「ま、まどかは、ゆ、ゆきとくんの、ことが…、す、す、」
「まどかー、そんなもじもじしてたら何言ってるかわかんねーよー?」
「楓、厳しすぎないか?」
3日目の午後。ロビーに宿泊客の姿はなく、俺たち三人だけ。
柔らかな陽射しに包まれた空間は、まどかの小さな恋心を応援するかのように温かかった。
「いーの。伝わんなきゃ意味ないんだから」
「それは、確かにそうだが…」
「伊吹だって、『素直な感じ』が好きって言ってたんでしょ?」
「ああ!そう言っていた。」
はぁ、と小さくため息が漏れる。このため息は、敵ながら伊吹への同情も混じっている。
陸は、こと恋愛に関しては、とことん鈍感。昨日の神社での伊吹の思わせぶりな態度にすら、ピンときていないようだった。
「てか、伊吹の好きなタイプに合わせようったって、結局、素の自分を好きになってもらえなきゃ続かないからね?」
自分で言っておいて、完全ブーメラン。いつでも上っ面だけで、深く人付き合いできない俺の、反面教師的なアドバイス。
「…確かに…そう、か…。」
目を閉じ、眉間に皺を寄せる陸。片肘を抱き、もう片方の手で顎を持ち、首を傾げている。
…多分、あんま分かってないな。
「てかさ、まどかは伊吹のどこが好きなわけ?」
「だってゆきとくんは、優しくて、王子様だし、あと、ゆきとくんはきれいな目をしてて、まどかは旅館の女の子だから、結婚する運命なの!」
「運命…?」
「あー…、あれね」
優しくて王子様というところで乾いた笑いが出たが、その後の、「運命」の話でこの町の昔噺を思い出した。
話を知らないらしい陸が今度は反対側に首を傾げている。
「知らねーの?うちの学校の理事長の祖先の話」
「理事長の?どんなつながりなんだ?」
約100年前、この町に一隻の船が流れ着いた。乗っていたのは、宝石のような輝く瞳の少年一人と、たくさんの財宝。ただ、少年には記憶がなかった。
少年は、灰霞町で一番大きな宿でお世話になって、この町に根付く。そして、宿の娘と結婚し、子を儲けた。
やがて彼は、財宝を元手に、町への恩返しと子どもたちの未来を願って、学校を作った。町が見渡せる山の中腹に。
「その学校っていうのが、蒼泉台って話」
「そうだったのか!」
「あとね、おたからも、まだこの町のどこかにまだあるんだよって、ばぁばが言ってた!」
まどかがきらきらした目で補足する。
「まあ、流石にそこまでは嘘だと思うケド」
「ばぁばのお話、うそなの…?」
「こら!楓!」
「わーかったって!まどか、ごめん。」
「んーん、いーよ!」
あからさまにしょんぼりするまどかを見て、すかさず俺を叱責する陸。
オカンかよ。
「じゃあ脱線したけど、話を戻すと…、告白するときに、『優しいところが好き』って伝えたらどう?」
「うん!わかった!」
「じゃあもう一回な。今度は俺が伊吹役やってやるから、俺に向かって言ってみなよ」
「えー!それなら陸お兄ちゃんの方がいいー!」
「はあ?なんでだよ?」
「だってゆきとくんみたいにきれいだし、身長も、楓お兄ちゃんより小さくて、ゆきとくんに近いもん!」
さすが、ちっちゃくても女子。よく見てる。
確かに陸は、俺より頭半分背が低い。伊吹よりは少し高いけど。
「陸お兄ちゃん、こっちきて!」
「ああ。」
まどかに手を引かれ、まどかの前で目線を合わせるようにしゃがむ陸。
「いくよ?えっと…。あ、あのね、や、優しいところが、す、す、す…」
「わ、」
頬を染めて愛の告白をしようとするまどかに、ドロッと胸の中が濁る。
陸の腕を引っ張り上げ、まどかの前からどけた。
「やっぱ俺がやるわ」
「えー」
「うるせー、俺の方が陸より演技上手いからね?」
こんなガキ相手でも、陸が誰かに好きって言われてるところに嫉妬するなんて、俺も相当大人気ない。
