六、地中海の紳士たち
この年、赤ひげはトルコ海軍の司令に任命された。スレイマン皇帝の段階作戦が大きな一歩を踏み出した。皇帝に招かれて伺候した彼は、イスタンブールのガラタ地区にある造船廠で一冬を過ごした。船を造る職人たちは、彼に言わせればみな素人であった。より早く、より操船のしやすい船を造るべく職人たちを指導して、一冬で六十隻もの大型ガレー船を造り上げた。
 トルコ半島は、森林資源に恵まれている上に、スレイマンとイブラーヒムのコンビがよく、オスマン帝国は経済運営に優れていたため、これからも大量に造ることが約束されていた。これによってトルコ海軍は、ようやく第一歩を踏み出したといえる。赤ひげが連合艦隊の司令という枢要な地位についたことは、世界中の海賊にとって衝撃的なニュースであった。
海賊行為をやり過ぎれば、必ず報復をうける。特にスペインが本気で怒れば、海賊はひとたまりもないことは、彼ら自身が一番よく分かっている。したがって赤ひげの傘下に入れば、より安全に仕事ができると考えられた。彼が司令長官に抜擢されるかもしれない、と期待する向きも当然あった。上げ潮に乗った赤ひげの下に、世界中の名だたる海賊たちがぞくぞくと集まってきた。主だった紳士たちを紹介しよう。
 最初にやってきたのは、ドラグートである。彼は、後に赤ひげの後継者になる男である。ドラグートはトルコ本土の農家の生まれで、十二歳のときに船乗りを志して家をでた。やがてトルコ海軍に志願し、操船技術と砲術の天才と詠われるようになる。まもなく独立した彼は、小さなギャリオット船一隻を手に入れて海賊となり、一躍名を上げることになる。彼の名は赤ひげの耳にも達するようになっていた。赤ひげはもちろん大歓迎した。
鋼を重ね合わせたような見事な体格と、射るようなするどい眼光、それに頭の回転の速さに、赤ひげは一目惚れしてしまった。早速彼に十二隻のガレー船団を与えて、仕事をさせることにした。ドラグートは勇躍してイタリア半島を目指し、ナポリやシチリア島の沿岸を荒らし、スペインとイタリアの間を航行するキリスト教国の船舶を見つけると残らず餌食にしたので、彼の名はスペイン国王の耳にまで達したといわれる。   
次にやってきたのはシナンである。彼はトルコのスミルナ生まれのユダヤ人で、航海術に長じていた。いついかなる時でも、船がどの位置にいるのかを、ぴたりと言い当てたので黒魔術師と呼ばれていた。シナンはもちろん魔術を使ったわけではなく、海洋学、天文学、地文学、数学などの知識をもって羅針盤を眺め、海図を駆使し、星座を眺め、測天儀を利用して、船の位置を数理的に割り出したのである。学問の好きな彼は、アラビア語、ギリシャ語、イタリア語、スペイン語、フランス語にまで堪能で、会話もうまかった。シナンはすぐ赤ひげにとって、なくてはならない有能な参謀となった。赤ひげはシナンに質問をした。
「わしは、スレイマンという皇帝がどういう人間なのか、いま一つ分からないのだが、お前はトルコ本土の生まれだからよく知っているだろう」
 彼は、赤ひげがどういう答えを求めているのかを、じっと考えてから口を開いた。
「私の見るところでは、スレイマンという人は、オスマントルコの歴史が始まって以来の傑物だと思います」
「ほう、それほどの人物か」
「スケールの大きさといい、英知の深さといい、気宇の広さといい、大変な人物だと思います。こういういう種類の人間はともすれば施政態度が大まかになって、独断専行型のワンマンになってしまい勝ちなものですが、それが実に公正なのです。世界の歴史を見渡してみても、あまり例を見ないすばらしい人物だと思います」
「ひどく惚れ込んだものだな。海賊ごときにそれ程惚れ込ませるなら、本物というべきだろう。しかしそんな出来物だと、わしとしてはつき合いにくいな。何か欠点はないのか?」
「情にもろいところでしょうか」
「女に弱いのか?」
「第一夫人のロクセラーヌという人は、すごい美人ではありますが、あまり性格のよくない人だと聞いております。ギュルバハルという女性が第一夫人だったのですが、策謀によって陥れて、自分が後釜にすわったという噂です」
「女に弱いところだけは、わしと共通している。皇帝と親しくつき合ってもらえることになったが、弱点くらい知っておかねば畏れ多くて傍へ寄れないからな」
 赤ひげはそういって笑った。シナンも白い歯を見せた。
「大宰相のイブラーヒムは、どういう人間かな?」
「皇帝の義兄弟になりますが、皇帝の右腕というより、もう分身のような存在になっています。皇帝は自分が決断すべきことは大宰相に相談しますが、大宰相の方は皇帝に相談することなしに決済することが多いと聞きます。ある意味では、皇帝より切れるかもしれませんが、それは役人としての有能さで、気宇の大きさや、人格面では皇帝の方が上でしょう」
「頭の固いところがあるのだな」
「一口に言えば、そういうことです」
「スレイマンという人とは、深くつき合ってみたくなったぞ」
「それは良いことです。船長が皇帝の懐に飛び込んでしまうことができたら、わが軍団は万々歳です。そうなれば、次は司令長官ですからな」
 二人は顔を見合わせて肯きあった。シナンは、アイダという美少女を伴っていた。娘ではなく姪だという。アイダは少女というより、美少年といったほうが似合うような、キリッと引きしまった容姿をしていて、剣が強いという話だった。赤ひげという大海賊の下で働きたい、とシナンに頼み込んでついて来たという。アイダは、自分が赤ひげにとって有用な人間であることを見せようとして、棒による試合を望んだので、赤ひげは十八歳になるキーホという青年と、立ち合わせることにした。キーホは、最近急に頭角を表してきた文武両道に秀いでた青年で、赤ひげは彼の将来性を見こんで可愛がっていた。アイダとの立会いを命じられて、彼は不服を唱えた。
「船長、いくらなんでもこんな女の子と立ち合わせるのは、私を馬鹿にしています。シナン殿と立ち会えというなら喜んでやりますが」
「シナンには、三人の男供が同時に撃ちかかったが、勝てなかった。お前ごときに歯が立つわけがない。しかし、女の子じゃいやか。それなら、素手でその棒を受けてみろ」
 赤ひげは、長身をクッションのよい椅子に埋めて、ニコニコしていた。そう言われてキーホは、アイダとその手にしている一メートル位の細い棒を見つめた。
「いいでしょう、やりましょう」
 と言って、その場で身構えた。アイダは、相手が素手であることに躊躇した。
「私とおなじ棒を持って、戦っていただきたいのですが」
 と怒ったような表情で言って、赤ひげを見た。赤ひげは
「キーホ、もしおまえが負けたら、つぎは棒を持って戦えばいいだろう」。
 と言って、少女が驚くほどの人懐っこい笑顔を見せた。アイダは、やむなく細い棒を握って身構えた。キーホは身を低くして身構えた。アイダの用意した棒は木製で細く脆そうに見えた。シナンが審判役を引き受けて、二人の間に立った。彼は、二人に目配せをしてから横に退いた。アイダは鋭い視線で、キーホの目を睨みつけていたが、読み切ったように一歩前に出た。
キーホは息を詰めて彼女の攻撃を待った。アイダはかけ声もろとも、上段から打って出た。キーホはそれを予期していたように、横にとんで最初の一撃をよけたが、つづけて横に払ってくる撃ちを、よけきれずに左腕で受けとめた。ピシッという音とともに、彼の腕が赤く腫れ上がった。顔をしかめて痛みを堪えたキーホは、片足を上げてアイダを蹴上げたが、彼女は軽々と逃れた。
彼女はするどい視線を投げかけると、再び構えなおしてじりじりと近寄った。キーホの表情には、すでに余裕が消えていた。並の相手ではないことを悟って、唇を噛みしめていた。アイダは上段から打ちこむと見せて、いきなり向こう脛を打った。キーホはこの痛撃に前にのめって、両手を床についた。彼女は表情を消して、キーホを見下ろしていた。
「よーし、そこまでだ」
 シナンが声をかけた。赤ひげは大きくうなずいて言った。
「キーホ、棒を持ってもう一度戦ってみろ」
 彼は痛みをこらえて立ち上がった。おなじ長さの棒をアイダから渡されて、二人は睨みあった。キーホは立派な体格で、身長はアイダより三十センチも高かった。彼は棒を握ったことで、余裕を取り戻していた。呼吸を測っていた二人は、ほとんど同時に跳躍した。空中で棒と棒がぶつかり合う小気味のよい音がして、二人は飛び交った。反対側にひらりと降り立つアイダ。キーホはと見ると、床に転がっていた。額から血が流れていた。
「軽く撃っただけですから、大丈夫でしよう」
 それを聞いて、赤ひげは口を半開きにしたまま、美少女を見つめた。アイダは何事もなかったように表情を変えなかった。キーホは額の傷口を片手で押さえて、立ち上がった。傷口から血が流れ出して、頬をつたって床にしたたり落ちた。アイダの言うとおり傷は浅かったようで、キーホの足取りはしっかりしていた。首うなだれて部屋をでて行く彼を目だけで送って、赤ひげはアイダに声をかけた。
「お前は海賊になりたいのか?」
「赤ひげ船長の下で働かせていただきたくて、伯父についてきました」
「女海賊か・・・」
 赤ひげはアン・ケリーを思い出していた。アンは兄ウルージが戦死すると、傷心を抱いてジェノバに帰って行った。
「なぜ海賊になりたいのだ?」
赤ひげは少女の目を覗きこんだ。
「普通の女の子のような、平凡な暮らしはしたくありません。それに海が好きなんです」
「ふむ、シナンはこの娘を海賊にすることに、反対はしないのか?」
赤ひげは、シナンの方へ顔を向けた。シナンは叩頭しながら、照れ笑いを浮かべた。
「初めは反対しましたが、とうとう反対することを諦めました」
「そうか、それじゃシナンの部下として使うがいい。アイダ、ドラグートという剣の名人がいるから、彼について剣を学ぶといい」
 赤ひげの許可が下りて、アイダはこの日から海賊になった。服装も男のものにし、髪も短くして、少女から美少年に変身した。数日後、赤ひげはアイダを見かけて声をかけた。
「剣の稽古はやっているか?」
「はい、ドラグートさんに三十回くらい挑戦しましたが、一回も勝てませんでした」
「ほう、三十回もか、で、怪我はしなかったか?」
「ドラグートさんは優しい人で、怪我は一度もしませんでした。たいていは棒を叩き落されるか、背中を軽くたたかれる程度です」
「ほう、ドラグートが優しいのか・・・、あの男がのう」
 赤ひげは、信じられないといった表情で首を捻った。ドラグートの鷹のような鋭い目と、体自体が凶器ではないかと思われるほどに鍛えぬかれた筋骨を思い浮かべて、不思議な気がした。アイダの精進ぶりに触発されて、キーホもドラグートの門下生になった。二人はいつもドラグートの傍を離れず、ひまを見ては稽古をつけてもらった。
「夜中に眠っているとき以外は、いつでも撃ちかかってくるがいい」
 ドラグートは二人にそう言った。二人は、彼が背を向けている時を狙って同時に撃ちかかったが、簡単にかわされてしまった。棒の長さは一メートルあり、二人がジャンプして打ちかかるので、二メートルの範囲は届くはずなのに、ドラグートは一瞬にして、三メートルの距離を飛んでいた。
「後ろに目があるのだろうか?」
 キーホは舌を巻いた。アイダは
「われわれが、二メートル以上飛べばいいと思うんだけど」
 と云って、諦めない様子だった。
「われわれが走って行って、飛びかかったのでは悟られてしまうから、高いところで待っていて、上から飛びかかれば、三メートル離れていても捉えられると思う」
 キーホが知恵を出した。ある日、二人が上甲板に身を潜めていると、下をドラグートが通りかかった。
「今だ」
 二人は、目と目で合図しあって跳躍した。しかし、ドラグートは一瞬早く空転をして逃れていた。
「どうしてわれわれが飛びかかるのが、わかるのでしょうか?」
 キーホが脱帽して尋ねた。
「お前たちも、いずれできるようになる」
「こつだけでも、教えてください」
 アイダも一歩つめ寄った。
「敵と向き合ったときだけが、勝負だと思っているから隙ができる。わしはベッドから一歩でも外へ出たら寝るまでの間、いつでも敵に囲まれていると考えている」
「はあ、そういうものですか」
 キーホは呆れた。
「でもそれじゃ、毎日疲れ切ってしまいませんか?」
 アイダは不服そうな顔をした。
「疲れるより、殺されるほうがいいのか!」
 ドラグートの鷹のような目が光った。
「わかりました」
 二人は同時に答えて、頭を下げていた。稲光りのようなその眼光が恐ろしくて、首をすくめたといった方が正しかった。ドラグートは、何事もなかったように歩き出した。翌日、ドラグートは二人に真剣を持たせて、自分は素手で立ち合った。
「本気でわしを殺そうと思え!」
 二人は、はい、と答えて前後に分かれた。前にキーホ、後ろにアイダが、日の光にぎらぎらと光る真剣を上段に構えた。ドラグートは特別に身構える様子もなく、ごく自然体で二人と相対した。二人にはさすがに躊躇するものがあった。丸腰の人間を前後から挟み撃ちで斬ることなど、考えたこともなかったからである。
「いいか、大事なことは敵を憎むことだ。ドラグートという敵は、お前たちが斬り損ねたら、お前たちの剣を奪って、まずキーホを斬り殺し、次にアイダを裸にして、犯すことを考えている凶悪な男だと思え。それがいやなら、二人で息を合せて同時に斬りかかることだ、わかったか!」
 ドラグートの気魄はすでに二人を飲んでいた。催眠術にかかったように、二人は息を合わせて同時に斬りかかったが、彼の姿はそこになかった。二人はすんでのところでたがいに斬り合ってしまうところであったが、やっと踏みとどまった。ドラグートは、後ろのアイダの頭上を跳び越していた。跳び越すと同時に、アイダの首筋を両手でぎゅつと押さえつけていた。万力のような彼の握力に押さえつけられて、アイダは動くことはおろか、息をすることさえ難しかった。
「恐れ入りました」
 キーホが剣を投げ出して、頭を下げた。アイダは腕の力がぬけて、自然に剣をとり落としていた。
「次は弓矢でわしを射てみろ」
 ドラグートは、途方もないことを言い出した。十五メートルほど離れて、キーホが弓に矢をつがえて彼の胸板に狙いをつけた。ドラグートは素手で突っ立っていた。キーホの背中には矢が四本入った矢筒がある。合計五本の矢で倒してみよというのである。キーホは手にした短弓を、きりきりと引きしぼって強敵を狙った。傍で見ているアイダの心臓がはげしく鼓動を打った。ビューッという音とともに、矢はまっすぐ彼の胸板をめがけて飛んだ。アイダは目をつぶった。
こわごわ目を開けると、彼は何事もなかったように、平然と立っていた。足元には、真っ二つに折れた矢が落ちていた。キーホは、二の矢を間を置かずに放った。狙い違わず矢は、彼の上半身にむかって吸い込まれていったが、またもや手刀でたたき落とされた。キーホの顔が上気して、三本目、四本目と、つづけざまに放ったが的が外れた。しかし、五本目は下半身に向かってまっすぐに飛んだ。彼は両足を広げて、大きくジャンプしてその矢を避けた。
「どうやっても敵いません」
 キーホはその場にくず折れるように膝をついた。アイダが、ドラグートに歩み寄った。
「先生は火縄銃を向けられたら、どうなさいますか?」
「ふむ、そのときは撃たれる前に、手裏剣を投げるさ」
「間に合いますか?」
「間に合わなければ死ぬまでだが」
彼はそう言った瞬間、地面に向かって一回転して転がると、同時に小刀を投げた。小刀は直径三十センチほどの樹の幹に突き刺さった。人間の胸の高さであった。アイダとキーホは深い溜息をつくばかりであった。この日から二人の練習は真剣さを一段と増した。キーホは初めのうちこそアイダに敵わなかったが、次第に腕を上げてアイダに追いつき、追いこす勢いになってきた。ある日、練習のあとで彼は彼女を誘って海岸へ行った。丁度夕日が西の彼方の水平線にしずむ直前であった。キーホは彼女の肩をそっと抱いてささやいた。
