ているんだから、今度こそ反省文を書くことになってもしょうがないよね!」
自棄になって怒鳴った途端、東雲君は何か閃いたように目を見開いた。そしてまた、手に持っていた破り捨てられていた反省文を見つめる。
「……あー……そういうこと?」
彼は残念そうに溜息を吐くと、私を見た。
「あくまで仮説だから詳しいこと言わないけど、分かったかも」
「何が?」
「犯人」
「……はい?」
とぼけた声を出した私に、東雲君は鼻で哂う。一体どういうことだろうか。
眉をひそめていると、東雲君は鍵が掛けられた引き戸を限界まで引っ張った。当然、丸落としの鉄棒がはまっていて開く様子はない。かなり古いこともあってか、約五センチほどの隙間はできても、鍵を開けることは難しそうだ。
「これが限界か……」
「ちょっと、何しようとしてるの?」
「……まだわかんねぇの?」
軽く舌打ちすると、振り返って私に言った。
「この倉庫の鍵になっている丸落としの構造からして、簡単に取り付けられる代わりにとても脆い。体当たりでもすればすぐ抜け出せる。でも壊してまで外に出るとなると器物破損で訴えられるかも。……どうする?」
「どうするって、急に何? 壊す以外の方法があるっていうの?」
「アンタならわかるだろ。この隙間を使って、鍵を開ければいい。そうすれば扉を壊すことなく外に出られる」
「は……?」
「牛山ちゃんだったら開けられる。……いや、開けたくてうずうずしてんの、わかりやすい」
一瞬、息が止まるかと思った。彼の皮肉な笑みに悪寒を感じて、思わず一歩後ろに下がる。
「何を……言ってるの?」
「そのまんま。アンタなら、慣れた手つきで開けられるって言ってんの」
苦し紛れに問うと、あっさりと返される。
「……東雲君も同じことを言うの?」
震えるのをどうにか抑えて絞り出た言葉はそれだけだった。私が盗んでいない事実を証明してくれるのではなかったの?
私の反応を見て察したのか、東雲君は少し考えてから口を開いた。
「同じこと……それは『牛山ちゃんならピッキングできるでしょ?』ってこと? いやいやまさか。俺は最初からアンタは犯人じゃないって言ってるじゃん。
「……ああ、『犯人じゃない』とは言ったけど『ピッキングができない』とは断言してないな。それに関しては謝るよ。ごめん。ピッキングに関して言えば、アンタは犯人よりプロだと思うよ。
「根拠? ピッキングって、錠前の中を開けて確認しないとわからないくらい、上手く開ける泥棒はそうそういないんだろ? 警察が調べれば見つかるものに、素人がわかる訳がない。
「アンタは南京錠を俺から取って、真っ先に鍵穴を確認していたよな? 普段の生活で付くひっかき傷とピッキングした形跡の傷を判断するのって結構難しいんじゃねぇかな。それをアンタは短時間で気付いた……それって見慣れているから見分けがつけられたんだろ。南京錠にピッキングされた痕がないってわかった途端、鍵まで調べたいとまで言い出したら、気にかけないわけがないよな。だから鍵を見たかと裕司先輩に聞いた。
「でもそれは自分の無実を証明するためでも、被害に遭った馬場ちゃんのためでもない。アンタの好奇心からだ。『鍵を開けたい』という欲を抑えつつ、平然を偽るには好奇心が顔に出すぎ。……ちがう?」
淡々と並べた彼の話に、私は頬が引き攣ったまま固まってしまった。あくまで仮説でしかないその話が、あまりにも私の行動にぴったりはまっていたからだ。
「……仮に私がピッキングできるとして、どうしてこの丸落としを私がわざわざピッキングしないといけないの? 私がピッキングできることを証明しているようなものじゃない。それだったらここで大人しく待って、犯人が来たところを取り押さえたらいいんじゃないの?」
「アンタが敵に回してるのは学校全体だ。奴が学校関係者の有力者にゴマを擦っていれば、すぐ警察に突き出されてもおかしくはない」
「そうかもしれない。……でも、私はこんなことでピッキングをして約束を破るわけには……!」
――あ。
口が滑った。気付いた時には東雲君は少し笑みを浮かべていた。
「……ここを出ることは黒幕をおびき出し、アンタが犯人じゃないことを証明することに繋がる。仮にこの倉庫をピッキングしたところで、棒を突いたら開きましたって言えばどうとでもなる。校舎で今頃走り回ってるユウジ先輩が開けたことにしてもいい」
「……でもそれはこの倉庫のことだけであって、盗難騒ぎの南京錠をピッキングしていない証明にはならないんじゃ……」
「それも大丈夫。犯人は応急処置の方法でしかできない素人だ。それに――アンタがピッキングするなら、そのヘアピンで十分足りるだろ」
東雲君は私の左耳を指さして言う。いや、正確には耳ではなく隠すようにして差し込んでいたヘアピンを指していた。