今日の告白練習で、まどかはかなり自信を持ったらしい。顔を輝かせながら、「明日は本番だから、ひらひらのお洋服着てくる!」と宣言し、元気よく帰って行った。また明日ここに集合しようと約束して、俺たちも解散。賄いをもらって、シャワーを浴びると、明日も早朝のボランティアのために早々に布団に入った。
夜の9時。開かれたままの窓からは、街灯の明かりが差し込む。外は昼間の賑わいが嘘のように静かで、たまに石畳を靴底が擦るゾッ、ゾッという音が聞こえた。
「楓、もう寝たか?」
「流石にまだ」
首だけ動かして隣の布団の陸を見る。暗闇の中、間接的な白い光がぼんやり陸の輪郭を映している。
風がカーテンを静かに鳴らすと、湿った硫黄の香りを、微かに感じた。
「俺は、その…、恋愛とか、あまり縁がなかったから…。一人でもまどかに協力するなんて言ったが、正直どうすればいいか分からなかったんだ」
「…」
天井を見たまま静かに話し出した陸を、黙って見つめる。
「楓を怒らせてしまったことは、すまなかった。でも、やっぱりこうやって楓も協力してくれて、嬉しい。…ありがとう」
シーツの擦れる音。陸が顔をこちらに向けた。眼鏡もコンタクトもないから、俺の顔なんて全く見えてないだろうけど。
陸は口の端を上げて、柔らかく微笑んだ。
胸がきゅっとなる。
陸のまっすぐな言葉は、いつも俺の調子を狂わせる。
謝罪も、感謝も。
全てがまっすぐすぎて、俺が得意な“テキトーに誤魔化す”ができなくなる。
鼻から息を吐くと、俺は板張りの天井を見上げた。
陸の信頼に、応えたい。でも、心の中の俺が、それを拒絶する。俺には無理だって。
…陸に、打ち明けよう。本当の俺を。
両腕を耳の横まで上げて、枕の下で指を組んだ。体の前面が無防備に晒され、警戒心が疼く。
でも、指は解かない。
晒すんだ、全てを。
「俺さ、本当は、…怖がりなんだよ。」
乾いた口から出た声は、細くて頼りなかった。
「失敗して、だれかの期待に応えられないとか、失望されるとか、見下されるとか…そういうのが、惨めに思えて仕方ない。そうなるのが、怖くてたまらない」
「…」
一度切り出せば、ぽろぽろと言葉は続いた。
陸の表情は見えない。でも静かに聞いている。
「俺には兄貴も姉貴もいてさ、2人がいつも正解の道を見せてくれんの。間違って怒られてる姿も。だから俺はいつも“間違えない”選択ができてた。」
こんな情けない話、恥ずかしい。喉に言葉が引っかかるけど、ゆっくり吐き出していく。
「実際は分からないこととか、怖いものからは逃げてるだけだし、自分の意思も誠実さも、なにもない。…この町と同じなんだ。温泉街に並ぶ客ウケのディスプレイは賑やかでも、その奥にある住宅街は、人気もなくてひっそりと暗い。俺も“間違えない俺”を演じてるだけで、その奥は、…空っぽ。」
胸の奥がキリリと痛む。言葉にして改めて思う。俺はなんてちっぽけな人間なんだろう。
陸は静かに「そうか」とだけ相槌した。
「お前が俺を信じるって言ってくれてたの、嬉しかった。でも、『信じる』とか、『お前ならできる』とか、そんな風に言われるのって、…正直苦しい。その期待と責任を、一人で背負わないといけない。」
陸は、俺の情けない姿も見ている。でも『信じてる』と陸が言う俺は、どこまでが本当の俺で、どこからが演技している上っ面の俺なんだろう。
本当の俺は、その信頼に答えられない。
「俺にはそれが、重い。」
俺に、期待しないで欲しい。
静かな窓の外からは、遠くでシャッターを閉じる音が聞こえた。
シンとした室内で、陸が息を吸う音を耳が拾った。
「楓、お前は空っぽな人間なんかじゃない。」
薄暗さの中で、陸の瞳が青く静かに光る。
「…絶対にだ。」
小さく、でも強く言い切った陸に、胸がざわついた。
身の丈以上の期待が、またのしかかるんじゃないかと、体を硬くした。
「楓は、見えていないだけだと思う。この温泉街だって、夜には住宅街の方が明るく温かい。…俺たちの『ホーム』と一緒だ。俺たちの帰る場所。」
