10
翌朝はさすがに鬱とした気分がぬぐえずに目を覚まし、夕方まで仕事がないことに安堵した。心を上げておかないと、声に乗ってしまうのはまずい。
案件はローカルCMのナレーションだった。柔らかく優しく明るく、聞いて心地よく。ギャラもいいので結果はきちんと出し、次につなげたい。
リリ、という鈴が外で聞こえた。夏芽の鍵だ。あいつがふさいでいると大矢さんが言っていたが、何かあったのだろうか。
「コーヒー、飲みに行くか」
インスタントの瓶を手に取って動きをとめた。俺を少し持ち上げる何か。それには美味しいコーヒーと〈喫茶・天〉の時間はふさわしいかもしれない。
ぼかしてでも愚痴をこぼせば先生は聞き流してくれるだろう。大矢さんがいれば大家さんぽく親身になってくれそうだ。夏芽は女の立場から俺を罵倒するだろうか。でもあいつならきっと明るく面罵してくれる。
「夏芽だもんな」
俺は小さく笑った。昼に行ってみよう。だがそう考えてから気づいた。今日は定休日じゃなかったか。
「あ……」
上がりかけていた気持ちがむしろ叩き落とされた。嫌になった俺はベッドに転がるうちに二度寝していたらしい。
ふと気づいたのは遠いインターホンだった。そしてドンドンとドアを叩く音。うちじゃない。
「夏芽! 出てこい!」
抑え気味だが高圧的な男の声がした。廊下だった。夏芽、と呼び捨てる若そうな男とは何者だろう。俺はズルズル起き上がった。
また苛立ったようにインターホンが連打された。感じが悪い。というか通報案件じゃないのか。夏芽が帰っていないのなら警察は保留でいいが、とにかく静かに玄関まで行ってみる。
「くそ、どこ行った。店は閉まってたのに……」
ドアレンズをのぞくと忌々しげにつぶやく男の姿が横切った。スーツを着て、三十代ぐらいに見えた。定休日の喫茶にも行ったが、アトリエのことは知らなくて夏芽に会えなかったのかもしれない。階段を下りる足音が乱暴だった。
なんだ今の。
時間を確認すると昼だった。仕事には早いが、俺はまずいコーヒーとパンを腹に入れて支度をし部屋を出た。
建物脇の小道を商店街から一歩入った扉がアトリエの入り口だ。軽く開いているそこをコンコンと小さく叩く。
「夏芽」
呼びながら中をうかがうと夏芽はちゃんとそこにいた。振り向いた顔には表情があまりなかった。
「――かがみん?」
「作業中か」
「いいよ」
つかみどころのない反応は何かに集中しているからだろうか。それとも何か問題を抱えて心ここにあらずなのか。一歩アトリエの中に入っても夏芽が今何をしているのか俺にはわからなかった。ぼんやりと座り込んでいる。
「何してんの」
「本焼き」
指差しながらひと言で答えられた。電気窯があると言っていたのは隅の金属製の四角い箱のことのようだった。アトリエがほんのり暖かく感じるのは窯を焚いているからなのかもしれない。
「仕上げの焼きのことだっけ。邪魔してごめん」
「ううん。温度管理は自動でできるから、本当はついていなくていいんだけど。そばにいたくているだけ」
夏芽は静かな目を窯に向けた。
「掛けた釉薬が今、変わっていってるの。溶けて染み込んで。まだ千度ぐらいだけど中はきっと輝いてるよ」
「まだ千度?」
「千二百五十まで上げる」
「……すごいな」
陶器とはそんな温度で焼くものなのか。俺は赤く滾る溶鉱炉の鉄を思った。そういうドロドロとは違うのだろうが、あの冷たかった粘土は今まさに、熱の中で溶けた釉と合一して器になっていく途中なのだ。
「あ……で、さっきおまえの部屋に誰か来てたぞ」
「誰か?」
「スーツの男。俺よりは年上かな。ピンポン鳴らしまくってドア叩いて、出てこいって怒鳴ってた」
