「楓、大丈夫か?」
起き上がった陸が、俺に手を差し伸べる。
マジで?
俺が?
陸のこと、が、好き……?
「…」
「楓?」
「……だ」
「?どうした、楓?」
「…ウソだあああ!」
「えぇ!?どうしたんだ、楓!」
放心し、その場で固まっていた俺は、絶叫と共に体を横たえ、そのままうずくまった。
ここが神社の参道で、蚤の市の出店準備をする商店街の人達が注目する中であるにも関わらず。
「楓、頭を打ったのか!?」
心配して俺を覗き込む陸。
くそっ、お前のせいだよ、なんだよ急にそんなキラキラ見えやがって…!
「前野先生に言って病院に…!」
「…だ、大丈夫。なんでも、ない、から…」
なんでもある。本当は。陸の目が見られなくて目が泳ぐくらいには。
言葉もなんだかスムーズに出てこないし、語尾にいくにつれて声が弱まる。…本当に頭打ったのかも。
「そうか?でも何だか様子が変だ。向こうで休んでいてくれ。片付けは俺がやる」
「……ありがと」
今はこれ以上、陸の近くに居られない。お言葉に甘えて片付けは任せることにする。
自力で起き上がると、周りの出店者たちに謝りながら、バケツを手に取り、よろめく足取りでその場を立ち退く。
…そうだ、俺はお遣いの途中だった。とりあえず、それを終わらせよう。
目的の店を探すことで気持ちを切り替えようとするけど、身体は何度も陸を振り返ってしまう。散らばった花びらのゴミを掃き集めながら、周りの人々からの声かけに対応している陸。
話しかけられ、笑顔を見せている。その笑顔から、目が離せない。
胸がトクリと鳴る。手で胸を押さえると、早くなる鼓動を認めた。
「…本当に、好き、なんだ…」
改めて自覚すると顔に熱が集まった。
うわ、どうすんのこれ。
ぼうっとしたままバケツに水を入れ直した俺は、目的の花屋を見つけ、無事にお遣いミッションを完遂した。
陸の方は、参道の片付けが終わり、改めてゴミを片付けに行ったようだ。
いつの間にか蚤の市の開始時刻は過ぎていたようで、境内には客を呼び込む声や、楽しそうな談笑の声、客たちのざわざわした話し声が聞こえるようになっている。参道の様子を遠目に眺めたまま、俺はただ呆然と座り込んでいた。
「…はぁ…」
「千秋、大丈夫か?派手に転んでいたと、涼海から聞いたぞ」
「あ、前野先生…、と、陸…」
声をかけられて横を見ると、前野先生と陸がいた。しゃがみ込んで俺に視線を合わせる。
陸の、依然として心配そうな表情に、胸がぎゅっとなる。
「あとのことは涼海に任せて、お前は先に戻るか?」
「必要なものは買っておいた。手伝いも、あとは俺がやっておくから、先に帰っていても大丈夫だ」
「…うん、わかっ…」
「楓先輩!大丈夫ですか?」
言いかけたところで、グレーの瞳の腹黒王子が登場し、「げ」と、心の中で呟く。
伊吹の声に反応し、前野先生と陸も立ち上がった。
「ああ、伊吹くん。千秋は調子が悪そうだから、先に帰らせる。あとは涼海と…」
「先生っ!」
前野先生が涼海を伊吹に任せようとするのを遮るように、口を開いた。
立ち上がり、陸の腕をぐっと引き寄せる。
「…俺、体調悪いんで、帰りは陸に付き添ってもらいたいです。すみませんが、二人とも部活動は早退で、いいですか?」
「ああ、構わない。…伊吹くん、すまないな。じゃあ、涼海は千秋をよろしくな。」
「はい!」
伊吹がジトっとした目で俺を見た。なんだよ?少なくともお前みたいな猫被り野郎には、陸を渡すわけないから。
「楓、行こう。またな、祐希人」
「はい、陸先輩」
陸に話しかけられた伊吹は、にっこりと毒気のない爽やかな笑顔を浮かべる。切り替え早っ。
…え、まって、今「祐希人」って呼んだ?
思わず足がもつれるも、まずは伊吹の前から立ち去りたい俺は平静を装って黙ったまま歩き続ける。
距離詰めんの早すぎだろ、あの腹黒エセ王子…!
鳥居をくぐり、温泉街へ続く石畳を二人して歩く。お昼が近い温泉街からは、串焼きの香ばしい匂いや、団子の甘い香りが漂ってきた。
「陸、なんか食べてく?」
「楓の体調は大丈夫なのか?」
「んー、まあ。ちょっと疲れちゃっただけ。身体は大丈夫」
忙しいのは心だけなんで。
「そうか。じゃあ何か食べていこう。…二人で外食するのは初めてだな」
「……うん」
ニコリと微笑む陸。そんな綺麗な笑顔を直視できなくて俺は目を逸らした。鼓動が早くなる。いけない、こんなことしてたら不審に思われる…!
