「おはよう楓…。あ、そうか…」
ぼんやりした様子で幽霊小屋の階段を降りてきた陸は、誰もいないダイニングに向かい、一人朝の挨拶をした。
「今日も朝練行くって、言ってたな…」
呟いた掠れた声は、どこか切なげに部屋に響いた。
7月。この小屋のもう1人の住民である楓は、総合祭の練習のため、授業の時間以外はほぼ特別クラスへ顔を出し、練習に勤しんでいた。
もっとも、本人にどこまでやる気があるかは不明である。それでも毎日早朝から夜遅くまで練習に通う様子から、彼の懸命さは伺える。
外は蝉の声。山の中腹に位置するこの学校は、毎朝、日の出とともに蝉の合唱が響く。
「今日も遅いんだろうか…うわっ!」
ズルッ──ドン!
「痛…っ」
階段の最後の段を踏み外して背中を打った陸は、腰に手を当てたまま手すりに捕まり立ち上がる。
衝撃で完全に覚醒したのか、先ほどまでの眠気まなこは、涙を浮かべながらもキリリと開いた。
彼の視線の先には、ホワイトボード。
楓の字で「陸の朝食は冷蔵庫の中」と書かれている。…ツノの生えた犬のようなイラストと共に。
楓の綺麗な字と、独特なイラストを見て、口元を緩めながらも少し眉尻を下げる陸。
一人だけの部屋。
冷蔵庫から朝食と、腰を冷やすための保冷剤を取り出すと、一人ポツンと静かに朝食を口に運んだ。
「あ゛ー…つっかれたぁー」
昼休み。
朝練、放課後練、夜の自主練、日中は授業と、休む暇のない俺の、唯一の休憩時間。
机にべちゃっと突っ伏して目を閉じると、そのまま眠気がやってくる。
芸能クラスの舞台練習は、想像以上にハードだった。というのも、百合羽先輩が俺を準主役にキャスティングしたからだ。
百合羽先輩が「紫苑さんの再来」と俺を売り込んだことで、芸能クラスの他の先輩たちは、かなり友好的に接してくれる。急に現れた一年生が準主役をやっていても、「紫苑の弟」と、「百合羽の指名」がかなり効いているらしく、文句は出ない。まあ俺も姉貴と比べられるのがムカつくから、柄にもなく一生懸命やってるってのもあると思うけど。
舞台演目は、「ジュリエットとロミオ」。シェイクスピアの、「ロミオとジュリエット」のアレンジバージョンで、ジュリエットを主役にした「誰も死なない」お話。もちろん、ジュリエット役が百合羽先輩。俺はロミオ役として、ジュリエットに恋して、求婚して、最後には国外追放。ジュリエットは家を継ぎ、逞しく生きていくという終わり方。
「やっぱり憂さ晴らしじゃん…」
おでこを机につけたまま愚痴る。
俺を姉貴に見立てて、百合羽先輩の時代を象徴させる、そんな風にもとれる内容だった。
「僕と篠岡は購買行ってくるけど、千秋たちも行く?」
玉置の言葉に飛び起きる。すかさず隣の陸を見ると、首を横にふりながらおにぎりを取り出している。
あ…、チャンスだ…!
「俺もいい。2人で行ってきてー」
ヒラヒラと手を振って、2人が教室を出るところまできちんと見届ける。
急にドキドキと高鳴りはじめた鼓動。一応、一度深呼吸する。
朝も夜も練習で、最近は陸と2人でゆっくり話す時間があまりない。
でも俺は、夏休み前に陸に言わないといけないことがあった。
「陸、夏休み、予定ある?」
「ああ。帰省する予定だ」
「いつ?いつから行って、いつ帰ってくる?」
「どうしたんだ急に」
「ねえ、15日は?こっちにいる?」
「ああ。ちょうど15日に帰ってくることに…」
「マジ!?な、陸、夏祭り!行かね?」
スマホでSNSに投稿されている画像を見せる。
この温泉街で開催される「灰霞温泉灯籠流し」。名前の通り、目玉は町の川で行われる灯籠流し。
なぜ俺が、こんなに落ち着きなく、食い気味に陸を祭りに誘っているかというと。この夏祭りの夜、陸に告白しようと企んでいるから…!
灯籠流しなんてきっとロマンチックな景色に違いない。
陸の浴衣姿が見たいなんて贅沢は言わない。なんかいい雰囲気になれたらそれで十分!告白にOKしてもらえたら死んでもいい!!