「おれと結婚してくれないか。きっと、立派な海賊になって見せるから」
 アイダは驚いて、彼を振り返った。
「あなたはまだ、一人前の海賊になっていないわ。」
「だから、きっと一人前の海賊になるから」
「・・・・」
「おれじゃ、だめかい?」
 アイダは彼から目を離して、海の彼方の夕日に目を転じた。
「私には好きな人がいるの」
「・・・・」
 キーホは当惑したように、悲しげな目で彼女の横顔を見つめた。
「ドラグートさんかい?」
 アイダは海に目を向けたまま、かすかに肯いた。キーホはそれを見ると、少し後ずさりしてアイダから離れた。何か言いかけたが、思い直して更に後ずさりして遠のいた。涙を浮かべた目で、彼女の後姿をじっと見つめていた。やがて、彼はくるりと背を向けると走り出した。アイダはその気配に振りかえったが、彼の後姿を目で追うだけでその場に立ち尽くした。彼女は再び夕日に目を転じたが、夕日が海に沈みきるのを見届けると海岸を離れた。
 その夜、彼女はドラグートの寝室を訪れた。普段は髪の毛を束ねて、帽子の中に包み込んで、男の服装とあわせて男になりきっていたが、帽子をとって髪を垂らし、女の服に着がえて、今夜ばかりは女らしい格好になっていた。アイダは、シナンに連れられてきた時とおなじ美少女に戻った。しかし、三年の歳月は彼女を大人にしていた。かたい蕾のようだった胸の膨らみは、いつの間にか張りをみせていて、隠しようのない大きさになっていたし、腰も一回り大きくなっていた。
 ドアをノックすると、ドラグートの大きな声が響いた。そっと開けると、彼が半裸の女をひざに乗せて、酒を飲んでいる情景が目に飛び込んできた。彼はそのままの姿勢で、怪訝そうにアイダを見た。彼女はその光景を見ると、ハッとして凍りついたようになり、つぎの瞬間ドアをバタンと閉めて走りだした。百メートルほど走ってから、止まって後ろを振り返った。しかし、彼が追いかけてくる気配はなかった。
諦めて歩き出すと、涙が溢れだしてきて、前が見えなくなってしまった。半裸の女は、後ろ向きだったために顔が見えなかった。しかし、日ごろからドラグートに近づいている、ハンミという女であることは想像がついた。ハンミは、イタリアから奴隷として連れてこられて、食事や洗濯の係りを命じられていたが、魅力的な体をしていたので海賊たちの人気の的であった。
「あんなに魅力的な女がついていたのでは,自分なんか振り向いてももらえないだろう」
 そう思うと絶望感が胸の上にずっしりと重くのし掛かってきて、眠れない夜を明かした。翌朝ドラグートに出会うと、彼は屈託のない表情で声をかけてきた。
「高いところから飛び降りて、怪我をしない方法をよく練習しておけよ」
 アイダは軽く頭を下げてから、通りすぎて行く彼の後姿をぼんやり見ていた。その後姿は、いつもと変わらない精気に満ちた逞しさを見せて、女を抱いて寝た疲れを感じさせなかった。
「あの女とは何にもなかったのだろうか。でも、あの男好きのする女が、何もせずに帰るわけがない。きっと泊まっていったに違いない。悔しいけれど、そうだろう。でも女に毒されないで、精気にあふれて颯爽としている姿はさすがだ」
 と思った。男女の営みを未だ知らない彼女は、深く想像することができなかった。その夜、再びアイダはドラグートの部屋のドアをノックしていた。中から眠そうな彼の声が聞こえた。恐る恐るドアを開けると、彼がベッドの中で半身を起こしてこちらを見ている姿が目に入った。どうやら女はいないようだった。
「何の用だ?」
 何の用だと聞かれても、アイダには返事のしようがなかった。入り口でもじもじしていると
「用があるなら入れ」
 ドラグートらしい大声が飛んできた。アイダはそれでももじもじしていたが、気の短い彼が怒りだすことを恐れて、そっと部屋の中へ足を踏みいれた。アルコールの匂いが鼻をついたが、女の匂いがないことに安堵した。彼は上半身裸で、ズボンをはいて寝ていたが、起きあがってベッドに腰かけると、アイダが入ってくるのを待った。彼女は物珍しそうに、飾り気のない男の部屋を見まわしていた。
「この夜中に、女の子が男の部屋を訪ねてきたのに、なんの用だ、は無粋だったか」
彼は自嘲の笑みを見せて
立ちあがると、アイダに近寄った。アイダは下を向いた。
「大人の男であるおれとしては、お前を受け入れてやることが正しいのだろうが、キーホのことを思うと、そうも行かんでのう」
「キーホが何か言っていましたか?」
 アイダが顔をあげて、長身のドラグートを見上げた。
「キーホは何も言ってはおらんが、彼がお前に惚れていること位、とっくに知っているよ。あいつはいい奴だ。まだ青臭いから、お前はあまり魅力を感じないのだろうが、いずれいい男になる。あと二、三年すればな」
 アイダは、視線を落として床を見つめた。
「キーホが一丁前のいい男になるまで、待っていてやれ」
「じっと待っているのですか?」
「そうだ、女は辛抱が大切だ。好きな男がほかの女に手を出しても、辛抱せにゃいかんし、亭主が殺されても、子供のために我慢しなくてはならんこともある。一辺に赤ん坊が三人も生まれて、おっぱいが二つしかないのに、三人が声をそろえて泣き出しても、辛抱するのが女というものだ、わかったか」
 アイダは返事の代わりに、彼の顔を見上げた。
「分かったら、帰って寝ろ」
 アイダはふたたび床に視線をおとした。彼はそっと彼女の肩を抱くと、額に軽く口づけをしてから、静かにドアの外に押しだした。アイダはがっかりしたが、ドラグートの愛情を感じて、昨夜ほど辛くはなかった。ドラグートが、スペイン海軍に捕えられたのは、プレヴェザ沖の大海戦のあとであったが、その後開放されて戻ってきたとき、アイダはキーホと所帯をもって双子の女の子の母親になっていた。
 その次にやってきたのは、アイディンであった。膂力と胆力にすぐれた豪傑で、キリスト教国側にもっとも恐れられた男である。赤ひげより背が高く、兄のウルージより、筋肉が発達していた。百人近くの敵に囲まれながら斬りぬけて生還した、という伝説の持ち主である。血にまみれたその姿を見た人は、人間というより雄ライオンのようだった、と伝えている。頭のてっぺんから足のさきまで数十箇所に傷を負いながら、危地を切りぬけた生命力の凄まじさに、人々は目を見張ったことであろう。
 赤ひげの部下たちは早速、アイディンの膂力を見たがった。馬と力比べをさせたらどうだろうという案がでて、アイディンに打診すると、彼は簡単に承諾した。赤ひげ軍団で最も逞しい馬が選ばれ、彼と綱引きをさせることになった。大勢の部下たちの騒ぎに、赤ひげもドラグートとシナンを伴って見物に現れた。
 海賊の一人が、栗毛の牡馬の轡をとり、馬の胴に巻きつけたロープをアイディンが腹に巻き、その先端を肩から胸にたらし両手で握った。観衆の大声援の中、馬と人間の力比べが始まった。アイディンの巨体も、馬の三分の一くらいに見えたので。ほとんどの見物人はかれが馬に引きずられる姿を想像したが、実際はそうはならなかった。初めは互角にみえた綱引きも、彼が腰を落として一声咆えると屈強な牡馬がじりじりと引きずられはじめた。馬の轡をとった男は懸命に馬をまえへ進めようとしたが、彼は馬を引きずってゆっくりと歩きはじめていた。観衆の声援は拍手と歓声に変わった。わずか数分の勝負であった。
 次に海賊たちは、かれと十人が素手で闘うことを提案した。力自慢の者十人を選んで、アイディン一人と戦わせようというのである。彼はこれもあっさり承諾した。十人の海賊が選ばれ、みな上半身裸になって彼を円く取り囲んだ。アイディンも上半身裸になった。彼の肉体にみなが見とれた。彼の上半身はギリシャ彫刻のような引きしまった、巨大な筋肉でできあがっていた。円陣を作って彼を取り囲んだ命知らず達も、さすがに顔を見合わせた。
うかつに仕掛ければ腕をたたき折られるか、肋骨の四五本も折られるか、あるいは蛙のように叩きつけられるか、しだいに恐怖感が高まってきた。彼はよほど余裕があると見えて、悠然とつっ立っていた。やがて、二人の男が目配せをかわして、前と後ろから同時に飛びかかった。アイディンは、前からきた男を左足で蹴とばし、後ろから組みついてきた男を、大きく体をふって抛り飛ばした。
二人の男が同時に倒されたのをみて、のこりの八人は飛びかかることを躊躇って、周囲を回り始めた。そして、示し合わせたように姿勢を低くして、取りまいた輪をじりじりと縮めていった。緊張が高まって、やがてそれが頂点に達した時、全員がいっぺんに飛びかかった。アイディンの手足が激しく動いて、数名がなぐられ、蹴飛ばされ、組みついた二人が投げ飛ばされ、さらに足に取りついた二人が順にほうり飛ばされた。
その後は乱戦になって、殴りかかったり、飛び蹴りに行ったものもあったが、数分の後には全員が倒れていた。アイディンは無傷で、悠然と倒れた男たちを見回していた。鼻血で顔面を血だらけにしている者、腰をおさえて立ち上がれない者、股間をおさえてもだえ苦しんでいる者などに混じって、失神している者もあった。誰も立ちむかう者がいないのを確認すると、彼はゆっくり歩きはじめた。観衆は畏敬の念をこめて、拍手と声援をおくった。
 彼はスペイン沿岸と、沿岸近くのバレアレス諸島沖の水路がお気に入りの猟場で、春になるとアルジェを出帆して行った。このときも、スペインのガレー船を数隻と、多数の捕虜を捕えてご機嫌であったが、さらに面白い情報を聞きこんだ。それは、バレンシア沿岸の小港オリヴァに、スペインから逃れるためなら多額の金を支払う気でいる、モリスコと呼ばれるムーア人の奴隷が大勢いる、という情報であった。 
そこで彼は夜陰に紛れてオリヴァの港に入り、モリスコの二百家族を無事に収容してフォルメンタラ島に向かった。スペインのポルトウンド提督率いる八隻のガレー艦隊がそれを知って、アイディンを追跡した。追跡されていることを知った彼は、フォルメンタラ島にモリスコ達を下ろして、迎撃態勢に入った。このとき不思議なことが起こった。スペイン艦隊は接近してきたのに、一発の大砲も撃たずに通過してしまったのである。
 この時、ポルトウンド提督は奴隷を無傷で取り戻して、持ち主から一万デュカトの報奨金をせしめることが出来るかどうか、を思案していたらしい。海賊船に一斉射撃を浴びせて、奴隷たちが海の藻屑になってしまったら元も子もなくなってしまう、と考えた。
 一方海賊の方は、敵が臆病風に吹かれたのだろうと考えて、すぐに攻撃に移った。帆とオールの両方を使って、猛烈な速さで漕ぎ進んだ。さながら、大きな獲物におそいかかるライオンの群れのように、自分たちよりはるかに大きいガレー船を取り囲んだ。その結果、ポルトウンド提督は戦死し、一隻は逃走したが、残りの七隻は投降した。戦いが終わると、捕獲したガレー船に繋がれていたムーア人を解放し、代わりにスペイン人の乗員を漕ぎ手にし、モリスコ二百家族を伴って意気揚々とアルジェに凱旋した。
ある日ドラグート艦隊の一隻が、突然の暴風のために艦隊にはぐれて一隻だけで航行していた。その時、黒ひげと呼ばれるスペイン海賊の十隻の艦隊に囲まれて、拿捕されてしまった。黒ひげ船長は、無抵抗の乗組員三十数名を帆柱に吊るしたり、舳先に縛りつけておいて弓矢や槍や剣で虐殺した。隙を見て、後ろ手に縛られていた乗組員二人が、海に転がり落ちるようにして飛び込んで泳いでいた。そこへ、運よく通りかかった漁船に拾われて生還してきた。二人の話を総合すると、まだ人を殺したことのない若い乗組員を、訓練するために虐殺を命じたらしい。
「黒ひげは酒を飲みながら、部下に好きなように殺せと命じました。命じられた連中はみな若くて、武器の扱いが下手で、仲間はみな苦しんで死んで行きました」
「黒ひげは部下がやりそこなうと、へたくそとか、しっかりやれ、などと叫んでは大きな声で笑っていました。これほど残酷な人間がこの世にいるとは、想像すらしたことがありませんでした」
 二人の話をじっと聞いていた赤ひげの表情が、驚きから怒りへと変わっていった。そばに立ったまま、無言でいるドラグートの目が燃えていた。
「ドラグート、スペイン領の島を徹底的に洗って、黒ひげとやらをひっ捕らえてくれ」
赤ひげの言葉に、彼は無言でうなずいた。真一文字にむすんだ唇が彼の決意を物語っていた。
「俺も手伝うぞ」
 横からアイディンが、うなり声を上げた。赤ひげは大きく肯いて
「二人で三十隻ずつ、率いて行ってもらおう」
と,言った。
「できれば、黒ひげを生きたまま捕えて極刑にしてやりたいものだ。まったく、海賊の風上にもおけない野郎だ」
 赤ひげの言葉は、全員の気持ちを代弁していた。ドラグートとアイディンの艦隊はただちに出航した。目指したのは、スペイン沿岸のバレアレス諸島である。三週間後、両艦隊は戻ってきた。
「黒ひげは部下の反乱で殺されました。酔って眠りこんだところを、めった斬りにされて死んだそうです。捕えた部下が白状しました」
 ドラグートの報告であった。
「部下に対しても、ひどい仕打ちをしていたようです、自業自得ですな」
 つづいて戻ってきたアイディンが、一通り報告したあとで、言った。
「黒ひげの野郎を生きたまま捕らえて、髪の毛を引きむしって、耳をちぎり取って、目玉を殴り潰してやりたかったのですがね、部下どもに先にやられちまって、まだ腹の虫が収まっていないんですよ」
「なぶり殺しにあった仲間たちの恨みは、一応晴らせたのだ。みんなで仲間たちの霊を弔おうではないか」
と赤ひげが云った。ドラグートとアイディンは、うなずきながらも悔しそうに唇を噛みしめていた。
七、イタリア一の美女をさらえ
ある日、赤ひげは幹部を集めて重大決意を表明した。
「わしは、ぺニョン島の要塞をいつまでも許しておくことができない。スペインが作った要塞に睨まれていて、アルジェの港を自由に使用できないようでは、今後の大きな発展はのぞめない」
 海賊船はアルジェ港に入港したとはいっても、実際はぺニョン島の要塞から少しはなれた港を使用することを余儀なくされていたのである。アルジェの市街地へ荷物を運び込むためには、馬やらくだを使って、余分な労力と手間賃をかけなくてはならない。ぺニョン島は堅固な要塞に囲まれていて、これを陥落させるためには、多大な犠牲を覚悟しなくてはならないことと、これを陥落させることによって、スペインの報復を恐れねばならなかった。赤ひげは続けた。
「ぺニョン島を落とせば、おそらくスペイン国王は怒って、大艦隊を派遣してくるだろう。しかし、いずれスペインとは本格的に事を構えなくてはならないのだし、そうなればスレイマン皇帝も力を貸してくれるはずだ。とは言っても、わしはまだトルコ海軍の司令官の一人にすぎない。今はわれわれの力だけでスペイン軍と戦わねばならない。賭けではあるが、大きな戦いの前にぺニョン島を確保しておきたいのだ。みんな、やってくれるか?」
 幹部たちは全員が賛成だった。
「目の上のたんこぶは、はやく切りとった方がいい」
「カール五世が怒って、二百隻の艦隊で攻めてきたら、逃げればいいさ」
「イスタンブールに逃げこんで皇帝に助けを求めれば、海軍を出してくれるだろう」
「われわれを無駄死にさせたのでは、皇帝も損をするから、必ず助けてくれるさ」
 赤ひげの力量を信頼している彼らは、みな楽観的だった。
「よし、では手筈については、シナンから説明してもらおう」
 赤ひげは、後をシナンに任せて部屋を出た。ぺニョン島の守備兵は千五百人と少なく、島そのものも小さいため、補給がストップしさえすれば弾薬と食料がすぐに尽きるものと考えられた。しかしやってみると、実際はそう簡単なものではなかった。堅固な要塞を盾に、守備兵は十六日間も抵抗をつづけたのである。その十六日間は昼夜を分かたずに砲撃を加えたので、守備兵は不眠不休の戦いを強いられた。
