十、アフリカに神風が吹いた
プレヴェザ沖の海戦から三年の月日が流れた。スペインとキリスト教連合軍は、ようやく力を取り戻した。カール五世は五百隻にのぼる大艦隊を用意して、赤ひげに復讐するべく、機会を伺っていた。アルジェを基地とするバルバリア海賊の跳梁ぶりを見ていて、赤ひげはアルジェにいるもの、と誤った情報が伝えられていた。先年、アルジェを出港したドラグートが、コルシカ島で死亡したと伝えられたことも、誤報の元になっていた。カール五世は、七十三歳になったアンドレア・ドーリアを呼んだ。
「機は熟したと思う。提督、もう一度赤ひげと戦ってみる気はないか?」
「前回の敗戦の責めを負うべき私を、再度起用していただけるご厚情に対して、感謝の言葉もありません」
「そうか、やってくれるか。それでは司令長官に任命する。出港は十月にしよう」
「は、十月でございますか?」
「うむ、十月がいいと思う」
「陛下、お言葉ではございますが、十月から十一月にかけての北アフリカは、暴風のシーズンであります。この季節だけは、古来いかに航海術に長けた提督でも、航海はいたしておりません。どうか、ご再考をお願い申し上げます」
「提督、臆したか。プレヴェザ以来弱気になったと見えるな」
カール五世は、口元に皮肉な笑いをうかべた。
「お許しください。プレヴェザの海戦は、私の大失敗でありました。弁解の余地もありません。しかし、私はあれから反省をいたしました。私は、今度こそ海賊ごときには決して負けないだけの戦略をうち立てました。今回の出撃に異議を申したてますのは、決して臆したからではございません。私は永年アフリカ沿岸を航行して参りましたが、十月から十一月にかけては、かなり大型の暴風が襲来いたします。この暴風はときに大量の雨を伴います。このことを考えますと、出撃は半年間おくらせて、来春がよろしいか、と愚考いたします」
「暴風はたしかに恐ろしいが、長距離の航海なら別だが、わがバレンシアからアルジェまでは一跨ぎではないか。ジブラルタル海峡を出て、外洋まで足を伸ばそうというのならいざ知らず、地中海という内海の中の、すぐ隣まで行こうというのだ、何も怖がることはあるまい」
「はい、仰せの通りでございます。しかし、地図の上では一跨ぎでありますが、実際の航行日数は風にもよりますが、二週間前後を見ておかなくてはなりません。それに、わがスペイン領で暴風にあったならば港に避難することもできますが、敵の港ではそうも参りません」
「それは提督の言うとおりである。しかし、春になれば赤ひげは艦隊を率いて、海へでる機会が多くなる。それに対してこの季節であれば、アルジェに大半の船と兵員が集まっているであろう。奴らを一網打尽にするには、この季節以外にあるまい」
「ごもっともでございます。私は自分が危険な目にあうことが怖いのではございません。今回は陛下のご親征であられることを、危惧いたしているのでございます」
「うむ、わしの身を案じてくれるのはありがたいが、赤ひげの奴をいつまでも生かしておくことは、どうしてもわしの腹の虫が治まらないのじゃ。あと半年も待つことなど、わしにはとても我慢がならん。それに赤ひげの奴、もう少しで九十歳になってしまう。あ奴にこのまま死なれたのでは、たまったものではない。あ奴のことだから、きっと地獄へ行くであろうが、地獄へ行って無敵艦隊をやっつけたの、スペイン国王はだらしがないなどと吹聴されたのでは、わしがたまらん。何とかしてあ奴が生きているうちに捕まえて、極刑にしてくれねば、どうしても腹の虫が治まらんのじゃ」
国王の言葉をきいて、ドーリアは諦めた。これ以上逆らえば、自分は司令長官を降ろされて、そして、朽ち果てるであろうことを、想像せざるを得なかった。
「分かりました。私の全知全能を傾けて、敵とも暴風とも戦ってご覧に入れます。どうかご安心を」
