四
「――おいおい、聞いたか?
「二年C組の牛山っていう女子生徒が、盗難の犯人じゃないかって噂されている話。
「本人は否認しているけど、B組の戸田が証拠を掴んだって言って教師に突き出したんだと。
「そしたらさ、牛山を庇った奴が戸田に自分が一日で真犯人を暴くってC組の教室で堂々と宣言したんだよ! いやぁ……すげぇ緊迫感で圧倒されたよ。
「戸田って理事長の息子だろ? 絶対二人とも退学処分にされるよな……。停学とか、謹慎処分だったらまだいい方だろうけど……。
「え? 喧嘩を売った奴? C組の一番後ろの席でいっつも寝てる奴がいるだろ?
「そう、アイツ。起きているところなんて初めて見たぜ。もしかしたら声も初めて聴いたかも。
「そいつの名前は確か――」
「東雲君、どうやって捜すつもりなの?」
全ての授業が終わった放課後の教室は、ホームルームを終えた生徒達がやれ部活だやれ塾だ、どこで遊ぼうかなど、朝と比べてとても賑やかだった。
様々な会話が飛び交う中、教室の一番後ろの席で机に頬杖をついてボーッとしている東雲君の元へ行くと、開口一番に問う。
授業中はもちろん、放課後もほぼ寝ていて誰かが声をかけないと帰らない彼が、朝の戸田君に宣言してからずっと目を開けている。
授業中も窓の外を見ていてまともに先生の話を聞いてはいなかったものの、「起きているだけ嬉しい」と担任の猪野先生に泣かれると、小さく溜息を吐きながら困った顔をしていた。
私が声をかけると、東雲君は頬杖をついたまま目だけを動かした。
「おー……ウシワカちゃん」
「牛山だって。ふざけてる?」
「いやいや、俺がそんなバカに見える?」
見えるから聞いているんだよ。
……とは言えなかった。いちいち名前を訂正するのも疲れてきた。私は小さく溜め息を吐くと、東雲君は席から立ち上がった。
「それじゃ……牛山ちゃん、付き合ってよ」
「……は?」
「だから、アンタがいないと犯人見つけられないから、付き合って」
「……ああ、うん」
突然何を言い出すのかと思った。
少しだけ驚いた心臓を落ち着かせて、教室を出ていく東雲君の後を追う。
一歩教室の外へ出ると、廊下にいたほぼ全員が私に目を背け、わざとらしくひそひそと話し出した。
「お。アイツが噂の泥棒か……」
「今日はどこのクラスの奴を狙うのかな?」
「ちゃんと鍵を閉めておかなくちゃ」
「意味ないんじゃね? 開けられたら終わりだろ?」
「戸田の奴、今日も動画を撮るのかな?」
「…………」
校内は既に盗難騒ぎの噂で持ち切りだった。面白がっている人もいれば、本当に恐れている人もいる。例えそれが他人を傷つける言葉であっても、仕方がないことだってわかっている。
――わかっている、はずだった。
人って、小さな言葉一つでこんな簡単に傷つけられるものらしい。胸が痛い。早くこの場から離れたいと思いながらも、足は竦んで動こうとしない。
顔も上げるのも辛くなって俯くと、突然頭に何か乗せられた。重みで頭が上がらない。横目で見上げると、東雲君が左手で私の頭を押さえ、軽い力でグリグリと髪を掻きまわし始めた。
暫く放置していたが、流石にうざったくなってきたので強引に彼の手を掴んで頭から離す。
「――人の髪をぐしゃぐしゃにして楽しいか!」
「だって顔が不細工だったから」
「理由になってないし相変わらず失礼だよね! 元々こういう顔なの!」
「元気じゃん。その不細工な悲劇のヒロイン顔してても問題は解決しねぇぞ」
「別にヒロインなんて……!」
「言わせたい奴には言わせておけばいいんだよ。アンタは濡れ衣を証明することだけを考えて、前だけを向いていればいいんだって」
茶化すように笑って言うと、昇降口とは反対の方向に歩き出す。ぶっきらぼうな言い方だったが、彼なりの励ましだったのだろう。彼が歩き出した方向に足も動くようになっていた。
駆け寄って彼の隣に追いつくと、軽い愚痴を続けた。
「そもそも、盗まれるのが恐いなら学校に大金を持って来んなって話だろ。五千円や一万円なんて、学生にしては高価な金額だろ。クラス内とはいえ、ランダムで狙われているのがわかっているなら教師の言うことを聞かずに管理できなかった生徒が大問題。更に話を聞かないとわかって放置した教師はもっと問題! 特進科も普通科も、加えて教師も問題児ばっかりだな!」
授業中に寝ている問題児の東雲君は自分にも言っているのだろうか。どう聞いても自分の首を絞めているようにしか思えない。
「……そういえば、どうしてお札ばっかりなんだろう?」
私が小さく呟いた言葉に、東雲君は足を止めて振り返った。眉をひそめて首を傾げると、不思議そうに聞いてくる。
「お札だけって? なんで盗まれたのが札だけってわかるの?」
「わ、私は聞いただけだからね? それに小銭を盗まれたところでこんなに大事にはならないんじゃないかな?」
彼にそう言ったものの、私も実際にどこまで被害が出ているのか把握できていない。
教室中で聞こえてきた話をまとめると、被害に遭ったのはすべて二年生で、財布からお札の代わりに折り紙が入っていたことくらいだ。
私も東雲君も、まず情報収集から始めた方が良さそうだ。しかし、この状況で生徒にA、B組の生徒に話は聞きに行きづらい。彼らは犯人が私だと思っているし、戸田君に啖呵を切った東雲君も快く思われていないだろう。すると何か思い付いたのか、彼は一度止まって私に問う。
「アンタ、運動苦手?」
「いや別に、普通だけど……って、関係あるの?」
「ないけど。でも情報収集するのに最適の場所を思い付いた」
付いて来い、といって先を歩く。ニヤリと口許を緩めた彼はとても楽しそうだった。
東雲君が向かった先は非常階段だった。教室のある二階から延々と登っていき、何階かの踊り場でようやく彼の隣に並べると、彼は小さく笑って言う。
「おー頑張るじゃん」
「付いてこいって言ったのは東雲君でしょ……! ってか、なんで非常階段なの?」
「用があるのが五階だから」
この学校の校舎は五階建ての構造になっている。最上階である五階は、大きなプロジェクターがある視聴覚室と資料室が並ぶだけでほとんど使われておらず、生徒や教師や立ち入ることもない。
そして非常階段もあまり使われていないため、埃がうっすらと積もっていたりしている。学年別で掃除担当があるため定期的に掃除はされているものの、先生の目も届かないのでサボりがちな場所でもある。
「普段使っている階段でもよかったんじゃ……」
「こっちの方が近いんだよ。ほら、あと一階分だ。頑張れ」
心のこもっていない声援を投げながらさっさと上がっていく。もう少しくらい労わってくれたっていいのではないか。
「ねぇ、朝の動画のことなんだけどさ、どうして戸田君が撮ったものじゃないってわかったの?」
話をすれば少しくらい歩くスピードを緩めてくれるかもしれない。そう思って朝から疑問だったことを彼に問う。
彼はあの時、動画の静止画をじっと見ていただけで戸田君が撮ったものではないと判断した。それが本当なのか、戸田君の顔色を見れば明白だった。
「『細工するなら動画の中に時間と場所がわかるものを入れない方がいい』って、一体どこに入ってたの? 私も一通り見たけど、そんなのどこにも映ってなかったと思うんだけど……」
「……牛山ちゃんさ、動画の中心にいた女子生徒と南京錠しか見てなかったってことはない?」
階段の途中で足を止め、東雲君は振り返って呆れた顔をして言った。
「女子生徒以外はちゃんと見た?」
うろ覚えになっている動画を思い出す。
確かにあの時は【私に似た人物が鍵を開けている】場面を見ていたから、周りの景色にまで気を留めていなかったのかもしれない。
眉をひそめると、東雲君が小さく溜息を吐きながら教えてくれた。
「動画の女子生徒の顔、ちゃんと見れなかっただろ。あれはわざと窓の光を利用して、逆光で顔が見えないように計算していた。それに編集して顔以外の部分に加工を施せばある程度騙せる。
「……まあ、それはいいとして。
「俺が気になったのは影の伸び方だ。
「ウチの学年、AからD組まで一列に並んでるだろ? 窓際は西側にあって、中庭、柵を越えて校庭のグラウンド、それから少し離れたところに夏しか使われない、運が良ければ教室から見えるっていう屋外プール。
「二階ってことも含めて、C組は日の入り方が授業中の居眠りに最適な教室だ。明るすぎず、眩しすぎず。程よい太陽光が差し込んでくるのがいいよね。
「……話がずれたな。なんだっけ。
「ああ、そうそう。専門分野が中心のため、すぐに技術室や美術室に移動できると隔離された専門学科の五階建ての校舎――別館が、C、D組の教室と位置が被って影が教室内まで届くことは知ってるか? 丁度校舎が重なっているから、西に沈む太陽は、特にD組の教室には大きな影ができる。
「……ここで動画との矛盾が生じる。
「【五階建ての別館が影になっているあの教室に、どうやってあんなに夕焼けの日差しが入ったのか】ってことだ。不思議だろ?