ここに寄った用件はそれだった。どういうことかはわからないが、女性の部屋にそれはちょっと穏やかじゃない。たとえ夏芽に非があることだとしても見過ごすわけにはいかなかった。
「ああ……」
夏芽は憂う顔になった。
「そう。うちに」
「心当たりあるんだ?」
「ん……」
それきり黙り込む。
なんだよ夏芽らしくもない。あれはどういう奴でとペラペラしゃべり文句を言えばいいのに。
そう思ったが、俺はそのまま口に出すことができなかった。こちらから夏芽に踏み込んだことなどない。俺が言えるのは一般的な注意喚起だけだった。
「気をつけろよ。危ないと思ったら警察呼べ」
「そだね」
へへ、と力の入らない笑い方をした夏芽はうつむいてしまった。唇だけ動かす。
「わかってるんだ。頼ってちゃ駄目ね。かがみんの言う通りだよ」
「ん?」
そのまま答えずぼんやりする。所在なくなった俺は、じゃあ、と小声で告げて外に逃げた。
午後早い時間の商店街にはまったりした空気が漂っている。奇妙に現実感を失ったように感じる町を歩いていると、ドアを叩く男もいつもと違う夏芽も入院した美紗も、何もかも存在しないんじゃないかという錯覚におそわれた。
CMの収録に向かう自分だけが何故か鮮明で、道端の掲示板には大矢さんが貼りつけたチラシに橘さんの笑顔が不鮮明で、なのにくっきりと俺をあおり散らかしていた。
画 : 兄弟ギュウ詰めのベッドから転げ落ちるタヌキ。
『うわあ!』
画 : 頭にバッテンのバンソウコウ。
泣きべそタヌキと両親。
『ねえ、お父さん。ボク、自分の部屋がほしいよ』
『そうだなぁ』
画 : 悩む父タヌキ。うん、とうなずき。
新しい家の前で一転ニッコリのタヌキ家族。
『地域に根ざして五十年。
皆さまのお家探し、お部屋探しを力強くお手伝いいたします!
ご相談はフリーダイヤル、またはホームページからお気軽にどうぞ』
画 : 不動産会社名。検索ボタンをカチリと押す子ダヌキ。
「――はい、ありがとうございました」
降ってきた声で俺はマイクをオフにした。座って収録するラジオのようなブースだったので手元にカフがある。子ダヌキ役の女性声優、浦さんも同様にした。
「……アニメにするなんて、お金かかってますよね」
「実写とどっちがかかるんだろう」
こそっとささやき合った。俺たちに制作側の事情はよくわからない。不動産屋が事業五十周年記念に制作したのがタヌキ家族のアニメCMだった。会社の地元ローカル局オンリーの提供なので俺が放送を観ることはない。
「実写でタヌキだったらかわいいです。私そっちがいいかも」
「タヌキが演技してくれるなら見たいな」
適当に話していたら調整室が軽く沸いた。見ると居並ぶスポンサー様が拍手している。スタジオも実は完全な防音というわけでもなく大きな音がすれば気配はわかるのだった。
「――ただきました。OKです」
マイクオンが少し遅れた声が降ってきた。その後ろがザワザワうるさい。俺たちは立ち上がりながらガラス越しに頭を下げた。外から扉が開けられると、人々の声が直で流れ込んできた。
「お疲れさまでした!」
元気よく言いながら浦さんが出ていく。拍手で迎えられるのにニコニコと応え、クライアントのおじさんたちに愛想を振りまいた。
「かわいいタヌキだった! いやアイデアが形になっていくのを見るのは面白いもんだねえ」
ご満悦なのは社長だと名刺をいただいた人だった。どうやら社長みずからアニメを作ろうと意見を出し発注し、いろいろ口も出したようだ。会社の広告宣伝費を使って楽しんだみたいで何より。
「お世話になりましてありがとうございます。またよろしくお願いいたします」