「上陸部隊は、アルバ公に指揮をとらせることにしたから、提督は、航海のことだけ心配してくれればいいぞ」
「かしこまりました」
「ただし、この航海はローマへのものだ、ということにしておいてもらいたい。アルジェの赤ひげ退治だということを公表すると、赤ひげに逃げられる恐れがある。あくまでもわしがローマ教皇に会って、オスマン帝国との問題を話し合うためのものだ、ということにしておいてもらいたい」
「そのように致します」
アルバ公とは、陸戦において百戦して敗れたることなし、と称えられた豪勇の士で、十六世紀を通じてもっとも偉大な戦士といわれた貴族である。ドーリアは観念した。三年を経てもなお、プレヴェザの敗戦は、国王をはじめ国民すべての記憶に依然として生々しい事件である。いかに自分が暴風の危険を論じても、誰一人として耳を貸さないほど、自分の威信が低下してしまっていることを、痛いほど感じさせられた。
暴風の季節であることを強調すればするほど、臆病風に吹きまくられた年寄り扱いされることが目に見えていた。アルバ公を先に担ぎだしてきていることも、自分がいかに信頼されていないかの証拠のようである。ここは老提督ドーリアの正念場であった。国王は海賊退治に親征することを、周囲におだて上げられて気分が高揚していた。まるで活劇の中のヒーローになったような気になってしまっていた。
自分の恰好のよさを、若い女性たちにも見てもらいたいと言い出した。そして、ハーレムの女性たちはもちろん、貴族階級の若い美女たちまで多数召しだして、旗艦に乗せて行くことにしてしまったのである。ドーリアは呆れた。この航海は物見遊山ではない。赤ひげという怪物との真剣勝負なのである。三年前は百五十隻でしかなかったトルコ海軍も、おそらく三百隻から四百隻に増強されているであろう。無敵艦隊に倣ってガレー船も超大型艦に造りかえてあるにちがいない。勝てると決めてかかる方が可笑しいのである。
この戦役には、著名人も数多く参加している。コロンナ大公は五千人のイタリア人部隊を、ジョルジオ・フロンティスペロは六千人のドイツ人部隊を率いていた。メキシコの征服者として名声を博したフェルナンド・コルテスは、自前の金でガレー艦隊を準備して、二人の息子ともども参加していた。スペインの大公や公爵たちは、コルテスを冒険家の成り上がり者という目で見ていたため、最大のピンチに陥った時でも彼に助言を仰ごうとはしなかった。
しかし、なんという皮肉な運命の巡り合わせであろうか、目指す赤ひげはアルジェにいなかった。この時赤ひげは、イスタンブールで皇帝のお相手をして遊んでいたのである。留守をあずかっていたのは赤ひげの息子ハッサンで、兵力はトルコ兵八百人と、地元兵五千人しか与えられていなかった。無敵艦隊の突然の襲来を知ってハッサンは赤ひげの下へ使いを出したが、もちろん間に合わないことは承知の上であった。アルジェは、イスタンブールからはあまりにも遠かった。五十隻あまりの艦隊はちかくの港へ避難させ、六千人近くの兵は、陸上を通って連れて逃げようとハッサンは決心した。
かつて、参謀シナンが発明した爆薬をつめた鉄球で、スペイン勢の上陸を三日間遅らせた例を思いだしていた。再びこの手を使って逃避行を有利にしたいと考えて、丘の上に投石器を据え付けさせた。しかし、投石器を使う機会は訪れなかった。一五四〇年十月十九日、五百隻にのぼる無敵艦隊がアルジェ港の沖合いにその威容を現した。岩だらけの岬が湾を形どっている。港の奥に丘が見えた。この日は朝から快晴で、日当たりのよい丘には住宅が密集している。カール五世は甲板の上から丘の風景を見渡して、ドーリアに話しかけた。
「あれが海賊どもの住み家らしいな」
「そのようであります」