「南京錠を見て実際にそのヘアピンでピッキングしてただろ。普通、あんな自然にヘアピンをL字に折り曲げたりしねぇからな」
「…………」
「あくまで仮説だから否定とかしてもらっていいけど、反論ある?」
ああ、もうこれは弁解の余地がない。論破するだけして反論を問うなんて、なんてえげつないやり方だ。
私は大きな溜息を吐いて、降参と両手を挙げた。
「……いつから気付いてたの?」
「教室を出てすぐ、俺がアンタの頭をぐしゃぐしゃにしただろ。アンタが俺の手払ったときに人差し指にタコがあったのが気になった」
ほんの数時間前、教室を出てすぐのことだ。確かに私は彼の手を掴んで降ろさせたが、まさかあんな数秒の出来事で気になるなんて。右手を見てみると、よくヘアピンを挟んでいる親指と人差し指にわずかなくぼみがあった。自分でも気付かないくらい、小さなタコだ。
「結構前からピッキングできたんでしょ。いつから?」
「……小学校、くらい」
「随分早いな。どこでそんな技術を……」
「護身用ってことで、教えてもらってたから」
*
――私の両親の馴れ初めは、とてもロマンチックだったらしい。
父は空き巣の常習犯、母は鍵屋の娘。出所後の父が最後の一回だけと決めて盗みに入った家に、錠前を綺麗に磨いている母がいた。
懸命に錠前を磨いて満足げに笑う母に一目惚れした父は、盗みで入ったにも関わらず、ずかずかと母の前に行くと、その場に片膝をついて「貴女の心を盗みに来ました」とキザな台詞で唐突に告白をしたという。
母は何を思ったのか、その場で「盗んでごらんなさい」と哂って挑戦状を出した。
それから毎日、父は母に会うために一輪の花と一緒に同じ時間帯に訪れ、母が用意したであろう錠前をいくつもこじ開けて家に入ってきた。最初は冗談半分でやり始めた母も、いつしかムキになってきてわざと難しい錠前をつけて待っていたらしい。
出会って一ヵ月経ったある日、父はいつもの時間に来なかった。
母はついに諦めたかと思って買い物に出たところ、公園でお年寄りのお爺さんが乗っていた自転車を直していた父を警察が事情聴取をしている場面に遭遇した。
なんでも、父がお爺さんから金銭を騙し取ろうとしているのではないかと、巡回中の警察官が疑っていたらしい。
老人の話に耳を向けない警察官に腹を立てた母は、彼らの間に割り込んで怒鳴ったという。
「警察のくせに被害者の話も聞かないの? 今困った顔をしているのはお爺さんよ。こっちの話を聞くのが先でしょう? そこのアホ面の男は逃げも隠れもしないし、私がさせないんだから放っておきなさい!」
母の一言でお爺さんの話を聞いた警察官は、苦虫を潰した顔で父に謝罪すると、逃げるように去っていった。
このことがきっかけで更に惚れ直した父は、また毎日母の元へ通うようになった。最終的に母の方が折れる形で交際に発展、プロポーズまで時間は掛からなかった。
……ね? 傍から聞いているとすごく恥ずかしくなってくる惚気でしょ? 話している私も恥ずかしいんだけどね。
それでもこの話を聞いた幼い頃の私は、ふざけた告白をした父と、勝負を仕掛けて最終的に折れた母の関係性がすごく素敵だと思った。物語の中でしか在り得ない非日常な出来事を、自分の両親が体験した。――それが誇らしかった。
結婚して一年後に私が産まれ、小学校に上がってすぐ鍵屋の仕事をしていた母の職場で悪気もなく南京錠をいじって遊んでいた私を見て、父は内緒で私にピッキングを教えてくれた。南京錠はもちろん、ダイヤル錠にシリンダー錠、金庫まで、ある程度の錠前は時間をかけてでも確実に開けられるようになっていた。
母がそれを知ったのは、玄関の鍵をピッキングしている、最悪のタイミングだった。
学校から帰って玄関を開けようと鞄を開けると、鍵を忘れていたことを思い出した私は、つい先日父が教えてくれた玄関錠のピッキングを試みた。
鍵穴に差し込んだヘアピンが音をたてて開けた瞬間、母が買い物袋を落とした音が同時だったのを今でも覚えている。唖然とした表情の母に、私はただ顔を青くして地面に落ちた買い物袋の中で潰れた卵を見つめていた。その日の夜は当然、私も父もかなり怒られた。
そしてピッキングをするにあたって、両親と約束事を決めた。
・必ず必要な時だけ使用すること
・必ず誰かの為に行うこと
・必ず自分の為に行うこと――そして三つ全て該当するときだけ、使用すること。
それ以来、誰かの前で絶対ピッキングをしない代わりに、私は自分で買った錠前や母の職場で使わなくなった錠前を集め、自室でピッキングをするようになった。
これは高校に入学してすぐ、母から聞いた話だが、父が私にピッキングを教えていたことを何となく察していたらしい。