笑顔の社長にブンブンと手を握られた浦さんをさりげなく外に追いたてながら本村さんが強制終了した。最近本村さんは営業統括部長になったそうで、外画だけでなくあちこちに顔を出している。偉くなってもフットワークが軽い。
「――ありがとうございました」
スタジオを出ると、口をヘの字にして浦さんが礼を言った。社長から助け出した本村さんにだ。
「ごめんな、手ぇ握られちゃって。本当ああいうノリは困る」
「地方のオジサンてあんなもんです。若い女性を〈女の子〉だと思ってるんで」
浦さん自身も上京組だからわかります、とため息をつかれた。女性の生きづらさを垣間見た気がする。まあ田舎の男には男なりに別のつらさがあるとは思うが。
「それはそれとして、全体的にちゃんとしてたね」
「はい」
歩きながら駄目出しが始まった。まずは浦さんだ。
「息づかいのアドリブでクライアントが感心してたから。そういうのは積極的でいい」
「はい」
「今日のアレ、男の子なんだよね。子どもっていうと声を高くしがちだけど低いのも使えると幅が出るな」
「あ……はい」
ほめるところ、改善案。きちんと伝えてくれる本村さんはありがたいマネージャーだった。何も言ってくれない人もいるから。
事務所から見れば俺たちはただの商品だけど、これでも人生を賭けて商品をやっていた。この先どうしていけば生き残れるか、売り手としてはどう売りたいかを聞かせてもらえないのは怠慢だと思う。
「各務くんは――」
「はい」
「なんかあったか? 今日浮わっついてたぞ」
渋い顔をされてガックリした。よく聞いてるな、この人。
「ちょっと無理やり持ち上げてました。乗っちゃいましたか」
「明るく夢を持たせる内容だからちょうど良かったけど。地に足ついた文章だと、さっきのじゃ駄目だ。おまえナレーションでも読まない傾向あるから」
「読まない?」
「しゃべるの出身だからさ。最初からしゃべってたよなあ。読むな、て駄目出しするのが普通なんだけど」
読む。しゃべる。その区別はあまりわからなかった。俺がナレーションを読まずにしゃべっている、と?
「カチッと読めるようにもなれ。朗読とか訓練してみるといい」
「はあ」
「朗読劇じゃないぞ。オーディオブックとかあるだろ、一人で読み上げる。あっちな」
「朗読ですか……」
そういえば大きな会社が参入しているし、宣伝を見ることも増えた。昔は目で読みづらい人のためにという位置づけが大きかったのが、読書の形が変わり聞き流すものとして市場を拡げている。読書といえるのかはわからないが、と本村さんは笑った。
「あれも声優の名前で売るのが出てる。好きな声で耳もとで読み上げられたら、どんな本でも聴きたいもんだ。そこから作家のファンにもなってくれたらっていうキャスティングだろうけどさ」
「それごく一部の人気声優のやつで」
「おまえたちもそうなってくれよ」
そんな期待には応えられないだろうが、生き残りたいとは思っている。
しかし、きちんと読め、とは。
俺はしゃべっているのか。心の伴う言葉など俺の中にはほとんどないのに。
他人が書いたセリフだけを延々垂れ流す俺の言葉がしゃべっていると指摘され、俺はまた疑問の渦に叩き込まれてしまった。釈然としない俺の顔色に気づいた本村さんはニヤニヤする。
「新人の〈読んでる〉と上手いナレーターの〈読む〉も違うからな」
「……さらにわかんなくさせないで下さい」
「禅問答ですかぁ?」
横で聞いていた浦さんまで悲鳴を上げた。そうだよな、わからないよ。しょせん俺たちの経験値なんてショボいから。
言われたことがわかる頃にはベテランと呼ばれる年齢になっているのかもしれなかった。