「丘の頂上に、ちゃちな城らしきものが見えるが、あれが赤ひげの根城かな?」
「そのようですね」
「しかし、赤ひげの艦隊はどこにも見当たらないが、逃げられたか、それともどこかに出かけているのか?」
国王の表情に失望の色が浮かんだ。
「この時期は、獲物を求めて出かけることはない筈です」
「とすると、イスタンブールか」
「それも考えられます」
「仕方がない。アルジェを征服して、赤ひげが二度と戻れないようにしよう」
ドーリアは国王の意をうけて、残留部隊に降伏勧告状を送りつけたが、ハッサンはこれをあっさりと退けた。いち早く婦女子は内陸深くに避難させてあるので、戦おうという意思を使者に伝えた。ドーリアは驚いた。赤ひげとトルコ海軍なしで、どうやってこの大艦隊と戦う気でいるのか。しかしそれにしては、要塞から一発も砲撃してこないことが奇妙であった。
「内陸に引き込んでおいて、ゲリラ戦に持ちこむ積もりでおるのかのう」
カール五世は、静まりかえっている湾内を見まわして、つぶやいた。
「チュニスでは、爆弾を放り投げて寄越しましたので、油断はなりません」
「降伏しないところを見ると、あるいはそうかもしれない」
「斥候をだして様子を見ましょう」
ドーリアは小型のギャリオット船五隻を湾内に入れて、様子を見ることにした。ギャリオット船は挑発するように湾内を遊弋してまわったが、要塞からは何の応答もなかった。
「留守を守っているハッサンも、あるいは逃げてしまったのかもしれません」
ドーリアの言葉に、国王はうなずいた。
「そろそろ夕方になりますから、港へ入りましょう」
ドーリアが全艦に合図をしようと立ち上がったときである。今まで晴れわたっていた空の一角に黒雲が現れ、それがみるみるうちに広がってアルジェ湾をすべて覆ってきた。やがて北からつよい風が吹きはじめ、あれよあれよと見守るうちに雲の塊は豪雨に変わっていった。今までの快晴がうそのようであった。
五百隻にものぼる大量の船舶がこの暴風の中を入港すると、せまい湾内で船舶同士がぶつかり合って、かえって危険と判断したドーリアの提案で、艦隊は港外で三日間待機するはめになった。四日目にようやく暴雨風はおさまったが、高波は静まらないため、カール五世はアルバ公に要請して、一部の兵を泳いで上陸させることにした。兵員は約五万人であるが、まず六千人を上陸させて町を占領させることにしたのである。
アルバ公は馬にのったまま海に入った。六千人全員が上陸し終った頃に、ふたたび暴風が襲いかかった.食料、弾薬、テントなどの補給物資は波が治まってから陸揚げする予定であったため、将兵はアルジェの町の入り口で立ち往生してしまった。十月の末とはいえ北からの烈風は冷たく、兵はひざまで泥につかって豪雨の中で凍えた。火薬は湿って一発も発射できない有様となっていた。ハッサンはその様子を丘の上からじっと見つめていた。
「敵味方は、今のところほぼ同数である。逃げることはやめて、このチャンスに戦おうではないか」
ハッサンの言葉に、幹部たちもみな同意した。
「深夜まで待つのだ。やつらは寝る場所もない。このつめたい雨に打たれて、立ったまま夜を明かさざるを得ないだろう。しかも火薬はしめって使えないだろうから、火器による優劣の差はない。おまけに敵は武将だけが馬に乗っているが、兵卒は徒歩だ。われわれは半数が騎馬で戦えるのだから、圧倒的に有利だ」
ハッサンの説得に兵卒はふるい立った。火器がない場合は、騎馬武者は歩兵数十人に匹敵するといわれる。深夜を待って攻撃態勢に入った。騎馬隊三千と、歩兵二千数百人を半分にわけて、一隊を副将エンガルに預け、自ら一隊を率いた。ハッサンは全員に鉄製の楯をもたせ、弓矢と長槍をあたえた。
