その日は、いつもと変わらないなんてことのない朝だった。唯一の変化があるとすれば、体育祭以降、私達のグループに入った涼葉がその日は体調不良で欠席していたことくらいだろうか。チャイムが鳴るのとほぼ同じくして、扉の開く乾いた音が鼓膜に触れた。
「透花っちー、おはよう」
何人かの女の子がいつものようにそう声をかけたが、透花先生は表情一つ変えることはなかった。それどころか、見たこともないような冷たい眼差しを私達一人一人に順に滑らせてくる。私はその少し前から、あれ?、と思っていた。身に纏っている空気感がいつもとはまるで違う気がしたのだ。透花っち、どうしたの? 機嫌悪い? 教室の至る所からそんな声が転がってくる。
「皆さん、おはようございます」
とても教師とは思えないような、真っ白のワンピースというラフな出で立ちでいる透花先生は、おへその少し上辺りに手を置いたまま一礼した。
「これから私が言う話をよく聞いて下さい。私語は一切認めません。分かりましたか?」
ただならぬ空気に全員が姿勢を正した。その姿を確認すると、透花先生は深く息を吸いゆっくりと吐き出しながら一度宙をみあげた。程なくして、その均整のとれた美しい目が私たちの元へと降りてきた。
「たとえば、あなた方の左手、あるいは右手、それはどちらでも構いませんが、手首の先から真っすぐに刃を入れたとします。当然ですがその瞬間、血は溢れ出します。赤い、真っ赤で綺麗な鮮血。まだ二十歳にも満たないあなた方の血は、それはそれは綺麗なものでしょう。こう思い浮かべてみてください。白い肌は、溢れ出た血で緩やかに染まります。あなたはその血の源流を探ろうと目を向けるのです。そうです。ついさっき、刃を入れてぱっくりと裂けた傷口です。その傷口から、たとえばちいさな芽が出たとします。青々とした、ほんとにちいさな芽です。それは、あなた方の血肉を吸いながら次第に成長し蕾となり、やがて花を咲かせます。その花を、私はみてみたいのです。大丈夫。実際に手首に傷をつけるつもりはありません。でも、あなた方の心には、先程話した手首のような傷をつけさせて貰います。何も自分でやる必要はありません。それをするのは、私の役目ですから。あなた方の役目は、この学校を卒業するまであと四ヶ月。それまでに立派な花を咲かせることです。そして、その開いた花弁一枚一枚を、この私にみせることです」
最初の内は透花先生の何かの冗談だと思い笑い声をあげる者もいたが、全てを聴き終えた頃には誰も口を開いていなかった。静寂が満ちた教室の中で誰かが言った。
「ねぇ、あれ誰?」
私自身、そう思っていた。今目の前にいるのは一体誰なのだろう。少なくとも、私の知っている透花先生じゃない。透花先生の皮を被った誰か、あるいは透花先生の肉体に私たちが知らないもう一つの魂が宿ったのかもしれない。頭に浮かぶのはおかしな事ばかりだが、どれもがしっくりときた。それ程までに異様な光景だった。
「これから私は、あなた方が卒業するまでに三つのお題を出します。ああ、気を張る必要はありませんよ。どれも簡単なものですから」
静寂が降りる中、透花先生の声だけが教室に満ちていく。
「空から舞い落ちる雪を数えて下さい。これが最初のお題です」
透花先生が口にしたその瞬間、雪崩のようにざわめきが起こった。はあ? なにそれ? なんか怖くなってきたんだけど。皆が思い思いの言葉を口にする。だが、透花先生はその中でも表情を変えることは無かった。
「窓をみて下さい」
その声に皆の椅子が動く音が続いた。
「その近辺にいる子は、そこからでも雪を数えられますが、入り口付近からだと到底それは叶いません。公平を期す為に外に出ましょう」
透花先生の放ったその言葉に、私たちは教室から運動場へと向かった。何故こんな事をさせられているのか。一体これに何の意味があるのか。皆が疑問を持っていただろうが、透花先生が言うならという理由だけで肌を突き刺すような寒さの中、私達は運動場の中央に立った。
