とりあえず書いた
今日は、小説小石川にて、をアップしました。
大の苦手意識のあるファンタジーというジャンルですが、いま一番流行りなのは間違いありません。わたしにとっては、最も書きにくいジャンルではあるけれど、なんとか書き終えることができました。
まだ、世界観等を書くのがむずかしく、とりあえず天保年間として、挑戦してみたのですが、まだまだ修行しなくちゃです。
本当に、ファンタジーというものは、自身で細かく設定をしなければならないから難しいんです。
やっぱりわたしには、カッコいい地名とか、横文字風の名前とかが、思い付きません。
それよりも、登場人物の心情を狭く深く書くことに話がいってしまうので。
話の展開を楽しんでしまう、ファンタジーにはなかなか向かないなあとおもいます。
戦闘シーンなんかも書けないし。
やっぱりテレビゲームもしてないし、以前話題になった、ハリーポッターも、指輪物語も見たことないしな。
まあ、そういうところではなく、書きたいものを書けばよいといってくださるかたもいますが、世の中の異世界ブームに乗れないと、なんて、頭を悩ましているわたしです。
さて、つぎは、何を書こうかと検討中ですが、今度は恋愛ものにいってみようかな、なんて考えています。面白くするために、頑張ってみよう。暑い中ですが、そう考えています。
市民文芸
今日は、市民文芸に応募する原稿の下書きができました。
まあ、まだまだ書くこととしては、未熟ではありますけれども、とりあえずなんとか、書くことができてよかったとおもいます。
とりあえず、よいことといえばその程度でしょう。
とりあえず原稿は書けたけど、賞をもらうことも多分ないでしょうし。
特に、作家としてかつどうすることは、できないでしょうからね。
とりあえず、杉ちゃんを100作までかけたのは嬉しい限りですし、これからも、いろんなテーマでかき続けようという気持ちではあります。それは、カクヨムさんが、いろんな企画を提供してくれるおかげです。ほんとにありがとう。
まあ、とにかく人気者でも、何でもない、ただのだめな障害者が書いた文書なんですが、それをほんの少し、読んでいただけたら、うれしく思っています。本当にその程度の気持ちで、今のいままで書いてきただけですからね。出版もお金がないからできないので、まあ、単にストレスの捌け口程度に書いてきただけのことですから。
変なやつですが、その程度しか考えたことないです。
話をする友人がいるわけでもなく、他の身分の人のような、交流関係はもてなかったので、仕方ないことですね。
障害者とは、そういうものです。
わからない。
とりあえずよいところを見つけよう、としていますが、どうしてもわかりません。
やっぱり、しごとしてないから、よいことだと、解釈してはいけないという刷り込みが消えない。
よいことがあっても、心が追放してしまうのでしょうか。やっぱり働いていない人間は悪人であるというおもいがあるんでしょう。どうしても、良いことを見つけることができません。
良いこととは、そもそも、なんでしょう?多分、昔のひとであれば、自分の食べる分は自分でしっかり稼ぎ、それをしっかりできてから、他人に感謝され優しくすること、と答えるんじゃないかと、思います。 私も、高校時代はそうならいました。それで、始めて人間と読んでよい、存在してよい人間であるのだと。働いていない人間は存在してはいけないと。
わたしは、できることもなにもありません。
資格もなにもありません。
たから、やっぱりこのままでいったら、将来的には、自殺するしか方法はありません。
何とかしたいとおもっても、車がないからどこにもいけません。
通信で何か習うにも道具がない。
死ぬしかないじゃないか。
と、思うんですが。
そんな人間なんですから、よいことなんて見つけてはいけないんです。
生きていてはいけない人間が生きているのです。
とりあえず
とりあえず、何かして収入を得るという基本的なことをしたいので、また、洋裁をすることにしました。といっても巾着を作るとかそういうものになってしまいますが。はじめなので、ちょっと何か作る程度でよいとおもいます。布や糸、紐は100円均一で買えますし、さほど材料費もかからないとおもいます。
まずは、持っている手持ちのミシンが、故障しているので、新しいのを買うことから始めたいです。母のミシンがシンガーミシンなので、私も同じメーカーにしようかな。その方がもしものことが、あったとき、使用しやすくなりますものね。