豪雨が続いていた。夜が更けるにつれて気温は急速にさがり、真冬のような様相になってきた。暗黒のなかを歩兵が這うように忍びよって、左右からいきなり矢を雨あられと射かけた。寒さに震えるスペイン兵は身を寄せあって立っていたから、何が起こったのか分からないうちにばたばたと倒れたが、すぐに弓矢で応戦して来た。
しかし、味方は盾をもって防ぐので損害はほとんどなかった。弓矢の応酬が一段落すると、騎馬隊が長槍の穂先を揃えてつっ込んでいった。一対一の戦いでは、短槍の方が運動性がよいとされるが、集団で穂先を揃えてつっ込む場合は、長槍がだんぜん威力を発揮する。この突撃にはひとたまりもなく、スペイン軍は雪崩を打って壊走しはじめた。泥濘の中を港へ向かって退却をはじめたが、くずれ立った軍隊は隊の形をなさないままに、次々と撃たれていった。
その時、マルタ島に本拠をおく聖ヨハネ騎士団が、海賊の突撃のまえに立ちはだかった。彼らは数百名全員が騎馬であった。キリストの教えを深く信仰するこの騎士団は、死を恐れないことで海賊たちが最も苦手とする敵であった。誰でも命が惜しい。その点では海賊も同じである。しかしながら、マルタの騎士たちは死を恐れない。死ねばキリストのいる神の世界へ行ける、と信じ込んでいる。聖戦であるならばよろこんで命を投げ出そう、というのであるから始末が悪いのである。
しかも厳格な規律のもとで、特別きびしい訓練を積み重ねてきている。仲間を見捨ててわれがちに逃げるなどということは、この騎士団に限ってはありえない。小数ながら海戦も強く同数の船をもって戦ったら、マルタの騎士団に勝てる海賊はどこにもいない、と言われるほどであった。
ハッサンとエンガルの号令の下に、海賊たちは再三にわたって突撃をくり返したが、そのつど騎士団にはね返された。その間にスペイン軍は足場のよい海岸まで退却し、態勢を立て直した。マルタの騎士団が勇敢に戦わなかったら、スペイン軍はおそらく恐慌状態になって全滅していたかもしれなかった。陸戦隊長のアルバ公はみずから陣頭指揮にあたった。甲冑をまとい、馬上で剣を抜き、壊走しようとする兵を叱咤し、弱気をおこす貴族たちを激励した。
ハッサンは深追いを避けた。朝になれば、増援部隊が大挙して上陸してくることは、目に見えていた。彼は兵をまとめると、退くとみせては攻め、攻めるとみせては退いて、結局ほとんど兵を損じないままに見事に退却しきった。この間も、暴風は猛威を振いつづけ、多くの艦船が海岸に打ち上げられて難破した。十月二十五日は史上最大か、といわれるほどの猛烈な北東ハリケーンが襲ってきた。
この暴風は「カール暴風」と名づけられ、現代にまで語り伝えられている。ドーリアは残った艦船を収束して、一旦沖へでた。風は荒れ狂っていたが、海岸の岩礁に衝突したり、味方同士がぶつかり合うことを避けるためであった。やがて風が収まったので、陸上の部隊を収容すべく海岸にちかより、苦難の末に生存者を救出できた。しかし、船の数が半分になってしまっていた。
それに対して、兵の数は二千人程度しか減っていなかったので、やむなくすべての馬と食料の大半を海に捨てざるを得なかった。十一月二日、艦隊が湾を離れると同時に、ふたたび暴風が襲ってきた。折角まとめた船団はまたもやちりじりになり、海岸に打ち上げられる船が続出した。海岸には、ハッサン軍が待ちかまえていて、つぎつぎと難破船の乗員を捕虜にしていった。
かろうじて残った艦船は、暴風と約三週間もの長きに渡って戦ったすえに、国王を奉じてやっとの思いで母国に帰り着くことができた。無敵艦隊は、約三百人の貴族と約八千人の兵を失い、三百隻のガレー船を失っていた。アルジェの奴隷小屋は満杯になり、キリスト教徒の奴隷はたまねぎ一個の値にもならない、などといわれた。アルジェの人々は、この戦いで勇敢に戦ったマルタの騎士たちのことを忘れずに、彼らが踏みとどまって戦った地点を、『騎士たちの墓』と呼んだと伝えられる。