「…そういえば、さ、服、大丈夫なの?水被って濡れてたじゃん」
「ああ。祐希人が着替えを貸してく…」
「はあっ!?」
バッと陸が羽織っていた上着の胸ぐらを掴むようにしてシャツを見る。
ほんとだ、朝着てたのと違う。
着替えを貸した?あの水に濡れた陸を見て、自分の服を着させて、…アイツ…!
ムカムカと腹の底から不快感が湧いてくる。
「…着替えて」
シャツを冷ややかな目で見たまま、低く、静かな声で言う。気持ちを取り繕う余裕もなくて、ほぼ命令するかのような言い方になってしまった。
「ええ!?この服はちゃんと乾いて──」
「いーから!シャツは俺が買うから!バケツひっくり返したの俺だし、お詫びとして…」
「そんな、そこまでしなくても、」
「陸!」
なんだよ、もう…!
陸が伊吹の服着てるのがイヤだって、言ってんのに!なんで伝わらないんだよ…。
「陸、…お願い…」
「…!」
陸の服を掴んだ手の力が抜ける。陸に縋り付くような格好のまま、黒い瞳を見つめ、情けなくもお願いしていた。
だってムリだ。俺は今日、ついさっき、陸が好きだと気付いたばかりなのに。既に陸が伊吹に取られそう。
何でこんなに悲しいんだ。
俺の方が陸といた時間は長いのに。
…取られたく、ない…。
「そ、そこまでいうなら…」
陸の承諾を得て安堵する気持ちが、少しの冷静さを俺に与えた。
陸は、眉間に皺を寄せ、視線を逸らしている。少し照れているのか、指を添えた首元がほんのり染まっている。そんな様子を見て勘付く。
…こいつ、「お願い」されるの弱いのか?
「でも、先に何か食べないか?正直お腹が空いてるんだ」
「…そーだね。朝早かったしね。」
「楓は何が食べたい?」
再び歩き出した俺たちは、観光客で賑わう温泉街に足を踏み入れた。
「んー、空いてるとこにしよう?あそこのライスバーガーとかどう?」
「そうしよう」
灰霞町の灰霞温泉をイメージした“灰霞ライスバーガー”という、名前に何の捻りもないこの商品は、見た目は普通のライスバーガー。説明を読むに、間に挟まっている鶏肉が炭火焼きになっているのがポイントらしい。
まあ、美味しければなんでもいいや。
店内席はいっぱいだったため、テイクアウトして、駅前の広場にあるベンチで食べる。潮の香りと、硫黄の匂い。手には温かくて香ばしいライスバーガー。
視界の奥に連なる山々は、温泉宿から出るもわっとした煙を足元に纏っていて、厳かな雰囲気がある。
「いつも見下ろしている場所から、学校を見上げるのって、変な気分だな」
ガブリとバーガーに噛みついた陸が言う。そんな姿さえ特別に思えてきてしまうんだから、恋とは恐ろしい。
「この町に来るときはいつも『観光客』で、『よそ者』だった。でも、蒼泉台高に入って、楓と出会って、『おたすけ部』に入って…。今日は翠和神社の人たちとも、商店街の人たちとも、たくさん知り合った。」
そこまで言うと、また一口、バーガーに噛み付く。
「…なんだか、もう自分がこの町の一員になった気がするんだ。楓とこうしてる時間も、穏やかで、大切に思える。…『第二の故郷』って、こういう感じなんだろうか?」
こてん、と首を傾げて俺を見る陸。近くの足湯の湯気を含んだ潮風が、陸と俺の頬を撫でていく。肌にぬるい湿っぽさを残して。
「…わかんないけどさ。…そーかもね。」
照れ隠しに俺もバーガーに噛み付く。俺といる時間を、大切に思ってくれている。その言葉だけで、さっきまでの伊吹へのモヤモヤとかイライラはあの風と一緒に通り過ぎて行ったようだった。心に残るのは、じんわりとした温かさ。
トクトクと、心臓は小さな音でときめきを訴えている。その音は、陸には聞こえてるはずはないのに、優しいこの時間の中では、それさえも陸に伝わってしまう気がして、隠すように話題を変えた。
「そーいえばさ。陸、あのとき俺に何を言いたかったの?神社で、ぶつかったとき。」
「ああ!」
陸は明るい声をあげ、目を輝かせた。
「ゆげまるさんショップができたらしいんだ!この温泉街に!」
「……へー」
「今なら2,000円以上買うとランダムでステッカーも貰えるらしい!」
「…そーですか…」
陸だ、いつもの。
バーガーを食べ終えた俺たちは、温泉街でも一際ポップな色合いの可愛らしいお店に来ていた。
はい、ゆげまるショップです。
「シャツ、本当にそれでいーの…?」
「パーカーを羽織るから問題ない!」
「…あっそ…」
問題というか…。
陸が手にしているのは、シースルー素材のゆったりした白い長袖シャツ。胸から腹のあたりは透けないように内側に布があり、その布に、ゆげまるの顔がプリントされている。
夏に向けた服のようで、首元は肩のあたりまで横長に開いていて、涼しそうだけど…どちらかと言うと女性向けでは…?商品説明によると、一応、ユニセックスの服ではあるみたいだ。
「そうだ楓、俺からも楓にこれを買いたいんだが、いいか?」
「えっ…」
陸からのプレゼント!?なにそれ…!