以前はクラウドソーシングをやっていましたが、どうしてもワードやエクセルなどを購入したりしなければならず、また、手持ちのパソコンでは作れないファイル形式にしなければならなかったりして、あまり上手くいきませんでした。
私が、一番にがてとするのが喪失感です。壊れたりしてなにかできなくなると、パニックに陥ってしまう。それを何とかしなければいけないんですが、正直難しいかな。なので、会社には、となってしまう。精神障害とはそういうものです。障害とは自分の意志では、逆らえないもののことをいうのだと思います。甘えに見えますが、これをしっかり把握していくのは、大切だと思います。
とりあえず、やり過ぎないように注意しながら、巾着なんかを作ってみようかな、と思っています。そのためには佳いミシンが手に入りますように。
当たり前
今日は、ある知人と会食をしました。
知人も私と会うのを楽しみにしていてくれていたようで、とても嬉しかったです。
暑い中ですが、頑張っていってきました。
知人は、やや発達障害というものがあるようですが、それを自覚してしっかり会社員として、働いているようです。
私は、なにもしていないので、すごいなと素直におもいます。
今の時代は何でも名前をつけてしまうのが好きなようですが、発達障害と名前をつけてしまうのは、ちょっともったいないな、と思ってしまう人です。
話をしてみると、発達障害という感じはしません。ただ、今時の人が好むものを好まない、というところから発達障害、と言われてしまっているようです。
これってどうなんでしょう。もちろん重大な障害である場合は、名前をつけてもよいと私は思いますが、単にいま流行りのものをまったく好まないとか、特定の物が大好きでたまらない、という人が、すべてそれに当てはまるんでしょうか。
単に、ちょっと変わった人、くらいでよいのではないでしょうか。いや、いけないのでしょうか?
確かに、名前をつければ救われる人もいるかもしれませんが、全部の人に名前をつけてしまうのは、どうかなあと思います。ちょっと変わっているお陰で、生きていける人もいるわけですから。どうか、名前をつければよい、が当たり前になりませんように。
また
自傷してしまいました。どうしてなのでしょうか、こういうことをしてしまうのです。私にしてみれば、他人を傷つけた犯罪者ではない、自分を殺るのは自分のためだからよい、と、思っていますが、家族はそうでもないようで、こっぴどくしかられました。自傷してしまうと、ものすごい後悔の年にかられることはありますが、大抵はさほど痛みもなく、手当てしたりすることはありません。今回は出血が多かったことは確かですが、それも、自分を罰するためですから、仕方ないのです。私は働いていないのですから、親に口答えしたり、反抗することは許されていない。養ってもらっているんだから、してはいけないことをしていることを罰する必要がある。そんな事を考えていました。
やっぱり、働いていないのですから、消えてほしい、と言われたって当然です。それにたいして怒りをもってはいけないのに持ってしまう。だから、罰を与える。そういうことなのです。
こんなことを書いても、よくわかりませんよね。私も、よくわかりません。実はね。ただ、どうしようもない怒りの感情があり、それを自分で処理できずに、自傷するだけです。甘えだとか、そういう批判をされるなら、すぐ死のうとも考えています。そういわれたら、もう死ぬしかないからです。
自傷したあとは、大量に薬を飲んで、しばらく気分わるく過ごしました。
こういう感情にたいして、他になにも解決法がないのです。
はやく、死にたいとは、そういうことです。
自傷すると、生きたくない気持ちが増します。はやく死ねたらそれに越したことはない。そうすれば、他人に迷惑をかけることもないからです。
自分の感情もコントロールできないわけですから、人付き合いなど出来るはずもありません。もう、死ぬしかないのではないか、そればかり頭を渦巻きます。
こうなってしまうのも自分なんです。だからこそ、社会に出ることもできず、引きこもるのです。
どうしたらよいものか、私もわかりません。ただ、やり過ごすしか、いまは方法がありません。
考えを変えろといわれても、自傷するときは、もう怒りでいっぱいになってますし、私ですらわからないのですから、他の人のてを借りようがないのです。しかたなく、普段の五倍くらいの薬を飲んで眠るしか方法がないのです。