プレヴェザ沖の海戦から三年の月日が流れた。スペインとキリスト教連合軍は、ようやく力を取り戻した。カール五世は五百隻にのぼる大艦隊を用意して、赤ひげに復讐するべく、機会を伺っていた。アルジェを基地とするバルバリア海賊の跳梁ぶりを見ていて、赤ひげはアルジェにいるもの、と誤った情報が伝えられていた。先年、アルジェを出港したドラグートが、コルシカ島で死亡したと伝えられたことも、誤報の元になっていた。カール五世は、七十三歳になったアンドレア・ドーリアを呼んだ。
「機は熟したと思う。提督、もう一度赤ひげと戦ってみる気はないか?」
「前回の敗戦の責めを負うべき私を、再度起用していただけるご厚情に対して、感謝の言葉もありません」
「そうか、やってくれるか。それでは司令長官に任命する。出港は十月にしよう」
「は、十月でございますか?」
「うむ、十月がいいと思う」
「陛下、お言葉ではございますが、十月から十一月にかけての北アフリカは、暴風のシーズンであります。この季節だけは、古来いかに航海術に長けた提督でも、航海はいたしておりません。どうか、ご再考をお願い申し上げます」
「提督、臆したか。プレヴェザ以来弱気になったと見えるな」
カール五世は、口元に皮肉な笑いをうかべた。
「お許しください。プレヴェザの海戦は、私の大失敗でありました。弁解の余地もありません。しかし、私はあれから反省をいたしました。私は、今度こそ海賊ごときには決して負けないだけの戦略をうち立てました。今回の出撃に異議を申したてますのは、決して臆したからではございません。私は永年アフリカ沿岸を航行して参りましたが、十月から十一月にかけては、かなり大型の暴風が襲来いたします。この暴風はときに大量の雨を伴います。このことを考えますと、出撃は半年間おくらせて、来春がよろしいか、と愚考いたします」
「暴風はたしかに恐ろしいが、長距離の航海なら別だが、わがバレンシアからアルジェまでは一跨ぎではないか。ジブラルタル海峡を出て、外洋まで足を伸ばそうというのならいざ知らず、地中海という内海の中の、すぐ隣まで行こうというのだ、何も怖がることはあるまい」
「はい、仰せの通りでございます。しかし、地図の上では一跨ぎでありますが、実際の航行日数は風にもよりますが、二週間前後を見ておかなくてはなりません。それに、わがスペイン領で暴風にあったならば港に避難することもできますが、敵の港ではそうも参りません」
「それは提督の言うとおりである。しかし、春になれば赤ひげは艦隊を率いて、海へでる機会が多くなる。それに対してこの季節であれば、アルジェに大半の船と兵員が集まっているであろう。奴らを一網打尽にするには、この季節以外にあるまい」
「ごもっともでございます。私は自分が危険な目にあうことが怖いのではございません。今回は陛下のご親征であられることを、危惧いたしているのでございます」
「うむ、わしの身を案じてくれるのはありがたいが、赤ひげの奴をいつまでも生かしておくことは、どうしてもわしの腹の虫が治まらないのじゃ。あと半年も待つことなど、わしにはとても我慢がならん。それに赤ひげの奴、もう少しで九十歳になってしまう。あ奴にこのまま死なれたのでは、たまったものではない。あ奴のことだから、きっと地獄へ行くであろうが、地獄へ行って無敵艦隊をやっつけたの、スペイン国王はだらしがないなどと吹聴されたのでは、わしがたまらん。何とかしてあ奴が生きているうちに捕まえて、極刑にしてくれねば、どうしても腹の虫が治まらんのじゃ」
国王の言葉をきいて、ドーリアは諦めた。これ以上逆らえば、自分は司令長官を降ろされて、そして、朽ち果てるであろうことを、想像せざるを得なかった。
「分かりました。私の全知全能を傾けて、敵とも暴風とも戦ってご覧に入れます。どうかご安心を」