「C組の教室を思い出して。天気の良い日は黒板に近い席の奴が眩しそうに比べて、俺が座っている後ろ側――つまり、D組側は眩しくない。俺があの席で爆睡できるのは、別館の影のおかげで丁度良い日差しの入り方をしているからだよ。
「……そう、影の伸び方。ロッカーの扉を開けたときの影の伸び方は、どう見ても昼間にはできないくらい伸び方をしていた。
「それらを踏まえると、動画の加工からしてオレンジ色の日差しは放課後以降に撮影されたもの、その時間帯に教室内を照らせるほど日差しが差し込む教室でしかできない。だから撮影されたのは、日当たりのよいAかB組の教室だ。
「……どっちかは知らねぇよ? だってD組の被害に遭った奴と同じ南京錠なんて、似たようなモン買ってくればいいだけの話だし。どの教室でも可能だっていう事実はわかった。
「ま、ぶっちゃけた話、誰もいない放課後にロッカーを開けても、中は教科書だけだろ。荷物なんて部活がある奴は部室に持って行ってるだろうし。教室にいちいち戻って帰る奴って早々いないんじゃね?
「まとめると、撮影された場所はD組の教室でもなく、動画に移っていたお札も財布も折り紙も、撮影の為だけに用意されたモンってことだ。わかった?」
動画の再生時間は三分程。彼はその短い時間で、そこまで深く読み込んだとでもいうのだろうか。あの小さな画面の中でそこまで見えてしまうその洞察力に圧倒されていると、彼は更に続けた。
「動画を撮影したのが別の奴だと聞いたのは、口臭が気になる年齢にはまだ早い戸田クンは『生徒が教室にいない授業中に撮影した』と言った。
「もし仮に撮影されたのがD組生徒が教室にいなくて、授業中に取り付けられたカメラだったとしたら、人の動きに感知してズームを自動でできるカメラを仕掛けたってことだろ。
「殺風景な教室にカメラが仕掛けられてたら、俺だったら別の学年の空き教室を狙うね。
「でもあの動画の女子生徒は、一度動画を撮られたにも関わらず、堂々とカメラのすぐ近くでピッキングしていた。流石に不用心すぎねぇ?」
「撮られた動画は手元がメインで上半身くらいまでしか映っていなかった。その高さからの撮影となると、監視カメラが隠せる場所はない。つまり、誰かが近くにいて撮影していたってことになる。
「撮影した動画は編集して、戸田に『決定的瞬間を撮ったけど言い出しにくい』とか言って渡したんだろうな。戸田君が顔に出やすいタイプでよかったぜ」
確かにおかしい話だ。
仮に二年生のすべての教室に監視カメラを設置したとして、戸田君一人でセットから編集までしているとは考えにくい。自動的にズームをするカメラなんて最近なら沢山あるだろうが、いくら理事長の息子で権限を持っているからといって、自己判断で監視カメラを設置するのはやりすぎな気がする。加えて東雲君の言う通り、女子生徒は一度ピッキングしている場面の動画を撮られている。警戒して周囲に目を配り、不審な動きをしてもおかしくはない。
「じゃあ、戸田君はその人物と共犯っていう線もあるんじゃ……」
「どうかな。表情に出やすい人間ほど、素直で馬鹿正直だったりするし。それをこれから探していけばいいんだよ」
東雲君は五階と書かれた扉を開ける。いつの間にか五階まで登りきっていたらしい。
開かれた扉の先には、他の階と同じように教室が並んでいるにも関わらず、ただ人気の少ない不気味な空気が流れていた。都市伝説のような開かずの間のようなものは存在しないため、七不思議や都市伝説の噂が出てきていないだけまだマシだろう。
非常階段への扉のすぐ近くにある『資料室』と掲げられたパネルのドアを軽くノックすると、間も空けずに扉を開いた。そこには壁一面にファイルや本がずらりと並んでおり、その前には古びた二人掛けソファーが二つ、更に教室で使用している机が三くっつける形で置かれていた。少し離れた窓際の机には、プリントや新聞紙が散乱している。
教室のひとつを改造して何でも相談室にしたり、本棚を裏返して出てきたボタンを押すと秘密の地下通路への道があるといった非現実的な仕様ではなさそうだが、小さいながらに物語に出てくる秘密基地のように思えた。
異様な光景に唖然としていると、東雲君は扉を閉めて自分はソファーに倒れ込んだ。勢いが良かったのか、ソファーから軋む音がする。
「多分そろそろ先輩がくるから牛山ちゃんも座って待ってなよ」
……とてもくつろいでいらっしゃる。
私は躊躇いながら近くにあった椅子に座った。
慣れない空間に落ち着かず、挙動不審に周りを見渡していると、作業台の上に散乱しているものが大会で活躍した部活動のスナップ記事だと気付いた。他にも歴代の卒業写真やアルバムの他に部活等で賞を取ったときの新聞の切り抜きをファイリングして保管しているようだった。
「ねぇ、ここは何をするところなの? それに先輩って、東雲君には他の学年の人に知り合いがいたの?」
「随分失礼極まりない質問の連続だな」
東雲君に言われたくはない。
「ここは歴代生徒会長が管理している資料室。校内の出来事を一年かけて紙に保存していく作業場ってところか。生徒会には他の生徒の出入りがあるし、他にも荷物があるからっていう理由でこの部屋が作られた。……らしい」
「らしいって、知らないの?」
「俺が知ってるわけないだろ。ま、こんな最上階まで来て、薄暗くボロボロの教室に好んで入ってくる奴はいねぇよ。そもそも五階に資料室があること自体、知っている生徒の方がいないんじゃねぇの。それでも気になるなら発案者に聞け」
「その発案者は?」
「知るか。……そこファイル取って。三十八って書いてあるやつ」
怠そうに答えながらも、彼は指をさして私の後ろにある本棚のファイルの背表紙を指差す。『校内事変、三十八』と書かれたまだ新しいファイルを取って渡すと、彼はソファーに寝そべった状態でパラパラとページをめくった。
横から覗き込むと、そこには今回の盗難騒ぎに関する情報が事細かに書かれていた。事件が発生した日、無くなったもの、被害に遭った生徒の名前。容疑者として名前が挙がっている私の名前もしっかり書き込まれている。
「約一ヵ月で二クラスの被害、か。随分手の込んだ窃盗犯だな。面倒臭い仕掛けのおかげでアンタが犯人じゃないことを明確にしてくれている」
「さっきから失礼ね!」
「喜べよ。濡れ衣だってことを証明出来る第一歩だ。……それにしても、わっかんねぇな」
ソファーから上半身を起こし、ページを捲りながらぼやく。
「この騒ぎの目的が金目当てに思えないんだよ。それが目的だったら、わざわざ折り紙を財布に入れて盗んだ犯人がいることを主張する必要がない。
「大体、財布の中身を朝と放課後で違うことを正確に覚えている奴なんて何人いる?
「大金だったらわかるけど、別に五枚の千円札のうち一枚消えていたとしても、それがうろ覚えな記憶だったら無くなっていることに気付けるか?
