日本の城のほとんどに堀が確認できる。敵の兵や野生動物の侵入を防ぐ障壁のひとつとなるように、城の周囲に大規模な溝を設けて水を通したものが堀だ。
どの城の堀にも水棲生物の営みがみられるものだが、S城の堀のそれは専門家の頭を悩ませているという。
周囲の川や池と繋がっていないS城の堀は、外部環境とのかかわりが完全に断たれている。そのような閉鎖された環境に棲む生物は、餌や栄養を充分に得ることができない。ゆえに生態系がさほど発展しないのである。
しかし、S城の堀はその常識から外れており、非常に多彩な水棲生物が認められる。閉鎖環境下では異常といえるほど生態系が豊かなのだ。
生物学者たちもその事実には首を傾げるばかりで、これまで不可解な例外として扱ってきた。
だが、不可解な例外の訳が判明したかもしれないのだった。
河裸稞である。
S城に棲まう河裸稞を説明するには、戦前までさかのぼる必要がある。
戦前のS城周辺地域で奇妙な伝染病が蔓延したことがあった。激しい嘔吐を何度も繰り返すうえに、昼夜問わず便や尿を垂れ流すため、罹患者は脱水と栄養失調でひどく痩せ細った。最終的に死に至った症例も少なくなかったという。
病の詳細な記録が不足しているために断定はできないものの、現在のノロウイルスに近いものが、蔓延していたのではないかという説が有力だ。ただ、ノロウイルスよりも感染力が強く、致死率も高い印象であるから、未知のウイルスだった可能性も捨てきれない。
いずれにせよ、当時の医家が病の治療に尽力したのだが、それでも死者の数は増えていく一方だった。大人も子供もその病の犠牲となった。
すると、民衆のあいだにある噂が広まりはじめた。これは病ではなく呪いではないのかというものだ。戦前には呪術の存在がまだ信じられていた。
一度呪いだという噂が流布されはじめると、多くの民衆がそれを信じるようになった。死者が増えれば増えるほど、その噂は広まっていったのだった。
そして、迦紗という女がその噂をいっきに煮詰まらせた。
迦紗は高位の神社に仕えている巫女であり、若くとも霊妙な力に通じていると畏れ、敬われていた。その迦紗がこの病は呪いによる厄であると断じたために、民衆の心は呪いだという噂になおさら傾倒した。
民衆は迦紗に「何者が仕掛けた呪いなのか?」と問うたのだった。
迦紗は民衆に応じて神に祈祷を捧げだ。まもなくして神の声を授かり、その神託はすぐに民衆に伝えられた。
――此の地に満ちる呪詛は、大海の彼方より来たり。
つまり、S城界隈に蔓延している呪いは、外国からきたものだと結論づけたのだ。それを聞いた民衆ははっと思い至り、劉一家の仕業に違いないと囁き合った。
劉一家はS城のほど近くに住んでいる中国人の貧しい家族だった。屑板を組み合わせだけのみすぼらしい家に、夫婦の劉龍凡と紅花、十歳になる娘の苡鈴の三人で暮らしていた。
当時のS城界隈で外国にかかわりがあるとすれば、中国人の劉一家に限られていたため、呪いは彼らの仕業であると決めつけられたのだった。
民衆はもう一度迦紗に「この呪いへの対処法はないのか?」と問うた。
迦紗は再び祈祷を神に捧げて、呪いへの対処法を、神託として民衆に伝えた。
呪い返しは呪術者に死をもたらす必要があるため、この呪いをおさめるには劉一家の命を奪わなければならない。ただし、単なる死であれば呪いは再び戻ってくる。ひどい苦痛を伴う死を与えてやることで、呪いはこの地を恐れて二度近づかなくなる。
つまるところ迦紗は、劉一家を拷問して殺害しろと指示したのだ。
民衆はすぐさま劉一家と捕らえると、迦紗の言葉に則って、ひどい拷問を加えて殺害した。
最初に命を奪われたのは十歳の娘である苡鈴だった。
民衆は夏の太陽のもとで、苡鈴を裸に剥き、手足を縄で縛りあげた。それから、苡鈴を数名で取り囲んで、彼女の全身に小刀で浅い傷を無数に刻んでいった。
