突然、ヒツジ男の態度が一変した、先程まで平常心を保ち、平然とした顔をしていたのだが、その顔はまるで怒りに狂う獣の様に、顔中に怒りのシワを張り巡らせ、白く鋭い牙をキセキに向けた。
そしてヒツジ男はその表情のまま、足で鉄骨を何度も踏みしめながら、内に秘めたヒツジ男の思いをキセキにぶつける、キセキは当然ながら呆然としてしまう。
ヒツジ男が鉄骨を踏みしめるたびに、鉄道橋全体に鈍い音が響く、鉄骨の辺りに付着している錆が剥がれ、谷底にヒラヒラと落ちる、錆だけではなく、鉄道橋の上に散乱していた小石も、震えで橋から落ちる。
だが川に小石が落ちる音は、キセキの耳にも入って来なかった、正確には耳をすませば聞こえるのだが、ヒツジ男の罵声の声があまりにも大きく、谷底に耳をすませる余裕なんてなかった。
「俺がどんな苦労をして生き続けているか、あいつらには分からないだろう な!!!食べられる物ならどんな物でも食べたさ!!!
雑草だろうが、虫だろうが、生きている獣だって、仕留めて骨も残さず食べていたさ!!!
・・・・・でも、時々此処に来る人間達が、まだ食べられる物を捨てて行ってくれるから、それが自分にとって、一番のご馳走だった。
最初は捨てて行った人間達に感謝したさ、でも時が立つと当時に、苛立ちが強くなっていた、何故自分がこんなに苦労しているのに、人間達は平然と食べ物や命を捨ててしまうのかってさ!!!
俺は必死になって今まで生き延びていた、自分達の祖先は、元々この山に住まう『神獣』として、人間達から愛されていた、だがその人間達が作った歴史のせいで、俺は生き続けなきゃならないんだ!!!
自分の家族も仲間も、とっくの昔に亡くなってしまったさ!!!人間に狩られるか、飢えで死ぬか!!!
人間達は手のひらを返して、俺達を『化け物』だとか、『死神』だとか好き放題言って、不都合な事情をいつも投げつけられていた、その苦しみが、お前に分かるのか?!!」
「・・・・・・・・・・。
・・・・・分かるよ。」
「っ?!!」
「いや、私だけではない、君の様な存在なんて、世界中にいくらでも居る。そして同じ様な悩みを抱えている存在も居る、私はそんな存在を何回も何回も見ていた。
そして私だって、あなたと同じ様な悩みを抱えた事だってある、人間はどの世界でもどの時代でも、同じ様な行動をしてしまう、博学で身勝手な存在だから。」
「・・・・・・・っ?!!」
ヒツジ男からの突然且つ突拍子の無い提案に、キセキは慌ててしまう、だが彼女とは対照的に、ヒツジ男の顔はとても穏やかだった、しかしその顔の中に眠る狂気に、キセキは気付いていた。
キセキは一歩後ろに下がろうとするが、体が動かなかった、だがそれは恐怖の影響ではなく、何らかの「力」が働いているのだ、恐らくそれは、ヒツジ男の能力の仕業。
その力から何とか逃れようとするキセキだったが、なかなか体が動かず、彼女があたふたしていると、足元で妙な音が響いていた、そして2人の立っている鉄道橋が、少しずつゆっくりと傾き始めている。
そしてヒツジ男は、ニッコリとした表情のまま話し始めた、今まさに鉄道橋が落ちそうな状況とは思えないほど、ヒツジ男の安堵の表情は、明らかに正気ではない。
「君と私はよく似ているよ、君が誤魔化さなくても分かるんだ、君だって私と同じ様に、『人間』共に苦しめられていたんだろう?
だったら、私と共にこの場で朽ちれば、もうそんな悲しくつらい思いをする事も無い、大丈夫さ、私は君の傍から離れないから・・・!!」
「・・・・・あなた、自分の都合を私に押し付けるつもり?!
そんなの、貴方が操っていた男と同じ様な発想じゃない!!!」
「アレは単に自分の欲求を満たしているだけの外道な存在だよ、私は違う、私は君を助けようとしているだけだ、かつて私達一族が、この辺りに住んでいた人々を、悪霊や野獣達から助けた様に、私は君を、野獣という名の『人間』から救いたいんだ。
君だって、これから生きていく間に、いったいどれだけ『人間』に苦しめられるか、想像できる?