「どーよ?面白そうじゃね?」
今更ながら軽い感じを装いつつ、口はカラカラ。舌がもつれそう。
頼む!「うん」って言え、言ってくれ!
口元は軽く緩めながら、それでも視線は陸からそらさない。陸のどんな些細な表情の変化も見逃さないと、食い入るように見つめる。
「ああ…!」
陸の表情が明るく咲いた瞬間、「やった!」と思った。これはイエスっていう時の雰囲気に違いない!
「実は、俺も楓を誘おうと思ってたんだ」
満面の笑みでそう言う陸。
きたきたきた!てか、うそっ!?陸も俺を誘おうとしてくれてた、だって…!?
「マジかー」なんてほぼ反射で口走るけど、頭の中はちょっと混乱中。顔が熱くなる。
「ああ。前野先生から、灯籠流しの片付けボランティアがあると聞いたんだ。久々に『おたすけ部』として参加しないか?」
「えっ…」
その瞬間、俺の中で、ひと夏の淡い妄想が音を立てて崩れ去った。
灯籠流す方じゃなくて、片付けの方…?
川の下流で、濡れてよれよれになった灯籠を廃棄する景色が頭に浮かぶ。
うそでしょ?雰囲気も何も絶対ないじゃん。
固まってしまった俺に、陸は相変わらずニコニコと嬉しそうな笑顔を向ける。
はぁとため息が出た。
「…了解、ボス」
「決まりだな!また町の人たちと交流できるのも、楽しみだな」
「…ソーデスネ…」
「祭りの日は、舞台練習はないのか?」
「おいおいおいおい、祭りの話かぁ!?この、祭り男・玲央様を差し置いて2人で祭りたぁいただけねぇなあ!」
「どんなキャラよ」
わいわいと横槍を入れてきたのは、購買から戻った篠岡と玉置。
あーもう、どうぞお好きに騒いでください。
「流し終わった灯籠を片付けるボランティアに行こうって話」
思わず遠くを見てしまう。
そんな俺にはお構いなしで、篠岡が続ける。
「あー!『おたすけ部』な!じゃあさ、ボランティア始まるまで、遊ぼーぜ!」
「いいね!屋台回るのたのしそう!」
玉置も話に加わって、完全に4人で遊びにいく方向で話が進んでいく。
まあ、陸への告白は、別に祭りじゃなくてもできるし。今回は普通に楽しむかと、気持ちを切り替える。
「玉置、補習は?」
「うっ…、で、でも夜は大丈夫だから!」
「千秋も総合祭の練習あんだろ?」
「夜は自主練だけだから、その日は休むつもりー」
「ボランティア集合は19時からだから、17時に駅前集合でどうだ?」
陸の提案に全員が賛同して、祭りに行く約束が決まった。
和やかに過ごす昼休みが終われば、午後の授業、そして放課後は総合祭の舞台練習、その後に自主練。
幽霊小屋に戻ったのは、22時近かった。
「ただいまぁ…」
へとへとの身体を引きずって、幽霊小屋の扉を開ける。今日も疲れた。何度やっても上手くいかないシーンがあって、その度に百合羽先輩の厳しい視線が飛んできた。ぶっちゃけ先生より怖い。
「おかえり、楓」
幽霊小屋の、木調の室内を温かく包むオレンジの光。ダイニングテーブルには、メガネと寝巻き姿で、微笑む陸。机には教科書とノートを広げているけど、目は眠そうで、とろんとしている。
あー、癒しすぎる…。
陸の声と笑顔で涙が出そう。疲れた心と鉛のように重い体が、羽のように軽くなり、ほぐれる。
「勉強中?俺、風呂行ってくんね」
ぽやんとした陸の頭を撫でたい衝動に駆られるけど、グッと我慢。
陸が頷いたのを見て、風呂場に向かった。
汗が流れると、だいぶ気持ちもスッキリする。風呂を上がる頃には、シャンプーの爽やかな香りが、心地よさと眠気を運んできた。
ダイニングに戻ると、陸は机で寝ていた。
「さっきまで起きてたのに…もう寝てんのかよ」
陸の無防備な寝顔に小さく笑いが溢れる。
起こさないように注意しながら、陸の頭を優しく撫でる。艶のある黒髪はサラサラと指を通り、陸の体温が手に伝わった。
このままずっとこうしていたい。
指先まで自分の鼓動を感じた。
髪の先には白いうなじが覗いている。
首元は、もっと温かいんだろうな…。
一瞬手が動くも、理性が体を止める。
ダメだ。これ以上は。
少しの葛藤のあと、名残惜しく陸の頭から手を離すと、陸の背中を軽く叩いた。
「陸、起きろ。寝るなら上で寝ろって」
机に突っ伏したままの陸が、そのままうっすら目を開けた。メガネがズレてる。今にも閉じそうな目でこちらを見上げ、俺の服の裾を掴んだ。そして、子供がわがままを言うみたいに、唇を尖らせて、ポツリとしゃべった。
「…楓と…、いっしょが、いい…」
「っ…、」
胸がきゅうっと締め付けられる。
なんだこのかわいい生き物は?寝ぼけてんの?
