そんなマルオを待つと宣言した拓海は、相変わらず精力的に働いている。『蒼ちゃんがくれたチャンスだから、足を止めたくない』と言っていた。

 蒼ちゃんの四十九日の日、拓海が事務所の人から聞いた話を教えてくれたのだが、高2の時に事務所にスカウトされたのは、俺ら4人ではなく実は蒼ちゃんだけだったらしい。それを、『4人で活動させてください』と蒼ちゃんが頼み込んだらしいのだ。

 『蒼ちゃんが俺らに最後に言った言葉、憶えてる? 『黙って待ってろ』だよ。俺は待つ。マルオの事も、蒼ちゃんの事も待つ。ずーっと待つ。だから、岳海蒼丸は絶対に無くさない』と拓海は、岳海蒼丸の活動を心待ちにしながら、毎日芝居に磨きをかけている。

 俺はと言うと、オーディションに受かった海外ドラマの吹き替えを、予定通り頑張っている。声優をやるのは初めてだから、失敗ばかりで落ち込んだりもするけれど、オーディションの合格を喜んでくれた蒼ちゃんの笑顔を思い出しては、自分を振るい立たせている。

 声優の仕事の初日、拓海から【結局がっくんの合格祝い出来てないね。ごめんね。頑張れ、ディッくん】というLINEがきた。マルオも【頑張れていない俺に言われたくないかもしれないけど、応援してる。俺もがっくんの声が好き】とLINEしてくれて、心が折れそうになる度にそのメッセージを読んでいる。

 蒼ちゃんに見せたかったな。どこかで見ていてくれないかなと蒼ちゃんへの想いは募るばかりで、悲しみも収まる気配がないけれど、仲間のおかげでなんとかやって行けそうだ。

 仲間は本当に大事だ。だから何がなんでも、岳海蒼丸は死守する。
 
 「現場行ってきまーす。夏川さん、留守番お願いねー」

 「はーい。行ってらっしゃーい」

 建設会社の地方の支社に事務員として入社し、早14年。

 小さい支社なので、事務員は私1人で、作業員やら営業マンやらが出払ってしまえば、事務所には私だけになる。

 月末月初以外は緩めの仕事内容なので、1人の時間はゆったりしていて悠々自適。

 デスクにコーヒーとお菓子を用意し、頬杖をつきながらネットを見漁る。

 「拓海が出るドラマ、今日からかー」

 テレビの予定表を見ながら『21時からね。まぁ、忘れたらネット配信で見ればいっか』などと独り言を言いながらクッキーを口に入れる。

 正直私は、拓海のファンではなく、岳海蒼丸の中では蒼ちゃん推しだった。

 「蒼ちゃんが死んじゃうなんてねー。まだ若かったのに」

 蒼ちゃんはいなくなってしまったが、蒼ちゃん推しとしては、蒼ちゃんがいた岳海蒼丸は応援しようと、岳海蒼丸のメンバーが出る番組などは見るようにしている。

 しょんぼりしながら、拓海のドラマの情報を読んでいると、

 「拓海、高校教師役なんだー。アイツが本当に高校教師だったら、JKとおかしな事になってクビになるだろうなー。拓海、モテるからなー」

 背後から声がして、事務所には自分しかいないと思い込んでいたから、

 「ゴホゴホゴホ」

 ビックリしてクッキーを喉に詰まらせ、粉を吹きながら咳き込んで振り向く。

 「大丈夫?」

 そこにいたのは、蒼ちゃんにそっくりな男の子だった。

 変な気管に留まっているクッキーをコーヒーで流しこみ、

 「気付かなくてすみません。バイトの方ですか?」

 その男の子に話し掛けた。

 ウチの会社には、日雇いだったり短期雇用だったりの作業員が結構いる。『今日、バイトさんが来る事聞いてないんですけど。おかげで独り言聞かれたやんけ』と、連絡し忘れただろう作業員に少し腹を立てていると、

 「バイトじゃないです。佐波野ミソノさん、俺の代わりにシナリオを書いてくれませんか」

 蒼ちゃん似の男の子が、私の秘密を口にした。
 「……誰ですか? それ」

 白を切ろうと試みる。というか、切れると思った。だって私は、この話を家族にすら話した事がない。まして、初対面の自分と関わる機会もない若い男の子に話すわけもない。飲み屋で泥酔したとしても、絶対にない。だって、今までそんな事1度もなかったのだから。

 「とぼけますね、佐波野ミソノさん。やっと報われますよ、佐波野さんの小説。この前応募した作品、大賞を取りますよ」

 しかし、男の子は私に白を切らせてくれなかった。

 目の前の男の子が何者なのか、脳みそをフル回転させる。

 「……出版社の方ですか? 私、応募書類に職場の記入はしてないはずなんですが、どうしてここに?」

 私の秘密を知っている可能性がある人は、出版社の人間だけだった。
 「違いますよ」

 彼は、出版社の人でもないらしい。

 「……あの、今日はどんな用件で? バイトでもないとすると、ウチの社員に用事ですか? お客様が来る事を存じ上げておりませんで、申し訳ありません」

 「佐波野ミソノさんに用事です。さっき言ったじゃないですか。俺の代わりにシナリオを書いて欲しいって」

 全く噛み合わない、蒼汰似の男子と私の話。もどかしい以上に、何故か自分の秘密が目の前の男の子に握られてしまっている事が、恥ずかしい以前に気持ち悪くて、怖い。

 ここは平和な日本の中でも更に平穏な地方。大きな事件など起こった事がないため、事務所のセキュリティーは甘い。誰でも簡単に出入り出来てしまう会社の緩さを今になって恨む。