きっとあの世に行けば、私達と同じ様な存在が歓迎してくれる、もうこの世界には、私達が安心して生きられる場所なんて存在しないんだよ、それは君だって、十分に分かっている筈だよね、そうだよね?!」
「・・・・・・・・・・。
・・・・・・・呆れる。
つくづく呆れるわ、貴方それ、本気で言ってるの?」
「・・・君はきっと、この場所から飛び降りる事が怖いんだね、だから私の意見を聞き入れようとはしないんだ、でも安心して、私だってちゃんと、人を苦しまずに殺す術だって持ち合わせているんだから。」
ヒツジ男がそう言い終わった瞬間、キセキの胸が急に激痛に襲われ、その場に倒れこんでしまう、もちろんその間も、彼女の体は自分自身の意思で動けないまま、だが肘から上はどうにか動かせた。
動ける両手で胸を触るが、全く効果は出ず、胸の痛みはあっという間に全身に広がる、まるで心臓を直接絞められている様な感覚に、キセキは自分の唇を噛み締める。
痛みに耐えようとする反動で、唇からは血が流れ、まるで赤ん坊の様に蹲ってしまったキセキ、そんな彼女を見て、ヒツジ男は満足そうな顔をしていた、そしてさらにキセキをまくしたてるような言動を繰り返した。
「どうだい?つらいだろう?
でも痛いのはほんの一瞬だ、心臓が破裂してしまえば、君は様々な痛みから解放される、そして遺体となった君を抱いて、私はこの橋から飛び降りる、そうすれば完璧だ。
・・・・・でも、一つわがままを言うなら、君の息の根は、私自らの手で止めたいな、いいかい?」
「っ・・・・・・・うぅぅ・・・・・あぁ・・・・・・。」
「いいんだね?」
キセキはそんな事、許していない、ただ痛みがあまりにも大きすぎて声が出ないだけだった、しかし、今のヒツジ男には、彼女の意思なんて完全無視の状態だった。
ヒツジ男はゆっくりとキセキに近づいてくる、恐らく、彼女が苦しんでいる姿をじっくりと眺めていたい、そんな事を無意識に考えてしまうヒツジ男に、キセキの心には怒りの感情が沸き上がってしまう。
先程谷底に落ちた男より、今目の前で手を伸ばしている得体のしれない存在の方が、よっぽど外道で、よっぽど馬鹿、キセキはそう思った。
ヒツジ男が手を伸ばしながらキセキに近寄ろうとする、だが予想以上に鉄道橋の崩壊が早かったのか、鉄道橋が揺れながら徐々に下がっていた。
まるで地面の陥没の様にも思えるが、この鉄道橋が落下すれば、助かる可能性なんて無いに等しい、万が一助かったとしても、その後今まで送っていた生活に戻れるかは、誰にだって結論は見える。
そんな事をキセキが考えていると、彼女はある事に気付いた、自分の胸の痛みが徐々に消えていく感覚がする事に、それはヒツジ男の能力が徐々に薄れている証拠だった、そして胸の痛みが治まると同時に、体が少しずつだが動かせるようになっていた。
だが、鉄道橋が崩落するスピードは、キセキの体の治りよりも早かった、どうにか鉄道橋から逃げられないか奮闘するキセキだったが、今は立つ事すら困難な状況。
それは、体が治ったばかりで動けないだけではなく、誰だって、地面が大きく揺れている上で歩けない事と一緒だ、それは彼女を先程まで陥れようとしていた、ヒツジ男も同じだった。
ヒツジ男はその場でバランスを崩してしゃがみ込む、どうにか這ってキセキの元まで辿り着こうとはするのだが、突然舞い上がった土煙に視界を奪われ、ヒツジ男は咳込む。
恐らく落ちそうなのは鉄道橋だけではなく、鉄道橋の周りにある地面やレールなども、劣化が原因で巻き添えを食らっているのだ、レールがメキメキと鈍い音を出しながらヒビを生やし、鉄道橋と隣接している地面からは土煙が立ち上っている、そして鉄道橋の中央に、大きな亀裂が走る。
その衝撃で鉄道橋が真っ二つに割れ、キセキは土煙が目に入ってしまったのか、目を擦っていた、そしてこれを好機と思ったヒツジ男は、バランスを取り戻して走りながら彼女に駆け寄った。
だがその瞬間だった、亀裂が大きな裂け目となり、ヒツジ男はその裂け目に吸い込まれ、断末魔を響かせながら落ちてしまう、幸いキセキはまだ落ちてはいないが、もうすでに鉄道橋は原型を留めていない。