「……わからないって顔をしているね。えーっと……。
「要は、【盗まれたという証拠が曖昧】だってこと。
「もし盗まれていなかったとしたら、最初に盗まれたと言い出した五人が怪しい。または五人は本当に盗まれていて、誰かが面白がって模倣犯が続いたのかもしれない。
「……となると、被害者だと言っているA、B組の生徒も含めた全校生徒が犯人の可能性が出てくる。
「そもそもなぜ牛山ちゃんに濡れ衣を着せようとしているんだ? 彼女に絞った理由は? 仮に恨みだったとしても、もっと物的証拠を残してもいいと思うんだよな……。
「お札と折り紙を取り替える理由も謎だ。レシートまみれの財布の中から一枚抜いたところで気付く奴なんて何人いる? 盗まれたと気付かせるために、わざわざ折り紙を入れたことに何の意味があるのか?
「それにロッカーの鍵はどうやって開けた? やっぱり犯人はピッキングが出来る人物? 動画は放課後に別で撮影したとして、いつ誰がD組の教室に忍び込んでロッカーを開けた?
「……仮に共犯がいたとして、結局黒幕は誰だ?」
ブツブツと呟いて疑問点を挙げていく。声がだんだん小さくなっていくと、私は途中から何を言っているのか聞き取れなくなった。
それ以前に、私はこの状況を未だに呑み込めていないのだ。
情報収集に最適な場所と言われてこの資料室に連れてこられて、まるで自分の家のようにくつろぎだした彼に戸惑いを隠せない。
加えて彼が独り言とはいえ、こんなに喋る人だと思っていなかったのも事実だ。いつも教室では寝ているばかりで、珍しく起きたかと思えば口が悪くて、教師から問題児扱いされてもどこか納得してしまう。
偏見で判断するのは良くないといわれるが、実際に難しい判断だなと考えていると、彼はムッとした顔で私を見ていた。
「今、俺を不良とか変人とか思っただろ?」
「えっ……そ、そんなことないよ! 思っていた以上に真面目だったんだなって関心したというか、まぁ少しだけ不良っぽいなーとは思ってたよ?」
「全然隠す気ねぇじゃん。別にいい。真面目なんて言われたことないけど、逆に牛山ちゃんは真面目そうに見えて実はやんちゃだよな」
「……ちょっとどういう意味?」
「そのまんまの意味。……あ、来たかな」
東雲君がファイルに目を戻したところで教室のドアが開く。
入ってきた顔の整った男子生徒は、学年の垣根を越えた交流をしていない私でもよく知る人物だった。
「なんだ祥吾、来てたのか……って誰だコイツ?」
「裕司先輩、遅ぇ。また補習の告知でも受けてたの?」
「ちげぇよ! ホームルームが長引いただけだ。つか、部外者は入れるなって言っただろ?」
「俺も部外者なのに入れてくれたじゃん」
「お前は例外中の例外だ! この部屋に無関係の奴を入れたのがバレたら、先代の生徒会長に怒られるの俺なんだからな!」
「そんなの裕司先輩のせいじゃん。それに牛山ちゃんはセーフだよ。セーフ。迷える子羊みたいなモンだろ? あ、牛か?」
「うしやま……?」
先輩と呼ばれた彼はそう言って苦い顔をしながら私の方を見た。
私は私で「ショウゴって誰だっけ」と首を傾げていた為、しかめっ面の顔で先輩と対面することになった。すると先輩は何か納得したかのように頷き、丁寧に扉を閉めて散らかった窓際の作業台に向かいながら言った。
「なるほど、二年C組の牛山鼓か」
「えっ……私の名前、知ってるんですか?」
「生徒会長の俺に不可能はない!」
「ダサい」
「おいコラ聞こえてんぞ!」
自信満々の顔で答えるが、東雲君にひと蹴りされてしまった。
三年D組の巳波裕司先輩。整ったルックスと明るい人望で、二年生の時に生徒会の執行部に入って副生徒会長を勤め、生徒会選挙で多くの支持により生徒会長になった校内の有名人だ。ただ、留年スレスレだったという噂は本当らしく、卒業も怪しいという話も出てきている。
人望が厚い話は良く聞く話であったが、まさか東雲君とまで繋がりがあったとは思わなかった。
「連れてくるなら事前に……って、お前はスマートフォンを持ってなかったな」
「電話できなくてもなんとかなるっしょ」
「……ったく、資料はそこにあるから、勝手に漁れ。……もう漁ってるか。言っておくが、まだ未完成だからな。破いたり持ち出しするのは禁止だぞ」
私を連れてきた理由も聞かずに了承するなんて。呆気に取られていると、巳波先輩は笑って答えた。
「祥吾が理事長の息子に宣戦布告した話は校内に広まっているからな。それに俺も、犯人は他にいると思っている。奴は利用されているだけだろう」
「奴って、戸田君が?」
「あのお坊っちゃん気質は親の七光りも同然だ。権限も多少握っていて教師が横入りできない、探偵役には持ってこいだろ。それに本人が権力を振り回している節があるのは、入学当初から懸念されていたのは事実。だから学校側は多少のことは見なかったフリをしているっていう噂もあるくらいだ」
「え……本当だったんだ、その噂」
「あんなの嘘に見えたら随分お気楽な考えの持ち主だぞ、お前」
噂は噂でしかない。人は等しく人である以上、鋭い牙を持った化け物を相手にするような命の危険はあり得ない。そんな曖昧な考えがこんなところで甘えになるとは考えもしなかったのだ。
「それに盗難騒ぎだって他人事として思ってた。自分は盗まれない、大丈夫だって。でもまさか疑われる側にまわるとは思わなくて」
「……ま、それが普通の反応だよな」
東雲君はソファーから起き上がり、ファイルの次のページを捲りながら私に言う。
「確実なアリバイの証明もできず、怒りに任せて理事長の息子にビンタ。もう十分犯人扱いされてもおかしくないだろうなー」
「ああ、それも校内に広まっているぞ。女子のくせに過激な奴だって」
苦い笑みを浮かべる巳波先輩。一歩引かれているのがわかる。
ああ、叩くのを我慢できなかったあの時の私を蹴り飛ばしたい。
「まあ……その、お前の心境もわからなくはないが、流石に暴力はダメだぞ。八つ当たりならそこのクッションにしていいから」
巳波先輩がそう言ってソファー横に置かれている水色のフカフカのクッションを指さすと、東雲君が投げて渡してくれた。
肌触りの良いクッションをソファーに置いて、私は思いっきり右手で作った拳を撃ちつける。
あ、穴が空いた。
「…………」
クッションを持ち上げると空いた穴から綿が出てくる。それを見て先輩が悲しそうな顔をして見つめていた。
「……えっと」
「……ま、まあいい。クッションなんていつでも買えるからな!」
買うのか。
クッションを大事そうに抱える先輩に、東雲君は笑いを堪えながら励ます。
「それ、この間買ったばかりだったのに……っ先輩、ドンマイ」
「……どいつもこいつも、クッションクラッシャーか! しかも前のクッションはお前が破いたんだろうが! 寝相の悪さはいい加減直せよ!」
「寝相って直るモンなの?」
「知るか! 自分で調べろ!」
若干涙目で訴える先輩に対し、東雲君はとても楽しそうに笑う。遊んでいる、といった方がいいかもしれない。とにかくこんなに楽しそうに誰かと話している東雲君は教室では見られない。
「そんなことより情報くれよ、裕司先輩。あれから進展くらいあっただろ」
「あっさりスルーするなよ! つか、さっきからそのファイル見てるならもう貰ったも同然だろ!」
「俺が知りたいこと書いてない方が悪い。先輩、他にねぇの? 例えば……盗まれたものとか」
東雲君はここに来る前に盗まれたものを気にしていた。先輩は小さく溜め息をついてから、破れたクッションの穴をなぞりながら教えてくれた。
「今のところ、盗まれたものは全て現金だ。被害にあった生徒に聞くと千円だの五千円だの札ばかり。
「……ただ、朝からその額がしっかり入っていたかは曖昧なんだと。
「生徒がなんで盗まれたって思ったかって?