 十七日目に、赤ひげは千二百名の突撃隊を上陸させた。島の守備隊は約半数に減っていた。しかも、約半月にわたる過酷な重圧は彼らをほとんど病人にしてしまっていた。半死半生の状態で出てきた守備兵は全員投降した。赤ひげは、シナンの巧妙かつ慎重な作戦に感謝した。
「わし一人で考えた作戦だったら、兵を相当程度損じたであろう。お前はわしより気が長い。わしも今回はいい勉強をさせてもらったぞ」
「要塞は徹底的に破壊しましょう。二度とあんなものは作らせてはなりません」
「そのとおりだ。これで初めてオスマン帝国の領地になった、という実感だな」
「今まではなんとなく、仮の領地という意識でした。何かこう、借金をしているような感じでしたね」
「借金とはうまいことを言うな。大金を借りていて、いつ家を追い出されるかわからない心境とは、こういうものなんだろうな」
 二人は顔を見合わせて笑った。
「しかしこれからは、大家さんが見回りに来るでしょうから、警戒は怠れません」
 シナンが真顔に戻って言い添えた。ぺニョン島が陥落して二週間後に、要塞を増強するための兵隊と食料、弾薬などを満載した輸送船九隻がやってきた。驚くべきことにこの二週間の間スペインには、ぺニョン島のことが何も伝わってはいなかったのである。海賊たちは待ってましたとばかりに九隻を取り囲んで、二千七百人の乗員ともども捕獲してしまった。アウトローの面目躍如である。
赤ひげは、要塞を徹底的に破壊して巨大な防波堤をつくるよう、シナンに命じた。シナンはスペイン兵を中心とするキリスト教徒の奴隷を使役して、一年近くの歳月をかけて防波堤を完成させた。
八十一歳になった赤ひげは、健康そのものであった。平均寿命が極端に短かった時代である。わが国では、織田信長の時代が始まる頃の年代にあたる。酒が強く、毎晩のように宴会をやっても疲れを感じないという、側近たちがあきれるほどの体力を保持していた。春がきて海が穏やかになってくると、赤ひげは猟に出たがった。
参謀シナンは彼の体を気遣って止めさせようとするが、一向に耳を貸そうとしなかった。うららかな春の日差しを浴びて、六十隻の艦隊がアルジェを出港した。目指すのはメッシナ海峡である。メッシナ海峡とは、イタリア半島の最南端部とシチリア島の間を指す。スペイン、フランス、ジェノバ、ローマなどの船舶が、アドリア海の奥に位置するヴェネツィアをめざす場合など、通らざるをえない航路にあたるため海賊の恰好の猟場となっている。赤ひげはシナンを呼んで話しかけた。
「公爵夫人のジュリア・ゴンツァーラという美人がいるそうだが、知っているかな?」
「知ってますとも、イタリア随一の美貌をうたわれた美女ですから。イタリアでは二百八十人もの詩人が、彼女の美しさをたたえる詩を作ったほどです。」
「知らない男はいないか・・・、この女を手に入れたいと思うが、どうかな?」
「なるほど、提督夫人にしますか?」
「実は、イブラーヒム大宰相から頼まれたのだが、ジュリアをスレイマン皇帝に献上してくれないか、というのだ」
「ほう、何でまた」
「皇帝の第一夫人ロクセラーヌが皇帝の寵愛をいいことに、政治に嘴を突っこんできて、やりにくくて困っているので、ジュリアを捕えて献上すれば、愛情が移ると考えたようなのだ」
「なるほど、それは名案かもしれませんね」
「とくに困るのは、ヴェネツィアと戦うことを、皇帝につよく主張することだそうだ」
「ヴェネツィアとは、曲がりなりにもうまくやって来ているじゃありませんか」
「大宰相の並々ならぬ努力の賜物だと思うのだが、あのかみさんは欲張りで、ヴェネツィアを征服すれば、計り知れないほどの富が手に入ると考えているようだ」
「それは分かりますが、ヴェネツィアを倒すには、オスマン帝国もそれなりの犠牲を覚悟する必要があります。もし全面戦争になれば、ヴェネツィアと仲の良くないジェノバも協力するかもしれないし、ローマ教皇も黙ってはいないだろうし、チャンスとばかりにスペイン、ドイツも参戦してくるかもしれません」
「そのとおりだ。大宰相はそれを懸念して、わしに頼んできたのだ」
「女を攫うことは、皇帝はご存じないことなのですね?」
「もちろんだ、皇帝はそんな人じゃない」
「大宰相の命令だと知ったら、ロクセラーヌは何をするか分かりませんよ」
「あくまでもわしの一存で、やったことにしておかなくちゃならん」
「大宰相は、提督と同じギリシャ人だそうですね」
「そのよしみもあるが、彼はわしを強く押してくれている。もっとも、表面と腹の底は別かもしれんが。それはともかくとして、何とかしてイタリア一の美女を捕えて、大宰相の期待に応えたいものだ」
「提督に連合艦隊の司令長官になっていただくためにも、全力を尽くしましょう」
「うむ、わしも一度はオスマン帝国の海軍を指揮してみたいし、スペインの無敵艦隊と真っ向から勝負をしてみたいと思っている」
「早速、ジュリアの居所を調べさせましょう。しかしジュリアを攫ったら、イタリア中の男どもが怒り狂うでしょうな」
「怒るだろうな。しかしイタリアの男どもは、怒っても怖くないな」
「歴史的に見ても、ドイツとスペインは国民性が強くて、イタリアとフランスは優しいですね」
「個人はどこの国も同じだろうが、指導者の違いなのか、それとも文化の違いなのか」
「その国に長年住んでみないと、正確な答えは無理かもしれません」
 六十隻にのぼる赤ひげ艦隊はメッシナ海峡を越えると、ジュリア・ゴンツアーラの住むフォンディの町へ直行した。フォンディの町は、ローマから少し南に下ったところにある風光明媚な沿岸都市である。ジュリアは広大な森に囲まれた屋敷に住んでいた。深夜を選んで、屋敷を囲んで一気に襲いかかったのであるが、ジュリアは地下通路から下男の馬で逃げてしまった。
森が広すぎてどこからどこまであるのか、海賊には見当がつかなかったことが失敗の原因、と考えられた。後日、街のうわさを小耳にはさんだ赤ひげは、腕を組んで考えこんだ。街の噂は、山の中を逃げまわるうちに、ネグリジェ姿のままのジュリアを、欲望をこらえかねた若い下男が暴行したために、フォンディの町に戻ってから下男が死刑に処せられた、というものであった。
「下男もジュリアも気の毒だったなあ,もうこういうことはよそう」
とつぶやいた。二日間の捜索で諦めた赤ひげはフォンディの町を離れると、メッシナ海峡で数隻の商船を拿捕し、数百人を捕虜にして溜飲を下げていた。上機嫌の赤ひげに、ドラグートが話しかけた。
「提督、スレイマン皇帝へのお土産に、チュニスを占領してはいかがでしょう」
「うん?」 
赤ひげはけげんそうな顔をした。
「ジュリア・ゴンツァーラより、もっと大きなお土産です。これなら大宰相も、提督を司令長官に昇格させることに、同意してくれるでしょう」
 チュニスは、積荷の売り捌き市場としてその価値を認めていたが、もともとスペインの領土であり、シチリア島とならんでスペインが、地中海における足場として最も重視している拠点である。チュニスを奪えばスレイマン皇帝は大喜びであろうが、スペインの報復は当然大がかりなものとなるであろう。
「この艦隊をもって襲えば、チュニスを奪うこと位訳はないのだが・・・」
 さすがの赤ひげも即答はできなかった。
「スペイン国王の報復を、覚悟した上でなくてはできない相談だが、その点はどう考える?」
「すぐに無敵艦隊にやってこられたら、逃げるしか方法はありませんが、それまでにトルコ海軍を握ってしまえば、五分と五分だと思います」
「報復をすこし先だと見るなら、賭けをする手もあるが、ここは考えどころだな」
 翌日赤ひげは、シナンとアイディン以下の幹部もまじえて会議を開いた。アイディンは賛成したが、シナンは慎重論を唱えた。
「商船を奪うくらいなら、さしたることもないでしょうが、チュニスを奪ったとなると、スペイン国王が怒って大規模な艦隊を出してくるでしょう。それは、あまりにも無謀な賭けといわざるを得ません」
「シナンの言うことはもっともだ」
 赤ひげは同調した
「しかし、わしは一晩考えたのだが、国王が無敵艦隊を動かすには時間がかかる。少なくとも年内はないだろう。早くても来春と見てもいいように思う。とすれば、ここは賭けをしてみるのもいいかもしれないのだ」
 シナンは赤ひげの表情をじっと見つめた。
「来春までに司令長官の座が来なかったら、どうなさいますか?」
「うん、まあそのときは逃げよう。何百隻もの軍艦が相手じゃ仕方がない」
 シナンはそれを聞いて、にっこり笑った。
「人生はいつも賭けの連続です。トルコ海軍の総力をもってしても、無敵艦隊に負けるかもしれませんからなあ」
「そういうことだ。シナンが賛成してくれるなら、思い切ってやってみよう。チュニスのハッサン・ジュニアという王は、父親の死後四十四人の兄弟を全員殺して、玉座を手にいれた男だ。悪い奴をやっつけるのに斟酌はいらんだろう」
 チュニス港の沖に艦隊を止めると、赤ひげは使者にハッサン国王に対する降伏勧告状をもたせて小船で行かせた。この勧告文の要旨はつぎのとおりである。
「おとなしく降伏するならば、国王並びに一族はスペインへ送還し、国民には一切の危害を加えない。われわれはチュニスをオスマン帝国の領土とすることだけが目的であって、国民の財産を奪うことは一切考えていない。また、使者を斬った場合は、チュニスの町が廃墟と化す覚悟をすべきである。すみやかに返答されたし。
         オスマン帝国海軍連合艦隊司令官バルバロッサ・ハイルッディン」
 これを見て、ハッサン・ジュニアは手勢をつれて内陸に向かって一目散に逃げてしまったので、艦隊は一日にしてこの国を占領してしまった。これで、スペインの地中海における拠点はシチリア島のみとなった。この報告を受けたスレイマン皇帝は大喜びであった。皇帝はチュニスを占領したことを、フランスに知らせるべく使節を派遣した。一五三四年十月のことであった。使節団はマルセイユに上陸した。フランス人がトルコの戦艦を見たのはこのときが初めてであった。
キリスト教国とイスラム教国は戦いつづけている。同盟を結んだとはいえ、フランスの敵であるスペインとドイツの敵だから、トルコは味方である、とする論法から、トルコとフランスは近づこうとしているが、国民はすぐには同調しなかった。異様な身なりをして、理解不能な言葉を話し、ブドー酒を飲まない異人たちをみて、国民は恐れ戦いた、と伝えられる。使節団は国王が待つシャテルローに到着し、国王に伴われてパリに着いた。パリでは盛大な歓迎をうけたが、一部のキリスト教徒は使節団に対して背を向けた。
ヨーロッパ中の国々が、異教徒と手を組もうとするフランス国王の挙動に注目している中で、トルコに大使を送ることを決めたときは、フランスに対して疑惑の目と非難の声が集中した。ヨーロッパ世界の裏切り者という印象であった。フランス国王は国民からの批判にも晒された。トルコとの協力関係が国家の利益になるとする主張と、キリスト教徒としての良識を要求する非難との間で、国内世論は大きくゆれ動いた。

八、スペインの無敵艦隊
イタリアの中に、二つの強力な都市国家があった。ヴェネツィアとジェノバである。ヴェネツィアはアドリア海の最奥部に位置していて、商人貴族が独占する商業都市である。この都市国家の繁栄は、海上交易に全面的に依存していた。したがって、海上から小麦粉が入ってこなければ国民は生きて行けない。そのため、戦争が長くつづくと食料の供給が止まってしまうので、ときには外国の貨物船を襲って穀物を横取りすることも辞さなかった。
 一方ジェノバは、フランスとの国境にちかく位置する関係で、フランスとスペインの双方から保護される戦略上の要地である。貿易や封建制度のもとで得た所領や、特権などによって富み栄えた貴族階級と、中小商人や手工業などの大衆層との間に、たえず闘争がつづいている都市国家であった。
 スペインの無敵艦隊司令長官は、アンドレア・ドーリアである。彼はジェノバの出身で、最初フランス海軍に所属した。一五二二年、彼はプロバンス沿岸でスペイン艦隊を撃破して名をあげた。しかし、フランソワ一世はドーリアを使うことによって、地中海の制海権を手に入れることの意味を、深く理解することができなかった。ドーリアは生まれ故郷のジェノバを深く愛していた。
そのジェノバに対するフランスの態度が良くないことに、彼は腹を立てていた。その上、自分の功績を高く評価しないフランソワ一世に嫌気がさしていた。そこで、決心してスペイン海軍に身を投じたのである。彼はカール五世にジェノバの自治権を認めさせ、フランスを追いだすことを条件にして、スペイン海軍の提督となった。フランスは、海上に覇を唱えることを可能にする、唯一の人材を失ってしまったのである。
 ローマ教皇パオロ三世は、ヨーロッパをひとつに纏めるために、新しい軍事同盟の締結に一役買って出た。すなわち、スペイン、ポルトガル、ヴェネツィア、ジェノバ、マルタ島の騎士団、フィレンツェ、ローマ教皇などのカトリック大連合艦隊を編成して、ドーリアの手に委ねた。スペインのカール五世は、赤ひげに奪われたチュニスを奪還するためにこの連合艦隊を派遣することにした。
ローマ教皇がまとめてくれた連合艦隊と、スペインの無敵艦隊も含めて、合計六百隻にのぼる大艦隊を編成したカール五世は、フランスを誘ったが、フランソワ一世は中立を守って動こうとしなかった。チュニスを赤ひげに奪われて、スペインの地中海における拠点はシチリア島だけになってしまったが、東からも西からも脅かされて、シチリア島そのものも存続が危ぶまれる状態になっていた。カール五世はさすがに危機感を募らせて、提督ドーリアを呼んだ。
「赤ひげの行状は目にあまる。どうあっても、あ奴をひっ捕らえて、極刑にしてくれねば気がすまない。今回は、わしも旗艦に乗ることにした」
「陛下が御自ら座乗されるとなれば、兵の士気はこの上なく、高まるでありましょう」
 大小合わせて六百隻にのぼる大艦隊は、史上最大であり、兵員は十万人にものぼった。一五三三年春、大艦隊は赤ひげを求めて一路チュニスへ向かった。当初、連合艦隊はローマに向かう、という情報が入っていたため、比較的のんきに構えていたのであるが、方向転換してチュニスに向かっているとの知らせに、さすがの赤ひげも頭を抱えこんだ。
 船も兵員も十倍する敵を撃退できる、とは誰も考えないであろう。遠眼鏡で覗くまでもなく、すでにチュニス港の沖合は大艦隊に囲まれて、数十隻にすぎない赤ひげ艦隊が逃げだす隙はなかった。急拠幹部会議がひらかれた。ドラグートが最初に口をひらいた。
「提案したのは私ですから、責任を取らせてください」
「責任を取るって、どうする気なのだ?」
 アイディンが目を剥いた。
「連合艦隊の上陸をわたしが食い止めている間に、提督には陸伝いに逃げていただきたいのです」
「たった一万の兵で、どうやって十万の敵を食い止める気だ?」
 アイディンは皮肉な表情を浮かべた。そのとき、シナンが一足遅れて駆け込んできた。
「こんな事もあろうかと思って、爆薬をつめたボールを作っておきました」
「ほう、それはどんな物かね?」
 赤ひげが身をのりだした。
「一個が五百キログラムもあるボールですが、これを投石器で千五百メートル飛ばします。スペイン国王とドーリア長官が乗った旗艦が、港へ入ってくるまでは、鳴りを潜めて待っていて、入ってきたらこれを大量に喰らわせるのです。船にあたらずに海に落ちても、このボールは爆発するように作ってありますから、国王の命にかかわるとなれば、いかな大艦隊でもいったんは港外へ退くでしょう。その間に提督には逃げていただきたいのです」
「ほう、そんな凄いものを作ったのか、ぜひ見せてもらいたい」
 シナンは部下に命じて、そのボールを一個運んで来させた。真っ黒に塗られた大きな鉄の玉であった。ごく薄い鉄板で覆われているため、水圧でも爆発するという。