コミュニケーションの取り方が苦手な父なら、きっと娘の気になっているものを話のネタにして近づこうとしていたのはわかっていた。まさか南京錠のピッキングを教えているとは、想像を超えていて笑ってしまったという。
「南京錠で遊んでいるときから予感はしたのよ。でも二人が楽しそうに話してるから止められなくてね。……それに、ツヅミが目的もなしに鍵を開けようとする子にならないように頑張らないといけないねって、あの人とちゃんとお話できたんだから、今となっては良い思い出なのかもね」
その話を聞いて、私は二人を裏切ることはしないと誓った。察することしかできない小学生の時も、高校生になった今も。
*
「――東雲君の言う通り、私だったらロッカーにつけられた南京錠もダイヤル錠も開けられる。でも私は絶対に人前でやらないし、金銭目的で開けることは絶対しない」
私は自分が無実であることを強調して訴える。東雲君は口を一文字にしたまま黙って話を聞いてくれた。
やっと口を開いたかと思えば、どこか満足そうな顔をして見たことがない程、優しい笑みを浮かべた。
「……思った通りだった」
「はい?」
「何でもない。今の話聞いて、やっぱりアンタにはこの扉を開けてもらう必要があると思った。これは無実を証明するためじゃない。アンタの言う約束事に当てはまっているし、何より鍵穴が見えない裏側から開けるなんて楽しそうじゃん?」
東雲君はそう言って、悪い笑みを浮かべた。
「俺は俺で、アンタの無実を証明するよ」
私はもう一度、両親と交わした約束を思い出す。――閉じ込められたこのゴミ倉庫から出るために、
巻き込まれた東雲君と自分のために。全ての条件に当てはまってはいる。あとは私が懸念していたことを彼に問う。
「東雲君、本当に犯人がわかったの? ただここを出るための口実だったりしない?」
「疑い深いなぁ。少しくらい信用してよ。……いや、それ以前にアンタは自分を信じなきゃダメだ。自分の今後を他人に預けているんだから、自分で決めるべきなんじゃない? 俺だったら絶対嫌だけど、アンタの場合は俺に委ねている部分もあるんだし。俺が犯人について今言えるのは、証拠が少ない中でこんなことができるのは一人だけだってこと。……よく考えて。アンタが決めなきゃ、俺を選んだ選択はおじゃんになる」
真相を解明することも、自分の無実を証明することも、ほとんどを東雲君任せにしている今、私に正解を導くことはできない。――いや、そもそも正解なんてないのかもしれない。推理も仮説もどうせ似たようなものだ。
それならいっそ、彼を信じてみるのも悪くはないんじゃないか。
「……証明、してくれるんだよね?」
「もちろん」
自信満々の笑みを浮かべて簡単に言ってくれる。私は小さな溜息を一つ吐いて、タコの痕が残っている右手を差し出す。
「……わかった。今回だけね」
「そう来なくっちゃ」
小さくハイタッチをした音が倉庫内に響いた。
八
倉庫の扉につけられたのは、丸落としという閂の一種である。丸落としは本来、扉の下に取り付けて地面に開けた穴に固定させるのだが、この倉庫は扉の取っ手から少し離れた位置に横にして取り付け、地面の穴の代わりに輪っかの形をした金具を取り付けた仕様になっている。
南京錠やダイヤル錠のように鍵や暗証番号で開かないようするものではなく、一本の棒にはストッパーのようなものがついており、そのストッパーを淵にはめることで鍵がかかるという仕組みだ。
さらに南京錠をつければさらに強化できるだろうが、流石にゴミ置き場に盗みに入る輩はいないと考えてもおかしくはない。誰でも出入りが自由だから、いつ火事が起きても不思議ではない、案外不用心な倉庫だ。
東雲君が引っ張って開けてくれた、わずか五センチの隙間からストッパーになっている鉄の棒が見える。この棒を引いた方向とは反対に動かせば、錠となっている棒も一緒に動いて扉も開けられるはずだ。
私は大量に積まれたゴミ袋の中から、缶のゴミ袋の近くに錆び付いたハンガーを見つけると、軽く折り曲げてみた。少し錆びて塗装が剥げているが問題はない。折り曲げて長細いU字に少しだけ反らせた形を作る。
「そんなボロボロのハンガーを使って開けられるモンなの?」
歪な形のハンガーを珍しそうに見ながら東雲君が聞いてくる。
「丸落としの棒のストッパーを上に動かすの。初めてやるから上手くいくかわからないけど、この倉庫自体が古いから外れるかも」
扉の前にしゃがみ、五センチの隙間からハンガーを通し、丸落としの棒を伝ってストッパーに当てた。カンカン、と小さな音が聞こえる。やはり簡易的な丸落としのようだ。ストッパーさえ上げてしまえばこっちのもの。――と、高を括っていたが、手元が見えないからこそ難しい。
「もうちょっと、なのに……っ」