「盗まれたお札と差し替えるように、折り紙が入ってたんだよ。見せてもらったけど、なんも変哲もない、そこら辺に売っているただの折り紙だった。
「ファイルに貼っている折り紙は、実際に使われたものと同じメーカーの折り紙だ。どこにでも売っている、安くて子供だましな和柄の折り紙だ。
「和柄でまとめているのが気になるが……きっと犯人の手元にはこれしかなかったんだろう。ちなみに学校の備品ではないことは生徒会の管理表で確認済みだ。
「あと、ロッカーを施錠していた南京錠とダイヤル錠も確認してきた。
「……そもそも、今朝の出来事の説明をしろと? お前、知らずに啖呵切ったのか。
「一日で情報を整理してファイリングできるとか思うなよ? しょうがねぇな。
「昨日の被害者である二年D組の女子生徒は、学校終わりに立ち寄るピアノ教室に提出する月謝一万二千円を持ってきていた。厳重に鍵をかけておけば盗まれることはないだろうと踏んでいたらしいが、
月謝を渡そうと袋から出したところ一万円しか入っておらず、代わりに折り紙が入っていたそうだ。
「女子生徒は自分の財布に常に入れていた二千円を使って月謝を払うことができたが、折り紙が入っていた事実を学校に伝えたことから、盗難騒ぎの延長線上ではないかと学校側が判断。恐らく今までと同じ人物によるものと教師陣は考えている」
巳波先輩が淡々と説明をしてくれるが、様々な情報が交差しすぎて、頭の中で整理が間に合わない。そんな様子を見かねた東雲君は、私に先程のファイルを差し出した。
「裕司先輩の話は被害に遭った生徒に直接聞いているから、ある程度信頼してもいい。ファイルに書かれた内容のほとんどが被害者に直接聞いた話でもある。嘘は書かれてねぇよ」
「……先輩、なんか雑誌の編集者みたいですね」
「そうなんだよ……生徒会長も大変だぜ」
やれやれ、とどこか嬉しそうな笑みを浮かべて溜め息をつく。この学校の生徒会長が異色なだけだと思うのは私だけだろうか。確かに渡されたファイルに事細かに書かれた内容は、被害に遭わなければ書けないものばかりだった。
「ま、被害者の話が嘘だったら全部おじゃんになるけど、その点は安心してくれ。俺は人望が厚いからな! その人望のおかげで今回、特別に女子生徒から南京錠を借りることができた。ダイヤル錠は今ロッカーで鍵を掛けているから、こっちだけな。俺が見てもわからないだろうが、祥吾なら何か気付かと思ってさ」
先輩はポケットから小さな透明ビニール袋に入った南京錠を東雲君に渡す。
私も近くまで寄って南京錠をじっと見つめた。どこにでも売っていそうはこの錠前は、自分のものとわかるように可愛らしいオレンジの花が描かれたシールが貼ってあるだけで、特に変わったところは見当たらない。
しかし東雲君の目線は南京錠ではなく、私に差し出したファイルに向けられていた。
「裕司先輩、一万二千円ってことは一万円札が一枚と、千円札が二枚あったんだよな?」
「……ってことになるな」
「変だな……。今まで犯人が狙っていたのは、その生徒の【財布に入っている最大の金額】のはずだ。なぜ折り紙が入っているのかは現時点で不明だけど、今まで最大金額を盗んできた奴が、今回はD組の被害者の最大金額である一万円を盗まなかった。これって今までの傾向と変わってるんじゃね?」
最大の金額――それが本当なら、今回盗まれたものが千円札の二枚なのは引っかかる。
何らかの理由で盗む金額を変えたのか、それとも模倣犯が出てきたのか。……何にせよ、これまでの騒ぎと異なる点はヒントになるかもしれない。
「ジュースでも飲みたかったんじゃないのか? 自販機って一万円札が入らないし、小銭にしてしまえば千円札自体は手元から消えるんだから」
「それは犯人が自販機に売っているジュースがどうしても飲みたいがためだけに、二つも鍵をかけて厳重な防犯対策をしていたロッカーを、わざわざ手間隙かけて開けたって言いたいの? 一体、何の為に?」
「それはー……ほら、あれだよ。スリルが欲しかったんだよ!」
「却下。校内に盗難の話が広まって捕まる確率が高くなっている時点でこんなスリルを誰が求めてるんだよ? プロの泥棒だったらまだ妥協案として考えてもいいけど、さすがにそれはない。推理小説の読みすぎじゃねぇ?」
「少しくらいロマンがあったっていいじゃないか!」
二人でわいわいと――主に先輩が――スリルだのロマンだの言っているが、私の今後の学校生活がかかっていることを忘れないでほしい。
東雲君の手からそっと南京錠が入っているビニール袋を抜き取り、袋越しから眺める。やはり普通のどこにでも売っている錠前だ。ダイヤル錠に関して言えば、解除する番号の検討は大体つくが、鍵が必要な南京錠はどうやって開けたのだろう。
「……あれ?」
南京錠のある部分に目が止まった。私の声に気づいたのか、二人が顔をこちらへ向ける。
「牛山、どうした?」
「え、あ……いや、大したことじゃないんですけど……南京錠の鍵穴が、ピッキングされた割には綺麗だなって思って」
大抵ピッキングにあった錠前の鍵穴には、針金で引っ掻いたような痕が残る。日常で傷が付くこともあるが、この南京錠にはほとんど傷がないので最近買ったものだろう。持ち主が一日に何度も鍵を使って開けていたとしても、鍵穴には新しい傷が見当たらない。錠前の中にあるシリンダーを分解すればピッキングされたか調べれられるが、なんせここには分解する器具も判断できるプロもいない。
私は髪に隠すようにつけていたヘアピンを一本取り出し、L字に折り曲げて袋から出した南京錠の鍵穴に差す。
「お、おい、何をしてんだ?」
先輩は少し焦った表情で私を見る。
「……この南京錠、ピッキングされてないと思います」
私の感覚が正しければ、この錠前は今私の手によってピッキングされている。ヘアピンを差し込んだこの感覚は、初めて見つけた鍵穴に差し込んだ時とよく似ていた。
「い、いやいやいやいや。牛山、どうしてわかるんだよ?」
「う、上手く言えませんけど、ピッキングをしたら多少なりと鍵穴の近くに引っ掻いた痕が残ります。これにはそれがないし、差し込んだ時の感覚がこう……つっかかると言いますか」
「そんなの感覚でわかるのか?」
「ぐ、偶然そういう場面に一度遭遇したことがあるんですよ! 最近大型のイベントで脱出ゲームがあるじゃないですか、そういうのによく参加してて……」
「お、おう……」
作り笑いをして誤魔化すと、先輩は府に落ちない顔をしながらもそれ以上は聞いてこなかった。私は表情に出やすいのだろうか、東雲君が隠れて鼻で嗤っていた。私の座っている席からなら丸見えだからな。
「じゃあ……牛山の感覚を信じるとして、ピッキングの痕がないってことは、本人の鍵を拝借したか、犯人が合鍵を作って開けたってことになるのか? 前回ロッカーに南京錠をかけていた男子生徒はともかく、今回の女子生徒はダイヤル錠も南京錠もしてたんだぞ? しかも祥吾の【生徒の財布のの中に入っていた最大の金額】っていう犯人の特徴はどこにいった? ピッキングの時間をかけて二千円しか持っていかなかったのは割に合わないだろうし、型取りをして合鍵を作ったとしても、金の無駄だろ?」
「それは……私も思いました」
合鍵を業者に依頼しても、安くて五百円はする。わざわざ一度しか開けない南京錠の為にそこまでするだろうか。加えて犯人が合鍵を作ったとしたら、一体どのタイミングで型取りをしたのだろう。
「先輩、南京錠の鍵は本人が持っていたんですよね?」
「ああ。……そういえば、南京錠は預かっても鍵は見てなかったな。ちょっと行ってくるか」
先輩はそう言って、大切そうに抱えていたクッションを散らかった作業台の上に置くと、私から南京錠の入った袋を取ることなく、出入り口に向かう。
そのまま出て行くのかと思えば、ドアを開ける前にこちらを振り返って不思議そうな顔をした。
「何してんだよ? 一緒に行くぞ」
「行くって……どこに?」
「この南京錠の持ち主は陸上部のマネージャーで、部活に出ているんだよ。牛山が一緒に来れば借りなくても見るだけで型取りされたかわかるだろ?」
「……はい?」
いやちょっと待って。私は一言もピッキングを見破れますなんて言ってない。
すると東雲君もソファーから立ち上がると、私の肩を軽く叩く。
「さっさと行くぞ」
「お。祥吾も行くか?」
「興味本位で」
「よし。それじゃ、皆で聞き込みしてくるか!」
満面の笑みを浮かべて廊下に出る先輩。東雲君がこそっと耳元で教えてくれた。
「裕司先輩、ああ見えて寂しがり屋なんだよ。付き合ってやらねぇと拗ねるから」
ああ、嫌な予感しかしない。
南京錠の入った袋を持って、重い腰を上げた。
「――おいおい、聞いたか?