「攻城用の投石器があることは承知していたが、今まで使ったことがなかったな。このボールは何個あるのだ?」
「百個作りました」
「これが船の真ん中に当たったら、ギャリオット船くらいなら、一発で沈むだろうな」
「一番大きな旗艦でも、十発当たれば沈んでくれるだろう、と考えています」
「しかし、投石器というものは相手が巨大な城壁だから、何とか当たってくれるのだが、船が相手ではどうかな」
「あくまでも、提督が逃げるための時間稼ぎとしか考えておりません」
「よしわかった。まずやって見ようではないか。そして、逃げるときはみんな一緒に逃げるのだ。隣町のボナには、こんなときの用心にと思って、ギャリオット船の小さな艦隊を用意しておいたから、夜陰に紛れたら逃げきれるかもしれない」
 三台の投石器が、港を見下ろす小高い丘の上に据えつけられた。海上からは見えないように遮蔽物も設置された。晴天に恵まれ、海は穏やかで海上から見るチュニスの町は美しかった。海賊に占領されたとはいえ、住民はキリスト教徒であり、数千名の同胞が奴隷として繋がれている町である。
連合艦隊もやたらに大砲を撃つわけには行かないため、海賊からの攻撃待ちを余儀なくされているが、数にものを言わせて艦隊はチュニス港へ続々と入ってきた。大小六百隻にのぼる艦隊はさすがに壮観であった。国王の座乗する旗艦はその中央に陣取って、はっきりそれとわかるスペインの国旗を翻していた。
「旗艦だけを狙うのだ。充分に引きつけて思いきり連射で行け!」 
シナンは部下にそう命じて、天才的な勘で距離を測っていた。海賊からの攻撃がないので、陸上から他国へ逃げ去ったものと考えて、艦隊は次第に大胆になって陸地に近づいてきた。シナンは丘の上から旗艦をじっと睨んでいたが、やがて長剣を抜き放って高々と構えてから振りおろした。三箇所の投石器から鉄球が同時に飛んだ。二発は海におちて、恐ろしいほどの爆発音とともに二、三十メートルに達する高い波を作りだした。一発は旗艦の前をゆっくり走ってきたガレー船の舳先にあたって、大爆発を起こした。
 艦隊の動きが一瞬止まった。動きが止まったのでさらに狙い易くなった。つづいて三発が、旗艦のすぐ傍の海面で巨大な爆音と高波をつくり、艦内は大騒ぎになった。飛んできたのが巨石ではなく、爆薬がぎっしり詰まった、巨大な鉄球であることを悟った提督ドーリアは、艦をすぐさま旋回させて、港外へ避難すべく全力で走り出させた。丘の上を目がけて大砲を撃ち捲りながら、ほかの艦もあわててそれに追随してバックして行った。要塞からは艦隊の後方を大砲が追撃した。
 連合艦隊は、結局三日間をロスしてようやく港へ入ることができたが、チュニスの町に海賊は一人も残ってはいなかった。数千名にのぼるキリスト教徒の奴隷が解放された。奴隷にされていた人々は、解放された喜びと海賊に対する鬱憤をチュニスの住民に向けた。野に放たれた野獣の群れと化した男たちは、三日間に亘って町を略奪してまわった。強盗、強姦、殺人まで頻発した。キリスト教徒が同じキリスト教徒を、敵のように扱う姿を目のあたりにして、カール五世は言葉もなかった。
「人間とは、なんというあさましい動物なのだ。キリストの教えは、一体なんだったのだ。こんなひどいことがあり得て良いものなのか」
 国王はドーリアに嘆いた。
「海賊のほうがましです。彼らは強奪はしますが、女を寄ってたかって強姦するようなことは決してしません。人間としてのプライドを持っているからです。そして、女を一個の人間として見ているからです。海賊を追いはらって、チュニスの町の人々に感謝されるどころか、逆に恨みを買ってしまいました。陛下、この町に長居は御無用です」
「わしもこの町にはいたくない、すぐに帰国しよう。ところで、ハッサン国王は戻ってきたのか?」
「昨日戻ってまいりました。ここへお呼びいたしますか?」
「いや、提督から話をしておいてもらおう。毎年年貢をきちんと支払うようにとな。わしはあのハッサンという男も、あまり好かんのじゃ。赤ひげが来たら、住民を置きざりにして、一族だけをつれて真っ先に逃げおったそうではないか」
「私も以前から見知っておりますが、彼の父親と同じでその程度の男です。私から話をしておきましょう」
「頼んだぞ。それと、赤ひげを追いかけて、奴の息の根をとめてくれ。あ奴が生きておったのでは、わしも気の休まるときがないのだ」
「かしこまりました。私の生涯かけての仕事にいたします」
 国王は、ドーリアに二百隻の連合艦隊をあたえ、自らは、四百隻にのぼる無敵艦隊を率いて帰国した。赤ひげを追い払いチュニスを取り戻して凱旋した国王を、スペイン国民は歓呼の声をもって迎えた。国王自らの親征によって国威を発揚したのであるから、国民がよろこんだのは当然であった。国王も敢えてチュニスの惨状を国民に知らせなかった。
 一方、ボナからこっそり逃げ出した赤ひげは、三十隻のギャリオット艦隊を率いて、スペイン領のミノルカ島へ向けて航行中であった。
「提督、スペイン国旗の用意ができました」
 シナンが部下に、数十本の国旗を運ばせてきた。
「おう、できたか。これを掲げればミノルカ島の連中は、われわれを無敵艦隊の一部と思いこむだろう。連中を騙すのは後ろめたい気持ちだが、われわれも主力艦隊を失ってしまったのだから、敵から取り戻すしか方法がないのだ。早速掲げさせてくれ。もうそろそろ、ミノルカ島のマオン港につくころだ」
 案の定、マオン港ではスペイン国旗を見て、無敵艦隊の一部が海賊に大勝して、凱旋帰国の途中に立ち寄ったものと思い込んで、要塞からは祝砲が轟いた。この返礼に、赤ひげ艦隊からは弾丸と矢が一斉に飛びだした。積荷を満載して停泊中の数十隻にのぼる大型のポルトガル船が、あっという間に赤ひげ軍団に占領され、驚くほどの早さでマオンの町が乗っとられてしまった。
 後でこの事件を知ったドーリアは、地団太を踏んで口惜しがったが、その後の赤ひげの行方を掴むことができなかった。赤ひげは合計百隻にものぼる船団を率い、大量の商品と六千人をこす捕虜を伴ってイスタンブールに向かった。スレイマン皇帝はチュニスを失ったことに落胆していたが、赤ひげの凱旋を見て驚くと共に、彼のあざやかな手腕に賞賛を惜しまなかった。皇帝は大宰相イブラーヒムを呼んだ
「スペイン国王は、自ら六百隻の大艦隊を率いてチュニスを奪還したが、その後提督ドーリアに二百隻の連合艦隊を与えて、赤ひげを追跡させているそうだ」。
「カール五世も、とうとう本気で怒り出しましたな。赤ひげも少しやり過ぎたのですよ」
「赤ひげは、わが国のために大きく貢献してくれた。このまま放置したら、ドーリアの大艦隊にやられてしまうかも知れぬ。そこで、わしは以前から考えていたことだが、この際赤ひげを、わがトルコ海軍の連合艦隊司令長官に、任命したいと思うのだが、どうだろう」
「陛下、お気持ちはよく分かりますが、わが海軍に人材がいない訳ではありません。赤ひげを救うことと、わが海軍を強くすることは別問題であります。提督ドーリアがどれほど優秀か知りませんが、わが海軍にドーリアに対抗しうる人材がいない、と決めつけてお考えになるのは、早計ではございませんでしょうか」
「わしは赤ひげを救いたいから、長官にしようというのではない。彼ほどの人材がほかにいないから、放置して赤ひげを失ってしまっては、国家の損失になると考えているのだ」
「陛下が赤ひげを高く評価されるお気持ちはよく理解できますが、ここは冷静にお考えいただきたいのです。海賊を司令長官に据えたならば、まず世界各国の笑いものにされる恐れがございます。それに国民が怒り、あるいは陛下を笑いものにするかもしれません。私にはそれは耐え難いことです。どうかご再考をねがいます」
「世界各国や国民がわしを笑いものにするのは、赤ひげがわが艦隊を率いて敗れた場合であろう。しかし、勝てば官軍のことわざ通り、わしの英断をほめそやすであろう。イブラーヒム、戦いというものはすべてそうしたものなのだ。いかに周到な計画や作戦を立てても、負ければすべてが泡になる。いかにしたら勝てるか、勝つためには何をどうすることが最善なのか、それを考えることがわしとそなたの役目であろう」
「ごもっともでございます」
 大宰相は頭を下げた。言い出したらきかない皇帝の性格はよく承知している。独裁者ではないが、自分の頭脳と力量に絶対の自信をもっているため、とことんまで自説を主張することにきまっているので、ここらで折れあった方が得策、と頭を下げることにしたのである。
「わが海軍に人材がいない、とは申さぬが、赤ひげはわしの見るところでは、最高の人材であろう。高齢に達してはいるが、健康は問題ないし、頭脳もますます明晰だ。第一、彼ほどのキャリアをもつ人間は他にはいない。イブラーヒム、わしは彼のもっている運のよさに、賭けてみたいのじゃよ。戦いというものは、実力がすべてではない。運のわるい奴は実力を発揮できない。わしの見るところでは、赤ひげという奴は最高の運をもっているな。どうだイブラーヒム、奴に賭けてみようではないか」、
「よくわかりました。さっそく明朝、赤ひげに伝えましょう」
 赤ひげに異存は勿論ない。大艦隊と選びぬかれ、鍛えぬかれた将兵を与えられたのである。海賊を志願する、ならず者たちを使うには、利と力とをもってしなくてはならないが、海軍の将兵は国家のために命を投げ出そうとする、崇高な魂をもった人々である、と一応は考えてよい。完全武装した超大型ガレー船は、今までの海賊船にくらべて数段戦いやすい。しかも、常時百五十隻以上の大艦隊である。この大量の船舶と将兵を自分の意思ひとつで、自由に動かすことができるのである。
「長生きしてよかった」
 と、つくづく思う。海賊になってすでに六十年の歳月が流れている。死んだ兄ウルージを時折思いだすが、今日のこの栄誉をともに分かちあえたら、と思うと、涙が溢れてくるのを禁じえなかった。
「無敵艦隊との戦いに命をかけよう。戦いはむろん勝たねばならないが、自分は敵の弾に当たって、甲板に倒れてもいい」
 と彼は考えていた。プレヴェザ沖の大海戦の際に、彼は旗艦の甲板上で指揮をとりつづけた。すぐそばで大砲の弾が炸裂しても、彼は一歩も動かずに、敵の前に全身を曝し続けたのは、この決意があったからこそであった。
 大宰相イブラーヒムの身に災厄が降りかかったのは、赤ひげが長官に指名された直後であった。ジュリア・ゴンツァーラを捕え損なったことが、イブラーヒムの寿命をちじめることに繋がるとは、さすがの赤ひげも考えがおよばなかった。スレイマン皇帝の第一夫人ロクセラーヌの権勢欲と嫉妬ぶかさは、いつしかイブラーヒムを邪魔者とみなすようになっていた。自らが権勢を振るうためには、イブラーヒムはあまりにも有能すぎるのである。
娘のミフリマの婿であるアヤスを大宰相に昇格させれば、彼は従順で大人しく、イブラーヒムにくらべれば凡庸な頭脳だけに、忙しすぎる皇帝の分身としてみずから腕を振るうことができると考えた彼女は、イブラーヒムの殺害を計画した。彼女が最初にとった行動は、皇帝の耳にある事ない事、大宰相の悪事を吹きこむことであった。
「外国の使節たちは、本来皇帝に差し出すべき土産物を、大宰相に渡してご機嫌をとりむすんでいる」
「皇帝の承認を経ずに、内外の諸問題を独裁している」
「外国の使節に対して、皇帝の首のすげ替えをするくらいの力を、自分はもっているなどと吹聴している」
「イエニチェリ(特殊親衛隊)を動かして、皇帝を廃位して自分が皇帝になろうとする動きが見える」
 などである。さすがに皇帝は、ロクセラーヌの言に耳を貸そうとはしなかったが、何度も聞かされているうちに、多少の疑問をもつようになったことは、事実であろう。自分に対しては慇懃な態度ではあるが。たしかに独断的な行動が目立つのである。ロクセラーヌは、皇帝の心理の微妙な変化をじっと見すえていた。ロクセラーヌはあだ名で、「ロシア女」の意味である。本名はアレクサンドラ・フルレム。出自は不明である。シナンはアクの強い女だと評したが、策謀をもって第一夫人ギュルバハールを退けて、第一夫人にのし上がったことは事実らしい。
 スレイマンとの間には、四人の息子と一人の娘をもうけた。ずば抜けた美人だったといわれるが、残された絵はいずれもきつい表情に描かれている。快活夫人とよばれ、音楽に才があったといわれる。ロクセラーヌは、皇帝の心が微妙に揺れ始めたことを見透かすと、行動を開始した。最初は毒殺しようとしたが、用心深いイブラーヒムに対しては無理、と悟って諦めた。
次に考えついたことは、宮廷に養われている唖者を使うことであった。口がきけず、しかも文字を教えられていない彼らは、真実を他人に告げる心配のない都合のよい存在であった。ある晩、宮殿の一室で熟睡している大宰相に、十人の唖者を差し向けた。イブラーヒムは、刃物をもった十人の敵を相手に勇敢に戦ったが、助けを求める余裕を与えられずに一命を落とした。
一五三六年二月のことであった。大宰相としての十三年間におよぶ栄華は、一瞬にして幕が降ろされた。彼の寝室の壁には、血痕が何年後にも見られた、と言われる。皇帝は第一夫人を疑ったが、確たる証拠がないために、事件は迷宮入りになってしまった。オスマン帝国にあっては、地位の世襲制は存在しなかった。子孫は何人かいたが、一からの出直しを余儀なくされた。
彼の死後、第一夫人の推薦によって、娘婿のアヤスが大宰相に登用された。彼もイブラーヒム同様、ヴェネツィアとは友好関係を保ってゆく考えをもっていた。しかし、トルコとフランスの接近が、ヴェネツィアを離反させる結果となった。フランスはヴェネツィアに対して、トルコ・フランス同盟に加わるよう説得に努めたが、フランスとの経済的な権益をめぐる衝突のため、ついにキリスト教国側へ接近していった。
九、プレヴェザ沖の大海戦
キリスト教国側に傾斜していったヴェネツィアに対して、スレイマン皇帝は怒りを隠さなかった。大宰相アヤスが懸命にとりなしたが、皇帝は耳を貸さなかった。皇帝は赤ひげを呼んだ、
「エーゲ海における、ヴェネツィア領の島が合計二十五ある。これをすべて征服せよ」
「かしこまりました。なるべく短期間にやりとげましょう」
 赤ひげの自信に満ちた表情を見て、皇帝は大きくうなずいた。エーゲ海はトルコの庭のようなものである。今までは友好関係があったればこそ、赤ひげはこの島々に手を出さなかったのだが、戦争状態となれば、何も遠慮することはなかった。気の毒なのは、政治とは無縁の島の住民であった。疾風怒濤のごとき赤ひげ軍団の襲来が島々を脅かし、数千名にのぼる男女キリスト教徒が捕虜として、オスマン帝国に運びこまれた。
この事態に対して、ヴェネツィア政府は直接反撃することができなかった。赤ひげ艦隊に対抗できるのは、スペインの無敵艦隊をおいて他にはありえなかった。カール五世は、提督ドーリアの力量を信頼してはいたが、それ以上に、赤ひげの神がかり的な力を恐れていた。そこで、艦隊同士が激突する前に、赤ひげを買収することを思いついた。極秘に使者を遣わして
「北アフリカのボーヌ、ブージ、トリポリを与えるかわりに、手持ちの艦隊をすべて引き渡してもらいたい」
 と口上を述べさせた。スレイマンに知られた場合を懸念して、文書にはしなかった。それに対して赤ひげは
「全艦隊を引き渡すための条件としては、アフリカの北岸全域が欲しい」
 と答えて、使者を適当にあしらった。カール五世はこれに対して、辛抱づよく交渉をつづけたが、赤ひげはもちろん本気で相手をする気はなく、のらりくらりと時間稼ぎをしていた。ドーリアとの決戦に備えて、艦隊運動の練習をかさねる時間がほしかったのである。赤ひげの態度が悪いことにようやく気がついたカール五世は、ついに怒り出した。プレヴェザ沖の大海戦が起こったのは、その直後である。ヴェネツィアはスペインに協力して、八十隻のガレー船を提供している。この間赤ひげは、本拠地のアルジェには戻らず、イスタンブールに居つづけた。八十三歳になった彼は、驚異的な体力を保持していた。