痛覚が多く存在するのは皮膚の表面だ。浅い傷を無数につけると失血死などには至らないが、気が触れるほどの恐ろしい痛みに襲われる。深い傷をひとつつけたときと比べれば、何十倍もの苦痛だともいわれているのだ。ようするに、簡単には絶命させぬように、かつ耐えがたい痛みを与えられるのだった。
そうやって民衆は苡鈴の顔面や身体《からだ》や四肢に浅い傷を無数につけた。指一本一本にも執拗に傷を刻んでいき、髪を剃りあげて頭の皮膚にも傷をつけた。
いつしか全身の傷に蛆がわき、幼い苡鈴は苦しみ抜いて、とうとう体力が尽きて息絶えた。
そして、娘の苡鈴がそうやって死んでいくさまを、民衆は父親と母親に見せつけた。
苡鈴が死ぬまでは両親にいっさい拷問を行わず、しかし手足を縛りあげて動きは封じ、拷問されている苡鈴のそばに捨ておいていたのだ。
拷問に苦しみ続ける娘のそばで、両親はなにもできずに泣いていた。
もう殺してやってくれ。民衆にそう懇願したという。
苡鈴が死んだあとは、母親の紅花《ホンファ》への拷問がはじまった。
中国に凌遅刑という処刑法がある。刃物などで肉体を少しずつで削ぎ落としていき、長時間にわたり激しい苦痛を与えながら、死に至らしめるという残酷な処刑法だ。紅花にはその凌遅刑が行われたのだった。
民衆は紅花を裸にして大木に縛りつけ、ふくらはぎの肉から削ぎ落としていった。肉を削ぐにはあえて歯のこぼれた小刀を使ったが、削ぎ落とすだけでは失血死する可能性がある。小刀で肉を薄く削いだあとは火で焼いて止血し、また小刀で肉を薄く削いで火で焼いて止血した。失血死に注意しながら少しずつ肉を削いでいった。
ふくらはぎが終わると同じ要領で太ももの肉を削いだ。さらには腹の肉も削ぎ、尻の肉も削ぎ、背中の肉も削いだ。削いだ肉を周囲に捨てていたため、何匹もの烏がそれをついばみにやってきた。
身体の肉をあらかた削ぎ終えると、今度は頭部に小刀を差し向けて、鼻や耳を削ぎ落とした。それから顔面や頭の肉を削ぎ、上唇と下唇も削ぎ落とした。
頭部の肉を削いでいる最中に紅花は死亡したが、失血による死ではなかった。激しい痛みを長時間にわたり与えられていたために、心臓が耐えられなくなって死亡したのだった。
どの城の堀にも水棲生物の営みがみられるものだが、S城の堀のそれは専門家の頭を悩ませているという。
周囲の川や池と繋がっていないS城の堀は、外部環境とのかかわりが完全に断たれている。そのような閉鎖された環境に棲む生物は、餌や栄養を充分に得ることができない。ゆえに生態系がさほど発展しないのである。
しかし、S城の堀はその常識から外れており、非常に多彩な水棲生物が認められる。閉鎖環境下では異常といえるほど生態系が豊かなのだ。
生物学者たちもその事実には首を傾げるばかりで、これまで不可解な例外として扱ってきた。
だが、不可解な例外の訳が判明したかもしれないのだった。
河裸稞である。
S城に棲まう河裸稞を説明するには、戦前までさかのぼる必要がある。
戦前のS城周辺地域で奇妙な伝染病が蔓延したことがあった。激しい嘔吐を何度も繰り返すうえに、昼夜問わず便や尿を垂れ流すため、罹患者は脱水と栄養失調でひどく痩せ細った。最終的に死に至った症例も少なくなかったという。
病の詳細な記録が不足しているために断定はできないものの、現在のノロウイルスに近いものが、蔓延していたのではないかという説が有力だ。ただ、ノロウイルスよりも感染力が強く、致死率も高い印象であるから、未知のウイルスだった可能性も捨てきれない。
いずれにせよ、当時の医家が病の治療に尽力したのだが、それでも死者の数は増えていく一方だった。大人も子供もその病の犠牲となった。
すると、民衆のあいだにある噂が広まりはじめた。これは病ではなく呪いではないのかというものだ。戦前には呪術の存在がまだ信じられていた。
一度呪いだという噂が流布されはじめると、多くの民衆がそれを信じるようになった。死者が増えれば増えるほど、その噂は広まっていったのだった。
そして、迦紗という女がその噂をいっきに煮詰まらせた。