ここにはどう転んでもゆげまるグッズしかないけど、正直、陸からのプレゼントなら何だって嬉しい。いまならその辺の石ころでさえも、「陸が選んだ」と言われれば受け取ってしまう気さえする。
ドキドキしたまま陸の手元を覗き込むと、手にしていたのは箸と箸置きのセット。赤いのと青いの、2種類を持っている。
え、めっちゃいいじゃん…!
「赤と青、どっちが好きだ?」
「……青」
青って、陸の色っぽいから。俺の好みは赤だけど。
そんな気持ちが陸に気持ちが伝わってしまわないか、答えるときにちょっと緊張した。伝わるはずなんてないけど。
「わかった。じゃあ青は楓、赤は俺用。…楓は赤を選ぶ気がしたけど、外れたな。じゃあ会計してくる。」
「え、ちょ…!え!?」
ちょっと、ちょっと、ちょっと…!?
颯爽にレジに向かう陸に置いていかれる。体も気持ちも。
待って、脳が処理落ちしそうなんだけど!
箸って、お揃い!?夫婦かよ!!それに、赤は俺が選びそうって、…当たってる、し…嬉しい……。
「はぁ…。」
陸の選んだシャツを抱えたまま近くの壁に身体を預ける。
俺、今日帰ってからも幽霊小屋でこいつと2人なんだけど…?そのうち、ドキドキしすぎて心臓が止まってしまうかもしれない…。
胸の奥には、きゅんとする気持ちと、キリキリ切ない気持ち、両方あって苦しい。
ぎゅっと、自分の胸を押さえて、陸の背中を見る。
…どうすればいいんだよ、こんな気持ち。
他の買い物も済ませ、幽霊小屋に戻ったときには既に夕方だった。
今日買ってきたものは、カーテン代わりの布と、その布を止めるための画鋲。あとは、調理器具、食器類と、スポンジとか洗剤とか。疲れたけど、折角だからジャガイモの料理はしてみようと、俺は少し意気込んでいた。
「楓、料理は俺が…」
「今日は俺がやる。陸はカーテン設置しといて。」
「そうか、ありがとう。明日は俺が……やってみる」
「………」
「掃除と料理は当番制にしよう」
「…そだね」
「やってみる」って。陸の誠意は受け取りたいけど、若干の不安が残る。
陸は、帰り道ずっと手に持っていたゆげまるショップでもらったステッカーを机に置き、早速カーテンの取り付け作業を始めた。陸が選んだ淡い緑のカーテンは、木目調の優しい室内に意外と馴染んだ。
陸の後ろ姿から、横に視線を移すと、あの壁の穴に目が止まった。
あの時の前野先生の言葉を思い出す。
───ここはお前たちが生活する場所だ。教室とか部室みたいな、その時限りの場所とは違って、「帰る場所」だ。───
───どうなっていきたいか、その為にどうしたらいいのか。自分がどうしたいか。よく考えろ───
陸と一緒に、「帰る場所」。
今日は俺がご飯を作って、陸がカーテンを付けて。そうやって支え合って生活していく場所。
一日の楽しかったこと、疲れたこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、全てを持ち帰る場所。
そして、陸と共有する場所。
「なあ、陸。」
「なんだ?」
作業の手を止めて振り返る黒い瞳。
陸と一緒に、どう生活していきたいか。
俺の心は、こう言ってる。
──ここで、いろんな形の、陸との時間を残していきたい。
心の声に素直に耳を傾けると、その壁をどうしたいか、1つだけ思い当たった。
自分の意思を伝えるって、少し緊張する。自分の心の声を晒すって、少し怖い。
でも、陸なら。
少しだけ背筋を伸ばしながら、陸に伝える。
「そこの壁にさ、コルクボード、付けてもらわない?さっき言った当番の表貼ったり、今日もらったステッカー飾ったり、…二人で、いろいろ共有できるように…。…どう、かな…」
ジッと陸の目を見る。陸は瞬きし、隣の壁を見ると、優しく微笑んでから、俺に向き直った。
「とてもいい案だ、俺もそうしたい!」
綺麗な笑顔。ちょっと気恥ずかしいけど、なんか、嬉しい。俺の意見をこんなにも快く受け入れて、肯定してくれて。
俺の気持ちごと、受け取ってもらえたような気持ちよさがある。
「あ、そうだ!明日もショップに行って、ほかのステッカーももらって飾…」
「ステッカーは2枚で十分だから!」
「そ、そうか…」
そんなゆげまるだらけにされて、たまるか!と、心の中でも突っ込む。
でも陸らしくて、…そういうとこも含めて好きなんだと改めて思う。
ちょっと残念そうな顔をしてる陸を見てフッと笑うと、陸もニコッと笑い返した。
こんな瞬間が、今はどうしようもなく、愛おしく幸せに感じる。
陸への思いも、この家への気持ちも、新しいものへ変わっていく。その変化は、どこかくすぐったい。
変わりゆく季節の中、過ぎ去っていく、大切なひととき。
春から夏へ変わる季節の風が、優しく緑のカーテンを揺らした。