「こんな年寄りは、今まで見たことがない」
 とスレイマン皇帝に言わしめるほど、酒量も食欲も落ちなかった。頭髪もひげもすでに真っ白に変わっていたが、赤ひげの名はそのままであった。けいけいと光る眼光は依然として鋭く、頭脳の回転も若いころと変わらなかった。皇帝は、連合艦隊百五十隻の全司令と船長を一堂にあつめて演説をした。彼らが赤ひげを海賊と馬鹿にして、心底から従わない場合があることを心配したからである。
「赤ひげは、皆のものがよく承知しているように海賊である。海賊をわが連合艦隊の司令長官に任命するとは何事か、と目を三角にする向きのあることは、余が充分に承知している。平和なときであれば、海軍軍人の中からそれに相応しい家系と、品位を有した人物を長官に据えることが、内外の批判をうけずにすむ最良の方法であることも、余は承知している。しかし、今は非常事態である。スペインは切り札のドーリア提督を起用して、わが国との決戦に臨もうとしている。
今はわが国の危急存亡の秋である。現在わが海軍の中に、赤ひげほどの経験と能力を有したものが見あたらない以上、彼を起用することは、どうあっても避けられないことである。余が赤ひげにわが海軍の全権を与えたからには、諸君は赤ひげの命令は余の命令である、と考えてもらいたい。赤ひげの命令に従わないものは、直ちに処刑されることを覚悟してもらいたい。諸君が、わがオスマン帝国の命運を握っているのである。各位の健闘を祈る」
 やさしい言葉で、分かり易く説明をした皇帝の演説は短かった。しかし、この演説の効果は計り知れないほどのインパクトがあった。それまで、赤ひげ批判を陰でやっていた幹部たちは、ぴたりと口を閉ざし、一兵卒にいたるまでそれは浸透した。スレイマンの演説は一種の恫喝である。これが、国民や軍人たちから嫌われている指導者の演説であったならば、当然逆効果となった筈であるが、スレイマンという人は、国民の各階層から慕われる不思議な人気の持ち主であった。規律をきびしくするのに、軍人や役人からも好かれる、という稀有の皇帝であった。
赤ひげは、司令と船長たちを別の機会にあつめて何度も酒宴を催した。彼は教養もあり、航海術から砲術、測天儀そのほかの知識は、軍人たちに負けないだけのものをもっていた。それでも、彼らの意見に対して謙虚に耳を貸し、かつ彼らとうちとけて酒を飲み、愛嬌をふりまいたので、彼らの信望を短期間に勝ちとることに成功した。百五十隻の大艦隊が、たった一人の命令のもとに生き物のように艦隊運動をすることは、想像以上に難しいことである。
参謀たちの緻密な計画と打ち合わせがあっても、実践の場で、そのとおりに運動することができる保障は何もない。そのために、練習航海が何十回もくり返され、次第にまとまりが得られるようになって来た。二手に分かれての模擬戦闘も行われ、人命も艦船の損傷も少なく、敵に対して優位を築ける方法を将兵におぼえさせた。六十年をこす赤ひげの経験は、歴史の浅いトルコ海軍に大きな刺激をあたえ、将兵の信望を深めていった。カール五世との秘密交渉が決裂して、決戦のときは刻一刻と近づいていた。ある日、シナンが赤ひげの部屋にかけこんできた。
「提督、無敵艦隊二百隻以上が、アドリア海に入りました」
「アドリア海のどこだ?」
 赤ひげは落ちついていた。
「ヴェネツィアに向かっているようです。おそらくヴェネツィアの艦隊と合同してから、わが軍に向かってくるものと考えられます」
「それならば我々はプレヴェザ港に入って、アドリア海の出口を固める手があるな」
「そうです。出口を固めて、ドーリアがどうあっても逃げられないようにすべきです」
「いよいよ決戦だな」
 赤ひげは立ちあがって窓に近寄った。宮廷の一室からボスフォラス海峡が眺められる。海峡は午後の日差しにきらめいていた。おそらくドーリアの無敵艦隊は二百五十隻を超えるであろう。トルコ海軍は大型ガレー船百五十隻である。百隻の差をどう埋めるかが課題である。小型のギャリオット船は使いようはあるが、大艦隊同士の激突の場合はあまり役に立たない。砲撃戦に耐えられるのはなんといっても大型船である。砲撃戦の後に、敵艦に斬りこむには小型のギャリオット船が敏捷である、しかし、この戦いはギャリオット船の出番があるかどうか。
 赤ひげは、ドーリアとの一騎打ちを頭に描いてみた。巨大な敵である。どんな戦い方をしてくるのか。この戦いはドーリアと自分との戦いであり、自分の気力が勝れば、百隻の差を撥ね退けて勝つことができるであろう。戦いは必ずしも数の問題ではない。自分には優秀な部下が数多くいる。気力で劣るようなことは決してないだろう。気力とはなにか。要するに、命を捨ててかかれるかどうかに過ぎない。
シナン、ドラグート、アイディン、ムラドたちの気力をかき立てねばならない。彼らに皆、死ぬ覚悟をしてもらおう。そのためには自分が真っ先に命を投げだそう。自分が死地に立てば、彼らも奮起して命を捨ててくれるだろう。赤ひげは、ボスフォラス海峡を眺めているわずかな間にそこまで決心した。振りかえると、シナンも後ろから海峡を見つめていた。
「シナン、わしはこの国のために、命をすてる決心をした。お前を、地獄の道ずれにしたい。ついて来てくれるか?」
「提督、いまさらなにを言うのです。私の腹はとっくに決まっています。ドラグートも、アイディンも、ムラドも、提督と地獄の底まで一緒に行く気でいます。ご安心ください。われわれだけではありません。主だった奴らはみなその気でいます。どうせ人間と生まれたからには、一度は死ぬことが決まっているのですから、無敵艦隊との決戦なら、よろこんで死んでくれますよ」
「シナン、ありがとう。お前がそう言ってくれると、わしも喜んで死ねるというものだ。お前たちより、わしは先に死ぬぞ」
 赤ひげはシナンの手を握りしめた。
「いえ、一緒に死にましょう。提督と一緒に死ねるなら、私の人生も、少しばかり花が開いたことになります。たった一度の人生です、少しでも華が欲しいじゃありませんか」
 シナンの目にも涙が光っていた。

一五三八年の夏のおわり、無敵艦隊との決戦にのぞむべく、赤ひげは皇帝に連合艦隊の出動を要請した。一方、無敵艦隊はヴェネツィアとローマ教皇の増援をえて二百数十隻に達し、六万人の兵と二千数百門の大砲を備えた大艦隊になっていた。
 赤ひげは股肱の臣をあつめて意見をもとめた。
「ドーリアがスペイン随一の提督、といわれる所以は一体なんだろうか?」
 最初に口を開いたのはシナンだった。
「ドーリアが理論派で、協調型の人間だからじゃないでしょうか」
「なるほど、皇帝に対して理論的に、戦術戦略を説明できることと、幹部たちと協調してゆける人間だから、トップに立てたということだな」
「そのかわり、協調型の人間の弱点は、決断力に欠けることです」
「わしとは正反対の人間で、秀才タイプなのだな」
「秀才タイプの人間は緻密な計画を立てますが,状況が裏目にでたときに、自分の理論をひっくり返すことができません」
「なるほど」
「戦いというものは、状況が変わったら変わったなりに、逆のことをやらなければならないことが出てきます。その点、会議を長々とやって決めたことは、簡単にひっくり返せませんから、そこがドーリアの弱点になると思います」
「ドラグートはどう思う?」
「ドーリアという男はカール五世の受けがいいだけで、戦いのトップに立つ人間ではないと思います。作戦を国王の前で弁じたてることは巧みでも、実戦は勘と度胸が左右することが多いものです。恐れることはないと思いますね」
「ムラドはどう見ているのだ?」
「私は、ドーリアという男を相当程度評価しています」
 ムラドは先輩たちに気を使いながら、しかし決然と言い放った。ドラグートたちとくらべて一回り若い。浅黒い肌のおくに光る目は、利発そうな輝きを湛えていた。後に、彼はドラグートの後任として、赤ひげ軍団の長になる男である。
「少数対少数の戦いの場合は勘と度胸が左右しますが、百五十隻対二百五十隻の戦いでは、ドーリアの作戦を本気で推理する必要があると思います。スペイン随一の提督といわれるゆえんは、無視できないと思うのです」
「ムラドは、ドーリアがどう出てくると考えているのだ?」
「ドーリアは、プレヴェザ港の沖合いで風を待つだろうと思います。風を背に受けたときに、攻めてくることを覚悟すべきかと考えます」
 この時代は、帆船時代にはまだすこし間があって、帆とオールの両方を備えていた。風を間切って、向い風を利用して進む技術がまだでき上がっていない。プレヴェザ港はアドリア海の出入り口にあり、トルコとは友好関係にあるギリシャの領土である。   
「風にむかって漕いでも、なかなか進まないからのう。西風の場合は港内にこもって、大人しくしていることにするか」
 赤ひげはのんきそうな口調で言った。アイディンがひと膝のりだした。
「東風をうけたら港をでて一気に攻めましょう。勢いさえあれば、百隻の差は問題ないでしょう」
 シナンは、アイディンにうなずいて見せてから言った。
「ドーリアが沖にいて、われわれが港内にいるということは、絶対的な幸運でした。ドーリアは、風の流れを一瞬にして捕える能力をもっているでしょう。しかし、彼が決断しても、スペイン、ジェノバ、ヴェネツィア、ローマ教皇などの混成部隊ですから、全艦がいっせいに機敏な行動をとることは、かなり難しいと思います」
 赤ひげは真っ白になったひげを、撫でまわしながら肯いた。
「数が多ければいいというものでもないな。ドーリアはその点で苦労しているだろう」
 その後は、お定まりの酒宴になった。
 九月二十五日、待ちにまった無敵艦隊がプレヴェザ港の沖合いに姿を現した。この日は朝から激しい雨が降りつづいていた。しかしほとんど風がないため、沖合いと構内で睨みあったまま、たがいに動かなかった。 先に港内に入っていたことが最高の幸運だったことを、赤ひげは噛みしめていた。敵艦隊が数だけでなく、艦の大きさでも圧倒的に有利であることを悟ったからであった。外海で出会いがしらに激突したら、どうなっていたか分からないと思った。
西風が吹いて、敵が湾内に攻めこんできた場合でも、前面には砂洲が横たわっていて、敵の重い主力艦はこの砂洲で立ち往生する可能性がある。両艦隊の、息詰まるような睨み合いがつづくなか、海軍の参謀たちが赤ひげの下に駆け込んできた。ドーリアが大砲を陸揚げして、海岸方面から攻撃してくることを懸念して、陸上に土塁をつくって防御する策を献言してきた。しかし、赤ひげは
「ドーリアは、おそらくそうはすまい。それより、風が吹きはじめた瞬間から戦いが始まるから、各位は持ち場を離れないようにしてもらいたい」
 と言って、献言を退けた。一日おいて九月二十七日の夕方、激しい雨が降りはじめ、しだいに豪雨となっていった。やがて、東風が吹きはじめた。艦がそれまでの北風の影響で大きくゆれ動いていたが、八十五歳の老提督は、旗艦の甲板上に仁王立ちして動かなかった。シナンは少し離れてその後姿を見守っていた。赤ひげがこの戦いに命を懸けていることを、ひしひしと感じざるを得なかった。追い風が本物であることを、肌でたしかめた彼は
「敵陣へ突っ込むぞ!」
 とシナンに声をかけた。
「行きましょう、この風に命をかけましょう」
シナンはそう答えると、後方へむかって片手をあげた。突撃命令である。後方でそれを見た副官たちが、顔面に緊張感をみなぎらせて四方に散った。砂州を迂回するようにして、右側からドラグート艦隊が、左側からアイディン艦隊が、全体の先頭をきって二列で整然と出港した。すぐに大砲の打ち合いが始まった。全艦隊の中央に位置する旗艦にも、大砲の弾は容赦なく飛来した。赤ひげの立っている甲板の十メートルの近さに、砲弾が炸裂したが、彼は微動だにしなかった。その姿を見て、全艦隊の将兵がふるい立った。
 暗くなりはじめた夕方の豪雨の中に、長身の老提督の黒くしか見えない姿が、彫像のように浮かびあがっては、見え隠れしていた。雷鳴が轟き、さらに雨足が激しくなった。たたきつけるような豪雨の中で、一歩も動こうとしない赤ひげの姿は、トルコ海軍の守護神のように将兵たちには見えた。それに対して、無敵艦隊の旗艦の甲板上にドーリアの姿は見えなかった。赤ひげ艦隊は追い風に帆をいっぱい張ると、縦横に走りまわって大砲を撃ちまくった。ドーリア艦隊も数をたのんで懸命の応戦をしたが、次第に強まってくる向かい風をうけて、自在な動きを失っていた。
しかも、艦隊としてのまとまった動きがみられず、攻撃してくる艦と逃げ腰の艦が、ばらばらに展開しているように見えた。赤ひげ艦隊は三艦が一組になって、敵の一艦を取り囲んで砲撃をする、いわゆる海賊戦法をとった。敵艦が炎上するのを見きわめると、次の敵をもとめて機敏に移動するのである。この戦法は効率がよく、数でまさる敵が無差別に攻撃してくるのに対して、はるかに確実な戦果をあげていた。
 艦隊の最後尾に位置して、船長室の窓から遠眼鏡で戦況を眺め渡していた提督ドーリアは、そのとき不吉な予感に襲われた。遠くばかりに気をとられていた彼は、ふと周囲を見まわして仰天した。いつの間にか敵艦が三隻、獲物をねらう狼のように周囲をかこみながら接近してきていたのである。ドラグート、アイディン、ムラドの三艦が三方から敵の旗艦を目指して、帆をいっぱいに孕んで矢のような勢いで突進してきていた。乱戦の戦場を抜け出して、この自分に戦いを挑んでくるのは、ドラグート以外に考えられない。
ドーリアの頭の中にドラグートの、あの精悍そのものの顔が浮かんできた。戦う相手として、彼ほどおそろしい敵はいない。砲術の天才として、世界中に知られた男である。しかも、砲撃戦のさなかに逃げだす敵には、ようしゃなく体当たりを喰らわせて、過去に何十隻のガレー船を沈めてきたことであろうか。ドーリアは、この男と直接激突することだけは、避けるべきであるとつねづね考えてきた。
しかるに今、僚艦二隻とともに三方から迫って来るではないか。ドーリアは、ふかく考える暇を与えられずに、反射的に逃げることだけを考えた。西、すなわちスペイン方面に回航を命じると、追い風にのって猛スピードで発進させた。連合艦隊司令長官としての立場を、一瞬忘れた。動物の本能としての恐怖心が、彼の行動をきめたのであろうか。
 連合国であるポルトガル、フィレンツエ、ジェノバ、ヴェネツイア、ローマ教皇、マルタ島の騎士団、などを合わせた大連合艦隊であり、その中核をなすスペインの無敵艦隊を、カール五世から預かる身であることに思いをはせたのは、ドラグートの恐怖を見事に振りきった安堵感の後であった。
 あと一歩で砲撃できる距離まで詰めたところで、ものの見事に逃げられてしまったドラグートらは、歯噛みして口惜しがったが、ドーリアの旗艦はその大きさとスピードの点で、トルコ艦隊をはるかに上回っていた。見る間に水をあけられた三艦は、追跡を諦めざるを得なかった。追跡を諦めた彼らは、ふたたび戦場に戻った。プレヴェザ沖の戦場は混乱をきわめていた。司令長官が艦隊を見捨てて逃走した事実にくわえて、しだいに炎上する僚艦がふえてゆく様を見せられて、闘志をうしなって逃げだす艦船が続出しはじめた。
豪雨は雷鳴をともなって、一向にやむ気配をみせなかったが、夕闇がせまる前に戦いは決着がついた。赤ひげは風雨に身をさらしながら、甲板上に立ちつくしていた。撃沈した艦がおよそ五十隻。今、炎上している艦も何十隻か沈没するであろう。投降してきた艦がおよそ七十隻を上回るだろう、と大雑把な計算をしながらドーリアのことを考えていた。