翌朝はさすがに鬱とした気分がぬぐえずに目を覚まし、夕方まで仕事がないことに安堵した。心を上げておかないと、声に乗ってしまうのはまずい。
案件はローカルCMのナレーションだった。柔らかく優しく明るく、聞いて心地よく。ギャラもいいので結果はきちんと出し、次につなげたい。
リリ、という鈴が外で聞こえた。夏芽の鍵だ。あいつがふさいでいると大矢さんが言っていたが、何かあったのだろうか。
「コーヒー、飲みに行くか」
インスタントの瓶を手に取って動きをとめた。俺を少し持ち上げる何か。それには美味しいコーヒーと〈喫茶・天〉の時間はふさわしいかもしれない。
ぼかしてでも愚痴をこぼせば先生は聞き流してくれるだろう。大矢さんがいれば大家さんぽく親身になってくれそうだ。夏芽は女の立場から俺を罵倒するだろうか。でもあいつならきっと明るく面罵してくれる。
「夏芽だもんな」
俺は小さく笑った。昼に行ってみよう。だがそう考えてから気づいた。今日は定休日じゃなかったか。
「あ……」
上がりかけていた気持ちがむしろ叩き落とされた。嫌になった俺はベッドに転がるうちに二度寝していたらしい。
ふと気づいたのは遠いインターホンだった。そしてドンドンとドアを叩く音。うちじゃない。
「夏芽! 出てこい!」
抑え気味だが高圧的な男の声がした。廊下だった。夏芽、と呼び捨てる若そうな男とは何者だろう。俺はズルズル起き上がった。
また苛立ったようにインターホンが連打された。感じが悪い。というか通報案件じゃないのか。夏芽が帰っていないのなら警察は保留でいいが、とにかく静かに玄関まで行ってみる。
「くそ、どこ行った。店は閉まってたのに……」
ドアレンズをのぞくと忌々しげにつぶやく男の姿が横切った。スーツを着て、三十代ぐらいに見えた。定休日の喫茶にも行ったが、アトリエのことは知らなくて夏芽に会えなかったのかもしれない。階段を下りる足音が乱暴だった。
なんだ今の。
時間を確認すると昼だった。仕事には早いが、俺はまずいコーヒーとパンを腹に入れて支度をし部屋を出た。
建物脇の小道を商店街から一歩入った扉がアトリエの入り口だ。軽く開いているそこをコンコンと小さく叩く。
「夏芽」
呼びながら中をうかがうと夏芽はちゃんとそこにいた。振り向いた顔には表情があまりなかった。
「――かがみん?」
「作業中か」
「いいよ」
つかみどころのない反応は何かに集中しているからだろうか。それとも何か問題を抱えて心ここにあらずなのか。一歩アトリエの中に入っても夏芽が今何をしているのか俺にはわからなかった。ぼんやりと座り込んでいる。
「何してんの」
「本焼き」
指差しながらひと言で答えられた。電気窯があると言っていたのは隅の金属製の四角い箱のことのようだった。アトリエがほんのり暖かく感じるのは窯を焚いているからなのかもしれない。
「仕上げの焼きのことだっけ。邪魔してごめん」
「ううん。温度管理は自動でできるから、本当はついていなくていいんだけど。そばにいたくているだけ」
夏芽は静かな目を窯に向けた。
「掛けた釉薬が今、変わっていってるの。溶けて染み込んで。まだ千度ぐらいだけど中はきっと輝いてるよ」
「まだ千度?」
「千二百五十まで上げる」
「……すごいな」
陶器とはそんな温度で焼くものなのか。俺は赤く滾る溶鉱炉の鉄を思った。そういうドロドロとは違うのだろうが、あの冷たかった粘土は今まさに、熱の中で溶けた釉と合一して器になっていく途中なのだ。
「あ……で、さっきおまえの部屋に誰か来てたぞ」
「誰か?」
「スーツの男。俺よりは年上かな。ピンポン鳴らしまくってドア叩いて、出てこいって怒鳴ってた」