陸の言葉に、幽霊小屋のオレンジ色の光を思い出す。温かみのある木の床と壁、陸と食事する端の傷んだテーブル、風に揺れる淡い緑のカーテン。
数日離れていただけなのに、その景色を、匂いを、思い出すと、少しの寂しさと安心を感じる。
「それと、俺がお前を信じてると言うのも、できると言うのも、押し付けたくて言っているわけじゃない。それだけは、分かってほしい。」
最後の言葉は、小さく掠れ、懇願するような声だった。
枕をぎゅっと握る。枕の中で、掴みきれなかったそば殻が小指からコツリと溢れた。
隣の布団がもぞりと動く。陸が体を起こし、布団の上で手をついて座った。俺の方を向き、こちらに重心を傾ける。
「短い間だけど、ずっと一緒にいた俺は、お前をちゃんと見てたつもりだ。楓は口では文句を言っていても、いつだって俺を見放さなかった。突っ走ってしまう俺を、楓は追いかけて、手を引いてくれる。」
静かなのに、熱い言葉。しかし声はどこか切なげ。
俺に届かせようと一生懸命なのが、肌で伝わる。
「俺には、お前はすごく誠実な人間に見える。失敗が怖いのも、他人の期待を裏切りたくないからだろ?それって、誠実なことじゃないか?」
腕を下げ、掛け布団の端を握る。顔の半分まで引き上げると、寝返りを打って陸に背を向けた。
瞳が揺れる。心が揺れる。
そんな風に考えたこと、無かった。
そんな風に言ってもらえるなんて、思ってなかった。
何か言わないとと思っても、口は固く閉じ、開かない。
「いつも余裕そうに見えて、本当は傷付きやすくて、でも優しい。お前のそういう人間くさいところ、…俺は好きだ。」
ハッと目を見開いた。
愛おしむような声に、胸がぎゅっとする。自分の弱さを肯定されて、息が詰まる。視界が滲む。
風でカーテンが揺れ、部屋に入る光が揺らいだ。
「失敗への恐れは否定しない。でも、それが辛くて怖いばかりじゃないって、きっと、いつか楓にも感じてもらえると思う。」
ポトリと、枕に生ぬるい雫が落ちた。吐き出した息が布団の中で肩を温める。
そっか、俺、ずっと、ありのままの俺を誰かに認めてほしかったんだ。
こんな、弱い自分、自分が1番嫌いだったのに、代わりに誰かに受け入れて欲しいなんて、都合良すぎだよな。
…でも、陸が。
受け止めてくれた。
「陸…、ありがとう」
鼻にかかった声で、小さくつぶやく。
「お礼を言われるようなことは、」
「…あり、がと…」
「…楓、泣いてるのか?」
「…」
言葉が、気持ちが、溢れたら止まらなくなった。
目から涙が溢れる。喉がひくついて、しゃくり上げながら、声を殺す。
「楓…」
陸が俺に近づき、俺の腕に触れる。そのまま俺を落ち着けるようにトントンと温かい手のひらが俺の腕を叩く。
優しいリズムに、劣等感や不安な気持ちを堰き止めていた心のダムが、決壊する。
「一人でがんばってたんだな、楓。」
心を撫でるような、優しい優しい声。
なんだよ、そんな言葉かけられたらさ…。
嗚咽を呼吸ごと押さえ込もうと、喉の奥に焼けそうなほど力が入った。鼻をすすり、酸素を求めて布団から顔を出す。涙に濡れた頬が冷たい。
「俺にはいつでも話してくれ。俺はお前の味方でいたい。」
腕を伸ばし、陸にしがみつく。陸の膝で嗚咽を漏らす。かっこ悪い。でも、あたたかい。
陸の体温で、体の芯から溶かされていくようだった。背中を撫でられ、ぐしゃぐしゃに涙で顔を濡らす。
こんなに泣いたのは初めてかもしれない。泣いて、泣いて、陸の手の温もりを感じて。
陸の安らかな呼吸と鼓動を体で受け取る。
陸の音と温度に混じり合うように身を預けると、いつのまにか、俺はそのまま眠りについていた。
母親に甘える子供のように、包まれるような優しさの中で。
翌朝、微かな頭痛と共に、日の出前に起きる。フラフラと部屋を出てトイレに行くと、鏡に映るのは赤く腫れた目。
「…うわ、はっず…!」
昨晩のことを思い出し、思い切り項垂れる。
陸はまだ布団の中。どんな顔して会えばいいんだよ…!