こんな人間ははやくしんだほうがいいですよね。だから、生きてなどいたくないのです。
眠れること
この日記をつけ始めたのは、カウンセリングの先生に、なにか、いいことがあったら、記録しておくように、ということから始めたんですが、今日は、まず第一によかったと感じられたことがありました。
それは、眠れることです。
バカな話しかも知れませんが、昨日は泣いてばかりいました。本当に涙を流して、オーバードーズによりやっと眠れました。でも、今日は、家族と話して、和解することができました。だから、薬を飲まなくても眠ることができます。
なんていいんでしょう。
これで、ひとつだけかもしれないけど、こころから嬉しいなあと思うことがありました。
なんちゅう馬鹿なことで喜んでいるんだ、と、皆さんは思うと思いますが、じつはこれ、意外に苦しいんですよ。眠れないって。
本当に昨日は、原稿もかけず、もう死ぬしかないと思いましたが、今日は、原稿もかけましたし、いつも通りにこうして眠ることができます。
もちろん、話すことができて、家族にも感謝しなければなりませんが、私はこういうことができましたことを、神に感謝したいとおもいます。
決して、よかったことは、自分の作ったことではありません。神様が下さったものです。それをまちがうと、人間は大変なことになってしまうのではないでしょうか。
大きな幸せではありませんが、こういうことを感謝して生きることが一番大切なのではないでしょうか。
苦しいなかでの幸せ
今日は、知り合いと食事にいってきました。台風がどうのといっておきながら雨も降られず、なんだか、変な天気でしたので、ちょっといってきました。
どうせ、家の中にいましても、辛いことばっかり考えてしまいますから、外の方がよいのです。
その人は、ちょっと変わった人で、老齢になっても勉強したいよ、なんて話をしていました。そういう事が大好きな、とてもおもしろい方で、今も、アロマテラピーの勉強をしているようです。
私も、なんだかそのかたを見習って、勉強してみたくなりました。だから、といっては変だけど、講習会で習った仏法をもう一度勉強しなおしたりしてみました。国訳一切経、素晴らしい本ですね。第一巻からしっかり読んでみたいとおもいます。一人ぼっちでも、仏法というものもありますし。宗教は苦手な方も多いと思われますが、素晴らしい学問だなあと思っています。
まあ、少々ずれてしまいましたが、これからは時おり図書館にいくなりして、頑張っていこうとおもいます。また、辛いことばっかりの世の中ですが、なんとかして生きていかないといけませんから。時には死にたくなる時もありますけど、その度に頑張ろうと言い聞かせて。
とにかく、何かお金になることは、親に反対されて、ことごとくつぶれましたし、自分の世界を求めるのがそんなに悪いことのように、言われましたから。
いまは、学問に精をだそうかなとおもいます。
落ち着いているのが幸せ
今日は、比較的落ち着いていて、のんびり過ごせました。
毎日、夏は体調を崩しやすい時期ですが、今日は、落ち着いていて、何もなく過ごせてよかったです。
働いているとか関係なく、気持ちや体がおちついているのは、何も起こらないということですから、これ以上に幸せなことはありません。
誰かに、つらいせりふを言われたわけでもなく、寝る前に静かにこうして日記を書けるだけでも、幸せなんだなあとおもいます。
ただ、これを得るにはどうしても、人と話すのは、避けなければなりません。人の発言により、不安定になるからです。気にしなければよいのですが、今の私は、それはできないです。だから、避けるしかありません。
具体的には、家族と殆ど会話しないで、部屋で勉強ばかりしていました。
引きこもりに近いかもしれませんが、その方が、安定を保てることもあるのです。もう少し、過ごしやすくなったら近隣のカフェなどにいって、勉強しようとおもいます。
あとは、安心して眠れる。みんな普通に日常を送っていて、話し合う必要もない。何も問題がない。それが一番いいことです。
バカな話ですが、病気になってしまうと、それが非常にむずかしいのです。必ず体調が悪いと、気持ちも弱くなります。だから、誰かと会話するのもうまくなくなり、トラブルがおきます。
何もないけれど、ホンとに幸せなんだなあ、と思った一日でした。