朝日が、薄いレースのカーテン越しに部屋を淡く照らし出す。埃っぽい空気の中に、微かに舞う光の粒子が、まるで金色の粉を撒き散らしたように煌めいていた。私は、まだ少し眠気の残る目を擦りながら、ゆっくりとベッドから起き上がった。窓の外では、小鳥たちが楽しそうにさえずり、新しい一日の始まりを告げている。
(今日も、いつもと同じ朝が来た。でも、昨日の太智先輩との出会いが、何かを変えてくれたような気がする…。太智先輩の笑顔、優しい声。それは、まるで私の凍り付いた心を溶かす、温かい陽だまりのようだった。でも、この温かさが、いつまで続くのだろうか…。)
窓を開けると、ひんやりとした澄んだ空気が頬を撫で、眠っていた体をゆっくりと目覚めさせていく。遠くの山々を覆う朝靄が、幻想的な風景を作り出していた。私は、大きく深呼吸をし、体の中に新鮮な空気を満たした。
(この澄んだ空気のように、私の心も少しだけ軽くなった気がする。太智先輩との出会いが、私に新しい風を運んでくれたのかもしれない…。でも、この風は、いつか止んでしまうのだろうか…。)
制服に着替え、トーストとミルクの簡単な朝食を済ませると、私は家を出た。いつもなら、誰とも話さずに、イヤホンから流れる音楽だけを頼りに学校へ向かうのだが、今日はなぜか胸の奥がざわめき、少しだけワクワクした気持ちだった。それは、昨日の太智先輩との、短いけれど温かい会話が、私の凍りついた心を、ほんの少しだけ溶かしてくれたからかもしれない。
(今日は、太智先輩に会えるだろうか。また、話ができるだろうか。そんなことを考えていると、自然と足取りが軽くなる。まるで、昨日までの私が嘘みたいだ…。でも、この軽さは、いつか消えてしまうのだろうか…。)
通学路は、緑豊かな並木道だ。木漏れ日が、アスファルトの地面に揺らめく影絵を描き、鳥たちのさえずりが、まるで小さなオーケストラのように、耳を楽しませてくれる。私は、いつもより少しだけゆっくりと歩き、その美しい風景を心の中に焼き付けようとした。
(いつもは、早く学校に着きたくて、足早に通り過ぎる道。でも、今日は、この美しい風景を、もっとゆっくりと味わいたい。まるで、私の心が、太智先輩との出会いを、もっと感じようとしているみたいだ…。でも、この美しい風景も、いつか色褪せてしまうのだろうか…。)
ふと、足元に小さな石が転がっているのが見えた。私はそれを拾い上げ、近くの植え込みにそっと置いた。(誰かが躓かないように...)そんな小さな親切が、今日の私の心を、さらに軽くした。
(こんな小さなことでも、誰かの役に立てる。そう思うと、心が温かくなる。太智先輩が、私に教えてくれたのかもしれない。大切なものは、目に見えないって…。でも、この温かさは、いつか冷めてしまうのだろうか…。)
学校に着くと、私は真っ先に図書室へ向かった。まだ誰もいない図書室は、静寂に包まれ、埃っぽい本の匂いが、心を落ち着かせてくれる。私は、窓際の席に座り、リュックから文庫本を取り出した。
図書室は、高い天井と大きな窓が特徴だ。窓からは、校庭の緑が見える。書架には、様々なジャンルの本が並び、静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。私は、窓際の席に座り、本を開いた。しかし、内容はなかなか頭に入ってこない。頭の中は、昨日の太智先輩との会話でいっぱいだった。(そうだ、太智先輩...)優しい笑顔が、私の脳裏に焼き付いている。あんなに優しい言葉をかけてもらったのは、いつぶりだろうか。
(太智先輩の笑顔、優しい声。それは、まるで私の凍り付いた心を溶かす、温かい陽だまりのようだった。でも、この温かさが、いつまで続くのだろうか…。古びた本のページをめくる音、静かに流れるクラシック音楽。その音だけが、私を現実から遠ざけてくれる。)
授業中も、私の頭の中には太智先輩のことがあった。昨日の会話が忘れられなかった。太智先輩は、優しくて、明るくて、誰とでも分け隔てなく接する人だった。そんな彼と話していると、私は自分が少しだけ変われたような気がした。(でも...)ふと、過去の記憶が蘇った。クラスメイトたちの冷たい視線、背中から聞こえる悪口。私は、誰かに話を聞いてほしかった。でも、誰も私の話を聞いてくれなかった。