手を洗うついでに顔まで洗い、濡れタオルで目を冷やす。
せめて、腫れだけは引いて欲しい。
肌寒い廊下を戻り、部屋に入ると、二人分の体温で一晩温められた部屋は、心地よい温かさ。窓から差し込む朝日も、部屋を温めていたのだろう。
陸を起こさないようにそっとドアを閉め、布団から覗く黒い頭を見つける。
昨晩の恥ずかしさはあるものの、胸の奥がジンと温められるのを感じた。
起こさないようにそっと近付く。すぅすぅと安らかな寝息が聞こえる。
綺麗な黒髪の一房を手に取り滑らせると、サラサラと落ちる髪。
「…ありがとう、陸」
昨晩、何度も言った言葉を、寝ている陸にもう一度呟く。
昨日まで空っぽに感じていた自分の中に、小さな強さが生まれていた。
宿から出て、顔を上げ、外の光を全身で受け止める。今日も温泉宿の周りは湯気が立ち上っている。湯気の塊は陸風に押され、白い大きな生き物のようにゆっくりと海へ向かって歩き出す。
「さあ、行こっか」
「ああ」
俺も陸と、歩き出す。新しい朝。清々しい気持ち。胸いっぱいに吸った空気が、身体の中にしっとり染み込んだ。
ボランティアも今日が最後。3日目となると、参加者とも顔見知りになってきて、たまに雑談も交えながら作業を進める。真剣にゴミ拾いをする陸を目で追っていると、視線に気付いた陸が顔を上げる。ニコッと微笑まれる。
あー、なんだろう、この感じ。
朝の温泉宿から香る硫黄の匂い。濡れた木と石畳の匂い。湿った空気が、ジワリと肌と心を温める。
陸を好きになって、良かった。
そう思った。
昼食を終え、いつもの時間になるとまどかがやってきた。宣言通り、可愛らしいワンピース姿。
「素敵な服だな」
「ありがとう!陸お兄ちゃん!」
いつのまにか兄妹のように打ち解けている二人が微笑ましい。
「まどか、こっち来て」
「なあに?楓お兄ちゃん」
ピンクのスニーカーでパタパタと近づいて来たまどかを椅子に座らせ、柔らかい黒髪を櫛で梳いてやる。
「伊吹は黒髪が好きらしい。お前のサラサラの髪で魅力して来いよ」
「…うん!ありがとう!」
翠和神社に着くと、まどかはお守りやおみくじが並ぶ授与所に向かった。俺たちは物陰からこっそりエールを送る。
「ゆ、ゆきとくん、いますか?」
「あ、まどかちゃん。こんにちは。」
「ゆきとくん、こんにちは!…あのね、ちょっと来て欲しいの!」
「うん、いいよ。待っててね」
俺たちからは、背伸びしながら懸命に話すまどかの姿しか見えないけど、伊吹の声は今日も爽やかで、例の王子様フェイスを振る舞っていることは想像に難くなかった。
「どうしたの?まどかちゃん」
「ゆきとくん!あ、あ、えーっと…」
社務所から出て来た伊吹は、他の客の邪魔にならない場所にさりげなくまどかを誘導する。俺たちもコソコソ後をつける。
「えっと…、」
まどかに合わせて腰を屈めた伊吹を前に、小さな頬を赤く染めて俯くまどか。不安げな瞳が、俺たちに助けを求めるように彷徨う。
「(がんばれ!)」
「(できるぞ!)」
声には出さず、口の動きと身振りだけでまどかを励ます。それを受け取ったまどかは、小さく頷き、また伊吹を見上げた。
「あのね、この前は、転んだ時に助けてくれてありがとう」
「ううん、いいんだよ」
「それでね、えっと、まどか、…優しいゆきとくんのことが、その…、す、す、好きです!まどかの、王子様になってほしいの!」
「!」
可愛らしいワンピースの裾をぎゅっと握ったまどかは、目を閉じ、小さな体いっぱいに勇気を振り絞って、伊吹に思いを告げた。
伊吹は目を丸くしてまどかを見る。
やがて、優しく目を細めると、柔らかな声でまどかに伝えた。
「ありがとう、まどかちゃん。とっても嬉しい。」
伊吹のしなやかな手が、そっとまどかの頭を撫でる。
「でも僕にも、好きな人がいるんだ。君が僕を好きだと思ってくれるように、ね。だからごめんね。」