「上陸部隊は、アルバ公に指揮をとらせることにしたから、提督は、航海のことだけ心配してくれればいいぞ」
「かしこまりました」
「ただし、この航海はローマへのものだ、ということにしておいてもらいたい。アルジェの赤ひげ退治だということを公表すると、赤ひげに逃げられる恐れがある。あくまでもわしがローマ教皇に会って、オスマン帝国との問題を話し合うためのものだ、ということにしておいてもらいたい」
「そのように致します」
アルバ公とは、陸戦において百戦して敗れたることなし、と称えられた豪勇の士で、十六世紀を通じてもっとも偉大な戦士といわれた貴族である。ドーリアは観念した。三年を経てもなお、プレヴェザの敗戦は、国王をはじめ国民すべての記憶に依然として生々しい事件である。いかに自分が暴風の危険を論じても、誰一人として耳を貸さないほど、自分の威信が低下してしまっていることを、痛いほど感じさせられた。
暴風の季節であることを強調すればするほど、臆病風に吹きまくられた年寄り扱いされることが目に見えていた。アルバ公を先に担ぎだしてきていることも、自分がいかに信頼されていないかの証拠のようである。ここは老提督ドーリアの正念場であった。国王は海賊退治に親征することを、周囲におだて上げられて気分が高揚していた。まるで活劇の中のヒーローになったような気になってしまっていた。
自分の恰好のよさを、若い女性たちにも見てもらいたいと言い出した。そして、ハーレムの女性たちはもちろん、貴族階級の若い美女たちまで多数召しだして、旗艦に乗せて行くことにしてしまったのである。ドーリアは呆れた。この航海は物見遊山ではない。赤ひげという怪物との真剣勝負なのである。三年前は百五十隻でしかなかったトルコ海軍も、おそらく三百隻から四百隻に増強されているであろう。無敵艦隊に倣ってガレー船も超大型艦に造りかえてあるにちがいない。勝てると決めてかかる方が可笑しいのである。
この戦役には、著名人も数多く参加している。コロンナ大公は五千人のイタリア人部隊を、ジョルジオ・フロンティスペロは六千人のドイツ人部隊を率いていた。メキシコの征服者として名声を博したフェルナンド・コルテスは、自前の金でガレー艦隊を準備して、二人の息子ともども参加していた。スペインの大公や公爵たちは、コルテスを冒険家の成り上がり者という目で見ていたため、最大のピンチに陥った時でも彼に助言を仰ごうとはしなかった。
しかし、なんという皮肉な運命の巡り合わせであろうか、目指す赤ひげはアルジェにいなかった。この時赤ひげは、イスタンブールで皇帝のお相手をして遊んでいたのである。留守をあずかっていたのは赤ひげの息子ハッサンで、兵力はトルコ兵八百人と、地元兵五千人しか与えられていなかった。無敵艦隊の突然の襲来を知ってハッサンは赤ひげの下へ使いを出したが、もちろん間に合わないことは承知の上であった。アルジェは、イスタンブールからはあまりにも遠かった。五十隻あまりの艦隊はちかくの港へ避難させ、六千人近くの兵は、陸上を通って連れて逃げようとハッサンは決心した。
かつて、参謀シナンが発明した爆薬をつめた鉄球で、スペイン勢の上陸を三日間遅らせた例を思いだしていた。再びこの手を使って逃避行を有利にしたいと考えて、丘の上に投石器を据え付けさせた。しかし、投石器を使う機会は訪れなかった。一五四〇年十月十九日、五百隻にのぼる無敵艦隊がアルジェ港の沖合いにその威容を現した。岩だらけの岬が湾を形どっている。港の奥に丘が見えた。この日は朝から快晴で、日当たりのよい丘には住宅が密集している。カール五世は甲板の上から丘の風景を見渡して、ドーリアに話しかけた。
「あれが海賊どもの住み家らしいな」
「そのようであります」
「丘の頂上に、ちゃちな城らしきものが見えるが、あれが赤ひげの根城かな?」