ときめきすぎて心臓が苦しい。胸に手を当てながら、あくまで平静を装った。
「は、はぁ?一緒もなにも…、毎日、一緒のベッドじゃん…」
いつも通りの軽口で答えようとしたけど、照れのあまり、尻すぼみになる。
心臓がうるさい。
伏せ目がちに、陸の様子をチラチラ伺う。
「お、俺も課題やったら寝るから、先行ってろって。な?」
すると陸がハッと顔を上げた。俺の服を掴んでいた手も飛び跳ねるように離された。
いつもの凛とした目が、しっかりと俺を見る。でも顔は赤くて、口は言葉は伴わないまま閉じたり開いたりしている。
「わ、悪い楓。そ、その…、ゆ、ゆげまるさんと間違えたんだっ!」
「…は?」
ゆげまる…?
陸の意味不明な弁明に眉間に皺が寄る。
「ま、まだ眠くない!から、俺も楓と課題やっ…い゛っ!」
陸が勢いよく立ち上がったかと思ったら、顔を歪め、腰に手を当て、また椅子に座り直した。
「どーした?大丈夫?」
「今朝、階段を踏み外して打ったんだ…」
メガネの奥の黒目が俺を見上げる。
急に身体を伸ばして、患部が痛んだんだろう。あぶなかっかしい奴。
そういえば、とチェストに向かった。
「湿布、使ったか?」
「いや…」
以前、俺が肩を怪我した後、前野先生から、最低限の救急セットを支給されていた。
チェストの引き出しを開けて、救急箱を探してると、あの時、しまったままだった額縁に手が触れた。
「これ…」
折られた写真の入った、太い額縁。
なんで折ったまま、写真を飾っていたんだろう?
今更ながら興味が湧いて、額縁を取り出す。
「なんだ?あ、俺が前に、楓に落としてしまった写真だな。…それがどうかしたのか?」
「この写真、折ったまま飾られてんの」
「…折ったまま?」
机に額縁を立てて置いて、裏板を外すと、カチャンと落下音がした。
「鍵だ」
陸がゆっくり拾い上げ、しげしげと見る。黄土色のスケルトンキー。持ち手には、学校の校章と似た模様がかたどられていた。
「…まどかがくれた鍵に似てる」
俺が言うと、陸もコルクボードに飾ったままの鍵に視線を移した。
「サイズも素材も、とても似てる。同じものか?」
「いや、持ち手の模様が違う」
まどかの鍵を手に取り、見比べてみる。でも、持ち手と、歯の部分以外の違いは無さそうだった。
首を傾げながら、再び額縁の前に戻る。
裏板を外した額の中には、鍵と折られた写真の他に、もう一枚、この額縁にぴったりなサイズのセピアカラーの写真が一枚出てきた。
「女の人と、子供たち…だな」
「そーだね…」
真顔で写真に映る和服の女性は、見るからに育ちが良さそう。着ているものも上等に見える。
子供は3人。女性に抱っこされている子が1人と、後の2人は行儀良く並んでいる。
子供達は、どこか異国の血が混ざったような風貌だった。
「こっちも開いてみよう」
陸が二つ折りになっていた写真を開いた。
「あ!」
「これって…!」
木と、その向こうに抜けた空が写っていたセピアカラーの写真。空の下には、建物が写っている。
それは、俺たちが納屋として使っている、幽霊小屋の奥にある蔵。そしてその近くには、家も映っていた。