「二年C組の牛山っていう女子生徒が、盗難の犯人じゃないかって噂されている話。
「本人は否認しているけど、B組の戸田が証拠を掴んだって言って教師に突き出したんだと。
「そしたらさ、牛山を庇った奴が戸田に自分が一日で真犯人を暴くってC組の教室で堂々と宣言したんだよ! いやぁ……すげぇ緊迫感で圧倒されたよ。
「戸田って理事長の息子だろ? 絶対二人とも退学処分にされるよな……。停学とか、謹慎処分だったらまだいい方だろうけど……。
「え? 喧嘩を売った奴? C組の一番後ろの席でいっつも寝てる奴がいるだろ?
「そう、アイツ。起きているところなんて初めて見たぜ。もしかしたら声も初めて聴いたかも。
「そいつの名前は確か――」
「東雲君、どうやって捜すつもりなの?」
全ての授業が終わった放課後の教室は、ホームルームを終えた生徒達がやれ部活だやれ塾だ、どこで遊ぼうかなど、朝と比べてとても賑やかだった。
様々な会話が飛び交う中、教室の一番後ろの席で机に頬杖をついてボーッとしている東雲君の元へ行くと、開口一番に問う。
授業中はもちろん、放課後もほぼ寝ていて誰かが声をかけないと帰らない彼が、朝の戸田君に宣言してからずっと目を開けている。
授業中も窓の外を見ていてまともに先生の話を聞いてはいなかったものの、「起きているだけ嬉しい」と担任の猪野先生に泣かれると、小さく溜息を吐きながら困った顔をしていた。
私が声をかけると、東雲君は頬杖をついたまま目だけを動かした。
「おー……ウシワカちゃん」
「牛山だって。ふざけてる?」
「いやいや、俺がそんなバカに見える?」
見えるから聞いているんだよ。
……とは言えなかった。いちいち名前を訂正するのも疲れてきた。私は小さく溜め息を吐くと、東雲君は席から立ち上がった。
「それじゃ……牛山ちゃん、付き合ってよ」
「……は?」
「だから、アンタがいないと犯人見つけられないから、付き合って」
「……ああ、うん」
突然何を言い出すのかと思った。
少しだけ驚いた心臓を落ち着かせて、教室を出ていく東雲君の後を追う。
一歩教室の外へ出ると、廊下にいたほぼ全員が私に目を背け、わざとらしくひそひそと話し出した。
「お。アイツが噂の泥棒か……」
「今日はどこのクラスの奴を狙うのかな?」
「ちゃんと鍵を閉めておかなくちゃ」
「意味ないんじゃね? 開けられたら終わりだろ?」
「戸田の奴、今日も動画を撮るのかな?」
「…………」
校内は既に盗難騒ぎの噂で持ち切りだった。面白がっている人もいれば、本当に恐れている人もいる。例えそれが他人を傷つける言葉であっても、仕方がないことだってわかっている。
――わかっている、はずだった。
人って、小さな言葉一つでこんな簡単に傷つけられるものらしい。胸が痛い。早くこの場から離れたいと思いながらも、足は竦んで動こうとしない。
顔も上げるのも辛くなって俯くと、突然頭に何か乗せられた。重みで頭が上がらない。横目で見上げると、東雲君が左手で私の頭を押さえ、軽い力でグリグリと髪を掻きまわし始めた。
暫く放置していたが、流石にうざったくなってきたので強引に彼の手を掴んで頭から離す。
「――人の髪をぐしゃぐしゃにして楽しいか!」
「だって顔が不細工だったから」
「理由になってないし相変わらず失礼だよね! 元々こういう顔なの!」
「元気じゃん。その不細工な悲劇のヒロイン顔してても問題は解決しねぇぞ」
「別にヒロインなんて……!」
「言わせたい奴には言わせておけばいいんだよ。アンタは濡れ衣を証明することだけを考えて、前だけを向いていればいいんだって」
茶化すように笑って言うと、昇降口とは反対の方向に歩き出す。ぶっきらぼうな言い方だったが、彼なりの励ましだったのだろう。彼が歩き出した方向に足も動くようになっていた。
駆け寄って彼の隣に追いつくと、軽い愚痴を続けた。
「そもそも、盗まれるのが恐いなら学校に大金を持って来んなって話だろ。五千円や一万円なんて、学生にしては高価な金額だろ。クラス内とはいえ、ランダムで狙われているのがわかっているなら教師の言うことを聞かずに管理できなかった生徒が大問題。更に話を聞かないとわかって放置した教師はもっと問題! 特進科も普通科も、加えて教師も問題児ばっかりだな!」
授業中に寝ている問題児の東雲君は自分にも言っているのだろうか。どう聞いても自分の首を絞めているようにしか思えない。
「……そういえば、どうしてお札ばっかりなんだろう?」
私が小さく呟いた言葉に、東雲君は足を止めて振り返った。眉をひそめて首を傾げると、不思議そうに聞いてくる。
「お札だけって? なんで盗まれたのが札だけってわかるの?」
「わ、私は聞いただけだからね? それに小銭を盗まれたところでこんなに大事にはならないんじゃないかな?」
彼にそう言ったものの、私も実際にどこまで被害が出ているのか把握できていない。
教室中で聞こえてきた話をまとめると、被害に遭ったのはすべて二年生で、財布からお札の代わりに折り紙が入っていたことくらいだ。
私も東雲君も、まず情報収集から始めた方が良さそうだ。しかし、この状況で生徒にA、B組の生徒に話は聞きに行きづらい。彼らは犯人が私だと思っているし、戸田君に啖呵を切った東雲君も快く思われていないだろう。すると何か思い付いたのか、彼は一度止まって私に問う。
「アンタ、運動苦手?」
「いや別に、普通だけど……って、関係あるの?」
「ないけど。でも情報収集するのに最適の場所を思い付いた」
付いて来い、といって先を歩く。ニヤリと口許を緩めた彼はとても楽しそうだった。
東雲君が向かった先は非常階段だった。教室のある二階から延々と登っていき、何階かの踊り場でようやく彼の隣に並べると、彼は小さく笑って言う。
「おー頑張るじゃん」
「付いてこいって言ったのは東雲君でしょ……! ってか、なんで非常階段なの?」
「用があるのが五階だから」
この学校の校舎は五階建ての構造になっている。最上階である五階は、大きなプロジェクターがある視聴覚室と資料室が並ぶだけでほとんど使われておらず、生徒や教師や立ち入ることもない。
そして非常階段もあまり使われていないため、埃がうっすらと積もっていたりしている。学年別で掃除担当があるため定期的に掃除はされているものの、先生の目も届かないのでサボりがちな場所でもある。
「普段使っている階段でもよかったんじゃ……」
「こっちの方が近いんだよ。ほら、あと一階分だ。頑張れ」
心のこもっていない声援を投げながらさっさと上がっていく。もう少しくらい労わってくれたっていいのではないか。
「ねぇ、朝の動画のことなんだけどさ、どうして戸田君が撮ったものじゃないってわかったの?」
話をすれば少しくらい歩くスピードを緩めてくれるかもしれない。そう思って朝から疑問だったことを彼に問う。
彼はあの時、動画の静止画をじっと見ていただけで戸田君が撮ったものではないと判断した。それが本当なのか、戸田君の顔色を見れば明白だった。
「『細工するなら動画の中に時間と場所がわかるものを入れない方がいい』って、一体どこに入ってたの? 私も一通り見たけど、そんなのどこにも映ってなかったと思うんだけど……」
「……牛山ちゃんさ、動画の中心にいた女子生徒と南京錠しか見てなかったってことはない?」
階段の途中で足を止め、東雲君は振り返って呆れた顔をして言った。
「女子生徒以外はちゃんと見た?」
うろ覚えになっている動画を思い出す。
確かにあの時は【私に似た人物が鍵を開けている】場面を見ていたから、周りの景色にまで気を留めていなかったのかもしれない。
眉をひそめると、東雲君が小さく溜息を吐きながら教えてくれた。
「動画の女子生徒の顔、ちゃんと見れなかっただろ。あれはわざと窓の光を利用して、逆光で顔が見えないように計算していた。それに編集して顔以外の部分に加工を施せばある程度騙せる。
「……まあ、それはいいとして。
「俺が気になったのは影の伸び方だ。
「ウチの学年、AからD組まで一列に並んでるだろ? 窓際は西側にあって、中庭、柵を越えて校庭のグラウンド、それから少し離れたところに夏しか使われない、運が良ければ教室から見えるっていう屋外プール。
「二階ってことも含めて、C組は日の入り方が授業中の居眠りに最適な教室だ。明るすぎず、眩しすぎず。程よい太陽光が差し込んでくるのがいいよね。
「……話がずれたな。なんだっけ。
「ああ、そうそう。専門分野が中心のため、すぐに技術室や美術室に移動できると隔離された専門学科の五階建ての校舎――別館が、C、D組の教室と位置が被って影が教室内まで届くことは知ってるか? 丁度校舎が重なっているから、西に沈む太陽は、特にD組の教室には大きな影ができる。
「……ここで動画との矛盾が生じる。
「【五階建ての別館が影になっているあの教室に、どうやってあんなに夕焼けの日差しが入ったのか】ってことだ。不思議だろ?