パッと開かれたまどかの目に、涙が浮かぶ。
「君の王子様にはなれないけど、その代わり、お友達になるのはどうかな?またこうやって、ここで一緒におしゃべりをしたり、お客さんがいないときは、一緒にお菓子を食べたり。僕はまどかちゃんと、仲良くしたいな?」
まどかの顔がパァッと輝く。
「うん!お友達になる!やったあ!」
「ふふ。ありがとう」
ぴょんぴょんと跳ねたまどかは、その勢いのまま俺たちに向かって走り、飛びついた。
「きいて!ありがとうって言ってた!あと、お友達になってくれるって!」
陸と俺の手を持って跳ね回るまどか。細く柔らかな髪と、ワンピースの裾がふわふわと舞う。
「まどかちゃん、よかったな。頑張って伝えて偉かった。」
「うん!ありがとう!」
俺たちがいることには、とっくに気付いていたであろう伊吹は、先ほどの場所から穏やかな笑顔でこちらを見ている。
「…お前の思い、届いたんだな」
まどかの頭をくしゃりと撫でた。
「最初、諦めさせようとして、その…悪かった。まどか、…お前すげーよ。」
「えへへっ」
満面の笑みを俺に向けるまどか。「ねえねえ」と俺に耳を貸してと促す。
「楓お兄ちゃんも、がんばってね」
「!」
そう囁き、ニコッと笑ったまどかにギクリとする。ガキだガキだと言ってきたけど、俺の目の前で笑うまどかは、小学生の女の子というより、大人の階段を一段登った小さなレディだった。
やはり、小さくても女子。侮れない…。
少し照れながらも、「告白の先輩」であるまどかに答える。
「…うん、がんばって、みる。」
「もじもじ言ってると、伝わらないんだよ~」
「うるせー!」
昨日俺が言ったセリフを投げ返すまどかを擽る。キャハハと笑うまどか。
「祐希人、ありがとう。」
「ゆきとくん、また遊びにくるね!」
陸が伊吹に声をかけると、伊吹は一礼して、優しい眼差しでこちらを見る。
「はい、また来てくださいね。まどかちゃんも、またね」
ひだまりの中で静かに手を振る伊吹は、やはり王子様のよう。気に食わない奴ではあるけど、まどかの気持ちを無下にしない紳士っぷりに、伊吹を少し見直した。
帰り道、まどかを真ん中に三人で手を繋ぎ宿に戻る。
明日の朝には、俺たちは学校に戻るから、まどかと会うのはこれが最後だ。
「楓お兄ちゃん、陸お兄ちゃん、ありがとう」
「いーえ、てか、頑張ったのは、まどかだから。」
「楓の言う通りだ。まどかちゃんの頑張り、とても素敵なものを見せてもらった。こちらこそ、ありがとう。」
ふふふっと笑うまどか。
「あ、それでね、お兄ちゃんたちに、これ、あげる。ありがとうのしるし。」
「え、そんな、受け取るわけには…」
「何これ?」
まどかがポケットから出したのは、黄土色のスケルトンキー。円柱形の軸の先に装飾のような歯が付いていて、持ち手も、花のような模様にかたどられている。
「鍵じゃん。どこの?鍵なんか俺らにくれたら、まどかが困るんじゃない?」
「ううん、どこの鍵かずーっと分かんないから、もう要らないって。可愛かったから、ほしいって言ったら、ばぁばがくれたやつなの!」
「それなら、まどかちゃんの宝物じゃないのか?大事なものなら、尚更受け取れない」
「いいの!だって、まどか、お兄ちゃんたちとも、…お友達、でしょ?」
この数日間、さまざまな表情を見せたまどかが、今度は照れたような嬉しいような笑顔を見せた。
俺たちも、つられて頬が緩む。
「分かった。じゃあ、友情の印に、受け取らせてくれ。」
「俺らが持っとくから、必要になったら言えよー」
「うん!」
金属製のその鍵はまどかの手の温度で温まっていた。小さくもずっしりとした重みは、心地よく手のひらに収まった。
今日も日が沈んでいく。
ご機嫌なまどかのスキップに合わせて、俺と陸の腕も楽しく揺れた。