 艦隊を放置して真っ先に逃走した彼は、国王になんと釈明をするつもりだろう。カール五世は烈火のごとくに激怒するであろう。多くの国民は彼の行動を酷評するだろう。この海戦で戦死した兵士の家族は、彼を死刑にするよう求めるかもしれない。彼はスペイン人ではない。ジェノバに生まれ、フランス海軍に身を投じたが、提督の地位を得た年になってフランスに見切りをつけて、スペイン海軍にスカウトされている。国民と友邦各国は、彼を司令長官に起用したカール五世に批判の目を向けるであろう。
 逃げ帰ったドーリアに、居場所などあるはずがない。死に場所を失ってしまった彼を、赤ひげは哀れに思った。七十年も生きて、いまだ命をおしむ彼の気持ちは、どう考えても理解できなかった。しかし、突然三頭の飢狼に囲まれたトナカイの恐怖心と、そのあわてぶりは想像できた。この海戦の最大の功労者は、ドーリアであることに思いが至って、赤ひげのぬれた頬に皮肉な笑みが浮かんだ。
ドーリアの失敗は、欧州諸国間の相互不信と、それを調整しようとして会議や折衝に疲れ果て、なかば戦意を失っていたことも、原因のひとつと考えられた。赤ひげ側は風の援護があったとはいえ、豪雨と雷鳴と高波の中での壮烈な砲撃戦は、闘志がものをいったと考えられる。積極的な攻撃は、味方の損害も軽くした。撃沈された艦はわずか六隻で、破損した艦は二十数隻という、信じられないほどの軽微なものであった。八十五歳の老提督が、神業としか言いようのない大戦果を挙げたのである。スペインは当分の間地中海における制海権を、オスマントルコに譲り渡さねばならないのである。
 イスタンブールに凱旋すると、赤ひげはすでに神格化された存在となっていた。彼が海賊出身であることは、さらに彼を人気者にする要因となった。オスマントルコを世界一の強国にのし上がらせたスレイマン皇帝と、世界一の無敵艦隊を破ってヨーロッパ諸国を沈黙させた、赤ひげの人気は双璧となった。
 プレヴェザ沖の大海戦のあと、ヴェネツィアはオスマン帝国に単独で講和を申しいれた。赤ひげ艦隊に地中海を制圧されて、船舶の運航ができなくなると、たちまち食糧不足に襲われた。ヴェネツィアは、内陸交易をほとんど行わず、大半を海上交易に頼っていた。こういう結果になると、スペインを見捨てるほかなかった。スレイマン皇帝の前にひざを屈して、三十万ドゥカトという莫大な戦争賠償金を支払い、領土の中からナウプリー、モネムバシアの両島を割譲することを含めて、エーゲ海におけるすべての領土を失う結果となった。
 ここまで、すべて順調にきていた赤ひげ軍団に突然不幸がおとずれた。大海戦から約一年後のことである。ドラグートがスペイン軍に不意に襲われて、死亡したと伝えられたことである。コルシカ島の港で、三十名ほどの部下をつれて食事をしていたところを、ドーリア提督の甥にあたるジャンネッティノ・ドーリアの軍隊に襲われた。生存者が一人もいないので詳細は不明だが、スペイン側は赤ひげ軍団隋一の勇将の首を取ったことで、大いに気勢が上がっているとの噂であった。赤ひげはがっくりと肩を落とした。自分の後継者として、期待していた最大の人材である。
「信じられない。どうしても信じられない。ドラグートなら、百人の敵からでも逃れてくる力がある。まだどこかで、生きているような気がしてならない」
 側近に対して、何度も同じことを繰りかえした。
十、アフリカに神風が吹いた
 プレヴェザ沖の海戦から三年の月日が流れた。スペインとキリスト教連合軍は、ようやく力を取り戻した。カール五世は五百隻にのぼる大艦隊を用意して、赤ひげに復讐するべく、機会を伺っていた。アルジェを基地とするバルバリア海賊の跳梁ぶりを見ていて、赤ひげはアルジェにいるもの、と誤った情報が伝えられていた。先年、アルジェを出港したドラグートが、コルシカ島で死亡したと伝えられたことも、誤報の元になっていた。カール五世は、七十三歳になったアンドレア・ドーリアを呼んだ。
「機は熟したと思う。提督、もう一度赤ひげと戦ってみる気はないか?」
「前回の敗戦の責めを負うべき私を、再度起用していただけるご厚情に対して、感謝の言葉もありません」
「そうか、やってくれるか。それでは司令長官に任命する。出港は十月にしよう」
「は、十月でございますか?」
「うむ、十月がいいと思う」
「陛下、お言葉ではございますが、十月から十一月にかけての北アフリカは、暴風のシーズンであります。この季節だけは、古来いかに航海術に長けた提督でも、航海はいたしておりません。どうか、ご再考をお願い申し上げます」
「提督、臆したか。プレヴェザ以来弱気になったと見えるな」
 カール五世は、口元に皮肉な笑いをうかべた。
「お許しください。プレヴェザの海戦は、私の大失敗でありました。弁解の余地もありません。しかし、私はあれから反省をいたしました。私は、今度こそ海賊ごときには決して負けないだけの戦略をうち立てました。今回の出撃に異議を申したてますのは、決して臆したからではございません。私は永年アフリカ沿岸を航行して参りましたが、十月から十一月にかけては、かなり大型の暴風が襲来いたします。この暴風はときに大量の雨を伴います。このことを考えますと、出撃は半年間おくらせて、来春がよろしいか、と愚考いたします」
「暴風はたしかに恐ろしいが、長距離の航海なら別だが、わがバレンシアからアルジェまでは一跨ぎではないか。ジブラルタル海峡を出て、外洋まで足を伸ばそうというのならいざ知らず、地中海という内海の中の、すぐ隣まで行こうというのだ、何も怖がることはあるまい」
「はい、仰せの通りでございます。しかし、地図の上では一跨ぎでありますが、実際の航行日数は風にもよりますが、二週間前後を見ておかなくてはなりません。それに、わがスペイン領で暴風にあったならば港に避難することもできますが、敵の港ではそうも参りません」
「それは提督の言うとおりである。しかし、春になれば赤ひげは艦隊を率いて、海へでる機会が多くなる。それに対してこの季節であれば、アルジェに大半の船と兵員が集まっているであろう。奴らを一網打尽にするには、この季節以外にあるまい」
「ごもっともでございます。私は自分が危険な目にあうことが怖いのではございません。今回は陛下のご親征であられることを、危惧いたしているのでございます」
「うむ、わしの身を案じてくれるのはありがたいが、赤ひげの奴をいつまでも生かしておくことは、どうしてもわしの腹の虫が治まらないのじゃ。あと半年も待つことなど、わしにはとても我慢がならん。それに赤ひげの奴、もう少しで九十歳になってしまう。あ奴にこのまま死なれたのでは、たまったものではない。あ奴のことだから、きっと地獄へ行くであろうが、地獄へ行って無敵艦隊をやっつけたの、スペイン国王はだらしがないなどと吹聴されたのでは、わしがたまらん。何とかしてあ奴が生きているうちに捕まえて、極刑にしてくれねば、どうしても腹の虫が治まらんのじゃ」
 国王の言葉をきいて、ドーリアは諦めた。これ以上逆らえば、自分は司令長官を降ろされて、そして、朽ち果てるであろうことを、想像せざるを得なかった。
「分かりました。私の全知全能を傾けて、敵とも暴風とも戦ってご覧に入れます。どうかご安心を」
「上陸部隊は、アルバ公に指揮をとらせることにしたから、提督は、航海のことだけ心配してくれればいいぞ」
「かしこまりました」
「ただし、この航海はローマへのものだ、ということにしておいてもらいたい。アルジェの赤ひげ退治だということを公表すると、赤ひげに逃げられる恐れがある。あくまでもわしがローマ教皇に会って、オスマン帝国との問題を話し合うためのものだ、ということにしておいてもらいたい」
「そのように致します」
 アルバ公とは、陸戦において百戦して敗れたることなし、と称えられた豪勇の士で、十六世紀を通じてもっとも偉大な戦士といわれた貴族である。ドーリアは観念した。三年を経てもなお、プレヴェザの敗戦は、国王をはじめ国民すべての記憶に依然として生々しい事件である。いかに自分が暴風の危険を論じても、誰一人として耳を貸さないほど、自分の威信が低下してしまっていることを、痛いほど感じさせられた。
暴風の季節であることを強調すればするほど、臆病風に吹きまくられた年寄り扱いされることが目に見えていた。アルバ公を先に担ぎだしてきていることも、自分がいかに信頼されていないかの証拠のようである。ここは老提督ドーリアの正念場であった。国王は海賊退治に親征することを、周囲におだて上げられて気分が高揚していた。まるで活劇の中のヒーローになったような気になってしまっていた。
自分の恰好のよさを、若い女性たちにも見てもらいたいと言い出した。そして、ハーレムの女性たちはもちろん、貴族階級の若い美女たちまで多数召しだして、旗艦に乗せて行くことにしてしまったのである。ドーリアは呆れた。この航海は物見遊山ではない。赤ひげという怪物との真剣勝負なのである。三年前は百五十隻でしかなかったトルコ海軍も、おそらく三百隻から四百隻に増強されているであろう。無敵艦隊に倣ってガレー船も超大型艦に造りかえてあるにちがいない。勝てると決めてかかる方が可笑しいのである。
 この戦役には、著名人も数多く参加している。コロンナ大公は五千人のイタリア人部隊を、ジョルジオ・フロンティスペロは六千人のドイツ人部隊を率いていた。メキシコの征服者として名声を博したフェルナンド・コルテスは、自前の金でガレー艦隊を準備して、二人の息子ともども参加していた。スペインの大公や公爵たちは、コルテスを冒険家の成り上がり者という目で見ていたため、最大のピンチに陥った時でも彼に助言を仰ごうとはしなかった。
しかし、なんという皮肉な運命の巡り合わせであろうか、目指す赤ひげはアルジェにいなかった。この時赤ひげは、イスタンブールで皇帝のお相手をして遊んでいたのである。留守をあずかっていたのは赤ひげの息子ハッサンで、兵力はトルコ兵八百人と、地元兵五千人しか与えられていなかった。無敵艦隊の突然の襲来を知ってハッサンは赤ひげの下へ使いを出したが、もちろん間に合わないことは承知の上であった。アルジェは、イスタンブールからはあまりにも遠かった。五十隻あまりの艦隊はちかくの港へ避難させ、六千人近くの兵は、陸上を通って連れて逃げようとハッサンは決心した。
 かつて、参謀シナンが発明した爆薬をつめた鉄球で、スペイン勢の上陸を三日間遅らせた例を思いだしていた。再びこの手を使って逃避行を有利にしたいと考えて、丘の上に投石器を据え付けさせた。しかし、投石器を使う機会は訪れなかった。一五四〇年十月十九日、五百隻にのぼる無敵艦隊がアルジェ港の沖合いにその威容を現した。岩だらけの岬が湾を形どっている。港の奥に丘が見えた。この日は朝から快晴で、日当たりのよい丘には住宅が密集している。カール五世は甲板の上から丘の風景を見渡して、ドーリアに話しかけた。
「あれが海賊どもの住み家らしいな」
「そのようであります」
「丘の頂上に、ちゃちな城らしきものが見えるが、あれが赤ひげの根城かな?」
「そのようですね」
「しかし、赤ひげの艦隊はどこにも見当たらないが、逃げられたか、それともどこかに出かけているのか?」
 国王の表情に失望の色が浮かんだ。
「この時期は、獲物を求めて出かけることはない筈です」
「とすると、イスタンブールか」
「それも考えられます」
「仕方がない。アルジェを征服して、赤ひげが二度と戻れないようにしよう」
 ドーリアは国王の意をうけて、残留部隊に降伏勧告状を送りつけたが、ハッサンはこれをあっさりと退けた。いち早く婦女子は内陸深くに避難させてあるので、戦おうという意思を使者に伝えた。ドーリアは驚いた。赤ひげとトルコ海軍なしで、どうやってこの大艦隊と戦う気でいるのか。しかしそれにしては、要塞から一発も砲撃してこないことが奇妙であった。
「内陸に引き込んでおいて、ゲリラ戦に持ちこむ積もりでおるのかのう」
 カール五世は、静まりかえっている湾内を見まわして、つぶやいた。
「チュニスでは、爆弾を放り投げて寄越しましたので、油断はなりません」
「降伏しないところを見ると、あるいはそうかもしれない」
「斥候をだして様子を見ましょう」
 ドーリアは小型のギャリオット船五隻を湾内に入れて、様子を見ることにした。ギャリオット船は挑発するように湾内を遊弋してまわったが、要塞からは何の応答もなかった。
「留守を守っているハッサンも、あるいは逃げてしまったのかもしれません」
ドーリアの言葉に、国王はうなずいた。
「そろそろ夕方になりますから、港へ入りましょう」
ドーリアが全艦に合図をしようと立ち上がったときである。今まで晴れわたっていた空の一角に黒雲が現れ、それがみるみるうちに広がってアルジェ湾をすべて覆ってきた。やがて北からつよい風が吹きはじめ、あれよあれよと見守るうちに雲の塊は豪雨に変わっていった。今までの快晴がうそのようであった。
五百隻にものぼる大量の船舶がこの暴風の中を入港すると、せまい湾内で船舶同士がぶつかり合って、かえって危険と判断したドーリアの提案で、艦隊は港外で三日間待機するはめになった。四日目にようやく暴雨風はおさまったが、高波は静まらないため、カール五世はアルバ公に要請して、一部の兵を泳いで上陸させることにした。兵員は約五万人であるが、まず六千人を上陸させて町を占領させることにしたのである。
アルバ公は馬にのったまま海に入った。六千人全員が上陸し終った頃に、ふたたび暴風が襲いかかった.食料、弾薬、テントなどの補給物資は波が治まってから陸揚げする予定であったため、将兵はアルジェの町の入り口で立ち往生してしまった。十月の末とはいえ北からの烈風は冷たく、兵はひざまで泥につかって豪雨の中で凍えた。火薬は湿って一発も発射できない有様となっていた。ハッサンはその様子を丘の上からじっと見つめていた。
「敵味方は、今のところほぼ同数である。逃げることはやめて、このチャンスに戦おうではないか」
 ハッサンの言葉に、幹部たちもみな同意した。
「深夜まで待つのだ。やつらは寝る場所もない。このつめたい雨に打たれて、立ったまま夜を明かさざるを得ないだろう。しかも火薬はしめって使えないだろうから、火器による優劣の差はない。おまけに敵は武将だけが馬に乗っているが、兵卒は徒歩だ。われわれは半数が騎馬で戦えるのだから、圧倒的に有利だ」
 ハッサンの説得に兵卒はふるい立った。火器がない場合は、騎馬武者は歩兵数十人に匹敵するといわれる。深夜を待って攻撃態勢に入った。騎馬隊三千と、歩兵二千数百人を半分にわけて、一隊を副将エンガルに預け、自ら一隊を率いた。ハッサンは全員に鉄製の楯をもたせ、弓矢と長槍をあたえた。
 豪雨が続いていた。夜が更けるにつれて気温は急速にさがり、真冬のような様相になってきた。暗黒のなかを歩兵が這うように忍びよって、左右からいきなり矢を雨あられと射かけた。寒さに震えるスペイン兵は身を寄せあって立っていたから、何が起こったのか分からないうちにばたばたと倒れたが、すぐに弓矢で応戦して来た。
 しかし、味方は盾をもって防ぐので損害はほとんどなかった。弓矢の応酬が一段落すると、騎馬隊が長槍の穂先を揃えてつっ込んでいった。一対一の戦いでは、短槍の方が運動性がよいとされるが、集団で穂先を揃えてつっ込む場合は、長槍がだんぜん威力を発揮する。この突撃にはひとたまりもなく、スペイン軍は雪崩を打って壊走しはじめた。泥濘の中を港へ向かって退却をはじめたが、くずれ立った軍隊は隊の形をなさないままに、次々と撃たれていった。
 その時、マルタ島に本拠をおく聖ヨハネ騎士団が、海賊の突撃のまえに立ちはだかった。彼らは数百名全員が騎馬であった。キリストの教えを深く信仰するこの騎士団は、死を恐れないことで海賊たちが最も苦手とする敵であった。誰でも命が惜しい。その点では海賊も同じである。しかしながら、マルタの騎士たちは死を恐れない。死ねばキリストのいる神の世界へ行ける、と信じ込んでいる。聖戦であるならばよろこんで命を投げ出そう、というのであるから始末が悪いのである。