「透花っちー、おはよう」
何人かの女の子がいつものようにそう声をかけたが、透花先生は表情一つ変えることはなかった。それどころか、見たこともないような冷たい眼差しを私達一人一人に順に滑らせてくる。私はその少し前から、あれ?、と思っていた。身に纏っている空気感がいつもとはまるで違う気がしたのだ。透花っち、どうしたの? 機嫌悪い? 教室の至る所からそんな声が転がってくる。
「皆さん、おはようございます」
とても教師とは思えないような、真っ白のワンピースというラフな出で立ちでいる透花先生は、おへその少し上辺りに手を置いたまま一礼した。
「これから私が言う話をよく聞いて下さい。私語は一切認めません。分かりましたか?」
ただならぬ空気に全員が姿勢を正した。その姿を確認すると、透花先生は深く息を吸いゆっくりと吐き出しながら一度宙をみあげた。程なくして、その均整のとれた美しい目が私たちの元へと降りてきた。
「たとえば、あなた方の左手、あるいは右手、それはどちらでも構いませんが、手首の先から真っすぐに刃を入れたとします。当然ですがその瞬間、血は溢れ出します。赤い、真っ赤で綺麗な鮮血。まだ二十歳にも満たないあなた方の血は、それはそれは綺麗なものでしょう。こう思い浮かべてみてください。白い肌は、溢れ出た血で緩やかに染まります。あなたはその血の源流を探ろうと目を向けるのです。そうです。ついさっき、刃を入れてぱっくりと裂けた傷口です。その傷口から、たとえばちいさな芽が出たとします。青々とした、ほんとにちいさな芽です。それは、あなた方の血肉を吸いながら次第に成長し蕾となり、やがて花を咲かせます。その花を、私はみてみたいのです。大丈夫。実際に手首に傷をつけるつもりはありません。でも、あなた方の心には、先程話した手首のような傷をつけさせて貰います。何も自分でやる必要はありません。それをするのは、私の役目ですから。あなた方の役目は、この学校を卒業するまであと四ヶ月。それまでに立派な花を咲かせることです。そして、その開いた花弁一枚一枚を、この私にみせることです」
最初の内は透花先生の何かの冗談だと思い笑い声をあげる者もいたが、全てを聴き終えた頃には誰も口を開いていなかった。静寂が満ちた教室の中で誰かが言った。
「ねぇ、あれ誰?」
私自身、そう思っていた。今目の前にいるのは一体誰なのだろう。少なくとも、私の知っている透花先生じゃない。透花先生の皮を被った誰か、あるいは透花先生の肉体に私たちが知らないもう一つの魂が宿ったのかもしれない。頭に浮かぶのはおかしな事ばかりだが、どれもがしっくりときた。それ程までに異様な光景だった。
「これから私は、あなた方が卒業するまでに三つのお題を出します。ああ、気を張る必要はありませんよ。どれも簡単なものですから」
静寂が降りる中、透花先生の声だけが教室に満ちていく。
「空から舞い落ちる雪を数えて下さい。これが最初のお題です」
透花先生が口にしたその瞬間、雪崩のようにざわめきが起こった。はあ? なにそれ? なんか怖くなってきたんだけど。皆が思い思いの言葉を口にする。だが、透花先生はその中でも表情を変えることは無かった。
「窓をみて下さい」
その声に皆の椅子が動く音が続いた。
「その近辺にいる子は、そこからでも雪を数えられますが、入り口付近からだと到底それは叶いません。公平を期す為に外に出ましょう」
透花先生の放ったその言葉に、私たちは教室から運動場へと向かった。何故こんな事をさせられているのか。一体これに何の意味があるのか。皆が疑問を持っていただろうが、透花先生が言うならという理由だけで肌を突き刺すような寒さの中、私達は運動場の中央に立った。