レールに掴まれば助かる可能性もあるのかもしれない、だがそのレール自体の老朽化も激しい、藁よりも頼り無いのかもしれない、そしてとうとう、鉄道橋は周りの地面も巻き添えにして、谷底に落ちてしまう。
底からは、大きな鉄が地面に落ちた音が大音量で山奥に響き、川は完全に堰き止められてしまう、山に住む動物達はその轟音に驚いて一目散に逃げる。
木々からは鳥が大量に飛び出し、川に住む魚達も飛び跳ねていた、その轟音は振動となり、森全体を揺らしていた、そして山の麓にある村には、音ではなく振動として伝わっていた。
村人達は一斉に外に出て辺りを確認すると、山の方で土煙が舞っている事に気付き、警察などに連絡する人や、逃げる準備をする人で、村中がパニックになっている。
そして崩れ落ちた鉄骨の一部が電線にぶつかり、村中の信号が止まってしまう、もちろんテレビも点けられないので、地震が起きたのかも確認できない状態だ。
だが幸い、この村には電波が通っているので、若者の一人がスマホでニュースを確認したが、地震情報は無かった、そしてその事を、若者は村人達に大声で伝えた。
その声を聞いて村人達は安心したのだが、だとしたらこの揺れは何なのか、地震以外の可能性としては、土砂崩れが有力視されるが、最近この地域に雨は降っていない。
村人達の混乱は静かに続いていた、そして川が堰き止められた影響で、村を流れる川の水量が徐々に少なくなる、村人達は、とりあえず村から一時避難をする準備をしている。
「・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・うぅ・・・・・。
・・・・・・・ふぅー・・・・・。」
キセキの手に持っていたボウガンから鉄のワイヤーが伸び、崖に生えている木に突き刺さっている、幸いそのボウガンは手首に固定してあったので、彼女の手から離れなかったのだ。
谷底に落ちるその数秒の間に、キセキは崖に生えている木に目をつけ、ボウガンに装備されてあったワイヤーを使い、落ちてグチャグチャになってしまう結末を、どうにか回避した。
だがボウガン以外の、キセキが持って来たバッグは谷底に落ちてしまい、バックはそのまま森の中に消えてしまった、だが幸い、スマホは胸ポケットにしまっておいたのだ。
そもそもこのワイヤーは、今回の事件を起こした犯人が逃走しない為に、キセキが予め付け加えておいた機能だ、だがヒツジ男に操られていた男には、あえて使わなかった。
何故なら、キセキが先程ヒツジ男に言った通り、「止める必要も価値も無かったから」だ、キセキにはもう分かっていた、男をこのまま助けたとしても、その後の未来がどんなに悲惨になるかを。
だがキセキは、初めから男に対して無情ではなかった、自分の罪を心から反省すれば、彼女だって情けはかけるつもりだった、少なくとも大怪我はするが命は助ける選択も、キセキは考えていたのだ。
だが男のあまりにも幼稚で身勝手な行動に、助ける気が心底失せてしまったキセキ、男は今、崩れた鉄道橋の下敷きになり、恐らく遺体も「全て」は見つからないのだろう。
そして、男を操っていたヒツジ男自身も、分かっていたのかもしれない、キセキが「普通の人間」ではない事に、そしてそれを悟られない様にしていたつもりなのかもしれない。
だが一枚上手だったのはキセキの方だった、だが彼女でも、まさかヒツジ男があんな行動に出るとは思わなかった、今回キセキが助かったのは、「予想外の幸運」だった。
それに、ヒツジ男に操られていた男が、万が一正気を取り戻したとしても、ヒツジ男は2人まとめて谷底に落とす結末も考えられる、今となっては、もうその結末なんて考えたくはない。
キセキは崖を足場にしながら上に登り、どうにか地面に辿り着けた、だがワイヤーはまだ外さない、念の為だ、鉄道橋が落ちる予想外の事態に対応できたキセキもキセキだが、まだその時の恐怖や驚きが、頭に焼き付いて離れていなかったのだ。
キセキは胸ポケットの中にあったスマホで応援を呼び、その場で待機する事にした、彼女の本心は、ヒツジ男の死亡を確認したかったのだが、さすがにあの事態を後にできるわけがなかった。