しかも厳格な規律のもとで、特別きびしい訓練を積み重ねてきている。仲間を見捨ててわれがちに逃げるなどということは、この騎士団に限ってはありえない。小数ながら海戦も強く同数の船をもって戦ったら、マルタの騎士団に勝てる海賊はどこにもいない、と言われるほどであった。
 ハッサンとエンガルの号令の下に、海賊たちは再三にわたって突撃をくり返したが、そのつど騎士団にはね返された。その間にスペイン軍は足場のよい海岸まで退却し、態勢を立て直した。マルタの騎士団が勇敢に戦わなかったら、スペイン軍はおそらく恐慌状態になって全滅していたかもしれなかった。陸戦隊長のアルバ公はみずから陣頭指揮にあたった。甲冑をまとい、馬上で剣を抜き、壊走しようとする兵を叱咤し、弱気をおこす貴族たちを激励した。
ハッサンは深追いを避けた。朝になれば、増援部隊が大挙して上陸してくることは、目に見えていた。彼は兵をまとめると、退くとみせては攻め、攻めるとみせては退いて、結局ほとんど兵を損じないままに見事に退却しきった。この間も、暴風は猛威を振いつづけ、多くの艦船が海岸に打ち上げられて難破した。十月二十五日は史上最大か、といわれるほどの猛烈な北東ハリケーンが襲ってきた。
この暴風は「カール暴風」と名づけられ、現代にまで語り伝えられている。ドーリアは残った艦船を収束して、一旦沖へでた。風は荒れ狂っていたが、海岸の岩礁に衝突したり、味方同士がぶつかり合うことを避けるためであった。やがて風が収まったので、陸上の部隊を収容すべく海岸にちかより、苦難の末に生存者を救出できた。しかし、船の数が半分になってしまっていた。
それに対して、兵の数は二千人程度しか減っていなかったので、やむなくすべての馬と食料の大半を海に捨てざるを得なかった。十一月二日、艦隊が湾を離れると同時に、ふたたび暴風が襲ってきた。折角まとめた船団はまたもやちりじりになり、海岸に打ち上げられる船が続出した。海岸には、ハッサン軍が待ちかまえていて、つぎつぎと難破船の乗員を捕虜にしていった。
かろうじて残った艦船は、暴風と約三週間もの長きに渡って戦ったすえに、国王を奉じてやっとの思いで母国に帰り着くことができた。無敵艦隊は、約三百人の貴族と約八千人の兵を失い、三百隻のガレー船を失っていた。アルジェの奴隷小屋は満杯になり、キリスト教徒の奴隷はたまねぎ一個の値にもならない、などといわれた。アルジェの人々は、この戦いで勇敢に戦ったマルタの騎士たちのことを忘れずに、彼らが踏みとどまって戦った地点を、『騎士たちの墓』と呼んだと伝えられる。
十一、九十歳の恋
ある日、スレイマン皇帝は赤ひげを召しだした。赤ひげはイスタンブールに滞在している間は、宮廷に寝泊りしていた。皇帝はこの九十歳になる老海賊と話をすることが好きで、最大の贅沢をさせて、手元に置きたがった。イスタンブールは温帯に位置していて、四季があり気候的には住みやすい。それになんといっても大都会であり、しかも宮廷にあっては何ひとつ不自由のない暮らしである。老海賊にとって宮廷は天国であった。 
「提督にひとつ頼みがあるのだが、聞いてくれるかな」
「はい、私にできる事でしたら、何なりとお申しつけください」
「実は、フランスのフランソワ一世が、頭をさげて同盟を頼みに来たのだ」
「なるほど、ドイツとスペインに挟まれて、苛められていますからねえ」
「二十年ほど前であったが、フランスとスペインが戦ったことがある、覚えておろう」
「はい、よく覚えております。スパインが勝ちましたね」
「フランスという国は昔から弱いものだから、フランソワ一世が息子ともども、マドリードに拉致されたことがあった」
「そうでした。フランスの国王が連れて行かれたのには、正直びっくりした思い出があります」
「その時、フランソワ一世の母親がわしに手紙を寄越して、息子と孫を助けてくれと言って来たのだ」
「それで、どうなりました?」
「わしはカール五世と交渉して、彼らがパリへ戻れるようにしてやったが、まあ一口に言えば、それ以来の仲なのだ」
「同盟と申しますと、対等の関係のようにきこえますが・・・」
「今度も助けてくれということなのだが、フランスという国は歴史が古く、文化の程度も高い国であるから、表面上は対等の関係としておいてやるのだ」
「キリスト教国が同じキリスト教国に苛められて、イスラム教国と同盟するというのも、考えてみれば可笑しな話ですな」
「まったく可笑しな話だよ。しかし、わしはフランスの文化は好きなので、交流することは歓迎している。それにハンガリーとオーストリアの征服事業が、まだ完結していないし、今後もドイツ、スパインとは戦わねばならない立場にあるので、フランスとは友好的なつき合いをしておく必要もあるのだ」
「キリスト教国側の足並みが揃わなかったから、プレヴェザでは勝つことができましたが、彼らが打って一丸となってかかってこられたら、大変でした」
「提督の言うとおりだ。ドイツではプロテスタントの台頭が、カール五世の足をひっぱってくれているし、イタリアもフランスも一向に纏まらないから、これでわれわれも平和でいられるのだ。しかし、全ヨーロッパが一丸となって、イスタンブールに押しかけてこられたら、こんなにうまい酒を飲んでいることは、とてもできないだろうな」
「まったくです」
「それを考えると、フランスとの同盟はありがたいのだ」
「それで、私の役割はどんなことをすれば、よろしいので?」
「提督は艦隊をひきいて、マルセイユに行ってもらいたい。フランソワ一世が出迎えてくれることになっている」
「国王自らお出迎えですか、丁重なものですな」
「提督はわしの代理だから、お出迎えは当然だ」
「海賊が皇帝の代理とは、後にも先にもあるとは思えませんな」
「フランス側もやりにくいだろうな。この海賊めと思っても、礼を失する訳に行かないのだからな」
「若い頃、チュニスの国王に会いに行きまして、赤ひげの代理だと名乗ったら、危うく逮捕されそうになったことがありました」
「アッハッハ・・・、そのときにチュニスの国王が、逮捕しておいてくれればよかったのに、とカール五世は悔やんでおることだろう」 
「後にスペインは兄を殺して、してやったりと思ったことでしょうが、弟が生きていて、兄貴より悪さをするとは、気がつかなかったでしょうな」
「わからないものだのう」
「お話の途中で、余計なことを申し上げまして、相すみません。それで、フランスの国王にお目にかかったら、どうすればよろしいので?」
「わしの親書を手渡してもらうことと、フランス艦隊と合同して、スペインの沿岸を脅かしてもらいたいのだ」
「どの程度やればよろしいのでしょうか?」
「要するに、フランスがわが国に対して本気で同盟を求めていることを証明してもらいたいのだ。できれば、カール五世がマドリードから逃げ支度をするくらいの攻撃をしてもらいたいのだ。しかしフランソワの奴、同調するかどうか。わしはあまり奴っこさんを信用してはおらんのだが、まあやってみてもらいたい」
「お安い御用です。無敵艦隊が消滅しているのですから、赤子の手を捻るようなものです」
「わが帝国の威信を示すために、五百隻の艦隊を率いて行ってほしいのだ」
「この海賊野郎めと思っても、五百隻も率いて来られたのでは、フランスも頭を下げざるを得ませんな」
「そういうことだ。それに、カール五世が震える様子を想像するだけでも、楽しいではないか」
 赤ひげはスレイマン皇帝と顔を見合わせて笑った。

 五百隻にのぼる大艦隊に一万二千名の兵を乗せて、艦隊は堂々の出港をした。一五四三年春のことであった。皇帝以下、顕官、貴族らと大群衆に見送られての出港は、大提督赤ひげの貫禄にふさわしい光景であった。シナン、アイディン、ムラド等は、赤ひげと甲板に並んで、皇帝の見送りに礼をもって答えたが、兄の赤ひげの下に馳せ参じた幸運をあらためて噛みしめていた。
本来強盗、追い剥ぎと同列に扱われる稼業が、どういう風の吹き回しか、世界一の強国の連合艦隊を指揮し、皇帝の代理としてフランス国王に会いに行くのである。うれしくないはずはない。しかも、この五百隻にのぼる大艦隊に歯向かってくる敵はいない。これほど快適な航海が又とあろうか。赤ひげは旗艦上で連日大宴会を催して、上機嫌であった。
「これで、ドラグートの奴がいてくれたら、言うことはないのだが、まあ死んだ子の年を数えても仕方のないことだが・・・」
 赤ひげはシナンに愚痴をこぼした。
「あれだけの男は、何十年に一人しか出ないでしょうな」
「わしも九十歳になった。後継者が欲しいのだが、息子たちにはとても勤まりそうもないし、ドラグートならと見込んでいたのだ。惜しいことをしたなあ」
「本当に惜しいことでした。佳人薄命、という言葉が東洋にはありますが、若すぎましたなあ」
 春の地中海は波が穏やかで、柔らかな陽ざしを浴びていると、居眠りが出そうであった。この太平の夢を破る事件がおこった。イタリア半島の最南端部とシチリア島の間のメッシナ海峡を通過する際に、イタリア側のレッジオの要塞から数発の大砲が発射されたのである。レッジオの町は住人が三千人弱と少なく、この町の総督が赤ひげ艦隊に挑戦してくるとは、とても信じられないことであった。
「何かの間違いではないのか?」
 赤ひげは目をこすって、要塞を見上げた。
「どうやら、間違いではないようです。その証拠に先頭の船が大破しました」
 シナンがそう報告して、するどい視線を要塞に向けた。
「しかし、たかの知れた軍隊をもって、わが艦隊に挑戦してくるとはどういうことだ」                   「見当がつきません。もしかすると、気の触れた兵隊の悪戯かもしれませんが」
すると、アイディンが目をつり上げて叫んだ。
「たとえ悪戯であっても許せない。私が上陸して不逞の輩をひっ捕らえてきます」 。
「よかろう。兵は半分の六千人を出動させよう」
 艦隊は、要塞からの砲弾の届かない距離まで後退し、そこから迂回して要塞の裏側に停泊した。シナン、アイディン、ムラドの三将がそれぞれ二千人の部隊を率いて、三方から要塞をめざして登っていった。要塞の守備兵は千人足らずの少人数であった。したがって、大軍に取り囲まれるとあっさり降伏した。その後、三将は町に入って総督を捕えた。赤ひげは側近を従えて上陸し、馬に乗って総督の屋敷につき、その家の庭で総督とその部下を尋問した。
「何の目的で、われわれに発砲したのだ?」
「申し訳ございません。要塞の兵の中に、頭のおかしいのが一人居りましたようです。その者は早速ひっ捕らえてございますが、監督不行き届きの段、すべて私の責任でございます。私の首を刎ねていただきとう存じます。ただ家内と娘だけは、どうか提督の御慈悲をもってお許し下さいますよう、伏してお願い申し上げます」
「頭のおかしな兵が居ったと申すのか、そうであろう。まともな頭でわが艦隊に立ち向かってくる筈はあるまい。となればお前の責任ではない。幸いわが軍に死傷者はいない。したがって、お前の首を刎ねても致し方ない。処分はその兵一人でよかろう。総督は壊れた船の修理を行えば、それでよろしい」
 総督は、命が助かったことに大喜びして、赤ひげと幹部たちを屋敷に招じ入れ、酒肴を用意させて大いにもてなした。そのとき、侍女たちを指揮して料理を運んできた母親と娘を見て、赤ひげの背筋に電流のようなものが走った。
「これが総督の娘御か?」
「はい、ドーニャ・マリアと申します」
「わしの一番最初の妻も、ドーニャだった。もう何十年も前に死んだが、よく似ている、いやそっくりだ。なんという機縁だ、年はいくつだ?」
「十八歳になりました」
 黙っている娘にかわって父親が答えた。
「うーむ」
 赤ひげはうなった。なんという見事な娘だろう。色はぬけるほど白く、背がすらりと高く、均整のとれた手足はすんなりと伸びていた。目は青く澄みきっていて、形のよい鼻と、バラの蕾のような唇。しかし、この程度の娘なら何千人、いや何万人も見てきたはずであった。ところが、どういうわけかこの娘の体全体からでる何かが、赤ひげの背筋を電流のように貫いてしまうのであった。
「ナ、ナンなのだ、これは一体・・・」
 ドーニャに言葉をかけることも忘れて、ただただ彼女に見とれた。
「わしの生涯で、こんな女に出会ったことは一度もない。あの無敵艦隊と戦った時だって、震えなかったこの手足が、今かすかに震えている。この女は悪魔なのか、いや女神なのか」
 総督は、赤ひげの異様な様子に気づいた。
「どうなさいました、どこか具合でもお悪いのでは?」
「いや、どこも悪くはない。わしは風邪ひとつ引いたことがないし、年はとっても、まだ三十台や四十台の体力はある.しかし、ドーニャ・マリアは別だ。この娘をわしにくれ。なんだろうこれは、わしにはよく分からん。なんだかよく分からなくなった。おい総督、わしはこの娘と結婚したいのだ。わしの妻にくれ!」
 赤ひげは熱に浮かされた時のように、うわ言を云いつづけた。てっきり病気と信じたシナンは、総督に医者を呼ぶよう命じた。呼ばれてやってきた中年の医者は首をひねった。どこにも悪い所はないという。熱も高くはないし、脈も正常だし、目にも異常は見られないというのである。ドーニャが冷やしたタオルを持ってきて、赤ひげの頭を冷やした。彼はドーニャの手を握った。
「ドーニャ、お前と結婚したい。わしの妻になってくれ。お前にはなんでも与える。お前の父親が、背負いきれないほどの宝石でも、この部屋とおなじ大きさの黄金でも、この屋敷を全部囲うだけの象牙でも、すべてお前に与える。この世で手に入るものなら、すべてお前に捧げる。頼むからわしの妻になってくれ!」
 ドーニャは驚いて、赤ひげの皺だらけの顔を見つめた。髪の毛も、顔中を覆った髭もすべて真っ白になっていて、なぜ赤ひげと呼ばれるのだろう、とぼんやり考えていた。総督も度肝を抜かれて、口を開いていた。シナンがようやくわれに返って総督にとりなした。
「提督は何万人もの美女を見てこられたお方である。然るに、ひと目でドーニャに恋をなさった。こんな事はわしも初めて見た。どうだ総督、これほどの良縁は二つとあるまい。今ここで、すぐに結論を出せ。そして、お前は提督の義理の父親になるのだ。わかったな」
「は、はい。しかし、娘がなんと申しますか・・・」
 彼は心配そうにわが娘を見た。ドーニャは赤ひげから目を離して父に顔を向けた。
「お父さんさえよかったら、私は結婚してもいいと思います」
 あっさり言う娘に、父は目を剥いた。
「お前、本当にいいのか?いやならいや,と言ってもいいのだぞ」
「いえ、別にいやではありません。だって、このおじいさんは、きっといい人だと思うんです。それに面白そうだし、お金は沢山もっていそうだし」
「おおドーニャ、わしと結婚してくれるか、ありがとう、ありがとう。おお、アッラーの神よ!」
 赤ひげは、ドーニャと総督の手を同時に握りしめた。彼の背筋をふたたび電流が流れた。翌日、赤ひげは一万二千人の部下と、要塞の兵をすべて集めて、盛大な結婚式を挙げた。町中のアルコールがすべて買い上げられ、肉屋、魚屋、パン屋、菓子屋、八百屋から花屋に至るまで、すべての商品が底をつく有様であった。
「ハネムーンはどこへ行こうか?」
「マルセイユへ行く途中なのでしょう?私はフランスに行ったことがないから、ハネムーンはそれでいいです」
「マルセイユには仕事で行くのだから、その前にどこか風光明媚な保養地で、二人っきりで過ごしたいな」
「大切なお仕事の途中で、そんな事ができるのですか?」
「たいした戦争にはならない筈だが、一応はフランスと共同でスペインの沿岸を攻撃するよう、スレイマン皇帝に命令されている。新婚早々戦争ではお前に気の毒だから、少しばかり遊んでからにしよう。大砲の音はあまり好きじゃないだろう?」
「それはそうですけれど、海賊の女房になったからには、そのくらいは覚悟しています」