家は幽霊小屋ではなくて、母屋らしき日本家屋だ。蔵も母屋も建てたばかりなのか、とても綺麗に見える。今あるような鬱蒼とした雑草が周りにないせいかもしれない。
そして、写真の真ん中に写っているのは、先程の着物姿の女性と、目鼻立ちがどう見ても外国人な、和服の男性。
「楓、裏に何か書いてある」
陸の言葉に写真を裏返す。かなり昔に書かれたように見える。インクが劣化しているけど、かろうじて読めそう。
「…『ここにわが宝をのこす』…?」
読み上げて、陸と目を見合わせる。
「宝って…」
「もしかして…、」
2人して生唾を飲み込んだ。
「宝」と聞いて思い当たるものは、一つしかない。
この町の、昔噺───今もどこかに眠っているという、漂流外国人の財宝伝説。
「…この町の伝説って、」
声が掠れ、喉が鳴った。
「…本当、なのかも」
背筋がゾクッとした。
漂流外国人は、この学校の理事長の祖先だとは聞いたことがあった。
でも、あの昔噺のほとんどは、根も葉もない、観光客を増やすために脚色された、作り話だと思っていた。
財宝と共に、この町に流れ着いた、漂流外国人の少年…。
今、この手にある写真が、その昔噺に血肉を与えた気がした。
「陸…」
陸も呆然と写真を眺めている。俺に呼ばれてやっと顔を上げた。
「ああ、すまない。なんか…びっくりして」
「そーだよね」
「…このメモの指す、宝の在りかは、…この学校のどこか、ということなんだろうか…」
「…」
陸の言葉を聞いてある仮説が浮かぶ。
「もしこの写真が、初代理事長だとしたらさ…、『宝』って、この学校そのもののことなんじゃね?」
「…!ああ、なるほど!…い゛ッ!」
陸の瞳が輝き、また勢いよく立ち上がったと思ったら、腰に手を当て座り直した。
先ほどまでの緊張が一気に緩んだ。
「ぷっ、ごめんごめん、湿布探すからもうちょっと待ってて」
「…すまない」
仮説に過ぎないけど、この謎に自分なりの答えが出て、納得する。
和服の女性は、おそらく奥さんだろうし、写真に写っている子供たちも、この外国人と女性の子たちだろう。
確か昔噺では、「財宝を元手に学校を作った」って言われているくらいだし。宝が学校という解釈は、あながち間違いじゃないと思う。
…この鍵は、よく分からないけど。
まどかの鍵と、額縁から出てきた鍵をコルクボードに掛ける。
それより今は、目の前で腰を痛がる陸だ。額縁と写真も適当に壁に飾り直して、救急箱捜索を再開した。
別の引き出しを開けると、目当ての救急箱が出てくる。中にはちゃんと湿布もあった。
「あったあった。はい、どーぞ」
「ありがとう」
湿布を受け取った陸はゆっくり立ち上がると、服をペランと捲って湿布を貼ろうとする。
白い肌が見えて思わず目を逸らす。何か手を動かそうと、チェストの中を整理しながら、適当に口も動かした。
「て、てかさ、そんな痛いなら、今日体育なくて良かったな?」
「日中はそこまで痛くなかったんだけどな…。」
てゆーか、この引き出しの中、陸のゆげまるグッズにほとんど占領されてるんだけど。
いつの間にこんなに増えてたの?