その後、キセキは応援に来た仲間に発見され、無事保護された、そしてその後ようやく警察隊が現地に到着した、到着が遅れた理由としては、鉄道橋が崩れた衝撃で、村に入る為の道が土砂崩れで封鎖されてしまったのだ。
その他にも村に入る為の道はあるのだが、車一台がようやく通れるほどの道幅しかないので、村から逃げる村人と警察隊で混雑してしまった。
キセキの応援はすでに村の中で待機していたので、保護されたキセキ達はしばらく村の中で身を潜めていた、その村に唯一建っている民宿の一室は、すでにキセキが予約を入れていたのだ。
そして捜査に来た警察には、「この民宿に泊まっていたが、地震の影響で足を怪我して避難できなかった」と伝えた、ちなみに応援に来たキセキの仲間は、彼女と共にその民宿に泊まっていたので、誰にも怪しまれなかった。
キセキと応援達はヘリコプター救援によって救助され、鉄道橋から落ちそうになった時に捻ってしまった彼女の足は、数日で完治してあっという間に退院できたのだ。
警察の調べでは、「鉄道橋の劣化による事故」として片付けられ、鉄骨の下敷きになってしまった男は、「単なる自殺者」という結論となり、事故の騒ぎは幕を下ろした。
ちなみに、男は都内にあるアパートで一人暮らしをしていたが、無職の為家賃が払えず、数ヶ月前に大家から追い出され、そのまま行方知れず。
そもそも両親からも相手にされなかった男は、万引きの常習犯だったので、捜索隊が男を発見した時、「あぁ、この男か」という反応をしていたらしい。
村を封鎖していた土砂は、数日でどうにか撤去され、村に住んでいた村民とマスコミが押し寄せていた、もちろんキセキの元にもマスコミが来たのだ。
だが警察が「事故」として処理した件だったので、キセキがマスコミから注目された期間は短かった、自殺者として片付けられた男は、少しの間だが世間に名前が回った。
しかしその熱もあっという間に冷め、結局男の葬式はどうなったのか、遺体はどうなったのかは、誰も知らない、噂によると、男の葬式は近親者のみで執り行われ、遺骨の受取人は誰も名乗りを上げなかったらしい。
だがそれよりも、キセキが一番気になっていた事柄は、まだ未解決のままだった、それは、あの時キセキを道連れにしようとしていたヒツジ男の行方だった。
警察隊の調べでは、見つかった遺体は男のみで、キセキや彼女の仲間達が色々な手で調査したが、ヒツジ男のその後の情報は何一つ掴めないまま。
だがその後、鉄道橋があった場所で囁かれていた不可思議な噂はパッタリと途絶え、心霊スポットのサイトからも外されたその場所は今、人の手がつけられていないただの山となった。
ちなみに川の堰き止めも数日後には復旧され、その件で水不足だった地域も元に戻った、そもそも川を堰き止めている物がただの鉄骨だったので、その鉄骨を取ってしまえば後は簡単。
だが少なからず、山の自然生態には影響が出てしまったのだろう、その川の水を生命線にしている動物達は少なくない、その証拠に水を求めて村に入ってしまう動物達が、しばらく村の中を彷徨っていた。
だが村の村民は、決して動物達を邪険にはせず、家の玄関にタライを置き、水道の水を入れておいた、すると動物達は、村民達に危害を与えないまま、川が復旧すると速やかに山に戻って行ったのだ。
「・・・・・そうですか。
じゃあ、あのヒツジ男の言っていた事は、本当だったと。」
「・・・・・・・・・・。」
「不運とは言えませんね、唯一生き残った彼にも、別の生き方があ
ったと、私は思います。」
「・・・・・。」
「強くなければ、こんな仕事続けてませんよ、まぁ私は好きでこの
仕事を続けてますけど。」
「・・・・・・・・・・。」
「すみません、でもあのボウガンに色々な機能を入れておいて助か
りました、機能自体まだ試作段階だったんですけど、私自身が実
証結果を出せたので、ある意味一石二鳥でした。
今後また様々な機能を追加して、耐久力も上げるつもりです、ま
た色々と改善すべき点も見つかりましたから、私の体を繋いでく
れた事は助かりましたが、吊り下げられた反動が大きくて、最近
まで肩が痛かったんです。
その反動や衝撃も考えて、今後の製作に力を入れたいです。」
「・・・・・。」
「??