「扉、もう少し開けた方がいい?」
「ううん。大丈夫」
これ以上開くと、ストッパーがしっかり嵌ってしまって動かない可能性がある。慎重にハンガーを動かして、ストッパーを上へと押し上げる。
「ねぇ……手元見えないのになんでわかるの?」
「なんとなく」
ハンガーに集中しているため目線は動かせないが、不思議そうに訪ねてきた東雲君に投げやりで答える。すると勝手に考察を始めた彼は、私の後ろでブツブツと呟いていると、納得したように言う。
「きっと身体にピッキングの感覚が沁み込んでいるんだろうな。幼少期からの英才教育とでもいうべきか……。牛山ちゃんがいれば密室も開けられるね」
「絶対、嫌」
謙遜しなくても、と茶化してくる東雲君は放っておく。これ以上は時間の無駄だ。
全神経をハンガーに集中させて、棒を通して丸落としの形状とストッパーがどうやって入っているかを確認する。入る前に見た形状を頭に浮かべながら、丸落としをなぞるようにハンガーを動かす。
ようやくストッパーの部分に触れると、折り曲げたU字の部分にはめる。あとはストッパーを上にあげるだけだ。
「――東雲君、もう一回聞くよ。本当に私の無実を証明してくれるんだよね?」
手元だけを見つめながら、後ろにいるであろう彼に問う。私から見えないが、きっと彼は嗤っているのだろう。
「もちろん」
「……そう」
――がちゃん。
ストッパーが上がった音が倉庫内に響く。立ち上がって引き戸に手をかけると、簡単に扉は開いた。
開かれた先には見慣れた中庭と校舎が並んでおり、人気はなかった。隙間から見えた誰かの後ろ姿も今はもういない。
ハンガーをゴミ置き場に投げ捨てると、私は呆然としている彼に笑って言う。
「開いたよ」
「……マジか」
「ちょっと、信じてなかったの?」
「いやだって……本当に開くとは思わねぇじゃん! 鍵が扉の向こう側で、手元が見えない状態で開けた? アンタもしかして透視能力とか持ってんの?」
「開けろって言ったの東雲君でしょ!」
私がピッキングできることを見抜いた彼が、今更何を驚いているのだろうか。
どうしてこれがハンガーだけで動いたのか、牛山ちゃんには壁の向こう側が見えるのかなど、興奮冷めやらぬ東雲君が倉庫の外に出て丸落としをガチャガチャと動かしながら、訳の分からない質問攻めに遭うが、すべて無視することにした。
「たまたま、運がよかっただけ」
私はそう言って大きく息を吐いて、ハンガーの剥がれた塗装が付いた右手を見つめる。
適当に買ってきた南京錠をピッキングをし続けて数年、仕組みくらいしかわからない丸落とし――簡易的な錠を開けたことはなかった。更に錠前も鍵も見えない中でピッキングをするなんて、開けることだけが楽しかった小学生の時の私は想像できただろうか。
不安の中、見えない鍵を開けたその瞬間は、今まで味わってきた達成感と快感がじわじわと湧いてくる。そして錠前が外れた音がすると同時に、感じるほんの少しの寂しさが心地良いのだ。
――楽しかった。
ピッキング自体が犯罪に変わりないかもしれない。楽しいと思ってしまった私はやはり泥棒の子供だからなのか。悪い気はしない。
「さて、資料室に戻るか」
一通り丸落としをいじって満足したのか、東雲君は倉庫から可燃物の袋を持って資料室のある校舎に向かう。
校舎の中に入ってすぐ、廊下の向こうから巳波先輩が慌てた様子で走ってきた。
「お前ら、今までどこに行ってたんだよ!」
「裕司先輩、何慌ててんの? 汗だくじゃん」
「別館から戻ってきてもいなかったから、校内をずっと走って探してたんだよ。一度資料室戻ってスマートフォンに連絡が入っているか確認しようと思ったけど、牛山の連絡先知らないし、祥吾がスマートフォン自体持ってないこと思い出したから虱潰しに走って……って、なんでそんなに汚れているんだ? つか臭くね?」
鼻をひくつかせながら私達を見る巳波先輩。それはそうだろう。なんせ私達は先程までゴミという異臭の山奥にいたのだから。
「こっちもこっちで大変だったんです。あのゴミ置き場の倉庫に閉じ込められて、叫んでも誰も近くにいなかったから……」
「倉庫に? 業者はそっちにいなかったのか?」
「業者って?」
「専門棟から戻ってきて倉庫に行こうとしたら止められたんだよ。『今、倉庫に業者が来て作業しているから近づくな』って。お前らのことを聞いたら校舎に入って行ったとも言われたし……てっきり、他の教室でも調べているんだと思ったんだ」
ゴミ置き場の倉庫に閉じ込められてから出てくるまで、業者どころか人がいる様子はなかった。誰かが校内に入っていく後ろ姿は見えたけど、はっきり見えたわけではない。立ち去ったあの人物は本当に業者だった? あの後ろ姿は実は犯人で、あの倉庫に立ち寄らないように仕組まれていた?