「そのようですね」
「しかし、赤ひげの艦隊はどこにも見当たらないが、逃げられたか、それともどこかに出かけているのか?」
国王の表情に失望の色が浮かんだ。
「この時期は、獲物を求めて出かけることはない筈です」
「とすると、イスタンブールか」
「それも考えられます」
「仕方がない。アルジェを征服して、赤ひげが二度と戻れないようにしよう」
ドーリアは国王の意をうけて、残留部隊に降伏勧告状を送りつけたが、ハッサンはこれをあっさりと退けた。いち早く婦女子は内陸深くに避難させてあるので、戦おうという意思を使者に伝えた。ドーリアは驚いた。赤ひげとトルコ海軍なしで、どうやってこの大艦隊と戦う気でいるのか。しかしそれにしては、要塞から一発も砲撃してこないことが奇妙であった。
「内陸に引き込んでおいて、ゲリラ戦に持ちこむ積もりでおるのかのう」
カール五世は、静まりかえっている湾内を見まわして、つぶやいた。
「チュニスでは、爆弾を放り投げて寄越しましたので、油断はなりません」
「降伏しないところを見ると、あるいはそうかもしれない」
「斥候をだして様子を見ましょう」
ドーリアは小型のギャリオット船五隻を湾内に入れて、様子を見ることにした。ギャリオット船は挑発するように湾内を遊弋してまわったが、要塞からは何の応答もなかった。
「留守を守っているハッサンも、あるいは逃げてしまったのかもしれません」
ドーリアの言葉に、国王はうなずいた。
「そろそろ夕方になりますから、港へ入りましょう」
ドーリアが全艦に合図をしようと立ち上がったときである。今まで晴れわたっていた空の一角に黒雲が現れ、それがみるみるうちに広がってアルジェ湾をすべて覆ってきた。やがて北からつよい風が吹きはじめ、あれよあれよと見守るうちに雲の塊は豪雨に変わっていった。今までの快晴がうそのようであった。
五百隻にものぼる大量の船舶がこの暴風の中を入港すると、せまい湾内で船舶同士がぶつかり合って、かえって危険と判断したドーリアの提案で、艦隊は港外で三日間待機するはめになった。四日目にようやく暴雨風はおさまったが、高波は静まらないため、カール五世はアルバ公に要請して、一部の兵を泳いで上陸させることにした。兵員は約五万人であるが、まず六千人を上陸させて町を占領させることにしたのである。
アルバ公は馬にのったまま海に入った。六千人全員が上陸し終った頃に、ふたたび暴風が襲いかかった.食料、弾薬、テントなどの補給物資は波が治まってから陸揚げする予定であったため、将兵はアルジェの町の入り口で立ち往生してしまった。十月の末とはいえ北からの烈風は冷たく、兵はひざまで泥につかって豪雨の中で凍えた。火薬は湿って一発も発射できない有様となっていた。ハッサンはその様子を丘の上からじっと見つめていた。
「敵味方は、今のところほぼ同数である。逃げることはやめて、このチャンスに戦おうではないか」
ハッサンの言葉に、幹部たちもみな同意した。
「深夜まで待つのだ。やつらは寝る場所もない。このつめたい雨に打たれて、立ったまま夜を明かさざるを得ないだろう。しかも火薬はしめって使えないだろうから、火器による優劣の差はない。おまけに敵は武将だけが馬に乗っているが、兵卒は徒歩だ。われわれは半数が騎馬で戦えるのだから、圧倒的に有利だ」
ハッサンの説得に兵卒はふるい立った。火器がない場合は、騎馬武者は歩兵数十人に匹敵するといわれる。深夜を待って攻撃態勢に入った。騎馬隊三千と、歩兵二千数百人を半分にわけて、一隊を副将エンガルに預け、自ら一隊を率いた。ハッサンは全員に鉄製の楯をもたせ、弓矢と長槍をあたえた。