どうかしましたか?」
「・・・・・・・・・・。」
「まぁ、事件の遺産ですけどね、でもまさか、ヒツジ男の力があれ
ほど強力とは・・・・・、それも事件の反省点でもあります。」
「・・・・・。」
「えっ、そうだったんですか?」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・やはりヒツジ男と人間は、最初から共存は不可能だったの
でしょうか?」
「・・・・・・・・・・。」
「はい、普通に走れるくらい回復しましたので、別の仕事があれば
すぐにでも承諾しますけど?」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・どうしてですか?」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・そうですね、そうします、私もたまには『装備部門』に顔
を出します、ここ最近依頼の仕事ばかりこなしていたので、正直
少し身体面でも精神面でも疲れてたんです。
今回の件で追い打ちを食らった感覚ですよ、あははっ。」
「・・・・・・・・・・。」
「無理は絶対にしないので大丈夫です、それに私、動いていないと
それこそ無理な体質ですからっ!」
「・・・で、結局その・・・・・ヒツジ男は回収できたんです
か?」
「あぁ、それは『向こう』の仕事だからね、でも遺体はちゃんと見つかったから、今ソレは『死体安置所』に入れられて、処置なども『向こう』で決断するらしいよ。」
そう言いながら、キセキは設計図を書き進めていた、ボウガンに装備する機能の追加と、耐久力の計算式も書き込まれていた、見るだけで頭が痛くなりそうな図だ、恐らくこの図を解読できるのは、書いた本人であるキセキにしか分からないのだろう。
キセキと話をしていた女性は、ボウガンの部品一部一部の改良に着手していた、機能が増えるという事は、それなりに重量も増えてしまう、それを軽減させる為に、少しでも無駄を取り除く作業も重要だ。
設計書通りに出来るかどうかは、まだ定かではない、だがもし実現できれば、手荷物の軽減や、仕事の安全率が急激に伸びる可能性もあった。
キセキの机の上は消しゴムのカスだらけ、そして転がっている2・3本の鉛筆は、もうすでに芯が引っ込んで描きづらくなっている、キセキはデスクワークの時だけ眼鏡をかけている。
もちろんこの眼鏡も『整備部門』で作られた特殊な眼鏡、スマホやテレビなどのブルーライトをカットするレンズが備わり、長時間耳にかけても顔が疲れない構造になっている。
デザインの種類が豊富なのはキセキの発案、暇な時に彼女が色々なデザインを落書き感覚で描いていたら採用された形だ、ちなみに今キセキがかけている眼鏡は赤い縁、キセキと話している女性は黒い縁に、耳にかける部分には名前が彫られているデザイン。
女性はこの「整備部門」で働き始めてからまだ数ヶ月しか経っていないが、その腕は熟練の技術士にも手が届くレベル、今では「整備部門」で大半の仕事を引き受けてもらえるほどの信頼を得ている。
キセキとは何度か面識があり、前々から人付き合いがあまり得意ではなかった女性にとって、キセキは数少ない話し相手でもあるのだ、キセキと話している間、女性の手つきは普段より早く細やかになっていた。
「でも、今回はまさに『九死に一生を得た』依頼でしたね、私も話を聞いてい る間だいぶヒヤヒヤしてましたよ。」
「そうね、じゃなかったら今頃私、此処に居られないよ。」
「・・・怖いこと言わないでくださいよ・・・。」
「ごめんごめん、まぁ『結果良ければ全て良し』っていう事でさ、一件落着!
・・・・・と言いたいところではあるんだけどね・・・。」
「??」
「・・・・・ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「へーきへーき!!!
