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「各務、ほんとにアニメ入ってんじゃん。出世したな」

 冬クールの収録三週目、『ブレない僕らの救いの手(エクス・マキナ)』のスタジオでジョーカさんに出くわした。今週と来週のゲストキャラだそうだ。

「劇団ジョーカーで鍛えていただきましたんで」
「そうだろそうだろ」

 ニタニタしたジョーカさんは、不意に声を落とした。

「鮎原さん田舎に帰ったの知ってるか」
「……いえ」

 美紗の消息など俺が知るよしもなかった。あの〈知ってる〉〈さよなら〉に対して〈さよなら〉を返してみたが既読にはならなかった。たぶんもう俺はブロックか削除されているのだろう。俺の静かな反応にジョーカさんは肩をすくめた。

「実家で療養するってよ」
「そうですか……」
「自分で決めたらしい。乃木さんが言ってた」

 それは前向きな気持ちでのことだったのか。客観的には夢やぶれて帰郷する形になった同期生のことを乃木さんはどんな思いで見送ったのだろう。

「余計だったか?」
「いえ、ありがとうございます。いちおう気になるし」

 ジョーカさんは苦笑いした。もう終わったことだと暗に伝わったのだろうが、男同士そこはスルーだ。ジョーカさんだって俺よりはるかに多い何かしらを抜けてきているのだから。

「あっちからは何かでおまえの名前見りゃ元気だってわかるのになぁ」
「……ああ。ですね」

 このまま仕事をしていればその可能性はある。その場合、向こうはどう感じるのだろう。あまり気分はよくないかもしれない。



 年の瀬が迫った頃、『七タン』PV第一弾が公式から出た。
 ナレーションに指名された俺は頑張って「読んだ」。本村さんに言われた「しゃべるな」については結局まだわかっていない。ただ今回の仕事に関してはアランの雰囲気を残して取り組むべきものなので、硬いナレーションとは別物だ。すんなりOKが出て、俺はやはり芸の迷宮をウロウロしている。
 ヒロイン役の外山さんが言った通りファンの間でナレーター当てクイズが始まったらしい。俺は意識してネットの情報を避けていたが、マネージャーの座間さんがウキウキと教えてくれた。それによると俺の名前はまだ上がっていないが、声質はアランぽいという指摘が少々あるそうだ。ファンはすごい。



 少し仕事が増えたので俺も両親親戚になんとか顔向けできそうだった。年末年始ぐらい実家に顔を出すかと考えて、夏芽は一人で年越しなのだと思い当たった。
 八田の家に帰るわけがない。だがお兄さんも休暇だろうし訪問されたら一人で大丈夫なのか。心配していたら、珍しく夏芽が訪ねてきてくれた。

「寒いから中に入ってくれるか?」

 またドアに挟まって立ち話する態勢になられ、俺はうんざりして夏芽を引っ張り込んだ。上がらなくていいからドアは閉めさせてほしい。
 三和土に立った夏芽は外出から帰ってきたところのようだった。冷えた頬が赤い。マフラーまでして、どこか遠くに出かけていたのか。少し得意げな顔だった。

「あのね、アトリエにできる所、みつかったの」
「――そうか」
「土間があってね、ろくろも窯も置けるんだ。古いけど住めるし、ここの家賃より安いんだよ」
「え、戸建て?」
「長屋みたいなやつ。下町のリノベーション物件で」

 古い町を活性化するためのプロジェクトとして自治体がテコ入れした再開発事業らしい。若い才能を集めて芸術の振興をはかるというもっともらしいお題目に、夏芽のやっていることが引っかかったのだそうだ。お役所の思惑はどうでも活動の目途が立ったのは喜ばしい。

「それ――すぐ引っ越せるのか」
「ううん、年明け二月以降だって」
「いやじゅうぶん早いよ」

 夏芽が先生を吹っ切る宣言をしてからまだ一か月かそこら。なんという行動力だ。
 報告に息が苦しくなったのは、もう置いて行かれるんだと思ったからだ――ということは、やっぱり俺は夏芽に隣にいてほしいわけで。
 気づいた気持ちに震えそうなのを誤魔化して確認した。

「正月はここにいるんだな」
「うん……何?」

 夏芽は少しだけ視線を落とした。唇がちょっと尖る。訊いちゃまずかっただろうか。

「ええと、お兄さんがまた来るかもしれないだろ。平気かなと」
「……そだね。三が日ぐらいはアトリエに避難しようかな」
「アトリエ?」
「暖房は入るし。喫茶の方のソファ使わせてもらえば寝られるよ」
「いや、嘘だろ」

 平然と言われて呆れ返った。なんだよその寂しい正月。

「どっか泊まりに行けば?」
「正月なんて宿泊料金爆上がりでしょ」
「……おまえ貧乏だったな」
「あのさあ、ちょっとぐらい貯金あるからね? 初対面の時に財布が空だったのはたまたまだから!」

 そうだった。あの時は数百円しか持っていなくてジャージ姿で中学生みたいだった夏芽。実は俺よりもずっと芯のある芸術家だとわかって、俺はこいつをすごいと思っている。だから夏芽の決めたことなら尊重したいのに。

「……かがみんは、どうするのよ」
「……たまには実家に帰ろうと思ってた」
「実家、あるんだ」
「いちおう天涯孤独とかじゃないんで」
「そっか」

 ぶーたれ顔でつまらなそうにされた。俺がいないことへの不満と取るのはうぬぼれだろう。
 でも、ただの隣人で兄へのボディガードとしてでもいいから、俺が必要だと言ってほしい。俺はなけなしの勇気をかき集めた。

「正月、俺といる?」
「はぁ⁉」

 夏芽は素っ頓きょうに叫んで、俺は少なからず傷ついた。そんなに驚くか。夏芽の中で俺とのことは完全になかったことになっているってことだ。だけど続いた言葉で俺は一時停止した。

「何言ってんの、いきなり実家とかありえないでしょ!」
「え――」
「え?」

 俺の反応を見た夏芽がみるみる顔色を変えた。勘違いに気づいたらしい。
 実家に連れて行くんじゃなくて俺がここに残る方で提案したつもりだったのを、そういう風に受け取るって――。

「夏芽」
「いやちょっと、ごめん、変なこと言った」
「いいから、夏芽」

 うろたえて目をそらしドアを開けかける夏芽に、俺は手を伸ばした。
 夏芽はさして抵抗もせず、俺の腕の中におさまった。