それは、中間テストの結果が返ってきた日のことだった。私は、苦手な数学でクラス最高点を叩き出し、周囲から羨望の眼差しを浴びていた。しかし、その瞬間、中学時代からの親友だった美咲の顔が歪んだ。「葵って、いつも一人でいるくせに、テストだけはいい点取るんだ。本当は私のこと、見下してるんじゃないの?」美咲は、そう言い放ち、私がテスト前に必死で勉強していたことをクラス中に言いふらした。「あいつ、テスト前にカンニングしてたんだって」「やっぱりね、あんなに一人でいるやつ、性格悪いんだよ」クラスメイトたちは、好奇の目に輝かせ、私を嘲笑った。その時の光景が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇り、私の心を冷たく凍らせた。(どうせ、また同じことの繰り返しだ...)そんな思いが、私の心を覆い始めた。太智先輩に惹かれながらも、過去のトラウマから人を信じることを恐れてしまっていた。
(太智先輩は、私とは違う世界の人。きっと、私に優しくするのは、ほんの気まぐれに過ぎない。また、いつものように、私は一人になる。そう思うと、心がズキズキと痛む…。教室の窓から見える、青く澄んだ空。しかし、その空は、私にはあまりにも遠く、眩しすぎた。)
授業が終わり、私は急いで図書室に向かった。今日は、太智先輩に会えるだろうか。そんな期待を抱きながら、私は廊下を歩く。廊下には、生徒たちの賑やかな声が響いている。部活動のユニフォームを着た生徒たちが、汗を拭いながら、楽しそうに談笑している。私は、そんな光景を横目に見ながら、図書室へと急いだ。(もしかしたら、もう帰っちゃったかもしれない)そんな不安もよぎったが、私は足を止めることなく、図書室へと急いだ。
(太智先輩に会いたい。でも、会って、また、期待して、裏切られたら…。そんなことを考えていると、足が止まりそうになる。でも、私は、太智先輩に会いたい。本当の気持ちを、確かめたい…。廊下に響く、生徒たちの楽しそうな声。その声は、私にはあまりにも遠く、眩しすぎた。)
図書室の扉を開けると、すぐに太智先輩の姿が目に入った。いつものように友達と談笑している。その光景を見て、私は少しだけ心がざわめいた。(やっぱり、私とは違う世界の人だ…)そう思いながらも、私は太智先輩から目が離せなかった。しばらくすると、太智先輩が一人になった。友達が用事で先に帰ったようだ。チャンスだと思った私は、勇気を出して太智先輩に近づいた。
「こんにちは」
声をかけると、太智先輩は笑顔で振り返った。
「やあ、葵ちゃん!また会えたね」
「はい。また来ちゃいました」
「毎日来るの?」
「はい。ここが一番落ち着くんです」
「そうなんだ。僕もよく来るよ」
「そうなんですね」
「うん。でも、最近は友達といることが多いから、一人で来るのは久しぶりかな」
「そうなんですね」
「葵ちゃんは、いつも一人でいるの?」
「はい。クラスでも部活でも、誰とも話さないので…」
「そうなんだ…」
そういった太智先輩の顔を見るために私は少し顔をあげてみた。すると、太智先輩は、瞳を揺らし少し悲しそうな顔をしていた。太智先輩は私の孤独に気づいていた。クラスでいつも一人でいる葵、図書室で静かに本を読む葵、SNSで誰にも言えない想いを吐き出す葵。太智先輩は、葵の心の傷を癒し、笑顔を取り戻してほしいと思っていた。だから、積極的に話しかけ、葵の好きなものを共有し、葵の心を温かく包み込もうとしていた。
(太智先輩は、私のことを心配してくれている。でも、どうして?私なんかを…。太智先輩の瞳に映る、私の姿。それは、まるで深い海の底に沈んだ、小さな貝殻のようだった。)
「何かあったの?」
「え?」
「だって、いつも一人でいるなんて、何か理由があるんじゃないかなって」
「…」
私は膝に手を置き俯いてしまった。言葉に詰まった。誰かに話を聞いてほしい。そう思っていたけれど、実際に太智先輩を前にすると、何も言えなかった。
(太智先輩に、本当のことを話してもいいのだろうか。話して、また、傷つけられたら…。でも、太智先輩は、私を理解しようとしてくれている。そう思うと、心が揺れる…。図書室の窓から差し込む、夕日の光。その光は、私にはあまりにも眩しく、目を細めてしまうほどだった。)
「無理に言わなくても大丈夫だよ」