この前俺の友達が行った時、本当に幽霊が出たらしいぜー!!」
「やぁだぁー、やめてよぉー。」
「大丈夫だって、あいつの言う事大半嘘だからさ。」
大学生風の若者4人は、夜中に山の中を歩いていた、女性2人はハイヒールを履いているので、だいぶ足が痛そうだ、だが男性2人も革靴を履いているので、痛いのは4人全員なのだろう。
しかも4人はだいぶ薄着、夜の山の中はだいぶ冷えるにも関わらず、女性は生足を出し、男性は穴だらけのダメージジーンズを履いていた。
そして、4人が乗っていた車は山の入り口付近に停めてある、本来そこは車を止める事は許されない場所なのだが、1ヶ月前の事故の影響で、表札が折れてしまったのだ。
車の中には、空になったお酒の缶数個と、お菓子の袋が数個、ドリンクホルダーにはエナジードリンクが4人分あるが、どれも中身はまだ入っている。
4人はスマホのライト機能を使いながら山道を進み、途中で黄色い遮断テープが2つの木に巻き付けられ、道を遮っていた、しかしその若者達は、その遮断テープを乗り越えてしまったのだ。
よく見ると、遮断テープの上部分には掠れた様な跡がある、恐らく今テープを乗り越えた4人よりも先に、誰かがこの遮断テープを乗り越えたのだろう。
だが4人はそんな事気にする心の余裕なんて無かった、そもそものきっかけは、大学の追試で遅くなった4人の、ちょっとしたストレス発散だった。
4人は互いに仲が良く、色々な場所を遊び回っているのだが、度が過ぎてしまい、単位を落とし、テストも赤点となってしまう、この件で講師からたっぷりと補修と説教をを受けたのだ。
補修中何度も、誰かが「逃げ出しちゃおうよ」と提案するのだが、4人の補修を担当した講師は、4人が逃げられない様に見張っていた、昼の1時から始まった補修は、夜の6時頃にようやく終わった。
ストレスで頭がいっぱいになった4人は、とにかく動かし過ぎた頭に栄養と与えようと、バイキングレストランで暴飲暴食をした、その食事中の話題は、補修を担当した講師の悪口のみ。
その態度に周りのお客達はだいぶ怖気付いていた、子供を連れたママ友メンバーは、わざわざ4人から離れる様に席を移動して、レストランの業務員は注意しようかしないかこっそりともめていた。
それでも、沢山飲み食いしても、講師の悪口を散々言っても、4人のストレスは残ったままだった、どうしようかと全員で考えていると、誰かがこう言った、「やっぱ、こうゆう時は『ホラー』っしょ!!」と。
そして4人が到着した場所、それは1ヶ月前まで自殺の名所として知られていた鉄道橋があった場所、オカルト好きや、心霊スポット巡りをする人々は、まだこの場所に訪れているのだ。
その理由は若干曖昧だが、鉄道橋が崩落した事をきっかけに、その場所に留まっていた亡霊達が、以前よりも姿を現わす「かもしれない」、そんな誰かの予想でしかない。
しかしネット上では、この事故現場に行って幽霊を見た人がポツポツと現れ始めたのだ、その証言自体あまり信用性は無いが、その噂をきっかけに、この場所は新たな心霊スポットとしてリニューアルしてしまったのだ。
その情報を知っていた4人の中の1人は、さっそく皆を車に乗せて向かって行った、ネットにはその場所に行く為のコツも載せられていた、その中で一番注意すべき点としてあげられていたのは、昼間には行かない事。
事故が発生してから1ヶ月は経つのだが、まだ崩落の危険があるので、日が昇っている頃は警察が出入り口を見張っている、遮断テープもその対策だ。
だがいくら警察でも、24時間その場所を見張る事は不可能、なので夜中に行って遮断テープを乗り越えれば、簡単に辿り着ける、逆に昼間に言っても警察に止められて終わり。
幸か不幸か、今現在午前12時頃、4人はすんなりと山の中に入ってしまったのだ、行く前は全員ワクワクとした雰囲気だったのだが、いざその場所を目の前にすると足が震えてしまう。
しかし、残ったストレスと好奇心をガソリンにズンズンと進む4人、途中飛んで来た虫にキャーキャーと威嚇をする女性2人に、山では電波が繋がらずに舌打ちをする男性2人。
