静かに戻ってきた意識の中で、僕は薄く目を開けた。
 白い天井。目の端に映る点滴の袋。
 見覚えがある。どうやら僕は、いつもの大学病院にいるらしい。


 生きてる。


 真っ先に、そう思った。倒れる直前の愚かな行為も覚えている。
 謝らなくちゃ。理紀に。みんなに。
 謝らなくちゃ。また僕は、理紀にひどいことを。

「涼仁」

 母の声と、僕を覗き込む心配そうな顔があった。僕はゆっくりと首を動かし、酸素吸入器越しに母に尋ねる。

「理紀は」
「え?」
「理紀に、会いたい」

 僕のわがままに母はなぜかホッとしたような顔をして、すぐに丸椅子から立ち上がって廊下へ出た。
 入れ替わって部屋に入ってきたのは理紀だった。病院に来て、僕が目覚めるのを待っていてくれたらしい。

「すず」

 ベッドの脇に駆け寄って、理紀は僕の右手を握ってくれた。

「すず」

 泣きそうな顔で、僕の名前を呼んでくれる。その声が優しくて、触れている手があたたかくて、それは僕がずっと求めていた、つかんで離したくなかったものだと再認識させられた。
 僕は精いっぱいの力を振り絞り、理紀の手を握り返した。

「ごめん」

 右頬に、一粒の涙が伝い落ちた。

「おれ、理紀と一緒がいい」

 考えたくなかった。考えられなかった。
 理紀が他の誰かのところへ行くなんて。他の誰かと、幸せに笑い合っているなんて。
 最初からそう伝えていれば、こんなことにはならなかった。たとえ安っぽい言葉だったとしても、ちゃんと口に出していれば。

「理紀の隣にいたい」

 僕は、理紀が好きだ。この世界の誰よりも。
 僕以外の誰かと理紀が一緒になる未来なんてこれっぽっちも望んじゃいない。ただそれだけのことを、声に出して伝えたかった。

「すず」

 理紀は涙で瞳をいっぱいにして、僕の右腕にすがりついて泣いた。僕のためにこんなにも涙を流してくれるのは、後にも先にも理紀ただ一人だけだと思う。
 嬉しかった。申し訳ないと思う気持ちがないわけではないけれど、それでもやっぱり、こんな情けない僕のことを大切に想ってもらえることは素直に嬉しい。

 もう少し元気になったら、理紀とたくさん話をしよう。
 もっと謝ろう。もっと「ありがとう」と伝えよう。

 狭い病室に、理紀の傾けてくれる涙とぬくもりが広がっていく。
 理紀がそばにいてくれる。ただそれだけで、まだまだ生きていける気がした。