「…すまない楓、」
「ん?」
引き出しの中のゆげまるグッズを眺めていると、陸に呼ばれ、振り返る。
陸は服を捲り上げ、腰をこちらに向けた状態で、肩越しに俺を見つめていた。
「…貼ってくれないか?」
「……マジで?」
白く細い腰を晒す陸。
体が熱くなるのがわかった。
ここで拒絶するのも不審だし、腹を括って、一歩一歩、陸に近付いた。微かに震える手で湿布を受け取る。
寝巻きのズボンの裾から、黒い布が覗く。
ゴクリと喉が鳴った。
「…貼るの、この辺?」
赤黒い打ち身の跡に、そっと触れると、陸の体が小さく跳ねた。
「あ、えっ、痛かった?…ご、ごめん」
「…っ、いや、大丈夫だ。…そこに、頼む」
前を向く陸の表情は分からない。
湿布の端を肌に付け、手のひらで撫でるように圧着させる。くびれの形を湿布越しに感じて、鼓動が早鐘のように鳴った。
手は熱くって、触れている湿布の冷たさも感じられない。
…俺の体温は、陸に伝わってるかな…。
「…」
もう湿布は貼り終えてる。それなのに、腰に添えた手を戻せない。
──このまま陸の正面まで腕を回して、後ろから抱きしめたい。うなじに顔を寄せて、陸の体温を、匂いを感じたい…。
願望と、行動の境目があやふやになっていた。
本能に誘われるまま、陸の腰に置いた手がゆっくり滑っていく。
指先が、陸のなめらかな肌に触れる。
薄い皮膚。熱くて、柔らかい感触。
「…っ、」
陸の体が小さく反応し、僅かに横顔が見えた。長いまつ毛が震えている。
──もっと、もっと触れたい…。
足が勝手に動く。陸の背に体がつきそうなほど近付き、浅く息を吸う。陸のシャンプーの匂いが、脳内を蕩けさせた。
「かえ、で…?」
消え入りそうな陸の声さえ、甘美に響いた。
体が、心が、どうしようもなく陸を求める。
「りく…、」
指先が陸の腰骨をなぞる。
陸が息を呑み、微かに身じろいだ。
指に伝わる骨の硬さ、手のひらに陸の肌が吸い付く感覚。
──もっと…欲しい。
たまらず、はぁ、と熱い息が漏れた。
「ひっ…!か、楓…、なに…、」
「…ぅわあっ!?」
陸の声で理性と意識が揺すり起こされる。落ちかけていた瞼が上がり、反射的に飛び退いた。
「あ、あー…、これは、えっと、その…」
理性が仕事を始めても、頭の中も体も手もまだ熱くて、鼓動も耳元まで響いている。今のは完全にアウト、だよな…。
「…手が、滑ったわ…。」
往生際悪く、苦しい言い訳をする口。目が泳ぐ。
勝手に触って興奮して…、俺、最低だ。あー、もう、こんなん嫌われるに決まってるじゃん!
せめてちゃんと謝ろうと口を開きかけると、陸が、持っていた服の裾をぎゅっと引っ張りながら呟いた。
「そうか…。その…、ちょっと…くすぐったくてな。だから…その…、すまない。」
「…こっちこそ、…ごめん。」
赤い顔で視線を逸らす陸。
嘘を鵜呑みにして俺より先に謝るから、さらに罪悪感が募った。
メガネの奥から見上げる陸に、もう一度謝る。
「ごめん」
「いいや…、貼ってくれて、ありがとう」
陸は服を整えながらそう言うも、顔は俯き、声はどこか弱々しかった。
反省はしているのに、体の熱は引かない。
指先には陸の身体の感触が残っていて、陸を求める欲が未だ疼いている。
どうも今夜は魔が差してしまう。
…思ってる以上に疲れてんのかな、俺。
机に戻った陸は、ペンを手にするものの、両手でそれをいじりながら、目を伏せる。視線は教科書もノートも見ていなくて、机の上をウロウロ彷徨っている。
「やっぱ俺、寝るわ。」
このまま陸といたら、何をしてしまうか分からない。早く陸から離れて、身体を休ませよう。
視界から陸を外して、俯いたまま階段の手すりに手をかけた。
「あっ、楓、その…」
「?」
声をかけられて立ち止まる。
立ち上がった陸は、揺れる瞳で数秒俺を見つめると、小さく息を吸った。
「…明日は、一緒に、朝食を食べないか?」
「え?」
思ってもいなかった誘いに少し驚く。
「いーけど、お前起きれんの?」
「も、もちろんだ!」
陸の食い気味な返事が面白くて、小さく笑う。
なんだそれ。子供かよ。
「わかった。じゃあ5時起きな」
「ご…!っ、臨むところだ!」
「はは、陸、絶対起きれないでしょ」
「そんなことはない!」
いつもの調子に戻って、内心ホッとする。
やたら頑なな陸には、今度こそ声を出して笑ってしまう。
一緒の朝食…、嬉しい。
「お前も早く寝ろよ?」
「そうする」
「がんばれよー。じゃあ、おやすみー」
「おやすみ。」
机に戻った黒い頭を見て、俺も寝室へ向かった。
陸と一緒に朝食を摂れるのは久々だ。
明日はまた、半熟目玉焼きを焼いてやろう。
階段を足取り軽く登り切ると、寝室に入る前に、もう一度陸を見下ろす。
真面目に勉強に取り組む黒い頭に、口元が緩んだ。
コルクボードに飾られた2つのスケルトンキーは、鈍く光っていた。