 そう言われて赤ひげは、この曾孫のような歳の花嫁を見直した。
「気持ちはありがたいが、二週間くらいの遅刻は、フランスの国王も許してくれるだろう」
「うれしいわ。それじゃ、チヴィタ・ベッキアはどうかしら?」
「ローマから少し北へ上ったところの、港町だったな」
「あそこは、私が子供の頃に三年ほど住んだ町で、とてもいいところなのよ」
「よし、そこへ行こう」
 赤ひげの一言で、五百隻の大艦隊が押しかけることになってしまった。港から馬にのって谷あいのひなびた農村に下ってゆくと、清らかな水の流れる川があり、その川に沿って行くと小さな湖にでた。湖は深く、しかし水は澄んでいて魚影が濃かった。赤ひげはこの風景がすっかり気に入って、湖畔に立ち並ぶ家をすべて借り受けることにした。借りるといっても人が住んでいるので、大金を払って二週間だけ住民に立ち退いてもらうことにした。中でも一番大きな家に赤ひげ夫婦が入り、周辺の家々に幹部が宿泊し、収容しきれない兵は船に残すことにした。
この湖畔で赤ひげは心ゆくまでハネムーンを楽しんで、二週間後にようやく艦隊は出港した。マルセイユに近づくと、アンジャンの領主であり、レパント海域における大将であるフランソワ・ド・ブルボンが、五十隻の艦隊を率いて赤ひげ艦隊を歓迎した。赤ひげとその随員は金と宝石できらびやかに着飾っていた。二十三歳の若き公爵フランソワ・ド・ブルボンは、名誉の剣と銀製品をプレゼントし、赤ひげは、高価な鞍と馬衣をつけた数頭のアラブ馬を贈った。
フランソワ一世国王は港まで出迎え、マルセイユの市民たちは艦隊を見物しに大勢集まった。フランソワ一世の指示で、トルコ提督に敬意を表して聖母マリアを描いたフランス国旗が下ろされ、代わってトルコの半月旗が掲げられた。この屈辱的な光景に対して、激しい怒りの野次をとばす群集も少なくなかった。
 儀式が終ると、赤ひげはフランス側に重要提案を行った。両国が合同してスペインの沿岸に出向き、威嚇攻撃を加えようという案である。この提案は、フランソワ一世もある程度予想していたが即答を避けた。トルコと同盟はしたが、キリスト教世界の中で孤立している現状をさらに悪化させることになるし、スペインの報復も恐ろしかったので、赤ひげに色よい返事をすることができなかった。この生ぬるい返答に対して、赤ひげは激怒して見せた。
「わしはこの遠いフランスまで、ブドー酒を飲みにやってきた訳ではない。言うまでもなく、スペインのカール五世と戦うためにやってきたのだ。いまだに生き残っている提督ドーリアと戦うためにやってきたのだ。それなのに、フランスが協力しないとは何事だ!」
 赤ひげのすさまじい剣幕に、フランソワ一世とその閣僚たちは震えあがった。徹夜で鳩首協議をした結果、スペインと同盟関係にあるニースを攻撃するよう提案してきた。この提案に、赤ひげはしぶしぶ同意した。ニースは守備隊が三百名しかいないので、すぐに降伏するだろうと想像したからであった。ところが意外なことに、降伏勧告にニースは応じなかったのである。これには赤ひげも驚いた。フランス艦隊約百隻に、トルコ艦隊五百隻の大艦隊に迫られて、なぜあっさり兜を脱がないのか不思議でならなかった。 
ニースの市民に恨みがあるわけではないので、降伏しさえすれば別の標的を求めるだけのことであった。赤ひげとしては、スレイマン皇帝の意を受けてフランスのやる気を見たいだけであった。しかるにニースの要塞は、前衛を務めるフランス艦隊に発砲してきたのである。フランス艦隊も当然のことながら応戦した。トルコ艦隊は相手が小さすぎるので、後方で観戦することにして、フランス艦隊の活動を見守ることにした。
 若きブルボン提督は、ニースの要塞と砲撃戦を始めた。ニースの要塞は巨石を積み重ねて、石と石の間から砲身を覗かせていた。フランス艦隊が砲撃している間は静かにしていて、艦隊が陸に接近すると、突如として猛烈な砲撃を加えてきた。艦隊が離れると沈黙し、接近すると猛然と撃ってでてきたので艦隊は接岸できず、いたずらに時が流れていった。一週間が経過した頃、赤ひげとその側近たちに苛立ちが募ってきていた。真っ先に声を荒げたのは、アイディンであった。
「ブルボン提督は、一体何をやっているのだ。彼は戦いというものを、まるで知らないのではないのか」
 若いムラドも、珍しく怒りの表情をみせて言った。
「これはちょっとひどすぎますね。ブルボン提督は、親父さんが亡くなってあとを継いだだけのボンボンだそうじゃありませんか。こんな素人に指揮をまかせるフランス政府は、しょせん同盟には値しませんね」
 赤ひげは二人の意見にうなずきながら、シナンと顔を見合わせた。
「提督、もうしばらくお待ちください。今われわれが動いたら、フランス政府の面目が丸つぶれになってしまいます。しばらくのご辛抱を」
 シナンは赤ひげの苛立ちを抑えるべく、機先を制した。年をとってますます気が短くなった赤ひげを、制御することはシナンにとっても次第に難しい仕事のひとつになってきていた。
「仕方がない、酒でも飲んで待つとするか」
 シナンはほっとした。ドーニャがいてくれて、本当によかったと思う。彼女がいなかったら、今すぐにでもフランス艦隊を押し退けて、ニースへの攻撃を命令していたに違いない。しかし、八日、九日とたってもブルボン提督は要塞と砲撃戦をくり返すだけで、戦況の進展はなかった。十日目、赤ひげはついに怒りだした。シナンもこれ以上は制止できないと観念した。
「シナン、あの馬鹿どものやることを見ていたら、気が変になりそうだ。ブルボン君に伝えてくれ。すぐに湾の外へ出るように、とな。わしがあの腑抜けどもに戦いというものを教えてやるから、とな」
 シナンはブルボン提督に面会を申し込んだが、赤ひげの言葉をストレートには伝えなかった。
「わが提督は九十歳という高齢のために、少し気が短くなっております。そこで、フランス艦隊に代って砲撃をしたいと申しておりますが、やらせていただく訳には参りませんでしょうか」
 婉曲に言うシナンの目は、しかし、有無を言わせない鋭さがあったので、ブルボン提督もさすがに嫌とは言えなかった。
「その代わり、砲撃が終わったあとの突撃はフランス側に一番乗りをお任せします。わが軍はつづいて上陸しますので、まあ仲よく両国で占領ということに致しましょう」
 ブルボンはシナンの提案に感謝して、上陸部隊の船だけを残して港外へ出た。
「そうか、ブルボン君の顔を立ててやったのか、さすがはシナンだな。よし、行くぞ!」
 赤ひげの号令一下、港外で待機していた大艦隊が整然と入港した。提督の右腕に握られた長剣が一閃すると、横一列にならんだ前列の百隻から一斉に大砲が発射された。それは、まさに地獄の大音響であった。要塞の巨石は吹っ飛び、何十門かの大砲は跡形もなかった。ブルボンはしばらくの間呆然として突っ立っていたが、何十秒後かに我を取り戻して突撃隊を上陸させた。
つづいてトルコ軍も上陸したが、ニース軍の抵坑はゼロであった。先に上陸したフランス軍の兵士二人が、城壁の頂上に到達して国旗を立てようとした。その時であった。髪の毛の長い、白いワンピースのような服装をした、一人の若い女が頂上に突進して、フランス兵から旗を奪い取り、旗竿で突きとばして城壁から蹴落とした。もう一人の兵士が後ろから飛びかかったが、旗竿の尻で突き飛ばされてこれも転げ落ちた。
「みんな戻ってきてー、戻ってこーい!ニースはまだ陥落してはいない。みんな元気を出して戻ってこーい!」
 若い女は、フランス国旗を城壁の下に投げ落とした。その声に、いったん退却したニースの守備兵が数人駆け戻ってきた。赤ひげもシナンも艦上からその光景を見ていて、口をあんぐりとあいたまま物を言うことすら忘れていた。しかし、まもなくトルコ兵によって旗が立てられ、ニースは陥落した。この若い女はその場で斬られて死んだが、カトリーヌ・セギュラヌという名の洗濯女であった、と伝えられる。戦いが終わった日、赤ひげはブルボンを呼びつけて叱った。
「お前たちは、マルセイユで戦争に必要なものを積み込まずに、ブドー酒を積み込んできた。その証拠に、たかの知れた要塞を攻め落とすのに十日間も費やしている。一口に言えば、本気で戦う気がなかったのだ!」
 この怒りの前に、ブルボンはちじみあがって平謝りに謝った。この結果を見て、赤ひげはフランスとの共同作戦に見切りをつけた。フランソワ一世は宥めようとして、ツーロンで越冬することを勧めた。しかし、赤ひげの機嫌は直らなかった。フランス政府は国をあげて赤ひげ艦隊をもてなしたが、赤ひげは故国に戻ることにした。
このとき、ドラグートがスペイン軍に囚われている、というビッグニュースがとび込んできた。ニュースをもたらしたのは、後にマルタ島の騎士団長になるド・ラ・ヴァレッタ(現在はマルタ国の首都の名になっている)であった。彼がドーリア提督を表敬訪問した際に、見かけたことがきっかけであった。
「ドラグートが生きている!」
 赤ひげ軍団にとって、これは衝撃的なニュースであった。
「金で済むことなら、いくらでも出す」
 赤ひげはヴァレッタにひざまずかんばかりに懇願した。ヴァレッタは彼の誠意に打たれて、ドーリアの下に何回も足を運んで交渉してくれた。スペイン海軍は、三千クラウンという前例のない大金を要求してきたが、赤ひげは表情ひとつ変えずにそれを飲んだ。ドラグートを開放したことは、後に全ヨーロッパが後悔したが、もっともそれを痛感させられたのはドーリア自身であった。赤ひげの跡を継いだドラグートは、ドーリアの最大の敵になったからである。
 彼はコルシカ島の酒場で、睡眠薬を飲まされて捕えられてから四年もの間、スペインのガレー船でオールを握らされていた。赤ひげは、ドラグートほどの大海賊が奴隷にされているとは、露ほども考えていなかった。 殺されたものとばかり考えていただけに、彼との再会は最大の土産であった。やつれ切って目ばかり光らせたドラグートが、それでも必死に足元を踏みしめながら旗艦の甲板に登ってきた。
「ドラグート、良くぞ生きていてくれた!」
 赤ひげは杖をつきながらも、小走りに走り寄った。
「提督、ごらんのとおり元気です。また海賊に戻れました。ありがとうございました」
「よかった。お前はとっくの昔に死んだものと思い込んでいた。探しだせなくて、本当に済まなかった。また一緒にやろうなあ」
 二人は手をとり合って涙にくれた。夕方、艦上で酒を酌み交わしながらドラグートは言った。
「ドーリアは私を殺さずに、一生奴隷として縛りつけておくことが、一番の報復だと考えたようです」
「そうだろう、通常の捕虜の扱いならば、わしに連絡してくればいくらでも金を支払うものを、そうしなかったということは、奴隷として飼い殺しにする気だったのだ」
 赤ひげは、怒りの表情を隠そうともしなかった。
「私もうかつでした。睡眠薬を飲まされるなんて、油断もいいところです」
「ドラグートらしからぬ失敗だったな。しかし、命があっただけよかった。ヴァレッタほどの大物が交渉してくれたのでなかったら、ドーリアは決して返してはくれなかっただろうな」
「ヴァレッタさんには感激しました。キリスト教徒は大嫌いですが、彼だけは好きになりました」
「珍しいほど良い男だな」
「私はこれからは、奴隷に対して優しくしたいと思います。年を取ったり、病気の奴隷はどんどん開放してやりたいし、一定の年限を設けて開放することを初めに申しわたしてやれば、彼らは生きる希望を持てるようになるでしょう」
「それはいいことだ。奴隷だって人間だものな。一生涯鎖に繋がれるのかと考えたら、とても生きていられるものじゃない」
 アイディンが相槌をうった。ドラグートがうなずきながら、しみじみした口調で言った。
「以前は、奴隷にされた奴等は、そうなるべき運命にあるのだから、仕方がないのだと割り切って考えていましたが、今はオール以外の方法で走る時代がくることを祈るようになりました」
「帆だけで走れたら、奴隷はいらなくなるのになあ」
 ムラドもしみじみといった。シナンがうなずきながら、ドラグートに視線を向けた。
「お前はもともと人間に優しかったが、ますます優しくなったな。姪のアイダがいつもお前の話をしていたよ。ドラグートさんには闘いの技術もたくさん教わったけど、人間に対する本当の優しさを教わった、と言っていたよ」
 そのドラグートが後年、ヴァレッタとマルタ島の攻防戦で死闘を演じることになろうとは、運命のいたずらとしか思えない事実である。翌日、赤ひげは帰国する旨をフランス政府につたえた。一万二千人の兵と二千四百人の奴隷の生活費は、すべてフランス政府の負担であった。その上、ニースで使った弾薬や乗員の給与まで支払わされた。フランスにとっては、トルコとの同盟は名ばかりで実質上の隷属にすぎなかった。イスタンブールに戻ってスレイマン皇帝に不首尾をわびると、皇帝は赤ひげを慰めた。
「提督の責任ではない。すべての責任はフランソワ一世にある。わしは彼をその程度の男、とはじめから見ている.もっとも、彼もヨーロッパキリスト教世界の裏切り者、呼ばわりされて苦しんでいるのだ。まあ、機嫌を直してやってくれ。提督は若い嫁さんをもらったそうだから、ゆっくり休んで体を労わってもらいたい」
 と言って、にやりと笑って見せた。皇帝は、彼が十八歳の小娘を妻に迎えたことを早くも知っていた。赤ひげはさすがに照れた。他人がどう云おうとやりたいことをやり通す怪物も、九十歳という高齢をかえりみて赤面する思いであった。彼はこの航海を最後に、イスタンブールの郊外に豪邸を建ててドーニャとともに晩年をすごし、一五四六年六月、九十三歳でこの世を去った。
彼の死後、トルコの船舶はイスタンブールの金角湾を出港するときは、ボスフォラス海峡に面したべシクタシュの埠頭につくられた赤ひげの巨大な銅像に祈りをささげ、礼砲を撃つことが永年の習わしとなった。
 赤ひげは、壮大な叙事詩の中の英雄として、イスラムの心に、今もなお生き続けている。

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梗概
ガレー船の行き交う十六世紀の地中海が舞台で、地中海の小島に生まれた赤ひげ兄弟が主人公。兄の名はウルージ、弟の名はハイルッデン。ある日、ローマ教皇の宝物を満載した二隻の巨大ガレー船を、奇計をもって奪い取るという離れ業をやってのけた為、海賊赤ひげの名を世界中に轟かせることになる。
世界一の海運国であるスペイン海軍は、赤ひげをつけまわしてついに兄を倒すことに成功したが、弟が跡を継いで赤ひげを名乗り、さらに強力な組織をつくりあげる。オスマントルコ史上最高の名君と称えられるスレイマン皇帝は、赤ひげを高く評価してトルコ海軍の司令に任命する。
これが伝わると、世界中から名だたる海賊が集まってくる。のちに赤ひげの後継者になる剣豪で、砲術の天才と呼ばれるドラグート、参謀シナン、豪傑アイディンなどである。
 世界情勢は、トルコとスペインが戦う機運に傾いたので、スレイマン皇帝は周囲の猛反対を押し切って、赤ひげをトルコ海軍連合艦隊司令長官に任命する。事実は小説より奇なり。
プレヴェザ沖の大海戦は、スペインの無敵艦隊を主力とするヨーロッパ連合軍が質量ともに優勢であったが、ドラグート等の奇襲攻撃をおそれた提督ドーリアの逃走で、トルコ海軍の大勝に終わる。この戦いで、オスマントルコは世界一の強国の座を確保する。
 この後、スレイマン皇帝はフランスの求めている同盟の真意を探るべく、赤ひげに皇帝代理として渡仏を命じる。その途中で、九十才の赤ひげは十八才の小娘を見染めて結婚する。一五四六年、九十三才でその波乱に満ちた生涯を閉じる。
 海賊たちの恋あり、剣あり、格闘ありの日常を描く。

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