「C組の教室を思い出して。天気の良い日は黒板に近い席の奴が眩しそうに比べて、俺が座っている後ろ側――つまり、D組側は眩しくない。俺があの席で爆睡できるのは、別館の影のおかげで丁度良い日差しの入り方をしているからだよ。
「……そう、影の伸び方。ロッカーの扉を開けたときの影の伸び方は、どう見ても昼間にはできないくらい伸び方をしていた。
「それらを踏まえると、動画の加工からしてオレンジ色の日差しは放課後以降に撮影されたもの、その時間帯に教室内を照らせるほど日差しが差し込む教室でしかできない。だから撮影されたのは、日当たりのよいAかB組の教室だ。
「……どっちかは知らねぇよ? だってD組の被害に遭った奴と同じ南京錠なんて、似たようなモン買ってくればいいだけの話だし。どの教室でも可能だっていう事実はわかった。
「ま、ぶっちゃけた話、誰もいない放課後にロッカーを開けても、中は教科書だけだろ。荷物なんて部活がある奴は部室に持って行ってるだろうし。教室にいちいち戻って帰る奴って早々いないんじゃね?
「まとめると、撮影された場所はD組の教室でもなく、動画に移っていたお札も財布も折り紙も、撮影の為だけに用意されたモンってことだ。わかった?」
動画の再生時間は三分程。彼はその短い時間で、そこまで深く読み込んだとでもいうのだろうか。あの小さな画面の中でそこまで見えてしまうその洞察力に圧倒されていると、彼は更に続けた。
「動画を撮影したのが別の奴だと聞いたのは、口臭が気になる年齢にはまだ早い戸田クンは『生徒が教室にいない授業中に撮影した』と言った。
「もし仮に撮影されたのがD組生徒が教室にいなくて、授業中に取り付けられたカメラだったとしたら、人の動きに感知してズームを自動でできるカメラを仕掛けたってことだろ。
「殺風景な教室にカメラが仕掛けられてたら、俺だったら別の学年の空き教室を狙うね。
「でもあの動画の女子生徒は、一度動画を撮られたにも関わらず、堂々とカメラのすぐ近くでピッキングしていた。流石に不用心すぎねぇ?」
「撮られた動画は手元がメインで上半身くらいまでしか映っていなかった。その高さからの撮影となると、監視カメラが隠せる場所はない。つまり、誰かが近くにいて撮影していたってことになる。
「撮影した動画は編集して、戸田に『決定的瞬間を撮ったけど言い出しにくい』とか言って渡したんだろうな。戸田君が顔に出やすいタイプでよかったぜ」
確かにおかしい話だ。
仮に二年生のすべての教室に監視カメラを設置したとして、戸田君一人でセットから編集までしているとは考えにくい。自動的にズームをするカメラなんて最近なら沢山あるだろうが、いくら理事長の息子で権限を持っているからといって、自己判断で監視カメラを設置するのはやりすぎな気がする。加えて東雲君の言う通り、女子生徒は一度ピッキングしている場面の動画を撮られている。警戒して周囲に目を配り、不審な動きをしてもおかしくはない。
「じゃあ、戸田君はその人物と共犯っていう線もあるんじゃ……」
「どうかな。表情に出やすい人間ほど、素直で馬鹿正直だったりするし。それをこれから探していけばいいんだよ」
東雲君は五階と書かれた扉を開ける。いつの間にか五階まで登りきっていたらしい。
開かれた扉の先には、他の階と同じように教室が並んでいるにも関わらず、ただ人気の少ない不気味な空気が流れていた。都市伝説のような開かずの間のようなものは存在しないため、七不思議や都市伝説の噂が出てきていないだけまだマシだろう。
非常階段への扉のすぐ近くにある『資料室』と掲げられたパネルのドアを軽くノックすると、間も空けずに扉を開いた。そこには壁一面にファイルや本がずらりと並んでおり、その前には古びた二人掛けソファーが二つ、更に教室で使用している机が三くっつける形で置かれていた。少し離れた窓際の机には、プリントや新聞紙が散乱している。
教室のひとつを改造して何でも相談室にしたり、本棚を裏返して出てきたボタンを押すと秘密の地下通路への道があるといった非現実的な仕様ではなさそうだが、小さいながらに物語に出てくる秘密基地のように思えた。
異様な光景に唖然としていると、東雲君は扉を閉めて自分はソファーに倒れ込んだ。勢いが良かったのか、ソファーから軋む音がする。
「多分そろそろ先輩がくるから牛山ちゃんも座って待ってなよ」
……とてもくつろいでいらっしゃる。
私は躊躇いながら近くにあった椅子に座った。
慣れない空間に落ち着かず、挙動不審に周りを見渡していると、作業台の上に散乱しているものが大会で活躍した部活動のスナップ記事だと気付いた。他にも歴代の卒業写真やアルバムの他に部活等で賞を取ったときの新聞の切り抜きをファイリングして保管しているようだった。
「ねぇ、ここは何をするところなの? それに先輩って、東雲君には他の学年の人に知り合いがいたの?」
「随分失礼極まりない質問の連続だな」
東雲君に言われたくはない。
「ここは歴代生徒会長が管理している資料室。校内の出来事を一年かけて紙に保存していく作業場ってところか。生徒会には他の生徒の出入りがあるし、他にも荷物があるからっていう理由でこの部屋が作られた。……らしい」
「らしいって、知らないの?」
「俺が知ってるわけないだろ。ま、こんな最上階まで来て、薄暗くボロボロの教室に好んで入ってくる奴はいねぇよ。そもそも五階に資料室があること自体、知っている生徒の方がいないんじゃねぇの。それでも気になるなら発案者に聞け」
「その発案者は?」
「知るか。……そこファイル取って。三十八って書いてあるやつ」
怠そうに答えながらも、彼は指をさして私の後ろにある本棚のファイルの背表紙を指差す。『校内事変、三十八』と書かれたまだ新しいファイルを取って渡すと、彼はソファーに寝そべった状態でパラパラとページをめくった。
横から覗き込むと、そこには今回の盗難騒ぎに関する情報が事細かに書かれていた。事件が発生した日、無くなったもの、被害に遭った生徒の名前。容疑者として名前が挙がっている私の名前もしっかり書き込まれている。
「約一ヵ月で二クラスの被害、か。随分手の込んだ窃盗犯だな。面倒臭い仕掛けのおかげでアンタが犯人じゃないことを明確にしてくれている」
「さっきから失礼ね!」
「喜べよ。濡れ衣だってことを証明出来る第一歩だ。……それにしても、わっかんねぇな」
ソファーから上半身を起こし、ページを捲りながらぼやく。
「この騒ぎの目的が金目当てに思えないんだよ。それが目的だったら、わざわざ折り紙を財布に入れて盗んだ犯人がいることを主張する必要がない。
「大体、財布の中身を朝と放課後で違うことを正確に覚えている奴なんて何人いる?
「大金だったらわかるけど、別に五枚の千円札のうち一枚消えていたとしても、それがうろ覚えな記憶だったら無くなっていることに気付けるか?