東雲君は黙って倉庫がある方向へ目を向ける。
「祥吾、どうかしたか?」
「……いや、何でもない。とりあえず資料室に戻ってこれを見てみよう」
そう言ってずっと持っていた袋を掲げる。破り捨てられた二年A組の反省文が入った袋だ。
「なんだ? ゴミ?」
「そう。裕司先輩は何か見つけた?」
「ああ、それらしきものはいくつか見つけた。……でもこんなのでわかるのか?」
「見つけるさ」
鼻で哂う東雲君は真っ直ぐ資料室に向かって歩き出した。無表情ではあったものの、どこか怒っているようで、声をかけるのを躊躇う。
巳波先輩と顔を合わせると「いつものことだ」と肩をすくめて小さく笑い、彼の後を追うように歩き出した。
先輩には東雲君の行動が読めているのだろうか。資料室でのやり取りをただの小言争いだと思っていたのであまり気にしていなかったが、東雲君が意見交換できる人だと考えると、巳波先輩は聞き上手であることがわかる。
彼らの関係性が未だにわからないが、何となく羨ましく思った自分に首を傾げながら、二人の後を追った。
資料室に戻ると、東雲君はすぐさまゴミ袋を机の上に広げて分別し始めた。
お菓子のパッケージや袋など、他にもたくさんあるゴミの中から原稿用紙だけを取り出し、それらを同じ筆記体のものをセロハンテープで繋ぎ合わせていく。作業をしながら見ていた巳波先輩に反省文の話をすると、何か思い出したように本棚を漁って「校内事変、二十五」と書かれたファイルを開いた。
「生徒指導になった生徒が反省文を書くことになったのはここ二、三年の話だ。事の発端はカンニングした生徒の指導だったらしい。といっても反省文は書いて教師が保管、生徒が卒業した後に処理されるのが決まりになっている。例えば一年の時に何か問題を起こしたら、その時書いた反省文は三年生になって卒業する時まで保管される。……二年A組はまだ卒業もしてない。これはおかしいぞ」
「それだけじゃない。原稿用紙を見る限り日が経ってない。少なくともここ一か月……いや二か月くらいか」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「原稿用紙の日焼けの色が違う。ちゃんと管理していたとしても、新品みたいに白いだろ」
繋ぎ合わせた五枚の反省文の一部を見比べる。まだ完成していないが、しっかりと書かれた本人の名前と内容が確認できる。
――「私は放課後、駅近くの薬局でリップグロス一点を万引きしました」「私は深夜になっても家に帰らず、警察に補導されました」「部室で他の生徒の私物を盗みました」「学業に必要のないゲーム機を授業中に使用していました」「他校の生徒と口論になり、暴行してしまった」
そして巳波先輩がまとめた校内事変ファイルに、最初に窃盗にあったA組の生徒の名前が原稿用紙に書かれた名前が全員一致した。
「こんな反省文一つで終わらせたつもりか? 現に処分を下していない時点で、学校側が無かったことにしているのだとしたら大問題だぞ。今からでも校長先生に……」
「落ち着けよ、生徒会長。卑劣なことをしたエリート組の生徒を学校側が見過ごしましたって吊し上げたところで、この窃盗騒ぎは終わらねぇ。それに下手したら理事長にも手が回っている可能性だってある」
「じゃあどうしろって言うんだ? 学校の存続を懸念していた経営者側の言いなりになれとでも言うのか?」
怒りを露わにした巳波先輩に、東雲君はあくまで涼しい顔をして続ける。
「五人を裏で動かしてた黒幕を引っ張り出す。その方が早い」
私も先輩も混乱している中で、東雲君が反省文の一番最後の分を指さす。そこには確実に黒幕を裏付けるものが五枚全てに書かれていた。
「これって……」
「これだけあれば十分脅せるさ。そうだ、裕司先輩。先輩の広い人望を利用してちょっと調べて欲しいことがあるんだけど」
「調べてほしい? 人望と何か関係があるのか?」
東雲君が耳元で話すと、巳波先輩は眉をひそめた。
「なんだ、それならすぐわかると思うが……そんなことだけで本当に実証できるのか?」
「やってやるよ」
そう一言だけ答えると、東雲君はまた作業に戻った。いつになく真剣な表情に声をかけるのを躊躇うと、私も巳波先輩も目の前の作業に取り掛かった。
九