太智先輩は、そう言って微笑んだ。
「でも、もし何かあったら、いつでも僕に話してね」
「…ありがとうございます」
私は、小さくお辞儀をした。太智先輩の優しさが、胸にじんわりと広がっていく。こんなにも優しい言葉をかけてもらったのは、いつぶりだろうか。
(太智先輩の優しさが、私の心を温かく包み込む。でも、この温かさに、甘えてはいけない。私は、また、一人になる。そう思わないと、心が壊れてしまう…。太智先輩の優しい言葉。それは、まるで私を誘う、甘い罠のようだった。)
「そうだ、葵ちゃん」
「はい?」
「何か趣味はある?」
「趣味ですか?そうですね…読書が好きです」
「読書か!いいね!僕も好きだよ」
「本当ですか?」
「うん。最近は忙しくてなかなか読めてないけどね」
「私もです。課題が多くて…」
「だよね〜。でも、課題を言い訳にせずに、時間を見つけて読むようにしてるよ」
「すごいですね」
「いやいや。葵ちゃんも、好きな本とかある?」
「はい。最近は、この本を読んでます」
葵は、カバンから一冊の文庫本を取り出した。「『星の王子さま』…?太智先輩は、少し驚いたように呟いた。
「この本、僕も好きだよ。まさか、太智先輩も読んでいるとは思わなかった。
「この本のどこが好きですか?」
私は、少しだけ勇気を出して聞いてみた。
「そうだなぁ…大切なものは、目に見えないってところかな。」
太智先輩は、遠くを見るような目で言った。
「目に見えないもの…」
「うん。例えば、人の気持ちとか、思い出とか。そういうものは、目に見えないけど、すごく大切なものだと思うんだ。」
太智先輩の言葉は、私の心に深く響いた。(大切なものは、目に見えない…)私は、太智先輩の言葉を反芻した。もしかしたら、太智先輩は、私の心の奥底にあるものを見抜いているのかもしれない。
(太智先輩は、私のことを理解しようとしてくれている。でも、どうして?私なんかを…。太智先輩の言葉。それは、まるで私の心の奥底に響く、優しい調べのようだった。)
「へえ、その本なんだ。面白そうだな。今度貸してくれない?」
「はい。ぜひ」
「ありがとう!楽しみにしてるね」
太智先輩は、にこやかに笑った。その笑顔に、私はドキドキした。こんなにも優しい笑顔を向けられたのは、初めてだった。(もしかしたら、私、この人のこと…)そんな予感が、私の胸をかすめた。太智先輩は、毎日図書室に通い、私に話しかけた。私の好きな本の話、好きなアイドルの話、時には、私の悩みにも耳を傾けた。太智先輩の優しさに触れ、私は少しずつ心を開き始めた。しかし、過去のトラウマは、そう簡単に消えるものではなかった。私は、太智先輩に惹かれながらも、人を信じることへの恐れを捨てきれずにいた。
(太智先輩は、私にとって、初めての光。でも、この光に、近づいてはいけない。私は、また、一人になる。そう思わないと、心が壊れてしまう…。太智先輩の笑顔、優しい眼差し。それは、まるで私を誘う、甘い罠のようだった。)
太智先輩との出会いは、葵にとって、凍りついた心が溶け始める、春の兆しだった。しかし、過去の傷は、そう簡単に癒えるものではない。葵は、太智先輩の優しさに触れ、心が揺れ動きながらも、人を信じることへの恐れを捨てきれずにいた。太智先輩との関係が深まるにつれ、葵の心の葛藤は激しさを増していく。(この人は、本当に私を理解してくれるのだろうか?また、裏切られるのではないだろうか?)葵は、太智先輩の優しさを信じたい気持ちと、過去のトラウマからくる恐れの気持ちの間で、激しく揺れ動いていた。太智先輩は、葵の心の葛藤に気づきながらも、焦らず、ゆっくりと葵の心を温めようとしていた。太智先輩は、葵の好きなものを共有し、葵の悩みを聞き、葵の心の傷を癒そうと努めた。(いつか、葵が心を開いてくれると信じている。葵の笑顔を、もう一度見たい。)太智先輩は、葵の心の壁を壊すために、根気強く葵に寄り添い続けた。葵は、太智先輩の優しさに触れるたび、少しずつ心を開き始めた。しかし、過去のトラウマは、そう簡単に消えるものではなかった。葵は、太智先輩に惹かれながらも、人を信じることへの恐れを捨てきれずにいた。(私は、この人を信じてもいいのだろうか?また、傷つくのではないだろうか?)葵の心の葛藤は、太智先輩との関係が深まるにつれ、激しさを増していった。