「……わからないって顔をしているね。えーっと……。
「要は、【盗まれたという証拠が曖昧】だってこと。
「もし盗まれていなかったとしたら、最初に盗まれたと言い出した五人が怪しい。または五人は本当に盗まれていて、誰かが面白がって模倣犯が続いたのかもしれない。
「……となると、被害者だと言っているA、B組の生徒も含めた全校生徒が犯人の可能性が出てくる。
「そもそもなぜ牛山ちゃんに濡れ衣を着せようとしているんだ? 彼女に絞った理由は? 仮に恨みだったとしても、もっと物的証拠を残してもいいと思うんだよな……。
「お札と折り紙を取り替える理由も謎だ。レシートまみれの財布の中から一枚抜いたところで気付く奴なんて何人いる? 盗まれたと気付かせるために、わざわざ折り紙を入れたことに何の意味があるのか?
「それにロッカーの鍵はどうやって開けた? やっぱり犯人はピッキングが出来る人物? 動画は放課後に別で撮影したとして、いつ誰がD組の教室に忍び込んでロッカーを開けた?
「……仮に共犯がいたとして、結局黒幕は誰だ?」
ブツブツと呟いて疑問点を挙げていく。声がだんだん小さくなっていくと、私は途中から何を言っているのか聞き取れなくなった。
それ以前に、私はこの状況を未だに呑み込めていないのだ。
情報収集に最適な場所と言われてこの資料室に連れてこられて、まるで自分の家のようにくつろぎだした彼に戸惑いを隠せない。
加えて彼が独り言とはいえ、こんなに喋る人だと思っていなかったのも事実だ。いつも教室では寝ているばかりで、珍しく起きたかと思えば口が悪くて、教師から問題児扱いされてもどこか納得してしまう。
偏見で判断するのは良くないといわれるが、実際に難しい判断だなと考えていると、彼はムッとした顔で私を見ていた。
「今、俺を不良とか変人とか思っただろ?」
「えっ……そ、そんなことないよ! 思っていた以上に真面目だったんだなって関心したというか、まぁ少しだけ不良っぽいなーとは思ってたよ?」
「全然隠す気ねぇじゃん。別にいい。真面目なんて言われたことないけど、逆に牛山ちゃんは真面目そうに見えて実はやんちゃだよな」
「……ちょっとどういう意味?」
「そのまんまの意味。……あ、来たかな」
東雲君がファイルに目を戻したところで教室のドアが開く。
入ってきた顔の整った男子生徒は、学年の垣根を越えた交流をしていない私でもよく知る人物だった。
「なんだ祥吾、来てたのか……って誰だコイツ?」
「裕司先輩、遅ぇ。また補習の告知でも受けてたの?」
「ちげぇよ! ホームルームが長引いただけだ。つか、部外者は入れるなって言っただろ?」
「俺も部外者なのに入れてくれたじゃん」
「お前は例外中の例外だ! この部屋に無関係の奴を入れたのがバレたら、先代の生徒会長に怒られるの俺なんだからな!」
「そんなの裕司先輩のせいじゃん。それに牛山ちゃんはセーフだよ。セーフ。迷える子羊みたいなモンだろ? あ、牛か?」
「うしやま……?」
先輩と呼ばれた彼はそう言って苦い顔をしながら私の方を見た。
私は私で「ショウゴって誰だっけ」と首を傾げていた為、しかめっ面の顔で先輩と対面することになった。すると先輩は何か納得したかのように頷き、丁寧に扉を閉めて散らかった窓際の作業台に向かいながら言った。
「なるほど、二年C組の牛山鼓か」
「えっ……私の名前、知ってるんですか?」
「生徒会長の俺に不可能はない!」
「ダサい」
「おいコラ聞こえてんぞ!」
自信満々の顔で答えるが、東雲君にひと蹴りされてしまった。
三年D組の巳波裕司先輩。整ったルックスと明るい人望で、二年生の時に生徒会の執行部に入って副生徒会長を勤め、生徒会選挙で多くの支持により生徒会長になった校内の有名人だ。ただ、留年スレスレだったという噂は本当らしく、卒業も怪しいという話も出てきている。
人望が厚い話は良く聞く話であったが、まさか東雲君とまで繋がりがあったとは思わなかった。
「連れてくるなら事前に……って、お前はスマートフォンを持ってなかったな」
「電話できなくてもなんとかなるっしょ」
「……ったく、資料はそこにあるから、勝手に漁れ。……もう漁ってるか。言っておくが、まだ未完成だからな。破いたり持ち出しするのは禁止だぞ」
私を連れてきた理由も聞かずに了承するなんて。呆気に取られていると、巳波先輩は笑って答えた。
「祥吾が理事長の息子に宣戦布告した話は校内に広まっているからな。それに俺も、犯人は他にいると思っている。奴は利用されているだけだろう」
「奴って、戸田君が?」
「あのお坊っちゃん気質は親の七光りも同然だ。権限も多少握っていて教師が横入りできない、探偵役には持ってこいだろ。それに本人が権力を振り回している節があるのは、入学当初から懸念されていたのは事実。だから学校側は多少のことは見なかったフリをしているっていう噂もあるくらいだ」
「え……本当だったんだ、その噂」
「あんなの嘘に見えたら随分お気楽な考えの持ち主だぞ、お前」
噂は噂でしかない。人は等しく人である以上、鋭い牙を持った化け物を相手にするような命の危険はあり得ない。そんな曖昧な考えがこんなところで甘えになるとは考えもしなかったのだ。
「それに盗難騒ぎだって他人事として思ってた。自分は盗まれない、大丈夫だって。でもまさか疑われる側にまわるとは思わなくて」
「……ま、それが普通の反応だよな」
東雲君はソファーから起き上がり、ファイルの次のページを捲りながら私に言う。
「確実なアリバイの証明もできず、怒りに任せて理事長の息子にビンタ。もう十分犯人扱いされてもおかしくないだろうなー」
「ああ、それも校内に広まっているぞ。女子のくせに過激な奴だって」
苦い笑みを浮かべる巳波先輩。一歩引かれているのがわかる。
ああ、叩くのを我慢できなかったあの時の私を蹴り飛ばしたい。
「まあ……その、お前の心境もわからなくはないが、流石に暴力はダメだぞ。八つ当たりならそこのクッションにしていいから」
巳波先輩がそう言ってソファー横に置かれている水色のフカフカのクッションを指さすと、東雲君が投げて渡してくれた。
肌触りの良いクッションをソファーに置いて、私は思いっきり右手で作った拳を撃ちつける。
あ、穴が空いた。
「…………」
クッションを持ち上げると空いた穴から綿が出てくる。それを見て先輩が悲しそうな顔をして見つめていた。
「……えっと」
「……ま、まあいい。クッションなんていつでも買えるからな!」
買うのか。
クッションを大事そうに抱える先輩に、東雲君は笑いを堪えながら励ます。
「それ、この間買ったばかりだったのに……っ先輩、ドンマイ」
「……どいつもこいつも、クッションクラッシャーか! しかも前のクッションはお前が破いたんだろうが! 寝相の悪さはいい加減直せよ!」
「寝相って直るモンなの?」
「知るか! 自分で調べろ!」
若干涙目で訴える先輩に対し、東雲君はとても楽しそうに笑う。遊んでいる、といった方がいいかもしれない。とにかくこんなに楽しそうに誰かと話している東雲君は教室では見られない。
「そんなことより情報くれよ、裕司先輩。あれから進展くらいあっただろ」
「あっさりスルーするなよ! つか、さっきからそのファイル見てるならもう貰ったも同然だろ!」
「俺が知りたいこと書いてない方が悪い。先輩、他にねぇの? 例えば……盗まれたものとか」
東雲君はここに来る前に盗まれたものを気にしていた。先輩は小さく溜め息をついてから、破れたクッションの穴をなぞりながら教えてくれた。
「今のところ、盗まれたものは全て現金だ。被害にあった生徒に聞くと千円だの五千円だの札ばかり。
「……ただ、朝からその額がしっかり入っていたかは曖昧なんだと。
「生徒がなんで盗まれたって思ったかって?