そんな事で賑わいながら進んでいると、ついにこの心霊スポットの最大の見せ場となる、鉄道橋跡に着いた、警察などが踏み入った跡が、地面に足跡となり残っていた。
草むらにも踏み入った跡もあり、そこにはまだ使えるボールペンが落ちていた、だが一寸先はすでに崖状態、風が急に強くなり、4人の恐怖心をさらに煽立てている。
女性2人はその恐怖に耐えられなくなったのか、「もう帰ろうよ」と2人の男性に提案するのだが、男性2人は一向に帰る気にはならなかった。
男性2人はとにかくスマホで写真を撮り始め、心霊写真を狙っている、その心霊写真をSNSにアップすれば、たちまち人気者になるという幼稚な発想に取り憑かれているのだ。
そして女性2人も軽はずみな雰囲気に乗せられ、スマホで写真や動画を撮り始めた、まるで遊園地に来てはしゃいでいる子供の様にも思えるが、場所と年齢は不釣り合いだった。
4人の声はやまびことなって山の奥まで響き、麓にある村にもその声は届いていた、夜行性の動物は4人の甲高い声に驚き、普段太陽が昇っている間に動いている動物達も眠りから覚めてしまう。
「・・・・・おいで・・・。」
「っ?!!」
突然女性の一人が、聞き覚えの無い声を聞いた、しかもその声は鮮明且つはっきりと聞こえ、常に声がやまびこ状態になる山の中で聞こえたとは、にわかに考えられなかった。
その声は男性の様に聞こえたのだが、今目の前で動画を撮影している男性2人の声ではない事が、なんとなくだが女性には分かった、しかもその声は若干枯れかけ、正気を完全に失っている様に聞こえたのだ。
女性はこの事を皆に知らせたかったのだが、あまりの恐怖で声あおろか足も動かなかった、そして神経が完全に混乱している3人は、パニック状態に陥っている女性に全く気づいていない。
今思えば、今この瞬間に逃げ出していれば、「あんな大惨事」には至らなかったのかもしれない、もうすでに異変は起き始めていた、それを一番最初に気付いた女性の顔からは、ジワジワと冷や汗が滲み出ていた。
その女性の異変に気付いたのは、1人の男性だった、普段から穏やかな顔をしている女性の顔が異様なほど青ざめていたので、とりあえず声をかける事に。
「・・・おい、大丈夫か??」
「ちょっと、どうしたの?
顔色悪いよ?」
「なんだなんだ?怖くなって動けないのか??」
男性の一人が固まっている女性をからかうが、その女性の異変に気付いた男性も、耳に妙な音が入り込んでいる事に気付く、その音は明らかに、草を踏みしめている音だった。
だがこんな夜中に山の中を歩く人なんていない、ましてや此処は、人が入ってはいけない場所でもある、4人より先に来た先客かもしれないと男性は思ったが、それにしてはおかしい。
夜の山の中は暗闇に包まれ、光が一つでもないと歩く事は困難だ、無闇に歩くと、怪我をしたり遭難するリスクも高くなる、此処はあくまで山の中なのだから。
なのに、音がする方向を見ても、光なんて一切見えない、この暗闇の中なら、僅かな光でもすぐに認知できるのに、音だけが4人に向かって近づいて来ている様に聞こえたのだ。
男性はさすがに危険だと判断して、3人に帰る事を提案するが、2人だけがそれに反対した、2人の興奮は一向に冷めず、ますますヒートアップしている。
自分が今どんな危険な状況にいるのかさえも分からなくなった2人は、帰る事を提案した男性を「臆病者」呼ばわりしてからかい始めた。
恐怖と苛立ちが心を占拠した男性は、震えが止まらなくなっている女性の肩を持ち、来た道を真っ直ぐに下って行く、女性は2人も連れて行った方がいいと言ったが、男性は聞く耳を持たない。
足元がおぼつく女性の為に、男性はしっかりと女性の体を抱きかかえ、ゆっくりと山を下る、そして時間をかけ、車がようやく見えて、2人が安堵の表情を浮かべた、その時だった。
「きゃぁああああああああ!!!」
「うぁあああああああああ!!!」
上の方から、2人の叫びが聞こえた、せっかく車に辿り着いた2人の足は止まったが、後ろを振り返る事はできなかった、2人共恐怖で体が動かないのだ。