ここに寄った用件はそれだった。どういうことかはわからないが、女性の部屋にそれはちょっと穏やかじゃない。たとえ夏芽に非があることだとしても見過ごすわけにはいかなかった。
「ああ……」
夏芽は憂う顔になった。
「そう。うちに」
「心当たりあるんだ?」
「ん……」
それきり黙り込む。
なんだよ夏芽らしくもない。あれはどういう奴でとペラペラしゃべり文句を言えばいいのに。
そう思ったが、俺はそのまま口に出すことができなかった。こちらから夏芽に踏み込んだことなどない。俺が言えるのは一般的な注意喚起だけだった。
「気をつけろよ。危ないと思ったら警察呼べ」
「そだね」
へへ、と力の入らない笑い方をした夏芽はうつむいてしまった。唇だけ動かす。
「わかってるんだ。頼ってちゃ駄目ね。かがみんの言う通りだよ」
「ん?」
そのまま答えずぼんやりする。所在なくなった俺は、じゃあ、と小声で告げて外に逃げた。
午後早い時間の商店街にはまったりした空気が漂っている。奇妙に現実感を失ったように感じる町を歩いていると、ドアを叩く男もいつもと違う夏芽も入院した美紗も、何もかも存在しないんじゃないかという錯覚におそわれた。
CMの収録に向かう自分だけが何故か鮮明で、道端の掲示板には大矢さんが貼りつけたチラシに橘さんの笑顔が不鮮明で、なのにくっきりと俺をあおり散らかしていた。
画 : 兄弟ギュウ詰めのベッドから転げ落ちるタヌキ。
『うわあ!』
画 : 頭にバッテンのバンソウコウ。
泣きべそタヌキと両親。
『ねえ、お父さん。ボク、自分の部屋がほしいよ』
『そうだなぁ』
画 : 悩む父タヌキ。うん、とうなずき。
新しい家の前で一転ニッコリのタヌキ家族。
『地域に根ざして五十年。
皆さまのお家探し、お部屋探しを力強くお手伝いいたします!
ご相談はフリーダイヤル、またはホームページからお気軽にどうぞ』
画 : 不動産会社名。検索ボタンをカチリと押す子ダヌキ。
「――はい、ありがとうございました」
降ってきた声で俺はマイクをオフにした。座って収録するラジオのようなブースだったので手元にカフがある。子ダヌキ役の女性声優、浦さんも同様にした。
「……アニメにするなんて、お金かかってますよね」
「実写とどっちがかかるんだろう」
こそっとささやき合った。俺たちに制作側の事情はよくわからない。不動産屋が事業五十周年記念に制作したのがタヌキ家族のアニメCMだった。会社の地元ローカル局オンリーの提供なので俺が放送を観ることはない。
「実写でタヌキだったらかわいいです。私そっちがいいかも」
「タヌキが演技してくれるなら見たいな」
適当に話していたら調整室が軽く沸いた。見ると居並ぶスポンサー様が拍手している。スタジオも実は完全な防音というわけでもなく大きな音がすれば気配はわかるのだった。
「――ただきました。OKです」
マイクオンが少し遅れた声が降ってきた。その後ろがザワザワうるさい。俺たちは立ち上がりながらガラス越しに頭を下げた。外から扉が開けられると、人々の声が直で流れ込んできた。
「お疲れさまでした!」
元気よく言いながら浦さんが出ていく。拍手で迎えられるのにニコニコと応え、クライアントのおじさんたちに愛想を振りまいた。
「かわいいタヌキだった! いやアイデアが形になっていくのを見るのは面白いもんだねえ」
ご満悦なのは社長だと名刺をいただいた人だった。どうやら社長みずからアニメを作ろうと意見を出し発注し、いろいろ口も出したようだ。会社の広告宣伝費を使って楽しんだみたいで何より。
「お世話になりましてありがとうございます。またよろしくお願いいたします」