豪雨が続いていた。夜が更けるにつれて気温は急速にさがり、真冬のような様相になってきた。暗黒のなかを歩兵が這うように忍びよって、左右からいきなり矢を雨あられと射かけた。寒さに震えるスペイン兵は身を寄せあって立っていたから、何が起こったのか分からないうちにばたばたと倒れたが、すぐに弓矢で応戦して来た。
しかし、味方は盾をもって防ぐので損害はほとんどなかった。弓矢の応酬が一段落すると、騎馬隊が長槍の穂先を揃えてつっ込んでいった。一対一の戦いでは、短槍の方が運動性がよいとされるが、集団で穂先を揃えてつっ込む場合は、長槍がだんぜん威力を発揮する。この突撃にはひとたまりもなく、スペイン軍は雪崩を打って壊走しはじめた。泥濘の中を港へ向かって退却をはじめたが、くずれ立った軍隊は隊の形をなさないままに、次々と撃たれていった。
その時、マルタ島に本拠をおく聖ヨハネ騎士団が、海賊の突撃のまえに立ちはだかった。彼らは数百名全員が騎馬であった。キリストの教えを深く信仰するこの騎士団は、死を恐れないことで海賊たちが最も苦手とする敵であった。誰でも命が惜しい。その点では海賊も同じである。しかしながら、マルタの騎士たちは死を恐れない。死ねばキリストのいる神の世界へ行ける、と信じ込んでいる。聖戦であるならばよろこんで命を投げ出そう、というのであるから始末が悪いのである。
しかも厳格な規律のもとで、特別きびしい訓練を積み重ねてきている。仲間を見捨ててわれがちに逃げるなどということは、この騎士団に限ってはありえない。小数ながら海戦も強く同数の船をもって戦ったら、マルタの騎士団に勝てる海賊はどこにもいない、と言われるほどであった。
ハッサンとエンガルの号令の下に、海賊たちは再三にわたって突撃をくり返したが、そのつど騎士団にはね返された。その間にスペイン軍は足場のよい海岸まで退却し、態勢を立て直した。マルタの騎士団が勇敢に戦わなかったら、スペイン軍はおそらく恐慌状態になって全滅していたかもしれなかった。陸戦隊長のアルバ公はみずから陣頭指揮にあたった。甲冑をまとい、馬上で剣を抜き、壊走しようとする兵を叱咤し、弱気をおこす貴族たちを激励した。
ハッサンは深追いを避けた。朝になれば、増援部隊が大挙して上陸してくることは、目に見えていた。彼は兵をまとめると、退くとみせては攻め、攻めるとみせては退いて、結局ほとんど兵を損じないままに見事に退却しきった。この間も、暴風は猛威を振いつづけ、多くの艦船が海岸に打ち上げられて難破した。十月二十五日は史上最大か、といわれるほどの猛烈な北東ハリケーンが襲ってきた。
この暴風は「カール暴風」と名づけられ、現代にまで語り伝えられている。ドーリアは残った艦船を収束して、一旦沖へでた。風は荒れ狂っていたが、海岸の岩礁に衝突したり、味方同士がぶつかり合うことを避けるためであった。やがて風が収まったので、陸上の部隊を収容すべく海岸にちかより、苦難の末に生存者を救出できた。しかし、船の数が半分になってしまっていた。
それに対して、兵の数は二千人程度しか減っていなかったので、やむなくすべての馬と食料の大半を海に捨てざるを得なかった。十一月二日、艦隊が湾を離れると同時に、ふたたび暴風が襲ってきた。折角まとめた船団はまたもやちりじりになり、海岸に打ち上げられる船が続出した。海岸には、ハッサン軍が待ちかまえていて、つぎつぎと難破船の乗員を捕虜にしていった。
かろうじて残った艦船は、暴風と約三週間もの長きに渡って戦ったすえに、国王を奉じてやっとの思いで母国に帰り着くことができた。無敵艦隊は、約三百人の貴族と約八千人の兵を失い、三百隻のガレー船を失っていた。アルジェの奴隷小屋は満杯になり、キリスト教徒の奴隷はたまねぎ一個の値にもならない、などといわれた。アルジェの人々は、この戦いで勇敢に戦ったマルタの騎士たちのことを忘れずに、彼らが踏みとどまって戦った地点を、『騎士たちの墓』と呼んだと伝えられる。