 この男の子の目的は、ズバリ金だろう。見るからに10歳以上年上であろう私の身体である訳がない。

 『金庫の暗証番号を言え』などと刃物を突き付けられながら脅されたらどうしよう。まぁ、金庫の中には小口現金しか入ってないから、いざとなったら言ってしまおう。でも、『現金これだけかよ‼』って暴れられたら終わりだ。

 「……あなた、誰なんですか?」

 死ぬ前に、目の前の男が何者なのか知っておこうと、前置きや探りを辞めた。
 「佐波野さんが好きな岳海蒼丸の蒼汰です」

 『知ってるでしょ?』と自分の顔を指差しながらニッコリ笑う、偽物蒼汰。だって…。

 「蒼汰くんは亡くなってます」

 この男が蒼汰なはずがない。

 「だからここにいるんでしょ。じゃなきゃ、こんなとこ来ませんよ。縁も所縁もないのに」

 どうにもこうにも噛みあわない、偽蒼汰との会話。

 「……あの、さっきから仰ってる事が良く分からないのですが、蒼汰くんはもうこの世にいないんです。あなたが蒼汰くんであるはずがないんです。確かにあなたは蒼汰くんにソックリです。髪も赤くして、彼に寄せに行ってますよね?」

 蒼ちゃんに憧れすぎて、蒼ちゃんになり切っている、蒼ちゃんの死にショックを受けすぎて、精神不安定になってしまった男が事務所に迷い込んでしまったのかもしれないなと、少し可哀想に思っていると、
 「~~~うーん。やっぱそうなるよなー。どうしたら手っ取り早いかな」

 やはり精神的に病んでしまっているのか、偽蒼汰がワシワシと自分の髪を掻き回した。かと思ったら、

 「佐波野さん、握手しましょう」

 突然おかしな事を言い出した。精神的に弱っている人間との接し方を勉強した事がない私は、偽蒼汰が何を考えているのか分からなすぎて、握手さえ怖い。

 「……何の握手ですか? それに私は、佐波野ではありません」

 「~~~もー。めんどくさいなぁ。じゃあ、ハイタッチにしましょう‼」

 偽蒼汰がこちらに掌を見せた。

 「……なんでハイタッチ?」

 「大賞受賞おめでとうのハイタッチ」

 「そんな連絡来てません」

 「いいから早く手、出して。ハグの方がいい?」

 「ハイタッチで‼」

 偽蒼汰に言い負け、恐る恐る掌を偽蒼汰に向ける。

 「ちゃんと見ててね」
 偽蒼汰が私の掌に自分の手を伸ばした。……が、重ならない。

 「……つ、突き破られた⁉」

 蒼汰の手が、私の掌を貫通したのだ。摩訶不思議な体験に、目も口もかっ開く。

 「イヤイヤイヤ、痛くなかったでしょうが」

 「マジシャンだったんですね、アナタ‼ もう1回、いいですか⁉ さっきよりゆっくりめでハイタッチしましょう‼」

 手品といえば、新年会や忘年会で社員が酔っぱらいながら行う、はっきり言ってしまえば、クオリティーの低いものしか見たことがなかった為、あまりにも高精度の偽蒼汰の技に感動した。

 「~~~あぁー‼ どうしたら信じてもらえるんだよ‼ マジシャンじゃない‼ 岳海蒼丸の蒼汰だって言ってるじゃん‼」

 今度は毟る勢いで自分の髪を掻く偽蒼汰。
 「……よっぽど辛かったんだね、蒼ちゃんが死んじゃった事。蒼ちゃんのファンだったんだよね? 可哀想に……。どこの病院に通っているのかな?」

 この意志疎通の取れなさはきっと、心の病が重篤で、どこかの病院に通っているに違いないと思い、仕事中ではあるが、少しだけ事務所を閉めて彼を病院に連れて行ってあげようと、病院名を聞き出す事に。

 「ちがーう‼ あ、やっぱもう1回ハイタッチしよう‼ 手品のタネ、気になるでしょ? スマホで動画撮ってください」

 何かを閃いた様子の偽蒼汰が、再度掌を私に向けた。

 「タネ、明かしちゃっていいんですか? でも、撮っていいなら遠慮なく」

 大盤振る舞いなマジシャンやなと思いながら、スマホを偽蒼汰の手を撮ろうとするが、

 「え、何で? もうマジック始まってるの?」

 何故か彼の手はスマホのカメラに映らなかった。