翌朝の空は快晴で、太陽の日照りが容赦なく降り注ぐ。こんなに良い天気なのに、駅から学校までの数十分が、今日ほど憂鬱だとは思ったことはない。登校中の私に刺さるのは日照りではなく、先程からジロジロと見てくる、同じ制服を身に着けた生徒の視線だ。
それもそうだろう。今の私は最近頻繁に起こっている盗難騒ぎの容疑者で、理事長の息子を殴り飛ばした――実際はビンタしただけである――、今最も注意しなければならない生徒であるからだ。
それだけだったらよかった。切実に。
「……ちょっと、なんで生徒会長まで一緒なのよ?」
「しょうがねぇだろ、同じ学校なんだから」
「裕司先輩、朝からうるせぇ……」
「生徒会長サン、声のボリュームを抑えてくれません? それか俺達から離れて歩いてください」
「朝から辛辣すぎやしないかお前ら!?」
私を中心に、実咲と東雲君、瑛太が一斉に巳波先輩を弄っている。それはいつもの朝の光景にしてはとてもとても賑やかで、他の生徒が驚いて二度見をして凝視する程、注目の的だった。
なんせ容姿端麗の実咲、スポーツ特待生で女子からの人気も高い瑛太、そして人望の厚い生徒会長の巳波先輩――この三人が揃えば周りがぼやけて見える。加えて眠そうに目を擦る東雲君も、問題児として既に校内に知れ渡っているうえ、啖呵を切った当人でもあるから、より注目度は高いだろう。
彼らに囲まれていると、特に私のような普通――いや、窃盗犯の容疑者みたいな立ち位置の私が彼らの間に挟まれていると思うと気が重い。
「ツヅミ、ちゃんと眠れた?」
先程から苦笑いが収まらない私に実咲が声をかけてくれる。
「まあ……うん。巳波先輩はともかく、二人とも部活は?」
「今日は朝練がない日なの。それにツヅミに何かあったら困るから一緒に登校しようって。そしたら瑛太も同じこと考えてたらしくて」
「まさか同じタイミングで、そっちの二人が声かけてくるとは思ってなかったので滅茶苦茶腹立たしいんですけど」
「一応俺、先輩なんだけど?」
「後輩ですけど何ですか? 年下に圧力かけても何も出てきませんよ」
「このっ……!」
鼻で哂う瑛太に何も言えずに唇を噛み締める巳波先輩。どこかで見たことのあるような光景だ。
「でも私は純粋にツヅミと学校に行きたかっただけよ?」
ニッコリと笑みを浮かべて言う実咲に、少し後ろにいる東雲君が苦い顔をして俯いた。
彼女のこの表情は、本心では口が悪くなっているときだ。後ろの巳波先輩と瑛太の話を聞いて「煩いなぁ、さっさとどっか行け」くらい思っていてもおかしくはない。実際、何度かそれに近い小言を聞いたことがある。そしてそれは、東雲君にとっては昨年からずっと見ていたトラウマの笑顔だったのかもしれない。
「あら、どうしたの東雲?」
「ななななんでもない! 今日も馬場ちゃんは元気だなって思っただけです!」
朝なのによく喋る東雲君は新鮮だ。二人のやり取りに呆れながらも、自分の頬が少し緩んだ気がした。ふと視線を変えると、どことなく嬉しそうに微笑んだ瑛太と目が合う。
「瑛太? どうしたの?」
「いえ。……先輩、やっと笑ったなって」
「へ?」
「ほら、疑われるようになってから無理に笑っている気がしていたんで。特に教室で公開処刑されたとき、俺は近くにいなかったから、少しだけ心配してました。……って、馬場先輩が」
最後は後付けのように早口で言うと、瑛太は相変わらずの仏頂面で口元を少しだけ緩めてくれた。
私が容疑者扱いされたのはほんの二、三日前のことだというのに、そんなに暗い顔をしていたのだろうか。鏡を見なければ自分の顔は見れないから、他人から見れば死んだ顔をしていたのかもしれない。
瑛太とは中学からの付き合いではあっても頻繁に話していたわけではなかったけど、普段から周りの人の顔色を察して無意識に気遣う優しい人だということを、私はよく知っている。
「……心配かけてたね、ごめん。ありがとう」
「お礼なら全部終わってからにしてください。それに心配していたのは馬場先輩ですから。俺は先輩に付き添ったくらいで……」
拗ねたようにそっぽを向く。後輩ながら可愛いところもあるものだ。
すると突然、後ろと隣から冷たい視線が背中に刺さった。それは瑛太も同じだったらしく、同時にそっと振り返ると、実咲と東雲君がじっとこちらを睨みつけていた。
「瑛太? ツヅミと何楽しそうに話しているの?」