「盗まれたお札と差し替えるように、折り紙が入ってたんだよ。見せてもらったけど、なんも変哲もない、そこら辺に売っているただの折り紙だった。
「ファイルに貼っている折り紙は、実際に使われたものと同じメーカーの折り紙だ。どこにでも売っている、安くて子供だましな和柄の折り紙だ。
「和柄でまとめているのが気になるが……きっと犯人の手元にはこれしかなかったんだろう。ちなみに学校の備品ではないことは生徒会の管理表で確認済みだ。
「あと、ロッカーを施錠していた南京錠とダイヤル錠も確認してきた。
「……そもそも、今朝の出来事の説明をしろと? お前、知らずに啖呵切ったのか。
「一日で情報を整理してファイリングできるとか思うなよ? しょうがねぇな。
「昨日の被害者である二年D組の女子生徒は、学校終わりに立ち寄るピアノ教室に提出する月謝一万二千円を持ってきていた。厳重に鍵をかけておけば盗まれることはないだろうと踏んでいたらしいが、
月謝を渡そうと袋から出したところ一万円しか入っておらず、代わりに折り紙が入っていたそうだ。
「女子生徒は自分の財布に常に入れていた二千円を使って月謝を払うことができたが、折り紙が入っていた事実を学校に伝えたことから、盗難騒ぎの延長線上ではないかと学校側が判断。恐らく今までと同じ人物によるものと教師陣は考えている」
巳波先輩が淡々と説明をしてくれるが、様々な情報が交差しすぎて、頭の中で整理が間に合わない。そんな様子を見かねた東雲君は、私に先程のファイルを差し出した。
「裕司先輩の話は被害に遭った生徒に直接聞いているから、ある程度信頼してもいい。ファイルに書かれた内容のほとんどが被害者に直接聞いた話でもある。嘘は書かれてねぇよ」
「……先輩、なんか雑誌の編集者みたいですね」
「そうなんだよ……生徒会長も大変だぜ」
やれやれ、とどこか嬉しそうな笑みを浮かべて溜め息をつく。この学校の生徒会長が異色なだけだと思うのは私だけだろうか。確かに渡されたファイルに事細かに書かれた内容は、被害に遭わなければ書けないものばかりだった。
「ま、被害者の話が嘘だったら全部おじゃんになるけど、その点は安心してくれ。俺は人望が厚いからな! その人望のおかげで今回、特別に女子生徒から南京錠を借りることができた。ダイヤル錠は今ロッカーで鍵を掛けているから、こっちだけな。俺が見てもわからないだろうが、祥吾なら何か気付かと思ってさ」
先輩はポケットから小さな透明ビニール袋に入った南京錠を東雲君に渡す。
私も近くまで寄って南京錠をじっと見つめた。どこにでも売っていそうはこの錠前は、自分のものとわかるように可愛らしいオレンジの花が描かれたシールが貼ってあるだけで、特に変わったところは見当たらない。
しかし東雲君の目線は南京錠ではなく、私に差し出したファイルに向けられていた。
「裕司先輩、一万二千円ってことは一万円札が一枚と、千円札が二枚あったんだよな?」
「……ってことになるな」
「変だな……。今まで犯人が狙っていたのは、その生徒の【財布に入っている最大の金額】のはずだ。なぜ折り紙が入っているのかは現時点で不明だけど、今まで最大金額を盗んできた奴が、今回はD組の被害者の最大金額である一万円を盗まなかった。これって今までの傾向と変わってるんじゃね?」
最大の金額――それが本当なら、今回盗まれたものが千円札の二枚なのは引っかかる。
何らかの理由で盗む金額を変えたのか、それとも模倣犯が出てきたのか。……何にせよ、これまでの騒ぎと異なる点はヒントになるかもしれない。
「ジュースでも飲みたかったんじゃないのか? 自販機って一万円札が入らないし、小銭にしてしまえば千円札自体は手元から消えるんだから」
「それは犯人が自販機に売っているジュースがどうしても飲みたいがためだけに、二つも鍵をかけて厳重な防犯対策をしていたロッカーを、わざわざ手間隙かけて開けたって言いたいの? 一体、何の為に?」
「それはー……ほら、あれだよ。スリルが欲しかったんだよ!」
「却下。校内に盗難の話が広まって捕まる確率が高くなっている時点でこんなスリルを誰が求めてるんだよ? プロの泥棒だったらまだ妥協案として考えてもいいけど、さすがにそれはない。推理小説の読みすぎじゃねぇ?」
「少しくらいロマンがあったっていいじゃないか!」
二人でわいわいと――主に先輩が――スリルだのロマンだの言っているが、私の今後の学校生活がかかっていることを忘れないでほしい。
東雲君の手からそっと南京錠が入っているビニール袋を抜き取り、袋越しから眺める。やはり普通のどこにでも売っている錠前だ。ダイヤル錠に関して言えば、解除する番号の検討は大体つくが、鍵が必要な南京錠はどうやって開けたのだろう。
「……あれ?」
南京錠のある部分に目が止まった。私の声に気づいたのか、二人が顔をこちらへ向ける。
「牛山、どうした?」
「え、あ……いや、大したことじゃないんですけど……南京錠の鍵穴が、ピッキングされた割には綺麗だなって思って」
大抵ピッキングにあった錠前の鍵穴には、針金で引っ掻いたような痕が残る。日常で傷が付くこともあるが、この南京錠にはほとんど傷がないので最近買ったものだろう。持ち主が一日に何度も鍵を使って開けていたとしても、鍵穴には新しい傷が見当たらない。錠前の中にあるシリンダーを分解すればピッキングされたか調べれられるが、なんせここには分解する器具も判断できるプロもいない。
私は髪に隠すようにつけていたヘアピンを一本取り出し、L字に折り曲げて袋から出した南京錠の鍵穴に差す。
「お、おい、何をしてんだ?」
先輩は少し焦った表情で私を見る。
「……この南京錠、ピッキングされてないと思います」
私の感覚が正しければ、この錠前は今私の手によってピッキングされている。ヘアピンを差し込んだこの感覚は、初めて見つけた鍵穴に差し込んだ時とよく似ていた。
「い、いやいやいやいや。牛山、どうしてわかるんだよ?」
「う、上手く言えませんけど、ピッキングをしたら多少なりと鍵穴の近くに引っ掻いた痕が残ります。これにはそれがないし、差し込んだ時の感覚がこう……つっかかると言いますか」
「そんなの感覚でわかるのか?」
「ぐ、偶然そういう場面に一度遭遇したことがあるんですよ! 最近大型のイベントで脱出ゲームがあるじゃないですか、そういうのによく参加してて……」
「お、おう……」
作り笑いをして誤魔化すと、先輩は府に落ちない顔をしながらもそれ以上は聞いてこなかった。私は表情に出やすいのだろうか、東雲君が隠れて鼻で嗤っていた。私の座っている席からなら丸見えだからな。
「じゃあ……牛山の感覚を信じるとして、ピッキングの痕がないってことは、本人の鍵を拝借したか、犯人が合鍵を作って開けたってことになるのか? 前回ロッカーに南京錠をかけていた男子生徒はともかく、今回の女子生徒はダイヤル錠も南京錠もしてたんだぞ? しかも祥吾の【生徒の財布のの中に入っていた最大の金額】っていう犯人の特徴はどこにいった? ピッキングの時間をかけて二千円しか持っていかなかったのは割に合わないだろうし、型取りをして合鍵を作ったとしても、金の無駄だろ?」
「それは……私も思いました」
合鍵を業者に依頼しても、安くて五百円はする。わざわざ一度しか開けない南京錠の為にそこまでするだろうか。加えて犯人が合鍵を作ったとしたら、一体どのタイミングで型取りをしたのだろう。
「先輩、南京錠の鍵は本人が持っていたんですよね?」
「ああ。……そういえば、南京錠は預かっても鍵は見てなかったな。ちょっと行ってくるか」
先輩はそう言って、大切そうに抱えていたクッションを散らかった作業台の上に置くと、私から南京錠の入った袋を取ることなく、出入り口に向かう。
そのまま出て行くのかと思えば、ドアを開ける前にこちらを振り返って不思議そうな顔をした。
「何してんだよ? 一緒に行くぞ」
「行くって……どこに?」
「この南京錠の持ち主は陸上部のマネージャーで、部活に出ているんだよ。牛山が一緒に来れば借りなくても見るだけで型取りされたかわかるだろ?」
「……はい?」
いやちょっと待って。私は一言もピッキングを見破れますなんて言ってない。
すると東雲君もソファーから立ち上がると、私の肩を軽く叩く。
「さっさと行くぞ」
「お。祥吾も行くか?」
「興味本位で」
「よし。それじゃ、皆で聞き込みしてくるか!」
満面の笑みを浮かべて廊下に出る先輩。東雲君がこそっと耳元で教えてくれた。
「裕司先輩、ああ見えて寂しがり屋なんだよ。付き合ってやらねぇと拗ねるから」
ああ、嫌な予感しかしない。
南京錠の入った袋を持って、重い腰を上げた。