叫び声は明らかに、山の上に残った2人の声だったのだが、それは悲鳴とも驚愕とも思える、心の底から恐怖・驚愕している様子だった、恐怖心が若干和らいだ2人は、とりあえず車の中に逃げ込む。
幽霊だったとしても、大型の夜行生物だったとしても、2人にはもうどうしようもできない事態だったからだ、今この場ですぐ、山の上に残った2人を助けに行かなかったのは、ある意味正解だったのかもしれない。
車に乗り込んだ2人は、それぞれが山に残った2人にスマホで電話をかけたが、でる気配が無い、そこでようやく、自分たちが置かれている危険極まりない状況に気付いた2人。
だが車の運転席に座った男性は、諦めずに何度も電話をかけ続ける、女性は来た道をただジッと見守っていた、2人が「ドッキリでしたー!!」と、あどけない笑顔で帰って来る事を信じて。
しかしそんな女性の思いとは、少しだけ意に反した事が起きた、山の奥から、2人の走る音が聞こえて来るのだ、運転席に座った男性は鍵を開けて、走って来る2人がすぐに車に入って来られる様にした。
そして車に向かって猛ダッシュで走って来た2人の姿は、先程とは比べられないほど、酷く汚れていた、2人は裸足で、女性は髪を乱しながら走り、男性は涎を垂らしている。
走って来た2人は車に駆け寄ると、すぐにドアを開けて車中に飛び込んだ、先に車に乗っていた女性は、涙目になりながら息を切らしている女性の背中をさすった。
ブルブルと震えている女性は、背中をさすった女性に抱きつくと、大声で泣いていた、運転席に座った男性は、コンビニの袋の中から、自分が飲んだ飲みかけのスポーツドリンクを、助手席に飛び込んだ男性に渡す。
それを一気に飲み干した男性は、先に車に乗っていた2人に、とりあえず自分達の身に何が起こったのか話し始めた、後ろの席に座っている女性2人は、互いの手を握っていた。
2人が車に帰った後、残った2人は崖付近に近づくが、その時は何も起きなかった、だが2人がスリルを思う存分楽しんで、2人が待っている車に戻ろうとした、まさにその時だった。
山を下ろうとする女性の手を、誰かが掴んだのだ、だが女性は、てっきり隣で一緒に歩いている男性の悪ふざけだと思い、あえて何も言わなかったのだ。
しかし、その悪ふざけをしているであろう男性の方が、足を止めて隣の女性を見ていた、その態度に女性の心は一気に凍りつき、手を振り解こうとしたが、手ではなく首が動いてしまう。
そして女性が見たモノ、それは頭がグチャグチャになった男性が、血まみれの手で女性の手首を掴んで、こう言った。
「逃がさない・・・・・・・。」
驚いた2人は、とにかく山の麓に止めておいた車に逃げ、道を走らずに山を滑り落ち、今に至るらしい、山を滑り落ちた証拠に、2人の体のあちこちは泥まみれだった。
運転席に座っている男性は、とりあえず近くにあるコンビニに行って話と心を整理しようと、エンジンの鍵を回した。
「・・・・・・・??」
「・・・おい、どうしたんだ?」
「あっ・・・・・いや・・・・・。」
エンジンの鍵を回し、車が何度も雄叫びをあげているにも関わらず、全く動かない、運転席に座った男性は若干イライラしてしまい、ハンドルの中央に拳を入れた。
だが、クラクションも鳴らなくなっていた、車の中は一気にパニック状態になり、必死になって鍵を回す運転手と、それを必死に急かす助手席の男性。
後部座席に座っている女性2人は悲鳴をあげながらパニック状態に陥っていた、だが4人がどんなに混乱しても車は一向に動かない、だが誰も、「外に行って車を確かめよう」とは言い出さなかった。
4人の誰もが席にしっかりと座りながら震えていた、もはや外に出る事事態タブーになっている、当たり前かもしれない、山から滑り落ちた2人の話を聞いた後、「よし、外に出よう」なんて言い出せないに決まっている。
だがそれでも、この危機的状況が変わる可能性は一切見えない、誰かに助けを求めたくても、こんな山の中まで助けに来る人なんていない、逆に怒られるか、馬鹿にされる可能性の方が大いにあった。