「犬塚君、ちょっと牛山ちゃんに近いんじゃねぇ? 馬場ちゃんに怒られる前に離れたら?」
「……俺、別に馬場先輩に怒られても仕方がないとは思って割り切っているんですけど、なんで昨日会ったばかりで性格の悪い東雲サンに注意されるのか、マジで意味不明です」
「奇遇だなぁ。俺も同じこと思ってたんだよ」
「あ、そうなんですか? そんなに後輩を妬まないでくださいよ。『嫉妬は悪い』言い方してたの、先輩でしょう?」
「アンタのどこを妬むって? ちょいちょい先輩後輩の上下関係を入れてくんじゃねぇよ。下剋上でもしたきゃそこの仲間外れ生徒会長にしとけ」
「生徒会長サンに下剋上したところで何を得られますか? ああ、少なくとも人望だけは東雲サンに勝てるか」
「俺の人望に勝とうだなんて随分ちっぽけな野望だね。止めた方がいい。絶対後悔するから」
「自分で言ってて悲しくなりません?」
「ああもう……顔を付き合わせるたびに喧嘩腰になるのやめて!」
昨日初対面の癖に喧嘩を勃発させ、数十時間後にまた同じ繰り返しをする二人。言い争いの内容は先輩も後輩もない、小学生以下の悪口対決だ。
「放っておけばいいのよ、ツヅミ。やらせておけばいいの。……それより瑛太も東雲も生徒会長も、私のいないところでツヅミに手を出したら許さないわよ!」
「ちょっと待て。俺、何も言ってないしやってなかったよね? 無関係だったよな?」
放っておけと言う割に加勢する実咲、更に理不尽な扱いを受けている巳波先輩。皆の後ろ姿がなんだか可笑しくて、いつの間にか笑って見ていた。
校内に入り、教室の階が違う巳波先輩と瑛太と分かれて二年C組の教室に向かうと、待ち構えていたように戸田克之と桜井朋美が満面の笑みを浮かべて扉の前に立っていた。
「おはよう。焼かれる準備はできたかな?」
「朝からその煩い笑顔をどうも、今日はちゃんと歯磨きしてから来たか?」
戸田君と東雲君がいきなりぶつかる。ああもう、どいつもこいつも朝から喧嘩して楽しいのか。
「それより牛山、お前は昨日の放課後どこに行っていた?」
「放課後? 東雲君と一緒だったけど……」
「ああ、それはもちろん知っている。お前らはどこにいた、と聞いているんだ」
昨日の放課後は五階の資料室と中庭にあるゴミ置き場の倉庫くらいしか出入りしていない。
資料室で原稿用紙の修復を試みていたが、五枚全て直すには時間がかかりすぎて、いつの間にか完全下校時刻の数十分前になっていた。流石にこの時間まで私が残っていると更に容疑がかかってしまうからと言って、三人でどうにか二枚分だけ完成させて帰宅したのだ。
ちなみにゴミ置き場の臭いが付いた制服は、家に帰ってすぐ消臭スプレーを何度吹きかけても、ゴミ置き場の独特な異臭は残ってしまった。
朝から嫌な臭いが染みついた制服を着るのが憂鬱だったことを思い出すと、戸田君はポケットから自慢のスマートフォンの画面を見せつけてくる。映し出された動画は、昨日閉じ込められた倉庫が映し出されていた。扉の隙間から細い針金のようなもので、鍵代わりの丸落としが突かれて外れると、中から私と東雲君が出てきた。そしてその場で二人で何かを話し、可燃物のゴミ袋を持って画面から去るところまで映し出されていた。
「お前ら、倉庫で何をしていた? なぜゴミ袋を漁って持ち去った? この倉庫の鍵を外したのは牛山、お前か?」
真っ直ぐ私を見て戸田君が問う。すると隣にいた実咲が前に出た。
「ちょっと、何百人の生徒がいる中でツヅミを犯人扱いしすぎじゃない? 何を根拠にそんなこと言えるわけ?」
「盗まれた際の動画の件しかり、ピッキングができる人物が確定されている。状況証拠がそろっている以上、疑わない理由はないだろ」
「思い上がりもいい加減にして! 私はツヅミと中学の頃から一緒なの、この子は泥棒まがいなことは絶対にしない!」
「牛山を庇うか。別にいいが、お前のこれからの立場が危うくなるぞ。容姿端麗、成績優秀。他人が口々に言うお前への誉め言葉を、お前自身が知らないわけがない」
「私の評価なんてどうでもいいわ。理事長の息子だからって、個人的なことで権限使ってんじゃないわよ!」
「実咲、駄目!」
歯をギリッと噛んで、今にも殴りかかりそうな実咲の腕を掴んで抑える。同じ性別でも関わらず、実咲の力は強くて自分が飛ばされてしまうのではと錯覚してしまう。そういえば彼女は馬鹿力の持ち主だった。