笑顔の社長にブンブンと手を握られた浦さんをさりげなく外に追いたてながら本村さんが強制終了した。最近本村さんは営業統括部長になったそうで、外画だけでなくあちこちに顔を出している。偉くなってもフットワークが軽い。
「――ありがとうございました」
スタジオを出ると、口をヘの字にして浦さんが礼を言った。社長から助け出した本村さんにだ。
「ごめんな、手ぇ握られちゃって。本当ああいうノリは困る」
「地方のオジサンてあんなもんです。若い女性を〈女の子〉だと思ってるんで」
浦さん自身も上京組だからわかります、とため息をつかれた。女性の生きづらさを垣間見た気がする。まあ田舎の男には男なりに別のつらさがあるとは思うが。
「それはそれとして、全体的にちゃんとしてたね」
「はい」
歩きながら駄目出しが始まった。まずは浦さんだ。
「息づかいのアドリブでクライアントが感心してたから。そういうのは積極的でいい」
「はい」
「今日のアレ、男の子なんだよね。子どもっていうと声を高くしがちだけど低いのも使えると幅が出るな」
「あ……はい」
ほめるところ、改善案。きちんと伝えてくれる本村さんはありがたいマネージャーだった。何も言ってくれない人もいるから。
事務所から見れば俺たちはただの商品だけど、これでも人生を賭けて商品をやっていた。この先どうしていけば生き残れるか、売り手としてはどう売りたいかを聞かせてもらえないのは怠慢だと思う。
「各務くんは――」
「はい」
「なんかあったか? 今日浮わっついてたぞ」
渋い顔をされてガックリした。よく聞いてるな、この人。
「ちょっと無理やり持ち上げてました。乗っちゃいましたか」
「明るく夢を持たせる内容だからちょうど良かったけど。地に足ついた文章だと、さっきのじゃ駄目だ。おまえナレーションでも読まない傾向あるから」
「読まない?」
「しゃべるの出身だからさ。最初からしゃべってたよなあ。読むな、て駄目出しするのが普通なんだけど」
読む。しゃべる。その区別はあまりわからなかった。俺がナレーションを読まずにしゃべっている、と?
「カチッと読めるようにもなれ。朗読とか訓練してみるといい」
「はあ」
「朗読劇じゃないぞ。オーディオブックとかあるだろ、一人で読み上げる。あっちな」
「朗読ですか……」
そういえば大きな会社が参入しているし、宣伝を見ることも増えた。昔は目で読みづらい人のためにという位置づけが大きかったのが、読書の形が変わり聞き流すものとして市場を拡げている。読書といえるのかはわからないが、と本村さんは笑った。
「あれも声優の名前で売るのが出てる。好きな声で耳もとで読み上げられたら、どんな本でも聴きたいもんだ。そこから作家のファンにもなってくれたらっていうキャスティングだろうけどさ」
「それごく一部の人気声優のやつで」
「おまえたちもそうなってくれよ」
そんな期待には応えられないだろうが、生き残りたいとは思っている。
しかし、きちんと読め、とは。
俺はしゃべっているのか。心の伴う言葉など俺の中にはほとんどないのに。
他人が書いたセリフだけを延々垂れ流す俺の言葉がしゃべっていると指摘され、俺はまた疑問の渦に叩き込まれてしまった。釈然としない俺の顔色に気づいた本村さんはニヤニヤする。
「新人の〈読んでる〉と上手いナレーターの〈読む〉も違うからな」
「……さらにわかんなくさせないで下さい」
「禅問答ですかぁ?」
横で聞いていた浦さんまで悲鳴を上げた。そうだよな、わからないよ。しょせん俺たちの経験値なんてショボいから。
言われたことがわかる頃にはベテランと呼ばれる年齢になっているのかもしれなかった。