迦紗は高位の神社に仕えている巫女であり、若くとも霊妙な力に通じていると畏れ、敬われていた。その迦紗がこの病は呪いによる厄であると断じたために、民衆の心は呪いだという噂になおさら傾倒した。
民衆は迦紗に「何者が仕掛けた呪いなのか?」と問うたのだった。
迦紗は民衆に応じて神に祈祷を捧げだ。まもなくして神の声を授かり、その神託はすぐに民衆に伝えられた。
――此の地に満ちる呪詛は、大海の彼方より来たり。
つまり、S城界隈に蔓延している呪いは、外国からきたものだと結論づけたのだ。それを聞いた民衆ははっと思い至り、劉一家の仕業に違いないと囁き合った。
劉一家はS城のほど近くに住んでいる中国人の貧しい家族だった。屑板を組み合わせだけのみすぼらしい家に、夫婦の劉龍凡と紅花、十歳になる娘の苡鈴の三人で暮らしていた。
当時のS城界隈で外国にかかわりがあるとすれば、中国人の劉一家に限られていたため、呪いは彼らの仕業であると決めつけられたのだった。
民衆はもう一度迦紗に「この呪いへの対処法はないのか?」と問うた。
迦紗は再び祈祷を神に捧げて、呪いへの対処法を、神託として民衆に伝えた。
呪い返しは呪術者に死をもたらす必要があるため、この呪いをおさめるには劉一家の命を奪わなければならない。ただし、単なる死であれば呪いは再び戻ってくる。ひどい苦痛を伴う死を与えてやることで、呪いはこの地を恐れて二度近づかなくなる。
つまるところ迦紗は、劉一家を拷問して殺害しろと指示したのだ。
民衆はすぐさま劉一家と捕らえると、迦紗の言葉に則って、ひどい拷問を加えて殺害した。
最初に命を奪われたのは十歳の娘である苡鈴だった。
民衆は夏の太陽のもとで、苡鈴を裸に剥き、手足を縄で縛りあげた。それから、苡鈴を数名で取り囲んで、彼女の全身に小刀で浅い傷を無数に刻んでいった。
痛覚が多く存在するのは皮膚の表面だ。浅い傷を無数につけると失血死などには至らないが、気が触れるほどの恐ろしい痛みに襲われる。深い傷をひとつつけたときと比べれば、何十倍もの苦痛だともいわれているのだ。ようするに、簡単には絶命させぬように、かつ耐えがたい痛みを与えられるのだった。
そうやって民衆は苡鈴の顔面や身体《からだ》や四肢に浅い傷を無数につけた。指一本一本にも執拗に傷を刻んでいき、髪を剃りあげて頭の皮膚にも傷をつけた。
いつしか全身の傷に蛆がわき、幼い苡鈴は苦しみ抜いて、とうとう体力が尽きて息絶えた。
そして、娘の苡鈴がそうやって死んでいくさまを、民衆は父親と母親に見せつけた。
苡鈴が死ぬまでは両親にいっさい拷問を行わず、しかし手足を縛りあげて動きは封じ、拷問されている苡鈴のそばに捨ておいていたのだ。
拷問に苦しみ続ける娘のそばで、両親はなにもできずに泣いていた。
もう殺してやってくれ。民衆にそう懇願したという。
苡鈴が死んだあとは、母親の紅花《ホンファ》への拷問がはじまった。
中国に凌遅刑という処刑法がある。刃物などで肉体を少しずつで削ぎ落としていき、長時間にわたり激しい苦痛を与えながら、死に至らしめるという残酷な処刑法だ。紅花にはその凌遅刑が行われたのだった。
民衆は紅花を裸にして大木に縛りつけ、ふくらはぎの肉から削ぎ落としていった。肉を削ぐにはあえて歯のこぼれた小刀を使ったが、削ぎ落とすだけでは失血死する可能性がある。小刀で肉を薄く削いだあとは火で焼いて止血し、また小刀で肉を薄く削いで火で焼いて止血した。失血死に注意しながら少しずつ肉を削いでいった。
ふくらはぎが終わると同じ要領で太ももの肉を削いだ。さらには腹の肉も削ぎ、尻の肉も削ぎ、背中の肉も削いだ。削いだ肉を周囲に捨てていたため、何匹もの烏がそれをついばみにやってきた。
身体の肉をあらかた削ぎ終えると、今度は頭部に小刀を差し向けて、鼻や耳を削ぎ落とした。それから顔面や頭の肉を削ぎ、上唇と下唇も削ぎ落とした。
頭部の肉を削いでいる最中に紅花は死亡したが、失血による死ではなかった。激しい痛みを長時間にわたり与えられていたために、心臓が耐えられなくなって死亡したのだった。