「離して、さすがにこれは一発殴らないと気が済まない!」
「そんなことしたら実咲が悪者になる! そんなの絶対に嫌だ!」
「ツヅミ……っ!」
ただでさえ実咲は盗難騒ぎの被害者だ。そんな彼女まで犯人扱いする戸田君は到底許せないが、それ以上に彼女がこんな事に巻き込みたくないという気持ちの方が強かった。
「――――ははっ! なんだこれ!」
緊迫した空気の中、後ろから東雲君の笑い声が聞こえてきた。横目で見ると、彼の口元はとても楽しそうに緩んでいた。
「よく撮れてんじゃん。今度は……へぇ、中庭の木にでも括りつけたか。時間通りの撮影ができて良かったね、口臭が怪しい戸田クン」
「さっきからその虐め同然の呼び方はやめろ! ……ははーん。そうか、そうやって俺を挑発しながら言い訳を考えているんだな? 時間稼ぎも無駄だ。どうして二人がこんなところから出てくる? 人目に触れられては困ることでもしていたのか? さあ答えて見ろ! そのバカバカしい、笑ってしまうような言い訳を!」
「……ったく、最近の学生はギャーギャー騒がしいな」
「なに……?」
いや、東雲君も最近の学生でしょ。――とは、この状況で口には出せなかった。
「歯磨き忘れた戸田クン、アンタの得意な推理ってので教えてくれよ。なんで俺達がアンタと同じくらい臭い場所に二人で入っていったのか、アンタが謳う真実ってのを話してくれよ?」
「え?」
「正解を知っているから俺達に問いただしているんだろ? この倉庫で何していたと思う?」
東雲君は彼のスマートフォンの画面を指で突きながら問う。それに対し、戸田君は苦虫を潰した顔をして唇を噛んでいた。
「……う、牛山とお前は手を組んだんだ。でも誰かの財布から金目のものを盗るにはハードルが高くなっていしまい、仕方がなくゴミ袋から誰かを恐喝できるネタを探してたんじゃないのか?」
「おーおー。大きく外れている割にはおまけの三角がついてきたか。……アンタ、定期テストだったら赤点レベルな話をよく推理だと言えたな、ふざけてんの?」
「なっ……!」
「確かに俺達はある目的でゴミ置き場の倉庫に入って探していたよ。
「……そうだな、犯人を恐喝できるネタ探しってところだな。金銭目的じゃない。
「考えてみろよ、問題になっている盗難騒ぎの犯人が盗んだものはすべて現金だ。誰が好んで現金をゴミ箱に捨てる?
「捨てるほど札を持ってる奴がいるなら、一度拝んでみたいものだね。
「それとこの動画、倉庫から出てくるところはあっても俺達が入ってくるところは映っていないけど、どうしてこの中に俺と牛山がいるってアンタは断言できたのさ?
「実際に俺達が入っていくところを見ていたのなら、どうして倉庫の鍵がかけられた場面の動画がない? また誰から動画を貰ったのか?
「答えてみろよ、犯人が牛山だっていう理由がアンタにあって答えられるから、こうやって聞いてきたんだよな?
「……わからないとは言わせねぇぞ」
東雲君の質問攻めに戸田君の目が泳いだ。論破できる相手ではないことを察したのか、戸田君が顔を背けたその瞬間、東雲君は彼のワイシャツの胸倉を掴むと、近くの壁に力づくで押し付けた。鈍い音が廊下に響くと同時に、顔を歪める戸田君を東雲君は見下すと、嘲笑うように口元を緩めて彼の耳元で言った。
「推理とか真実とか、知ったかぶりの言葉を自慢げに並べて語ってんじゃねぇよ。めちゃくちゃカッコ悪いぜ、アンタ」
苛立ちを隠しきれない彼の声に、戸田君は放心状態でその場に立ち崩れた。近くにいた私はもちろん、今にも殴り掛かりそうな実咲も腕の力を弱め、戸田君の隣に立っていた桜井さんも、ただ唖然として彼らのやり取りを見ていた。
戸田君を見下ろしていた東雲君の表情は笑みを浮かべていたにも関わらず、後ろ姿ではとても怒っているように見えた。
「アンタも、もう茶番に付き合う必要ないだろ」
「え……」
東雲君はその表情のまま、桜井さんの方を向いて言う。先程と打って変わって優しい声だった。
「牛山ちゃん」
彼は振り向かず、私に言う。
「化けの皮剥がしに行くから、付き合ってよ」
東雲君は座り込んだままの戸田君が持っていたスマートフォンを拾い、横を通って歩き出す。廊下にいた生徒は皆、彼に道を開けるように両端に寄る。道の真ん中を堂々と行く東雲君の後を、恐る恐る追いかけた。